嵐の夜。クラナガン近海の海上プラント。
そのヘリポートの上に航空12部隊、八神はやて部隊長。そしてフェイト・T・ハラオウン執務官とティアナ・ランスター執務官補佐は立っていた。
彼女らを運んできた輸送機がプロペラを回転させて飛び去っていく。
強い雨風の中、隊服のブラウスが肌に張り付き気持ち悪い。
「運が悪いな」
はやては、そう小さく呟いた。
「はやて、何か言った」とフェイト。
「何でもない。それより、周りの警戒は二人にまかせた。フェイトちゃんの高速移動魔法と、ティアナの魔導砲手の目。いざというときは頼んだで」
ティアナは既に狙撃手の潜んでいそうな狙撃ポイントに見当つけ、濃紺の制服のポケットに突っ込んだ右手、そこに握られたクロスミラージュの探知で見張っていた。フェイトも術式を頭の中で編み、安全装置を外した拳銃薬室内の弾丸の気分だった。執務官二人は一見突っ立っているだけだったが、瞳だけは熱を帯びていた。
一人歩き出す、はやて。
群青色の隊服を雨で重たく濡らし、肩に羽織った騎士服の白いジャケットをレインコート代わりに。風に飛ばされないように襟元のピンバッチ、部隊長章を隠すみたいに首もとで押さえている。
部隊長章、「隊長ってのは、スナイパーに真っ先に撃たれるんだ。だから、そんな縁起悪い物外しちまえよ」とヴィータは言ったが、はやては敢えて外さなかった。「あたしは航空12部隊の隊長さんやで」それがはやての答えだった。
広く平らな海上プラントの甲板。その中央にたどり着く。隊服の上から羽織った騎士服越しにもわかる、強い風と体温を奪う雨。視界の360度を覆う夜闇。どこにいるか分からない敵の恐怖。
「こんな時に市蔵がいてくれたらな」
思わず漏れる泣き言。どんな時も敵を見つけてくれる、天空の観測手。彼女は任務中の怪我で未だ入院中だった。
「フロイデ・シューネル・ゲッテルフンケン・トッホテル・アウス・エリーズィゥム」
ゴウゴウと吹きわたる風音にまぎれて、ベートーベンとシラーの歓喜の歌。アスファルトの地面に転がる携帯端末の着信音だった。
はやてはそれを手に取り、通信を繋いだ。
「ハロー、ハロー。航空12部隊の八神はやてや。スイユはベートーベンがお好きなんかい」
できる限り友好的に、気楽な様子で。道化の仮面だった。
〈個人的にはブラームスの方が"お好き"だ。ベートーベンは友人の趣味だよ。〉感情の籠もらないテノール。もしかしたアルト。中性的なスイユの声。
「奇遇やな。うちの隊にもベートーベンが好きな子がいるんや。市蔵って名前や」
〈友人ってのはイチクラの同僚、テレーゼのことだよ。しかし驚いたな〉
会話の語尾に、僅かに驚愕の色。
〈まさか君たちが矢神はやてとフェイト・T・テスタロッサだったなんて。僕は危うく"味方"を撃ち殺しかけた訳だ〉
「まだ味方とは限らんで。あたしを狙撃ライフルの十字架瞳(レティクル)で見てるんやろ」
スピーカー越しの無言、恐らくは肯定の意味。
「少し喋りすぎたな。そろそろ取引といこうか。"時間がないんやろ"?」
狙撃スコープ越しに自分を見ているだろうスイユに、はやてはニヤリと笑いかけた。
〈そうだな〉。スイユは感情の籠もらない声で返した。そして取引の内容を切り出した。
〈僕は管理局に出頭する。君たちにはテレーゼの保護を頼みたい〉
余りにもシンプルで、管理局側に有利すぎる取引だった。
「あんたは二人殺しとる。しかも内一人は提督や。下手したら永久封印やで」
「永久封印されるような犯罪者を捕まえれるんだ。昇進のチャンスだとは思わないかい」
嗚呼、成る程。はやてはすんなりと納得する。全ては計算されてたんだと。
ゲオルグ・テレマン提督が殺された理由、それはテレーゼを消そうとする元実験小隊への牽制や、この事件の首謀者への復習という意味合いもあったのだろう。同時に『時空管理局地上本部内ゲオルグ・テレマン提督暗殺事件』なる大事件を起こすことで、管理局全体に喧嘩を売るという意味合いもあった。本部内での提督の暗殺。しかも犯人は質量兵器を使っていて、元局員。当然のように一連の当然事件は大きくなり、否応なしにでも事件の闇を見つめないといけなくなる。全ては舞台裏から表舞台に引っ張り上げられ、スイユは然るべき罰を受ける。そしてテレーゼには然るべき保護を。
小さい事件ならもみ消される。大きい事件なら消しようがない。
積極的に事件を大きくし、自らの罪と価値を吊り上げたスイユ。彼は、この取引において甘い甘い餌だった。自己犠牲。自ら蜂蜜を被った甘い人。
甘ったれんな、このあほう。はやてはテレーゼの悲しむ顔を想像し、それを言いかけて、止めた。俯いた時に顎に触れた金属の部隊長章の冷たさ、それが口を噤んだ理由だった。私は航空12部隊を背負っている。情を知らねばならない。しかし、情に流されてはならない。
「テレーゼは守ったる。私たちも、スイユも、やり方は違うけど目的は一緒や」
事件の解決を目指して、それぞれの空を飛んでいた航空12部隊。それは、スイユやテレーゼも同じだった。
「感謝する。僕は別にどうなったって構わない。テレーゼを守ってやってくれ」
不意に懐中電灯の光。はやてがその方向をみると、崩れかけたクレーン塔の上に真っ黒な人影、スイユがいた。ライフル銃を地面に置き、手は頭の後ろ、投降のポーズだった。
〈これからそっちに向かう。僕が君の後ろで控えている執務官二人に逮捕されて安全が確保された後、念話でテレーゼを呼ぼう。君の部隊で保護してやってくれ〉
そう言って、螺旋階段をゆっくり下りていこうとしたその時。
〈だめだよ。わたしだけすくわれても、いみがない〉
その場にいる全員に向けて、天空からの暗号念話。はやてが空を仰ぐと、そこには白い翼を羽ばたかせ海上プラント上空を旋回する群鳥の姿。管理局の管制から離れたドローン達。そして。
「テレーゼ」
まるで天使が飛び回っているかのような情景。
〈すいゆ、いっしょににげよう。そらはひろいんだ〉
そしてテレーゼは大きく羽ばたいた。
吹き乱れる魔力風。緑色に燃える魔法力場が地面を薙いだ。
真っ二つに裂ける海上プラントの上部。はやてはとっさに張ったベルカ式の魔法陣で不可視の刃を防いだ。
しかし、攻撃はそれだけに止まらない。
群鳥のうち一羽、人造のカモメがはやてに迫る。白い弾丸、それがくすんだ赤の魔力光で真っ直ぐに飛んできた。
〈出番や。バードランド〉
部隊長八神はやての命令。同時に、空の一角が割れた。高度な隠蔽結界。その中から、燃え上がるような紅が飛び出してきた。
「ぶちかませ、アイゼン!」
〈ヤー〉
唸るマギ・ジェット・エンジン。振り下ろされる特大の突貫鎚。そして偉大なる運動エネルギーと質量エネルギーに頼った、凶悪な衝突。はやての眼前にまで迫っていたカモメが、人造筋肉を撒き散らしながら吹き飛んだ。カルメンのダンスの軽やかさで翻る、真っ赤なバトル・ドレス。頭に被った真紅のベレー帽、『のろいうさぎ』のアップリケ付。うさぎの耳には、はやてが付けた花の耳飾り。真っ赤な彼女は、はやてを守るように地面に降り立つ。手に握られた突貫鎚グラーフ・アイゼンがポンプアクションで廃夾、盛大な蒸気を吹き出しながら廃熱。そのまだ放熱しきってない灼熱の鎚を掲げ、宣言。
「ワガママな駄々っ子は、ぶっ飛ばしてから連れ帰る!」
バードランド分隊副隊長、八神ヴィータの登場だった。
空のひびから飛び出してくる、バードランド分隊の面々。灰色の外套をはためかせる五つの影と、スミレ色の一つの影。
ファビアンが弾幕を張る。リヴィエールが結界を張り守る。ルルーが誘導弾で撃ち落とす。ペルランが曲芸飛行で引っ掻き回す。ロビノーの補助魔法が隊員を後押しする。そしてスミレ色の騎士甲冑、バードランド分隊隊長シグナムが魔険レヴァンティンを抜き放ち命令。
「カモメ共の全滅と、テレーゼの保護。この二つが仕事だ。市蔵は居ないから、抜かるなよ」
五人分の「ヤー(了解)」。
万が一に備えて、ダブルSランク魔導士八神はやてが張った広域隠蔽結界に隠れていたバードランドの戦力だった。
「スイユ、きこえるか!」はやてが叫ぶ。そして「私たちはテレーゼをつれて帰る。あんたにも協力願いたい。ええか?」犯罪者への協力要請。映画の中の隊長みたいに滅茶苦茶な要請だった。
〈了解。元、管理局特殊火器猟兵、パイ・スイユ。これより八神はやて部隊長の指揮下にはいります〉
背丈ほどもあるアンチマテリアル・ライフルを構えるスイユ。ボルトアクションを操作して、安全装置に手をかける。
〈発砲の許可を〉
「許可する」
安全装置が外されて、トリガーが引かれた。轟砲音。音よりも速く純銀弾が飛び出し、照星の向こう、はやてに迫っていたカモメを撃ち滅ぼした。嵐の中の対空実体弾射撃。猟人の面目躍如。
〈テレーゼ、止めるんだ。彼らは味方だ〉
航空64部隊実験小隊の暗号コードで、スイユは念話を飛ばす。しかし返事は帰ってこない。激しいノイズ、そこに混じる〈いっしょにいこう〉。何度も、何度も、まるで壊れたテープレコーダー。"タカ"に喰われつつある精神。バクに浸食されてつつあるデバイス。結論、"テレーゼは止まらない"。
「嗚呼、間に合わなかったんだ」
スイユは引き金を引いた。また一羽、カモメが落ちた。
†
〈いっしょにいこう〉
暗闇で寝ていたカモメ達は、その声で目覚めた。
〈いっしょにいこう〉
その呼びかけに応えるべく、白く大きな羽を広げた。そして棺桶のようなねぐらの屋根を吹き飛ばし、呼びかけと共に送られてきた編隊飛行プログラムで、群をなして飛んでいった。
〈いっしょにいこう〉
十三羽のカモメ達が声に導かれ夜空に飛び立ったとき、空には既に数百羽のカモメが飛んでいた。ミットチルダ中のねぐらから〈いっしょにいこう〉の声に導かれて飛び立ったドローンの群だった。
その飛行は綺麗だった。機械仕掛けの白い翼で、誰も見たことの無いような美しい編隊飛行プログラムの加護で、天使のように飛んでいく。吹き渡る暴風にも、翼を重たく濡らす雨にも、汚されることなく、ただひたすら〈いっしょにいこう〉の声のもとへと白い翼で飛んでいく。〈いっしょにいこう〉。彼女らは心を理解する高度なAIを持ってはいなかった。しかしその声が、人間達がいつも求めてやまない、透明で暖かく尊いものだと理解もしていた。
嗚呼、空は広い。
カモメ達は幾度となく空を飛んでいたが、しかし自由な飛行は初めてだった。この時、ドローンたちは初めて空というものを知った。そして、自分たちに空を教えてくれた〈いっしょにいこう〉の囁きを助けに行くべく、同じ空へと飛行を開始したのだった。
†
〈いっしょにいこう〉
市蔵ソラは、その懐かしい声で目を覚ました。
上半身を病室のベッドから起こし、耳を澄ませる。
〈いっしょにいこう〉
懐かしい声。それ声は64実験小隊の暗号コードで、窓の外から聞こえてきていた。ソラは体中の火傷が擦れて痛むのも厭わずに、ベッドの横の車椅子に転がり込むと、窓の側まで移動して格子戸を開け放った。
曇天の夜空、吹き荒れる暴風、空から降る幾億幾兆の雨粒を見つけた。そして、その嵐の中を海に向かって飛んでいく、幾百の白いカモメ達を見つけた。
〈いっしょにいこう〉
群鳥は声に導かれ、同じ方角へと向かっていた。見たこともないような美しさで、編隊飛行をするカモメ達。風にも雨にも汚されず、一点の曇りもない純白の翼。爛々と赤く輝く隻眼。
「まるでキェールプ(ケルビム)だ」
思わず口をついたのは、炎の剣をもつエデンの守人、天使の名だった。
ソラは窓の向こう、群鳥の進路を睨みつけた。バードランドが作戦に出た海と空が見えた。きっとこの鳥達は、バードランドに戦いを挑むんだ。そしてバードランドはテレーゼ隊長と戦っている。
〈いっしょにいこう〉懐かしい声。私も行かなくちゃ。
"軽くあれ"。ソラは着ていた検査服の紐をほどき脱ぎ去った。白い裸の体が露わになった。
"軽くあれ"。体中の火傷に貼られたガーゼを全て剥がした。病室に吹き込む風。冷たい雨が火照った傷を冷やした。
"軽くあれ"。太股だけの足に巻いてある矯正包帯をほどきさった。包帯は風に飛ばされ、空中に消えた。太股には引きつった傷が走っていた。
"軽くあれ"。ソラは最後に、車椅子の上で腕を広げた。その姿は飛び立とうとする鳥の姿にも見えたし、同時に何かを抱え込もうとする姿にも見えた。
"
軽くあれ"。空は軽いものを愛します。
だと言うのに、"軽くあれ"と願うソラが思い出していたのはヴィータの叫び「あたしたちは背負わなきゃならない。でもそれは、誰かに背負わせないためにだろ!」。64実験小隊で学んだ"軽くあれ"とは真逆の理念だった。私はもうバードランドの鳥なんだ。ソラは笑ってしまった。
「先輩は背負わせたくないって言ってたけど、今の私は背負てもいいかなって思ってるんです」
"軽くあれ"。軽くなった分だけ、背負うことができるから。ソラは軽い体と軽い心を忘れずに、しかし背負うことを決意した。そして。
「"軽くあれ"」
彼女を彼女たらしめる魔法の呪文。脊髄のイカルス・デバイスが魔法を編んだ。
燃え上がる青い炎。腕は翼になった。体は黒いバリアスキンで覆われた。足から生えた音叉がキシキシキシキシキシッと高く鳴き、魔力を燃やす。
〈いっしょにいこう〉
〈ああ、いっしょにいこう〉
病室の窓から、ソラは嵐の中に飛び出していった。
昔の仲間にあうために。今の仲間にあうために。ソラは黒い翼を広げて、バードランドの空へと飛び去っていった。