魔導師たちの群像_ 魔法少女リリカルなのは   作:夏深てふ

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14/そらをあいする

長い、長い詠唱を終えた八神はやては、たった一人、海上プラントの甲板で仲間達を見送った。

 

そして仲間達の姿が見えなくなったことを確認すると「おやすみ」と小さく呟き、魔法を解き放った。

 

おやすみ。

 

魔法とは何の関係もない言葉だったが、はやてにはその言葉で締めくくるのが相応しく思えたのだった。

 

白い光が、広がっていく。海上プラントが消えた。飛んでいたカモメ達が消えた。死んだカモメ達も消えた。テレーゼの後を追って海におちていったパイ・スイユも消えたかもしれない。

 

何もかもが消えてしまった後、はやては肩甲骨の黒い羽を広げると、仲間達の所へと飛んで帰ってしまった。

 

彼女が飛び去った後、青い海と、青い空だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

  ララバイ・オブ・バードランド。

 

 

 

 

 

 

 

「不思議なことにな、カモメ達には何の異常もなかったんよ」

 

とある昼下がり、八神はやては航空12部隊の寮の屋上で、冷めてしまった紙コップのコーヒーを啜りながらそう言った。彼女の手元には一冊の本、夜天の書と呼ばれる、彼女のデバイスだった。

 

「そうなんだ」と素っ気ない返事でフェイト・T・ハラオウンが返した。黒い執務服の襟元を寒そうに寄せ、吐いた息で手を温めた。吐いた息は白かった。

 

「あれ、あんまし驚かんのやね」

 

「なんとなく、ね。予想はしていたことだし」

 

空を飛ぶテレーゼと、その後を編隊飛行するカモメ達を思い出しながら、フェイトは言った。

 

事件が解決した後の話だ。

打ち落とされたカモメ達は管理局のラボに運ばれて、ブラックボックスを徹底的に調べられた。はやても夜天の書の蒐集能力でカモメ達のリンカーコアの残滓を調べ上げた。中に残っていたのは〈いっしょにいこう〉の交信記録、誰も見たことの無いような美しい編隊飛行プログラム、その二つだけだった。それらはそのままドローンに積んでも良いような優秀なプログラムで、カモメ達を暴走させるような因子はどこにも見あたらなかった。

 

「きっと飛びたかったんだね」

 

「まあ、人形に心が宿るなんて、普通ならあり得ん話けどね」私は現実主義者の隊長さんです、そんな仮面を被りながら。

 

「はやてがそれを言う?」すぐさま上司兼、仲のよい友人の仮面を剥がしにかかった。

 

フェイトは想像する。きっとこの優秀かつ不器用な管理職の友人は、あのカモメの一匹一匹に対してでさえ、祈りながら落とし、消していったのだろうと。はやては魂や心といったものが人間だけの特権でないことをよく知っていた。たとえば、彼女の家族であるシグナムやヴィータは、作られた存在であるということ。たとえば、彼女は融合騎とよばれる人造生命の専門家でもあるということ。たとえば、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンも。

 

はやては記憶の頁をパラパラと捲り、一つの言葉を諳んじる。

 

「私たちは心を知らないし、心は人を知らない。心は人形に宿るかもしれないし、かつては私たちの目の前に現れたこともある」

 

「哲学的ね。誰の言葉?」

 

「大昔の詩人で、死んでしまった夜天の主。廃れた言葉で夜天の書に刻んであったんや」

 

心の出現。かつてのヴォルケンリッター。そして今回のカモメ達。

 

「んでもって、この言葉には続きがあるんよ」

 

「続き?」とフェイトが首を傾げた。

 

はやてが立ち上がる。そして手をヒラヒラとさせてバイバイのポーズ。官舎に鳴り響くサイレン。昼休みが終わる合図。

 

はやては立ち去り際に、フェイトにそっと耳打ちする。

 

「心は優しき人の前に現れる」

 

「優しかったのは誰?」

 

「それはきっと『みんな』や」

 

 

 

 

 

 

ティアナ・ランスターが上司であるフェイトを探し航空12部隊の寮の廊下を歩いていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。その声につれられてたどり着いたのは、階段下の談話スペースだった。いたのはヴィータと市蔵ソラのちびっ子二人を除く、バードランドの面々だった。

 

「ああ、ランスターか。テスタロッサならまだ主はやてとお話中だ。ここで待つといい」手招きするシグナム。

 

ティアナなシグナムの言葉に甘えて「失礼します」と薄暗い談話スペースのソファーに座った。

 

話の内容は、どうでも良いような普通の世間話だった。

 

たとえば、来週出向任務から帰ってくる医務官のお姉さんが可愛いだとか。その医務官のボディーガードについていった狼の守護獣が羨ましいだとか。それより自分の婚約者の方が綺麗だとか。そういえば融合騎のちっちゃい妖精さん二人、最近みないなだとか。あの子達は今、長期休暇をとって資格取得に奔走しているだとか。そんなことより反省文、嬢ちゃんにどやされるぞだとか。教導隊から副隊長の友人が教えにくるんだ。準備でそんなもの書いてる時間なんてないよだとか。

 

不思議と海上プラントでの一件については、話題にあがらなかった。みんな前を向いて、次にすべきことを考え始めている。しかしティアナが思い出していたのは、全く別のことだった。

 

落下する白い翼。「いっしょにいこう」。万有引力のような黒いコートがはためく。走り出す男。男は落下する白い翼に向かって手を伸ばし、クレーン塔から飛び降りる。そして落下。荒れた海の波間に消える。

 

「そういえば、あの狙撃手。なんだったんだろうね」誰かの呟きが、ティアナを空想から引き戻した。

 

「まだ、行方不明扱いだそうだ」シグナムが心臓の上を撫でながら言った。隊服の下、未だに消えない純銀弾狙撃の痣の痕。

 

あの後、結局パイ・スイユは見つからなかった。荒れた海に溺れて、死んでしまったのかもしれない。八神はやての魔法で消えてしまったのかもしれない。実は生きていて、昔の自分や銃のことなんて忘れて、どこかの港町で暮らしているのかもしれない。もしかしたらパイ・スイユなんて男は最初から居なくて、自分達は夢を見ていただけなのかもしれない。

 

ティアナはスカートのポケットに手を突っ込んだ。固い金属の感触。待機状態のクロスミラージュと、気の知れた鑑識から譲ってもらった純銀の魔弾。かつてはスイユの物だった。いまはティアナの狙撃の御守り。

 

「私は生きていると思います」。唐突に、ファビアンが言った。

 

「俺も生きてる方に賭ける」リヴィエールがポケットの皺札を掴みながら言った。

 

「なら俺はコイツを掛けよう。生きてる方にだ」ルルーがポケットから、酒の入った金属のフラスコ瓶を出しながら。

 

「隊長と副隊長を病院送りにした悪魔みたいな奴だ。死ぬわけない」ペルランがマネークリップから畳まれた紙幣を抜く。

 

「ペルランの勘はよく当たる。生きているほうにだ」ロビノーが財布の中身を引っくり返す。

 

「私も生きてる方にだ。狙撃の借りを返さないとな。さて、ティアナはどっちに賭けるか?」

 

シグナムがティアナに問う。

 

「決まってるじゃないですか。生きている方に全部です」

 

財布を取り出し、テーブルに叩きつけた。テーブルの上に広げられた、紙幣とコイン、そして僅かばかしの高級酒。スイユは生きている。バードランドとティアナの、確信の現れだった。

 

「困ったな。これでは賭けにならない」

 

シグナムが肩を竦めて笑った。

 

 

 

 

 

 

ソラはその病室にたどり着くと、まだ火傷や凍傷で包帯塗れの手で扉をノックした。返事は聞こえなかったが、彼女は構わず扉を開けた。

 

中にいたのは、ベッドに横たわり窓の外を見上げる、一人の女だった。髪の毛は白く長い。手と足に巻かれた包帯とギブスが痛々しい。瞳は燃えるような緑。テレーゼだった。

 

テレーゼは成層圏から墜落しながらも、幸運なことに生きていた。成層圏飛行の酸欠が、彼女の脳で暴走するデバイスを止めた。彼女の軽い体と大きな翼、空気抵抗が落下スピードにブレーキをかけた。波間に浮かぶカモメ達の亡骸が彼女を受け止めた。落下したのが海だったことも幸いした。

 

そして何より「いとしいひとが、たすけてくれたの」そうテレーゼは言った。

 

冷たい海に溺れるテレーゼを引き上げ、八神はやての広域魔法から守り、そしてどこかへと消えていった『いとしいひと』。スイユのことだった。

 

白い翼で波間を漂うテレーゼは引き上げられ、すぐさま管理局の病院に運ばれた。そこで脳や神経系に癒着したデバイスの初期化と再入力、手足まで浸食したデバイスの癒着を切除し、命を取り留めた。

 

彼女は命を手に入れたが、しかし翼と幾ばくかの記憶を失った。初期化したデバイスは、飛行管制や体管制の他にも、記憶や感情の代行も行っていた。

 

例えば、彼女はスイユのことを殆ど覚えてはいなかった。どうやって出会ったのか。どういう関係だったのか。それどころかパイ・スイユという名前さえも忘れてしまっていた。「いとしいひと」。ただそれだけしか覚えていなかった。

 

彼女が最初の墜落事故で失い、デバイスが代行していた脳の部位は腹側被蓋野、愛を司る脳だった。愛を初期化されたのだった。

 

テレーゼは、車椅子に座り傍らに佇むソラに気づかないまま、ずっと窓の向こうの空を見つめていた。空の色は、遠い、遠い青だった。

 

「テレーゼ隊長、お久しぶりです」

 

ソラはテレーゼを驚かせないように、小さな声で呟いた。テレーゼは寝返りを打つように、頭だけをソラの方へ向けた。カラッポの、幼い表情だった。

 

「あなたはだれ?」

 

「鳥です。青く燃える、ヨダカです」

 

「よだか。もしかして、いっしょにとんでくれた、よだかさん?」

 

「ええ、そうです」

 

彼女の精神の退行は、結局治らなかった。もしかしたら、ある日突然、元の精神年齢に戻っているかもしれない。一生このままかもしれない。徐々に成長していくかもしれない。何れにしても、元のテレーゼに戻ることはないだろうとのことだった。

 

「ねえ、よだかさん。わたし、とべなくなっちゃったの。どうしよう」

 

怯えたような緑色の瞳。消えそうな炎のように揺らめく、瞳の色。ソラはテレーゼの真っ白な髪を撫でた。慰めるように。かつて64実験小隊のソラがテレーゼに撫でてもらったように。

 

昔、テレーゼは「飛べないんだ」と泣くソラの頭を撫でて「"軽くあれ"。空は軽いものを愛します」と言った。

そのテレーゼが、ソラに頭を撫でられながら泣いていた。

 

「かるいんだ。かなしいくらいにかるいのに、とべないんだ」

 

軽くなってしまった。空っぽの体と、空っぽの心で飛んで、とうとう翼までも失った。

 

愛しく、悲しい人。ソラはテレーゼの額にキスをして、耳元で囁いた。

 

「"私たちは背負わなければならない"。私たちは翼を背負わないと飛べないんです。きっとあなたには、白い翼が似合います。私は白い翼を背負って飛ぶあなたを、あの青く澄んだ"限界高度"の上で待っています」

 

そして名残惜しそうに、白い女のもとを去った。

 

「またきてくれる」とテレーゼが言った。

 

「あなたが飛べるようになった頃に、また会いましょう」とソラが言った。

 

"軽くあれ"と願った鳥達の約束。こうして二人は、翼の重みを知ったのだった。

 

 

 

 

 

 

ソラが病室を出ると、ヴィータが待っていた。壁にもたれて、腕を組んで待っている。

 

「大丈夫だったか?」

 

「ええ。怪我も思ったより酷くなくて、私のことも少しだけ覚えていてくれました」

 

ため息をつく、ヴィータ。

 

「ちげぇよ。お前のことを言ってんだ。お前、今自分がどんな顔してるかわかってるか?」

 

「どんな顔ですか?」

 

不器用な奴。心底呆れつつソラの腕を乱暴に掴むと、車椅子にもたれ掛かるように抱き寄せた。

 

「涙を流さずに、泣いてたよ」

 

脊髄のイカルス・デバイスのせいだった。涙を流せないということ、悲しみに気づけないということ。自分の悲しみにも気づけずに、このままじゃ悲しみの重さで潰れてしまう。

 

「"軽くあれ"だ。あたしが背負ってやるよ」

 

抱きしめた。それで背負えるならばと、強く、強く、抱きしめた。どれだけ抱きしめても、悲しい心にはたどり着けないように思えた。しかし。

 

「私が背負います。これは私の悲しみです」

 

ソラは笑った。そこには、さっきまでの悲しみの重さはなかった。真っ直ぐな、軽やかな笑顔だった。

 

いつの間にか背負うことを覚えたソラ。ヴィータは嬉しくて、でも少しだけ寂しくて。強く、強く、抱きしめた。今度こそソラの心にたどり着いたような気がした。

 

指先に触れた心は、軽く暖かな翼の感触だった。

 

暫くの間抱き合った後、二人は軽やかな心で家路を急いだ。航空12部隊の、バードランドの待つ隊舎へと。

 

「今日はテスタロッサやティアナの奴も来てるんだ。はやてのギガうま料理でパーティーだってよ」

 

「それはとっても素敵です。先輩と私の二人で、全部食べ尽くしちゃいましょう」

 

「ばーか。"軽くあれ"だろ。食い過ぎで飛べなくなったって知らないぞ」

 

「今日に限って忘れます」

 

二人は歩く。軽やかなステップを踏む、ヴィータの靴。カラカラと軽い音で回転する、ソラの車椅子の車輪。そして。

 

フロイデ・シューネル・ゲッテルフンケン・トッホテル・アウス・エリーズィゥム。

 

天空の上に住み賜うであろう神さまを称える、ベートーベンの歓喜の歌。空に溶けていく、軽やかな少女達の歌声。

 

嗚呼、フロイデ。喜びよ。

 

要するに、二人は世界と空を愛しているということだった。

 

 

 

 

 

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