ヴィータが目を覚ますと、そこは病院のベッドだった。
「嗚呼、起きたのか」
彼女の隣では、凶弾に倒れたはずのシグナムが椅子に座って林檎の皮を剥いていた。
「なあ、シグナム。ここは天国か?それとも地獄か?」
「さあな。もしかしたら失われたはずの転生システムの中かもしれんぞ」
シグナムはそう言ってからニヤリと笑って「冗談だ」と付け足した。
ヴィータは腕に刺さったままの点滴が抜けないように気を付けながら身を起こすと、周りをグルリと見渡した。彼女の"特殊な生い立ちと体"を考慮してあてがわれたであろう一人部屋。窓の外では海が見える。意識が途切れる前まで戦っていた、戦いの海と空だ。ベッドの横にはもの入れを兼ねた小さな花瓶台。その上には懐かしい名前の書き込まれたブーケが数個、バードランド分隊、ブルーノート分隊、H・Q・ビレッジ・バンガード、隊員一同と書かれた、山盛りの林檎の入った果物籠、素っ気ない紙袋と、待機状態のグラーフアイゼンがペンダントの姿をとっていた。
ヴィータはグラーフアイゼンのチェーンを掴むと、そのまま首にかけた。
「シグナム、あの後どうなったんだ」
「別に説明してやっても良いが、大丈夫か?無理は禁物だぞ」困った顔のシグナム。
「聞かないと気持ち悪くて眠れない。教えてくれよ」
「わかった。まずは悪いことについて話しておこうか」
コホンと咳をすると、シグナムは携帯端末を取り出し、そのスクリーンに情報を浮かべた。
「こちらの損害だが、団員二人が負傷、つまり私とヴィータの二人だ。負傷の原因は対物ライフルによる狙撃。私は左胸を撃たれて、お前は頭のすぐ隣を掠めた弾丸に脳震盪を起こして意識を失った。グラーフアイゼンの無茶な起動も災いしたんだろう。そのまま魔力不足を起こして今に至ると言うわけだ」
「左胸を撃たれたのに、なんで生きているんだ?まさかお前、シグナムのお化けか」
「馬鹿言うな。二人分の魔力フィールドと騎士甲冑のお陰だ」
「それと胸の脂肪クッションもだろう?この、おっぱい魔神め」
こらっ、と怒りの拳骨をお見舞いするシグナム。ギガ痛てぇ、と涙目で頭をさするヴィータ。仲良し姉妹の様相だった。
「それで、その狙撃手はどうなったんだ?まさか死んじゃいないよな」
「嗚呼、幸運なことにな。そして不幸なことにライフル銃ごと海に飛び込んで逃げたらしい。行方不明だ。彼の残していった物的証拠だが、クレーン塔に突き刺さったギガント・グラーフアイゼンの下に、へしゃげた空薬夾が三つ落ちていた。第97管理外世界の規格で12.7x99mm弾という物だ。ただ、鑑識が言うにはワイルドキャットという物らしい」
「ワイルドキャット(野良猫)?」
「そう、ワイルドキャット。量産ラインに乗ってない特殊弾のことだ。私達に打ち込まれたのは、魔力伝導率が桁外れに高くなるように細工した、純銀弾だそうだ」
「魔力伝導率?それが高いとどうなるんだ?」
「魔力フィールドでは。防ぎづらくなる。レントゲンのX線みたいに、すり抜けるんだそうだ」
「うわぁ。最悪じゃん、それ」
小さな穴の開いた、二重の魔力フィールド。定例で、護送犯にかけられる証人保護のための魔力バリアを突き破って、その頭を粉々にした弾丸。武装犯の頭が脳漿と血と頭蓋骨の破片になり果てた瞬間を思い出す。同時にヴィータの中で一つの疑問が湧き上がる。
「なあ、なぜ武装犯は殺されたんだ?仲間だったんだろう」
それを聞いて「良い着眼点だ」とシグナム。
「口封じだ。彼はあの海上プラントの責任者で、そこで行われていたことの全貌を知る唯一の人間だった。プラント内のプログラムはすべて初期化、その上で念入りに破壊されている。製造に関わっていた人間でさえ、徹底した分業のせいで我々が来て初めて違法行為に手を染めていたと知ったくらいだ。全ては闇に葬られた。そういうことだ」
「全然駄目じゃん。あぁ、チクショウ。地球のことわざを思い出すよ。三歩いて二歩下がる、だっけ?」
「諺じゃなくて、歌の歌詞だ。それに、すべてを逃したわけでもない。武装犯の聴取で分かったこともある」
「例えば?」
「狙撃手についでだ。どうやら今回の作戦で潰した組織とは別の組織に雇われている人間だそうだ。武装犯に質量兵器のレクチャーをしたのも彼だ。武器の使い方は教えても、戦術までは教えてなかったみたいだがな。主に組織と組織のパイプ約を引き受けていたらしい。そんな有能で素敵な彼の人相だが『目深に帽子を被り、スーツの上から軍のお下がりフィールドコートをブカブカと着ていた。背は、男にしちゃ低く、女にしちゃ高い。声は高い』まるっきり正体不明だな。ついでに言うと、彼は物凄く目が良い。編隊を組んで飛んでいた我々を発見したのは、彼だったらしいからな」
「随分と曖昧な情報をありがとう。どいつもこいつも悪い話ばかし。めんどくせぇ」
ヴィータはシグナムの手から剥きかけの林檎をもぎ取ると、バリバリとかじり、飲み込み、汁で汚れた手を行儀悪くシーツで拭った。そして「ああ酸っぱい。ヒヨッコ共め、安物買ってきたな。ああ、悪いことばっかしだ」と毒づいた。
「そうだ。悪いことばかりだ。でも、まだ全てが終わった訳でもない。挽回するチャンスは残っている」
「というと?」
「この事件は正式に航空12部隊長、我らが主、八神はやて部隊長の管轄になった。同時に我々航空12部隊バードランド分隊は通常シフトを外れ、この案件の捜査を任されることになる。明日からは忙しくなるぞ。今のうちに休んでおきたまえ、ヴィータ分隊副長」
私たちの手で解決するチャンス。私たちの手で挽回チャンス。ヴィータは目の前に煌めくチャンスに目を輝かす。
「もちろん!上等だ。この胸くそ悪い事件を全部暴いて、犯人共をぶっ飛ばしてやるんだ。アイゼンの染みにしてやるぜ、分隊長殿」
「そうだ、その意気だ」
一気に元気になったヴィータを見て、シグナムは安心する。そして立ち上がると、花瓶台の上に置いていた紙袋を手に取り、それをヴィータに放ってよこした。
「それの中身が、本日唯一の"良い知らせ"だ。それを拾った市蔵と、直した主はやてには後でお礼を言っておけ」
そう言って病室から出ていってしまった。
紙袋を開けると、それはヴィータ愛用の赤いベレー帽だった。地面に落ちて汚れたはずの布地は綺麗にクリーニングされていて、銃撃でちぎれてしまったはずの『のろいうさぎ』の方耳は縫い止められていた。耳の縫い後を隠すように、『のろいうさぎ』は花の耳飾りをつけていた。
「ありがとう、はやて。ありがとう、新入り」
ヴィータは帽子を抱きしめて、小さく、小さく呟いた。
†
くしゅん、と市蔵ソラはくしゃみをした。そして、誰かが噂でもしたかなと、ぼんやりと考えた。
良い噂だといいな、でもきっと悪い噂だろう。そう、生まれついた悲観論で結論付けた。"良い情報は、大概の場合役に立たない物である。本当に必要なのは悪い情報だ"。生まれついての偵察兵根性だった。
彼女は鼻をすすり、そして車椅子の車輪に手をかけ、車輪を進めた。そして、とあるドアの前にたどり着き、ノックをした。
良い人だと良いな。でも、悪い人かもしれない。根っからの偵察兵根性で考えた。
この考えは良い意味で裏切られることになる。そのことを彼女はまだ知らない。
†
ヴィータが自分の病室で『のろいうさぎ』の赤いベレー帽を抱きしめてうたた寝していると、不意にノックの音が響いた。
「ソラ・イチクラ二等空士です」
あわてて飛び起きるヴィータ。帽子を慌てて紙袋に戻してベッドの下に放り込み証拠隠滅。部下に、こんな感傷に浸っている情けない姿見せられるか!という意地が理由だった。
「はいっていいぞ」
努めて冷静に言ったつもりだったが、実際の所は心臓バクバクで、声も「ひゃえっていいぞ」といった具合に裏返っている。情けなくて泣いてしまいそうだった。
「失礼します」と甘く掠れた声。不健康そうな声の理由は暗号念話だけでなかったらしい。
ガチャリとドアノブを捻る音がして病室に入ってきた市蔵ソラは、色々な意味でヴィータの予想を裏切っていた。
第一の裏切りは、彼女は自分の足で歩いていなかったということだ。市蔵ソラは車椅子に乗っていた。その車椅子を器用に操り、扉を開けて、閉めて、そして車椅子ごと回転してヴィータに向き合いお辞儀をした。
「初めまして。ソラ・イチクラ二等空士です。昨日付けで航空64部隊実験小隊から航空12部隊バードランド分隊に配属されました。未熟者ですがよろしくお願いします」
謙虚で、静かで、軍隊気質の少ない口調。クラッシック歌手みたいに綺麗な音程と発音。今は静かな夕方で、ここ病室で、目の前にいるのは上司であるというTPOを満たした自己紹介。それが第二の裏切りだった。
「八神ヴィータ二等空尉だ。こんな小学生みたいな形だが、お前の配属されたバードランド分隊の副隊長だ。コールサインはフクロウ、鷹のように戦えて鳩のように平和を考えれるって意味。よろしくな、ソラ・イチクラ」
ヴィータは手を伸ばし握手を求める。すると市蔵ソラは車椅子を器用に操りベッドに近づくと柔らかく握手をした。ミッドチルダの人間特有の力強い握手ではなく、日本的な撫でるみたいな握手だった。
「なあ新入り。もしかしてお前、日本の出身か?」
「はい。日本の出身です」
「やっぱりか。それじゃあソラ・イチクラじゃなくて市蔵ソラで呼んだ方がいいな。はやても日本の生まれだから同郷どうし仲良くしてやってくれ。ちなみに私や隊長のシグナム、医務官のシャマルも日本で住んでいたことがある。はやてや、その守護獣のザフィーラと一緒にな」
ヴィータは自分の持ち味であろう親しみやすさを全面に押し出しつつ、シグナムの口調を真似ようとしながら言った。上官としての威厳と、自らのアイデンティティ(実力主義や下克上、無礼講、そして花より団子)の妥協案がそれだった。ヴィータ分隊副隊長、精一杯の猫かぶりだった。
「ありがとうございます」
歌い終えた歌手がするみたいな、綺麗なお辞儀。それが第三の裏切りだった。
ヴィータは少しだけ困惑した。資料で見た市蔵ソラという魔道士は、飛ぶことに特化した優秀な魔法空士だった。魔法空士達の"限界高度"の遙か上、対流圏界面の下を音速の数倍で飛び回り、数日間に渡る長距離飛行もこなし、その上で上空から地上にいる敵の数と、敵の持つデバイスの種類と、そこに刻んでいるシリアルナンバーまでをも確認して帰還する偵察のスペシャリスト。てっきりジェット戦闘機や軍事偵察衛星みたいなマッチョな十六歳が出てくると思ったら、実際はタンポポの綿毛みたいでハンデキャップを抱えた小柄な少女だったという現実。小学生みたいな形のヴィータ自身だって、二等空尉で、分隊副隊長で、教官資格も持っていて、しかも数百年の歳月を過ごした生きるロストギアです、と人の事を言えた柄出もないのだが、それでも驚きだった。
改めてソラを観察するヴィータ。飛ぶのに邪魔にならないようだろう。髪は短く、前髪も整った眉の上で綺麗に切りそろえられている。日本人特有の黒髪黒眼と、高度飛行に必要な対紫外線処置で不健康なほどに白い肌のコントラスト。おまけに顔のパーツが小造りなせいで、酷く人形めいた印象を与えた。目には"見えすぎないため"の遠視用の黒縁メガネ、それだけが妙な愛嬌を振りまいている。着ている服は群青色の隊服、ヴィータより一サイズだけ大きいSサイズ。その上から、故郷で買ったのであろう、イギリス空軍の蛇の目が入ったB3の皮製フライトジャケットを羽織っている。その小さく線の細い体躯は軽そうで、確かに飛ぶには、または飛ばされるのには有利そうな印象を与えた。
「新入り、お前は飛行魔術と偵察が得意なんだってな。おかげでこの前は助かったよ。あんたが狙撃手を見つけてくれなきゃ、隊長副隊長共々なかよく殉職で、バードランド分隊は解散してたかもしれない。あと、帽子のこともある。本当に感謝だ。ありがとう」彼女があの"ヨダカ"であることを改めて確信し、軍隊マッチョでもないことを確認したヴィータは、いつもの口調に少しだけ戻してお礼をした。
「恐縮です」
短く、しかし軍隊っぽく答える市蔵ソラ。
そんな彼女にヴィータは、「そんな、かしこまらなくたっていいよって。"軽やかに"、"子供の心を忘れずに"。バードランド秘伝の、空を飛ぶための秘訣だ」
そう言って笑った。
「同感です。空は軽いものを愛します。そして、空は子供みたいに正直で、眩しくて、残酷です。空にそっくりで、軽い子供なら空に愛されるでしょう」
「へへっ。お前、詩人だな。たしかに空は子供を愛するかもしれない。このあたしが言うんだから間違いない。空はきっと子供が大好きだ。私みたいに可愛らしい女の子がな」
「なんていうか。副隊長が言うと、ピーターパンやティンカーベルみたいに説得力がありますね」
「ばーか。それじゃバードランドじゃなくてネバーランドだ」
子供みたいに邪気のない笑みで笑うヴィータ。それにつられて心底可笑しそうに笑うソラ。そんなソラの様子に満足したヴィータはコホンと咳払いをして息を落ち着ける。そして真っ直ぐソラの瞳を見つめる。
「なあソラ。バードランドは空を目指している。みんなが幸せになれるための空をだ。きっと大変な飛行になるだろうけど、ついてきてくれるよな?」
そんな彼女に市蔵ソラは真っ直ぐ答える。
「私は鳥です。バードランドが空を目指している限り、私とバードランドは同じ空を飛んでいます」
そう言って、ソラはヴィータの瞳を真っ直ぐ見つめ返し、微笑んだ。誰よりも高く飛べる癖に、地べたのひな鳥が空を見上げるみたいな笑みだった。
ヴィータはそれを見て、心の底から笑ってしまった。数百年も生きている癖に、妹たちが卵を破るのを今か今かと待ちわびる、お姉さんひな鳥みたいな笑い方だった。
二人は嬉しくて、ひな鳥のように笑ってしまったのだった。