隠れ家のホテルの一室。ヴィータは背丈ほどもある突貫槌グラーフアイゼンを構えて、部屋の隅に控えていた。その隣には、通信を終えた市蔵ソラが車椅子に座って佇んでいる。部屋のさらに奥には証人・白烏花もいたし、彼女を守るザフィーラの姿もあった。
窓の外に目をやると、ホテルのエントランスから客が出て行く姿が見て取れた。そして、客たちを誘導し、検索魔法で人物照会していくアハト、08の腕章をつけた管理局局員の姿。真っ黒な防護服とガスマスクの『前線部隊』こと08防疫部隊の掃除屋の姿も見えた。
「完全に囲まれたな」忌々しそうに窓の外を睨みつけるヴィータ。
「このホテルで、細菌テロがおきたことになっている。犯人は我々だそうだ」獣の耳で辺りの話し声を盗聴するザフィーラ。
「本当にばらまかれるかもしれない。彼らならやりかねない。防護結界の準備をしておいた方がいいわ」烏花の進言。
「そうだな」燃え上がる赤、ヴィータの服が紅のパンツァ・クライト(騎士服)に置換される。臨戦態勢で扉を睨みつけ、ソラに答う。
「アハトの奴らとの交渉回線は、まだ繋がらないのか」
「呼びかけてはいるんですが、完全に無視されています。あっちはやる気満々ですよ。局の暗号無線を傍受したら、私たちにアンチマテリアル設定の魔法のゴーサインがでていました。」
「ちくしょう。なあ、これって、はめられたんだよな」
「ええ、完全に犯罪者扱いです。一緒にボニーとクライドでもしますか?」
「いや、遠慮しとくよ。それより、交渉ラインはもう捨てていい。索敵と無線傍受に専念しとけ」
「ヤー(了解)」
ぐるりとヴィータは部屋を見渡し、そしてザフィーラと烏花の方に視線をやる。
「あたしとソラで引っ掻き回す。その間に二人で逃げ延びろ」見た目は最年少、階級は一番上のヴィータ副分隊長の指示。
「大丈夫か。奴らは細菌をつかうのだろう。お前は固い魔法で防げるだろうが、市蔵は大丈夫なのか」心配するザフィーラ。
「あいつの防御魔法は、お前の次に固いよ。なんせ、未知のばい菌がウヨウヨいる外世界を、音速の壁を防御魔法でこじ開けて飛び回るような奴だかんな」
「だが、しかしだな」
「非常階段から四人、エレベータから四人。窓の上にも四人飛行魔法で張り付いています」ザフィーラの言葉を遮るように、ソラが魔導レーダーの探査結果を報告。
「ソラは窓の外に張り付いている四人を、あたしはドアの向こうの八人をやる。ザフィーラは烏花を連れて逃げろ。逃げきったのを確認し次第、あたしたちは撤退する。逃げ延びた後はソラを介した暗号通信でのみ連絡をとり、落ち合う場所を決める。ぜってえに、航空12部隊には帰んなよ。『変身魔法の暗殺者』に先回りされてるかもしんない」
有無を言わさぬ指揮、ヴィータらしい即決と状況判断。しかし、一番の彼女らしさである激情はなりを潜め、あくまで指揮官然と。
ヴィータが動く。無造作に歩き出し、ドアの前に立つ。そして己のデバイス、特大の突貫槌を振り上げ「あぁあぁ!」と獣じみたシャウトでドアをぶち抜く。へしゃげて吹き飛ぶ金属のドア。その向こうでドア破りの破扉槌を構えていたガスマスク二人が、つむじ風みたいに吹き飛んだドアに巻き込まれてノックダウン。トンカチ対決はヴィータの勝利。
「ぶっ飛ばされたいやつから前にでろ!航空12部隊バードランド分隊副長ヴィータ教官様直々に、対ベルカ戦の戦い方を教育してやる」なりを潜めていた激情の大爆発。小さな体躯からは考えられない、拡声器いらずの怒鳴り声。じつは計算された激情、キレたポーズで敵を引きつける計算された自己犠牲。
ヴィータを囲む、六人の黒いガスマスク。返事はなし。反撃もなし。ただ真っ黒なデバイスを構えて取り囲むだけ。白烏花と同じ、歯車と羅針盤が組合わさったような、ねじくれた杖の魔法演算機。恐らくは放熱、エネルギー変換、火焔召還に特化した、超小型の火葬炉。
ただ静観し、突っ立っているだけの『前線部隊』に、計算された激情が冷めていくのを感じる。つまんない奴ら。投げやり気味に呟く言葉。
「仲間がやられたんだ。少しくらい怒れよ」
グラーフアイゼンを片手で、横なぎに払う。壁に衝突、突き刺さる。そのままの状態で命令。「アイゼン、魔力熱変換」
〈ヤー、フランメ・シュラーク〉
ハンマーヘッドが灼熱する。ポンプアクションが火花を散らしながら上下し、擦れあい。チューブマガジンの中のカードリッジが破裂、廃夾、破裂、廃夾。魔力の爆発が、ジークフリートの葬送行進曲のティンパニのように二度、グラーフアイゼンを叩き鳴らす。魔力が満ちる。灼熱する。グラーフアイゼンが突き刺さった壁から火が噴きだし、廊下は火と、煙と、スプリンクラーの雨で滅茶苦茶な視界。
「ラケーテン」命令。
ガシャン。ロケットの出現する金属音で応えるアイゼン。そして点火。いかれたマギ・ジェットエンジン付突貫槌が火を噴き、推進力と、熱と、ヴィータの腕力の連携で廊下の壁や床や天井を爆砕。真っ赤に焼けた瓦礫の塊が、ガスマスクたちを襲う。
慌てて魔力シールドをはるガスマスク。その目の前に赤いスカートを翻し躍り出るヴィータ。炎や、煙や、スプリンクラーや、瓦礫を目隠に、本命の一撃を与えるべく突進。カルメンのステップで一回転、マタドーラだって吹き飛ばせる、雄牛のような突貫槌の衝突。二・三人をアバウトに吹き飛ばし、さらにその巻き添えで数人が吹き飛ぶ。シールドを砕かれ、吹き飛ばされ、たった一撃で八人中五人がノックダウン。すでに二人伸びているので、あと一人。
「来いよ?仲間の仇、とってみろよ」
最後の一人にニヤリと笑いかける。好戦的なポーズ。戦いが嫌いな本当の自分を隠すため。戦うことを願う、プログラミングされたオドを飼い慣らすため。
どこまでも自嘲的で、投げやりな笑みだった。
†
閃光、窓の外で炎が煌めいた。
窓から吹き込み、部屋の中の人間を焼き尽くさんと燃える、くすんだ赤の炎。その目の前で車椅子に座ったソラは炎を抱き込むように腕を広げた。
着ていたシャツがズタズタに破れ、燃え尽き、その下から真っ黒な翼が出現した。両腕が翼になったのだった。全身を青白い反射の黒色で覆うバリアスキン。さながら、翼人のブロンズ像。ゴトリと音を立てて、両足の義足が外れた。そうしてなくなった脚のかわりに、ジーンズをズタズタに切り裂きながら二対の音叉が尾羽のように出現。キシキシキシキシキシッっと震えながら、青い炎の推進力で浮遊、そして飛行。
くすんだ炎を吹き飛ばし、窓ガラスを吹き飛ばし、ついでに飛行魔法で宙に浮かんでいた、カラスみたいなガスマスクたちも吹き飛ばし、灰色の曇り空の下へ躍り出る。
背中で背骨に痛みが走る。ギシリ、ギシリ。イカルス・デバイスの上で、雪を踏むような冷たさ。凍りつく視界、空気が水のように重たくなる。
熱、目の前が真っ赤に染まる。四人のカラスによる、炎の魔法弾。
飛ぶ。真っ赤に染まった視界の中で、炎のほうにむけて真っ直ぐと飛んでいく。"引っ掻き回すこと"。それが彼女の仕事だった。一見無謀な炎への特攻。しかし、音速飛行の空気摩擦熱に比べたら、カラスたちの炎は弱く儚く、容易に突破することができた。
魔力心臓で灯った真っ青な炎が、背骨を伝って脚へと運ばれ、切断面から生えた音叉でキシキシキシキシキシッと音を立てて燃え上がる。推進力。カラスたちの前で見せつけるようにロール、そのまま背面飛行。翼をたたんで急降下。ダイブ、ダイブ、ダイブ。頭から真っ逆様。炎の渦を抜ける。はるか上、カラスが四人飛んでいる。ねじくれたデバイスをソラに向けて、標準をつけている。空気が焦げる。体が焼けるように熱くて、しかし背骨はどこまでも冷たく。冷たくて、冷たくて。高い空、曇り空の向こう側、太陽の熱を求める鳥の心。もしかしてイカルスの魂。
翼を広げた。大きく、大きく、空気を引っ掻き、体を縛る重力の鎖を引きちぎる。体から剥がれた飛行雲や衝撃波や青い炎の燃えかすが、地面、アスファルトを叩く。真っ直ぐ空の方へ頭を向けてクライム、急上昇。跳ね上がる心臓。引っ掻き回せと、ヴィータの声を思い出す。引っ掻き回してやる。見ているだけじゃないんだ。偵察兵のコンプレックス。そして無傷の傷跡。
"軽くあれ"、見捨ててしまえばいいんだ。おまえの体は、戦うようにはできていない。鳥の心が囁いた。
いつも見捨てていた。いつも見殺しにしていた。それが偵察という物だった。酷い物を見て、伝えれば、優秀だと誉められる。酷ければ、酷いほど良い。求められるのは、最高な情報ではなく、最悪な情報だった。
正義を行う大義名分を探すために、偵察に出かけた。そして、誰かが殺されたり痛めつけられている様子を記録して、帰っていく。
救うのはいつも、私以外の誰かだった。私は見て、ほっといて、見殺しにするのが仕事だった。
観測手の傷、偵察兵の宿命、飛ぶことしかできない魔法飛行使、鳥の心が囁く言葉、"軽くあれ"。助けたいと願う、憐憫や同情の気持ちでさえ、重たい万有引力だった。
重たい思考をはるか尾羽のほうに抜き去って、真っ直ぐに飛び上がる。冷たく痛む背骨のイカルス・デバイスを無視して、真っ直ぐに四人のカラスへ突っ込んでいく。巨大な翼を振り回し、ひとりにぶつけた。その瞬間、翼は揚力を失い、体が失速する。攻撃魔法を持たないソラの、唯一の攻撃手段。体当たり。フクロウみたいな強い足と爪が欲しかった。ぶつかる度に、敵と同じだけの痛みを負う。ぶつかる度に、揚力を失い地面に近づく。それでも翼を振り回し、脚から生えた音叉を振り、青い炎を振りまいて、四人のカラスを翻弄する。
顔を翼で打つ。失速してふらりと体が揺らぐ。カラスが数メートル沈み込み、墜落を堪える。残りのカラスがねじくれたデバイスで炎を放つ。翼が焦げる。今までより強い炎、バリアスキンが剥げ落ちて、青い燐のように燃え落ちる。熱に翼をたたみたくなるのをこらえて、揚力を両翼で掴み、青い炎の推進力。執拗なロール・アンド・ターンを繰り返しながら、片翼を失ったジェット機みたいな滅茶苦茶な軌道で、炎を放つカラスの目の前へ。尾羽を降る。音叉がカラスの胸を捉え、青い炎をまとった黒色の金属質な硬さで吹き飛ばす。骨が砕ける感触、以外と肉感があった。もしかしたら女だったのかもしれない。
度重なる格闘で、耐えきれなくなった音叉がとうとう折れる。爆発、石炭みたいに粉々に砕けて、燃え上がる。自由落下、上も下もわからないような回転の中、すぐさま術式を編み、新たな音叉を魔力で生み出す。蘇る推進力。地面に衝突する一瞬前、偶然見えた灰色の空に向けて上昇。翼で風を切り裂き、四人のカラスへ向かっていく。
文字通りの格闘戦。飛び、ぶつかり合い、削りあい、焦がしあい。歪な飛行を繰り返し、どっちが勝っていて、どっちが負けているのかもわからないような混乱の中、四対一という圧倒的不利を覆すべく、軋む翼で飛んでいったその時。
〈ザフィーラだ。烏花と共に脱出を完遂。ヴィータも市蔵も、囮役ご苦労だった〉福音。
〈ヴィータより、全体へ。あたしも一段落したら逃げる。お前らは先に先に撤退してろ〉ヴィータからの念話。若干苦しそうな声色。
〈苦戦しているんですか?〉
〈なに。すぐにぶっ飛ばして追いついてやんよ。それより、お前もさっさと逃げろ。んでもって空の上からあたしの逃走経路を考えといてくれ〉
〈ヤー(了解)。待ってます〉
〈あいよ〉
途切れる念話。撤退の命令。それに従うべく、灰色の空にむかって大きく羽ばたく。
シンプルに、真っ直ぐ。なにも恐れることなく、高い、高い、空へ。
カラスたちが炎を放った。加速、翼を守る魔力々場を強く敷き、体を守るバリアスキンを黒く強く保つ。そして加速と上昇の後、炎の中に飛び込んだ。わずか一瞬の出来事。炎が力場とバリアスキンと冷却術式を焼き尽くす刹那、それよりも早く炎を突っ切って、安全圏へと煙を噴きながら脱出した。
冷却術式が背骨を走る。冷たい、冷たい、氷の舌が全身を舐めるよう。背骨が痛む。イカルス・デバイスが寒い寒いと駄々をこねる。太陽が恋しい。
加速、上昇。カラス達がたどり着けない、私だけの"限界高度"へと、真っ直ぐに突っ込んでいく。
雲に突入、厚い雲、体を湿気が舐めまわす。灼熱していたバリアスキンの表面で、雨粒の赤ちゃんが音をたてて蒸発する。体は依然として冷たいまま。
雲を抜ける。青い空、灰色の雲海、カラスたちは追ってこない。
〈ヨダカより、全体へ。撤退完了。今は雲の上です。これから退路を指示します。今の位置を教えてください〉甘くひび割れた暗号念話で、地上に向かって呼びかける。
応答〈ザフィーラだ。今、ホテルの南側で人混みに紛れて、自前のセーフハウスに向かっている。現在の座標とセーフハウスの座標は、〉
〈見つけました。そのまま直進してください。わき道には武装隊の陸師が待ち伏せています〉速やかな発見、そして指示。千里眼の瞳が、はるか7000メートル下のザフィーラと烏花を捕らえていた。
追連絡。
〈ヴィータ先輩、聞こえますか?現在位置を教えて下さい〉
応答なし。
〈ヴィータ先輩?〉
応答なし。
不安、おそらくは、まだ戦闘中。そう思って地上を見下ろしていると、ふいに爆発。ホテルの中腹が派手に吹き飛び消えた。
ソラたちが今までいた、ヴィータがいた階だった。
†
グラーフアイゼンのヘッドが宙をなぐ。それを固い爪がいなした。火花が散る。ひるがえる赤いスカートに、黒いガスマスクが迫る。長くのびた爪が喉元を狙う。重たい重たいグラーフアイゼン、防ぐのが間に合わない。体を引っ張るグラーフアイゼンの遠心力に身をゆだねて、強引な回避。頬を抉る爪。血が流れる。痛みも、傷も、重たいグラーフアイゼンもそのままに、頭突き。ガスマスクのガラスレンズを叩き割る。ガラスが飛び散る。スモーク加工のガラスレンズの向こうに、なにやらにやついた笑いの瞳が見えた。
ヴィータと『前線部隊』の最後の一人との戦い。1対1の、ほとんど決闘みたいな戦い。
ヴィータは頬から流れる血を拭い、重たいグラーフアイゼンを肩に担ぐ。そして目の前の敵を睨みつける。
黒色のブカブカとした防護服。片目の割れたカラスみたいなガスマスク。ねじくれた08防疫部隊のデバイスは持っていない。かわりに、指から手袋を突き破り、巨大な爪が生えている。胸元にワッペンに"隊長副官"のマーク。
「なかなか、やるな。名前は?」
「"副官"、それ以外は機密内容です。知ってるでしょう、08部隊の性格」
「『前線部隊』の個人情報は全部秘密。なんだ、つまんない奴だな」
「つまんないですか」
「つまんない奴だよ。性格も、戦いかたも」
「そう睨まないでください。あなたが大雑把すぎるんですよ」
「にらんでねえです」
"副官"は肩をインテリっぽい仕草で竦めて爪をぎらつかせると、猫みたいに飛び上がる。一瞬でヴィータの死角に滑り込む。経験則の、シックスセンスの瞳で自らの死角に向かって突貫槌を振るう。金属質な音で、突貫追と刃の爪が火花を散らし衝突する。次の瞬間にはヴィータのリーチの外へと地面を蹴って着地する。ヒット・アンド・ウェイ。まるで獲物を弄ぶ猫のように、軽い調子でにやついている。
「ああ、ちくしょう。すばしっこい奴め」
脱出の算段をするヴィータ。窓は駄目。ソラと空飛ぶガスマスクの戦闘で潰されている。グラーフアイゼンで瓦礫を吹き飛ばすにしても、そんなことをしているうちに"副官"に背中をとられる。
エレーベータも非常階段も駄目。下で待ちかまえる数十人の武装隊たち。部隊名を見ると、教官でもあるヴィータの、かつての教え子たち。ぶん殴って逃げ出して、任務失敗の汚名をかぶせるわけにもいかず。ぶん殴られて捕まって、無実の罪で情けなく拘置所に入るわけにもいかず。
逃げ場はなし。目の前の"副官"もなかなか強く、倒すとすれば傷を覚悟で倒さなければいけない。倒したあと、傷を負ったまま逃げきるのは難しい。これも駄目。
仕方がないので、ヴィータはカードリッジをリロード、濃密な魔力をまとい、新たな選択肢を作り出すことにする。
振り上げられる、突貫槌。マギ・ジェット・エンジンが盛大に火を噴き、燃え上がる推進力。
「ぶち抜け、アイゼン!」
狙うは壁、戦闘の熱や衝撃で脆くなった、ひびだらけの一角。そこにグラーフアイゼンのヘッドが突き刺さり、爆砕。壁に大穴が開き、そこから灰色の空が見えた。作り出した、最短距離の逃走経路。
飛行魔法を起動。不可視の翼の推進力で、飛翔するヴィータ。空に向かう穴に一直線、一秒もしないうちに到着。空の穴をくぐろうとしたその時。
「だから無謀だっていうんです」
"副官"の声。背中に寒気。そして逆風。背中の方を振り返り、ヴィータは目撃する。
ただ立ち、にやついた目でヴィータを見ている"副官"。そしてねじくれたデバイスを掲げる、七本の腕。まるで操り人形みたいな、不気味な腕。"うそだろ?一週間は寝込む一撃をお見舞いしてやったのに"。寝転がったまま、右腕だけでデバイスを掲げている七人のガスマスク。デバイスに積んだ羅針盤や歯車が、ガチガチと音を立てて術式を編む。寒気の正体、熱放出魔法の直前の、一時的な冷却作用。逆風の正体、空気の冷却圧縮。ヴィータの後ろで、ガチリをトリガを引くような音。そして滅びの声。
「君は知りすぎました。サヨナラです」
灼熱が、全てを飲み込みこんでいく。
一番最初に焼けたのは、発光したデバイスを握った、七本の手だった。その次に黒い防護服の体、ホテルの壁と床と天井、そして空気を全て焼き尽くし、それでも溢れかえった炎がヴィータに迫った。"副官"だけは、見たこともない幾何学模様で炎を受け止め、無事だった。
炎が迫る。脚を焼いた。体を焼いた。最後に顔を焼き、目の前が真っ赤になった。どうにか致命的な火傷だけは魔力シールドで防いで、そのせいで全ての魔力を失った。炎の中で、灰色の雲の切れ目から青い空と黒い十字架のようなシルエットが見えた。
あそこにいかなきゃ。そらにあがらなきゃ。
猛烈な熱の中、薄れていく意識の中で、手からこぼれ落ちるグラーフアイゼン。手から、灼熱する心や世界から今まで自分を冷たく諌めてくれていた、冷たいアイゼン(鉄)の感触が無くなるのを感じた。
落下していく。私も、アイゼンも、バラバラに。
すべてが遠くなったころ。まるで他人ごとみたいな遥か遠くで、自らの体が地面に叩きつけられる音をヴィータは聞いた。遠くの方で、グラーフアイゼンが地面に刺さって銀色の光を反射していた。
やがて、黒いガスマスクが迎えに来た。雲の切れ間の黒い十字架は依然として、悲しいくらいに遠いままだった。
最後にそらに向かって呼びかける。
〈ごめんな。せおわせちまう〉
それだけ言うと、空の十字架を目に焼きつけて、まぶたを閉じた。
†
ごめんな。背負わせてしまう。
そう言った地上0メートルのヴィータは気を失い、カラスたちに運ばれていった。転送魔法と隠蔽魔法を重ねがけられ、カラスと一緒にどこかへと消えていった。
その様子を上空7000メートルから見ていたソラ。助けに行きたかったのに、7000メートルの壁が彼女を阻んだ。5000落下したところでヴィータはカラスに囲まれ、あと3000メートルの所で魔法陣の幾何学模様で消え失せて見失った。
地上に降り立つと、銀色の光。待機状態の、ペンダントの形をしたグラーフアイゼンだった。片羽だけを人間の手を戻し、銀色のそれを手に取る。そして自分の首にかけた。
ソラは上昇を開始する。灰色の空へ。決意だとか、義務感だとか、なにより親愛に満ちた重たい表情で上昇する。
「背負ってあげます」
"軽くあれ"。イカルス・デバイスが叫びをあげて、背骨や頭蓋骨の裏側が冷たく痛んだ。まるで、かつて足を腐らせ食い潰した、凍傷みたいな痛みだった。
〈ヨダカより、バードランド及びH・Q・ビレッジバンガードへ。ヴィータ副隊長が08防疫部隊に拉致されました。これよりヨダカは08防疫部隊とヴィータ副隊長の捜索に入ります〉
灰色の雲に突っ込み、その上の青空へ。大きく翼を広げて、下界を見下ろす。透視の魔眼と千里眼の瞳で見渡す世界。その隅々までをも、調べ上げ、探し出し、偵察兵の魂で観測する。
視界の端に、胸元で銀色に光るアイゼンが見えた。
「絶対に、探し出しますから」
ハートに青い火が灯る。その熱でさえ溶かしきれない、凍てついた背骨。心の重みで、氷の背骨がギシリときしんだ。
鳥の心が"軽くあれ"と囁いた。