八神はやては、真っ黒な廊下にいた。08防疫部隊が焼き払った、ホテルの廊下だった。
廊下には七つの遺体があった。08防疫部隊の、熱放出魔法で自爆をした隊員たちだった。どれもがねじくれたデバイスを天井に掲げて、そのままの状態で炭化していた。身元は分からなかったが、骨格からして成人の女だろうと鑑識は言った。もう事件から二日の時がたつというのに、保護魔法をかけられた遺体は、静かに黒く、デバイスを掲げ続けていた。
七本の腕を崩さないように気をつけながら、窓に近寄る。青い空、そこから甘くひび割れた暗号念話が落ちてきた。
<ヨダカより、H・Qビレッジ・バンガードへ。アハトを発見。人数からして、陽動だと思われます。位置座標と映像を送ります>
魔導ホログラムが宙に浮かび、そこに黒いガスマスクの集団が映し出される。
「部隊長より、ヨダカへ。今確認した。ブルーノート分隊の一班にあたらせる。ヨダカは帰投し、休め」
<まだ、飛べます>
「ヴィータをさらわれた悔しさで言っとんやったら却下やで」
<実験小隊での訓練成果で言っています>
ため息。どうして私のまわりはこうも頑張りやさんばかりなのだろうと。
「わかった。宜しく頼む」
そのままビレッジ・バンガード司令部とブルーノート分隊に指示を出し、魔導ホログラムを閉じる。そして、窓から地面を見下ろした。
ここからヴィータは墜落した。生身ならば確実に絶命しうる地上十七階。騎士服にかけられた魔法の守護があったにしても、怪我は免れないであろう高さ。そんな状態で敵に捕まり、未だに行方不明。
それでも、はやては確信していた。ヴィータは必ず生きている。
夜天の主とヴォルケンリッターを繋ぐ細く強い繋がりから、はやてはヴィータの鼓動を感じていた。それが守護騎士プログラムからくるシステマチックな繋がりなのか、家族同士の温かな第六感的な繋がりなのか、彼女には判断しかねてはいたが、それでもヴィータの命を感じれていた。
「まるでお母さんみたいな顔してる」
背後から声。振り返れば高町なのはが立っていた。きちゃったと、悪戯っぽく舌を出して笑った。
「何があったんか、知っとん?」
「うん。全部、シグナムから聞いた。はやてが08防疫部隊と戦っていたこと。証人を手に入れたこと。ヴィータやザフィーラや市蔵さんが捜査に出ていたこと。ここで戦いがあったこと。ヴィータが連れ去られたこと。08防疫部隊が時空管理局から離反したこと。はやての航空12部隊が、その追撃任務を任されたこと」
「機密漏洩。シグナムには、あとで折檻しとかんといかんな」
わきわきと、指をピアニストみたいに動かすはやて。少し卑猥な動かしかた。折檻というよりは愛撫。
「許してあげなよ。この事件、私も手を貸すから」
「手を貸すって、教導はほっといてええんか?」
「実地訓練、その監督」
「ああなるほど」
なのはは、はやての方に歩み寄る。青い空、灰色のクラナガン。そのどこかに潜んでいるであろう、ヴィータをさらった08防疫部隊を幻視して、睨みつける。そして、何かを決意したみたいに頷くと、はやての耳元でそっと囁く。
「カルロス・サルツェド、彼が全てを知っているかもしれない」
「誰やそれ」新たな登場人物の出現に、困惑するはやて。
「08防疫部隊の発端人、ゲオルグ・テレマン提督の下で働いていた男。そして、そのゲオルグ・テレマンを人質にとって籠城事件をおこして逮捕されてる」
籠城事件。かつての高町なのはと白睡魚が受け持った、狙撃任務の事件。
「悪魔が産まれる。ガイノイドがよみがえる。そう、彼は言ってたの」
悪魔とガイノイド。どちらも、白烏花が持ち込んだ手帳に頻繁に現れる単語。繋がる過去と今。
「私とシグナムで、訪ねにいこか」
「それと」
「それと?」
「市蔵さんはどうしているのかな?」
高町なのはの、教導官としての義務感。もしも08防疫部隊の事件が無ければ、教えていただろう魔法飛行使。誰より速く、そして高く。しかし辛そうに飛ぶソラ。その苦悩をたった一回の模擬戦闘で、見抜いていた。ようするに、心配だったのだ。
はやてはクラナガンの街並みの上に広がる空を指差す。
「アハトとヴィータを、空の上から捜しとる。観測任務、かれこれ48時間飛び続けとる」
†
広い空。雲一つなく、どこまでも広がって行く青い世界。その中でただ一人、ソラは飛行を続けていた。そして地上を観測兵の魔眼で睨みつけ、08防疫部隊とヴィータの姿を探していた。
真っ黒な翼でもって、風をきる。高く、もっと高く。広い世界の半分を視界の中に納めるべく、青い空の“限界高度”へと上がっていく。羽ばたき、その回数だけ背骨が軋んだ。からだを支える背骨。飛行を管制するイカルス・デバイス。その両方がギシギシと氷のような悲鳴をあげる。バラバラに張り裂けそうな体と心を、魔導師のマルチタスクでどうにかつなぎ止める。
引き裂くのはなに?空、消えてしまったヴィータ。広い、広い、世界。これじゃ見つけられない。
地球は青かった。世界も青い。青色は憂鬱な色。メランコリックがソラの心を押しつぶす。重たい、重たい、不安。“軽くあれ”、芸術家気質の右脳が眠りに落ちるのを感じた。代わりにシステマチックの左脳が目覚める。そうやって、泳ぎ続ける鯨みたいな半覚醒で、夢見心地に飛んでいた。思考はすでに、ソラの意思を離れ、フラクタル模様のオプアートな理論でオートマチックに進んでいた。二重三重の思考と視界にノイズが混じり、幻想を幻視する。
白いタカ。かつて自分に飛び方を教えてくれた先生。テレーゼが白い翼で目の前を飛んでいた。
<なにを苦しんでいるの>
<飛び方を忘れてしまったんです>
<なんで?>
<わかりません>
幻想が、目の前のタカが大きく羽ばたいた。そして、少しだけ高度をあげた。ソラはその後ろについていく。
<優しい、優しい、ヨダカさん。あなたはなにをしたい?>
<わかりません>
<それが理由よ>
<“それ”とはなんですか?>
<わからないなら連れていってあげる。ついてきて>
二人で高い空へとのぼっていく。背骨が軋んだ。白い翼だけを追っていった。雲一つない宇宙硝子の透明度の空が、青く深く二人をつつんだ。青すぎて、墜ちているのか昇っているのかもわからなかった。ただ、軽い風を切り、冷たい空気で肌を凍らせ、黒い翼で白い翼を追っていた。
どの程度の高さを飛んでいるだとか、どんな羽の動かし方で飛んでいるのかだとか、背骨で凍りつく氷の痛みだとか、すべては忘却の彼方だった。
重要なのは、あの白い翼を追っていくこと。それだけだった。
<それが答えよ>
青い空、地平の向こう、夜が見えた。地平が緩やかな弧を描く、成層圏。“限界高度”の到来だった。
タカが微笑む。<ほら、飛べたじゃない>
あまりに軽く薄い空気。皮膚が凍り付く感覚がソーダ水のように肌を食む。酒を飲んだように体が熱を持ち、全ての事象が飛ぶためのみに向けられていくのを感じる。
嗚呼、フロイデ。歓喜の大空。私は帰って来た。
<大切なのは、どうやって飛ぶかじゃない。大切なのは、何のために飛ぶかよ。今、あなたは何のために飛んだ?>
<あなたと同じ空をとぶために>
<わたしはあなたを導くために飛んだ。目的は人を真っ直ぐにシンプルにしてくれる。方法論は重たく体を縛っていく。願いは力よ。私は仲間を守りたかった。それ以外を捨てたから、あなたは実験小隊でただ一人生き残ることができた。懐かしい金色の渡り鳥さんは強く飛ぶことをえらんだ。だからたくさんの人を助ける飛行を覚えることが出来た。優しい、優しいヨダカさん。あなたは何を望むの?>
ソラは空を見上げる。頭上に広がる、果てしなく黒く澄んだ成層圏。青く輝く水の惑星。連想するもの。ヴィータの青い瞳。守りたいもの、私のために泣いてくれた、奇麗な青い瞳。
<私は、飛ぶことで救いたい。見ることで救いたい。誰よりも早く探し出して、誰よりも広い視野を手に入れるために高く飛んで、空の上から皆を見守りたい。見殺しになんてしたくない>
白い翼が嬉しそうに微笑んだ。まるで天使。
<ここは高い。世界の半分くらいなら見渡せることができるくらいに。ここならきっと見つかるわ。がんばってね。ヨダカさん>
<感謝します。タカさん>
二人はTACネーム、鳥の名で呼び合い、そして別れた。ソラは成層圏の空に残った。テレーゼは羽をたたんで、地上へと飛んでいった。最後は幻らしく、消えてなくなった。
成層圏の冷たい空気をめいいっぱい吸い込んだ。オゾンの生臭い血のような匂いが、鼻に沁みた。インターナショナル・クライン・ブルーの、青空の血液。その痛みで、左右両脳ともが目覚めていくのがわかった。幻影は消えた。背骨の痛みは消えていなかったが、それ以外はすべて良好だった。魔導師のマルチタスク(多重思考)を捨てて、イマジン、たった一つの願いで飛行し、地上を見渡す。
バードランドの守護天使になるんだ。
翼に血が通う、まるで蛹から孵った蝶がしわくちゃの羽を体液で伸ばしていくよう。音叉で青い火が燃える、フェニックスは炎から産まれるらしい。瞳が世界を写す、あまねく世界の一人一人だって見分けられる。
翼を持ち、空から世界の半分を見守る。まるで守護天使。人を愛したが故に堕ち、それでも空を目指す黒い翼の守護天使。
歓喜。ハートに青い炎が灯り、歌が溢れ出す。Dulcissime. いとしい人を、あの赤い小さな騎士を探すため。人生と名づけられた青い瞳の目の前に。totam tibi subdo me.あなたの前に、この身の全てを投げ出すために。
ソラは歌い、飛び、神様の片目と同じ場所から世界を見たのだった。
†
Dulcissime, totam tibi subdo me.
暗号念話で甘くひび割れた、その美しいラテン語の歌を聴いた八神はやては、ほんの少しだけ微笑んだ。
「市蔵は私たちが思っている以上に強い。ヴィータが地上にいる限りは、地上に必ず帰ってくる。心配あらへんよ」
高町なのはは「そうね」と小さく頷いた。
「私たちもがんばろう。ヴィータちゃんを助け出すために」
「せやな」
はやては空から背を向けると、部屋の中を見渡した。部屋の中には七つの亡骸。男か女かさえわからないくらいに焼き尽くされた、真っ黒な死体。それにまっすぐ対面した。
「夜天の書、蒐集開始」
はやての肩甲骨から真っ黒な翼が生える。祈祷書方デバイス、夜天の書が出現。頁がめくり上がり、魔導師の魂たるリンカーコアの蒐集準備と、ネクロマンシー(降霊術)を基本としたリンカーコアの逆算術式が始まる。
七つの遺体から、青と赤のベクトルの狭間をゆらゆらと揺れる光が出現。亡骸たちのリンカーコア。それが夜天の書に吸い込まれ、光のインクとなって新たな文字を刻んだ。
八神はやての希少技能、リンカーコアの“蒐集”。それによりリンカーコアの個性を体系化、言語化し、この身元不明死体の正体を捜す手がかりとしようとしているのだった。
七つの魂が、ブラックボックスのように読み取られていく。そして愕然とする。
「このこら。みんな一緒や」
「それは、どういう意味?」
「リンカーコアの記憶が“一緒”なんや。双子だってこんなに似いひん。まるでクローンや」
おそらくは、人造人間の部隊。それをラジコンのようにリモート操作した、いかれた部隊。08防疫部隊の『前線部隊』が正体不明な理由。おそらくは、そのメンバーの殆どが“いるはずのない人間”だったから。
「まるでジェイル・スカリエッティだね」
「奴のほうが幾分まし。このこらは最初から“意思”を食い潰された状態でチューニングされとる。リンカーコアに寄生した、スティモシーバー(生体ラジコン)術式をみつけた。まさに魔術師の肉で作った、ロボット(奴隷)や。戦闘機人みたいに高尚なガイノイド(理想人間)とはぜんぜん違う、完璧な奴隷や」
ひどい話。なのはが小さく呟いた。
はやてとなのはの二人は七つの亡骸を丁寧に葬るよう、現場指揮の陸士に言った。そしてその場を後にした。