とある牢屋でのこと。
パイプ・ベッドに座り、カルロス・サルツェドはため息をついた。彼の手には、一通の封筒。
「書けたか?」
いつの間にか現れていた、看守の声だった。
「書けたよ」
そう言ってサルツェドは、封筒を看守に渡した。
「必ず届ける。真実を世界に伝えよう」
「ああ、伝えよう。ゲオルグ・テレマンはもう居ない。邪魔をする奴は、もう居ないんだ」
封筒を懐へと収めた看守は、牢屋の前から立ち去る。それを見送りながら、サルツェドは思う。
――ゲオルグ・テレマンはもう居ない。真実を握りつぶす者は、どこにも居ない。真実を書き綴ったあの封筒は届き、全ては解決するだろう。
薬品焼けした手を、握りしめた。汚い、変色した手だったが、サルツェドにとっては自慢の手だった。薬品で手がボロボロになるまで研究に明け暮れた。クローン技術を応用した人工臓器を作り上げ、沢山の命をすくい上げた。
しかし、とも思う。
この手は沢山の命も救ったが、とんでもない“悪魔”も蘇らしてしまった。
「贖罪なんだ」
祈るように、両の手を握りしめる。届きますように。真実が伝わりますようにと、祈り続ける。
やがて時間がやって来る。
「久しぶりね。サルツェド」
真っ黒なガスマスクと防護服たちが、サルツェドの牢の前に立っていた。腕にはアハトの八の字が描かれた腕章、防疫08部隊だった。
「来ると思っていたよ。私を殺すのかい」と、サルツェドが言った。
「殺すんじゃない。サルツェドがかってに死ぬんだよ。病死だ」と、防疫部隊の一人が言った。
牢の鍵が開かれ、扉が開け放たれた。防疫08部隊のガスマスクたちが、引きずっていた“それ”を放り投げてきた。
“それ”は、防護服を着ていた。力なく床に倒れ込み、そして血をまき散らした。酷く臭い、青い血だ。床に倒れた拍子に、頭巾が脱げた。頭巾から長い黒髪が流れた。月のように白い顔の女だった。青空に浮かぶ残月のように、弱りきり、青い血をはき続ける、四つん這いの女だった。口から覗く犬歯は、金星のように鋭い。
「嗚呼、君がティンダロスの猟犬か」
残月の青い女が、四つん這いのままサルツェドに襲いかかった。犬のように、獣のように、乱暴に襲いかかった。しかし、その腕力は弱々しい女の見た目通り。だというのに、サルツェドはされるがままに身を任せた。女に身を投げ出し、全てを与えた。鋭い金星の犬歯が、彼の喉を喰い破った。
「贖罪なんだ」
血の泡を吐きながら、そう言った。
†
高町なのはが牢屋の前にたどり着いたとき、全ては終わっていた。
サルツェドが青い血を吐いて、倒れていた。ティンダロスの猟犬に襲われた後だった。
「終わらせてくれ」と、青い血を吐きながらサルツェドは言う。
「悲しみを終わらせてくれ。全てを吹き飛ばしてくれ」
そう言ってから、動かなくなった。それがカルロス・サルツェドの最後だった。堅く握られた両の手は、祈るようなそれのままだった。
なのははきびすを返し、牢屋の前から去る。フィールドを張り、ウィルス汚染から主を守っていた、ペンダント姿のレイジングハートに囁く。
「悲しみを吹き飛ばそう」
オーライと、レイジングハートは答えた。
†
寒空の下。
矢神はやては、高町なのはからの連絡を待っていた。不意に、念話が届く。なのはからの連絡だった。
隣に控えるシグナムに言う。
「サルツェド、は死んでしまった」
「そうですか」
「敵討ち、したらんとな」
「はい」
そして、空を見上げる。灰色の空、その上で偵察飛行を続ける部下に、はやては念話を飛ばす。
〈サルツェドがティンダロスの猟犬で消された。犯人はアハトの連中や。まだ現場の近くにいるはずや〉
〈ヨダカより、隊長へ。すでにアハトらしき一団を補足しています。追跡を続けます〉
〈流石、仕事が早いな。そのまま追い続けろ。きっと奴らの行き着いた先に、ヴィータも居る筈や〉
〈ヤー。必ず、奴らの住処を暴いてやります〉
切れる念話。暗号フィルターでひび割れた声には、決意が漲っていた。胸の中のエンジンに火が点った声だ。
はやては思う。全てはきっと上手くいく。全てを取り戻してやる。ヴィータを攫ったアハトの連中をやっつけて、すべてを取り戻すんだ。正義でもなく、管理局の法でもなく、ただ幸せのために、全てを取り戻すんだと。
「帰ろか、シグナム。もうここにはなにもない」
「はい。我が主」
戦いが始まる。
†
フェイトとティアナは、とある刑務所の墓場に立っていた。刑期を終えることなく死んでしまった囚人たちが眠る、罪人の墓場だ。塀のなかの墓場で刑が終わるのを待ち、そして刑の終わるいつの日か、善良なる市民の墓園に移されることを待つ死者たちの家だ。
その一画、Ⅱ(ドゥーエ)と刻まれた墓標の前に、スコップを持って立っていた。
ドゥーエ。スカリエッティの造ったナンバーズの、唯一の死者の名前だった。
「本当に掘り返すんですか」とティアナが問う。
「大丈夫。ちゃんと許可はとっているから」とフェイトが答える。
「そういう意味でなくて。ほら、さすがに墓を暴くのは、なんていうか、その」
「この下で眠っているドゥーエや、彼女を造ったスカリエッティを気にしているのかな」
「はい。いくら犯罪者相手だからといっても、墓を暴くはやりすぎです」
「スカリエッティが言ったんだよ」
えっ、冗談でしょ。そんな素っ頓狂な声を上げるティアナ。フェイトは墓の前の土に、スコップを突き立てた。
「死んでしまったドゥーエの墓を掘り返してみてくれ。それで全部、解決するから」
再生機みたいに、フェイトが囁いた。
「まさか、墓泥棒の真似事をすることになるとは思いませんでした」
「犯罪者の心理を知ることも、執務官には必要な経験だよ」
「そんなの、教本の中でだけ知ればいいんです。実地研修で学ぶなんて、洒落になりませんから」
「インディージョーンズだって、墓泥棒で大学教授だよ」
「だれですか、それ」
やがて、曇り空から雨が降ってきた。土は泥へと代わり、墓掘りはピラミッドの発掘みたいに重労働だった。ティアナには、それが今は亡きドゥーエの呪いの涙に思えた。
「私たち、きっとドゥーエに祟られますね」
「いいや。それは、きっとない」
そう言ってから、フェイトはシャベルを泥に突き立てる。カチンと、固い感触。棺に届いた音だった。
執務服や雨合羽が汚れることもいとわずに、泥を払っていく。泥まみれの、墓から這い出たゾンビみたいに二人がなったころ、ようやく棺の蓋が姿を表した。
質素な金属の蓋だった。物質固定化の術式が刻まれただけで、あとはただ平たいだけの蓋だった。
二人は何も言わずに、その蓋を開いた。
棺の中をのぞき込んだティアナは「それは、きっとない」の意味をようやく知った。
棺の中は、空っぽだった。
†
「防疫08部隊、管理局を裏切ったのね」と、元防疫08部隊の白烏花は言った。
「嗚呼、そうだな」とザフィーラが言った。
「というと、もう私が証言する必要もなく、08は悪者なのね」
「そうだ」
「私は証人ではなくなったの?」
「どうだろうな」
「どちらにしたって、私が居なくても彼らは悪者なのよね」
「そうだ」
淡々とした会話だった。
防疫08部隊から逃げ延びた烏花とザフィーラは、クラナガンの端にあるモーテルに泊まっていた。そこでの会話である。
「もし、私が証人でなくなったら。それでもあなたは、私を守ってくれる?」
淡々としたなかに、少しだけ感情を込めて言った。
「私の仕事は盾だ。盾は主を選べない」
その回答に、烏花は「つまらない人」と呟いた。
「私は行くわ」そう言ってから、烏花は立ち上がった。立ち上がり、最小限の荷物を纏めると、自らのデバイスを掴んだ。
「どこに行く気だ」
「戦場へ。08の連中をぶん殴ってやるのよ」
「本気か」
「本気よ。兄さんだって、生きていたらそうしているはずだもの」
「それがお前が言っていた“正義”か」
「もしかしたら、単純に腹がたっているだけかも」
ザフィーラは大きなため息をついた。そして
「私は盾だ。盾は主を選べない」
「そうね。だから、あなたと私は今日でお別れ」
「そう言う意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味?」
ザフィーラは変身した。白い魔術光の幾何学模様でもって、真っ青な狼にへと。その狼の姿こそ、彼の本来の姿だった。
鋭い牙は星のように三日月のように固く、何だって切り裂けそう。青い毛並みは逆立ち、いつだって戦えると主張していた。瞳だけは、かつての優しそうな面影だった。
ザフィーラは吼える。
「私は盾だ。盾は主人を選ばない。だから、私を手に取れ」
つまらない人。お前を守るって、ストレートに言ってくれれば嬉しいのに。
そう言えばと、烏花は思い出す。かつてザフィーラが言ったこと。“人間の姿はオフィシャル”、“狼の姿はプライベート”。
「変な人。いや、狼か」
思わず笑ってしまった。