ヴィータは目を覚ました。そして、辺りを見渡した。
白い部屋だった。パッキングされたみたいに清潔な実験室の中で縛られていていることに気づいた。錯乱した病人を縛り付けるための、頑丈で柔らかな拘束着でだ。芋虫みたいに床を転がっている。
「うう」
喋ろうとして、しかしそれも無理だった。口の中には、これまた専用の拘束具が嵌められている。魔法をつかって拘束を破ろうとしたが、しかしそれも駄目だった。夜天の書の魔道で出来たヴィータの体、それを食むようなアンチ・マギ・リンク・フィールドが白い部屋に満ちていた。皮膚がピリピリと痛む。
ただ、空腹は不思議と無かった。首を動かし縛られた腕を見ると、小さな絆創膏。栄養注射の跡だった。
「うう」と、間抜けな声でため息をつくヴィータ。こんな状況だというのに、最初に考えたのは「はやてに見られるのはいやだな」だった。八神はやてにこんな姿を見られるのは嫌だった。もしかしたら泣かれるかもしれない。怒られるかもしれない。まず無いとは思うが、写真に撮られて笑われるかもしれない。そのどれもが情けなくて嫌だった。そのどれをもしてしまうかもしれない、それが八神はやてという人間だ。
不意に白い扉が開く。
現れたのは、数人のガスマスク集団だった。黒ずくめの、カラスみたいな防疫08部隊だ。
「ご機嫌いかがかな。小さな鉄騎士君」
酷く甘ったるい声、隊長の腕章をつけた男の声だった。
喋れないので、睨みつける。
「そうだ、喋れないんだったな」と隊長は言い、隣に控えていた副官に指示を出す。副官がヴィータの口枷を外した。妙に女性的な雰囲気のする、奇妙な手つきでゾッとする。
「隊長のご好意に感謝するのです」
これまた女性的なイントネーションで、しかし男の声だった。
やっと開いた口で、副官の靴に唾を吐いた。罵声の代わりだ。
「寝起き一番の、歯磨きだってして無いギトギトの唾だ。喰らいやがれ、このアンポンチン」
「下品ですね。闇の書の品格を疑います」
副官の言葉に驚愕するヴィータ。
「おい、なんで闇の書のことを知ってんだ? あれは機密事項だぞ」
「簡単なことだよ。鉄騎士君」と隊長が言う。ガスマスク越しに、笑っているのが分かった。そして「私たちは、君たちのことをよく知っている」
その言葉を合図に、防疫08部隊の隊員たちがガスマスクを脱ぎ始めた。隊長も、副官もガスマスクを外す。こんなのいらないといった具合に、床にほうり捨てる。隊員たちの素顔がさらされた。恐ろしい顔だった。
「うそだろ。こんなの酷すぎる」
ヴィータが言えたのは、それだけだった。顔を真っ白にして、そう言った。防疫08部隊の素顔から、目を離せれなかった。そのどれもが、よく知った顔だった。
「酷すぎるよ。これじゃ、はやてや、なのはが報われない。スバルやティアナや、フェイトやちびっ子どもはもっと報われない。ナンバーズの奴らや変態博士だって。あたしたちはずっと騙されてたんだ」
「そうだ、だまされていたのだよ。管理局に正義はない。こんな私が、一部隊を率いていたのだからな」
「悪魔め」
「悪魔でいいよ。私は悪魔だ。よみがえり、神々に決戦を挑む、終末の悪魔だ」
よほど愉快だったのか、隊長は笑い出した。耳を塞ぎたくなるような、騒がしい笑いだ。嘲りにも聞こえる。昔を思い出す、嫌な声だ。副官もつられて笑い出す。他の隊員は笑わなかった、揃って魂の抜けた顔で、直立不動を通している。もしかしたら、本当に魂が抜けているのかもしれない。その証拠に、彼らの顔は、揃ってみんな同じ、クローンみたいな――。
「さて、顔色の優れない鉄騎士君。きみは何故生かされているのか、分かるかい」
「わかんねーです。バカヤロウ」精一杯の強がりで睨みつける。
「やはり闇の書には対人コミュニケーションのプログラムはインストールされていなかったようだ」隊長なりの冗談。
「かんたんだよ。君を生かした理由。それは君にメッセンジャーになってもらうためだ」
そして、隊長は語りだす。
今までの全てを。
そして、これからの未来を。
それは全部、こんなはずじゃなかった世界のお話だった。
†
〈ヨダカより、H・Q・ビレッジバンガードへ。08の居所が割れました。位置座標を送ります〉
高い高度七千メートルで、市蔵ソラは暗号念話を地上に飛ばした。
〈了解。そのままの位置から観測任務を続けてください〉
司令室の指示に従い〈ヤー(了解)〉と返答。そのまま飛行を続けた。
高い空だ。黒い翼が凍えてしまいそうになる、冷たい空だ。雲は無い。鳥の姿で、鳥のように夜空を飛ぶ。そして、ヴィータがいるであろう、地上を見る。
冷たい観測兵の瞳で見たのは、廃棄された街並みだった。再開発が決まり、数年後にはなくなってしまうであろう、ゴーストタウン。JS事件でも戦場となった、まさに戦争にはうってつけの街並みだ。いつかの、ゲヘナの街を思い出す。
灰色の街の、ビルの隙間を蠢くも物がある。黒い防護服の、カラスみたいな防疫08部隊だ。闇夜に隠れて、戦争の準備を進めている。隠れているつもりだろうが、それでもソラの瞳からは逃れられない。今だったら、何だってさがしてみせる。そんな高揚感が胸の中で燃えていた。
同時にソラのなかの酷く冷静な冷たい部分が伝えてくる。
――彼らは負けるつもりだ。
防疫08部隊の動きは、酷く歪だった。
たった五十人にも満たない小隊規模で、管理局と真っ向から戦争をする準備を進めているのだ。クーデターを起こすための奇襲でもなく、逃げ延びるための遁走でもなく、全面的な戦争だ。きっとお互いに大変な損害が出る。民間人にも。死人だって出るだろう。そして、お互いに血を流し、積み重なった死人の上で防疫08部隊は負ける。目的が見えなかった。
目的の無い戦争。それはゲーム世界の歪な不条理のように見えて、背骨が凍りついたみたいに軋んだ。
〈H・Q・ビレッジバンガードより、ヨダカへ。0400にて作戦を開始〉
0400、早朝四時から作戦開始。開戦は早朝、夜明けと共に。
管理局の陸士たちによる包囲戦、その隙を衝いてシグナム率いる航空12部隊がヴィータを救出、包囲網の内側より敵首謀者を急襲する電撃戦。その予定。しかし、
〈予定は破られるためにあるもの〉
〈ヨダカ、何か言いましたか〉
〈敵が動き出しました。開戦、早まりそうです〉
不気味に空を飛ぶ、カラスのようなアハト(08)の兵隊。それが捩くれた熱召還デバイスを掲げて、真っ直ぐに管理局の兵隊へと向かっていっていた。やがて、火が上がる。開戦の烽火だ。アハトのカラスたちが炎を召還し、捩れた異国のテンプレートで街を焼く。兵隊たちの目を、炎が覆う。炎に隠れたカラスが管理局の兵隊を焼き払う。
燃える臭い。
命の燃える臭い。
肉の焦げる臭い。
大地の焼ける臭い。
死の臭い。
何度も嗅いだ、偵察兵の劣等感をえぐる戦いの臭い。
無傷の傷。私はいつも無傷。戦うのも、救うのも、私以外の誰か。
私は高い空から見ているだけ。
翼にしみこむ、魂の臭い。
魂は重い。
“軽くあれ”と願う。この重たい臭いで翼が凝り固まってしまわぬ様に。劣等感を捨て去りたくて、なんども「軽くあれ」と唱えた。
そして、焼ける大地を眺めつづけた。
悲劇を見るのが観測兵の仕事で、傷つかないのが偵察兵の義務で。それがソラの戦争だった。
重たい煙が、目に沁みた。
†
シグナムはバードランド分隊を率いて、夜空を滑空していた。
赤い髪と、菫色の騎士甲冑を風に靡かせ、ソラからのガイドを頼りに飛んでいる。
〈敵が接近しています。いま、上空からの映像を送ります〉甘くひび割れた、天空からの連絡。ソラの声だった。
同時に、シグナムの脳裏の視覚野に、念話の要領でおくられてきた航空写真が点滅する。燃え上がる灰色の街並みと、灰色コートのバードランド分隊、それらを率いる菫色が見えた。そして自分たちに接近する、カラスみたいなアハトの姿も。
ついでに、視覚情報と一緒に紛れ込んだ、悲しみの術式なんかも見つけた。いわゆるバグだ。
〈おい、ヨダカ。お前のおくってくれた航空写真、ピンボケだ。カメラのレンズはちゃんと拭いておくように〉
〈それって、涙を拭けってことですか〉
〈感情の起伏が術式に混じりこんでいる。ヴィータは必ず取り戻す。だから安心しろ〉
〈泣いてはいませんけど、ヤー(了解)〉
〈やけに反抗的だな。駄々っ子ヴィータの亡霊がのり移ったんじゃないのか〉
〈縁起でもないこと、言わないでください〉
〈冗談だ。怒るな〉
〈最低です〉
〈でも、元気は出ただろう〉
ニヤリと笑って、空を見上げた。それを偵察兵の瞳で確認したソラのため息が聞こえた気がした。
〈元気出してください。ヴィータ副隊長が帰ってきたら、お疲れ様会をしましょう。ご馳走、沢山用意して〉とファビアンが言った。
〈代金は俺たち持ちだ。存分に食べていいぞ〉と、孫娘を甘やかすみたいな老兵ルルー。
〈おい、まて。そんなことしたら俺たちの財布は空っぽになっちまう〉と最近買った車のローンが厳しいリヴィエール。
〈お洒落だって教えてあげよう。“お兄さん”が可愛い衣装を見繕ってあげる〉と、お洒落好きのペルラン。
〈ゲイは“お姉さん”じゃないんだな〉と、見当違いな答えのロビーノ。因みにゲイとはペルランのこと。
いつも通りに騒がしく、間の抜けたバードランド分隊の隊員たちだった。
ソラは、少しだけ嬉しくて、涙がこぼれそうだった。脊髄と脳を食むイカルス・デバイスが流れ出る水分と塩分のロスを許さなかったけれど、心の中では泣いていた。
うれし泣きは久しぶりだ。
あふれ出しそうな感情を瞼の奥に押し込めて、報告をした。
〈三十秒後にアハトのカラスたちとぶつかります。戦闘の準備を〉
甘くひび割れた声で言った。少し明るめの、弾んだB♭(ベー)だった。
〈ヤー〉とバードランドの六人が声を揃え、それぞれのデバイスを機動させた。六刃の刃が煌き、ブースト用のアクセラレータ魔方陣の輝きが見て取れた。ティンパニーを叩くような破裂音でカードリッジがリロードされ、銀色の薬莢とダクトから流れる水蒸気が銀色に煌く。
機械仕掛けの魔剣を抜き払ったシグナムが、刃を掲げる。そして宣言。
〈バードランドの全員へ告ぐ。私たちは仲間だ。今は七人だが、次飛ぶときは、ヴィータを交えた八人だ。繰り返す。次ぎ飛ぶときは八人だ。絶対に帰ってくるように〉
夜空に六人分のヤーが響いた。
アハトのカラスが放った炎が夜を塗りつぶしたのと、同時だった。