魔導師たちの群像_ 魔法少女リリカルなのは   作:夏深てふ

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13/シュピーゲルⅡ

廃棄された街並みを、一台の車が走っていた。

 

 その車の助手席で「私はね、本物になりたいの」と白烏花は言った。

 

「それはどういった意味だ」とザフィーラは問う。

 

 彼は今、人間の姿で車のハンドルを握っていた。

 

 烏花は、煙草を咥えた。そして、魔法でもって火を灯した。ガスにも、リンのも、ススにも侵されない魔法の炎が、煙草の先を炙った。蛍が舞ったような光景だった。

 

「私はね、あちこち記憶がないの」

 

「故郷の、滅びてしまった世界での記憶か」

 

「そうね。それもある」

 

「他にもあるのか?」

 

「ええ、兄さんが管理局を辞めてテレーゼを探しに出かけたころ。私ね、重たい病気に罹ってたんだ。酷い脳炎になりかけてね、そのころの記憶が曖昧なの。だから、私は兄の言った最後の拜拜(バイバイ)を知らないの」

 

「だから、兄の後を追おうとするのか」

 

「ええ。そうすれば、兄さんがどんな顔で私に拜拜って言ったのかわかる気がするの」

 

 烏花は、大きく煙を吐き出した。白い煙は狭い車内をメローに満たした。戦場はいつだってメローだ。煙った視界が夢見ごこちなんだ。そう、彼女は思った。

 

 入院中の烏花に兄がかつて読み聞かせた、オブライエンの小説の影響だった。

 

 そのことを、烏花はまったく覚えていない。記憶がない。つまりはそういうこと。

 

「拜拜の記憶はね、案外大切なものなのかもしれない。だってその証拠に、私は未だに睡魚兄さんを追っている」

 

 ザフィーラは、ただ耳を傾けているだけだった。何も言わず、頷きもせず、ただただ聞いていた。

 

 彼の右足が、ブレーキを踏んだ。車が目的地に着いたのだ。空が赤く染まっている。街が燃えていた。その炎の中こそ、彼らの目的地だった。

 

「煙草をくれないか」

 

「いいわよ。はい、どうぞ」

 

 烏花の銀色のシガレットケースから、細長い煙草が登場した。それは、ザフィーラの無骨な指に摘まれ、咥えられた。

 

「じっとしてて。火をあげる」

 

 烏花の顔が、ザフィーラの顔に近づく。二人の煙草の先がくっつきあい、火が移る。二つの煙草の先から煙が立ち昇る。

 

 触れ合ってもいないのに、その様子はまるで接吻。

 

 ためらう様に、お互いに顔を離した。メローだった。

 

 煙草を根元まで吸い尽くして、廃棄街を焼く炎に負けないくらいの煙を吐き出して、車から出た。でもやっぱり、二人っきりの紫煙のほうが負けていた。

 

「この火事、何の意味があるんだろうな」

 

 街を焼き尽くそうと燃え上がる、炎の嵐を眺めてザフィーラが言う。

 

「発射台よ」と、烏花が答える。

 

「発射台?」

 

「そう。広域魔法で街を焼くと、水蒸気をたっぷり含んだ上昇気流が吹き上がるの。その風に気化した化学兵器や細菌兵器をのせると、それは雲になり、雨になり、国を滅ぼすくらいに撒き散らされるの」

 

「もし、アハト(防疫08部隊)の連中がそんなことをすれば」

 

「死の雨が降るわ。そして、クラナガンは滅びる」

 

 ごうごうと吹きすさぶ風の中に、かすかにサイレンが聞こえてきた。近隣の地区では、避難勧告が出されているようだった。この火事をみて、管理局の上層部も「発射台」のことに気づいたらしい。

 

 同時に、高い高い天空の七千メートルから、暗号念話が落っこちてきた。市蔵ソラからの、通信だ。

 

〈ヨダカより、ザフィーラへさんへ。隣に居るのは白烏花さんですね〉

 

〈ああ、そうだ〉

 

〈アハトが生物兵器をばら撒こうとしている情報があります。専門家の力が必要です。協力願えますか?〉

 

 ザフィーラは烏花の方を見た。彼女は大きく頷いた。

 

〈私たちは何をすればいい〉

 

〈敵の本陣に向かってください。道はバードランド分隊で切り開きます〉

 

〈了解した。任せたぞ〉

 

 通信が終わり、そのころには既にバリアジャケット姿の烏花がそこにいた。真っ黒なドレス、白い肩にカラスの羽みたいな黒髪が流れ落ちる。顔は月の様に静かで白い。腕に捩くれた熱召還用ジン・デバイスを抱えて、魔女みたいに立っていた。

 

「ドレスが白ければ、結婚式みたいで素敵なんだがな」

 

「黒しか持っていないの。葬式屋さんだから」

 

 ザフィーラも、三日月みたいな牙の蒼狼に変身した。背中に乗れと、烏花に吼えた。背中は広く、温く。細い体を受け止めた。

 

「いきましょう」

 

「ああ、いこう」

 

 蒼い風が吹く。四足の鍵爪が空中を引っかき、夜空を蹴った。飛行魔法の、空中浮遊の神秘でもって、二人は空を翔けていく。

 

 二人で、一匹の獣のようだった。蒼い狼の背中から、黒い翼が生えているみたいだった。

 

 何故だか、その感覚が懐かしいように、烏花は思えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 アハトのカラスが夜空を駆る。捩れたデバイスの歯車の動きで、炎を召還する。街を、人を、赤い舌が舐め取っていく。舐めとられた後は、どろどろに溶けた灼熱か、真っ白な灰だった。

 

 そんな地獄を、シグナム率いるバードランド分隊は飛んでいた。

 

 荒れ狂う炎が渦を巻き、飛行をより難しい物へと変えた。火が竜巻になり、焼き尽くしながら、吹き飛ばしながら、吸い込みながら渦巻いている。それらを突っ切り、飛び回る。黒いカラスたちを墜していく。

 

 機械仕掛けの魔剣レヴァンティン。それを振るう烈火の将シグナム。炎を切り裂き、カラスどもをきり飛ばし、時には自らも炎を振るう。文字通り烈火のごとく真っ赤に焼けた魔剣で血路を切り開く。

 

 やがて来るであろう、ザフィーラと烏花が進むために。ヴィータの帰る退路のために。一心不乱に剣を振るう。

 

 炎と炎がぶつかり合う。空気が焼ける。思考も焼ける。魔剣を振りぬく。叫びを上げる。刃を揺さぶる魔力カートリッジの破裂音。銀色の薬莢がはじけ飛び、魔力の満ちる頼もしい感覚。稼動部分が火花を上げて、あふれ出す魔力のアフターバーナー。切り裂き、焼きつくし、切り伏せる。刃先から灼熱。夜明け前の空中に小太陽が出現して、その火球に飲み込まれたカラスは羽をもがれ墜落する。大地に叩きつけられる。

 

 生きているか、死んでいるか。それを確かめる時間さえない。切り伏せて、切られて。それが延々と続いていく。

 

 不意に、一人のカラスが突っ込んできた。真っ直ぐに、炎に焼かれることも厭わずに。そして捩くれたデバイスを掲げて、何かを唱えた。

 

 光が満ちた。

 

 自爆だった。

 

 世界を覆う、濃密な魔力。かつてのヴィータを一撃で仕留めた、凶悪な炎。

 

 しかし、それがシグナムに届くことは無かった。

 

「どうやら間に合ったみたいだ」

 

 シグナムを守護するように、黒い翼を生やした蒼狼が出現していた。盾の守護獣、ザフィーラだった。翼のように見えたのは、黒いドレスの烏花。硬質な光の魔方陣で、すべての熱と、衝撃を受け止めていた。

 

「いかれている。戦えなくなるほど消耗すると、ああやって自爆するんだ」

 

「だからといって、お前までそんな自暴自棄な戦いに付き合うことはない」

 

 そう言ってから、シグナムの背後を見るザフィーラ。シグナムの後ろには、殆ど無傷なバードランドの隊員たち。心配そうな顔の、部下たちだった。

 

「仲間をつかってやれ」

 

「死を呈して戦う者相手に、集団戦や戦略といった類は無粋に思えてしまってな。すまない」

 

「お前の良いところであり、悪いところだ。少しはサボれ」

 

「盾の言うことは違うな」

 

「盾は剣とは違って一人じゃ戦えないからな」

 

 少しだけ、笑った。自暴自棄的だったけれども、それは確かに微笑みの類だった。

 

「おいウーファ」と、シグナムが烏花を呼んだ。そして「頼んだぞ。ザフィーラは盾だ。一人じゃ戦えないらしい。剣が必要だ」

 

「任せて頂戴。元防疫08部隊トップ・エースの実力、伊達じゃないわよ」

 

「訂正だ。盾だってぶん殴れば立派な凶器になる」

 

 笑った。少しではなく、盛大に。バードランドの男たちが「そりゃそうだわな。女の子の前じゃカッコつけたいよな」と笑った。男たちはゲラゲラと笑って、煙でむせた。シグナムは意地悪そうに「ほう、まさかお前が“守るべき相手”に惚れるとはな」と笑っている。ザフィーラだけは、照れたような、苦々しいような、複雑な表情。狼の癖に、今までで一番人間臭かった。烏花は、はにかむ狼を初めて見て心のそこから愉快だった。

 

「敵の本陣はこの向こうだ」と、シグナムが指差す先。テレビ塔だった。

 

「ここは任せた。すぐに終わらせて、帰ってくる」

 

「いつまででも待っていてやる。でも、なるべくなら早く帰ってきて来い」

 

 シグナムのもとを去る、黒い翼の青い狼。バードランドの全員がそれを見送った。

 

 ひと時の邂逅、そして戦場が帰ってくる。

 

 大地に臥していたカラスたちが、捩れたデバイスの演算式で飛行を開始する。ボロボロの防護服を翼のようにはためかせ、ザフィーラと烏花を追おうとする。しかし、

 

「ここは通さん。二人の邪魔はさせん」

 

 シグナムが魔剣を振りかぶり一閃。純魔力炎が嵐のように吹き荒れ、カラスたちの魔力心臓を焼いた。

 

 アハトのカラスの頭巾が脱げて、その素顔が露になった。

 

 恐ろしい顔。

 

 バードランドの全員が、不吉な予感を抱いた。

 

〈ザフィーラ、帰って来い! こいつらは普通じゃない〉

 

 その声は、広域焼却魔法の激しい魔力風にかき消されてしまった。遥か遠く、飛び去っていく黒い翼の青い狼。もう帰ってこれない。きっと地獄を見ることになる。

 

 その予想は的中することになる。

 

 

 

 

 

 

 ザフィーラと烏花がテレビ塔にたどり着くと、そこには数人のアハトのカラスがいた。

 

「細菌兵器はこの上よ」

 

 副官の腕章をしたカラスが喋った。妙に甲高い、男の声だ。

 

「親切なんだな」とザフィーラが皮肉気に笑った。

 

「私たちの目的は、細菌をばら撒くことじゃないもの。“ばら撒くことが出来る人間”が管理局の中にいた。そういう事実が広まれば、それで十分なの」

 

 男の声が、ますます高くなる。高くなるだけでなく、声質も変わっていく。

 

「宣戦布告よ。私たちは管理局から離反する」

 

 ここで副官の声は完全に女のそれに変わっていた。

 

「ゲームをしましょう」と、女の声で、副官が言う。

 

「どんなゲーム?」と烏花が言う。

 

「簡単なゲームよ。あなたは細菌兵器を浄化しに行く。それを私たちが邪魔をする。狼さんは私たちを食い止める」

 

「受けて立つわ」

 

「あなたのそういう直線的なところが好きよ」

 

「あなたのそういうふざけたところが大嫌い」

 

 テレビ塔にむかって歩き出す、烏花。颯爽と、長い手足を振り子のように行進させながら、黒いドレスで入場する。

 

 ふと、思い出したように振り返り、ザフィーラに向かって微笑んだ。月光みたいに淡い笑み。

 

「次は白いドレスを着てくるわ」

 

「狼にも似合う、タクシードと蝶ネクタイで迎えよう」

 

「狼の姿はプライベート、か。あなたのそういうふざけたところが大好きよ」

 

「ありがとう」

 

 それが彼らなりの拜拜(バイバイ)だった。そのまま黒いドレスはテレビ塔の奥にへと消えていった。

 

「邪魔しないんだな」とザフィーラが言う。

 

「あのこが浄化を終えて帰ってきて、最初に見るのがあなたの亡骸ってのも、なかなかいいストーリーだと思わないかしら」と副官が笑う。

 

 副官は頭巾を取った。長い髪と、仮面のように整った女の顔が露になる。死んでしまっていたはずのナンバーズ、ドゥーエの顔だ。

 

「これが私の本当の姿。素敵でしょ」

 

 手袋も外した。しなやかな女の指と、そこから生えた鋼鉄の鍵爪も見えた。

 

「確かに美人だが、私に色仕掛けは通じないぞ」

 

「いいえ、通じるわ。飛び切りのを用意してるの」

 

 パチンと、鍵爪を弾いた。それを合図に、アハトのカラスたちがマスクを外し始める。ベルトを解き、ゴーグルを外し、黒い頭巾を脱ぎ去り。一人、また一人と恐ろしい顔が露になる。

 

 すべて、同じ顔だった。白烏花の顔だった。

 

 ――私はね、本物になりたいの。

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 ながい階段を駆け上がっていく。

 

 階段は急で、殆ど四つんばいみたいにして烏花は上って言った。なぜだか、その感覚が懐かしかった。

 

 邪魔は一度も来ない。ただ、下の方から聞きなれた火炎の音と、何かを砕くような音が聞こえた。硝子が砕けるみたいな悲痛な、でも綺麗な音だ。きっとあの青い狼さんが、透明な水晶の魔術式で出来た盾で戦っているのだろうと思った。その綺麗な盾が砕けないことを心の底から願った。

 

 願っているうちに、最上階にと到着した。

 

 扉をあけると、青い血膿に塗れた防護服姿の女が床に横たわっていた。ティンダロスの猟犬だった。いつかの海上プラントで奪取され、研究され、焼却された素体とよく似ていて、一発でわかった。

 

 ティンダロスの猟犬は、今にも消えてしまいそうな命を握り締めていた。彼女が死んだとき、その免疫系が崩壊して、彼女の体の中の細菌たちは一斉に活性化する。そして増え、満ちて、この街を焼き尽くす炎の上昇気流にのって、死の雨となってクラナガンの街を青く染めるだろう。

 

 次々と、思い出していた。

 

 ティンダロスの猟犬のこと。

 

 滅びた故郷の、空が落ちてくる様子。

 

 懐かしい父と母の顔。

 

 青空に上っていく、葬送の煙。

 

 自分がかかってしまった、酷い病気のこと。

 

 そして、兄さんとの拜拜(バイバイ)なんてなかったことも。

 

 ティンダロスの猟犬を目の前にして、すべてを思い出そうとしていた。

 

「私は、本物になりたかったんだ」

 

 震える手で、横たわるティンダロスの猟犬の頭巾を取った。

 

 青く濡れた黒い髪が水のように流れ落ちた。白い顔。満月のように静かな、白い顔。シュピーゲル(鏡)の中で見慣れた、私の顔。

 

「あなたが本物だったのね」

 

 ティンダロスの猟犬、その顔は白烏花とまったく同じだった。

 

 すべてを思い出した。

 

 ――私は、とある偏狭世界で病魔に侵された。そのせいで血は青く染まり、脳は侵され、たって歩くことも出来なくなった。四つんばいの獣みたいな闘病生活。兄の読んでくれる異世界の物語と、テレーゼの教えてくれる外の世界のお話を糧に、それだけを希望に生きていた。やがて、テレーゼが居なくなり、兄も旅立った。私は一人になり、そして。

 

「沢山の“私”が造られて、その中で一番マシだった私が、新しい白烏花になった」

 

 兄の拜拜(バイバイ)を知っているはずなんてないんだ。彼の背中を押し、別れを告げたのは、目の前にいる青い血に塗れたティンダロスの猟犬と呼ばれている“私”だ。クローン人間の、偽者の私が知るはずなんてないんだ。

 

「うう」と、ティンダロスの猟犬が鳴いた。弱弱しく手を持ち上げ、空を掴もうとしている。空に上がりたいのかもしれない。いつかの燃える煙のように。

 

 その手を握った。冷たい手だった。

 

「思い出してあげれなくて、ごめんね。あなたの人生を奪ってしまって、ごめんね」

 

 烏花の腕の中で、ジン・デバイスが起動した。歯車を回し、光を放ち、大空に可視エーテルの光の模様を描いていく。

 

 花びらのように、赤い模様が空を覆う。

 

 リコリスの魔女が放つ、一番綺麗な魔法。天国からやってくる、ケルビムの、天使たちの赤い炎。

 

「白いドレスは着れそうにないよ」

 

 炎が全てを焼き尽くした。

 

 今さっきまで立っていた床を。今まで吸ってきた空気を。想い出を。記憶を。青い血を流す烏花を。彼女の眩しそうに細められた瞳を。気のせいか、それは笑みの表情に似ていた。

 

 天空に、炎で出来た花が咲いた。

 

 烏花、リコリスによくにた綺麗な花だった。

 

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