魔導師たちの群像_ 魔法少女リリカルなのは   作:夏深てふ

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最終章/ホワット・ア・ワンダフル・ワールド(上)

 ホワット・ア・ワンダフル・ワールド

 

 

30/

 

 

 おとぎ話をしよう。

 

 旅人がいた。

 旅人は一冊の本を持っていて、四人の騎士と本の妖精を従えていた。

 旅人は魔法使いだった。

 彼は本を抱えて、五人と一緒に旅を続けた。騎士と妖精は心を持っていなかったけれど、でも心を持とうと努力をしていた。

 旅は続き、旅人は年老いた。本の中身は魔法で埋まり、旅人の命は少なくなっていった。

 最後の最後に旅人は、騎士と妖精に心をあたえることにした。

 残り少ない自らの命と、かすんだ思い出、柔らかく使い古された心を材料に、新しい心をあたえた。

 旅人は死に、四人の騎士と本の妖精は心を持った。心と一緒に、わずかなほつれも受け継いだ。

 騎士たちと本の妖精は旅を続けた。

 そんな物語。

 

 幾百幾千の時がたち、本の妖精は死んだ。

 騎士たちは今も生きている。

 でも旅人のことは、覚えていない。

 

 本の名前は旅の書、旅人の名前はアルハザード。

 騎士たちも忘れてしまった、遠い、遠い、おとぎ話。

 

 

 29/

 

 そんな夢をみて、ヴィータはベットから飛び起きた。妙に生々しい夢で、雨にふられたみたいに酷い寝汗だった。胸の中で、心臓代わりのリンカーコアが回転していた。

 ふと、人間に近づいてんだな、なんて思ったりもした。百年ほど前なら、悪夢を見たって、こんなに悪い気分にはならなかった。豊かになった心のせいだったし、劣化していく体の中のプログラムのせいだった。

「どうせなら体も人間らしくなればいいのに」なんて、一人呟いたりもした。

 魔法の力で出来た体は、百年前も、千年前も、忘れたはずの夢の中でも、幼い少女のままだった。

 ひとりすねた顔で立ち上がり、そしてカーテンを引いた。

 灰色のクラナガンの街並が見えた。

 真っ青な空が、見えた。

 空に入った、黒い皹(ひび)も。

 昨日より、空の皹は大きくなっていた。

「一人暮らし、やめようかな」なんて呟いて、最近借りたばかしの1LDKを見渡した。いつまでも子供じゃいられないと、背伸びをして始めた一人暮らし。でも、初めて早々半年、早くも帰りたくなってしまっていた。

 空の皹のせいだった。

「もしかしたら明日終わってしまう世界かもしれないかんな」

 まずは顔を洗おう。そう思って洗面所へとむかった。

 終末の近づくミットチルダの世界。

 案外、いつも通りの朝だった。

 

 

 28/

 

 キッチリと群青の隊服を着込んで、ワインレッドのタイをしめて、鳥の形をしたネクタイピンをして、職場の航空12部隊に向かったヴィータ。

 歩いた街並は寂れていた。終末が来るのだ。住民たちは、徐々に避難を始めていた。この世界ではなく、別の次元世界へと。それでも住み慣れた故郷にしがみつく人たちもいて、そうした人たちと管理局の隊員でこの街はどうにか持っていた。

 世界が終わる兆候が現れたら、管理局員はすぐさま次元船で逃げ出す手はずになっている。残った住民も同じ船にのって逃げ出すんだろう。それでも居残った人たちは次元震にのまれて死ぬんだろう。

 なんだかSFだと、笑ってしまいそうになる。死人が出ないなら、笑っていたと思う。堪えたせいで、空っぽのショーウインドウにうつったヴィータの顔は歪んでいた。

 

 27/

 

 ヴィータは空っぽの街を抜けて、管理局航空12部隊の基地にたどり着く。半年前は、ここに住んでいた。半年前に知り合った守衛さんにパスを見せて、基地に入る。広い訓練場をとぼとぼと歩いていく。

 ふと上を見上げると、鳥が一羽とんでいた。よく見てみれば、鳥では無くて、魔導士だった。あんなに鳥そっくりに飛べる魔導士を、ヴィータは一人しか知らない。

 嗚呼、ソラの奴か。

 そんな風に思ったりした。

 

26/

 

 管制塔の階段の下、航空12部隊バードランド分隊のたまり場とかしている休憩所、ヴィータの部下たちがダラダラとうわさ話をしている。

「おい、お前ら。始末書と地獄の訓練と、どっちがいい」と、ヴィータが男たち問うた。

「やだな隊長、緊急事態に備えての待機ってやつですよ」とファビアンが言った。

「そうだ。市蔵の嬢ちゃんが空の皹を見に行ってくるんだと」とリヴィエールが言った。

「もし嬢ちゃんになんかあったらいけない。そのための待機だ」と、孫娘を心配するみたいにルルーが言う。

「はたして最高々度のレコードホルダーが高い空でピンチになって、同じ空に僕らが助けにいけるかって話だけれどね」と、鋭い突っ込みのペルラン。

「まあ、そこをどうにかするのが仲間ってやつだけれどな」とロビーノが締めくくる。

「しっているさ。冗談だよ」とヴィータは返した。

 男たちの横を通り過ぎて、外に出る。

 空は相変わらず青く、そしてひび割れている。青い芝は去年と同じ風に青い。

 空に向かって念話を打ち上げた。

《おい、ソラ。様子はどうだ》

《ヨダカより、隊長へ。空がひび割れている以外は良好です。いつも通りの青い空です》と、甘くひび割れた暗号念話が落っこちてきた。市蔵ソラの声だった。

《ひび割れはどんな感じ?》

《昨日より大きくなっています。このぶんだと、空が落ちてくるのもそう遠くない話かも》

《あの皹に引っかかったらどうなるか知ってるか》

《さあ》

《死んでしまうんだとさ》

《嘘つき。さっき、皹から鳥がでてきましたよ》

《ああ、知ってる。なんだか訳わかんない世界と繋がっているんだってさ》

《変な話ですね》

《変な話だな》

 そこで会話は途切れた。

 最近のバードランド分隊の仕事は、空の皹の観測ばかしだった。一番高く飛べるソラが皹を観測しにいって、ほかの隊員は待機。隊長のヴィータは書類を書いたり作ったり、そんな毎日。

 世界は着実におかしくなっていた。偉い博士が言うには、世界と世界が正面衝突してしまったとのことらしい。このまま衝突が続けば、ミットチルダの世界はバラバラになてしまう。その前に皹の向こうの世界が軌道を変えれば、世界が壊れることは無いだろうとも言っていた。

 皹の向こうの世界が軌道を変える様子は、まだ無い。きっと空は落ちてくる。そして世界は滅びる。

《今から帰ります》と、ソラが言った。

《了解。バードランド一同、お前の帰りを待ちわびてる》

《嘘つき。私が帰ったら、みんな書類仕事だってぶーたれています。私が飛んでいる限りは、あの階段の下でオヤスミですから》

《大人は嘘つきなのさ》

《見た目は子供のくせに》

 お前だって、と言いかけて止めた。彼女はもう、ずいぶんと成長した。もう出会ってから二年がたつ。少女の時間は終わってしまう。

《ともかく早く帰ってこい》

《音の速さで帰ってきます》

 そうして、今度こそ本当に会話は途切れた。

 甘い物でも奢ってやるかなんて考えながら、基地の中へと帰っていった。少女の時間はもうすぐ終わりそうでも、少女の味覚は変わりそうになかったから。

 

 

 25/

 

 市蔵ソラが帰ってきた。いつも彼女が降り立つ滑走路には、いつもどうりにヴィータがいて、その隣には車椅子があった。

 高い高い空から、ソラが羽ばたきながらおりてきた。両腕は真っ黒な翼で、足は推進力を生む二対の音叉。申し訳程度の薄く白い衣服がヒラヒラと舞う。黒曜石で作ったニケ像の少女版、そんな出で立ち。

 変身を解いて、翼がガラスのようにくだけた。その下から真っ白な細い腕が現れる。音叉も甲高いB♭(ベー)の音で砕けた。両足は現れなかった。とっくの昔に、知らない世界の知らない海に凍傷で落としてしまっていたから。

 華奢で小さな体が、車椅子に着陸した。長く黒い髪が、ばさりと翼みたいに広がった。

「おつかれさん。あいよ、ジャケット」と、ヴィータがソラにフライトジャケットを手渡す。

「もうクタクタです」と無邪気に微笑みながら、受け取ったジャケットを羽織った。ポッケの中にしまっていた黒斑眼鏡をかける。昔は愛嬌ばかしを振りまいていた厚ぼったいレンズは、いつの間にか知性を拡大するようにっなっていた。透明なレンズの奥で、宇宙の底みたいな真っ黒な瞳が光っている。拡大する宇宙。

 何となく、成長したなと思った。

 初めてあった時は髪の短いガリガリに痩せた少女だった。飛ぶことと、生きることと、それだけしか持っていない、寂しい少女だった。

 今では、軽かった体と心を守るようにたくさんの物を物を身につけている。

 髪は伸びた。黒くなびく、彼女の第三、第四の翼になった。髪型をいじるようになったりして、お洒落なんかも覚えた。

 体つきは柔らかくなって、少女の中に女性を感じさせるようになっていた。遅れていた初潮がきて、航空12部隊の女性陣たちと第97世界式の赤飯で祝おうとしたら「恥ずかしい」と真っ赤な顔で怒られた。

 よく笑うようになった。きっと嬉しい物を沢山持つようになったのだろうと思たりした。比重の軽い、水素みたいな、そんな喜びをだ。

 もっと高く、もっと速く飛べるようになった。背負った物を燃料に、そしてエンジンにして、人工衛星みたいに飛べるようになった。

 背はあまり伸びなかった。ほっといてくださいと、拗ねていた。

 沢山変わって、そんなソラをヴィータは間近でみていた。ネバーランドの少女の体で、みていた。

 きっと母親はこんな気分なんだろうなと思ったりした。少女の体で、でも大人だった。

「お前はもうあがっていいぞ。書類仕事は怠け者の男どもに押し付けたからさ」とはにかんでみるヴィータ。

「それはありがたいです。私が頑張りすぎて、仕事の無いみんなが職を追われたら、寂しくなりますから」と、相変わらずブラックなジョーク。

 世界が終わろうとしている今、クラナガンの管理局員は行き場を失いつつあった。人手不足の管理局だったから職を失うことは無かったけれど、それでもそれぞれの理由で止めていく局員たちは大勢いた。

 この世界が滅びたら、ファビアンは管理局を辞めて故郷に帰ると言っていた。妻と実家の家業を継ぐのだと言っていた。ほかのバードランド隊員たちは残ると言っていたけれど、それでもバラバラの部隊に配属されるのは確実だった。

 クラナガンに住んでいて、ボデイーガードや探偵の真似事をしながら昔の思い人を探しているザフィーラは、探すべき場所が無くなってしまうことに戸惑っている様子だった。

 航空12部隊部隊長の八神はやては、昔のツテを辿って新しい部隊を作ると意気込んでいた。上手くやれば航空12部隊のメンバーも拾ってやりたいと言っていたが、全員は無理だろうと言っていた。

 はやての専属補佐官に身を落ち着けたシグナムは、ずっとはやてについていくと言っている。今は研究室で缶詰のシャマルもきっとそう。

 執務官二人組、フェイト・T・ハラオウンとティアナ・ランスターは、あんまし変わらないだろうと言っている。捜査して、あちこち飛び回って、そんな毎日。

 ヴィータは、迷っていた。

 一人きりでなにかする最後のチャンスかもしれないと思った。

 そのために始めた一人暮らし。はやてにべったりではいけないのだ。私も変わらないと。そう思っていた。知らない人だけの中でいろんなことをして、そうして身につけた物を、仲間たちの為に役立てたいと思っていた。

 私たちはくっつきすぎた。まるで家族みたいに一緒だった。だから、家族みたいに巣立っていかなければいけない。巣立って、沢山のことを覚えて、そしてまたいつの日か巣に帰るんだ。

 仲間の大切さをソラに教えたヴィータは、ソラから孤独の大切さを学んでいた。

 何かを極めるということは、孤独なんだと。

 ソラは高い空で独ぼっちになって、ヴィータも今、独ぼっちになろうとしている。そうして大きくなろうとあがいている。

「なあ、ソラ。世界が滅びた後、どうするつもりだ」と聞いてみた。

「飛ぶだけです」

「相変わらず鳥だな」

「鳥ではなく、鳥みたいな、です」

「そこ、こだわるな」

「あなたが教えてくれたんでしょ」

「そうだったっけ」

 クスリと笑った。勝手にソラが学んだだけで、私は何にもしちゃいない。そう言いたいヴィータだったが、なんだか無粋な気がして止めた。

「先輩はどうするんですか」

「一人きりでがんばってみたい」

「寂しくなったら飛んできてあげます」

「引き止めないんだな。『ずっと一緒にいてくれないんですか』とか」

「そんなの、私らしくないですから」

「相変わらずだな」

 二人して笑った。こうして笑えるのも後少し。世界が滅びるまでの短い間。

「いこっか」

「はい」

 疲れきったソラの車椅子をヴィータが押していく。

 これも後少し。

 

 

 24/

 

 その日のティアナは、執務官の仕事をしていた。相変わらずの、刑事みたいな仕事だ。

 狙撃があったと聞いていた。

 もしかしてと思って、ポケットの中のお守りを握りしめた。鑑識からくすねてきた、純銀の弾丸。

 現場に到着してみれば、もしかしては当たっていた。頭を粉々に吹き飛ばされた魔導人形が倒れていた。人間そっくりの見た目で、でも体の中は物騒なギミックだらけで、頭の半分を純銀の弾丸で食い破られていた。これと同じ純銀弾狙撃を見るのは、二年前以来だった。

「白睡魚か」

 懐かしい名前だった。

「久しぶりだね」と声がした。

 振り返ってみれば金色の髪と赤い瞳。かつての上司、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンがそこにいた。

「お久しぶりです。偶然ですね」とティアナは答えた。

 フェイトさんはなぜここに、と聞いてみれば、

「あの人形、私が追っていたんだ」と言っていた。小さく「クローン・スカリエッティの作品なんだって」と。

 なるほど、と思った。私は消えた白睡魚とテレーゼ・ブルンスヴィック、そして白烏花を追っていて、フェイトさんはクローン・スカリエッティーの行方を追っている。

 きっと、睡魚たちはクローン・スカリエッティを追っている。だから、私たちはかち合った。そう、ティアナは思った。

「世界がおわっちゃうのに、みんな集まってきている」とフェイトがぼやいた。なんだかとても、ダウナーモード。

「世界がおわっちゃうから、あつまるんですよ」

「そうかもね」と笑っていた。

 きっと終わってしまうから、みんなバラバラの世界に散ってしまうから、その前に心残りを終わらせたいんだと思った。だからクローン・スカリエッティは人形をつかって暗躍して、それを睡魚たちが防ごうとしている。それをティアナやフェイトが追っている。

「ねえ、秘密の話があるんだけれど、いいかな」とフェイトが言った。

《なんですか》と念話で答えた。とびきりの暗号化をかけて、外に聞こえないように。

《世界が終わるから、みんな集まっているって言ったけど、それは間違い》念話で聞こえてきたフェイトの声は、暗号化のせいでノイズまみれだった。いつかの観測手の声を思い出す。彼女はこれよりもっとすごい暗号で、でもノイズはレコード程度の優しい物だった。

《世界を終わらせようとしているのは、クローン・スカリエッティ。だから、みんな集まってくる》 

 ノイズのせいの聞き間違いだと思いたかった。

《それは本当ですか》

《まだ勘の域をこえていないけれどね》

《根拠は》

《彼のオリジナルはアルハザードの技術で生まれて、そしてアルハザードを目指していた》

《それが世界の終わりと何の関係が》

 フェイトは空を指差した。青空に走る、皹。

《あの向こうにある世界、アルハザードかもしれない》

 勘弁してくれと思った。嘘ならいいのにとも思った。そう言えばフェイトさんの育った代97世界には「嘘つきの日」ってのがあるんだっけとも思った。

《嘘でしょ》

《ほんとだよ、ティア。嘘じゃない》

《なら、なんでそんなに嬉しそうなんですか》

 フェイトは微笑んでいた。ダウナーがいく所までいくと、一回転してハッピーになるという話を聞いたことのあったティアナは、心配になってしまう。ダウナーがハッピーに裏返ったら、それは要注意のサインだ。病院に連れて行かねばならない。

 そんなティアナの心配を他所に《だってそうでしょ》とフェイトはいう。

「犯人を捕まえたら、世界は滅ばないかもしれない」

 はっきりと、聞き間違いの無いように、肉声でフェイトは言った。

 

 

 23/

 

 ザフィーラの住む雑居ビルの一室、ハードボイルドの探偵風な部屋に八神はやてはいた。

「あんたの渋い顔だと、ハマりすぎて違和感あるで」とはやてが言うと、ザフィーラは「ほっといてくれ」と渋い顔をした。

「ああ、あんなに行儀正しい良い子だったザフィーラはいったいどこに」

「遥か昔にクシャクシャにしてポイ。身内全員が我が主至上主義だと、後々困ったこことになりそうだったからな。外野だって必要だ」

「外野だって大事なチームメイトや」

「あたりまえだ。私たちは家族だ。たとえ外野だとしてもな」

 嬉しいなあと、はやては笑う。ケタケタ笑う。

「ザフィーラは強いな」

「どうだかな」

「強いよ。孤独をしっとる。その強さを、最近ヴィータまで真似ようとしとる」

「はたして私のまねかな。あの捻くれたヴィータが私の真似するとは思えないが」

「どうやろな。でも、最近一生懸命なんよ。一人暮らしを始めたし、分隊長にもなったし」

 まるで独り立ちする娘をもった気分やと、はやては笑った。

「私が出て行った時はどんな気分だったんだ」とザフィーラが問うた。

「同じ。あんたみたいな堅物な息子、社会の粗波に揉まれながらやっていけるんやろかって」

「飼い犬が逃げた気分とかじゃなくて安心した」と、青い狼の耳をはやしたザフィーラは、飼い犬みたいな笑みを浮かべた。

「いつでも、帰っておいで。ドックフードをこさえてまっとるから」とはやての冗談。市蔵の毒舌が移ったかなと。

「それで、いつ帰ってくるん」

 ザフィーラは少しだけ考えるふりをして間を空けた。即答するのが恥ずかしかったんだろうとはやては思った。だってこの話は色恋がかかわっている。母に話す初恋の話ほど恥ずかしい物は無い。

「探し物が見つかったら」とだけ、ザフィーラは答えた。

「そうかい」とはやては笑った。そして帰る支度を始めた。

 最後に「今度帰ってくるときは家族がふえるな」なんて言葉とともに去っていった。

「勘弁してくれ」と呟くザフィーラ。

 母は常に、一枚上手をいく。

 

 そして雑居ビルか出たはやてを出迎えたのは、彼女の副官になったばかりのシグナムだった。

「ザフィーラはどうしていましたか」と口一番に聞いてきた。

「どうもこうも、いつもどおり」

「あれほど私たちの中で変化した仲間はいませんが」

「恋は人を変えるか」

「どういう意味です?」

「ファフィーラが次に帰ってくるとき、家族が一人ふえてるかも。そう言う話」

 悪戯っぽく笑うはやてに、シグナムは「私も行き遅れないようにしなければ」と複雑な笑みだった。

 

 

 22/

 

 市蔵ソラは、夜の空を飛んでいた。もはや恒例になった空の皹の観測任務だった。

 両腕の黒い翼を羽ばたかせ、飛んでいく。背骨は、もう軋まなかった。いつかの医務官さんが言った通りだと思った。成長痛みたいな物。時間が解決してくれる。医務官はそう言ってくれた。なんて名前だったっけと思った。あの頃の記憶は曖昧だったりする。今や脳幹と小脳の全て、そして海馬の全てとそっくり入れ替わってしまったイカルスデバイスのせい。痛みは無くなったけれど、思い出は軽くなってしまった。

 空に皹が入り始めてからだった。上手く昔のことを思い出せない。変わりに飛ぶこと、見ること、記憶ばかりが上手くなっていった。

 軽くあれ。

 そう鳥の心が囁いた。でも「いやだ」とも思った。

 軽くならなければならない。でも、軽いばかりでは飛べないんだ。飛ぶということは、恐怖を抱かないこと。飛べないということを知らないということ。そう言う意味では“軽くあれ”だけれども。

 逆風の恐怖を翼で掴んで揚力を得なければいけない。羽ばたく勇気まで捨ててしまってはいけないんだ。

 だんだんと自分自身の中で大きくなっていく鳥の心と戦いながら飛んでいた。抜け落ちていく記憶と戦いながら飛んでいた。

 記憶を失い、でも高く、そして速く飛べるようになった。短期的な記憶なら、昔よりも沢山覚えられた。でも、思い出は抜け落ちていくばかしだった。

 鳥ではない。鳥みたいな、なんだ。鳥になってしまえば楽になれる。飛ぶだけの生活。多いに素晴らしい。でもそれじゃダメなんだ。

「私はバードランドの守護天使になるんだ」

 羽ばたきを早めた。飛んで、飛んで、飛んで。飛んで。まるで落っこちるように。

 黒い翼の表面で、雲の粒子が跳ねる。銀色に輝く。

 胸の中でリンカーコアが回転する。青い炎が胸にともる。

 羽ばたくごとに地面が遠くなる。鳥に近づく。喜びがやってくる。でも、それだけじゃいけない。鳥の心と人の心を戦わせながら飛んでいく。それが高くとぶ秘訣。だってそうでしょ。今の時代、人は宇宙にだって飛び出せる。鳥の方が自由なのに変わりはないけれど。

 雲の海を抜けた。銀色の水滴を振り払いながら、滑空した。

 空は明るかった。天の川から、無数の天体から、光が落っこちてきていた。星空の歌声が聞こえてきそう。ハルレヤ、ハルレヤ。そんな声が聞こえてきた気がした。誰の小説の台詞だったけ。

 銀色のハルレヤは、次第に新世界交響楽の響きに変わっていった。

 カムパネルラが迎えにきてくれそう。これも誰だっけ。

 そんな曖昧な思考の中、それでも機械仕掛けの背骨は任務に忠実で、大空の裂け目を観測していた。

 ソラの頭上に、青い光のホログラムが出現する。天使の輪っかみたいな観測用の魔法陣。

 正確な真円と多角形、方位磁針、羅針盤、六分儀、望遠鏡、レドームアンテナ。彼女の黒曜石の顔が白く照らされる、月みたいに白い顔。

 黒い翼で飛んで、黒い瞳で見て、頭上の天使の輪っかで測っていく。

 不意に、暗い空の皹の中に青い光をみたような気がした。青い光はだんだんと近づいてきているように感じた。きっと皹の向こうの、もう一つの世界の光なんだろうと思った。実際その通りだと、頭上の魔法陣は言っていた。

《おい、聞こえるか》と声がした。ヴィータの声だった。

《はい、聞こえます。どうしたんですか》

《いま、お前の下を飛んでいる》

 視線を下に向けた。雲の海は遥か後ろ、尾羽の方に消えていた。代わりに明るい星空を反射する海が見えた。そして、海の上を飛んでいる赤い騎士服のヴィータの姿も。まるでサソリの瞳みたい。

《ねえ、先輩。ハルレヤってなんだか分かりますか》

《さあ》

《じゃあ、サソリの目は》

《なんだそりゃ》

《医務官さんの名前、なんて言うんでしたっけ》

《今のか、それとも昔の?》

《多分、二年くらい前の》

《それはシャマルだ》

《やっと思い出せました。たしか恋人を追っかけて、探偵事務所をひらいたんですよね》

《それはザフィーラ。シャマルは本局で研究に明け暮れてるってさ》

《カムパネルラって誰でしたっけ》

《お前の大好きな宮沢賢治だよ。ほら、銀河鉄道の夜に出てくる》

 ヴィータは小さく歌を歌った。鼻にかかったソプラノサックスみたいな声だった。

 赤い目玉のサソリ

 広げた鷲の翼

 青い目玉の子犬

 光の蛇のとぐろ

 オリオンは高く歌い

 露と霜をおとす

 きれいな声だった。頭が真っ白になってしまうくらいに。

《なんだ。サソリの目ってこれのことじゃないか。ハルレヤだって銀河鉄道に出てくるお祈りの言葉だ。お前、本当にすきだな》

 ヴィータは笑った。まるでジョバンニみたいだと思った。ジョバンニのことなんて、何にも覚えちゃいないのに。

《なんて曲ですか》

《星巡りの歌。お前が教えてくれたんだ。銀河鉄道のお話の中で、ケンタウルス祭の子供たちが歌うんだってな》

 アンドロメダの雲は魚の口の形

 大熊の足を北に五つのばした所

 小熊の額の上

 空の巡りのめあて

 ヴィータが続きを歌った。

《先輩、一緒に歌いましょ》

《いいぜ》

 二人で歌を歌った。ヴィータはソラに教えてもらった通りに歌った。ソラはヴィータが歌った通りに歌った。そうすることしか出来なかった。

 

 

 21/

 

 ソラが持ち帰った観測データーで、世界の終わりがあと一ヶ月に迫っていることが分かった。クラナガンの住民たちは次々に移住を初めていた。

 航空12部隊も、二週間後には解散撤収することになった。最低限の人員を残して、相当数の隊員たちが去った。残ったのは部隊長の八神はやてとシグナム、そしてヴィータが率いるバードランド分隊。そして彼らを動かすために必要最低限のスタッフだけだった。

 そんな寂しくなってしまった基地の部隊長室。はやては一冊の本を捲っていた。夜天の書。彼女の魔導書だった。

 その最後の一ページを朗読した。

「心は優しい者の前に現れる、か」

 大昔のこの本の主が書き込んだと思われる、魔法とはなんの関係もない一文。それがはやてのお気に入りだった。

 彼女の周りにはそうやって心を得た人たちが沢山いた。それが理由なんだろうと思ったりした。

「何をみているんですか」と、書類から視線をあげたシグナムが言った。

「夜天の書の、最後の一ページ」

「私たちの、守護騎士プログラムの最後の一項ですね。たしか思考の共感や記憶のラベリングに関する」

「色気の無い表現やな」

「言い換えれば、心」

「そう。心や」

 よく出来ました。二重花丸の笑顔ではやては笑った。でも、その瞳の下には色濃い隈ができている。

「イチクラを助ける方法、分かりましたか?」

「いんや。全然。融合騎デバイスの癒着を取り除く方法も無理っぽいし、新たにイカルスデバイスに修正パッチを施す方向でどうにか考えてみとるところ」

「色気のない表現ですね」

「言い換えるなら、イチクラの脳みそをいじめるイカルスデバイスを叱ってやって、いい子ちゃんにするって感じかね」

 難しいのでしょうと、シグナム。

 うん、難しいと、はやて。

「なんであのこのデバイスが暴走しているのかが分かれば、楽なんやろけどね」

 二人はソラの苦悩を解決するべく、動いていた。世界が終わる直前の空白を縫って、はやてはイカルスデバイスを宥めつける方法を探っていたし、シグナムははやての仕事を一手に引き受けていた。はやては「リインのお婿さんを作ってあげるための後学に」と言っていたし、シグナムは「部隊長になるための修行だ」と言っていた。そんな不器用な二人。

「ヴィータは彼女のこと、知ってるんですかね」

「知っとるやろな。知らないふりをしてるけど」

「なんにもしないなんて、あれらしくない」

「ヴィータは自分に何も出来ないことをしっとんよ。だからすべて私らにまかせて、イチクラのフォローに回っとる。彼女がいつどうなっても、せめて今だけは幸せなように」

 救われたなら、良い思いでは残る。救われなくても最後は幸せでいられるから。

「らしくない」

「あの子も変わろうとしてんのよ」

 信じてやってと、はやては言った。家族のことです。信じるに決まっているじゃないですかとシグナムは答えた。

 ふと、窓の外に視線をやると、曇り空が見えた。きっとあの雲の向こうでは、皹が大きくなり続けているのだろう。そして、その皹を観測するため、ソラは今日も飛ぶのだろう。あの高い空にたどり着けて、あの皹の中を覗き込める魔法を持つのはソラしかいなかった。

「こんな大変な目にあってるイチクラを飛ばすなんて、残酷な仕事です」

「でも、飛べなくなったイチクラは、もっと苦しむよ」

「だからです。世界で一番好きなことが、そのまま苦しいことだなんて」

「恋愛と一緒や」

「どういう意味ですか」

「愛の反対は無関心であり、もしかしたら悪意だとかは愛の隣に座っているってこと」

 バイ、マザーテレサ、アンド、私。そんな奇妙な英語ではやては答えた。

「そんな調子だから、ザフィーラに先をこされるんや」と笑っていた。

 

 

 20/

 

 ザフィーラがたどり着いたのは、狭い路地の行き止まりだった。

 そこには真っ黒に煤けた自動人形の姿があった。メイド・バイ・クローン・スカリエッティの優秀な自動人形。頭を砕かれ、その上から原型をとどめないくらいに焼き尽くされていた。

「いるんだろ」とザフィーラが言った。

「また会えたわね」と、声がした。煙みたいに擦れたハスキーボイス。白烏花の声だった。

 踊るようなステップで、ザフィーラの背中に抱きついた。

「世界が終わるなんて、思い出を封印しちゃうくらいにいやな出来事のはずなのに、今回はそうでもないみたい。ロマンティックに過ごせるかも」

 顔を見せてと烏花が言った。

 ザフィーラが振り返る。よれたシャツとスーツに似合わない、シルクの蝶ネクタイをしていた。余りにも似合っていなくて烏花は笑ってしまった。お陰で、お尋ね者の女と元管理局員御用達のボディーガードの再会は、湿っぽくならずにすんだようだった。

「約束しただろ。タクシードで出迎えるって」

「だとしてもワイルドすぎるわ」

「狼にも似合うタクシードだ」

「変な人」

 二年前と変わらない、ふざけた会話だった。それが二人のあり方だった。

「私を逮捕する?」

「残念ながら、今は野良の探偵モドキだ。法律より、自分の都合さ」

「終末的ね。それに、一匹狼の間違いでしょ」

 ザフィーラにくっ付いていた烏花は、ワルツのテンポで彼から離れた。

「私は偽物よ。それでも良いならついてきて」

「偽物で大歓迎だ。私も同じ悩みを抱えていた」

「私はあなた。あなたは私」

「そんな素敵なものでもないがな」

 二人で街の深い部分へと消えていった。世界を救おうと、そう言っていた。

 

19/

 

 そして二人が去った頃、ようやくそこに現れた人影があった。

 ティアナとフェイトだった。

 二人は黒こげの自動人形を眺めて、一足遅かったかと落ち込んでいた。

「これで何体目だったけ」

「三体目。全部、何らかの目的を終えて、その後にヤラレているようです。あと、記憶媒体が回収されていますね。一見黒こげで分かりませんけど」

「何のために」

「きっと、自動人形のボスの居所を知りたかったんでしょう。もしこの人形が運び屋だったなら、ボスの居所の地図を持っているはずです」

「管理局に通報しない理由は?」

「管理局内にもボスの協力者がいるとか」

「アルハザードは魅力的だもんね」

 それこそ、世界を一つ敵に回したって良いくらいに。

「この自動人形、なにをしてたんですかね」

「いやな情報がひとつ。はやての回りに、最近不振な人物が出没してるんだって」

 ちょうどこんな感じの、とフェイトは黒こげ人形を指差した。

「物騒な話ですね」

「狙いはなんだと思う?」

「もしかして、八神部隊長のもっている、秘密のレアスキルとか」

「アタリ」

 嗚呼、何故あの日とはいつも厄介ごとの中心にと、頭を抱えてしまいたくなるティアナに「きっとそういう巡り合わせなんだろうね」と笑って答えるフェイトだった。

 

 

 18/

 

 「そうそう。脅迫状がきたんよ。『お前の秘密を知っている。秘密を盗まれたくなければ、それを大事に仕舞っておくように』なんて、ルパンみたいな脅迫状。いや予告状か」と笑って答えるはやてに、本当に頭を抱えてしまうティアナがいた。

「見せてもらえますか。その脅迫状」とティアナが手を差し出すと「はい、これ」と手渡される薄紅色の封筒。ハートマークのシールで封されている、オジサンの考えた少女趣味な代物だった。中身も無駄に流暢な筆記体で書かれた、気取った文章。ベートーベンよりブラームスのほうが“お好き”な怪盗より。そんな文章で締めくくられていた。

「決まりですね。白睡魚の仕業です」

「そうやろうね」

「目的は何だと思う?」と、フェイトが言った。

「遠回しに『お前の秘密を狙っているやつがいるから、気をつけろ』って言いたいんじゃない」のらりくらりとはやてが答える。

「秘密ってのは、何でしょうか」

 はやては「これのことやろね」と、夜天の書の背表紙をなでた。

「こいつはな、とある旅人が作った魔導書でな。最近わかったんけれども、その旅人の名前がな、アルハザードっていうんよ」

 アルハザード。全ての願いをかなえる魔法の理想郷の名前だった。そして、この世界に衝突しようとしている世界の名前でもあった。

「アルハザードって土地の名前でしょうに」

「私の故郷でだったら、人の名前や。とびきりの代わりだねけどね」

 きっとアルハザードって人が居た土地って意味でのアルハザードなんやろねと、感慨深げに言っていた。

「ともかく、その魔導書とはやて部隊長の警護を私ティアナ・ランスターとフェイト・ハラオウン執務官の二人で行うことになりました。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。でも、執務官が警護なんて、職種違いかとちがう?」

「人手不足なんです。ザフィーラさんとも連絡つかないし」

 あれは愛の逃避行やと言ったはやてに、何ですかそれと突っ込むティアナ。案外この二人息が合うかもと考えたりするフェイト。

 そんな時だった。三人の居る応接室にノックの音が響いた。

 現れたのは、車いすに座ったソラと、その背を押すヴィータだった。ソラの髪はつややかに長く伸ばされていたけれど、敬礼は相変わらずの奇麗な、でも軍隊っけのない不思議な動作だった。

「フェイトとティアナ。懐かしの執務官二人組だよ」とヴィータはソラの耳元に囁いた。

「初めまして。ソラ・イチクラです」と挨拶をした。

 髪のばしたんだねと、フェイトが言った。

 はい、と他人行儀にソラが答えた。

 いつからのばし始めたのと、ティアナが聞いた。

 すかさず「二年前」とヴィータが答えた。ソラはぽかんとした顔だった。

 それから五人でいろいろな話をした。二年前のこと。今のこと。空の飛び方について。終わってしまう世界のこと。美味しかったシュークリームの話。高町教導官は、あいかわらずのワーカーホリックだということ。世界が滅びた後は、地球で過ごすのも良いのかもしれないと言ってたこと。いっそのこと、ここのメンバー全員で地球に移住しちゃうとかなんて、冗談をいったりもした。

 笑い声に紛れてソラが泣いていることに気づいたのは、ヴィータだった。ソラの瞳の涙を流す機能は、イカルスデバイスのせいで失われていたけれど、それでも悲しそうな無表情のお陰ですぐに分かった。

 ヴィータはソラが涙を流さずに泣く所をなんども見ていて、だから分かったのだった。

「どうしたんだ」と、ソラに言った。

「私の故郷、地球ですよね。地球ってどんな場所ですか」そう答えた。

 覚えていないんです。それがソラの悲しみの理由だった。

 

 ソラとヴィータは退席したあと、フェイトが口を開く。

「テレーゼと同じね」

「どうかね。テレーゼは精神が退行していったけど、ソラの場合は思い出が抜け落ちていっとる。どっちもイカルスデバイスの副作用って所はいっしょけどね」

「そんな状態で、仕事を続けさせているんですか」信じられないといった口調でティアナ。

「ハンディキャップは仕事を止める理由にならんよ。事実、彼女は両足がなくても今までやって来れた。それに最近の仕事の精度は、昔よりあがってきとる」飛ばさないようにする口実が見つからんのよと、そんなニュアンスだった。

「イチクラはね、このセカイノオワリ事件で、これでもかってくらい優秀な精度の観測を続けとる。まるで、今の状況のためにデザインされたみたいにね」

 やっぱりそうなんだと、フェイトが呟いた。どういうことですかと、ティアナが問う。

 フェイトは長い長い昔話をはじめる。

 例えば、市蔵ソラが昔いた、64実験小隊のこと。

 64実験小隊を作ったゲオルグ・テレマンという男のこと。

 ゲオルグ・テレマンの作った部隊は64実験小隊と防疫08部隊と、その他沢山あるということ。

 防疫08部隊の部隊長は、アルハザードの遺児。スカリエッティのクローンであるということ。

 64実験小隊も防疫08部隊も、その他のゲオルグテレマンがプロデュースした部隊のほとんどが、未知なる新世界の開拓を目指して作られていたこと。

 ゲオルグ・テレマンが開拓したかった新世界とは、もしかするとアルハザードだったのではないかということ。

 いまこの世界と衝突しそうになっている世界こそが、アルハザードなんじゃないかということ。

 すべてはフェイトの空想の域をでない、ただの妄言だったけれど、それでも説得力があるような気がした。

「今まさに、うちのイチクラは自らの存在意義を示そうとしとる。そういうことか」

「正確に言うなら、『彼女の中のイカルスデバイスが』だけれどね」

「不気味な話です」

 全てはアルハザードのせい。アルハザードを求めた一人の男が招いてしまった、不幸の連鎖。はじめから世界と引き換えに新世界へと旅たつ、その予定だったのだろう。無人世界の長期観測任務を前提とした、ソラのいた64実験小隊は、アルハザードへの観測隊。広域焼夷魔法と細菌の扱い、防疫任務に特化した、防疫08部隊は、アルハザードの危険を焼き付くし人の住むスペースを作るための開拓隊。

 最初から決まっていたのだった。ゲオルグ・テレマンが夢見て、クローン・スカリエッティが受け継いだ長い長い夢。

「世界と引き換えの夢なんて、考えた人はイカレています」生真面目気質なティアナが、執務官の鏡みたいな口調でいった。

「いいや、私たちだって変わらないのかもしれない。だって、私だって家族や仲間の命と世界とを天秤にかけたなら、ぜったいに世界なんてどうにでもよくなっちゃうから。きっと一番大切だったものが人とは違った。それだけなんだ」どうも偏った価値観を持っているらしいフェイトが、執務官としてはあるまじき、でも母親としてはAAA+の発言。

「私は心かね。心だけは侵したらいけんと思う。それが誇りや命や、それこそ世界と引き換えでも」そんなの当たり前やろと、ケロリとした顔ではやて。

 ティアナは何が一番大切? 先輩二人が尋ねた。

「そりゃ命でしょ。人命第一。それが肉体の命でも、魂の命でも」スバルと出会う前だったらプライドとか、だったですけどねと、笑ってみせた。

「その大切な物が、今まさに犯されようとしとる」

「イチクラさんが悲しいのは嫌だからね。それに、彼女が悲しいとみんなも悲しいでしょ」

「いたいけな少女の心を犯すなんて、言語道断。ヴィータが悲しむのも嫌やしね」

「執務官たる物、困った人を救うのは当たり前のことです」

 結局は、みんな至極個人的ではあるけれど正義の味方なんだと言うことだった。

 

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