時空航行部隊とテレーゼ、そして市蔵ソラが交戦をしたという空にフェイト・T・ハラオウンが飛行魔法で駆けつけたとき、すでに全ては終わっていた。
バードランド分隊は負傷した市蔵ソラと共に輸送機で帰っていた。テレーゼとドローン達は遙か空の彼方へ飛んでいった。
フェイトはその場に唯一残っていた次元航行艦のデッキに降り立つと、執務官権限で戦闘の全容について調査を始めた。
若い管制官は言う。
「まともな戦いじゃなかったよ。あのカモメ共、無茶苦茶な速さで飛ぶんだ。もう一方的だったよ。しかも、戦いに出た武装隊の奴らは士官学校出たてのヒヨッ子ばかしで、最後の方はパニックになっちゃってどうにもならない状態だったらしい。まあ、本隊が任務終えたばかしで休息中の急な任務だったから仕方なかったんだろうけどさ。新人にあれはキツいよ」
初老の砲手は言う。
「あの青く光る黒い鳥、市蔵二等空士だっけ。最初は敵かと思ったが、よくよく見れば俺たちの盾になってるじゃないか。全ては彼女のおかげだ。彼女がいなければ全滅だったよ。それを武装隊の若造ときたら早とちりしやがって。えっ、無線か念話で伝えればよかったって?伝えたさ。でも、カモメ共のジャミングが強くて全く役に立たなかったね。オペレーターが慌ててたよ。鳥のくせに何で電子戦が出来るんだってね」
噂好きの整備士が言う。
「いきなり上のお偉方から命令されたんだってさ。"タカ"を『りく(陸上部隊)』の連中より一刻も速く見つけ出し、殺せってな。姉さんも気いつけな。あんまし嗅ぎ回ってると、上の連中に目つけられるぜ」
そして、冷や汗でずぶ濡れになった艦長は怯えながら言った。
「ゲオルグ・テレマン提督からの指令でした。『りく』より速く"タカ"を見つけ出し、最初からいなかったことにしてしまえと」
艦長は頭を抱えて「許してくれ」と懇願した。
「私の仕事は罪を見つけることです。罰を与えるのは別の人の仕事です」
フェイトは艦長の元を去り、そのまま甲板へと出て行った。そしてポケットから携帯端末を取り出すと暗記したナンバーを打ち込みコールした。
「もしもし、なんかあったん?」柔らかな関西の訛り。本局で実験小隊の残党狩りをしていた八神はやての声だった。
「ゲオルグ・テレマン提督が『うみ』の黒幕」フェイトは短く簡潔に伝えた。
「やっぱり。こっちもテレマン提督の影を踏んだところや。彼は今、クラナガンにいる。うちもシグナムとブルーノートを連れてミッドにとんぼ返り。とっつかまえに行くとこや。すまんけど捜査令状の方はそっちで揃えてもらえんか?」
「うん。大丈夫」
そして短い情報のやりとりの後、端末の通信を切った。
†
転送ポートで本局から地上本部に戻ってきた八神はやてとシグナムは、その足でゲオルグ・テレマン提督の執務室へと向かった。大きな窓のその部屋はクラナガンのビル群と同じくらいの高さで、テレマンは窓に写る街並みを背負うように革張りの椅子に腰掛けていた。
「"裏切り者部隊"の隊長さんが何の用かね?」
椅子の背に恰幅のいい体を委ねたまま、テレマンは言った。シグナムは不快そうに眉を寄せた。はやては仮面を被ったみたいに静かな顔だった。"裏切り者部隊"。管理局内を立ち回り、敵味方の区別なく犯罪を暴いてきた航空12部隊のあだ名だった。
「ゲオルグ・テレマン提督。あなたに管理局内記違反の容疑がかかっています。」淡々と告げるはやて。
「時空犯罪者を捕まえるのが、そんなに悪いことなのかね」開き直った様子のテレマン。
「捕まえるだけならお手柄です。でも、武装隊を殺し屋に仕立てて殺してしまえと言うなら、それは立派な犯罪です」
「"鳥"を殺して何が悪い。あれは人間ではない」
「野蛮ですね。ミッドチルダの法律では、飼犬を殺したって犯罪です。さあ、行きましょう。私たちも手荒なことはしたくありません。仮にもあなたは上官です」
努めて冷静に。厚い、厚い仮面をかぶってはやては言った。仮面の下は怒りだったかもしれない。あるいは涙。
"鳥"は人間じゃないやって?なら、うちの市蔵はどうなんや。
ギリリと歯を食いしばって、今にも溢れ出しそうな罵詈雑言を飲み込んだ。怒りの味は、腐った果実の味だった。
「まあよい。どうせ私の正義は法廷で証明される。私は正義だ。管理局という組織がそれを証明してくれるのだ」
「あなたの正義感は、管理局内だけのちっぽけな正義です。まだ私が捕まえてきた時空犯罪者のほうが、幾分ましな正義を持っていました。知っていますか?あなたの正義感の名前は"独善"。悪より質の悪い正義です」
ささやかな復讐。口にした、腐った果実を吐き出した。
テレマンが立ち上がる。そして何かどうしようもなく酷い言葉を喚こうとした時。
硝子の砕け、テレマンの胸が破裂した。
コンマ数秒遅れの銃声。背骨を砕かれたせいで、胸の辺りからあり得ない方向に折れ曲がりながら倒れ、そこに容赦のない第二射。次は頭が木っ端微塵に消し飛んだ。
全ては砕けた硝子煌めきが床に墜ちるまでの僅かな時間の出来事だった。
シグナムが乱暴にはやてを突き飛ばし、安全圏に避難させた。そして魔剣レヴァンティンを刀の姿で起動させると、砕けた硝子の窓際へと飛び出していった。
銀魔弾の煌めきを、シグナムの直感と魔術強化された瞳が捉えた。
とっさにレヴァンティンの刀身を盾に、そして衝撃、銃声。魔剣が大きくたわみ、純銀弾を弾く。砕けた弾丸の、銀粉末の輝き。落下する硝子の輝き。そしてその光の雨の向こう、クラナガンのビル群と、その屋上に立つ黒い男。
黒いスーツに黒い帽子。真っ黒なフィッシュテールコートをビル風にはためかしている。そのまま葬式にだって出れそうな黒尽くめが、真っ黒なライフル銃を掲げ、万有引力のように眠たく立っていた。
男がライフルの遊底を操作し、ボルトアクションの機構から空薬夾を排夾、銃身の薬室に新たな魔弾を送り込む。
シグナムは哀れな元ゲオルグ・テレマン提督を押しのけ、彼が噴き出す血の雨を突っ切り叫ぶ。
「レヴァンティン、ヴォーゲンフォルム!」
〈ヤー(了解)〉機械仕掛けの魔剣の電子音声、そして立て続けに二回の爆音。カードリッジが排夾され、その魔力で刀は大弓の形に変身した。
アーチャーとスナイパーの狙撃戦。
狙撃手は魚のような無関心で冷静さを保ち、狙撃スコープの十字架瞳(レティクル)でシグナムの心臓を見つめ、優しくトリガーを撫で、銀魔弾を解き放った。
シグナムは炎のような激情で恐怖を焼き払い、支えた火矢をギリリと引き、そして魔力と一緒に解き放った。
轟音。空気が膨張して破裂する音。火矢の炎が幾万倍に膨れ上がり、レッドドラゴンの火球と化して狙撃手を包んだ。そして彼のいたビルの屋上の何もかもを焼き払った。
銃声。火薬の炸裂で、薬夾の封印から純銀魔弾が解放された音。重質量高硬度を誇る弾丸は火炎弾を貫き、シグナムとはやてが協力して張った十七層の魔術障壁を全て抜き、シグナムの左胸に衝突した。
「感謝します。主はやて」
弾丸は止まっていた。シグナムの左胸を覆った氷の鎧、それに突き刺さり動きを止めていた。八神はやての氷結魔法、それは役目を終えるとピシリとひび割れ血の水たまりに落下した。
第二射を構えるシグナム、狙撃手の姿は無い。シグナムの炎で消し飛んだ、というのは無いだろう。純魔力炎、魔力のオーバーロードで激しい痛みに気を失うことはあれど、死ぬことは無いはずだった。恐らくは逃げたのだろう。
「皮肉やな」
心臓と頭を永遠に失ったゲオルグ・テレマンの側で呟くはやて。
「殺そうとしなければ、殺されんかったやろうに」
声は憐憫に濡れていた。死ぬことは怖かった。死なれることも怖かった。でも、それ以上に、恐怖で目が曇ることが怖かった。自分が迷えば、部隊も迷う。はやては航空12部隊を抱えていた。
「いくで。シグナム」
「はい」
歩き出す八神はやて部隊長。そしてその背中を追うシグナム分隊長。
二人は血の海と化した執務室を後にした。
†
明け方のクラナガン。とある病院の病室。ヴィータはベッドで眠る市蔵ソラの寝顔を見つめていた。
静かな寝顔、まるで死んでるみたいな。本来はキロメートルスケールの飛行を基本としているソラが『うみ』の武装隊の盾になるためにメートルスケールの飛行をした結果、脊髄のデバイスによる思考加速の代償だった。
ふと、ソラの睫が動いた。
「せんぱい、ですか?」眠そうな声。目を擦ろうとして、腕に刺さる点滴が邪魔で止めた。
「気分はどうだ?」
「最悪です。お腹は減ってるのに、食べたいと思えないんです」
「きっと点滴のせいだ」
そして突き出される林檎。「ちょっと食えば治るかもしんねぇ」。ヴィータの後ろには林檎の入ったダンボール箱、マジックペンで書かれた『航空12部隊一同』の文字。林檎は隊員の人数と同じ数だった。ソラは林檎を受け取り、
「林檎剥くの下手ですね」凸凹の林檎を手に、容赦のない一言。
「擦り林檎のジュースは得意だぞ」顔を赤らめ負け惜しみ。
「先輩のイメージにピッタシです」真顔で頷いた。
「ふうん、それってどういう意味だ?」
「何というか、こうグシャッと」
プロレスラーのデモンストレーションのポーズ。75キログラムオーバーの握力で林檎をグシャッとするポーズ。
「お前の頭もグシャッと」
ソラに迫る、ヴィータ魔の手。細く綺麗な手だが、マギ・ジェット・エンジンを内包した巨大突貫槌をぶん回すトランジスタ・マッスルな手。そして。
「うぎゃぁ」
間抜けな断末魔の声のソラ。「有り難く思え。元気を注入してやったんだ」とヴィータ。
お前はいつも一言多いんだよ。そう言いかけて、止めた。ヴィータはその余計な一言が、案外気に入っていた。鏡のように正直で、でもコミカルとシニカルで脚色された余計な一言。カレーライスのスプーンに映る、逆さまにひねくれた自分の顔みたいな気分。悲劇的な人生を送ってる癖に喜劇的な奴だなと、笑ってしまった。
「なにニタニタ笑っているんですか」
「カレーライスのスプーンだよ。お前によく似てるんだな、これが」
「人を食器に例えないでください。どれだけ食いしん坊なんですか」
「そうだな。このダンボールの林檎を一人で食べるのは辛いけど、お前と二人でなら美味しく頂ける位には」
果物屋で一番安い酸っぱい林檎共を指差し、ヴィータはそう言った。"あたしたちは背負わなきゃならない。でもそれは、誰かに背負わせないためにだろ"!そんな台詞を思い出しながら。
背負わなければいけない。速くも飛べず、高くも飛べず。しかしヴィータは背負うことだけは得意だった。重たいグラーフアイゼンを肩に担ぎ、副隊長という責任を背負い、敵陣に一番乗りし敵の敵意と憎しみを背負い、その全ての重みをグラーフアイゼンの一撃に乗せて打ち砕く。
重たい、重たい一撃。それがヴィータと突貫槌グラーフアイゼンのアイデンティティだった。
「酸っぱい林檎です。牛乳を足して、ミックスジュースにしてから、二人で飲みましょう。故郷で買ってきた美味しいジャージー牛乳があるんです」
ソラは林檎をかじりながら言った。
ヴィータが擦りおろし、ソラが買ってきた牛乳を混える。一人では酸っぱい林檎。二人だと美味しいミックスジュース。他人を背負うということは、そういうことなのかもしれないとヴィータは思った。
「それは、楽しみだな」
はにかみながら、ヴィータは言った。
それからしばらくは無言が続いた。ソラがシャクシャクと林檎をかじり咀嚼する音だけが病室に聞こえていた。そこにはソラ特有の、脊髄と融合したデバイスによる副作用の飢餓感は見受けられず、ただ酸っぱい安物の林檎の味を楽しんでいるようにヴィータは思えた。代謝機能と思考能力の加速。それは大量のカロリーと糖分を必要として、そのせいでソラはいつも飢えていた。
林檎はあっという間に、ソラの胃袋へと消えていった。
「そういえば、結局あの後どうなったんですか?」根っからの偵察兵。こんな時くらい休めばいいのにと考えつつ、しかしヴィータは「質問をどうぞ」と言った。
ソラが一番に気になったこと。それは、何故あの場所に『うみ』の時空航行艦がいたのか、と言うことだった。
「命令されたんだとさ。"タカ"を殺せ。そして、いなかったことにしろ。お前が考えていた通りの、証拠隠滅だよ」
「誰が命令したんですか?」
「表向きは艦長命令。曰わく、飛んでいたドローンの中に『うみ』のドローンが混ざっていたんだとさ。少なくとも武装隊はそう信じていた」
「全部、『りく』保有のドローンでしたよ」
「"タカ"は『うみ』保有のドローンだそうだ。だから『うみ』が責任もって墜とす。そう言ってやがった」
「嗚呼、くそ」
心底忌々しそうな"くそ"。私たちはドローンなんかじゃない。心を持った人間だ。
ヴィータは感心してしまった。こいつにも、こんな罵声が吐けるんだ。
「それで、その命令を出した奴の名前は?」
「ゲオルグ・テレマン提督」
「彼、64実験小隊と08防疫部隊の後見人だった人で、実質の立案者だったって。嗚呼、くそ!」
クロスワードパズルの空欄が埋まっていく感覚。空欄は全て8文字、ゲ・オ・ル・グ・テ・レ・マ・ン。
全ての黒幕はテレマンだ。実験小隊を作ったのはテレマンだ。実験小隊が堕ちた後、テレーゼを拾ったのもテレマンだろう。そしてテレーゼを"タカ"にした海上プラント、そこを出入りしていた元実験小隊の研究員もテレマンの差し金なんだろう。
しかし、"タカ"は逃げ出した。
"タカ"が見つかれば、テレマンの悪行も全て白日の下に晒される。だから全てを無かったことにしたかった。『うみ』の不自然な介入。航空12部隊を先回りして現れた次元航行艦。嘘の命令で殺し屋に仕立てあげられた武装隊。嘘の正義で墜ちていった人たち。
嗚呼、くそ。
「提督は今どこですか?今から一発ぶん殴りに行ってきます」
「死んだよ」
「嘘でしょう」
「本当だよ。純銀弾で頭と心臓を撃ち抜かれてな。そんでもって、その後はやてとテスタロッサの二人にたれ込みがあった。
『僕はスイユ。かつて管理局特殊火器猟兵集団に勤めていた者だ。そしてテレマン提督とあなたちを撃った狙撃手でもある。あなたたちが広い正義を持った人たちだと見込んで、テレマン提督の罪の証拠をあなたたちに渡したい。時間がない。出来るだけ早くに返事をくれ』
そう言っていたらしい」
スイユと名乗った男の伝言、それは航空64部隊実験小隊の暗号通信で、フェイトとはやてのプライベートな携帯端末に送られてきたボイスメールだった。
「あたしが知っているのはここまでだ。ほかに知りたいことがあれば、はやてかテスタロッサに聞いてくれ。今頃事件の真相を暴くべく、かけずり回ってるだろうから」
優秀な執務管であるフェイト・テスタロッサ・ハラオウンとティアナ・ランスター。特別捜査官資格持ちの部隊長である八神はやて。彼女らは『うみ』で『りく』で実験小隊の影を追い、捕まえ、尋問し、また追うということを繰り返していた。司令塔で黒幕であるテレマン提督の亡き今、その下で動いていた協力者たちは証拠を消すのに忙しかった。消される前に見つけ出す。そのための捜査だった。
「きっとあと二、三日は犯人逮捕で忙しい。狙撃手の持ちかけた取り引きとテレーゼの対処についてはしばらく保留だ。だから、お前は休んでろ。沢山寝て、傷を治すんだ」
しかしソラは「無理ですよ」と言う。
「頭が焼け付いているんです。眠れません」
それは単純に傷の痛みや高速飛行からくる行き過ぎた疲労から来るもののだったのかもしれない。しかしヴィータは"違う"と思った。
"鳥達"に撃たれた。飛行魔導師に撃たれた。ソラにとってはどちらも翼を持った仲間だったのだ。その仲間たちから撃たれ、罵声を吐かれ、叩き落とされ。それでも守ろうとしたのだ。"
軽くあれ"といつも願っていたソラが人の命を背負い、そして一緒に墜落した。その重力の加速度が忘れられないんだろう。
「ザィト・ウムシュルンゲン・ミリオーネン。ディーゼン・クス・デル・ガンツェン・ヴェルトゥ(幾百万の人々よ、いだきあえ。この口づけを世界の全てに)」
歌ったのはヴィータだった。静かに、なだらかに、鼻にかかった歌声のルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン。歓喜の歌、喜びの交響楽。バス・トロンボーンが合唱を導くなだらかな旋律だった。
「お前、ベートーヴェンが好きだろう?子守歌がわりだよ。バードランドの子守歌だ」
そう言ってから、ヴィータはソラの頭を抱きしめ、歌詞の通りに彼女の額にキスをした。
この子は暴力と罵声の中から帰ってきたんだ。抱きしめてやらなきゃならない。キスしてやらなきゃならない。
「ブリューデル・イューベルム・シュテールネンツェルトゥ・ムス・アイン・リーベル・ファーテル・ヴォーネン(兄弟よ、星空のかなたに。かならずやいとしい父は住み給う)」
ソラは歌った。そして姉妹みたいにヴィータと抱き合った。歌声は甘く濡れていて、遠い昔に捨てたはずの涙の匂いがした。
真夜中の病室、天体達の眩しい夜。
バードランドの子守歌はいつまでも聞こえていた。