しんしんと、細雪が静かに降り仕切っている。
音1つなく、風もなく、まるで周りの時が止まっているようだった。
なんとなく、後ろに気配を感じて振り返る。
ポケモンの上に乗ったポケモンが、じっとこちらを見ていた。
ポケモンを乗せている方は漆黒の体。
ほっそりとしなやかな4本の足は地面から浮いていて、足から離れた蹄だけが地面を捉えていた。
風もないのに、緩やかに紫のたてがみがゆらめく。
ポケモンに乗っている方は小さな体に大きな頭。
真っ白な体は乗っているポケモンとは対照的。
体を覆うマントは頭や首元と同じ、深い深い緑色。
「あなたは、誰?」
「ヨはバドレックス。豊穣の王と呼ばれし者」
「バドレックス……」
どこかで聞いたことがある気がした。
「人の子、いや…………いや、人の子よ。少し、ついて来てはくれぬか?」
「……そこに、ヤバチャは、あのコはいるの?」
「あぁ、オヌシが誰を探しているのかはわかっている。必ずや連れて行こう」
「……わかった」
バドレックスが山の方向へゆっくり進み出した。
そのすぐ真横を歩く。
「ただ歩くのも所在ないであろう。問わず語りになるが、少し話を聞かぬか?」
「……はい」
「……このガラルには三度、空に大きな渦が現れたことがあるのだ。はじめは、人間の歴史で言うと今から2万年ほど前。ふたたびは、今から1500年ほど前。そしてみたびは500、600年ほど前」
「ふーん、それって今も空にあるあれ?」
「まさにあの渦である。はじめの渦は、ザシアン、ザマゼンタ、そしてヨも共に戦って、ムゲンダイナ、あの宇宙からの来訪者を地下に封印した。しかし、それから2万年のうちにヨは人々から忘れ去られた」
「どうして忘れられたの?」
「それはいろいろな理由があるであろう。ヨがかつてこの愛馬レイスポスや、もう一匹の愛馬ブリザポスを御するのに使っていたキズナのタヅナを作る輝く花が足りなくなったこと。ヨが力を失い、土地を豊かにする力を失ったこと。人間の科学が進歩したことで信仰が必要なくなったこと。……運命づけられたように様々な要因が重なったのだ」
「そして、2万年の時が経って、1500年前。1人の人間がムゲンダイナ復活させた。ヨの力も完全に失われ、もはやこれまでかと思われたが、2人の勇者と呼ばれる人間——ユウリとホップがザシアンとザマゼンタを目覚めさせたことでムゲンダイナを再び封じることに成功した。オヌシもこの話は耳にしたことがあるであろう?」
「うん、聞いたことある」
「……500年前。ガラルのエネルギーが尽きつつあった。そして、何者かが当時の1000年前、今から1500年前と同じようにムゲンダイナを復活させたのだ。3度目はもうなかった。ヨの力も1度は戻ったもののこの頃には失われかけていたうえ、ザマゼンタが行方不明の状況でムゲンダイナには敵わなかった。ザマゼンタの消息は今もわからぬ。時空が歪んだとしか考えられぬのだ。とにかく、人々はムゲンダイナを恐れて地下へと逃げ込んだ」
「しかし、エネルギーが尽きつつある状況で地下で長く暮らしていく事は難しかった。数百年は持ちこたえたものの、もう今人間はこのガラルの地からほぼ消え去ってしまった」
「ふーん、そんなことが」
「ただ、カンムリ雪原だけはヨの力で守ることに成功したのである。カンムリ雪原にずっといたオヌシにはその影響が少なかったようであるな」
「そっか。ヤバチャを守ってくれてありがと」
「王としての使命であるゆえ。……それより」
「……?」
パドレックスとレイスポスがこちらに向き直った。
「オヌシはよくがんばった。そろそろゆっくり休むが良い……」
バドレックスが手をかざすと、レイスポスがこちらに真っ黒な塊を飛ばした。
「……っぁ」
急激に声を出せないほどの眠気に襲われた。
ふわりと宙に浮いたように意識が朧になって、弾けた。
「ヨはオヌシに1つ嘘をついてしまったな」
「……オヌシも含めて、人はもうおらぬのだ。オヌシの本当の姿は、空中に揺れる、この青白いヒトダマでしかない」
「あのコ、とやらに会う以前の記憶は眼底を払ってしまっているが、それでも悠久の時を過ごしたのだ。もう良いであろう」
「これがオヌシの体だ。残された紅茶のように冷え切ってしまっているが、氷漬けになっているおかげで、ずっとずっと綺麗なままここに横たわっている」
「2万年前、ヨはあの忌まわしき隕石から森を守るため、こんこんと雪の降るこの雪原に森や森に住む生命を動かした。他の場所に動かしては生命の数が多くなりすぎる。苦肉の策であった。しかし、あの温暖な森からいきなりこの寒冷地にうつされた生き物たちがすぐにこの環境に適応できるわけはなかった。確かに隕石からは救ったが、ヨの行動によって、多くの生命にその命を落とさせてしまった。……嘆かわしや」
「思えばこれもヨが力を失ってしまった原因かもしれないな。せめてもの罪滅ぼしにとこの地を豊かにしてみたが、それも長い間にわたっての成功はなかった。レイスポスが成長してヨに従ってくれるようになったおかげで力は取り戻せたが、それも遅かった」
「ヨは、力不足を感じてばかりだな……」
「……さぁ、この魂を送ってやりなさい、レイスポス。私の代わりにこの魂を乗せて」
ふわりと音もなく、しかし風を切り割くような速さで、前へ前へと進んでいく。
あたりは何一つ目に映らない真っ暗闇だった。
この先であのコに会えるのかな。
期待と不安がないまぜになって早まった鼓動を押さえるみたいに、レイスポスの首筋に体を押し付ける。
不意に目の前に明かりが灯った。
真っ赤な光に照らされて目の前に現れたのは、赤い光の中でもわかるくらいに鮮やかなピンク色のティーカップ。
「ちゃば」
周りの光を反射して星型の模様がキラリと光った。
まるで見たことのないものを初めて見た時のような、好奇心にキラキラと輝いていて、でも邪気を感じない純粋な透き通った瞳。
ヤバチャはふよふよとこちらに近づいてくる。
取り憑かれたように自然と手を前に伸ばしていた。
右手がティーカップの胴部分に触れる。
当然あるべきもののような滑らかな動きで、左手の指をハンドル部分に通す。
「ちゃばちゃちゃばちゃ!」
「…………ぁあ」
声にもならない恍惚の声が漏れる。
ヤバチャは笑顔になって体を大きく揺すった。
チラリと見えた高台の内側には2つの丸と2つの三角が合体した奇妙なマークがついていた。
「……やっと」
ヤバチャはティーカップの中身を見せてくる。
赤みがかった紫の美しい液体の中に清廉な純白のミルクが渦巻いている。
ヤバチャが唇に自らの口縁を押し当ててきた。
されるがままに中の液体をひと口含む。
ドクン——
鼓動が突き上げてきて全身を駆け巡った。
カップから口を離してヤバチャと見つめ合う。
「……やっと、また会えたね」
ゆめかなえし ヤバチャ