「buzzzzzzzzzzzzzz」
いきなりポリゴンZが異音を立て始め、私の意識は過去から現在に引き戻された。
「どうした?」
「rrreceivvvvved commmmanddd」
カクカクとぎこちなく右に首を動かしたかと思えば、いきなりぐるぐると左に猛回転し始めた。
「needtoreturn!needtoreturn!needtoreturn!」
急浮上してポリゴンZは真っ暗な夜空に飛んでいってしまった。
あまりに唐突の出来事に、しばらく呆然とする。
……一体なんだったんだ。急にいなくなって。
それに、話はもうすぐ終わるはずだったんだがな。
聞いてくれているなんて思っているわけではなかったが、最後まで話させて欲しかった。
昼間のサーナイトといい……ままならないものだな。
——貴女は今、何をしているんでしょう。
日没からずっと遅れて昇り始めた薄い薄い月が焼け石に水程度に照らす、暗黒の夜空を仰ぐ。
ふいと目が覚めて起きたら、貴女がいましたね。
——あ、起きた?
いつもと変わらない明るい声で、覚醒しきっていなかった頭が完全に起きました。
顔を上げると、貴女は真っ赤なアメを口から外して。
少しだけ申し訳なさげな顔をしながら、にっこり微笑んで。
——アメ、持ってきてくれたんだよね。探すの大変だったでしょ。……ありがとね。
貴女は全部全部見抜いていました。
——ね、お願いがあるの。
貴女は少し真剣な顔。
なに、と返すと、貴女のお願いは、部屋の扉をしばらく開かないようにすることでした。
当時覚えたばかりのわざ「ふういん」で扉を固定しました。
——ありがと。そしたらこっち来て
言われるがままベッドの横に立つと、貴女はいつも着ていた白衣を脱いで。
——ほら、後ろ向いて。そう、そのまま手を通して。右手はごめんね痛いかも、これで腕通るかな。
ぬくもりの残ったその白衣を、着せてくれました。
——こっち向いて。……よし。似合ってる。
うんうんと小さく頷いてから、今度は右手の時計を外し始めて。
——ほら、これもつけてあげる。
左手に貴女の重みを感じる腕時計がつけられました。
いきなりどうしたんだろうと困惑していると、それもわかっているという風に説明してくれましたよね。
——それを私だと思って、ずっと持っててくれたら嬉しい。
貴女は、涙ぐんでいるのを我慢するような、辛そうな笑顔。
別れを察するのくらい容易でしたから、首を横に振って抵抗しました。
——お願い。持っていて。
今にも笑顔は壊れてしまいそう。
でも、引き下がることはできなかった。
ずっと一緒にいたい、と。拙いニンゲンの言葉の語彙で伝えました。
貴女の笑顔のダムはついに決壊して。
くしゃくしゃの泣き顔で、貴女は叫びましたね。
——逃げなさい! ここにいちゃダメ……‼︎
——ここからずっと東の方に、ポケモンだけが住む森があるの。そこまで逃げなさい。東は、もうわかるよね?」
初めてみる貴女の表情に驚いたことは、今でもよく思い出せます。
それでも別れることなんてしたくなくて貴女の腕にしがみついたら、貴女は力なく首を横に振りましたね。
——ここから、出ていって……!
——じゃないと、あなたはこのまま実験ポケモンとして使い捨てられちゃうから……。早く……。
聞くに耐えない、震え声でした。
病院の真っ白なシーツに、次々とシミが作られて。
もう選択の余地はありませんでした。
頷いて、少し貴女から離れて。
そして、テレポートを発動しました。
サイコパワーの桃色に包まれる視界の中で、最後に見た貴女の顔。
忘れません。
涙に濡れながらも、私のことを思った、慈愛に満ちた優しい笑み。
忘れられません。
貴女の意思を反故にはできなくて、それから二度と貴女に会うことは叶いませんでした。
省略した部分も多々あれど、これが私とアビスの全て。
……アビスとの最後を思い出すと、やっぱりどうにも涙が堪えられないな。
とっくに枯れたと思っていたのに。
ポリゴンZが消えていった、上空の闇を見つめる。
……嫌な予感がする。
どうしてだか、全くわからないが、背中から黒くおぞましいものが這い上がってくるような、そんな気持ちに駆られた。
抑えきれなくて、誰にともなく、問いかける。
……未来を、視ますか?
——いいえ。
どんな惨い未来が待っていても、受け入れようじゃないか。
黒い雑念を振り払って、私は横になって眠りに就いた。
翌日。
腹に響く足音の数々を受けて、私は目を覚ました。
「あそこよ!」
足音たちは、真っ直ぐこちらに向かってくる。
どうせこちらにくるのなら、私が動く必要はあるまい。
私はゆっくり起き上がって、洞穴の奥で静かに座っていた。
みるみる間に洞窟の入り口に、ポケモンたちが集結していく。
ニドクイン、ガラガラ、ハハコモリ、マフォクシー……。
森に住む親のポケモンたちばかり。
マフォクシーは、もしかするとあのフォッコの母親だろうか。
その先頭に、サーナイトが降り立った。
「森の子供に危険思想を植え付けるのをやめなさい!」
サーナイトが高らかに宣言する。
そうだ、だの、やめろ、だの、後ろのポケモンたちも口々にヤジを飛ばす。
「危険思想というのは、ニンゲンのことか?」
「当たり前でしょう!」
サーナイトが腕を振り払って一蹴すると、今度はマフォクシーが前に出てきた。
「うちの子なんて、ニンゲンの街に行ってみたいって言い出したのよ!! そんな、死にに行くようなこと……」
いくつもの視線が私を睨んで突き刺す。
「……私は事実を伝えたまで。歪んでいるのは、この森の風習です」
矢も盾もたまらずに、といった表情で、後ろのニドクインがヘドロ爆弾を放ってきた。
光の壁で難なく防ぐ。
「私たちはあなたを、ニンゲンと同じように討伐するつもりで来ました。この森を出て行かないというのであれば——殺します」
そう言い放ったサーナイトの目に躊躇いはなかった。
「……森のポケモンたちは、簡単に命を散らすように、教えられていくんだな」
低次元な皮肉しか、言うことができなかった。
エメラルドグリーンの矢が空間を切り裂いて飛んできたのを、同じくサイコショックで撃ち落とす。
「簡単に、ではありません。私たちならともかく、森全体の子供の命の危機となれば、見過ごすことはできません」
外の殺意が洞窟になだれ込んでくれば、抵抗の隙すらなく殺されてしまうことくらい誰にでもわかった。
「……いいだろう。ポケモンを殺した親を持っては子供もかわいそうだ。私が、出ていこう」
洞窟の入り口に光の壁を展開する。
作られた1人の空間。
——私はもうこの世界には不要。……どこへでも、飛んで行こうじゃないか。
ポリゴンZになんとなく全部話したくなったのはこのためか。最後に全部が思い出せて、よかった。
テレポートを始動する。
まだケーシィだった頃以来の、座標指定をしないテレポート。
あの時とは桁違いのサイコパワーの量を持ってすれば、この世界のどこに飛ぶかもわからない。
これくらいの大博打が今の私にはお似合いだ。
——パリン。
駆けつけた親たちを全て止めていた光の壁が、突如破壊された。
私も驚いてテレポートを中断してしまう。
「フーディンさん!!」
「おいフーディン!」
それは、ここ数日でよく耳にした声。
飛び出したリオルの手刀はオレンジ色に輝いている。
恐らくかわらわりでひかりのかべを破ったのだろう。
あまりに唐突な出来事に、親たちでさえ置物のように唖然としていた。
そんな光景の中、リオルとモノズは目一杯に息を吸って。
「僕、フーディンさんのお話、忘れません!」
「俺もおまえの話、楽しかった‼︎」
胸がいっぱいになる、というのはこの感覚だろうか。
息が詰まって、少し喋ることができなかった。
「……確かに悪いニンゲンがいるのも事実だ。……だが。彼らとて、私たちと同じように心を持っているんだ」
「ニンゲンもポケモンも、同じなんだッ‼︎」
我ながらしわがれた声で、精一杯叫び返した。
間髪入れずにテレポートを再開する。
我に返ったサーナイトに慌てて引き寄せられるリオルとモノズを最後に、私の視界は桃色に染め上げられた。
……ここは?
暗い。
冷たい。
水の中……深海だろうか。
海中は予想していなかったな。
最後の最後まで科学に溺れたままの自分には、お似合いの死に方かもしれないな。
走馬灯のように……ではないな。
走馬灯が。アビスとの暮らしの日々が脳内をすさまじい勢いで駆け巡る。
それから、少しだけ、森のポケモンたちと関わった記憶も。
真っ暗な世界の中、できないとわかっているのに浮かび上がりたくて。
私は沈み行く方法と反対側に真っ直ぐ手を伸ばした。
そして、私は目を疑った。
上から腕を真っ直ぐ私へと伸ばして沈んでくる、人影。
真っ黒に塗りつぶされた深海を割く満月のように白い肌。
うっすらと朱に染まった小さな頬。
優しく曲がった瞳の下には、不摂生で消えることのない隈。
アビス。
あぁ、やっと。
やっと会えた。
長かった。
もう二度と、会えないと思っていた。
会えた。
心の器が温かい色の感情でぐちゃぐちゃに溢れて、訳がわからない。
なお沈み行く私にアビスは追いついて、優しく抱きしめてくれた。
温もり。
この世で一番安心できる場所。
顔は私の横にあるはずなのに、あの慈愛に満ちた笑みが瞼の裏に焼きついて離れない。
腕をアビスの背中に回して、顔を肩に寄せると、目が燃えるように熱くなって。
涙は、真っ黒でとても温かい科学の海に混ざって消えていった。