双頭のスプーン   作:クロサナ

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晦日月

現実に引き戻されるような浮遊感がした。

 

目覚めたのだと遅れて理解する。

 

少しためらってから目を開けた。

 

外は一面の曇り空で時間は少しわかりづらかったが、外の明るさからして朝早くというわけでもないだろう。

 

少し寝過ぎてしまったようだ。

 

子供たちがくる前に話をまとめてしまわなければ。

 

きのみを取りに行って腹ごしらえをしてから、岩の上で子供たちにする話をまとめ始める。

 

しかし、まだ煮詰まり切らないうちに外がざわつき始めた。

 

洞窟から外に出ると、小さな4つの影がこちらに近づいてきた。

 

私が4匹を見つけるのと同時に4匹もこちらを見つけたようで、4匹は小走りに近づいてくる。

 

私も左手を振ろうと持ち上げた。

 

しかしその手は腰よりも上に挙げられることはなかった。

 

私と子供達の間の空間がぐにゃりと歪んだ。

 

エメラルドグリーンの光点がいくつも現れ始める。

 

しゅぴん、風を切る音がした。

 

鮮やかなパステルグリーンの頭から、真っ赤な瞳がこちらを射殺さんばかりに視線を送っていた。

 

「やはり、あなたでしたか」

 

目の前に現れたのは、サーナイトだった。

 

「……また会いましたね」

 

「よくそんな口がきけましたね。私たちのところの子たちを洗脳しておいて」

 

「違う‼︎!」

 

叫んだのは私よりももっと若く荒い声。

 

「モノズ。あなたも今は洗脳されているだけよ。さぁ、帰りましょう」

 

ぴしゃりとモノズの言葉が打ち払われる。

 

「違うよサーナイトさん!」

 

「僕たちフーディンさんに頼んだんだ!」

 

「そうです! ニンゲンのこと、たくさん教えてもらったんです!」

 

ニンゲン。

 

その言葉が聞こえた瞬間に、子供達の方を向いていたサーナイトの首がぐるりと回った。

 

今にも殴りかかってきそうな目のままサーナイトは口を開いた。

 

「流石ですね。洗脳に隙がない。どんな話術なのですか? それとも、こういう力ですか?」

 

サーナイトがこちらに右手を振りかざした。

 

頭の中でいくつもの光が宿るようなそんな違和感がした。

 

……催眠術か。

 

催眠術だとバレてしまえば、催眠術に効力はなくなる。

 

軽く頭を振って、返事をした。

 

「残念ながら私含めフーディン族にはあなたがいま使ったような力は使えないよ。あなたのところにはケーシィの子供はいないのかい?」

 

「くっ……」

 

漫画なら額に青筋でも浮かんでいそうな苦悶の表情を見せるサーナイト。

 

体は完全にこちらを向いて、臨戦態勢だった。

 

「改めてお聞きします。この子達に危険思想を植え付けているのはあなたですか?」

 

「その質問にわざわざYesと答えるポケモンもニンゲンもいないだろう。もちろん私だってそんなつもりは毛頭ない」

 

「ここ最近この子達が毎日どこかへ遊びに行って、暗くなってから帰ってくるから、おかしいとは思っていたんです。まさかこんなことに巻き込まれているなんて……」

 

「巻き込まれる? 私は求めに応じただけ。他意はないよ」

 

「私たちを害する存在について教えておいて、ですか?」

 

「それは都合の良すぎる考え方だね。ポケモンだってニンゲンの畑は荒らすし、建物は壊すし、ニンゲンの活動を妨げてばかりだ。でもニンゲンはポケモンと共同生活しようとしているんだよ」

 

「得体の知れないものの中にしまい込んで連れ去って、共同生活ですか? 都合のいい共同ですね」

 

「モンスターボール……あれは確かに悪い使われ方もされるかもしれない。ポケモンとニンゲンが協力する中でなくてはならないもの。ポケモンを大切に守る、ニンゲンの思いやりの形だよ」

 

「ニンゲンがポケモンをちゃんと守っていたら、生まれたまま捨てられる子供なんていないんです……ッ」

 

「守られなかった子も確かにいるだろう。でもそれは全てのニンゲンの所業じゃない」

 

「ポケモンに危害を加える個体がいる時点で、ニンゲンは敵でしょう」

 

「ニンゲンたちとてそれを良しとしているわけじゃない。ちゃんとポケモンを守ろうとしてくれているんだ」

 

「ニンゲンたちの考えなんて知りません。私はこの子たちにもう同じ思いはしてほしくない、それだけです。これ以上あらぬ話を焚き付けないでください」

 

「少なくとも私は事実しか聞かせていないし見せていないよ。話はともかく虚偽の映像を作り出す技術は私にはない」

 

私はサーナイトから目を離した。

 

サーナイトが庇うように後ろに隠す子供達をじっと見据える。

 

「キミ達、見ただろう! アビスのあの嬉しそうな顔を……」

 

「やめなさい‼︎」

 

怒りと悲痛さが絡み合った金切り声が響いた。

 

「……とにかく。もうこの子たちには近寄らないでください。それだけです」

 

しゅぴんとまた風を切る音。

 

反論の隙も与えずに、サーナイトは子供を連れて去っていった。

 

「…………」

 

しばらく私は子供達が先ほどまでいた虚空を見つめていた。

 

心に風穴が空いたような気持ち、とはこういう気分のことなのだろうか。

 

自分が思っていたよりも、あの子供たちへニンゲンの話をするのは楽しかったようだ。

 

それは多分、惰性に生きていたこの森での生活が、目標が生まれたことで少し変わったから。

 

たった数日間とはいえ、「やるべきこと」があったから。

 

でもそれも今日で終わりだ。

 

またあの子供たちが抜け出してここまで来る可能性だってないわけではない。

 

しかしそれはないだろうと、根拠はないがそう感じていた。

 

右手の肉塊に刺さるスプーンを見る。

 

2つのスプーンに移る2つの自分の顔は上下反転して宙吊りにされているようだった。

 

歪んだ顔を見ていられず、私は空を仰いだ。

 

空はまだ白黒はっきりしない微妙なグレーでいっぱいだった。

 

私は何か間違っていただろうか。

 

ニンゲンとポケモンが一緒に生きていくというのは間違っているだろうか。

 

……いや。いがみあって生きるより寄り添って生きる方がいいに決まっている。

 

一度凍ってしまった関係はそう簡単に溶かせるものではない。

 

それこそ私1匹の力では到底及ばない。

 

それでも、私があの子供たちに話した言葉が少しでも子供達を突き動かしてくれれば。

 

私が起こした小さな波があの子供たちに伝わって、また先へ伝わって、そうやって広がっていけば。

 

少しずつ広がって大きなエネルギーが集まれば、きっと凍った関係も温めて溶かすことができるはずだ。

 

だから、私は間違っていない。

 

間違ってはいないはずだ。

 

……起きてそう時間が経ったわけではないが、少し疲れた。

 

一旦寝ようか。

 

定位置に体を横たえて、私は目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

ふと目が開いた。

 

自分が先ほどまで寝ていて、今起きたのだということに遅れて気づく。

 

夢は何一つ見なかった。

 

見なかったのか、見られなかったのか。実際はノンレム睡眠中に夢を見ていて覚えていないだけだろうが。

 

外はもう暗がりを作り始めている。

 

ひとまず外に出て、空を仰ぐ。

 

太陽は既に事切れていた。

 

少しずつ暗闇が注がれて空は見るたびに暗く生気を失っていく。

 

特にすることもない。散歩にでも行こうか。

 

私は空中に浮上した。

 

当てがあるでもなくふわふわと空中を進んでいく。

 

木の葉の一つが揺れる風も吹かず、風に身を任せることもできなかった。

 

それどころか、生き物がみんな死に絶えてしまったように錯覚されるほど、やけに静かだった。

 

あるいは時間が止まったような、そんな空間を何も考えずに漂い続ける。

 

ふと空を見た。

 

雲はほとんどない。

 

代わりに、月もそこにはなかった。

 

下弦を過ぎた月が登り始めるのはもっとずっと深夜だ。なくて当然。

 

あったところで細い月では光の足しにもならないだろう。

 

アビスとよく散歩に行くのも、このくらいの時間だった。

 

昼の間の研究データをまとめたりする作業がひと段落する時間。

 

家から外に出た瞬間吹き抜ける柔らかな風が好きだった。

 

あの時は月のない夜も人工灯が世界を明るく照らし出していた。

 

今言ったとて無い物ねだりにしかならないが。

 

懐かしい。

 

こうしていい思い出だけに浸ることができるのは、幸せなのかもしれない。

 

嫌だったこと。ニンゲンの嫌なところ。たくさん見てきたはずなのに。

 

子供達には一切伝えなかったニンゲンの側面。

 

嘘でこそないが完全な真実でもないことしか伝えなかった私は、確かにサーナイトの言う危険思想を植え付けていたのかもしれない。

 

ニンゲンは危険なのか?

 

この右手はニンゲンによって壊された。でも、アビスは危険ではない。

 

わからない。

 

——ジジ……ジ……lost

 

ふと耳に聞き慣れない音が入ってきた。

 

遥か上空。見上げると、不審な物体が浮いていた。

 

青。赤。青。……赤。

 

手と脚、胴体、頭がバラバラに離れて、それぞれが独立して浮かんでいた。

 

そんな奇妙なポケモンだが、見るのは初めてじゃない。名前は確か、ポリゴンZ。

 

ポリゴン2にあやしいパッチを使うことで進化する姿。

 

ポリゴン2があやしいパッチによって壊されて生まれてしまった、心を持たない器。

 

アビスはポリゴン系列が苦手だった。

 

ポケモンのくせに生きている感じがしない、と言っていた。

 

——科学者はね、ポケモンとニンゲンの手の取り合い方を探す仕事だよ。

 

なんで嫌いなんだと尋ねた時、これだけをアビスは言った。

 

『ニンゲンがポケモンを作るだなんて、ニンゲンがポケモンを都合の良いように利用しているだけ。そんなのは科学者じゃない』……とかそんなことを言いたかったんじゃないかと今では思う。

 

とにかく、目の前をふわふわと漂っているだけのコイツは可哀想なポケモンだ。

 

私とよく似ているという意味でも、心を持たぬという意味でも。

 

なぜ研究所から出てここにいるのかもわからないが、助けてやろうじゃないか。

 

「おい、どうした。お前はこんなところにいるポケモンじゃないだろう」

 

話しかけると、ポリゴンZは顔だけをくるりとこちらに向けた。

 

「ジジ……stranger」

 

……学者同士の共通言語。

 

どう音を出しているのか、ポリゴンZの体の仕組みは不明だが、科学者が扱いやすいように習得させたのだろう。

 

この言語を習得するより先にニンゲンの世界を出てしまったから喋ることはできないが、簡単な言葉なら聞き取れる。

 

「フーディンだ。お前はなぜここにいる」

 

一言も発さずに首をぐるぐると回転させるピエロを見ているうちに、私の口から言葉が突いて出た。

 

「……なぁ。時間があるなら、私の話を聞いていかないか」

 

それはただの思いつきだった。

 

ニンゲンに作られたこのポケモンならばなにを聞かせても構わないだろう、という気持ちもあった。

 

何も言わずそのまま去ってしまうのではとも思っていたが、ポリゴンZは私を見つめてきた。

 

話を聞いてくれるのだろうか。

 

少しホッとした。

 

「そうか。ならば、ついてきてくれ」

 

流石にここで浮きながら話すことはサイコパワー量的に無理がある。

 

住処に戻ってゆっくり話をしたい。

 

チグハグなピエロのようなポケモンは、私からポケモン3匹分離れて後をついてきた。

 

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

「cave」

 

「……あぁ。入ってくれ」

 

警戒するようにも見えるそぶりで入ってくるポリゴンZを尻目に、私は定位置の石の上に座った。

 

「……ここで話すのは初めてではなくてな。今日までは来ていたのだが、たぶんここで話すことはこれが最後になる」

 

最後になる。別にそう決まったわけではない。

 

だが、なんとなく、勘がそう告げていた。

 

ぐるんぐるんとポリゴンZの頭が激しく回転する。

 

「…………」

 

私は自分の右手——右肉塊を見つめた。

 

「さぁ、話そう」

 

「las…………」

 

 

「私が今まで見てきた、全ての過去を」

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