双頭のスプーン   作:クロサナ

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三日月

……私の醜い思想の話などどうでもいいな。

 

他に、何を話そうか。

 

子供達に隠してきたこと……アビスとの思い出……。

 

たくさんありすぎるな。あまりにも。

 

そうだな、取り留めがなくなるかもしれないが、できごとの話をいくつかしよう。

 

お前はテレポートのこと、知っているな?

 

……まぁいい。お前が——戦闘用プログラムが、ポケモンの技を知らないわけはないだろうからな。

 

今から話すのは私が初めてテレポートを使えるようになったときの話だ。

 

まぁ、この時の私に物心はなかったがな。

 

みらいよちを応用すれば、私に物心がつく前、私が生まれる前の過去も知ることができる。

 

それに気づいたとき、私はアビスの全てを見た。

 

何度も何度も見た。

 

私が見る夢のほとんどが、私が過去を覗き見たときに目の当たりにした光景になるくらいにな。

 

私はもう、アビスの死に際以外の全てを知っている。

 

アビスがどんなニンゲンからどんなニンゲンになったのかも、全部。

 

……初めてのテレポートの話だったな。

 

私が見たことを話そう。

 

 

少し蒸し暑い、雨が降っている休日だった。

 

研究の成果は上々で、アビスは落ち着いていた。

 

上機嫌にアビスがパソコンに向かう傍で、まだケーシィだった私は、窓の外の水溜りをじっと見ていた。

 

もうその時のことは覚えていないが、雨粒がぶつかって波紋が広がる様子でも面白がっていたんだろう。

 

窓に引っ付いて熱心に水溜りを見ていたんだが。

 

いきなり窓の外が眩く発光した。

 

雷が鳴ったんだ。

 

びっくりして空を見上げた瞬間、私の体を振動が突き抜ける。

 

雷の凄まじい音を聞いたのはその時が初めてでな。

 

音が全部聞こえるよりも前に、私は反射的にテレポートした。

 

これが初めてのテレポートだった。

 

テレポート先は冷蔵庫の上。

 

初めてのテレポートで自分が何をしたのかわからなかったのか、その時の私はどこに自分がいるのかもわからない様子だった。

 

冷蔵庫の上は部屋のライトの照らしてくれない暗がりだったし、先ほどの雷の音も、怖かったんだろう。

 

私は震えながら縮こまっていた。

 

一方のアビスは、

 

——おー、割と近いな〜。見えてから聞こえるまで1秒もなかった。

 

なんて呑気に言っていた。

 

——ケーシィ大丈夫……あれ……いないっ!?

 

少し遅れて私がいないことに気づいたアビスは必死に私を探してくれた。

 

部屋中をドタバタと走り回って私を探す。

 

——ケーシィ!! どこにいるの? ケーシィ!? 

 

探しているうちに、ふとアビスが何かに気づいたように顔を跳ね上げた。

 

ーーあれ、今声……ケーシィ?

 

アビスは声と言っていたが、過去を見ていた私にはケーシィの声は聞こえなかった。

 

多分これが最初にテレパシーを使った時だったんだ。

 

今でこそニンゲンの言葉でテレパシーもできるが、その時はまだケーシィの言葉でしか発信できなかっただろう。

 

アビスからしてみればどこからともなくケーシィの鳴き声が頭に響いてくる状況になっていたはずだ。

 

混乱からか、アビスも慌てふためいていた。

 

ものでいっぱいの私がいるはずもないだろう引き出しも開けたりしていたからな。

 

だが最後にはアビスはちゃんと私を見付け出してくれた。

 

——いた!! ケーシィ、おいで。

 

冷蔵庫の縁から顔と手を出すアビスを見たとき、私の表情が崩れた。

 

動けなくなっている私をアビスは抱きかかえた。

 

——よかった……。怪我とかしてない? よしよし。

 

アビスは私を抱きしめながら、頭をゆっくり撫でた。

 

アビスが私を撫でることはこれまでも何回もあったが、こんなふうに強く抱きしめていたのはこれが初めてだった。

 

多分、その時からなんだ。

 

私がアビスに絶対的な信頼を置いたのは。

 

物心つくよりも前から、アビスだけは信じていいと思えた。

 

アビスに抱きしめられてやっと安心したんだろう、私はしばらく泣き続けた。

 

その間もアビスはずっと私の頭を撫でていた。

 

アビスの手つきは、優しかった。

 

 

私がアビスにここまでの信頼を抱くようになったきっかけは、見た中ではこれが一番大きそうな要因だった。

 

それまではケーシィの私はアビスを怖がっているような行動をすることがあったんだ。アビスの見えないところまで移動したりな。

 

あの頃はまだアビス自身もいかりのこなの覚醒作用をコントロールできていない節があって、うまく行かないときには私の前でも苛立ったりしていたのが原因だろう。

 

往々にして子供は感情に敏感なものだし、ましてやエスパータイプだから悪感情には敏感な種類も多いから自然だ。

 

だが先の一件以降、苛立つアビスから離れようとすることがなくなった。

 

遠くからアビスをじっと見つめるようになったんだ。

 

確かに記憶がある限りではうまくいっていなさそうなアビスを心配したことばかりだったから、多分その時から幼いながらに心配していたんだろう。

 

あぁ、たくさん心配した。

 

研究に上手くいっていないときはたくさん心配したし、慰めもした。

 

料理をしていればすぐに手を切るし。

 

そもそも研究に没頭して食事を抜くことも多かったな。

 

大事なミーティングの前には道に迷って遅刻しかけて。

 

ケガをしていても痛くないなんて言い張って。

 

体調が悪くても大丈夫だって言い張って。

 

何かといえば抱え込んで。

 

私の進化の件だってずっと自分を責めて。

 

最後だって、あのアメのせいで倒れて。

 

まぁ私も同じくらい心配をかけたんだろうがな。

 

……あぁ、そうだ。

 

私がアビスを慕うきっかけがあるように、アビスが私に愛を注いでくれた理由もまたあるんだ。

 

その話もしようか。

 

今度は後から見た過去だけじゃない、ちゃんと覚えてる話だ。

 

 

この右手になってからは、外には出られなくなってしまった。

 

だが、さっきも言ったか、ケーシィ時代はアビスと一緒によく散歩をした。

 

休みの日の昼下がりや、仕事が終わった夕暮れなんかにな。

 

その日も何の変哲もない冬晴れの夕暮れだった。

 

住宅街を、何をするでもなく1人と1匹でぶらぶらしていた。

 

すると前の方からまひるのすがたのルガルガンを連れたトレーナーが同じように散歩してきたんだ。

 

私よりずいぶん大きい体躯が怖かった私は、アビスの脚に抱きつくようにしてルガルガンを警戒していた。

 

だがそれがまたルガルガンには奇妙に映ったんだろうな。

 

——ばうっ‼︎ ガル……っ!

 

ルガルガンが私に吠えた。

 

私は驚いて、反射的にテレポートを発動してしまったんだ。

 

初めてのテレポートと同じように、位置を指定しないテレポートをしてしまった。

 

ゆっくり目を開いたら、目の前には金網があった。

 

金網の先は夕暮れの焦げた空。

 

少し目線を下にずらせば、目がくらむほどに地面が遠くにあった。

 

移動した先は、廃墟の屋上だったんだ。

 

もちろん当時は廃墟なんて知らなかったがな。

 

見ていたら金網の外に落ちそうな気がして慌てて振り返ると、苔むした大きなタンクがいくつも立っていた。

 

何が入っていたのかは知らないが、大きな丸いタンクだった。

 

当時の私にはそこはあまりにも不気味に感じられた。

 

不気味なタンクと金網に挟まれて動けなくなった私は泣くことしかできなかった。

 

それから数分も経たなかったと思う。

 

右側ずっと遠くからカツンと、鉄を叩く音がした。

 

理由は無い。ただそれがアビスのものだと私は直感していた。

 

カツンカツン、とその音は間違いなく私に近づいてくる。

 

ギシリと鉄がきしむ音も聞こえて、私は金網のない右側を凝視した。

 

また何度か鉄が軋んだとき、日の出みたいに階段から真っ黒な頭が現れた。

 

すぐにアビスの顔が見えて、アビスの瞳が私を捉えた。

 

「ケーシィ!」

 

目が合うとアビスはこちらに手を伸ばした。

 

真っ直ぐこちらに手のひらを差し出し——ガタン! と大きな音がして、アビスの頭がその場から消えた。

 

「いたた……」

 

小さな声が漏れたのが聞こえた。

 

またすぐにアビスはこちらに駆け寄ってきて、わたしの前で両膝をついた。

 

だいじょうぶ? 怪我してない?

 

真っ直ぐ真横にアビスの目があった。

 

多分あれを慈愛に満ちた目と言うんだと思う。優しげな目だった。

 

私を抱きあげようと触れたアビスの手は、寒空の温度を吸ったのか少し冷たかった。

 

「おっと、冷たいよね。ごめんね」

 

アビスは手を口元に寄せて、ゆっくり息を吐き出した。

 

吸っては何度も吐息を手にかけた。

 

そんなアビスの様子を見ていて、幼い私は脚から血が滲んでいることに気づいた。

 

先程のアビスが一瞬目の前から消えた瞬間。アビスが階段から足を踏みはずした時の怪我だった。

 

当時の私に知る由もないが、廃墟の階段は一部が脆くなっていて、アビスの体重を支えきれず落下していた。アビスがそのまま廃墟の階段から落ちていてもおかしくはなかった。

 

廃墟の階段に足をかけた時からアビスも足場が脆いことくらいわかっていただろうに。それでも私を助けに来てくれたんだ。

 

「しぃしぃ?」

 

「んー、ちょっと待っててね。もうちょっと温めるね」

 

確かその時は大丈夫かとアビスに聞いていたはずだ。

 

もちろんアビスにケーシィの言葉は通じなかったが。

 

アビスの両手が両手を触りあって、それからアビスは手を首筋に当てた。

 

少しアビスが震える。

 

「……よし」

 

そうしてアビスはわたしにもう一度手を伸ばした。

 

抱き上げる手は、今度は温かかった。

 

抱き上げたまま、アビスは私の頭に頬をつけた。

 

まるで包み込まれたようだった。

 

「よしよし、怖かったね。帰ろうね」

 

きゅっと私を抱きしめる力が強くなった。

 

少し苦しくて、だが不快ではなかった。

 

アビスの右手が私の後頭部を優しく撫でた。

 

ひと撫でごとに凍っていた体がほぐれた。

 

「よし、行こっか」

 

アビスは私を抱えたまま立ち上がった。

 

「あ、見てケーシィ!」

 

「しぃ?」

 

アビスが指を差した方向をつられて見上げる。

 

橙色と藍色が混じってグラデーションを作る中に、きらりと光るつぶが一つ漂っていた。

 

「一番星! 綺麗でしょ?」

 

たった一つの光点を1人と1匹で時間も忘れて眺めていた。

 

後から見たアビスの瞳は茜色の空の光を浴びてキラキラと輝いていた。

 

 

他にもたくさんの要因はあっただろうが、この出来事で自分は変わったのだとアビスは後で言っていた。

 

——自分の研究以外への興味はなく、それゆえ非検体であるポケモンに対しても冷酷、道具のように扱う。

 

少なくない科学者はこういうヤツらで、アビスもこんな考え方がないわけではなかったと。

 

こと、研究中にその傾向が強く出るのは、私も過去を見ていてよく感じた。

 

まあ研究中の攻撃性はあのアメの影響もあっただろうが。

 

本当は、性根は、アビスは優しいニンゲンなんだ。そんなことは私が生まれた瞬間を見ればすぐにわかる。

 

とにかく、アビスは自分のことを冷酷なニンゲンだと思っていたんだ。だが、ケーシィ、私がいなくなったときの焦り具合は明らかに残虐な科学者が感じるべき気持ちではなかった。

 

そんな自分の心の揺れ動きに疑問を持ったから、ただの冷酷な科学者にならずに済んだのだと、ずっと前に1人で呟いていた。

 

——フーディンのおかげだよ。ありがとね。

 

私が何かすると、アビスは決まって笑いながらこう言っていた。

 

私といる時間が長くなるにつれて、アビスはどんどん優しくなっていった。

 

今話した心変わりもそうだし、怒りの粉に耐性ができてあまり攻撃性が発現しなくなったのも、多分その理由だろう。

 

…………。

 

…………はぁ。

 

楽しい思い出は話していてもキリがないな。

 

ポリゴンZ、お前も飽きただろう。

 

 

もう核心を話そうか。

 

アビスと私の実験の話だ。

 

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