ぱぁっと視界が光に包まれた。
ひっきりなしに動かしていた脚を止め、持っていた木の枝をしゅっと一振り。枝の先に灯していた火を消す。
夜も更けた薄暗い森の中。
まん丸から少し欠けた月が川瀬を澄んだ光で照らす横に、大きな大きな箱が鎮座していた。
本当に大きい。
少し向こうにあってあの大きさなら、高さ一つとってもわたしのたかさ二つ分くらいはありそうだ。
どう考えても森の中に自然発生するものではないし、側面の不自然なほどの白さは森のポケモンが作りあげるようなものでもなかった。
——ニンゲンかな。
どくり、鼓動が早まる。
住処からこんなに離れたところまで走ってきた甲斐もあったなと、ついつい口元が緩んだ。
しかも、この大きさならばもしかするとニンゲンの住処の跡かもしれない。
ニンゲンのことを知る手がかりが、あるかも、しれない。
鼓動が早まるほどに、進める足は慎重になっていく。
一歩、二歩、真っ白な箱が近づく。
こつんと足に何かが当たった。
形はそれほど鋭い形状でもないけれどシュバルゴの槍のような、でも色は何かを警告するような真っ黄色。
槍の根元が広がって四角になっているのは、立てておくためかな。
周りを見れば同じ黄色の槍がいくつも落ちている。
槍と槍は槍の先端についている紐で繋がれていた。
これもニンゲンが作ったものなのかな。形を見るに、バリケードか何かだったのかもしれない。
足元にも注意しながら歩を進めて、ニンゲンの住処らしき箱にたどり着いた。
箱の側面、白い壁を恐る恐る触る。
ぴとり。冷たい。
手の熱がどんどん奪われていくのを感じる。
手を離して、見上げる。
上の方は枯れてしまったツタの残骸がいくつも残っていた。
壁沿いをまた慎重に歩く。
一つ角を曲がると——これが入口かな。
なるべく体を出さないように、中を覗き込む。
方向が悪いのか月明かりもほとんど差し込んでいない内部は、真っ暗で全然よく見えなかった。
変に燃えるものが中にあっても困るし、安全を確認するまでは枝に火を灯すことはできない。
真っ暗なまま住処の中に足を踏み入れた。
一歩、二歩、三歩。
ボッ。
前方に真朱色の光が弾けた。
思考が止まる。
火だ。
自分が出したものではないだとかそういうことを考えるよりも先に、反射的に炎から距離を取るように跳ぶ。
すぐ横には壁があって、腕と頭をぶつけてしまった。
「いたっ……」
バン、と鈍い音が響いて思わず声が出る。
「だ、だいじょうぶ⁉︎」
頭上からの声。
弾かれるように見上げるが天は暗がりが広がっていた。
間違いなく何かがいる。
「驚かせちゃってごめんなさい」
高いとも低いとも言い難い妖しげな声と共に小さな橙の炎が次々灯る。
ぶわっ、空気を焼いて一際大きな炎が真ん中に燃え上がった。
少し潰れた球のような形の体は中に淡く暖かい橙色の燭光がゆらめいていた。
ぶつけた壁にそのまま背中を押しつけて、揺れる炎を睨みつける。
「怖がらないで。食べたり、しないから」
不思議と耳に馴染む声に、一瞬警戒を解きそうになってしまった。
枝を正中線に構え、勢いよく炎を発射する。
わたしの炎は謎のポケモンをパクリと飲み込んだ。
「わっ……」
天井の声が跳ねる。
一瞬効果があったかと思うもしかし、謎のポケモンの頭の炎はわたしの火炎を全て平らげてしまった。
頭の炎がより一層強く燃え上がった。
「……びっくりした。キミ、炎が出せるんだ。じゃあボクの火は消させてもらうね」
そう言うとたちまち朱の光が全部消えて、辺りは元の暗闇に戻った。
代わるようにわたしは枝の先に灯りをつける。
相手の思惑通りなのは納得いかないけれど、暗闇の中では何をされるのかわからないから仕方がない。
でも一方で、このポケモンは敵ではないような、そんな気もしていた。
「ありがとう」
わたしの灯りに照らされたそのポケモンは、なぜかお礼を口にした。
一体なんなんだろう。
「ボクはシャンデラ。キミは?」
「……テールナー」
「それで、どうしてこんなところに入ってきたの?」
わたしを見つめるその瞳は、子供のような、満月のような、まん丸で濁りがない。
急に入ってきたわたしのことを警戒したりはしないのかな。
「この箱はなんなの?」
「箱……? この建物のこと?」
「タテモノ……?」
知らない言葉だった。
「えっと、住処、かな」
「それは……ニンゲンの?」
シャンデラの頭から火柱が立った。
シャンデラのまん丸の目は、大きく開かれていた。
咄嗟に手の枝を構える。
「あ、その、ごめん」
シャンデラは恥ずかしそうに両腕を揺らした。
「……キミは、ニンゲンのことどう思ってるの?」
「わたしは、ニンゲンのことをもっと知りたいの」
「もっと知りたい? 嫌いじゃなくて?」
手の枝を構えたまま、ゆっくりと頷く。
「ここのポケモンたち、ニンゲンのことを話すとすぐに怒るから少し悲しかったんだ」
びくりと頭が勝手に跳ねて、わたしはシャンデラを凝視した。
シャンデラはそんなわたしにびっくりしたのか、わたしをまっすぐ見つめてくる。
「あなたもニンゲンのことを知ってるの? どうして?」
シャンデラの言い草は、まるで自分がニンゲンのことをよく知っているみたいだった。
それこそ前にニンゲンと関わったことがあるみたいに。
「どうしてって、ボクは元々ニンゲンと一緒に暮らしてたんだ」
でんきわざを受けた時のように、全身に電流が流れた気がした。
シャンデラは間違いなくニンゲンと親密に関わっている。
願ってもないことだった。
ニンゲンを敵視するポケモンがほとんどを占めるこの森で、ニンゲンのことをなんとも思っていないポケモンを探すのだって難しいのに、まさかニンゲンと暮らしたことがあるだなんて。
その言葉を聞いてもなお信じられない。
話を聞きたい。なんとしても。
「ねぇ!」
自分でも思っているよりずっと大きな声が出た。
シャンデラがびくりと縮こまる。
「……急にごめんなさい。その、わたし、ニンゲンのことを知りたいの。ここに来たのもニンゲンがいた痕跡があると思ったからで……」
その先を考えていなくて、語尾が弱まってしまった。
正中線に枝を構え続けていた腕も重さに従って落ちていってしまう。
シャンデラは困惑したようにゆらゆらと体を揺らしていた。
「えっと……ボクの話を聞きたいってこと?」
すぐさま頷いて肯定した。
「うんと……いいよ」
にこりと笑って、シャンデラはわたしの目の前に落下してきた。
着地の音は思っていたよりも軽かった。
高さはわたしと同じくらい。天井に見上げていた時よりも少し小さく感じた。
「キミはどうしてニンゲンの話が聞きたいの?」
「その……ニンゲンがどんな生き物なのか、どんな生活をしてるのか、興味があるの」
「どうして嫌いじゃないの?」
「わたしにはニンゲンが嫌いっていう気持ちがわからないの。見たこともないもの。怖いかどうかなんてわからないじゃない。だから、本当に怖いのか知りたくて」
「そうなんだ。ボクもニンゲンが怖いだなんて思ったことがないな。仲間だね」
「……あなたはどうしてここにいるの? ニンゲンと住んでいたのに」
「ボク? …………ボクはたまたまニンゲンの建物を見つけたから、住処にちょうどいいやと思ってさ」
「やっぱりこの箱はニンゲンの住処なんだ」
「うん、プレハブって言うんだ」
「ぷれ、はぶ……」
「もうずっと昔のものみたいだけれどね」
「ほかにニンゲンのものはここにないの?」
「ないよ。この中にあるのはボクが住処にするために持ってきたものだけ」
「じゃあ、あの外にある槍みたいなものは?」
「あれは……名前は知らないけど、立てて使うやつだよ。あれで中に入っちゃいけない場所を決めてたと思う。工事現場とかによくあるよ」
やっぱり立てて使うものなんだ。
「コージゲンバ?」
「えっと、ニンゲンは工事っていうのをするんだよ。自分の住んでる場所がもっと住みやすくなるようにするためにね」
「もっと住みやすく……」
「例えば道を硬い岩で覆って歩きやすくしたりとか」
「そう、なんだ」
聞いてもイマイチよく分からなかったけど、このポケモンは本当にニンゲンのことをたくさん知っているらしい。
「じゃあ、ニンゲンの住処はみんなこんな箱なの?」
「ううん、そんなことないよ。ボクが住んでた家はもっと広かったし、大きかったから」
「これは狭いんだ」
「うん、それに中には色んなものが置いてあるよ」
「そうなんだ……」
住処にするには十分すぎる大きさだと思うけれど。
ニンゲンって欲張りなのかな。
枝を持っていない手を口に当ててそんなことを考えていたときだった。
ぐぅ。
シャンデラが右腕を揺らしてこちらを見た。
目を逸らして俯く。
沈黙。
…………。
「おなか減ってるの?」
「…………」
本当のことなので、小さく頷いた。
日没後間もない時に家族でご飯を食べて以来何も食べないで森を駆けていたんだし、お腹が減るのは当然なんだけど。
……はずかしい。
俯いていると、視界に紫色が飛んできた。
「これ、あげるよ」
顔を上げると、シャンデラがサイコキネシスで目の前にカシブのみを差し出していた。
「……いいの?」
「うん、食べるものは多めに取ってあるから」
そう言うもののシャンデラはカシブのみをこちらには渡さず、自分の頭上に持っていく。
少し首を傾げた。
「あ、えっと、カシブのみ、美味しい焼き方があるんだ。いつも頭の炎を使ってやってるんだけど……」
シャンデラが言葉を濁す。
「焼いてくれるの?」
「頭の炎を燃やすには誰かの生気を吸わないといけないから……嫌だよね」
「動けなくなるとかなら嫌。わたしが焼いちゃダメなの?」
「うーん、火加減と時間が難しいんだ。生気を吸うとはいっても体に支障はないくらいだと思う」
相手の生気を吸おうだなんて少し怪しい気もしていたけれど、何故かわたしは心を許しかけていた。
「じゃあ、お願いしようかな」
「わかった、焼くよ」
言葉と共にシャンデラの頭が鮮やかなオレンジ色に燃え上がる。
同時にわたしの体を少しの浮遊感が襲った。
頭が働かなくてぼーっとする。
力が入りづらくなって、自然と口が開く。
でも不思議と心地よかった。
綿に包まれているようなふわふわとした気分でチリチリと実が焦げる音を聞いた。
「——できあがり」
気づくと辺りはまたわたしの火だけで照らされていて、目の前に笠の開いたカシブのみが差し出されていた。
「あ、ありがと」
すっかり油断してしまっていた。
恥じながら木の枝を尻尾に差し、カシブのみを受け取る。
温かい。
シャンデラがじっとこちらを見るのに気づかないフリをして、小さく一口齧る。
温かくて優しい甘さが口に広がった。
「……おいしい」
そんな言葉が思わず口をついて出た。
ちらりとシャンデラの方を見やると、シャンデラはやはりわたしを見つめていた。
目の前のカシブのみに視線を戻して逃れる。
ふたくち、みくち、今まで食べたことのない美味しさで、ついつい食べ進めてしまう。
——いや。
本当にこれを食べてよかったのかな。
生気を吸い取ることもそうだし、知らないポケモンに知らない場所でもらった食べ物をそのまま食べるのはあまりにも迂闊だった。
ニンゲンのことをいきなり聞くことができた興奮でつい警戒心が薄れてたかも。
カシブのみに顔を向けながら、シャンデラの顔を盗み見る。
目が合う。
「…………おいしい?」
見つめていると、シャンデラはまた体を揺らす。
濁りのない微笑みにしか見えなかった。
それすらも図っている可能性は十分あるのに、なぜかこのポケモンはわたしには絶対に害をなさない気がした。
「…………」
ひとつ頷いて、わたしはまたもらったカシブのみを食べた。
ひとまずもう少し、気を許していても大丈夫そうかな。
せっかく見つけたニンゲンの手がかり、もう少しは話を聞き出したいし。
そんなことを考えているうちにカシブのみは最後のひとくち。
食べ切って尻尾の木の枝を手に取った。
「気に入ってもらえて嬉しいな」
「……うん、おいしかった」
「ボク以外のためにきのみを焼くなんて久しぶりだったから」
「昔は誰かのために?」
「うん、トレーナーのために」
「とれーなー?」
「えっと、ポケモンと過ごしているニンゲンのこと」
ポケモンと過ごしていないニンゲンもいるの?
それを聞こうと思いながら、ふと外に目が行った。
月明かりが直角になりつつある。
もう帰らないと、ただでさえ足りない寝る時間がなくなってしまう。
「そろそろ帰らなきゃ」
「帰るの?」
シャンデラはさっきとは打って変わって残念の気持ちが顔に現れていた。
「うん、帰らないと……」
ただ、帰る前に——
「ねぇ」「あの」
声が被った。
バツの悪い間。
わたしから間を埋めにいった。
「……また来てもいい?」
「うん、ちょうど同じことを言おうと思って」
帰る前にまだ話を聞き出せるように取り付けておかないと。
そう思っていたら、向こうも同じことを思っていたみたいだった。
「ボクの話を聞いてくれるポケモンはあんまりいないから」
シャンデラがなんでわたしと話したいのかは分からないけれど。
「うん……じゃあ、また」
一刻も早くとわたしは駆けてニンゲンの住処を去った。