きりりと冷えた空気が顔に打ちつける。
部屋はわたしの炎で温まっていたけれど、外は温まってはいなかった。
地面を蹴る。
また冷えた空気が頬を撫でる。
コロコロとした角の取れた石を蹴って、河原を駆け抜ける。
……なんで?
地面を蹴る。
シャンデラから逃げるため。
地面を蹴る。
なんで逃げるの?
丸い石に足が取られて、バランスを崩す。
……シャンデラが、何か怪しいから?
すんでのところで、もう片方の足を前に出して、体勢を戻す。
シャンデラは本当に怪しかっただろうか。
もしかしたら、考えた通りシャンデラは何か怪しいかもしれない。そうだったらわたしの選択は間違っていない。
また、走り続ける。
シャンデラはわたしと話すのは居心地がいいと言ってくれた。
シャンデラはわたしと一緒にいたいと言ってくれた。
シャンデラは、わたしの花火で元気をもらったと言ってくれた。
……シャンデラがわたしに危害を加えようとしているのなら、今までにも十分隙はあったはず。
やっぱり、シャンデラが何か企んでいるわけ、ないのに。
自責の念が急に押し寄せる。
すぐこうやって、根拠もなく疑ってしてしまう。
ニンゲンを探していたのだって、理由もなく周りのポケモンの言葉を信じたくないと思っただけ。
ニンゲンのことは、結果的に助けてくれたニンゲンがいたから合っていたけど。
でもシャンデラを突き飛ばした被害妄想は大間違いだった。
不安だったから、と言い訳することはできても、シャンデラを傷つけたのは変わらない。
戻ろうか、と一瞬思った。
そう思いながらも、わたしは木の枝に跨って、進行方向と逆に炎を出した。
……お母さんの時だって、こうやって素直になれなかったのに。
いつも、自分が悪かったと思っていながら、戻って謝るだけのことができない。
わたしの一番悪いところ。
ばつが悪くて、自分に腹が立って、もやを追い払うようにもう一度ニトロチャージを発動する。
さらに河原から離れていく。
あそこじゃないか!?
地が震える。
「炎が見えた! 行くぞ!」
再びの重低音。
聞き覚えがないはずのない声。
ここまで来ていたんだ。
わたしを探して。
迂闊にニトロチャージなんかするんじゃなかった。
何もかもが裏目に出ている。
踵を返して一目散に来た道を戻る。
これ以上情報を与えないように、ニトロチャージは使わずに。
ひたすらに走る。
走っている、はずなのに。
そのうちに後ろから、ざっざっと地面を蹴る速い足音。
「待ちなさい!」
チラリと後ろを振り返る。
暗がりの森の中に、真っ赤な影が見えた。
全身が淡く炎に包まれているのは、多分お母さんもニトロチャージを使っているから。
表情こそまだ遠くて見えないけれど、とても見られないような形相をしていると思う。
見つかっているならもう急がない理由はない。
尻尾から枝を抜き取って、跨った瞬間に炎を噴射する。
噴射した炎がわたしの体を包んで、体が軽くなるのを感じた。
脇目も降らすに走っているのに、足音はどんどん近づいてくる。
後ろを見る余裕もないものの、もう少しでも立ち止まれば追いつかれてしまうほどに近い。
河原がすぐそこに見えてきた。
このままの勢いで、川を越えよう。
その先は——考えていないけど。
いっそそのままニンゲン達の住処まで向かってしまおう。
そこまでは追って来ないはず。
視界が開けて、河原に足を踏み入れる。
ニトロチャージで加速する。
「テールナー!」
後ろから聞き覚えのある高さの、しかし聞いたことのない音量の声。
驚いて足がもつれる。
体がつんのめって、勢いを殺しきれずに体が宙に浮いた。
上下の方向がわからなくなる。
今自分がどうなっているのかを考えるよりも先に、背中に強い衝撃が走った。
遅れて夜空が目に飛び込んできて、自分が倒れたことを悟る。
休む間もなく手を地面について飛び上がった。
背中がビリリと痛む。
痛みに一瞬ふらついた足を踏ん張って、もう一度走り出そうと前を向く。
ドン、ドン、ドン、ドン、ガンッ!
足が地面を蹴る前に、轟音と共に地面が揺れた。
音に気を取られて一瞬怯んだだけなのに、次の瞬間には目の前に高い岩の壁がそびえ立っていた。
——逃げられない。
お父さんのストーンエッジの壁が壊せるような脆さじゃないのは、よく知っている。
逃げられないことを感じて、背筋が震える。
観念して後ろを向くしか、もうわたしにできることはなかった。
「テールナー……」
お母さんが逃げ道を塞ぐようにわたしの少し前で立ち止まった。
少し遅れて、お父さんも隣に並ぶ。
「あなた、やっぱりここに……」
お母さんが息混じりの声を出す。
お母さんは目一杯眉をひそめて、いつになく険しい顔だった。
お父さんの視線は、いつもとそう変わらない。
何も言わずに、ただこちらを見ていた。
右腕に何かを抱えているが、その正体もわからない。
「帰るわよ」
「……嫌だ」
お母さんが一歩、二歩、わたしに近づいてくる。
同じだけ、わたしは後ずさった。
「ここは危ないから。帰りましょ」
「嫌だ」
お母さんはどんどん距離を詰めてくる。
どん。
背中が岩壁に当たる。
もう引き下がることはできない。
「帰ってきなさい!」
「嫌だっ……!」
わたしの叫びは虚しく河原に響き渡る。
——だけではなかった。
ごう、と太陽のような橙の炎が目の前を一直線に吹き抜ける。
同時に、ガシャン! と轟音を立てて、岩壁の一部が破壊された。
お父さんのストーンエッジの壁が、粉々になった。
ぼぼぼぼぼっ、立て続けに火が燃える音がする。
次の瞬間には河原一面を橙色の炎が覆い尽くしていた。
囲って踊るように、炎の塊はお母さんの周りを揺らめいて回る。
「動くなマフォ!」
ドン!ガン!ガン!ガン!
地揺れとともに、幾つもの岩が突き上がってくる。
お母さんの周りに炎を全部消して、岩は勝手に崩れ去った。
すかさずお母さんは後ろに飛んで、お父さんと並ぶ。
一体誰が護ってくれたんだろう。
そんなこと、あの炎の色を見ればすぐにわかった。
さっきの色と同じ、大きな炎が視界の左に映る。
シャンデラがわたしの方に腕を伸ばしながらゆっくり近づいてくる。
いつもと違って、腕にも頭にも真朱の灯火が燃え盛っていた。
シャンデラは私の左前方でピタリと止まった。
わたしを護るように腕を伸ばしたまま、お父さんとお母さんを見た。
牽制し合うようにお互い喋らない。
後ろからは背中しか見えなくて、シャンデラの表情はわからない。
でも、お父さんとお母さんの顔はみるみる険しい表情に変わる。
「お前」
風の音だけがする中、お父さんが口を開いた。
「シャンデラか」
「ええ」
「ニンゲンと暮らしていたことがあるっていう、シャンデラだな」
「はい。ボクがそうです」
お父さんが重苦しく口を閉じて、代わりにお母さんが声を荒げた。
「うちの子に何をしたッ!」
「っ……何とは」
「お前がうちの子をニンゲンと引き合わせていたんでしょう!」
「ニンゲンと……? そんなこと」
「お前が周りのポケモンにニンゲンの話をしていたのは知ってるのよ! ここに住んでるポケモンが言ってるんだから!」
「っ……それは」
「うちの子を返しなさい!」
シャンデラが何かを言うよりも先に、お母さんがシャンデラにだいもんじを放つ。
炎は河原の石を焼いて、シャンデラを包み込む。
しかし、シャンデラの頭と腕の炎がだいもんじを全て飲み込んでしまった。
最初にわたしの炎を吸収した時と同じだ。
「なっ……」
お母さんの顔が驚きに染まる。
シャンデラはだいもんじを受けるために交差した腕を前に突き出した。
シャンデラの手の中にどす黒い塊が作られていく。
シャンデラが腕を解放するとシャドーボールは一直線に飛んでいった。
お父さんが前に躍り出る。
毒々しい紫色に染まった腕が影の塊を上から押しつぶした。
真っ黒な爆発が起こる。
その勢いを利用するように、お父さんがシャンデラに向かって突撃する。
しかし、その目の前にずらっと朱色の炎が列を成した。
一度はおにびの列を避けたものの、次々と生み出されるおにびの壁を進みながらは避けきれず、お父さんは後ろに飛んで引いていく。
間髪を入れずに、シャンデラの頭がキラキラと光を放ち始める。
シャンデラが頭を振り下ろすと、ギラギラと凶悪に光る炎の束が発射された。
かえんほうしゃよりももっと太いれんごくの炎が、両側に飛び退いたお父さんとお母さんの間を飛び去る。
後方の河原の石に当たって爆発が起こった。
シャンデラの斜め前でお母さんが杖を振る。
いくつもの極彩色の光線が暗闇を切り裂いて生まれた。
自分めがけて飛んでくるサイケこうせんを見て、シャンデラが飛び上がる。
光線一つは避けられても、このままじゃ全部避けられない。
シャンデラの頭がふっと燃え上がって、天に昇った。
すると、天井に固定されたかのようにシャンデラが宙に止まった。
頭の炎が虚空を掴んでいる。
七色の光線はシャンデラの下を駆け抜けていった。
シャンデラが体を揺らすと、頭の炎はムチのようにしなってシャンデラをさらに揺らす。
左右に触れた勢いで跳んで、シャンデラはさらに距離を取る。
シャンデラが空中にいる間に、お父さんが手の中に毒々しい塊を作り始めた。
シャンデラの着地した隙を狙って、太い腕が振り下ろされる。
一直線に飛んでくるヘドロばくだんを、ギリギリのところでひらりとシャンデラはかわす。
あらぬ方向へ飛んでいったヘドロばくだんは、しかし空中で静止した。
薄ピンクのオーラをまとって、意思を持ったようにヘドロばくだんが再びシャンデラへと飛んでいく。
飛来する毒の塊とシャンデラの間に、パッと橙の炎が咲いた。
一点に生まれた炎は分身するみたいに四方に分かれて丸い壁を作る。
お母さんのサイコキネシスを使った奇襲ヘドロばくだんは、おにびの壁にぶつかって爆発した。
休む間もなく、お父さんが地面を揺らしながらシャンデラめがけて突撃する。
右腕がどす黒いオーラを纏った。
おにびを放った直後のシャンデラが振り向く。
シャンデラの目の前に、パッと3つの炎が生まれる。
3つの火はゆらゆらと大きさを変えながら、ゆっくりと丸を描いて動く。
見ていると頭がぼやっとしてきて、わたしは反射的に目を背けた。
地面を揺らすような足音が弱まっていく。
顔を上げると、お父さんが後ろに大きく飛んで下がるのが見えた。
お父さんの頭の周りには小さなおにびがくるくると回っている。
大きな腕がおにびを打ち払う。
顔の周囲を振り払うためにあげた両腕が、そのまま地面に突き立てられた。
ドン!ガン!ガン!ガン!
轟音を立てて地面から岩が突き上がる。
しかし岩はシャンデラの幅一つ分横を通り過ぎていった。
岩はシャンデラに外してなおも地面を突き破ってわたしの方に進んでくる。
わたしの方に。
「「テールナー!」」
お父さんの声とお母さんの声が重なって聞こえた。
岩の列がわたしに向かって進んでいることに気づいた時には、もう岩の壁はすぐそこに突き出ていた。
ぶわり。
横から熱い風が殴りつけるように吹いた。
体が勝手に浮いて、わたしは真横に吹き飛ばされる。
体が宙を舞う。
鼻先を掠めるかと思うほど目の前を岩が突き抜けていった。
なんとか手を付いて着地する。
風が吹きつけた面と地面に着いた手がひりりと痛んだ。
でも、あれを食らっていたら命はなかったと思う。
突き出た岩が砕けて、あたりが静寂に包まれる。
しばらくして、お父さんが鈍重な声を出した。
「テールナー、怪我は」
「ちょっと擦りむいただけ。大丈夫」
チラリと首だけこちらを見ていたお父さんは、体ごとシャンデラの方へ直った。
「お前が護ってくれたんだな」
「はい。ねっぷうで突き飛ばす形になってしまいましたが……」
シャンデラはチラリとこちらを見た。
ドスン。
お父さんが左膝と右腕を地面につく。
「すまない。……ありがとう」
「お父さん……!?」
お母さんが驚きの声をあげる。
しかし、お父さんは頭を垂れて動かない。
「ちょっと、こいつはテールナーを」
「いや」
納得行っていない様子のお母さんの声を、お父さんが遮った。
「テールナーを助けてもらったのは事実だ。そこに関して俺たちが言えることは何もない」
「……そうだけど!」
「……シャンデラ。なぜ俺たちの娘を護る」
お母さんの抗議を無視して、お父さんは膝をついたままシャンデラを見やる。
「なぜ? え、っと……少し話を聞いていただけますか?」
「あぁ」
「どうしてテールナーと知り合ったのか、お話しします。……いいよね?」
シャンデラがチラリとこちらを見る。
一瞬ニンゲンを探していたことがバレてしまうと身構えたが、そもそももうバレているのだった。
ニンゲンに合ったことも含めて、自分から大体言ってしまっている。
「……うん。大丈夫」
「わかった」
シャンデラはまたお父さんの方へ居直った。
「声を張り続けるのもなんですし、少し近づいていただけませんか。ボクから攻撃する意思はありません」
お父さんとお母さんが目線を交わす。
お互い頷いて、シャンデラにゆっくり近づいていった。
わたしも遅れないように、シャンデラの方へ近づく。
全員がシャンデラの元に集まると、シャンデラはしずしずと喋り始めた。