不条理の鉤爪   作:クロサナ

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本編

ごおお、と滝の音が洞窟全体を揺らす。

 

何をするでもないけれど、滝の方を見た。

 

天井の裂け目から眩い光が差し込んでいる。

 

眉を顰めて、翼で目に入る光を遮った。

 

洞窟の外はいつも強い光で満たされている。

 

サザンドラの夫婦が連れ立って悠然と裂け目から外へ出ていくのが見えた。

 

この辺に住んでいるポケモンでこんな風に光を避けているポケモンは、私たちハバタクカミだけ。

 

でも決して不便なわけじゃない。

 

多分サザンドラの夫婦は狩りにでも行ったんだと思う。

 

そのうちメェークルの1匹でも獲って戻ってくるだろう。

 

一方私、ハバタクカミ。

 

ああやって外に獲りに行かなくても生きるのに困るわけじゃない。

 

そこらじゅうでエネルギーが勝手に発生する私たちと違って、わざわざ外に出なきゃいけないなんて。

 

むしろかわいそうかも。

 

『やだ! やだやだやだやだやだ……っ!』

 

美味しそうな心発見。

 

「おい、そっちから回れ!」

 

「う、うん……」

 

眼下では、子供のイーブイが兄弟らしきニューラ2匹に追いかけられていた。

 

あれも狩り。

 

イーブイでは、しかも子供じゃ、狩りの上手なニューラの手から逃れることは多分ない。

 

ニューラの兄弟は、この後イーブイを殺す。

 

食べなきゃ生きていけないんだから、当然のこと。

 

毎日何度も当たり前に狩りが行われて。

 

狩られる側の最後の怯える気持ちを勝手に吸収すればお腹いっぱい。

 

狩りなんかしなくてもいい体でほんとに楽。

 

他のポケモンの狩りについていくたびに思う。

 

自分からポケモンたちを驚かせて感情を生むのが楽しいって個体もハバタクカミにはいるけど。

 

楽できるんだから楽すればいいのにって私は思っちゃうな。

 

そんなことを呑気に考えてる間にも、イーブイとニューラ兄弟の距離は縮まっていく。

 

『死にたくない死にたくない嫌だ食べられたくない嫌だ!!』

 

イーブイの心にどんどん焦りが募っている。

 

「……あら?」

 

イーブイだけじゃない。

 

もう一つ、悲しげな気持ちがある。

 

追いかけてるニューラのうち一方から。

 

どうして?

 

気になって、私は高度を落としてニューラたちの方に近づいた。

 

『狩りなんてしたくない……』

 

ぞくっとした。

 

こんなことを言う子が、それもあのニューラに、いたんだ。

 

一瞬で、ずっと昔の記憶がフラッシュバックしてきた。

 

 

 

           

 

 

 

まだ成熟してもない頃、私には仲のいいサケブシッポの兄妹がいた。

 

2匹とも、私をカミねぇって呼んで慕ってくれた。

 

お兄ちゃんは、ごくごく普通の、ちょっといじっぱりで頼り甲斐のある子。

 

妹はちょっと変わった、ものすごく臆病でとんでもなく優しい子だった。

 

忘れもしない、兄妹が狩りに初めて挑戦した時のこと。

 

兄妹の作戦はこう。

 

獲物を見つけたら、木陰に隠れながら挟み撃ち。

 

声が自慢なお兄ちゃんが獲物を驚かす。

 

獲物がお兄ちゃんから逃げた先には、妹ちゃんがいて、焦って逃げる獲物にとどめを刺す。

 

頭のいいポケモンならともかく、子供なんかは十分に狩れる作戦だった。

 

とてとてとピチューが歩いて来たのを、がおーっと大きな叫び声でお兄ちゃんが驚かす。

 

ピチューは後ろから追いかけるお兄ちゃんを見ながら、妹ちゃんの方に一目散に逃げ出して。

 

妹ちゃんの目の前で、ずっこけた。

 

顔から地面に突っ込んだピチューを目の前にして妹ちゃんは躊躇った。

 

逡巡の末「大丈夫⁉︎」とピチューに声をかけて。

 

その間にピチューは泣きながら木の上を登っていってしまう。

 

声をかけたのに転がるように急いで逃げられて、呆然とする妹ちゃん。

 

「何やってんだよ!」とお兄ちゃんが怒って。

 

震えるピチューを見てとどめなんか刺せないって、妹ちゃんは泣きながら言っていた。

 

初めてポケモンを狩る時に、相手の最後の声を聞いて怯んでしまう子はたまにいるけれど。

 

獲物相手に声をかけて逃しちゃうなんて、後にも先にもこの子だけだった。

 

結局は自分が生きるのが優先。

 

きのみだけじゃお腹はそう膨れない。

 

ポケモンはみんなそうやって狩りに慣れていく。

 

自分のエサが無くなるんだから、お兄ちゃんが怒るのも尤もだった。

 

「狩りなんてもうしたくない」って泣いて手がつけられなくなって、お兄ちゃんが私に助けを求めてきて。

 

私は妹ちゃんを翼で撫でてあげた。

 

確かあの時は、ピチューが食べるきのみだって、きのみの木の大切な子供なんだよと諭してあげたと思う。

 

ピチューだって生きるためにきのみを食べる。

 

妹ちゃんだって生きるためにピチューを狩らなきゃいけない。

 

生きるために仕方ない、みんなやっていることだから、気にしちゃいけない。

 

そんなことを言ったと思う。

 

正直無理がある。

 

きのみは「食べないで」なんて叫んでブルブル震えないし。

 

普通のポケモンたちはなんとも思わないけど、妹ちゃんはそれをかわいそうだと思ってしまうんだから。

 

でも素直な妹ちゃんはその言葉で納得してくれた。

 

「ありがと、カミねぇ!」

 

サケブシッポの妹ちゃんは、目一杯元気な笑みを私にくれた。

 

陽だまりに咲くグラシデアの花のような、屈託ない優しい笑顔。

 

今でも思い出せてしまう。

 

今でも思い出せてしまうのは、単にその笑顔が印象的だったからだけじゃなくて。

 

私が見た妹ちゃんの最後の笑顔だったからでもあるけれど。

 

そのすぐ後だったと思う。

 

どしんと、後ろで大きな地響きが世界を揺らした。

 

振り向く間に、間髪入れず周囲の空間が大きく揺らめいた。

 

ぐるおおおおおおおおお!

 

大きな大きな雄叫び。

 

吹き飛ばされてしまいそうで、翼で顔を隠した。

 

両側のサケブシッポ兄妹をちらりと見ると、転がっていきそうな程体を斜めにしていた。

 

雄叫びが終わる。

 

声の主を見上げた。

 

背中に背負った大きな赤い月。

 

月の付け根から生えた岩肌のような腕の先には、ギラギラと光を反射する爪。

 

それと同じくらい鋭い視線に、大きな牙。

 

トドロクツキの縄張りか。

 

狩りに夢中ですっかり忘れていた。

 

ギロリと2つの目玉がこちらを捉えたのがわかった。

 

両の翼に意識を込めて、光を解き放つ。

 

考えるよりも先に体が動いていた。

 

マジカルシャインで、少しの間怯ませるくらいはできるはず。

 

光の残滓が消えて、トドロクツキがよろけるのが見えた。

 

両側にいるサケブシッポ兄妹の手を翼で掴んだ。

 

呆然としていた2匹が私を見た。

 

一つ頷いて、私たちは一目散に駆け出した。

 

ややあって、後ろからバサリと空気を叩く音がする。

 

たぶん、トドロクツキが追いかけてきている。

 

このまま縄張りから出て、しばらく逃げていれば諦めてくれるかな。

 

大丈夫、追いつかれはしないはず。

 

「あっ……!」

 

……けれど、手を引っ張っていたのがよくなかったかもしれない。

 

お兄ちゃんの方が転んでしまった。

 

「おにい!!」

 

間髪入れずに妹ちゃんがお兄ちゃんに走り寄った。

 

妹ちゃんだけでも逃さなきゃなんて考える暇もなく、妹ちゃんの手も私から離れた。

 

トドロクツキのスピードだって決して遅いわけじゃない。

 

立ち上がろうとするお兄ちゃんにずんぐりとした腕の影がかかる。

 

妹ちゃんを目で追って後ろを向いていた私は、また逃げ出した。

 

もう助けることは叶わない。

 

あのトドロクツキはこの辺りの縄張りの主。

 

まだ覚えたてのマジカルシャインじゃ怯ませるのが精一杯。

 

後ろからは悲鳴も何も聞こえなかった。

 

 

 

           

 

 

 

今もサケブシッポ兄妹がどうなったかを明確には確かめられていない。

 

数日経って戻った頃には、痕跡もなかった。

 

別にトドロクツキが悪いわけじゃない。

 

大体のポケモンを食べるトドロクツキにとってはサケブシッポも子供ならエサでしかない。

 

縄張りにエサが落ちていれば喰らいもする。

 

その当時は悲しかったけど、でもこの世界はそんなもの。

 

私だって他のポケモンの狩りから感情をもらってる。

 

生きるためには食べなきゃいけない。

 

そうは言いながらも、あの兄妹のことはたまに夢に見るけれど。

 

……で、昔のことを思い出して感傷に浸っている場合ではなくて。

 

1匹のイーブイを狩るために追いかける2匹のニューラ。

 

そのうち一方があの子とおんなじような事を言っている。

 

ニューラといえば、残忍な性格の個体がすごく多い。

 

それにはちゃんと理由がある。

 

きちんと厳格に群れを作っている以上、狩りの失敗は群れ全体の危機になるから。

 

だから行動を残忍にしてでもたくさんの成果を上げなければいけない。

 

実際は残忍な狩りも楽しんでいるニューラがほとんどだとは思うのだけど。

 

それなのに「狩りなんてしたくない」とまで言うニューラの子がいるなんて。

 

どうなるにせよ、全部見届けようかな。

 

私が考え事をしているうちに、ニューラの兄弟はイーブイを壁際に追い詰めていた。

 

イーブイが咄嗟の判断か、壁に開いた小さな穴に無理やり飛び込む。

 

しかし飛び出た地形のその壁は、向こう側にすぐに回り込めそうだった。

 

リードしている兄っぽいニューラの目が妖しく光った。

 

「そっちから回れ!」

 

「う、うん……」

 

兄ニューラがイーブイの入った穴の前で待ち伏せする。

 

弟ニューラは壁の向こう側へと走り出した。

 

穴の出口に回り込めば、もうあのイーブイの一生はおしまい。

 

たたたっと弟ニューラが走って行った。

 

「そっちで仕留めろよ!」

 

兄ニューラが叫ぶ。

 

「む、無理だよ……」と弟ニューラの声はか細くて、兄ニューラにはどう足掻いても届いていなさそう。

 

兄ニューラが大きく息を吸い込んで、穴に冷気を吐き出した。

 

こごえるかぜ。

 

氷漬けになる前にイーブイは向こう側に出るだろう。

 

後は弟ニューラくんがそれを仕留めれば、狩りは簡単に達成できるわけだけど。

 

穴からイーブイがひょこりと顔を出した。

 

弟ニューラと目が合う。

 

「あっ、えと、あっ」

 

何で仕留めるか決められていなかったのか、弟ニューラが慌てた様子で自分の爪とイーブイを交互に見る。

 

イーブイは一瞬驚いたように目を丸くした。

 

一か八か、穴から勢いよく飛び出す。

 

弟ニューラはイーブイのたいあたりでバランスを崩して、地面に尻餅をついた。

 

イーブイは弟ニューラの横を走り去っていく。

 

「おい何やってんだよ!!!」

 

追いかけてきた兄ニューラが怒鳴った。

 

弟ニューラは萎縮するように顔を俯ける。

 

「おーい! そっちにイーブイが逃げた! 手伝ってくれ!」

 

後方にいた他の仲間のニューラに呼びかけて、兄ニューラが走り出す。

 

「もう……トドメお前に任せなきゃよかった」

 

兄ニューラは座り込む弟ニューラに一瞥をくれて、イーブイを追いかけていってしまった。

 

他のニューラも一様にチラッとだけ弟ニューラを見て、それ以上何も言わずに走り去っていく。

 

後には、穴の前で後ろに両手をついてへたり込む弟ニューラくんだけ。

 

それはもう悲しそうな、負のオーラに満ちていた。

 

これだけで美味しそうではある。

 

いつもだったらこっそりいただいて帰るか、驚かして怖がってもらったのかもしれないけど。

 

今回はちょっとニューラくんの様子が気になった。

 

あの子に似てるから。

 

狩りの一部始終を上空で眺めていた私は、ゆっくりとニューラくんの前に飛んで行った。

 

目の前まできてもニューラくんは地面を見つめて動かない。

 

「ねぇキミ」

 

声をかける。

 

ニューラくんがはっと私を見上げた。

 

今にも泣き出しそうな、もう決壊して泣いているのを我慢しているような、くしゃくしゃの表情。

 

「どうし——

 

「ぅゎぁあああぁぁ……!!」

 

せきを切ったようにニューラくんが泣き始めた。

 

ぽろぽろと涙をこぼしながら、すがるように私を見る。

 

わぁわぁと泣きながら、それでも何かを伝えようとしていることは分かるのだけど……。

 

号泣すぎてなんて言ってるか全然わからない。

 

自分で自分の顔が困った表情になっているのを感じた。

 

どうしよっかな。

 

「よしよし、おねえちゃんが話聞いてあげようね」

 

優しくニューラくんの頭を撫でた。

 

意図せずもあの頃サケブシッポの妹ちゃんに話しかけていた口調になった。

 

全然いいんだけど。

 

なおもニューラくんは泣きじゃくる。

 

「あーっと……そうね、あっちでちょっと休もうね。よしよし」

 

右翼でニューラくんを撫でながら、左翼で向こう側の岩陰を指した。

 

日向じゃ休むにも休めないし、一旦落ち着いてもらわないと。

 

「うん……」

 

ぐずぐずと泣きながらも、こくんとニューラくんが頷いた。

 

抱き込むようにニューラくんの両肩を持って、ゆっくりと岩陰に連れていく。

 

ニューラくんの周りには悲しげなオーラが取り巻いていた。

 

ついでだしもらっちゃおうかな。

 

ニューラくんの悲しい気持ちを石に吸い取りながら、岩陰に歩く。

 

近づくにつれて、ニューラくんの嗚咽は収まっていった。

 

岩陰に入って、ニューラくんを手ごろな岩に座らせる。

 

ニューラくんがずっと俯いていた。

 

「よしよし、よーしよし……」

 

ニューラくんの頭をそっと右翼で撫でる。

 

どうにもあの妹ちゃんと重なってしまって、撫でずにはいられなかった。

 

ニューラくんはしばらくされるがままに俯いていた。

 

撫でるのをやめると、ニューラくんは私を見上げた。

 

「それで」

 

ニューラくんの顔がきゅっと悲しげになる。

 

「キミはどうしたの?」

 

またニューラくんが泣き出しそうになる。

 

「よしよし! 話したくない?」

 

無理に話させるのもと思って聞いてみたけど、ニューラくんはふるふると首を横に振る。

 

喋るのもあまり得意じゃないのかもしれない。

 

聞き出すのは簡単じゃなさそうだ。

 

 

           

 

 

すぐ泣きそうになるのを宥めて宥めて、断片的な言葉を何度も聞き返すこと幾度か。

 

なんとかニューラくんの状況が把握できた。

 

群れの中で、このニューラくんだけがまだ狩りを成功させたことがない。

 

責められることこそないものの、他のニューラが取ってきた獲物を食べるだけなのが嫌。

 

この前生まれた妹のためにも、自分も獲物を持って帰った方がいいと思う。

 

でも、いざ狩りをすると、目の前の相手にとどめを指すなんてひどいことはできない。

 

お兄ちゃんには怒られるし、自分でも狩りができない自分が悲しくなる。

 

でも、狩られるポケモンだって死にたくはないのに。

 

そんなふうに板挟みになって、泣き出しちゃったみたいだった。

 

「よーしよし、キミはいろいろ考えてるね」

 

わーわーと泣きじゃくるニューラくんを右翼でまた撫でた。

 

全部話し終わったら、また悲しくなっちゃったみたい。

 

本当にあの子みたい。

 

また胸の石で悲しい気持ちを吸い取った。

 

ここまで聞いちゃったし、あの子が重なってどうにも放っておけない。

 

説得するしかないかな。

 

「ね、ニューラくん。一緒に考えてね」

 

「……に? うん」

 

ニューラくんは不思議そうな声を出しながらも、頷いてくれた。

 

「ニューラくんは、何かを食べないと生きていけないよね」

 

「……?」

 

「食べないと、お腹が減っちゃうよね」

 

「うん」

 

「だからみんな狩りをする」

 

「うん……」

 

「でもね、イーブイくんもご飯を食べないといけないんだ」

 

「うん」

 

「イーブイくんはさ、何を食べると思う?」

 

「……? しらない……」

 

 

 

「イーブイくんも、ポケモンを食べるんだ」

 

 

 

「! ……」

 

ニューラくんが目を見開く。

 

私はニューラくんを撫でながら続けた。

 

「イーブイくんが自分で狩りすることは少ないけど、進化するとみんな狩りをするようになるの」

 

「…………」

 

「イーブイくんも、他のポケモンを殺して生きてるんだ」

 

「…………」

 

ニューラくんは俯いてしまった。

 

なおも右翼で頭を撫で続ける。

 

「でもそれって悪いことじゃないよね」

 

「…………」

 

「イーブイくんも、生きるためにやってることなんだ」

 

「…………」

 

「きっとイーブイくんは食べても何も思ってないし、誰もイーブイくんに怒ったりしない」

 

「…………」

 

「キミも同じだよ」

 

「…………ぅぅ」

 

「キミがあのイーブイにトドメを刺しても、誰も怒ったりしない」

 

「…………」

 

「キミは狩りをしてもいいんだよ」

 

あの時とほとんど同じ説得の仕方だった。

 

ピチューと違ってイーブイは雑食だから、ちょっと話は通っているかもしれない。

 

でも果たして、そんな違いであの妹ちゃんは納得したかな。

 

「……………………でも」

 

ニューラくんがばっと顔を上げる。

 

やっぱり。

 

「イーブイが死んじゃったら、イーブイの家族は悲しいよ」

 

「……そうね」

 

「ぼくも、おにぃが死んじゃったらやだよ」

 

「そうよね」

 

その気持ちだってよくわかる。

 

でもエサがなくちゃポケモンは死んでしまう。

 

理想はもちろん誰も死なないこと。

 

でも実際には誰も死なずにみんなが生き延びることはできない。

 

この理想は実現しない。

 

……のだけど。

 

ニューラくんはこうべを垂れるばかり。

 

板挟みに苦しむ純粋な横顔はあまり見ていられない。

 

やっぱり受け入れ難いことかもしれない。

 

でもどこかで諦めなくちゃいけない。

 

普通のポケモンだったら、物心着く前には諦めのまま親から感染っているから苦しまない。

 

この子も最初の一歩が踏み出せたら、もしかしたら諦められるかな。

 

「ね、ニューラくん」

 

「んぁ?」

 

胸の宝珠に意識を注いだ。

 

「お兄ちゃんが死んじゃったら、いやだよね」

 

呼ばれて上がったニューラくんの目線が、また落ちていく。

 

「うん……」

 

「妹もお母さんも、死んじゃったら嫌だよね」

 

宝珠が輝き出した。

 

「ぅ、うん……」

 

俯くニューラくんの顔はどんどん曇っていく。

 

今にも泣き出しそうなのを、俯いて必死に堪えていた。

 

「ニューラくん」

 

ニューラくんが顔を上げた。

 

その目線が宝珠に吸い込まれる。

 

ニューラくんの瞳に真っ赤な光が溢れた。

 

「ポケモンは何かを食べなきゃ生きていけないよね」

 

「うん……」

 

答えるニューラくんの目線は、宝珠に釘付けだった。

 

「じゃあお兄ちゃんも妹も、何か食べなきゃ死んじゃうよ?」

 

「やだ、やだよぉ……!」

 

一瞬でニューラくんの瞳からボロボロと涙が落ちた。

 

「でも、キミがイーブイを仕留めてきたら、どうかな」

 

「……しなない?」

 

「そう! わかってえらいね」

 

数秒の沈黙があった。

 

きっとこの間に、ニューラくんの頭には色んなものが駆け巡ったはず。

 

「…………狩りしなきゃ」

 

沈黙した辺り一体に、その言葉は響き渡った。

 

「よし」

 

私はニューラくんに微笑みをかけた。

 

決して催眠術で操ったりしたわけじゃない。

 

宝珠の力で、家族を失う恐怖心を増大させただけ。

 

狩りでポケモンを殺すことへの恐怖よりも、家族を失う恐怖が上回れば、一歩踏み出せる。

 

これはちゃんとニューラくんの意思。

 

「じゃあ、獲物探さなくちゃね」

 

「うん……早くしないと……」

 

ニューラくんが不安げなか細い声を出す。

 

すると、私たちが元来た方から声がした。

 

「あーもう、イーブイどこいったんだよー」

 

「逃がしちまったか……」

 

イーブイが最初に潜っていた穴を何度も確認するニューラたち。

 

追いかけていたイーブイを見失ってしまったみたいだ。

 

でも私には場所がわかる。

 

すぐ向こうの滝の裏側。

 

ものすごく怯えたオーラが漂っていた。

 

確証はないけど、多分あれが狙っていたイーブイ。

 

トドメは刺されないまでも、怪我を負って休んでいるんだろう。

 

「あっちに行こっか」

 

ニューラくんに呼びかける。

 

滝壺を翼で指した。

 

「いるの?」

 

「きっとね」

 

「うん……!」

 

ニューラくんはの表情が一瞬輝いた。

 

ニューラくんが走り出す。

 

私は一足先に滝壺まで飛んで行った。

 

上空から滝壺の裏側に回る。

 

やっぱり。

 

地面に伏せるイーブイが眼下に見えた。

 

周りに意識を集中して、宝石を呼び出す。

 

滝にかかっていた太陽光が宝石に当たってキラキラと輝いた。

 

宝石に集まった光が伏せているイーブイめがけて発射される。

 

パワージェムは伏せた格好で前に出ていたイーブイの前脚を撃ち抜いた。

 

潰れた声が聞こえた。

 

イーブイの負のオーラが大きくなる。

 

イーブイは横に倒れて、前脚を庇うようにお腹に引き寄せた。

 

下に飛んで、イーブイの目の前に浮かんだ。

 

イーブイと目が合う。

 

苦痛を必死に耐えて、目元も口もぐにゃりと歪んでいた。

 

細められた目から大粒の涙が一粒溢れた。

 

「ごめんね」

 

私は大きく目を見開いた。

 

くろいまなざし。

 

これでイーブイは動けなくなった。

 

怖い、だろうな。

 

ごめん。

 

たたたたっとニューラくんが走り寄ってきた。

 

滝壺のそばを走って、びしょ濡れになりながら。

 

ニューラくんと目が合う。

 

私は一度イーブイに目線をやった。

 

ニューラくんもまた、私に釣られてイーブイを見た。

 

ニューラくんの足元には、足を撃たれて、くろいまなざしで動くこともできないイーブイが転がっている。

 

「…………」

 

ニューラくんは何も言わず、私を見た。

 

ここまで来て、実際に倒れている獲物をみて、やっぱり心も揺れる。

 

「お兄ちゃん助かるよ」

 

「…………」

 

「妹も、助かるよ」

 

「…………」

 

「ニューラくん」

 

「…………」

 

ニューラくんは不安げな顔をこちらに向けた、

 

「キミがトドメを刺さない限り」

 

「…………」

 

ニューラくんは自分の爪を見た。

 

「この子はずっと苦しみ続ける」

 

「…………」

 

「キミが、楽にするの」

 

ニューラくんが右手を振り上げた。

 

爪が大きく伸びて、ドス黒いオーラを放つ。

 

ぎゅっと強く目を瞑って。

 

 

 

振り下ろす。

 

 

 

滝の轟音だけが、滝壺の裏に響いていた。

 

ずっと高い場所から落ちてきた水は容赦なく地面を打ちつけて、周囲に飛び散る。

 

水は仕留めたばかりのエサにも容赦なく飛びかかって、周囲に流れ出した色を薄めて流していく。

 

ニューラくんの爪が元に戻った。

 

ニューラくんは呆然としていた。

 

ついに、狩りをしてしまったから。

 

名前もつけられない、切り分けのしようがない感情が渦巻いているんだと思う。

 

でもニューラくんは、この世界で生きていくために正しいことをした。

 

ここで私がかけるべき言葉は……。

 

目をつむる。

 

少し考えて、それから私はニューラくんに目線の高さを合わせた。

 

「キミのおかげで、お兄ちゃんも、妹も、食べ物がある」

 

「…………」

 

俯いたままぼうっとするニューラくんの両肩を掴んだ。

 

ニューラくんと至近距離で目が合う。

 

「キミは偉いよ」

 

ニューラくんに微笑みを送る。

 

私にはできることは、これだけ。

 

ニューラくんはしばらく抜け殻のように反応がなかった。

 

やがて目に色が宿る。

 

はーっと長く長く、つっかえていただろう息を吐き出した。

 

「…………うん」

 

それだけ言った。

 

「ほら、獲物持って」

 

ニューラくんは、エサを丁寧に両腕で抱きかかえた。

 

「みんなに見せてあげて」

 

ニューラくんの後ろに回り込んで、向きを変えさせて。

 

背中をそっと押す。

 

ニューラくんは顔だけ後ろの私に振り向いた。

 

「……ありがと!」

 

「いいわよ」

 

「えっと……」

 

……?

 

あ、そっか。

 

そういえば、私が誰か何も言ってないかも。

 

何度も関わるつもりはないけど、教えてあげても別にいっか。

 

「私はハバタクカミ」

 

「は、はば……かー……」

 

「私なんていいから。行って——

 

「ありがと、カミねぇ!」

 

また、ぞくっとした。

 

特別大きいわけでもなんでもないその声は、辺りに何回も反響して聞こえた気がした。

 

世界が一瞬止まったように思えた。

 

私の方が止まっていた。

 

陽だまりに咲くグラシデアの花のような、屈託ない優しい笑顔。

 

あの子にそっくりだった。

 

「……また会いましょ。じゃあね」

 

「うん!」

 

私はニューラくんを見届けもしないで、その場から姿を消した。

 

早く1人になりたかった。

 

あのニューラくんに涙なんかみせたくない。

 

洞窟の中、吹き抜けの光で作られた木下闇に佇んだ。

 

ぐちゃぐちゃの感情に押しつぶされそうだった。

 

懐かしいなぁ。

 

サケブシッポ兄弟との日々は楽しかった。

 

妹ちゃんはとんでもなく優しくて、お兄ちゃんも振り回されながらも悪くは思っていなくて。

 

私はそれをけらけらと笑いながら一緒に手伝っていた。

 

……結局、どんなに納得していたって惜しいものは惜しいんだ。

 

お互い生きるためだから仕方がない。

 

でも仕方がないのと、その結果を許容するのは別の話。

 

もうあのサケブシッポ兄弟に会うことはできない。

 

トドロクツキが憎い。

 

でも憎む筋合いなんて一つもない。

 

私だってついさっき、助かりかけたイーブイを探し出して手をかけたのに。

 

しかも直接私がエサにするわけでもなく。

 

私がいちばんの悪者だ。

 

私はあのニューラくんを助けてあげたかった。

 

手をかけたことに後悔はもちろんしてない。

 

でも、私はトドロクツキを憎んでいいのかな。

 

……あー、何考えてるんだかわからなくなってきちゃった。

 

また会いたいなー。

 

懐かしくて、苦しくて、悲しくて、憎い。

 

あらゆる負の気持ちがほんの少しずつ垂らされて混ざった気持ち。

 

今の私は、他のハバタクカミにとっていいエサになれるかもしれない。

 

どうしたらいいか分からなくなって、頭上を見上げた。

 

洞窟の吹き抜けから差し込む光で空は真っ白だった。

 

木々が優しい風になびいて、揺れる葉っぱが光を遮る

 

幹にこびりつく結晶と同じくらいに、空がキラキラと輝いた。

 

綺麗。

 

目の前がまた、ぼやけて滲んできた。

 

葉っぱの一枚一枚がだんだん境界を失って、いくつかの大きな光になって煌めいていた。

 

 

fin

 

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