【第一部】~吉良吉影は静かに生き延びたい~/【第二部】~Saint Babel Run~   作:どくたあちょこら~た

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最終回……の、一歩手前、閑話休題「U.N.オーエンはシリアルキラーの夢を見るか?-Truths,Ironies,The Secret Lyrics-」お楽しみ下さい。

※今回、極めてKENZENな表現が大部分を占めております。 健全ではありません、お間違い無きよう。



閑話休題 U.N.オーエンはシリアルキラーの夢を見るか?-Truths,Ironies,The Secret Lyrics-

 

 

 

 

 

OP いえろ~ぜぶら 『9,999,999yearz』

 

 

 

――――――――――――――

―――――――

 

―――――――ガラッ―――

 

慧音宅、襖を開け、吉影は自分にあてられた部屋へと入った。

里人の迫害によるストレスからか、彼の瞳は落ち窪み、表情に精気がない。

「―――――――うっ………

うう………ぅ…」

額に手を当て、具合悪そうに呻く。

「………早めに寝よう。

明日も明け方には【あれ】が待っているのだから………」

げんなりとした口調でそう呟くと、彼は押し入れの襖を開け、畳んだ布団を引っ張り出す。

「…くっ……!

お、重い……?」

数日間ろくに食べ物を口にせず部屋に籠っていたため、著しく体力が低下したのか、布団が重く感じられる。

【キラークイーン】を出し、一人と一体で引きずり出した。

たったそれだけの作業でも、衰弱しきった彼にはかなりの重労働であり、吉影は座り込んで肩で息をする。

「―――――――ハァ………

…ハァ……

(こんな日常的な動作も困難になっているとは……この吉良吉影、【健康】には常に気を使ってきたというのに……嘆かわしいことだ……)」

自身の情けない現状を嘆いていた、その時、

「―――――――ム……?」

吉影はふと顔を上げ、首を傾げた。

彼が今さっき運び出した布団に、違和感があったからだ。

吉影は立ち上がり、敷き布団の上に重ねてある掛け布団を取り払った。

そしてもう一度、畳まれた敷き布団に目を落とす。

やはり、おかしい。

布団が妙に盛り上がっているのだ。

「…………………」

吉影は用心のため、【キラークイーン】に身構えさせる。

そして布団の端を掴むと、

 

グンッ

 

一気に引っ張り上げた。

 

ドサッ―――――――

 

布団の中から、寝具以外のものが転がり出て来た。

それを見た瞬間、吉影は言葉を失い、布団を掴んだまま暫し呆然とする。

「―――――――……………ん……」

出てきたものはピクリと頭を動かし、

「………ン……ムニャ…………

……ふあぁ………あ」

ゆっくりと身体を起こすと、可愛らしい欠伸を漏らし、眠たげに目を擦る。

「…ふぅ………

………ん…………?」

ぼんやりと畳の上に座り込んでいた彼女は、辺りの様子がいつもはと違う事に気付いた。

それからまたしばらくぼんやりとして…、

「…………あっ…!」

そしてようやっと、思い出した。

彼女はふるふると忙しく左右に首を振り、眠気を払い頭をはっきりさせて、

背後に立っていた吉影に気付いて、身体を彼に向けると、

「こんばんは吉影!」

向日葵のような明るい笑顔を浮かべ、嬉しそうに彼にそう言った。

吉影は布団から手を離すと、無表情に彼女を見下ろし、口を開いた。

「………………これは………

なんのつもりだ……?フラン。」

吉影は、彼女――――寝間着姿で布団にくるまっていたフランに問う。

「エヘへ…昨日読んだご本に書かれていたの。

古代の王国では、お妃様になりたい女の人は赤いカーペットにくるまれて、自分を王様に献上する印にしたそうよ。

だから、私は貴方のお布団にくるまれて待ってたの。

貴方が来るのを、今朝からずっと……

でも、やっぱりお昼は眠くて……気が付いたら寝ちゃってたの。」

フランはニコニコと笑って、吉影を見上げる。

褒めて貰えると思っているのだろう、表情が誇らしげだ。

「(……………ユリウス・カエサルとクレオパトラ…か。)」

彼女がここにいる理由は分かったが、これだけでは彼を【納得】させるには至らない。

普段の吉影ならば、どう返したものかと、表情に出さず思考することだろう。

問答無用で叱りつけてやるべきか、はたまた彼女なりの愛情表現を尊重して、やんわりと注意するだけに留めるか。

だが、今の彼は気が立っていた。

それも、かなり危険なレベルに。

追い詰められた自分の状況によって胸の内で燻る苛つきと、それを露ほども知らずに擦り寄って来ては負担ばかりを増やす、目の前の少女に対する苦々しい感情が、彼の疲弊した脳内に渦巻く。

「……フラン、わたしはちゃんと言いつけた筈だ。

わたしの許可無しに【写真】から出て来たり、声を掛けたりするのは禁止すると。

もし慧音や射命丸に見つかったらどうする?え?

そんなことも考えられなかったのか?」

落ち着いた、しかし確固たる口調で、吉影はフランを問い詰めた。

フランは笑顔を絶やさずに答える。

「うん大丈夫、いざとなったら霧とか蝙蝠に変身して逃げられるし、本当に危なかったらキュッとしてドカー―――――――」

「フランッ!」

思わず強い語調で言葉を放ってしまった。

だが、フランはクスクスと悪戯っぽく笑う。

「冗談だよ冗談。

本気にしたの?」

口に手を添えて笑っていたフランは、笑うのを止めると、俯いて床に目を落とした。

「…私……ちゃんと分かったの。

むやみに壊したり殺したりするのは、いけないことなんだって……

貴方が教えてくれたもの。」

遠くを見るような目で、少し悲しそうな笑みを浮かべ、フランは話し始める。

「私…お姉さまにお願いを断られたりして、怒ったり、悲しかったり…そんな時、ただなんでもいいからむちゃくちゃに壊したいって気持ちのまま、この【手】で『キュッ』と握って……手当たり次第に壊して散らかして……

その後お姉さまに怒られても、いったい何がいけないのか分からなかったの………

『私は痛くもなんともないし、壊れた物もすぐ新しいのに変わるし、別に良いじゃない』って、そう思ってたの。

…でもねっ

貴方と会って、やっと分かったの。

私、あの時…貴方と初めて逢って地下で戦っていた時、最初からずっと、貴方を【壊す】ことしか考えてなかった……

それでね、もし、その時私が貴方を壊してしまってたり………、

逆に貴方があの時【お友達】になってくれずに、私を壊したりしてたら……今こうやって貴方のお部屋で、貴方とお話なんてできてないんだって…私は今でも自分の部屋で、ひとりぼっちで寂しがっていたかもしれないのかなって…」

ポツリポツリと話すフランの表情は、過去の自分を悔い、今の幸せこそ【奇跡】なのだと心から慈しむ、悟ったような、しみじみとした、少女らしからぬものだった。

つい数日前、この幼気(いたいけ)な少女の顔が、凶悪な牙を吉影に向け、流血と殺戮に哄笑を上げて、狂気と狂喜に歪んでいたなどと、いったい誰が想像できようか。

その面持ちに、吉影の煮立った思考も徐々にクールダウンしてゆく。

「お姉さまの言ってたことも、今ならちゃんと分かるよ。

一度壊したり殺したりしたら、【その先】はもう何も無いんだ、って。

その時むしゃくしゃした気分にまかせて壊しちゃったものが、いつか私の大切なものになっていたのかもしれない。

面白半分で傷付けた人達が、もしかしたら、私と一緒に笑ってくれる未来も、どこかにあったのかもしれない。

……そう思うとね、ほんとに、心から、貴方に…………」

はにかむように頬を赤らめて、一度吉影から目を逸らす。

深く息を吸って、心を落ち着けて、吉影に視線を戻すと、

彼を見上げて、言葉を繋いだ。

「―――――――『ありがとう』って、そんな気持ちになるの。」

吉影を見つめるその瞳には、屈託の無い純粋な感情がいっぱいに湛えられていた。

吉影の胸の内で煙っていた黒い感情を、秋の夜風のように澄んだ爽やかさで冷やしていく。

少し平生の穏やかな心を取り戻した吉影は、緊張を解き表情を和らげる。

身体を屈め、ナイトキャップを被った彼女の頭に手をのせた。

柔らかく撫でてやると、くすぐったそうに肩をすくめて、目をぎゅっとつむり、でも嬉しさを隠さずに微笑んで、彼の手に身をゆだねていた。

暫くそうしていると、手のひらにフランの体温がじんわりと広がっていって、

彼の胸に溜まったしこりを、解きほぐしてくれているように、心が軽くなっていった。

暫くそうしていて、そろそろフランも満足しただろうと思った頃に、ゆっくりと手を離した。

「…………フラン、今日はもう遅い……、いや、『まだ早い』。

これから私は眠りにつく。

君は自分の部屋でお絵描きしたり、本を読んだりして、自分の時間を過ごしていてくれ。

日付が変わって、明日のおやすみの時間の前に、また君に会いに行こう。

だから、今は我慢してほしい。

そうしたら、『いつもの』をしに、君の部屋を訪れよう。

なあに、すぐだ…ほんのちょっとだけ待っていてくれたら、私達二人は【幸せ】でいられる。

君も、私も、な……」

そう言って、懐に手を伸ばし、【写真】を抜こうとした。

「……………?」

だが、目当ての物は彼のピアニストのような指先に触れることはなかった。

彼は普段着として着ている和服の内ポケットの中を探ったが、【写真】は見つからない。

もしや、一着しかないため大事にハンガーに掛けてあるスーツの中に入れっぱなしにしていたのか。

いや、ここ数日、彼はずっと和服で過ごしていたし、昨日も和服でフランとの逢瀬(おうせ)をしていた。

【写真】は朝着替える時に、確かに今着ている服に忍ばせたはずだ。

彼が首を捻っていると、

 

…ズル………ズ…ッ……

 

と、何かを引き摺る音がした。

ふっと顔を上げた吉影の眉が、僅かに動く。

「…………何をしている?」

いぶかしむような目で、布団を敷いているフランを見やる。

背中を向けていたフランは、彼の呼び掛けに振り返る。

その顔には彼が何度も見てきた、悪戯っぽい笑み。

吉影はやや警戒した。

間違いない、何か企んでいやがる。

果たして、にんまりと口角の上がった彼女の口から、言葉が紡がれた。

「吉影の探し物、コレでしょ?」

掲げられた彼女の右手には、一枚の【写真】。

フランの部屋と吉影の部屋を繋ぐ、空間を超える小窓。

見せびらかすようにヒラヒラとそれを振り、吉影の反応を楽しんでいる。

 

―――――――そうか、フランドールが『こっち』に来た時に、【写真】を取っていたのか。

 

自分が耄碌(もうろく)したわけじゃなかったことに安堵し、同時に、フランの態度に対する苛立ちが再度鎌首をもたげる。

「……そう、それだ、フラン。」

あまり感情を表に出しても、玩ばれているようで面白くない。

彼は素っ気なくそう言うと、黙って右手を差し出した。

返してくれ、というジェスチャーだ。

そんな彼の様子を面白がるように、フランはフフッと笑みを溢す。

「なに?

どうしたの吉影?

口でお願いしてくれないと、分からないよ。」

そう言われて、吉影はいつか彼女に言った言葉を思い出す。

『自分の相手に伝えたいことは、ちゃんと口に出して言え』

『誰かに頼み事をする時は、脅すでなくお願いをするべきだ』

誰もが幼少期に教わる基本的な人付き合いの作法に関して、あまりに無知なフランに、吉影が【しつけ】の一環として言い聞かせたのだ。

自分の発言を逆手にとられることほど、腹立たしいことはない。

苦々しい感情を噛み殺して、吉影は平静を装い口を開く。

「………その【写真】を、返してくれないか。

君もよく分かっているだろうが、それはとても大事なものだ。

私が持っていないと、君に会いに行けなくなってしまう。

そしてそれを返した後は、それを通って君の部屋に戻りなさい。

すぐに会いに行くから、その時に思う存分相手をしてあげよう。

いくらでもお話に付き合ってあげるし、君の読んでほしい本を読み聞かせもしてあげよう。

血だって、君が満足するまで飲ませてやっていい。

だから、今は辛抱してくれ、お願いだ。」

沸き上がって来る屈辱感を押さえつけ、吉影はフランに一歩歩み寄る。

彼の言葉を聞いて、フランは嬉しそうに瞬きした。

「ああ、コレを返して欲しかったのね?

う~ん、どうしようかなぁ………」

わざとらしくフランは首を捻ると、

 

スッ――――

 

【写真】を顔の前に持っていって、小さな口を開き、

柔らかな唇で挟むようにして、それをくわえた。

彼女の行動の意図が分からず、疑問符を浮かべる吉影に、フランはいじらしい笑みを浮かべて、こう言った。

「手も足も【スタンド】も道具も使わずに、コレを取り返してみせて。」

 

吉影の抱いた感想は、『何を言っているんだ?』だった。

この間の『手で顔を鷲掴みにして』という要望といい、この娘は常識を超えた注文をする節がある。

それで何を望んでいるのか、もしくはそれ自体が目的なのか、健全な手首愛好家である彼には理解できないのである。

と、彼が次に起こすべき行動を見つけられずにいた時、

フッと、フランは身体の力を抜いた。

口に【写真】をくわえたまま、後ろに倒れていく。

ポフッ、と軽くて柔らかい音がして、

フランは仰向けに、吉影の布団に倒れ込んだ。

その一連の行動を注視していた吉影は、いよいよ意味が分からず目を細める。

「………?

……なんの…つもりだ…?フラン……」

それは本心から理解できず、思わず口から漏れた疑問だった。

対するフランは、吉影の困惑したさまを愉しむように悪戯っぽい微笑を絶やさず、布団の上から吉影を見上げる。

彼女の頬は紅く上気し、紅い瞳は蟲惑的な光を宿している。

【写真】をくわえている唇が、動いた。

「―――――――コレ、とってみせて。

………お口で」

首を傾けて、流し見るような扇情的な視線。

薄く可愛らしい唇と、そこから覗く小さな舌が、挑発するように【写真】を弄ぶ。

「………もし、できなかったら………

…今夜は、一緒にいて。

二人だけで………このお布団で……」

二本の白い牙がちらりと、口の端から覗いた。

「……………来て」

切なげに潤んだ瞳で、彼を見詰めた。

透けるように薄い生地のネグリジェの下、肌着二枚のみで隠された、雪のように白い柔肌を惜し気もなく晒し、

全てを破壊するはずの両手は、身構えるでも、幼い四肢を隠すでもなく、力なく頭の上の位置に置かれ、

彼女の無抵抗であることを主張していた。

それでいて、まだ恥じらいが残っているのか、気恥ずかしげに捩られる、柔らかい体躯。

この媚態を、幼い彼女はどこで身に付けたというのか、或いは、生まれながらの吸血鬼としての性(さが)か。

 

吉影は、露骨に顔をしかめた。

頭を抱えて、盛大に溜め息の一つでも吐きたい気分だった。

 

勿論全く当然ながら、彼の脳裏にはやましい想像など一片たりともよぎらない。

相手は姿形が十にも満たない少女、ましてや吸血鬼だ。

そもそも、そんな下卑た発想の余地が存在しないのだ。

もし、万が一、妙な想像を掻き立てられるような不純な輩がいたのだとしたら、そいつは自分の異常性癖ぶりを認めるべきである。

つまり、吉影はフランの言動の意図を、『【添い寝】してほしい』ということだと解釈した。

冗談じゃない、彼女は夜行性、わたしは夜11時には就寝する健康志向人間だ。

我儘な彼女のことだ、寝かせてもらえるわけがないし、騒がれれば慧音に見つかる危険性が跳ね上がる。

断じて許可するわけにはいかない。

 

「―――――――フラン、わたしは君の【友達】だ。

だが私は君と違って、夜に眠り昼に起きているんだ。

どうせわたしは寝てしまう。

一人退屈に起きていることになるだけだぞ。」

一瞬、フランの表情に影が差した。

だが、フランは首を横に振り、尚も吉影と張り合おうとする。

「それでもいい!

寝てしまってもいいの!………

ただ、一緒にいられたら、それだけで幸せなの。

寝ている時でもずっと一緒にいたいと思うのは、【恋人】なら普通のことなんでしょう?ねえ?」

 

いつから【恋人】にランクアップしたんだ?

フランとの底の見えない問答に、吉影はそろそろ嫌気が差してきた。

コイツは何か思い違いをしている。

此処らで諫めておかないと、今後付け上がって手がつけられなくなるやもしれない。

 

小さく溜め息を吐き、実力行使に出ようとした、その時、

彼は気付いた。

彼女の象徴であるきらびやかな七色の羽根が、その背中から消失していることに。

同時に、耳元で鳴り響く、皮膚が粟立つような無数の羽音。

抵抗する間もなく、背後に現れた蝙蝠の大群が、彼の全身にとりついた。

そのまま身体を反転させられ、物凄い力で布団に押し倒される。

背中から仰向けに倒れた吉影の肩、腕、足に、各々蝙蝠が一匹ずつ張り付いて、身動きできないよう押さえつけられた。

「フフッ、つっかま~えた♪」

布団の上、自分の隣に磔(はりつけ)にされた吉影の耳元に口を近付け、悪戯の成功した子供特有の声で囁いた。

身体を起こし、残りの蝙蝠を背中に戻して、七色の翼を広げる。

身体を反転させて、吉影の身体に自分を乗せた。

「ほんとは私が下で、圧迫されるのをやってみたかったんだけど……こういうのも、良いかもしれないわね。」

跨がるようにして吉影を押さえつけていたフランは、女豹のような動きで、吉影の頭の方へと這い寄る。

「……吉影が寝ていて会いに来てくれない間、私、ずうっと考えてたの。」

口にくわえていた【写真】をポケットに仕舞い、吉影に顔を近付けた。

「この前、パチュリーの本棚からとってきた【外】の本に、書いてあったの。

『誰かを自分のものにしたいなら、【既成事実】を作ってしまえばいい』ってね。」

目の前に迫ったフランの双眸は、爛々と妖しく輝いていた。

「だから、私思ったの。

『こうしちゃえばいい』って。

こうすれば、吉影といつまでも一緒にいられる、って。

夜は一緒に遊んだり、おままごとしたりして過ごして、昼はおんなじベッドでおやすみできるんだ、って。」

フランの視線が、吉影の首筋に注がれた。

白く鋭利な、しかし小さくあどけない牙を見せて、ニッとフランは笑った。

「―――――――私と、『ひとつ』になりましょう?」

興奮した熱い吐息が、彼の喉元にかかる。

艶かしい湿り気が、二人の間に充満した。

「………でも、すぐに『吸う』のは勿体ないから………」

目を吉影の首から離し、一度身体を起こす。

視線を落とすと、蝙蝠に倒された時の衝撃で、胸元がはだけていた。

それを見つけて、フランは舌なめずりをする。

「その前に、色々愉しんでおかなくちゃ。」

大きく開いた服の中から覗く胸板は、三十路を超えているとは思えないほど引き締まっていて、一ミリの贅肉も見当たらない。

肩の筋肉も盛り上がり、頑強で凛々しく、それでいて胸筋と合わせて調和のとれた印象を見る者に抱かせる。

普段もスーツの上から確認できていたが、直に見ると圧倒されるほどの肉体美。

初めて目にする均整のとれた男の身体に、フランは思わず息を呑む。

カッと頬を真っ赤に染め、恥じらいからか目を逸らした。

何度か躊躇する素振りを見せたが、

意を決して、起こしていた上体を倒し、吉影の胸に顔を埋めた。

張りのある肌、硬く分厚い胸板、鼻腔を満たす獣のような匂い。

そして、直にふれた体表から伝わる、吉影の温もり。

身体の芯から暖められるような熱を感じて、もっとそれに触れていたくて、フランは吉影の背に両手を伸ばした。

ぎゅっと抱き付き、今度は顔を横に倒す。

頬を胸に押し付けると、耳に力強い音が聞こえてきた。

 

…ドクン……ドクン……

 

吉影の心臓の鼓動だった。

アンデッドであるフランには、それが人間では遅いのか速いのか分からなかった。

だが、フランのものよりは速い気がした。

耳に届く、一定の間隔で時を刻む音色。

それを聴いていると、吉影がすぐ傍にいるのだと実感して、彼女の胸を安心感が満たしていった。

暫く目蓋を閉じ、耳を押し当てて聞き入っていたが、やがて身体を起こし、吉影に向き直る。

「―――――――さあ、『一つ』になりましょう……?」

子猫のように四つん這いになって、彼の身体を這い上る。

艶かしい吐息を漏らして、吉影の首筋に舌を沿わせた。

吉影は死人のように動じず、肌を粟立てたりもしない。

舐め回し、唾液で濡れた肌から、フランは舌を離した。

粘りけの強い唾液は糸を引いて、艶やかにフランと吉影を繋ぐ。

「―――――――いただきます。」

呟くと、口を大きく開いた。

白く鋭い牙が、吉影の首に迫る。

唇を当てて、すぐにでも牙を突き立てられる位置まで近付けた。

あとは顎を閉じるだけで、薄い皮膚、逞しい筋肉、頸動脈を破り、中を流れる熱い血潮を思う存分堪能できるだろう。

ゴクリと喉をならし、一思いに噛みつこうとした。

 

 

 

「―――――――フラン、」

今まで身動ぎ一つしなかった吉影が、口を開いた。

「ッ!?」

フランはビクリと肩を竦め、動きを止める。

 

「『怒るぞ』」

 

人の言葉とは思えない、あまりにも冷たい声。

フランを見下ろす吉影の目には、一切の温もりと呼べるものはなく、冷めきっていた。

こんなにも温かい身体を持つ人間が、どこにこれほどの冷気を隠し持っているのだろうか。

―――いや、その極寒の冷気の正体は既に、フランの眼前に姿を現していた。

猫とドクロを混ぜこぜにしたような凶悪な頭部、

筋骨隆々の体躯、

吉影の精神性の具現、【キラークイーン】。

吉影の背後に佇み、落ち窪んだ眼孔から、本体よりもさらに冷酷な視線をフランに注いでいる。

そして、その人差し指は、彼女の額を小突くように触れていた。

 

フランは、見た。

その指の付け根、【スイッチ】に、抜き取られた自分の【目】があるのを。

 

ガクガクと肩を震わせて、フランの身体が、ゆっくりと起き上がる。

密着していた吉影の肉体から、後ずさるように身体を離していく。

上体を真っ直ぐに起こしたが、彼の身体から降りようとはしない。

金縛りにあったように、そのまま硬直し、小刻みに震えている。

 

蝙蝠の拘束が解け、吉影は腕を僅かに動かして確認する。

凄い力で押さえつけられていたが、特に異常はなかった。

一先ず身の安全を確保した吉影は、自分の腹に乗るフランに目を戻した。

先程までの饒舌さは消え失せて、項垂れている。

髪で隠れているため、その表情は窺い知ることはできないが、どうやら怯えているようだった。

全身をブルブルと震わせ、歯がカチカチと音を立てている。

怖がらせ過ぎたか、と吉影は思った。

しかし、あのままでは本当に喉を喰い破られかねないところだった。

今後この娘の手綱を握っておくためにも、このくらいで丁度良かったのだ。

そう自分に言い聞かせ、フランに部屋に戻るよう促そうとした。

その時だった。

 

BGM FELT 『Moonlight shines』

 

「…………?」

露になった胸に、冷たい刺激を感じた。

ポツリ、ポツリと、それは降りだした直後の雨のように、彼の胸に滲みを広げていく。

胸に目を落とすと、いくつもの水滴が彼の肌の上に散らばっていた。

水滴は上から、まばらに落ちて来る。

ふと、顔を上げた。

「……ッ!?」

フランが両目から大粒の涙を流し、吉影を見詰めていた。

唇をきゅっと結び、押し殺したような嗚咽を上げて、潤んだ瞳で睨むように、吉影を見下ろしていた。

それを見た瞬間、フランに玩ばれている最中も平常の心拍を崩さず、穏やかな心音を立てていた彼の心臓が、ドクンと跳ね上がった。

平穏だとか安心だとかとは真逆の感情が、彼の胸を掻き乱し、さざ波を立てる。

 

―――――――『違う』

駄目だ

これは駄目だ

あってはならないことだ

こんなものは見たくない

何とかしないと―――――――

 

取り返しのつかないことをしてしまったような、

見てはいけないものを見てしまったかのような、

後悔と懺悔の気持ちが、にわかに彼の胸中を支配した。

言いようもない焦燥感に駆られ、吉影は激しく動揺する。

女の涙など、何十回も見て来たというのに。

今の状況より余程切迫した、まさに命を刈り取る瞬間にさえ、彼の心は爽やかな涼風と、下卑た欲求に満たされていたというのに。

自分に跨がって咽び泣く、目の前の人外の少女の瞳から零れる涙から、目を逸らすことができなかった。

涙をいっぱいに溜めた目を、非難するように細め、フランは口を開いた。

「―――――――……だって……っ…

…こうしないと………一緒に……いられないじゃない………っ」

はらはらと涙を溢して、フランは胸の内の感情を吐露する。

「……私……知ってるよ……

人間は…生まれてから80年くらいしか…生きていられないんだ…、…って……

誰でも、どんな人でも、何をやっても………絶対絶対に……死んじゃうんだ…って……」

喉につっかえた言葉を捻り出すようにして、フランはそう言い切った。

胸の中に押さえ込んでいた気持ちの沈殿、それを吐き出して吹っ切れたのか。

ここで彼女の感情の堰が切れた。

「私が地下室で何もしないで生きてきた時間が両手の指全部なら、吉影といられるのはたった小指一本なんでしょ!?

すぐにしわくちゃになって!

身体も痩せて歯も髪の毛も抜けて!

目も見えなくなって!

かけっこして遊べなくなって!

お話してもごはん食べてもすぐ忘れちゃって!

ベッドから起きられなくなって!!

それで……!それで……っ…!!」

興奮し、涙の雫を飛ばして、涙で詰まって掠れた声で一気に捲し立てる。

彼女自身、自分が何を言っているのか分かっていないのだろう。

次から次へと言いたいことが、口から込み上げて来る。

その声は既に【大声】と呼べる音量に達していた。

だが、吉影の思考は『慧音にバレる』可能性というものには至らなかった。

それほどまでに、吉影は心乱されていた。

「……それで……っ…最後には死んじゃう…!!

もうお話できない……遊んでくれない……!

頭を撫でても、抱っこしてもらっても、冷たいばかり……

また私は……ひとりぼっち………」

慟哭し、また吉影の胸に顔を押し付けた。

「いや………!嫌よ……っ!

そんなの嫌……!!

もう……貴方無しじゃあ眠れない…!

地下室の隅で膝を抱えて、ひとりぼっちでいる時間に耐えられない……!

ずっと一緒にいたい……

二人っきりで……幸せに暮らしていたい……」

フランの声は細く弱まり、ついには蚊の鳴くような悲痛な囁きとなった。

「死なないで……吉影ぇ……!!

一緒にいてよ……!

ひとりにしないで………!!」

余命50年の末期患者にすがりついて、胸の中で泣き続ける。

温い涙が胸を濡らし、吉影の身体から、緊張が抜け落ちた。

無意識の内に、フランの【目】を手離していた。

【キラークイーン】も引っ込めていた。

自分の中に唐突に湧いた、今まで感じたことのない感情。

その正体が分からず、吉影は対処できないでいた。

いつの間にか、彼は手をフランの背中に伸ばし、小さく震えているその背中を、なだめるようにゆっくりと擦っていた。

そうしていなければ、自分が感情に呑まれてしまいそうだった。

 

「―――――――う……うう……っ

うえっ………えええ……あぁぁ…………

ぐすっ………ひぐ………っ………ううう……えぇぇぇ…………」

吉影の胸にしがみついて、フランは泣きじゃくる。

吉影の心音の変化に、彼女は気付いているのだろうか。

暫し、フランの嗚咽だけが部屋に満ちた。

 

―――――――やがて、まだ涙まじりではあったが、ポツリポツリとフランが再び言葉を紡ぎ始めた。

「―――――――それに………

吉影はきっと、私を待っていてくれない……【あの女】のところに行っちゃう…!」

ピタリ、と吉影の手が止まった。

フランの慟哭を目にしてから今まで、世界には自分とフランしかいないかのような錯覚に囚われていた。

完全に頭から消え去っていた第三者の存在が想起し、グチャグチャに掻き乱されていた彼の脳を一気に冷ます。

そこでやっと、平生の自分と比較して異常極まりない挙動を示している自身に気付いた。

 

―――――――何故………わたしがこんなことをしているんだ……?

コイツはついさっき、わたしを眷族にしようとしていた、生まれついての化け物だぞ?

わたしがこれほどの苦境に陥る原因の一端を作った小娘だ…

何故わたしがそんな奴を慰めなきゃならない…?このわたしが……何の打算も目論見もなく……

泣き言も耳を貸したりせず、聞き流してしまえば良いのに……放っておけ……心臓に悪いだろうが……、

………?

そうだ……何故…この娘の、みっともなく泣き喚く姿を見ていると、こんなにも心臓が痛むんだ……?

鬱陶しいだけだろう……

…だが……何なんだ………?この【感情】は…………?

 

しゃくり上げながら、フランは言葉を繋ぐ。

「貴方の血を飲んでいる時……いつも見えてた……ここの寺子屋の先生……

貴方の記憶が血を介して、わたしの中に流れ込んで来た………

…スタイルも良くて、賢くて優しくて、お料理も上手………

まるで、お母さまみたいな人………素敵な人。

吉影はきっと、私じゃなくて彼女を選ぶ………私が立派なお嫁さんになる前に、貴方は死んじゃうんだから………!」

ぎゅっと、フランの手が堅く握られる。

吉影の背中に爪が食い込み、血が滲み出た。

「今すぐに壊したい……あの女…!

吉影を取っちゃうなんて許せない……!!

でも……『キュッ』てやったら吉影が寂しい思いをしちゃう……吉影に嫌われちゃう……」

涙が彼女の頬を濡らし、伝い落ちて、吉影の心臓の上に落ちた。

「……今までそんなもの……私は持ってなかったから………

貴方に会うまでは、知らなかったけど……

【大切なもの】が壊れたり、傷付いたりすると、私も悲しくなるの。

貴方が痛かったら、私も痛いし、貴方が悲しいと、悲しい気持ちになるの。

今までもそう……吉影は血をくれる時、いつも優しく笑ってた、笑ってくれてた……!

でも、心の中は辛い気持ちでいっぱい……!

だからきっと、あの女を私が壊したら、吉影がもっと辛い思いをしちゃう………!

それはダメ……嫌なの…っ……!」

彼女の言葉を聞いて、吉影は息を呑んだ。

与えるばかりだと思っていた。

自分が血を与え、この娘を手懐け飼い慣らす、ただそれだけなのだと思っていた。

しかし、それは間違いだった。

彼が血を与えている時、この娘は彼から【痛み】を取り去ってくれていた。

この娘は、彼の【辛さ】を肩代わりしてくれていたのだ。

血を与えた後、彼を襲っていた【脱力感】、その正体は、フランが【痛み】を取り去ってくれたことによる【安心】だったのだ。

 

肩を震わせて泣き、吉影にすがりついていた彼女は、やがて腕の力を緩め、彼を解放した。

彼の背中に回していた両手を引き、身体を吉影の胸から離していく。

体を起こして、涙でぐっしょりと濡れた顔を両手で拭う。

だが、涙は止めどなく溢れてきて、彼女の頬をしとどに濡らしていく。

「―――――――吉影ぇ…………

…私………貴方が『好き』……!

貴方がいないと……!もう私…生きていけない……!」

両手で目尻を拭いながら、さめざめと泣き、彼女は言った。

「貴方がいなくなったら………私も……っ…一緒に……!

―――――――一緒に……っ…いなくなってあげる…………」

 

BGM FELT 『Screen』

 

その時、彼は理解した。

胸に突き刺さる、張り裂けるような痛みの正体を。

罪悪の咎が無い、生まれついての人でなし―――吉良吉影が、生涯持ち得る筈のなかった情動を。

盲人の目に光が宿ったように、それははっきりとした形をもって自身の中に感じられた。

 

――――――なんだ

わたしが手綱を握る必要なんて、まったく無かったじゃあないか――――――

 

吉影の胸に、込み上げる感情。

喉が、目蓋が、熱い感覚で溢れていく。

 

――――――この娘は……、世間で言われているような、狂気の悪魔なんかじゃあない……

人の痛みを理解できて

人の辛さを悲しめる

わたしなどより、余程健全で、純粋で……真っ当な心を持った……

………ただの……、ただの…!…優しい……ッ…――――――

 

無意識に伸びる腕。

起き上がる身体。

 

感情に突き動かされるまま、フランの身体を抱き締めていた。

縮こまって、いっそう小さくなった彼女の背中に手を回して、堅く抱擁する。

ピク、とフランは肩を震わせる。

胸に抱いたフランに、吉影は穏やかな声で囁いた。

「…フラン、君はまだ子供なんだ……焦らなくていい……考え過ぎなくていいんだ………

大人の真似事なんて、しなくていい。

先のことの心配なんて、しなくていい………

辛いことや痛いことは、大人に任せて………、子供はただ、笑ってくれていたら……それだけでいいんだ…………」

 

この数日間、食事もろくに喉を通らず

石つぶてが雨戸を叩く度に、脅かされる恐怖に苛まれていた

 

崩れそうな彼の心が、折れずにいられたのは

フランとの逢瀬の一時が、彼の苦痛を和らげてくれたからかも知れない

 

むしろ、救われていたのは、このわたしだったのだろう―――――――

 

頬に触れる髪の感触。

甘く儚い香りの中、吉影は確信した。

 

―――――――そうか……、

この感情が……―――――――

 

BGM TaNaBaTa『Unknown Girl』

 

「―――――――フラン、【約束】だ。

わたしは絶対に、君を不幸にしたりしない。

わたしは死なないし、君を置いてどこかに行ってしまったりもしない。

これから先、ずっと、わたしは君のものであり、わたしのものは君だけだ。」

 

吉影の膝の上で抱えられているフランは、ゆっくりと吸い寄せられるように、彼の背に手を伸ばした。

大きく逞しい背中に手を回して、彼の胸板にぴたりと身体を寄せる。

二人の体温が、触れあう肌を通して伝わり合う。

あの時、最初に吉影が手を差し伸べてくれた時感じたものより、確かな温もり。

彼女の心に柔らかい安心が、じんわりと広がっていく。

微睡みにも似たその心地よさの中、彼女は自然と瞳を閉じた。

………フランに応えるように吉影は、小さなその体を包み込むようにして、再び抱き寄せる。

「――――そして―――

……フラン、ここから先は【契約】だ……よく聴いておきなさい。」

顔を落とし、フランの耳に口を寄せて、囁いた。

「―――――――もしわたしが、君の心を裏切ったなら………そのときは――――――」

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

――――――――――――――

 

―――――――

 

 

 

 

 

 

 

ED 天野月子 『箱庭~ミニチュアガーデン~』

 

 

――――――――――――――――――

 

―――――――――――――

 

――――――『…吉良吉影………

心するのだ……

「【全て】を敢えて差し出した者が、最後には真の【全て】を得る

ましてや、【自分の最も大切な者】を捧げたなら……」――――――

覚えておきなさい』――――――

 

 

 

 

 

 

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