【第一部】~吉良吉影は静かに生き延びたい~/【第二部】~Saint Babel Run~ 作:どくたあちょこら~た
「――――――――はい、こちらが処方箋ね。
お大事に。」
手渡した書類を受け取ると、ありがとうございましたと一礼し、患者は退室した。
ごく普通の病気で来院した、『話の通じる』『人間の』患者だった。
その【真逆】の患者で溢れかえっている最近では、珍しいことだ。
「次の方、どうぞ~」
忙しく手を動かし、地上には存在しない言語でカルテに何か書き込む片手間に、待合室まで聞こえるよう呼び掛ける。
【外の世界】の医者はカルテの内容が他人には分からないよう、暗号化したり別の言語で書くことが義務付けられていると言う。
【幻想郷】にはそのような法は無いし、守秘義務なんぞなんのそのな輩が蔓延ってはいるが、一応『地上式』ということで採用し自らに義務付けてみた。
カラカラと何かを転がすような音がして、竹林の薬師――――八意永琳は顔を上げる。
「――――――――あら、こんにちは。」
『珍しいこと』が二度も続くなんて、なんて珍しいことかしら。
永琳が微笑をたたえ、挨拶を交わす。
「おう、よろしく頼むぜ。」
車椅子に腰掛けたホル・ホースが、にこやかに佇んでいた。
【第二部】~Saint Babel Run~ 第二話 埋没少女
「――――――――よし、もう大丈夫みたいね。
傷はちゃんと全部塞がっているわ。
これでご退院よ、おめでとう。」
「マジかDr?
ホェ~、すっげえなあ【永遠亭】の医学。
【外】なら二週間は掛かる怪我を一日足らずで治しちまった。」
永琳に背中を診てもらっていたホル・ホースは乗りたての車椅子を器用に操り向き直りつつ、感嘆の言葉を漏らす。
「私の治療だけが原因じゃないわ。
貴方の身体が――――――――その、『逞し過ぎる』からよ。」
服を着ようとしているホル•ホースの上半身は、隆々と筋肉が盛り上がり、その表面には幾多の修羅場を切り抜けてきた中で刻まれた無数の傷痕が走っている。
中年も後半に差し掛かる男のそれとは思えない肉体美と、仙人じみた尋常じゃあない貫禄、ハードボイルドを絵に描いたような圧巻の肉体である。
彼が服を着終えるのを心無しか名残惜しそうな表情で見ていた永琳が、言葉を繋ぐ。
「勿論、私が持てる最大限の技術を投入して治療にあたったことも理由の一つよ。
貴方の傷は、……私の身内が負わせたものだから。」
申し訳なさそうに目を伏せる永琳に、ホル•ホースが笑顔でいやいやと手を振る。
「そんな気に病むこたぁないぜ先生。これっぽっちの怪我しょっちゅうだし、どうってこたねえよ。
別にあの【バニーガール】のことも恨んじゃあいねえ。
むしろ、こんな美人の女医さんに看病してもらえたわけだから感謝してるくらいだぜ。」
へらへらと快活に笑い、ジョークを飛ばす。
彼の様子からは、気を遣っているわけではなく、本心から鈴仙への恨みはないと言っているのがよく伝わった。
「――――――――それに……あの嬢ちゃんも、何か事情がありそうだったからな。」
ホル•ホースの目が、暗くなった。
「レディのプライバシーに干渉するつもりはねえし、知ってどうするつもりもねえが……あの嬢ちゃん、過去に『外来人』に何かされたようだった。
……『吉良吉影』、なのか?」
ギラリ、ホル•ホースの視線が鋭く光り始めた。
「――――――――そうね…間接的ではあるけれど、『彼』が原因の一つであることは間違いないわ。」
僅かの逡巡の後、永琳は口を開き答えた。
「『原因の一つ』と言ったのは、彼女には元々『外来人』――――というより【外の人間】に対してトラウマがあるのよ。
彼女の故郷は、【外の人間】に滅ぼされたの。」
ホル•ホースの表情が一瞬、硬直する。
「その時、仲間を見捨てて逃げたことにまだ【罪悪感】を抱き続けているみたいで……そのストレスと今回の『吉良吉影』の起こした事件――――『三半年異変』、通称『外来事変』が、彼女のトラウマを目覚めさせてしまった
。
きっと、『また【外の人間】に自分の居場所を壊される』と思ったのでしょうね。」
淡々と語る永琳に、ホル•ホースはバツの悪そうな面持ちを向ける。
「それで【永遠亭】に俺が近づかないよう、殺しに来たってわけか……
そりゃあ、御愁傷様――――で合ってるか?――――ってこったな。」
神妙な顔付きで、ホル•ホースは頭を下げる。
「すまねえことをした。
身内のこんな話、あんま赤の他人に話したくねえだろうに…
あの嬢ちゃんも、俺なんかに知られたくなかっただろうな……」
「…ホル•ホースさん、謝るべきはこちらです。
彼女の異常に気付かず、部外者である貴方たちを巻き込んでしまった。
貴方には、何故自分が巻き込まれたのか知る権利があるし、私には貴方にそれを伝える義務があります。
そう思ったから、貴方にこの話を打ち明けたまでよ。」
「……そうかい……あんたがそう言うんなら…」
永琳の言葉を聞き、ホル•ホースは顔を上げた。
「――――――――私からも一つ、聞きたいことがあるわ。」
永琳の目つきが、『診察』のそれに変わった。
「貴方の『脚』……鈴仙に襲撃されたのとは明らかに違う、一週間ほど前に受けた怪我、ついでに治しておいたけど……
あの大きな裂傷、火傷の痕、只の怪我ではなかったわ。
そして、さっきの貴方の言葉から読み取れた『吉良吉影』への深い憎悪……」
永琳の瞳が、ホル•ホースの目を覗き込む。
「『吉良吉影』の【爆弾】に、やられたのね?」
ホル•ホースはやれやれと大袈裟に肩を竦め、溜息を吐く。
「別に隠すことじゃあねえし、認めるぜ。
ああ、その通りさDr。
俺ぁヤツに負けた、チルノもいっぺん殺されて、俺は『脚』を奪われちまった。
そんでその恨みで、鈴仙もヤツに何かされたのかと思い込んで、勝手に親近感覚えてた勘違い野郎さ。
不甲斐ねえったらないぜまったくよ。」
自嘲気味に笑う彼に、永琳は冷酷な視線を投げ掛け続ける。
「――――――――……貴方は本当は気付いていると思うけれど……
どちらにせよ、私は医学を志す者としての立場から、【事実】を貴方に伝えるわ。
貴方の『下半身付随』の直接の原因は『爆発による怪我』じゃない、『凍結による神経の壊死』よ。」
残酷な【事実】が、永琳の口から告げられる。
ホル•ホースの顔から作り笑いが消え、落ち込んだ無表情が拡がっていく。
「――――――――……ああ…やっぱそうか……」
テンガロンハットの鍔の下、彼の沈んだ瞳の先が、自身の『脚』へと落ちた。
――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
――――――――ホル•ホースは、目を覚ました。
「(――――――――ン……?
俺………は……?)」
彼は瞼を開け、網膜に入る強烈な日射に目を細める。
彼は湖の畔に、仰向けに寝かされていた。
服の乾き具合、太陽の傾きから、かなりの時間が経っていることが分かる。
「(助かった……のか…?俺は……)」
吉良吉影との戦闘後、背後から【爆弾】を喰らい湖に叩き込まれ気を失った自分が、陸で眠っていた。
自力で上がれたはずがない。
ということは……
「――――――――あ、気がつかれましたか。」
声の聞こえた方へ視線を向けると、自分のすぐ傍に座り彼を見つめる少女と目が合った。
若草色の髪、透き通ったガラス細工のような羽を背中から伸ばした、十にも満たない見かけの少女。
「大妖精………か…」
『大妖精』と呼ばれた少女は、ホル•ホースの顔を覗き込み、安心からほっと息を吐いた。
「ホル•ホースさん……良かったです、目を覚ましてくれて……
全然起きてくれなくて、もしこのまま亡くなってしまったらと、心配で……」
見ると、湖畔からホル•ホースが倒れているところまで、赤い道ができていた。
彼のズボンも朱黒く染まり、血溜まりが広がっている。
この様子だと、相当量の出血があったらしい。
具合が最悪なのもうなずける。
「……心配…かけちまったな……
大妖精…お前が運んでくれたのか……?チルノは……?」
ホル•ホースの問いに、大妖精は微笑みを返す。
「いいえ、ホル•ホースさんをここまで運んで『止血』したのは、私じゃありません。
頑張り過ぎて今は疲れて眠っていますが……ちょっと『起こして』きますね。」
そう言うと、大妖精は目を閉じ意識を集中する。
彼女の放つ気配が徐々に変貌し、それにつれて周囲の気温が低下していく。
彼女の『妖精の長』としての『能力』を使役し、チルノの霊魂の依り代となっているのだ。
『妖精を身に宿す程度の能力』と、ホル•ホースは名付け呼んでいる。
『一回休み』となり肉体を失った妖精を、さながら巫女(シャーマン)の如く降霊させ、仮の肉体として貸し与えたり、ゆりかごとして回復を速める力だ。
彼女の『短距離瞬間移動』もこの『能力』の応用であり、自身を一時的に『一回休み』状態にし自然エネルギーの溶媒中に溶け拡散した霊魂を、任意の場所に凝集させ受肉することで行っているのだ。
目蓋を閉じた大妖精の傍で、氷と冷気が渦を巻く。
やがて中心へと凝集していき、それは人の形を象った。
背中に氷の結晶を広げた、十にも満たない少女の姿、氷精チルノの魂がそこに在った。
「ホル•ホース!
大丈夫っ⁉
どこか痛いとこ無い?
血は止まった⁈
息苦しかったりはしないっ⁉」
不安と焦燥をいっぱいに湛えた表情で矢継ぎ早に質問を繰り出し、ホル•ホースを驚かせる。
かと思うと、問いへの返答も待たずホル•ホースの側にくずおれると、彼の胴にしなだれ掛かり、咽び泣き始めた。
「ごめんね……ホル•ホース……っ!あたいのせいで……
血がい、いっぱい出て……急いで凍らせて止めたけど……ほんとに……っ!死んじゃうかもって……!すごく……!すごく…っ…怖くって……」
大粒の涙を流し、チルノはホル•ホースの服に縋り付いて号泣した。
「ひぐっ……ええっ…………ごめん……っ…ごめんね………うえ…っ……ええ……っ……あうううう…………――――――――」
ホル•ホースは、自分の傍に膝をつき、泣きじゃくる少女に目を落とす。
彼の胸に顔をうずめ、わんわんと大声で泣くチルノの姿。
涙や鼻水が服に染みては、彼女の悲哀が具現化したような溢れ出す冷気に熱を奪われ、凍り付いていく。
霜焼けしそうな冷たさが、彼にはどんな熱よりも温かく感じられた。
「――――――――…………」
気怠さに悲鳴を上げる手を持ち上げて、チルノの頭に乗せる。
肩を震わせ顔を伏せる彼女の揺れる水色の髪を、ただゆっくりと撫でていた。
余計な言葉なんていらない
ただこれだけで、他のどんな台詞よりも伝わる筈だった
慟哭するチルノ、横たわったまま彼女の髪を撫でるホル•ホース、二人を眺め微笑む大妖精。
まるで病院の一室の情景のようだな、とホル•ホースは思った。
「(――――――――………)」
『病院』、その単語にホル•ホースは、先ほど脳裏をよぎった予感、いや、『事実』を想起した。
「(――――――………俺の……『脚』…………)」
広がった血痕、破れたズボンの隙間から覗く大きな裂傷、にもかかわらず痛みも冷たさも無く微動だにしない『脚』、
自分の半身が喪失されたことを理解し、しかし彼の心は穏やかだった。
自分の胸に寄りかかる、冷んやりとしたぬくもり。
これがこの世に実在しているという事実。
その歓喜に比べれば、どれほどあるかも分からない自身のこの先の余生において被るであろう不自由も、些末なことだった。
――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
「――――――――やっぱり、気付いていたのね。」
ホル•ホースの反応を見て、永琳が言葉を洩らす。
「…ご名答だ名医さん。
俺の『脚』がオシャカになった直接の原因は、『傷』じゃあねえ。
……だがよDr、“もしチルノが『止血』してくれなかったら、俺の寝床は今頃病室のベッドじゃなく十字架の下になってた”……これも『事実』だろ?」
テンガロンハットの鍔の下、ホル•ホースの視線が永琳の瞳を見据える。
永琳はふっと息を吹き、また柔らかい微笑を彼に向けた。
「ええ、そのとおりよ。
あの妖精の娘は自分しか貴方を救えない状況の中で、結果的に貴方の『脚』を犠牲に『命』を助けたことになるわね。
『最善』とはいかないまでも、『最悪』の結果は避けることができた。
良い判断だったと太鼓判を押してあげたいくらいだわ。」
確信通りの返答を聞き、ホル•ホースの表情が穏やかに緩んだ。
「そうか……ヒヒッやっぱそうだよなァ…」
満足気に笑みを零し独りごちると、永琳に真剣な眼差しを向ける。
「Dr、すまねえがこのことはチルノには……」
「もちろんよ。医者の守秘義務は絶対だから。
貴方の『脚』について、私からあの娘に何か言うことは決してしないわ。」
「……気が効くお医者様で助かるぜ。」
「フフ、ありがとう。
じゃあもう一つ、気の効いたことをやってみましょうか。」
微笑み、永琳はホル•ホースの足下―――『車椅子』を指差した。
「それ、貴方に譲るわ。」
永琳の言葉に、ホル•ホースは驚愕する。
「なんだってェ?!い、イヤイヤイヤイヤそこまで迷惑は掛けられねえぜ!
車椅子なんて【外】でも相当な値の張るモンだし、コイツは患者のために用意してあんだろ?
俺が持っていっちまったら……」
「あら、【外】で高価な物が【ここ】でも高価とは限らないわ。
患者用の用意だって、倉庫いっぱい収納してあるわよ。
一つくらい持っていっても、何も困ることは無いわ。
それとも、私の車椅子の乗り心地がお気に召さなかったのかしら?
ゴムタイヤではなく炭素繊維強化プラスチックのホイールとスポークを使用することでパンクの危険性とタイヤ交換の必要性を排し、ボタン一つで八つの小型ホイールが飛び出し階段昇降可能、内蔵されたジャイロ装置で姿勢制御、転倒後すぐさま起き上がれる、最大耐久速度560キロ、今ならなんと購入後二百年間無償修理受け付けの、この私の自信作が?」
「……立て板に水流すような説明ゼリフ悪いが、そんな上物と聞いちゃあますます受け取れねえよ。」
手を振り頑なに拒み続けるホル•ホースに、永琳は僅かに溜息を漏らし、言葉を返す。
「ホル•ホースさん、これは私からの、いいえ、我々【永遠亭】から貴方への謝罪です。
これをお渡しすることで、【永遠亭】の体面と信用は保たれる。
我々医者は信頼が第一なのです。
鈴仙が人間を襲ったとあっては、人里での私たちの沽券に関わります。
どうか受け取って下さい。」
うっ、とホル•ホースは口を閉ざす。
彼は筋金入りのフェミニストだ。
女性に迷惑を掛けることは決してしようとしない。
受け取ってもらえないと困ると言われては、最早断るわけにはいかないのだ。
「……分かった、ありがたく使わせてもらうぜ。」
遂にホル•ホースが折れ、車椅子の所有権を譲り受けた。
「――――――――ところで……」
ホル•ホースが『最も気掛かりだったこと』について話を切り出した。
「二人は……『大妖精』と『兎耳の女』の様子は、どうなんだ?」
身を乗り出し問う彼に、永琳は真面目な面持ちに戻り答える。
「それをちょうど話そうと思っていたところよ。
大妖精の容態は――――そうね、安定しているわ。
でも……相変わらず意識は回復していない。
それに、いくつか気掛かりなことがあって……
詳しい説明は、後ほど貴方とチルノを病室まで案内して実際に見せてするわ。
それと、『兎耳の女性』の方だけど――――ついさっき目を覚ましたわ。」
「ッ!
本当か!?そいつは良かった……」
二人の無事を知り、ホル•ホースはひとまず安堵する。
「『兎耳の女性』は意識もはっきりしていてね、いくつか会話もしたわ。
竹林に埋まっていた彼女を掘り返したのが貴方だと伝えたら、お礼が言いたいと言っていたわ。
『大妖精』の病室を案内した後、彼女の病室にも連れて行くわよ。」
「そうか…よろしく頼むぜ。
忙しいだろうに、すまねえな。」
「いえ、今日の午前の診察はあと少しよ。
今待合室にいる四人を診察したら呼ぶから、待っててちょうだい。」
「分かった、外で待ってるぜ。
診察ありがとよ。」
慣れない御辞儀をし、車椅子を器用に操って、ホル•ホースは永琳に背を向ける。
「次の方、どうぞ〜」
永琳の声を背に、彼は診察室を後にした。
「(『大妖精』…“安定している”と言っていたが、意識は戻ってないらしいな……)」
診察室の出口へと向かいながら、ホル•ホースはさっきの会話から情報を整理する。
「(そんで、『兎耳の女』は目を覚まして、会話も通じている……
だが、彼女の『正体』は何だ?
なんかの拍子に『幻想入り』しちまった『外の兎妖怪』なのか?
いやしかし…あの『四つの耳』、やっぱ他の兎とは違ったぜ……
ま、詮索するつもりはさらさらねーが……)」
ドアを開け、呼ばれて入室する患者と入れ替わりに退室し、ドアを閉めた時、
「…、ッ!?」
ドアのすぐ側に目を向け、絶句した。
青い髪、水色の服、震える肩、俯いた顔。
診察室のドアの側、氷精チルノが佇んでいた。
「――――――――チルノ………」
車椅子の上、ホル•ホースは普段より低い位置からチルノの髪を見下ろす。
『聞かれてしまった』
さっきの永琳との会話は、チルノにも聞こえてしまっていたのだ。
嗚咽を漏らしながら、チルノは顔を上げ、ホル•ホースの目を見つめる。
ぽろぽろと大粒の涙を溢れさせ、自分を見上げる少女の姿に、ホル•ホースの心臓は跳ね上がる。
嫌な鼓動だった。
すこぶる心臓に悪い方の脈動だった。
「………ホル•ホース…………ごめん…っ…ごめんなさい……!」
しゃくりあげながら、チルノは口を開いた。
「『脚』……っ…あっ、あたいのせいだったんだ……っ…!ごめんなさい……ひっく…ごめんよ……っホル•ホース……!」
謝罪の言葉をうわごとのように繰り返して、咽び泣き続ける。
許してほしいからやっているのではない。
ただ、それ以外にどうしていいか分からないのだ。
罪の意識と申し訳無さを、どう行動にしていけばいいのか、とんと知らないのだ。
普段単純馬鹿と揶揄され、考えるより先に行動する彼女の積極性も、この時ばかりは意味を為さなかった。
「……ひぐっ……うえっ…………ごめん……っ………ええ…っ……ごめんね………ええ……っ…………――――――――」
泣きじゃくり、涙を拭うチルノを、ホル•ホースは本当に困ったような表情で見下ろしていた。
「――――――――」
が、やがて何かを決心したのか、キッと顔付きを引き締めると、
ガシィッ!!
彼女の両肩に手を置き、力強く掴んだ。
ひっ、とチルノは体を強張らせ、ビクッと肩を竦める。
「泣くなチルノッ!」
身を乗り出し向かい合ったホル•ホースの言葉は、チルノの恐れていたものとはかけ離れたものだった。
「約束しただろ?
俺たちは二人で『最強のチーム』になるってよォ!」
チルノの伏せた顔に、声を張り上げ語りかける。
「えっ…?!」
唐突な彼の言葉に、チルノは困惑し顔を上げた。
「泣いてるヤツは強いヤツか?
子分にやすやすと頭を下げるのが強い親分か?
心を強くもてッ!」
顔を上げた彼女の目に、ホル•ホースの瞳が映る。
「心を………強く……?」
ぽつりと、大きく目を見開いて、チルノは呟いた。
「ああそうだぜ。
泣いてちゃあ『最強』にゃあなれねえよ!
笑え、笑えッ!
おめーは俺の親分なんだからな!
いつだって笑っているヤツが『最強』で、頼れる『親分』だッ!」
ホル•ホースは力強く笑い、チルノにそう告げた。
これだけで十分だった。
「………『最強』……『親分』…………」
チルノの小さな拳が、キュッと強く握られ、震える。
「そうね……!私は『最強』で、『親分』なんだから……こんなことでメソメソなんてしてられないわ…っ!」
ホル•ホースに発破を掛けられ、チルノの心は早くも吹っ切れていた。
彼女の双眸から涙が消え、代わりに奮い立つ高揚が陽炎のごとく揺らめいていた。
「おう、それでこそ俺の『親分』だッ!!」
ヒヒヒッとホル•ホースも快活に笑う。
(言い方は良くないが)女の扱い方について、ホル•ホースはこれまでの人生における経験で熟知していた。
それは一律にいつでもこうすればいいという単純なものではない。
相手の女の性格と、場合によるのだ。
女によっては、自然と泣きやむまで抱き締めてやる方が良い時もある。
大抵の女は、無理に泣き止ませるでなく感情の整理をつけるため存分に泣いてもらった方が良い。
我慢は身体に毒でもある。
しかし、チルノの場合はそれとは違う。
理屈で説くのではない。
命を助けてもらったことに礼を言うのでもない。
無理にでも彼女には強がってもらうのだ。
泣き続けていると、彼女の心はどんどん萎縮し、衰弱していく。
逆に強がっているうちに、本当に強くなった気になってしまうのだ。
それほどまでに彼女は単純なのだ。
彼女のそんな部分が、ホル•ホースは気に入っているのだ。
「ホル•ホースっ!」
突然、車椅子の腕掛けに掴まり、チルノはぐいと身を乗り出してホル•ホースに顔を近付ける。
「あたいね、倒れていた時に見たのよ!
『脚』!あの時動いていたでしょ!?
凄い距離をひとっ飛びでジャンプしてたわ!
はっきり見たもの!」
ギクリ、ホル•ホースは目を剥き、唇を噛んだ。
「あの『腕の干物』!あれがあんたの腕に入った時、あなたの『脚』も動いた!
なにかよく分からないけど、あの『死体』のおかげでホル•ホースの『脚』が動いたのよね!」
目をキラキラと輝かせて、チルノは次々と言葉を繋ぐ。
「て・こ・と・は!あの『死体』をもっと集めれば、ホル•ホースの『脚』は治るんじゃないの?
もしかしたら、大妖精ちゃんも治してくれるかも!
『腕』があるってことは、他の部分もきっとどっかにあるはずよ!まちがいないわっ!」
興奮気味に話すチルノに、ホル•ホースはたじたじと返事する。
「あ…ああ、そうだろうな……」
「じゃあ決まりねっ!
これから私たちは『死体探し』を始めるわよっ!!」
「…おいおい、『死体』ってな……」
苦笑いし、ホル•ホースはチルノをたしなめる。
彼は、『遺体』のことはチルノには黙っておくつもりだった。
この『遺体』、その放つパワー、明らかに異質だと彼の『勘』が告げていた。
それに、これほど強力で、しかも『兎耳の女』が見つかった地中から這い出て来たいわく付きの代物である。
間違いなくヤバイ匂いがプンプンしていた。
関わりを持つと、何が起こるか分からない。
チルノや大妖精に被害が及ばないよう、今自分の『左腕』に宿る『遺体』も捨てようと思っていた矢先だった。
「……よし、チルノ。
分かったぜ、探そうコイツの他の部分を!」
ニッと笑い、チルノに返事した。
「ただ、『死体』ってんのも縁起悪いしよ、呼び名を考えたんだ。
『遺体』っつーのはどうだ?」
「『遺体』……良いわね!高級そうな雰囲気がするわ!」
ワクワクと背筋を震わせ、チルノは声高らかに宣言する。
「決まりねっ!
『遺体探し』にっしゅっぱあぁぁーつ!!」
「――――――――大妖精のお見舞いの後にだぜ。」
飛び上がるチルノに、ホル•ホースが苦笑した。
彼が躊躇していた『遺体探し』を認めたのは、それがチルノの『罪悪感』を拭う今のところ唯一の方法だと考えたからだ。
彼の『脚』は、おそらく『遺体』にしか治せない。
その手段である『遺体探し』を続けるうちに、彼女の胸中の暗雲も晴れてくれるだろう、と考えたのだ。
彼の中の指針はいつでも『女性のため』の方角を示しているのである。
この彼自身の『哲学』が、彼とチルノを傷付けることになることを、この時の彼は知らない。
――――――――時間は前後し、およそ半刻前――――――――
【永遠亭】のとある病室。
一匹の兎が、部屋の中で働いていた。
「………目、覚まさないなあ………」
ブレザーとミニスカートを身に付けた兎は、『紅い瞳』でベッド脇の心電図と、ベッドの上に横たわる人物を交互に見やる。
この兎、鈴仙・優曇華院・イナバ、ではない。
彼女より背が低く、耳も真っ直ぐではない。
だが、明らかに【永遠亭】に住まう他の『地上の兎』たちとも違う。
そして、ベッドで眠っている『兎』も、明らかに他の兎たちとは違った。
なんでも、『迷いの竹林』の地面の下に埋まっていたらしい。
『紅眼の兎』はふう、と溜息を吐いた。
自分が『御主人様たち』と一緒にここに逃げ込んだ時から、妙なことが立て続けに起こっている。
妖怪の患者の急増、外来人異変、鈴仙の発狂、てゐの失踪、気の休まる間も無い。
――――――――まあ、それでも『あの場所』に比べたら何億倍も平穏なんだから、贅沢言ってられないか……
そう結論し、再び溜息を吐いた時だっ。
「っ!?」
突如、脳波計の波形が変化した。
『兎耳の女』の脳波を計測している脳波計だ。
「えっええっ!?
ええっと、この波形は……」
あわあわと取り乱し、彼女はわたわたととりあえずナースコールを押す。
押した後で、永琳に教えられた波形の見分け方を思い出した。
『覚醒』、眠りから目覚めた時のサインだ。
――――――――パチリ、『兎耳の女』が目を開いた。
彼女はむくりと起き上がると、慌てふためく『紅眼の兎』をよそに部屋の中をキョロキョロと見渡す。
その頭から伸びる二つの『耳』が、首を振るたびにパタパタとはためいた。
「(ど、どうしよう~……八意様はもうすぐ駆けつけて下さるけど、それまで私とこいつの二人だけ……
八意様は『病気持ちじゃない』『極力目を合わせないように』と仰っていたけど……ただでさえ卑しい『地上の民』なのに、その上素性も分からないやつとなんか……)」
慌ただしく考えを巡らせる『紅眼の兎』に、『兎耳の女』はようやく目を向け、呼び掛けた。
「――――――――あの、ちょっといいかしら、そこのあなた……」
「ひゅいっ!?」
どこぞの河童みたく声を上げ、『紅眼の兎』はビクッと彼女の方を見て、慌てて目を逸らした。
大層な慌てようである。
そんな彼女を『兎耳の女』は不思議そうな目でジッと見回してから、言葉を繋いだ。
「………あなたは誰?」
「え、ええっ?
えっと、わ、わたしは、その…あの……」
目を合わせないようにして、『紅眼の兎』は情緒不安定と受け取られかねないような自分の焦燥を押さえ付けようと努力する。
フ~っ…、と大きく深呼吸し、暴れる心臓をなだめると、やや震えながらも、はっきりと答えた。
「――――――――……『レイセン』…わたしはレイセンよ。」
『レイセン』と名乗った兎の耳を持つ少女を、『兎耳の女』はジーっと見つめる。
レイセンは彼女と目を合わせてしまわないよう、神経を張り詰めて相手の反応を待った。
……やがて、彼女は口を開いた。
「――――――――じゃあ、私は誰なの?
私はこんなところで何をしているの?」
「……へ?」
突拍子もない切り返しに、レイセンは裏返った声を出す。
と、その時、
ガラッ――――――――
病室のドアが開き、二人は咄嗟にその方向へ目を向ける。
「や、八意様……」
涙目でホッと胸を撫で下ろすレイセンの視線の先、この【永遠亭】の実質的な主人、八意永琳が佇んでいた。
――――――――それから少し後、診察を始める前――――――――
八意永琳は診察室の椅子に腰掛け、首を捻っていた。
月の頭脳と呼ばれた彼女を煩わしているのは、他でもないあの『兎耳の女』である。
「……記憶喪失……それは間違いない……
嘘を吐いてるわけでもなかったわ……
常識的なこと、生活に必要なことは殆ど知っていた。
それも『機械類』に関してかなりの知識を持っていて、反面魔法や妖怪についてはお伽話程度のことしか知らなかったことから、【外の世界】から来たことは違いないわ……」
ぶつぶつと呟き、ペンで頭をコツコツと叩く。
「でも……『これ』はどういうことなのかしら?
『幻想入り』した拍子に肉体にこんな異常をきたすなんて事例、耳にしたことは無いけれど……」
ボードに貼り出した脳のスキャン写真を、釈然としない表情で見回す。
さっき『兎耳の女』が目覚め、病室に出向いた時、いくつか自己紹介と彼女の状況説明を済ませた後、質問してみた。
「――――――――何か過去に『手術』を受けたことはあるかしら?
『耳の中』とか……『口の中』とかは、特に。」
返答は、まあ永琳の予想通り「覚えていない」だった。
「『脳が欠けている』わ……病気や自然になったものじゃない、『奪われた』としか言いようのない異様な形……」
彼女の頭を悩ませていることの一つ、写真で見る限り素人でも分かるくらいに、脳のあちこちがぽっかりと無くなっていた。
「それと……彼女の『耳』……
こっちの方が私たちにとっては重要だわ……」
もう一つの彼女の頭痛の種、『兎耳の女』の兎耳。
「『耳が四つ』……人間のものと、妖怪兎のもの……
彼女はいったい、人間なの?妖怪なの?
……いいえ、それ以前に……」
机の上の資料を手にとり、順番に目を通していく。
「彼女と『てゐ』の関係は、どういうことを意味しているのかしら…?」
兎耳の毛髪の照合、DNA検査、皮膚のパターン、etcetc…あらゆる手段を試みた結果。
「95.8%の確率で、『同一人物』……『耳』を手術や魔法で接合した跡も見られない。
でも、『絶対に違う』……あれはてゐじゃない…
何が起こり始めているのかしら…この【幻想郷】で……」
嫌な予感が胸に渦巻き、答えを探している時、
「――――――――……!」
パタパタという足音を背後に聞き、永琳は振り返った。
「永琳、何してるの?珍しく考え込んじゃって。」
【永遠亭】の主にして永琳の主人、月の姫蓬莱山輝夜が、興味深そうに資料を覗き込んでいた。
「輝夜、駄目でしょう診察室に勝手に入っちゃ……」
輝夜をたしなめるが、本気ではない。
表向き守秘義務を掲げてはいるが、出不精な輝夜から情報が漏れる可能性は低いし、なにより永琳は彼女に甘いのだ。
「ふ~ん、あの『埋まってた娘』のことね、この写真とかは。」
好奇心いっぱいの目で、輝夜は資料を眺め回す。
「ええ、そうよ。
いくつか気になることがあってね。
いろいろ調べてたところなの。」
「へ~、永琳にもすぐには分からないことってあるんだ。」
微笑む永琳には目もくれず、輝夜は写真をじっと見つめている。
「あっ、これ知ってる!人間の『脳みそ』でしょ?
へ~、こんな穴ぼこなんだ……」
「半分正解よ。
これはあの娘の脳の写真だけど、普通はこんなに穴ぼこじゃないのよ。」
「つまり、なんであの娘の脳みそだけ穴ぼこなのがが分からなくて悩んでいるのね。
なんだか『蓮根』みたいな形してるわ。」
輝夜は暫く写真をまじまじと凝視していたが、永琳に分からないことが彼女に分かるはずもないので、やがて目を離し、永琳に顔を向ける。
「そういえば、『あの娘』には名前が無かったわね。
これからお話したり、世話したりするのに、それだと不便じゃない?
『月から来た二人』と仲良くしてもらわなきゃいけないし、なんて呼べばいいのか分からないのは困ると思うわ。」
「それもそうね。
姫様、何か良いお名前を考えてあげてみては?」
「そうね、ちょっと待って…」
うーんと顎に手を添えて、輝夜は頭を捻る。
と、すぐに目を開け、笑顔で永琳に向き直ると、
「そうよ!
『兎耳』で『蓮根』だから、『うさみみレンコン』、縮めて『ウサミレンコ』なんてどうかしら?」
得意げに発表する彼女に、永琳は優しく微笑み返す。
「素敵な名前ね。きっと彼女も気に入ってくれるわ。」
パアァーっと輝夜の表情が明るくなる。
「やった、採用ね!
私も良い名前だと思ったのよ!」
永琳に褒められたことが余程嬉しかったらしく、得意げに胸を張る輝夜。
「ええ、診察が終わったら、後で彼女に伝えに行きましょう。」
「分かった、待ってるわ!
お仕事頑張ってね、永琳!」
小躍りしながら足取り軽く、輝夜は部屋を後にした。
彼女の背を見送ると、永琳は満足げな溜息を吐く。
ここのところ仕事詰めで疲労が蓄積していた彼女にとって、天真爛漫な主人とのひとときが何よりの清涼剤だった。
「――――――――さて、お仕事頑張りますか。」
緩んでいた頬を引き締めて、彼女は診察を開始した。
――――――――――――――――
――――――――
「この先よ、『兎耳の女性』の病室は。」
前を歩く永琳が、後ろについて行く二人に呼び掛けた。
ホル•ホースとチルノは、礼が言いたいという『兎耳の女』の部屋に向かっていた。
「………ねえ、ホル•ホース……」
車椅子を漕ぐ彼に、チルノが小声で話し掛ける。
「なんなのかな…大妖精ちゃんがずっと寝てる原因は……?」
不安げに問う彼女に、ホル•ホースは沈鬱な面持ちで答える。
「あのお医者様も分からねえって言ってんだ…俺にもさっぱり分からねえ……
だがよ……これだけは言える。
ありゃ『病気』なんかじゃあねえ……誰かがやってる『事件』だ……」
数分前、彼らは大妖精のいる特別隔離病棟にいた。
その病棟の驚くべきところは、圧倒的な広さと潔癖性じみた安全管理だ。
柱の一本も無いにも関わらず、ホル•ホースが【外】で見て来たどんな建造物よりも広大な空間、監視カメラとスプリンクラーが天井に所狭しと並び、床には常に消毒液が流れていた。
そして、彼らにとって最も衝撃的だったのは、そこに並ぶベッドに横たわる膨大な数の患者だった。
大半が妖怪であり、皆一様に目を覚まさず眠り続けているのだと、永琳は説明していた。
そして、大妖精はその中で最も手前側のベッドに横たえられていた。
「大妖精…彼女は他の妖怪たちとは特異な症状を示しているわ。
彼女だけが、体重が激減している。
妖精だからか、それとも原因が違うのか……
もう少し調査を進めないと、不明な点が山積みよ。」
永琳の言葉を聞き、チルノは大妖精の顔を覗いた。
安らかに寝息をたてていて、本当にただ眠っているだけのように見える親友を、チルノは悲しげに見下ろした。
「――――――――大妖精ちゃん………」
彼女の手を、そっと握る。
温かく、しかし羽のように軽いその手の感触に、チルノの目から雫がこぼれた。
「ホル•ホース………
【遺体】、絶対に集めるわよ。」
決意をより強固にし、チルノはそう宣言する。
「ああ……絶対だ。」
ホル•ホースの目付きも、本気のそれになった。
自分のためじゃない、大妖精のために、そしてチルノのために。
そう目的を定めたことで、『遺体探し』に対する彼の姿勢は格段に積極化していた。
「――――――――着いたわ、この部屋よ。」
ある部屋の前で足を止め、永琳が二人を振り返る。
二人は顔を上げ、部屋の入口を注視した。
永琳が先にドアを開け、中に呼び掛ける。
「呼んで来ましたよ、埋まっていた貴女を発見した人を。」
「……ありがとうございます。
どうぞ、入って下さい。」
中から澄んだ女性の声が、入室の許可を告げた。
永琳が顔を廊下に出して、二人に頷く。
「……お邪魔するぜ。」
元気そうな声を聞き、安堵してホル•ホースは車椅子を進める。
部屋の中に入り、ベッドに寝て身体を起こし、こちらに目を向けている『女性』を一瞥した。
まさしく、彼が竹林の地面から掘り出した『四つ耳の女』だった。
兎の耳
リボンの付いた帽子
整った顔立ち
見開いた目
土気色の皮膚
裂けそうなほどカッと開いた口―――
――――――――――――――――?
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
絹を裂いたような
黒板を電動ノコギリで斬りつけたような
いや、そんな比喩ではとても表現できないような音が、ホル•ホースと永琳の鼓膜をつんざいた。
病室の窓ガラスが粉々に砕け散ってしまいそうなほどの、破壊的な超高音。
それが目の前の、一人の女性の喉から発せられている『声』だと気付いたのは、反射的に耳を塞いだ後だった。
「――――――だ……!
―――――――嫌あアアああァあぁアアぁぁァァぁ――――――――ッッ!!!!」
ベッドの上の『女性』は、錯乱していた。
ホル•ホースから少しでも離れようと、壁に背を押し付け、この世のものでは無い何かを見るような目で、彼を凝視していた。
「嫌ッ!嫌ァッ!
いヤぁァアアあああッ!
来ないでッ!ヤダッ!
止めてぇえェエエぇぇぇえッ!!
近寄らないで!
いやあああああああ――――――z――ッッ!」
その瞳は、表情は、恐怖に満ちていた。
それは『憎悪』でも『敵意』でもない、圧倒的な悪徳にただ無抵抗に虐げられたくない一心で絶叫する、あまりにもか弱い少女のそれだった。
その絶望的な姿が
ただただ目蓋に焼き付いて
ホル•ホースは【皇帝(エンペラー)】を出現させ、二発撃った。
弾丸がハブにセットされ、『回転』のエネルギーが車輪へと伝わる。
急転換し病室を飛び出すと、ドアをバタンと閉めた。
「……く…ッ!
グウゥううウウ……くそッ!
ち、チクショウ……!チクショオォォ…ッ!」
ギリギリと歯を食い縛り、夜叉の如く顔を歪める。
「誰だよ…!誰なんだよッ!!
あんな…ッ!あんなことをォォ……ッ!!
チクショウ!チクショウッ!!チクショオォォォォ―――――ッッ!!!」
帽子以外の衣服を身に着けず埋められていた女性が、『男』である彼を見た瞬間の、あの『表情』。
かつて彼がみたものと、同じだった。
彼の最愛の人が最期に見せた死顔と、瓜二つだった。
「誰だ……!
殺してやる…ッ!産まれてきたことが間違いの、蠅野郎…ッ!
地獄の果てまで追い詰めて、バラして犬の糞にしてやる…ッ!!」
ワナワナと震える握り拳を、何度も車椅子の腕掛けに振り下ろす。
強化繊維プラスチックが軋み、手の皮と肉が破れ、血が噴き出した。
「ホル•ホース!
なんなのよさっきの音!」
ホル•ホースを追い掛けて来たチルノが、彼の様子を見て絶句する。
「ちょっと、なんで泣いてるのっ!?
その手の傷はなに!?
どうしたのよホル•ホース!
何か中でヒドいことされたの?!」
慌てて問い詰めるチルノを、ホル•ホースは右手で制す。
「いや、俺は…大丈夫だ…
心配しなくていい…あの女も悪くねえ…悪くねえんだ……」
「嘘つかないでよ!だって、ホル•ホースが泣くなんて…ッ!
よっぽど何かヒドいことを言われたのね!
あの女、命の恩人のホル•ホースに向かってっ!
許さないわっ!とっちめてやる!」
憤慨し、チルノが病室に向かおうとした時、
「やめろっつってんだろうがァッッ!!!」
ホル•ホースの怒声が、廊下に轟いた。
頭を殴られたような衝撃に、チルノは凍りつく。
「ひっ!?」
振り返った彼女が見たのは、殺気に瞳を震わすホル•ホースの、悪鬼のごとき形相だった。
怯えたチルノの濡れた双眸に見つめ返され、はっとホル•ホースは我にかえる。
「………ッ…す、すまねえチルノ……今、頭に血が上っちまってて…ッ…
外で風に、当たってくる……」
憔悴しきった声色でそう告げると、ホル•ホースは彼女に背を向け、逃げるように去っていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ホル•ホースが部屋を飛び出していった直後の、永琳の反応は迅速だった。
懐から鎮静剤の注射器を抜き、ベッドへと飛翔する。
力付くで押さえつけ、腕の静脈に針を打ち込む――――――――
彼女の力量と技術なら、小娘一人わけない筈だった。
「っ?!」
だが、彼女は突如宙で動きを止めた。
永琳の傍を何者かが、影さえ残さない刹那の間に追い抜いたのだ。
こんな芸当のできる強者、永琳のそばには一人しかいない。
「…姫……様……?」
金切り声を上げ泣き叫ぶ『四つ耳の女』に、輝夜は悠然と歩み寄る。
ベッドの淵まで来ると、両手を伸ばし、暴れる『女』を繊細に抱き締めた。
『女』も暴れるのを止め、溺れる者が何かに掴まろうとするように輝夜の背に腕を回し、縋り付く。
必死に輝夜にしがみついて、わんわんと大声で号泣した。
「ううあああああぁぁぁ――――――――!
メリー!メリィー……ッ!!
どこにいるの…!助けてっ、助けて……!ひぐっ……
メリー……、メリー…………
メリー………――――――――」
『メリー』、それは誰か記憶の底に残っていた、大切な人なのだろうか。
その名前を叫び、呼び、何度も何度も助けを求める。
そんな彼女を実の母であるかのごとく、輝夜は硝子細工を扱うように優しく、慈愛を籠めて抱き寄せる。
傷付いた我が子をなだめる、聖母のような包容力だった。
――――――――やがて、泣き疲れ、女性は輝夜の腕の中で静かに寝息を立てる。
輝夜は自分の胸に寄り掛かり眠る女性の髪を、愛おしそうに撫でていた。
――――――――眠る女性の四つの耳に口を寄せ、輝夜は優しく囁いた。
「――――――――『宇佐見蓮子』…………
『宇佐見蓮子』よ、貴女の名前は……」
読了ありがとうございます。
今回は前作と違い、複数の主人公たちを時間軸を入れ替えつつ追い掛けていく群像劇方式で進展していきます。
『宇佐見蓮子』の行方は、ジョジョリオン原作の展開によって大きく影響されます。お楽しみに。