【第一部】~吉良吉影は静かに生き延びたい~/【第二部】~Saint Babel Run~ 作:どくたあちょこら~た
大幅な書き直しを行っていないので、未熟な文章になっております。ご了承ください
人間の里、そこは幻想郷に在る中で最も多くの人間が住む場所である。
幻想郷の人間のほとんどはここに住んでいて、人間が生活に必要なものは全てここで手に入れることができる。
この里は幻想郷の中でも人間にとって非常に安全に暮らせる場所である。なぜなら、人間がいなくなると幻想郷が維持できなくなるため、妖怪の賢者がここを保護しているのである。
つまり、平和な現在の幻想郷においても形骸化しつつも残されている「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する」という幻想郷のルールの例外的な場所なのだ。そのため妖怪が暴れるとしたら妖怪の個人的な感情によるものであるため、めったに無い。また、妖怪退治が出来る力を持った人間もここで暮らしてるため、例え妖怪が暴れたとしても下級妖怪程度なら取り押さえられるので、妖怪による被害はほとんど無いのだ。
また、この人里は人間だけでなく、妖怪にとっても魅力的な場所である。幻想郷の妖怪は天狗や河童などを除いて、大部分は一人一種族でまとまりなく暮らしている。そのため大規模な居酒屋だとか道具屋とかはあまりない。しかし、人里にはそれらがあり、中には夜間は妖怪専門店として営業している店もある。仲間意識の薄めな妖怪達にとって、人間の里は『大抵のものは売っている二十四時間営業の雑貨店』であり、『他の妖怪や人間達と酒を飲みながら世間話できるのんびりした場所』であり、『お楽しみがいっぱい』なのだ。
そして彼にとってもきっと『お楽しみがいっぱい』…
ガリガリガリガリ………
「くっ…」
吉良吉川影は、慧音の家の自分が借りている部屋にいた。彼は爪を噛みながら、窓から外を食い入るように覗いている。その視線の先には、人と妖怪が賑やかに過ごす、夜の人里の情景。
「(人は自分の心の底を『他人』に隠したまま生活している・・・しかし…永遠に誰にも『自分の本性』を隠したまま一生をすごせるものだろうか?)」
吉影の瞳に映るのは、服装からして恐らく妖怪であろう、おしゃべりしながら歩く三人の美しい女。
「(くそっ!あの一番右側の女にこの吉良吉影の『本性』を打ち明けてやりたい…あの女に この『心の底』を聞いてもらいたい!
おまえの、その細い首を、この手で絞め殺してみたいってことをな…!)」
彼が幻想郷に流れ着いて一週間、彼の殺人衝動は臨界点に達していた。吉影は今にも溢れ出しそうな情動を必死に抑えつける。爪がミシミシと音をたてて伸びる。
「(ヘタな行動をとると正体が人間や妖怪にバレてしまう・・・・だが、ここ【幻想郷】に来てから少しおさまっていた衝動が、またぶり返してきた・・・・気持ちが抑えられなくなる。)」
ガリッ
強く噛み締めたため、爪が傷付き、血が滲む。
と、後ろで足音がしたので、慌てて机に戻り、椅子に腰を下ろす。
ガラッ
「あ、あの、えと…、川尻…御茶を淹れたんだが…」
慧音が遠慮がちに襖を開け、部屋に入ってきた。机に向かっている吉影の背中に気付く。
「あっ、し、仕事中だったか…、すまなかったな…」
慧音は妙に緊張しながら、ノートに二次方程式の問題を書いている吉影の脇に立ち、湯呑みが乗った御盆を置いた。
「あっ、あの、川尻…、仕事中にすまないが…そろそろ夕飯の時間だ。きりのいいところで一旦切り上げて、一緒に食べないか?」
「……………………」
無言の吉影の背中を見て、『分かった』というサインだと受け取った慧音は、くるりと踵を反し、
「冷めないうちに来てくれ。」
吉影の背中にそう言い残し、慧音が部屋を出ようと襖に向かう。
「(………怪しまれずに済んだか……)」
緊張が解け、一息吐いた。張り詰めていた気が緩んだからだろう、慧音が部屋を出て行くのを確認しようと、振り返った。『振り返ってしまった』。
「(―――――――――ッ!?)」
その瞬間、吉影の目に映るのは、無防備な女性の背中のみとなった。彼の双眸が釘付けになる。ユラリと立ち上がった吉影の瞳の奥で、影が蠢く。
「(―――――――――この女に『心』を打ち明けろ―――――――――)」
衝動が、吉影の身体を支配する。殺人鬼が、警戒心も何もない、安心しきった背中へと歩み寄る。
「( ――――――――――自分の『本性』を見せてやれ 吉良吉影―――――――――)」
目の前の女性の首に、両手が伸びる。己の手が、女の命の灯火を消し去る瞬間を、その瞬間を待ち望む。声が徐々に細り、かすれ、己の両腕の中で冷たくなっていく感触を渇望する。
「(おまえの首を絞めさせてくれと!打ち明けるんだ…!!)」
吉影の指先が、慧音の首に掛かろうとした瞬間―
「はっ!?」
慧音が気配を感じて振り返った。吉影はハッと正気に戻り、両手は狙いを外れて慧音の服の後ろ襟に掛かる。
「うわああああああッ!?」
バリバリと服の背中が裂け、シャツが露になる。そして、破れた服の中から、小さな虫が飛び出した。
「か…川尻!?」
驚きに息を粗くし、ペタリと座り込む慧音。頬を紅潮させ、吉影を見上げている。
「(し…しまった…打ち明けるのはまずい…『ここ』の住人達にバレてしまう…『気持ちをおさえろ』…おさえるんだ…)」
「―――――――――驚かして…すまない」
慧音はまだ床に座り込み、胸の動悸を抑えられなかった。
ドクン ドクン ドクン ドクン…
「(虫を払おうとしてくれたのか…お、驚いた…)
い、いや、ありがとう…服の事は気にしないでくれ、替えはたくさんあるから…」
慧音が息を整え、気を落ち着けて立ち上がる。
「…………………………先に行って待っている。」
吉影は彼女の横を抜けて、部屋から出て行った。
慧音は着替えに彼女の部屋に行き、吉影は彼女に言われたとおり食堂へと向かう。
「(あ、危なかいところだった…虫がいなければ、バレていたかもしれなかった…)」
食堂への廊下を歩きながら、吉影は安堵の溜め息をついた。
「(ここの連中は、皆気配だとか、魔力とかいったものに敏感だ…下手をすれば殺気だけでバレてしまうかもしれない。もっと自分を抑えられるように努力しなければ…)」
硬く自分を戒め、食堂の襖を開いた。
ガラッ
パ~~~~ン!!
「!?!?!?」
頭上で炸裂する破裂音、視界を掻き消す紙吹雪、そして顔面を直撃する紙の帯。
「えっ?えっ!?なッ!?えッ!?」
吉影が何が何やら分からずに彼らしくなく慌てふためき、顔に張り付く紙の帯をひっぺがした。その紙を顔の前にかざし、それが何なのか確認して…
「ぎゃはははは!!川尻がこんな慌ててきょとんとしてるとこ初めてみたよ!!」
「ちょっとてゐ!?なんで顔に直撃するのよ!あなた絶対わざとでしょ!?」
「人聞きの悪いこと言うねぇ、外来人の男がこんなに背が高いとは思わなかっただけさね。」
「嘘を言うな嘘を!!ちゃんと身長教えたでしょ!!」
「とにかく、本日のメインゲストがいらっしゃったことだし、さあ、早いとこ始めるわよ!」
吉影は、紙に書かれた文字に目を落とし、そして呆然としていた。
『川尻浩作 幻想入り一週間記念』
彼は自分の頭上にぶら下がる割られたくす玉から部屋の中へと目を移す。そこには、腹を抱えて爆笑している妹紅、頭から兎の耳を生やした二人の少女、長く艶やかな黒髪を持つ少女、銀髪が美しい赤と青の鮮やかな色彩の服の女性。
「(こ、これは…)」
吉影は彼女達を知っていた。ブレザー姿の少女は確か鈴仙、愛称はうどんげという、永琳の弟子だ。たまに人里に来て薬を売ったり診療所で簡単な診察をしたりしている。初めて会った時は『何故バニーガールが診療所に居るんだ!?』と思ったが、人間ではないらしく、付け耳ではないらしかった。銀髪で隠れた人間なら耳がついている部分はどうなっているのかすごく気になったが。
彼女に怒鳴られている同じく兎の耳が生えた少女はてゐ。一度だけ診療所で会ったことがあるが、第一印象は『要注意人物』。なにせ、診療所の戸を開けたとたん頭上に迫るたらいとの刹那の攻防を繰り広げ、その直後に「チッ、しくじったか。」と舌打ちして逃げる彼女を目撃したのだから。それから彼女の姿を見たことは無かったが、それ以来代金を払おうとしたら代金トレイがトラバサミだったり、椅子に座ろうとしたら床が抜けたりしたので、彼は彼女のことを嫌悪していた。
平安貴族のような装いの黒髪の少女は蓬来山輝夜。妹紅の最大の宿敵であり、妹紅と同じく不死身の人物であり、『かぐや姫』その人である。初めて妹紅から聞いた時は驚愕したが、D学院大文学部卒の彼には何故妹紅―――――――――藤原妹紅が彼女を目の敵にしているのか、その理由が、おぼろ気ながら理解できた。
正面から見て左が赤、右が青というかなり奇抜な服装の女性は、竹林の薬剤師、八意永琳。吉影は直接会ったことはなかったが、妹紅や鈴仙の話によると、薬剤師でありながら全ての医学に精通しているらしく、実際里の人間の評判も良い。医療費がかなり良心的で、しかも生活に困窮している患者からは医療費をとらないという話から、彼はかなりの好人物だと予想していた。
それらの面子を眺め回し、吉影はようやく事態がのみ込めた。おそらく慧音か妹紅かのどちらかが提案し、しかし三人だけでは盛り上がりに欠け、かといって里の人間を呼んでも彼が嫌がるのは目に見えている。だから鈴仙を通してある程度面識のある永遠亭のメンバーを呼んだ、といったところだろう。しかし、当の吉影はひとつも喜んでなどいなかった。
「(また面倒なことになってしまったようだな…わたしは飲み会にはあまり行かないし、そもそもたしなむ程度しか飲まない…その上、この世界の住民は皆大酒豪ばかりだ、妹紅は既に知っているが、永遠亭の面子も恐らく…厄介なことにならなければいいが…)」
「なにボ~っと突っ立ってるんだ、早いとこ座れ!」
やっと思考回路が復旧し、思案を巡らそうとしていた吉影の手を、妹紅がぐいっと引き、吉影は半ば強引に席に付かされた。
「ん…あ…ああ…まさかこんな素敵なことを用意してくれていたなんて、驚いたよ、ありがとう。…
…ところで、妹紅…」
とりあえずお礼を言い、彼はトーンを落として『安全』を確認するため、妹紅に尋ねる。
「輝夜がいるが…その…大丈夫なのか?」
「ああ、その点は安心してくれ、今夜は…」
妹紅が立ち上がり、縁側の障子を開けた。そこには―――――――――
「これで勝負だ。」
押し車に満載された、酒壷があった。
「……………………『本当に』、安心して、いいんだな…?」
吉影がその圧倒的物量に押し潰されそうになりながら、おずおずと念を押す。
「あいつも今夜は『平和的』に勝負するっつってたし、まあ大丈夫だろ。」
「いや、不安なのはむしろ君なんだが…」
「妹紅~!私のも運びなさいよ~!!」
「なに甘えてやがる自分で運べ!!」
吉影の言葉に答えることなく、ギャーギャー騒ぎながら二人は酒壷を部屋に運び込み、ドンッ!っと酒壷の横に座り、
「今度の勝負も私がもらうからな!」
「あらあら、私あんたに負けたことあったかしら?」
バチバチと視線を交わし、
「いざ!」
「尋常に!!」
「勝負!!!」
酒壷に御碗を突っ込み、壮絶な『闘い』を始めた。他の面子に目を向けると、鈴仙はてゐが酒壷に粉末を盛ろうとしたのを見て怒鳴っていて、永琳は静かに、だがかなりなハイペースで酒を飲んでいた。やはり幻想郷の住民、吉影のことなどそっちのけで好き勝手飲んで騒いでいる。と、いうかそもそも祝いなんて名目で本当はただ宴会をしたかっただけなのだろう。
吉影はというと、目立たないようにちゃぶ台の前で大人しく座っていた。
「(…この空気には、なにがあっても馴染めそうにないな…)」
酒は飲まず、肴に用意されたものを面白くなさそうにつまむ。
「(…にしても、『ここ』の連中というのは本当に分からないな。急に宴会をしだすと思ったら、わたしや家主の慧音を放りっぱなしで飲み始めるとは…わたしとしては無理やり飲まされるよりはいいが…)」
「おっちゃん、なに湿気た面してんの?貴方のための宴会なんだから、貴方が楽しまないでいたら失礼ってもんさね。」
さっきの思考がフラグだったようだ。鈴仙をからかうのに飽きたてゐが吉影に絡んできた。
「(くそっ、面倒なことになりそうだ…)」
「…実は、あまり好きじゃないんだよ、宴会とか、酒とか…それと…」
にじり寄ってくる少女を、露骨な不快感を込めた目で睨む。
「お前のような、冗談の分かる相手とそうではない相手を区別できないヤツがな。」
「おやおや、初対面だというのに随分な不当評価だね。これでも第一印象には気を使ってるのに。外のマナーの『名刺』とか渡さなかったから?」
こういうタイプの輩は無視するのが賢明だ、吉影はそう判断し、シカトを決め込む。だが、てゐはそんなこと気にも留めず吉影にすり寄って来て、猫なで声で話し掛ける。
「ねぇ~そんな風に冷たくしないでよォ~。一緒に飲んで騒いで愉しくしようよぉ~。」
肺を猫じゃらしでくすぐられるようなイライラ感が吉影を襲う。彼女から顔を背けると、妹紅と耀夜の勝負が目に入った。早くも佳境に差し掛かったようで、二人とも髪が酒に濡れるのも構わず酒壷に頭を突っ込んでいる。溺れているのかと思ったが酒がみるみる減っていることから、まだ勝負は終わっていないと分かる。と―
「―!?」
「ねえ、私のなにが気に入らないのさ~。こんなにも若々しくってぴちぴちなのに…なんなら、確かめてみる…?」
てゐが背中に回り込み、吉影に頬を寄せる。ふう~っと酒のいい匂いを含んだ吐息を漏らす。そんな彼女に、吉影の不快指数はうなぎ登りだった。
(もし、もしお前の手が、薬包紙や注射器を握ったり、少しでもわたしの口に近付いたなら…)
吉影が、キラークイーンを発現させ、てゐの一挙手一投足を監視する。
(その時は…)
「あら~、外来人は女の子のお誘いに乗ってあげる度胸もないねかしら~?」
「ッ!?!!」
最悪だ。もうひとり、彼の平穏を乱す人物が現れた。出来上がった永琳までもが吉影に絡んできたのだ。
「今回ばかりはてゐの言い分が正しいわね~。宴会というものは、楽しむためのものよぉ。そんな風に肴ばかり食べているから外の世界では精神病が蔓延しているんじゃあないかしら?」
酔った永琳の手に握られていたのは―開封ホヤホヤの一升瓶だった。
(こ、この薬剤師、まさか…)
命の危険を感じ、エスケープしようとするが、もう遅い。
「ぐっ?うっ!?」
てゐに組み付かれて抵抗する間もなく引き倒され、永琳に空いている手で掴まれて畳に押し付けられる。
「さあ、迷える現代人の心の病の治療開始よぉ~」
永琳が吉影の顔に一升瓶をグッと近付ける。それを慌てて思い留まらせようとする吉影。
「まっ待てッ!い、医者が人に一気飲みなんてさせていいのかッ!?」
「ふふ、医・者・だ・か・ら・こ・そ・よ♪」
永琳がにっこりと微笑む。その微笑が何よりも恐ろしい。なにかあっても手当てしてくれるという意味だろうが、逆に吉影の不安は登竜門を越えて龍へと変化しそうだった。
「うふふっ…、じゃあ冬のナマズのように大人しく…」
「お、落ち着け!本当に死…あぐッ!?」
なおも生きようと必死な吉影の口を、てゐが強引に開く。
「往生際の悪い男さねぇ、これだから坊やには経験豊富な女のインストラクションが必要なのよ。」
「フフフ、そんな風に抵抗されると余計にそそられるじゃぁないのぉ…瞬きする間に冬のナマズのように大人しくなってしまったらつまらないわ…長い間楽しませてよ…?」
吉影の眼前に、一升瓶が迫る。吉影も二人の拘束から逃れようと必死にもがくが、妖怪相手では敵う訳がない。
「さあ、勢いよくいくから、覚悟しなさい~♪」
(こ、殺される…ッ!こ、このままだと、間違いなくわたしは死んでしまうッ…!!)
吉影の目が見開かれる。憐れな視線を向けるが、二人は全く気にも留めない。吉影の口と一升瓶との距離が、徐々に狭くなっていき…遂に、彼の唇に、処刑の毒杯が触れようとし…て…
「…………………………?」
吉影が覚悟していたあの感覚、口を、鼻孔を、喉を焼くあの感覚は、訪れることはなかった。
吉影を救ったのは、もうひとつの手首だった。彼の眼前で、二つの手首、一升瓶を持っている手とそれを横から押さえ込む魅惑の手が、互いに交錯していた。
「永琳…嫌がっている男に無理やり一気飲みをさせるのが医者の仕事か?」
永琳の腕を掴み、怒りを籠めた笑みを浮かべながら見下ろす慧音。やや陰っているのがより怖さを増大させる。
そんな彼女の顔を臆することなく見上げ、永琳は微笑む。
「いやあねぇ、彼が浮かない顔してたから楽しんでもらおうとしたのに、結構暴れちゃったから冬のナマズのように大人しくさせようとしただけよ…」
「ほう?あなたは彼を『大人しくさせる』ためにこんないじめをしているのか?たいした思いやりだな?」
慧音の手に力が籠る。流石に酔っていても悪乗りの限度というものはわきまえているのか、永琳は吉影の口から一升瓶を遠ざけ、
「てゐ、早く離してあげなさい。」
「りょーかい師匠。」
てゐも吉影を解放し、二人は離れていった。照準を鈴仙に定めたらしい、同じような手口でてゐが彼女にすり寄っている。鈴仙が捕縛され、口に一升瓶を突っ込まれるのも時間の問題だろう。
「…隣、いいか?」
はっと顔をあげる吉影。吉影は彼の命を救った慧音の手首に目を奪われていたが、取り繕う。
「あ、ああ、構わないが…」
「そうか、邪魔をする。」
慧音が吉影の右側に座る。隣といってもちゃぶ台を使っているのは彼らだけなので、そこまで密接はしておらず、適度に距離をおいている。
「あ、ありがとう…助かったよ…」
「……………………」
しばし、気まずい沈黙が流れる。
(……?どういうことだ…これは…?怒っているのか?いや、違う…怒っているんじゃあない…不機嫌なんだ…しかし何故…?)
慧音の滲ませる雰囲気は、嫉妬や思い通りにいかないもどかしさといった感じだった。それは吉影にも何と無く分かっていた。だが、誰に嫉妬しているのか、何に対してもどかしく思っているのか、どうも理解出来なかった。
「…川尻、酒宴は嫌いなのか…?」
御猪口に注いだ酒を飲みながら、慧音が口を開く。吉影は少し考えると、答える。
「いや、別に嫌いじゃあない。…ただ…今回みたいに、わたしが『主役』になって、注目されるのは好きじゃない…。わたしはどちらかというと、皆が楽しそうに飲んでいるのを眺めながら隅っこで静かに飲むのが好きなんだよ…。」
ここで嘘を言っても、また次に宴会をした時に困るだけなので、正直に打ち明ける。本当は宴会や酒自体あまり好きではないのだが。
「…そうか、すまなかったな、君に黙って勝手にあんな騒がしい連中を連れて来てしまって…」
「いや、わたしは感謝しているよ。わたしのためにこんな素敵なことを用意してくれて…。永遠亭の人たちとも親密になれた。だから、気にしないでくれ。」
「………………」
また二人の間に沈黙が漂う。だが、先程のものとは違い、棘のない、言葉がなくとも伝わる安心を湛えた沈黙だった。少なくとも端から見たかぎりでは。
吉影の中では、またあの『衝動』が湧き出していた。先程、『彼女』を凝視してしまったため、彼の精神は激しく掻き乱されていた。
(くそッ!すぐ側にあるというのに…何時でもわたしの下に連れて来る事が出来るのに…!!)
無意識に爪を噛もうとしていた事に気付き、右手を押さえる。頭から煩悩を追い出すため、他の事に考えを向ける。見渡すと、鈴仙はやはりてゐに羽交い締めにされて、永琳に口に一升瓶を突っ込まれていた。海老反りの体勢で呻き声も細り、目をギュルギュルと回している事から、かなりヤバイ状況だと言う事が一目で分かる。慧音の制止がなければ自分がああなっていたのだと思うと、鈴仙にはすまなかったとは思うがほっとする。
妹紅と輝夜の勝負はどうなっているのかと見てみると、すでに決着は着いていた。輝夜は仰向けに畳の上に打ち捨てられた死体のように転がっていた―いや、どう見ても死んでいる。死因は究明しなくても確定的に明らか、急性アルコール中毒だ。そんな調子に乗った大学生のような死に様、吉影にはそれこそ死んでも死に切れない屈辱だが、どうせすぐ復活するのだからと永琳も完全にシカトしている。妹紅はというと自分の勝利に気が付いていないようだ、フラフラと危なっかしく立ってまだ酒壷へのダイブを敢行しようとしている。なるほど、何度やっても勝負がつかないわけだ。
と、吉影が自らの注意を逸らしていた、その時だった。
「――ッッ!!!?」
またしても『運命』は彼に『試練』を与えてきた。
慧音が吉影に身を寄せて来たのだ。
「川尻…そんなに気難しい顔をしないで…一杯どう…?私が…御酌をして…あげるか…ら…」
慧音の顔はかなり紅潮し、蟲惑的な瞳で吉影を見上げていた。すでにかなり酔っているのだろう、お銚子を持つ手つきがフラフラと振れている。
「い、いや、すまないが、今夜はあまり気が進まなくて…」
はっと慧音から顔を背け、勧めを断る。
(もし…もし今酔ってしまえば、衝動を抑えられなくなる…『酔い』とは、極めて安易で最も恐ろしいことだ…不安の根源は解消されていないのに、その存在を忘れてしまう…細やかな『心配り』が出来ず、油断が生まれる…それは浅はかで愚かしい行いだ…それだけはなんとしても避けなければ…)
吉影は懸命に己の中に巣食う化け物に抵抗する。しかしながら、自分の意志で正しい道を選択する余地などない『ぬきさしならない状況』というのも人生の過程では存在する。そして、今彼が直面している『内面からの危機』が、まさにそれだった。慧音の手が、妖艶な動きで彼の頬に触れたのだ。
「ッッ!?!!」
吉影は彼のこれまでの人生で一番というほど狼狽したが、それでも彼は自我を維持しようとした。だが…
「…川尻、何故…?どうして、私から目を背けるんだ…?向かい合った時、いつも目を伏せているんだ…?私の事が、嫌いなのか…?」
慧音は更に彼の体に寄り掛かり、密接し、左腕を彼の背中に回して―なんと彼の右手に自分の右手を重ねた。
「―――なッ!!!?!?」
吉影が思わず驚愕の声を漏らす。右手が、全身が、ガクガクと震え始める。
「川尻…どうなんだ…?私の事が、嫌いなのか…?」
慧音の指が、みずみずしく艶やかな美貌の指が、吉影のコンサートピアニストのような指に絡みつく。『本性』な抗えず、吉影もそれに応えるように、優しく彼女の指を包む。二人の指が、お互いを求め合うように、決して離れない事を誓い合うかのように、堅く絡み合う。吉影の心は、満月を映し出す湖の水面の如く静かだった。己自身が、己の中に巣食う化け物が、狂わんばかりに渇望していた一滴の至福が、荒巻いていた大波を静め、澱んだ水面に落ち着きという澄んだ色を広げていく。彼の心は今、『幸福』に満たされていた。だが、それも一時の事、『幸福』の味を知ってしまうと、それを失う事が不安になるのだ。
(離れたくない…手放したくない…)
吉影の瞳の奥で、影が蠢く。吉影の心に潜む化け物が自我という鎖から解き放たれ、鎌首をもたげる。胃壁に爪を突き立て、牙を打ち鳴らし、咆哮する。
(わたしのものにしたい…ただ一人、わたしだけのものにしたいッ!いつも見えるのに手の届かなかった丘の上に咲く一輪の花を、今まさに片膝を着いて顔を寄せ、その芳香を嗅ぐ事の出来る華を、この手で摘み取りたい!この懐に仕舞い込み、胸に永久に抱いていたいッ!!)
右手に力が籠り、慧音の右手を強く握り返す。慧音はふっと微笑み、彼の肩に頬を寄せ、寄り掛かる。己に向けられている限り無く黒い意志に気付くこともなく。
(この女に『心』を打ち明けろ
自分の『本性』を見せてやれ 吉良吉影)
化け物が食道を這い登って来る。舌で喉をそっと舐め、唇に指を掛け、獲物を狩るために外に顕れようとする。
(おまえの手首を 摘み取らせてくれと)
満ち足りた表情で吉影の肩に頬を載せている慧音の喉に、彼の左手が蛇のようににじり寄る。ドクン ドクン ドクン ドクン… 左手が、細い喉に掛かる。慧音は気付かない。
( 打ち明けるんだ )
左手に渾身の力を籠め、命の燭を吹き消そうとした、その時だった。
「おお~い川尻、お前まら酔ってなぃのかぁ~?」
後に冷静になって考えると、彼女こそ彼の救い主だったのかもしれない。妹紅が吉影の首に腕を回し絡んで来たのだ。
「ッ!!!!」
吉影ははっと正気に戻り、反射的に左手を慧音の喉から離したが、その際右手も彼女の右手から離してしまった。慧音も慌てて身体を起こし、吉影から距離をおく。自分のやっていた事に気付き、顔を真っ赤にして俯く。
(あ、危なかった…また抑えられなくなっていたのか…)
「なぁあ、川尻ィ、いっちょ私と『勝負』しないかぁ~?輝夜のやつ、呆気なく伸びてしまってさぁ~。まだぜぇんぜん飲み足りなくって…」
吉影は自分の過ちをすんでのところで止めてくれたことには感謝していたが、己の情動に横水を浴びせられたことへの苛立ちから、棘のある口調で答える。
「…すまないが、わたしはあまり酒は好きじゃなくてね…お断りするよ。」
だが、妹紅はニヤリと不敵に笑い、なおも吉影に絡んで来る。
「なぁに言ってんだぁ、川尻ぃ?お前、私に負けるのが嫌なだけだろう、ええっ?慧音の裸見ても何も感じなかったかと思えば、そんな玉無し野郎だったからかぁ?」
プッツーン ――――
彼の中で、何かがキレた。妹紅の言葉だけじゃない、どんな時も彼の影に潜み破滅へと誘う囁きと、その口車に乗ってはならないと反発する理性、その二つの板挟みになり、やや自暴自棄になっていた彼は、その重圧から逃れようと無意識に安易な方法にすがろうとしていた。すなわち―
「―わたしは…一気飲みなんて大嫌いだ…だがッ!!」
お銚子をむんずとひっ掴み、一気に煽る。最後の一滴まで飲み干すと、ガダンとちゃぶ台を叩き、上気した顔を妹紅に向け、挑発的に睨む。
「付き合いで上司に酒を飲まされ続けた、外の労働者階級を嘗めるなぁぁー!!」
ニヤリと笑い、応える妹紅。
狼狽えに狼狽えている慧音を放置して、二人はザッと立ち上がり、輝夜との戦場跡に向かう。吉影が輝夜の死体を蹴り飛ばし、酒壷の横に座り込んで、
「いざ!」
「尋常に!!」
「勝負!!!」
二人の雄叫びが人里の夜空に響き、『試合開始』のゴングが鳴った。
―――――――――――――――――――――――
――――――「―そこに、居たんじゃな……」
辺りに満ちる、死の気配。そして、皮肉にもそれらが奏でる活き活きとした活気。そこは冥界、死者の通過点にして、死者も生者分け隔てなく憩いを与える、矛盾に満ちた楽園。その冥界と顕界を隔てる結界の前で、亡霊はさめざめと涙をこぼしていた。
「お前も…『こちら』に来てしまったんじゃな…わしが『こちら』に飛ばされたように…お前も、別の世界に送られてしまったんじゃな…」
亡霊は、寝間着の老人の姿をしていた。孫がいても不思議ではないほど年老いた男だった。
彼はなおも咽び泣いていた。二度と会えないと思われた者と再会できる歓びと、かけがえのない者を護れなかった罪に。
「わしは…またお前を護ってやれなかった…生前も、死後も…じゃがッ…!」
老人は溢れる涙を拭い、顔を上げる。目の前に立ち塞がる、結界を、キッと睨む。その目にはもはや弱さは無く、強い『覚悟』を湛えその先にある『進むべき道』を見据えていた。
「今度こそ…この世界で、お前を護ってみせるぞ…何者もお前を脅かすことのないよう、絶対に…!!」
老人の肉体が、色を失っていく。実体を消し、半透明になる。
老人の足が、地面を離れた。
「わしの…たった一人の、可愛い息子じゃからな…」
老人―吉良吉廣は、結界を越えた。彼は実体を消し、ただひたすら降りていく。目指すは幻想郷、息子の待つ場所へ――――――
→ to be continued…