トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その10

昼下がり、馴染みの工房のドアを開けると、『アトリエ・マチルダ』の看板の脇にかかった真鍮のカウベルがカランと音を立てた。

 

「いらっしゃい・・・って、あんたかい」

 

工房の奥で作業机に向かっていたマチルダが、入って来た女性客を見て笑みを浮かべる。

 

「そろそろできているんじゃないかと思ってな」

 

女性客の方はマチルダと違って髪が短く、顔立ちがややきつい。

マチルダを猫とすると、猫どころか猫科の猛獣を思わせる雰囲気である。

名をアニエスと言った。

 

「いいタイミングだね。昨日出来上がったとこだよ」

 

マチルダは立ち上がると、作業部屋の奥にある棚から木箱を取り出し、アニエスが立つ受付机まで持ってきた。

木箱を空けると、布に包まれた大ぶりな塊が入っている。

マチルダはそれを手に取り、布を外す。

中から出てきたのは、一丁の拳銃であった。

銃把を向けられると、アニエスは慣れた手つきでそれを受け取った。

 

「・・・ほう」

 

思わず感嘆のため息が漏れた。調整が施された銃把は、まるで己の一部になったかのように掌に吸いつくように馴染んだ。

そのまま壁に向かって銃をポイントする。

重量のバランスや部品の角度は想像以上であった。

次いで各部を確認するが、パーツのガタつきは全くなく、程よく油が引かれた可動部分の動きも申し分ない。

どこを取っても非のうちどころのない出来栄えであった。

 

「見事だ・・・期待はしていたが、これほどとはな」

 

「言っちゃ悪いが、随分悪い鉄が使われてたよ」

 

マチルダが取りだしたのは、折れた撃鉄である。

アニエスがマチルダの工房に銃の修理と全体的な調整を依頼した発端は、訓練中に撃鉄が折れてしまったがためであった。

 

「硬度についちゃ充分なレベルと言えるけど、粘りがダメだね。これじゃ衝撃ですぐに折れちまうよ」

 

「強度については折り紙つきという触れ込みだったんだがな」

 

「ただ強いだけじゃダメさ。そこらへんのバランスが私ら職人の腕の見せ所でもあるけどね」

 

『錬金』の魔法には、いささかプライドを持つマチルダである。

 

「・・・まあ、これを見せられては納得だな」

 

生まれ変わったかのような仕上がりの拳銃を眺めながら、アニエスは笑った。

 

本来は武器専門の工房ではないマチルダの店ではあるが、刀剣や鎧などについても器用に何でもこなしてくれるのでアニエスはしょっちゅうこの店に出入りしていた。

マチルダとはかれこれ半年以上の付き合いになるが、魔法使いが嫌いなアニエスも、マチルダにだけはそれなりの敬意を払っている。

ともすれば取っつきづらいくらいプライドが高いマチルダだが、仕事はそれに見合って余りあるものがあるし、何より年齢が同じと言うこともあって二人は妙に馬が合った。

仕事を離れて酒を酌み交わしたことも一度や二度ではない。

どちらもS寄りの性格というのがシンパシーを呼んだのではないかと、両者を知るどこかの水の魔法使いが思っていることは誰も知らない。

 

「とにかく、気に入ったよ。『工匠』の名は伊達じゃないと言うことか」

 

「その二つ名は恥ずかしいからやめな」

 

「ふふ、まんざらでもないくせに。ほら、代金だ」

 

革袋を机に置き、マチルダが中を勘定する。

 

「ん? ちょっと多いよ?」

 

「心付けだ。いい仕事をしてもらった礼だと思ってくれ」

 

「ふん、じゃあ遠慮なくもらっておくよ」

 

「っと、すまんが今日はのんびりもしていられん。夜には夜間訓練があるんだ。これで失礼する」

 

「毎度。兵隊さんも大変だね」

 

「大変じゃない仕事などあるまい」

 

 

 

 

 

 

腰に感じる頼もしい重さに、街をゆくアニエスの顔がやや緩む。

復讐の誓いを立てて己を磨きあげ、今では『メイジ殺し』として知られるほどの剣と銃の使い手であるだけに、良い武器には普通の女性が豪華なドレスに感じるときめきのようなものを覚えるアニエスであった。

ここしばらくは訓練に明け暮れすぎたせいで体調が芳しくなく、気力で己を支えてはいるものの滅入りがちな毎日であったが、こういう楽しみがあればまだまだ頑張れるような気がした。

 

アニエスが異常に気付いたのは工房と練兵所の中間くらいであった。

人々が騒いでおり、見れば青空にどす黒い煙が立ち上っているのが見える。

 

「火事か!?」

 

アニエスは走り出した。

 

大通りから一本入った通りのやや大きめの宿屋が紅蓮の炎に包まれている。石造りの建物が主体のトリスタニアであったが、屋内には可燃物が少なくないだけにこうした火災はしばしば発生する。

野次馬をかき分けて火事場に近づくと、家人と思われる女が大声で喚いていた。

 

「どうした!?」

 

駆け寄って大声で怒鳴ると、アニエスの軍装を見た女が

 

「娘が中にいるんです!」

 

と涙を流しながら縋りついてくる。

 

「子供が!?」

 

燃える建物に目を向けると、炎は間もなく2階に回ろうと言う勢いであった。

アニエスの中の、古くとも今なお生々しいまでに鮮やかな禍々しい記憶が甦って来る。

故に、その行動は半ば反射的なものであった。

 

「水は!?」

 

周囲に目を向けるが、防火班の到着はまだであり、バケツなども見当たらなかった。

待っていられる時間はあるだろうかと瞬時に思いを巡らし、アニエスは意を決した。

 

「これを持っていろ!」

 

泣いている女に剣を預け、アニエスはそのまま建物に駆け込んだ。

 

アニエスはシャツの袖で口元を覆って走り回るものの、燃えた建物は予想以上に広く、取り残されたであろう少女を探すにはいささか時間を要した。

吹きあがる炎が髪を焦がし、熱気はじわじわとアニエスの肌を焼いた。

1階に姿がないことを確認し、燃える階段を駆け上って2階に向かう。

部屋は8部屋。

アニエスは遠慮なくドアを蹴り開け、3部屋目で少女を見つけた。

駆け寄って抱き上げると、煙を吸ったのか意識がなく、多少火傷はあるものの幸いなことにまだ息はあった。

抱き上げて一気に階下に降りようとした時、アニエスの目の前で階段が炎に屈して崩れ落ちた。

ならばと駆け戻って窓から屋根伝いに降りるかと思った時、ついに天井の梁が崩れはじめ、その内の一本がアニエスの頭を痛打した。

気が遠くなるほどの衝撃にアニエスは膝をついた。

 

火勢はいよいよ強く、煙も濃密である。

血を流したアニエスは震える膝を叱咤しながら窓を目指すが、もはや窓は煙を吐き出す煙突と化している。

体内の酸素が不足したアニエスは、朦朧とし始めた意識の中で昔日の記憶を反芻していた。

自分に毛布をかぶせて魔法使いの炎に倒れた女性。

そして己を背負って助け出した男の首筋の傷跡。

復讐のために捧げてきた半生であった。

姿も知らぬ炎の使い手を憎み、それを倒す術を磨いてきたアニエスであったが、よりにもよってその炎に屈するかもしれぬと心のどこかで思った刹那、アニエスの目に憤怒の輝きが宿った。

 

『死んでたまるか。こんなところで死んでたまるものか』

 

未だ天命を果たしていないアニエスにとっては、諦めると言う選択肢はありえないものである。

しかし、気力を幾ら振り絞ろうとも、酸素が充分に行き渡らぬ筋肉は思うように言うことをきかない。

煙にやられた目からは涙が零れ落ちる。

 

『まずはこの子だけでも外に出せれば・・・』

 

と這いずりながらも窓を目指した時であった。

 

アニエスは背中に階下から吹いた清涼な風を感じた。

顔を上げると、圧倒的な猛威をふるっていた炎が、広がり始めた濃密な霧の中で勢いを失っていく。

火に直接水を放たなくても、熱を奪うことで鎮火が可能なのだとはアニエスは初めて知った。

振り返ると煙の隙間から、天の使いのように階下からふわりと跳んできた白衣を着た茶色い髪の少女が見えた。

2階に立つと同時に少女は今一度ペンほどの長さの青い水晶の杖を振るい、素早くルーンを唱えた。

放たれたミストが、なおも残る2階の炎に襲いかかり、その勢いを殺していく。

火が消えたところで続く風の魔法が煙を屋内から追い出しにかかった。

ミストがアニエスを濡らし、彼女の涙を洗い流した。

 

「何とか間に合ったかね」

 

少女の鈴のような声を聞いた時、緊張の糸が切れたアニエスの意識は闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

気付いた時、窓から差し込む光は既に夕方のものであった。

回りを見ると、見覚えのない器具が並ぶ奇妙な一室であった。

 

「おや、気が付いたかい」

 

声の出所に目を向けると、机に向かって書きものをしている白衣の少女が見えた。

歳のころは10かそこら。

大ぶりな椅子が不似合いな少女であった。

 

「ここはどこだ?」

 

アニエスは単刀直入な性格であったが、返って来た答えもまたシンプルであった。

 

「診療院だよ」

 

「診療院?」

 

「チクトンネ街のトリスタニア診療院さね」

 

しばし考え、最近巷で平民相手に貴族並みの治療を施す治療師がいるという噂を思い出した。

確か、『慈愛』のヴィクトリアという水メイジ。

 

「名誉の負傷とはいえ、だいぶ酷い怪我と火傷をしていたからね。とりあえず治療をさせてもらったよ。火傷はきれいなもんだが、頭の打撲が気になるからね。今夜一晩はここで安静にしとき」

 

「治療・・・」

 

そこまで言われてアニエスは思い出した。

 

「あの娘はどうした?」

 

「お前さんのおかげで大した火傷もしてなかったよ。もう意識が戻って家に帰ったさ。後で改めて挨拶に行きたいと親御さんが言ってたよ。預けてあった剣はそこにあるだろう」

 

見ると、枕元に愛用の剣が立てかけてあった。

 

「とりあえず、あの子の分と合わせて礼を言う。おかげで助かった」

 

「お前さんの分の礼は受け取るが、あの子の分は受け取らないでおこうかね。あれはどう考えてもお前さんの手柄だよ」

 

「いや、君がいなければ私もあの子も炎の中で焼かれていただろう。恩に着る」

 

「あの火の中に飛び込む馬鹿にしちゃ義理堅いね。そういうのは嫌いじゃないよ」

 

少女は笑いながら書きものから顔をあげて振り向いた。

 

「あんな火事だ、普通はしり込みするだろうさ。それをお前さんは躊躇うことなく火に飛び込んだっていう話じゃないか。怖かっただろうし、階段が落ちて梁が倒れてきた時は絶望の一歩手前だったことだろうよ。でも、お前さんはそこで諦めずに頑張ったんだろ? 

だから、私が間に合ったんだ。遠慮なく自分の手柄にしておきな」

 

「・・・理屈が好きなようだな」

 

「理詰めでいかないと、お前さんみたいな奴は判らないようだからね。とりあえず、今夜は経過観察だ。隊の方には使いを出して災害救助中の負傷と伝えてある。町内会からも事情説明の書面が出るから安心してお休みな」

 

「手回しがいいな」

 

「何、時間ができた分、お前さんにお説教をしようと思ってね」

 

「説教?」

 

少女はアニエスの傍らに寄って来て椅子に座った。

 

「お前さん、毎日どういう訓練をしているね?」

 

「訓練?」

 

「診察させてもらったが、ぼろぼろじゃないかい、お前さんの体」

 

少女の言葉に、アニエスは当然のことと思って反論する。

 

「私は軍人だ。体を鍛えるのは当然のことだ」

 

「その口ぶりからすると、相当本来の訓練以外のこともやっているね?」

 

「人と同じことをやっていては人の上には立てん」

 

「おやおや、これまた馬鹿な子だと思ったけど、予想以上だったかね」

 

頭を振る少女にアニエスは立腹した。

 

「物を知らぬ小娘に言われる筋合いはない」

 

声を荒げるアニエスに、少女は眉ひとつ動かさなかった。

 

「物を知ってるから言っているのさ。これでも医者だよ。いいかいお前さん、よくお聞き」

 

少女はアニエスの腕を指しながら言う。

 

「ここの筋肉一つとっても判るけど、明らかなオーバーワークになっているんだよ」

 

「オーバーワーク?」

 

「要するに訓練のしすぎだよ。筋肉だけじゃない。脂肪っけもなさすぎるね。お前さん、生理も不順じゃないかい?」

 

確かに、月経の周期が安定しないことはアニエスの悩みの一つでもあった。

 

「ではここからがお説教だよ。体が鍛えられていく過程を知っているかい?」

 

「鍛練を積めばその分血となり肉となるものだろう」

 

「間違っちゃいないが、合格点はやれないね」

 

少女は黒板を引っ張り出して来て筋肉の超回復について説明を始めた。

一度破壊した筋肉は、戻る際にさらに強くなって回復する。

回復した時点で今一度破壊すると次の回復ではさらに強くなる。

それを繰り返すことで筋肉は強くなっていくが、回復の最中に再び筋破壊が起こると逆に筋肉は減ってしまう。

これがオーバーワークである。

故に、鍛錬をするときは負荷と同じくらいインターバルが重要となってくる。

これまでは休むことを怠惰と捉え気力を支えに鍛錬に励んできたが、気力で体を支えることは確かに重要なことではあるものの、限界を超えた訓練はむしろ逆効果をもたらすことを説明され、アニエスは驚きを隠せなかった。

 

「判り易く言うとね」

 

少女は天井を指さした。

 

「あそこにリンゴがぶら下がっているとしよう。手を伸ばしても届かない高さだ。それを取ろうと思ったらどうするね?」

 

「跳ぶ」

 

「そう、跳ぶしかない。じゃあ、跳ぶ時に人はどうする?」

 

「大きくしゃがんで・・・」

 

そこまで口にして、アニエスは少女の言おうとしていることを理解した。

 

「気が付いたようだね」

 

少女は満足そうに笑った。

 

「そのしゃがむ動作がインターバルさ。一見後退しているように見えても、さらなる飛躍のためには助走も必要だって事さね。休息も立派な訓練なんだよ」

 

それだけ言うと、少女は先ほど書いていた紙をアニエスの枕元に置いた。

 

「お前さんの体格と筋肉量に鑑みた基礎体力向上のための鍛錬メニューだよ。参考にしておくれ。あとは・・・」

 

少女はアニエスの眉間に人差し指を突きつける。

 

「この辺の皺が減るような生き方をするともっといいね。達人ほど変な力は入れないもんなんだろう?」

 

そう言って笑う少女ではあったが、目が笑っていないことにアニエスは気が付いた。

吸い込まれそうな黒い瞳に、己が内に抱える黒い想念を、読み取られたような錯覚を覚えた。

まるで、圧倒的に上位の存在から問い正されているような奇妙な感覚であった。

それでもアニエスは腹に力を入れて反論した。

 

「鍛練については理解はするが、こちらは君の知ったことではないだろう」

 

「メンタルケアも医者の仕事さね。人に歴史ありってことでお前さんにもいろいろあるたあ思うけど、そんな毎日ストレスを定額貯金しているような面構えじゃ、うまくいくものもいかなくなるだろうよ。何事も、ちょっと物足りないくらいがちょうどいいってもんだよ」

 

「・・・お節介な医者がいたものだな」

 

アニエスは諦めて寝返りを打った。

 

 

 

その夜、マチルダが帰ってくるなりアニエスを見て大騒ぎとなり、その果てにアニエスの病室で5人で夕食を摂ることとなった。

口が悪いながらも暖かい交流に巻き込まれ、アニエスは微かに覚えている家族の食卓の片鱗をそこに感じた。

 

 

 

それ以来、アニエスは定期健診を欠かさぬようになり、その度に見ため少女の院長から小言を言われて渋面を作るようになるのはまた別の話である。

 


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