トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その19

不覚を取った。

ワルド登場にビビってあっさり術中に嵌るとは、我ながら情けない。

 

そんな無様な私が気が付いたのは、恐らくは船室と思しき居室だった。

作りはなかなか豪華で、私がアルビオンから逃げる際に紛れ込んだ貨客船とは格が違う。

きちんとしたベッドや豪華な調度などから、相応の規模のフネであろうと思われた。

さて、問題はここがどこかだが。

窓の外を見ても下界は闇が広がるばかりで、ここがどこなのかは判らない。

天測の技能でもあればいいのだが、そんな高度なことはもちろん私には無理だ。

 

体を起こして自己点検してみる。

着衣に乱れはない。

変なことをされた感触もない。

そっち方面は問題なさそうだが、困ったことに、どこを探しても杖がなかった。

ベッドから床におり、室内をあちこち探しても無駄だった。

虜の身なのだから理解できるが、やはり杖がないのは心細い。

杖がなければ私なんぞ体力的にはただのガキんちょにすぎない。自力脱出は無理だろう。

私は意識を集中して念を送った。

 

『ディルムッド、どこにいる?』

 

『主、御無事で!?』

 

問いかけると、すぐにディルムッドの焦りと安堵の入り混じった反応があった。

 

『すまないね、不覚を取ったよ。今のところは無事だが、ここはどこだろうね? どうやらフネの上のようだが・・・』

 

『先の屋敷からグリフォンと思しき獣で連れ去られました。方向を見ますに、ラ・ロシェールに向かうフネかと。間もなく追いつきますゆえ、それまで何卒ご辛抱を』

 

『殺す気ならこんなところまで連れてこないだろうけど・・・お前のガードを抜けて私を拉致るとは敵ながら大した連中だね』

 

『面目次第もございません。お叱りは後ほど』

 

『気にするんじゃないよ。それより、今はお前だけが頼りだ。いい子で待ってるよ』

 

そんな念話を交わしていたら、ノックもなくドアが開いた。

 

 

 

「やあ、ヴィクトリア。起きたのかい?」

 

 

 

妙にさわやかな声だった。

その声を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立った。

聞きたくもない声が聞こえ、見たくも思い出したくもない顔がそこにあった。

実際の年齢は40歳前後のはずだが、見た目は30歳くらいの若々しい、大輪の花のようなしなやかな美男子。

 

 

ハイランド侯リチャード。

 

 

4年ぶりに見た私の不倶戴天の仇敵は、朗らかな笑みを浮かべていた。

精神のスイッチが入って吐き気が込み上げ、全身に鳥肌が立つ。

こいつと私は血が繋がっている。

それを考えただけで自分の首を掻っ切って一晩逆さにぶら下がって、一滴残らず血を流し出してしまいたくなる。

 

「何を怖い顔しているんだい?」

 

「近寄るな。反吐が出る」

 

自然と早まる心拍数を感じながら、私は吐き出すように言った。

奴が一歩近づくごとに一歩下がる。

正直、怖い。

寄ってくるこいつが怖い。

これでも相応の覚悟を持って生きているつもりだが、その覚悟を持ってしても抗いがたい恐怖を抑えきれない。

歯の根が合わない。

腕力では勝ち目はない。頼みの杖も、今は奪われてしまっている。

これから己を襲うであろう数々の苦痛を思うと、今この場で自決したいくらいの心持ちだった。

杖が欲しい。

狂おしいほどに。

杖がないことを、これほど心細く思ったことは初めてだった。

 

「ああ、あの時のことをまだ怒っているんだね」

 

侯爵は泣きそうな顔で歌うような調子で声を上げる。

 

「あの時は私がどうかしていたんだよ。君があまりにも可愛らしくて理性を失っていたんだ。許しておくれ」

 

これほど白々しい謝罪も珍しい。

言葉通りに受け取る奴が何処の世界にいるだろうか。少なくとも三千世界にはいないだろうと私は確信している。

胸に手を当てて深々と頭を垂れる侯爵から、私は目が離せなかった。

体中の筋肉が緊張し、本能が防御態勢を取るよう勧告してくる。

だから、次の侯爵の言葉はすごく予想通りだった。

 

「・・・なんて言うと思ったかい?」

 

侯爵は頭を上げるなりにっこり笑い、次いで大魔神のように表情を一変させた。

四白眼の、どこか狂を発したような表情だった。読み取れるのは嗜虐心と憎悪。

侯爵は内からあふれる感情を制御できぬとばかりに、出し抜けに私のどてっ腹に爪先を蹴り込んだ。

いくら腹筋を締めていても関係なかった。

元よりインテリジェンスとマジックポイントの数値に比べ、ヒットポイントやストレングスやアーマークラスが著しく少ない典型的なメイジキャラの私だ。

殊にアーマークラスは深刻だ。

何を言っているのか判らないかもしれないが、要するに、大の男の手加減のない蹴りを受け止められるキャパシティーは私の体にはないのだ。

骨格も、筋肉も、着ているものも、およそこんな打撃に耐えられるスペックを持ち合わせていない。

嘔吐しながら、私はすぐ真後ろの壁に叩きつけられた。

 

痛い。

 

苦しい。

 

重い。

 

肉体があげられる悲鳴の種類をすべて混ぜ込んだような苦痛が鳩尾のあたりから全身に広がって行く。

これはいけない。

まずいなんてもんじゃない。

内臓は大丈夫だろうか?

痛みがひどくて判らない。

格闘技でボディをやられた苦痛は地獄の苦しみというが、冗談抜きで介錯が欲しいほどの苦痛が私を支配していた。

自己診断しながら、私は痛みに耐えかねて唸り声をあげた。喉から漏れるそれを堪えるには、この激痛は大きすぎた。

しかし、これもまだ序の口なのだろう。あれだけの事をした私に対し、この男がどのような仕打ちをするか。

ひと思いに殺してくれるなら、まだいい。こいつの手下数人に寄ってたかって慰み者にされても、まだ私の心は耐えられるかも知れない。

しかし、こいつは本物の変態だ。

恐らく、殺さぬ程度に私を静かに壊しに来るだろう。

中国に西太后といういろんな意味でごっついおばさんがいたが、あのおばさんがやったような仕打ちくらい、この男は平気でやると思う。

さんざんいたぶった挙句、最後には私を剥製にして飾るか、私の頭蓋骨の杯で晩酌を愉しみそうな男だ。

そんなことを考えていたら、蹲る私の横っ腹を侯爵が遠慮なく蹴りあげてきた。軽いとはいえ、私の体がボールのように吹っ飛ぶような蹴りを出せる侯爵もよく鍛えているものだと思う。

今度はアバラだ。下から4本くらいまとめて逝った。肺に刺さらないといいな。

そんな感じに他人事のように考えてないと痛くて気が狂いそうだった。

私を見る侯爵の表情は愉悦に満ち溢れている。長年の恨みを晴らしているのだからその気持ちも判らないでもないが、あいさつ代わりでこれだ。

本腰を入れたらどんなことになるのやら。

ディルムッドが来てくれるまで、私は生きていられるだろうか。

だが、念話で身も世もなく助けを求めることは最後の矜持として絶対にすまい。

彼は今、彼に可能な最大速力で私を助けに来ている。泣き言を伝えても彼の心を追い詰めるだけだ。

もし死ぬのなら、最期まであの気高い使い魔の主として相応しい者でありたい。

 

 

「契約履行前の狼藉はご遠慮いただきたいですわね、侯爵」

 

 

もう1・2発も蹴られたら死んでしまいそうだった私を助けてくれたのは若い女の声だった。

涙が滲む視界の中にその姿が見える。ローブをまとった姿はあからさまに怪しい。そして、ローブを着ていてもそれと判る豊満な胸部に私の本能が確信した。

こいつは私の敵だ。

だが、次の一撃に怯えていた私としては、今この時だけは心からこいつに感謝したい。

 

「動かないで下さい。すぐに楽になります」

 

女は私の前に跪き、そっと私の背中に触れた。

指輪が輝きだし、雪が解けるように蹴られた部位の痛みが引いていく。何かのマジックアイテムだろうか。

同時に、ローブの中の額が光を放っているのが見えた。

痛みとは他の理由で、脂汗がどっと出てきた。

正直、勘弁して欲しかった。

ワルドの次はこいつか。

私の運命のダムに、知らぬ間に不幸が貯まり続け、今日と言う日に決壊したのかも知れない。

 

初めて見るシェフィールドは、妖艶に笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

連れて行かれたのは、フネの中の割に豪勢な会議室だった。

椅子一つでもうちの年商くらいの値段がしそうだ。

そんな場の端っこに座らされた私の目の前で、シェフィールドと侯爵が剣呑な雰囲気を演出している。

 

「4年だぞ、4年。僕がどれほどこの日を待ったか知らぬ訳でもあるまい?」

 

奥歯が鈍い音を立てるほど噛みしめ、侯爵は呼気を瘴気に変えんばかりの怨嗟を言葉に乗せて紡いだ。

 

「毎日毎日、小便をするたびにこいつを思い出したよ。

どうやって壊してやろうか、どうやって僕が受けた屈辱をこいつの体に刻んでやろうか、それだけを考えて過ごしてきたんだよ。

こいつの親殺しだって、こいつを法によって裁かず、この手で縊り殺すためにわざわざ事故扱いにしたんだ。

それをこの期に及んで邪魔されるのは不本意極まるよ、ミス」

 

私は、あの時に斬る場所を間違ったことを心底後悔した。

斬るのなら、こいつの粗品ではなく喉笛を掻っ切るべきだったのだ。

我ながら甘かった。

 

「邪魔をするつもりはありませんし、そのようなことに興味もありませんわ。私が興味があるのは、貴方様の名前だけが欠けている血判状を何時いただけるかでしてね。我々は契約をきちんと履行したものと存じますが?」

 

要するに、私は何かの取引の材料らしい。

 

「ふん、さもしいことだな」

 

侯爵が合図すると、侍従の者が寄って来て羊皮紙を手渡した。

既に幾人もの署名がなされている書状だった。その紙自体から、何やら禍々しい魔力を感じる。

それを受け取った侯爵が並んだ名前の末尾にすらすらと自分の名前を書き加え、最後に指を切って血判を押すと紙が鈍く光った。恐らく、約束を違えることを許さぬギアスがかかった束縛術式の紙なのだろう。

それをシェフィールドに向かって犬に餌をやるような手つきで投げつけた。

 

「ほら、これが欲しかったんだろ?」

 

受け取ったシェフィールドは内容を確認し、頷いた。

 

「確かに。これで北部連合は・・・」

 

「連合加盟の貴族が全員一致で君の飼い主に迎合してやると言うことだよ。判ったらさっさと消えるがいい。僕はこれから忙しいんだ」

 

待ちきれないと言わんばかりにシェフィールドに手を振る。

そんな侯爵にシェフィールドが言った。

 

「察しが悪くて失礼しました・・・下衆の考えることは想像がつかないものですから」

 

その一言に、侯爵の目つきが怪しくなる。

四白眼を爛々と光らせてシェフィールドを睨みつけた。

 

「君は誰に口を聞いているんだろうね、え?」

 

侯爵が手を上げると、壁際に控えていたお仕着せの侍従が杖を抜いてシェフィールドに突きつけた。

 

「今日は僕は機嫌がいいんだ。できればその首を塩漬けにしてあの坊主に送る様な事はしたくないんだけどね」

 

「これだから下衆は困りますわ」

 

シェフィールドが困ったように首を振って手を上げるなり、室内に疾風が吹いた。

エアカッターが走り、侯爵の手下が持つ杖が両断されて床に落ちた。

 

「き、貴様」

 

いつの間にか壁際にいた白仮面を見つけ、侯爵は鬼のような形相を浮かべる。

 

「では、ここからは私たちの時間ですわ、侯爵閣下。こちらの可愛らしい殿下は、我々がいただいて参ります」

 

私は呆気に取られた。

てっきり侯爵への貢物にされたのかと思ったが、どういう話の流れなのやら。

少なくとも侯爵のところに連れて行かれてアレな目に遭わされるよりは運が向いてきたような気がするが。

 

「約束が違うぞ!」

 

「我々は『貴殿の前に貴殿の姪を連れてくること』をお約束し、その約束を果たしました。その成果に基づいていただくべき血判状も、この通り頂戴しておりますわ」

 

ひらひらと血判状を見せつけるシェフィールドの表情は実に嬉しそうだ。

 

「貴様、最初からそのつもりで・・・」

 

白仮面が構える杖剣の気配に動くに動けず、侯爵は人が殺せそうな視線をシェフィールドに向けた。

 

「お立場が御理解いただけましたら御退席を」

 

顔色を信号機のように変えながら侯爵は体を震わせた。

そのまま憤死することを心の底から祈ったが、持ち直した侯爵は苦いものを吐き捨てるようにテーブルの上に唾を吐き捨て、足音も荒々しくドアを開けて侍従を連れて出て行った。

ドアが荒々しく閉まると同時に、濁っていた空気が少しだけマシなったような気がして私は安堵のため息をついた。

室内にはシェフィールドと白仮面、そして私だけが残った。

侯爵の背中を見送ってシェフィールドは私に向き直り、優しそうな微笑みで話しかけてきた。

目が笑ってないのは侯爵もこいつも一緒だ。

 

「では、改めまして。私の名はシェフィールドと申します。我々『レコン・キスタ』は貴女様を歓迎致します」

 

嘘をつけ。レコン・キスタなんぞただの手駒だろうに。

 

「ご丁寧なあいさつは結構だが、できれば私の杖を返してもらえないかね?」

 

「誠に恐縮ですが、この場では冷静な話し合いをしたいと思いますので」

 

「私ゃ至って冷静だよ」

 

「お察しください」

 

力関係が対等でもない話し合いは脅迫と変わらんだろうに。

要するに、こっちには拒否権がない話をするということらしい。

 

「まずは、このような荒っぽい御招待になったことにつきまして謝罪申し上げます。いかんせん、ハイランドの不調法者の要望でしたので」

 

「まったくだね。それで、私みたいな平民をかどわかして何の用だね。私ゃ親殺しだよ。あんたたちがアルビオンで何をしでかすつもりか知らないが、今さらそんな私を担ぎあげてもあんたたちのイメージダウンだろうよ」

 

「公式には、殿下の御母上は事故死となっております」

 

「人の口に戸板が立つ訳ないだろう」

 

「その程度の汚名など、後から権威で洗い流せます」

 

「どうだかね」

 

会話を交わしながら、私は考える。

王家を倒しても王権は確保したい反乱軍の思惑というのはどういうパターンがあるだろうか。

敵さんは私に何をやらせたいか。ちょっと情報が少なすぎる。

私は単刀直入に訊いてみた。

 

「それで、私に何をやらせたいって?」

 

「現在のテューダー王家を倒した後、アルビオン王の座に就いていただきます」

 

「・・・は?」

 

話を聞いて、私は首を傾げた。

私の記憶が確かなら、レコン・キスタが掲げていたのは共和制だったはずだ。

共和制とは君主を頂かない統治制度だ。王権に拘ることは彼らの主張との間に矛盾を生むことになるように思う。

制限君主制として統治制度を整備するのなら私の戴冠も判るが、レコン・キスタは貴族の連合による議会をベースとした団体ではなかったか。

議長だの首長だのと言ったそこのトップに据えようにも、そこには自称虚無の継承者たるカリスマ、オリバー・クロムウェルがいたはず。

・・・そういえばクロムウェルって皇帝を名乗ってたっけ?

アルビオン新政府って帝政? 共和政?

いまいち記憶が曖昧だ。

 

「私を王にしてどうするね?」

 

「まだ詳細なところは決まっておりませんが、現在の構想ではハヴィランド宮殿の一画に殿下のお住まいを設けるか、ロンディニウムの近傍に1リーグ四方の限定的な王領を定め、そちらの統治者になっていただくかで調整しております」

 

「籠の鳥になるか、吹けば飛ぶような小さな国の王様になって、あんたたちに属国として臣従しろということかい?」

 

「理解が早くて助かります」

 

話は理解した。

王権そのものを支配下に軟禁するか、もしくはアルビオン内部にもう一つの国の設立を認めてそこに力なき王として封じるつもりらしい。

王権が共和制に屈した構図を政治的に演出したいというところだろうか。

後者の場合は、もし実現したらヴァチカンみたいな位置づけになるのかも知れない。

アルビオン王と言っても、まさに名ばかり。

軍も、官僚も、諸侯への任命権も持たない王権はただの張子の虎だ。

効果としてはブリミル原理主義者や王権主義者に対する取り繕いか。

また、そうすることで始祖以来の王権を潰した背教者のレッテルを回避できなくもないのかも知れない。

とは言え、その反面、王家が倒れた後は私の存在が内ゲバの引き金になる可能性も低くないだろう。

クロムウェルの虚無のせいで割を食った連中が、私を担いで王政復古を謳って挙兵したらどう対処するつもりなのやら。

もちろんそこに私の自由意思などないだろう。

どこの馬鹿だろう、こんな迷惑なことを考える奴は。

ガリアの髭か?

 

「悪いがお断りだね。私はそんな面倒な立場に立つ気はないよ」

 

「得られたかも知れない、王族としての栄耀栄華には興味がないと?」

 

「欠片もないね。私は今の生活が気に入ってるんだ。戦争がしたけりゃあんたらの方で好きなようにおやんなさいな」

 

「残念ながら、我々は相談しているのではないのです、殿下」

 

ようやくシェフィールド本来の雰囲気が出てきたようだ。

似合わない袈裟は脱いで、さっさと鎧を見せればいいだろうに。

 

「参考までに聞くけど、断ったらどういう目に遭わされるんだね? あの変態のところに送り返されるのかい?」

 

「あのような者を喜ばせる趣味はありません。その場合は、残念ですが、御身の自由を随意から切り離させていただきます」

 

「薬かい?」

 

「そういうマジックアイテムがございます」

 

「じゃあ、仕方がないね」

 

私は椅子を引いて立ち上がり、にっこり笑って言ってやった。

 

「もう一度言うが、やっぱりお断りだよ。私はもう政治には関わらないと決めているんでね」

 

伯父上やパリ―と矛を交えるくらいなら、今すぐそこの窓から飛び降りた方が気分はマシだろう。

 

「まあ、御身一人では心細いところもおありでしょう」

 

どこかそれを期待していたかのようなサディスティックな微笑みを浮かべてシェフィールドは言った。

嫌な予感が、じわりと静かに心に浮かんだ。

 

「今、貴女様の同居人の方々もアルビオンにお招きすべく手配しております。結論はその後で承りましょう」

 

コトンと音を立てて、私の中でいろんなものが加速し始めた。

私は今、きっとまたテファが嫌がる目つきをしているだろう。

感情は朝の湖面のように穏やかだが、奥に黒い炎が荒れ狂っていた。

ああ、シェフィールド、あんたは何て可哀そうな奴なんだろうね。

お前は、触れてはいけないものに触れ、ここで出してはいけない単語を出してしまったよ。

このハルケギニアで、私が何よりも大切にしている二人に手を出されて、この私が黙っていられる道理がないじゃないか。

理屈も何も関係ない。

それだけでお前と私の関係は、殺す殺さないのそれになるしかないんだよ。

私は静かな視線をシェフィールドに向け、自分でも驚くほどの低く冷たい声で告げた。

 

「あの二人に何かあった時は、お前だけは楽には殺さぬと心得るがいい」

 

シェフィールドの視線を受け止め、逆にこちらの眼力をシェフィールドに叩きつけた。

視線を向けあって、私は理解した。

恐らくこいつも理解しただろう。

私たちは近い人種だと言うことを。

自分の大切な何かのためには、どんな手段を取る事も躊躇わない女だと言うことを。

 

「杖を持たぬ貴女様に何ができましょう。ここは高度1000メイルの空の上。御自慢の使い魔でも、さすがに空は飛べますまい?」

 

こちらが無力と思っているのか、シェフィールドは楽しそうに笑う。

もうダメだ、こいつを生かしておく理由が見つからない。

そのまま白仮面に指示を出し、私の退室を促した。

 

「では、また後程」

 

妖艶に笑うシェフィールドに、私もまた笑って返した。

残念ながら、お前に後はないんだよ。

 

白仮面に促されて室外に退去し、ドアが閉まると同時に私は壁に身を寄せ、耳を抑えて床に伏せた。

 

 

さようなら、シェフィールド。

 

 

ドア一枚を隔てた、会議室の床が爆発するように吹き飛んだのは次の瞬間だった。

 

 

轟音と共に赤い流星のような一条の光が真下から真上に走り抜け、衝撃波が破壊の限りを尽くす。

真下からの一撃を受けたシェフィールドの死体は原型を留めないだろう。

伏せた私のすぐ脇でドアが吹き飛び、破壊された室内の構造材などが吹き荒れる。

フネ全体が身震いし、立っていたものは吹っ飛ばされて壁や床に叩きつけられている。

まるで砲弾が命中したような衝撃だった。

指示したのは私、犯人はもちろん我が忠臣だ。

私が会議室に入ったあたりで、既にディルムッドはこのフネを捕捉していた。

宝具の全力投擲ともなると、その速度は音速の数倍だ。

いかに効果が地味系のゲイ・ジャルグでも、英霊が扱う宝具というものを舐めてはいけない。

我が使い魔に、空戦能力はなくても対空能力までないと考えたのは早計だったね、シェフィールド。

 

振動が収まると同時に、私は即座に立ち上がった。

この攻撃によって演出したパニックを利用して脱出を図る。

フネというのは商船構造と軍艦構造などの違いはあっても基本的に構造はどれも同じようなものなので勝手は判る。

タラップを探して逡巡した時、後ろから声がかかった。

 

「こっちだ」

 

振り向くと、廊下の中ほどに白仮面をつけた男が手招きをしている。

思わずぎょっとなった。

何の真似だ、ワルド子爵。

一瞬躊躇ったが、彼の手に見慣れた青水晶の杖を見て、私は意を決して彼がいる方に走った。

私を待って白仮面は杖を差し出してきた。

 

「ここをまっすぐ行けば上甲板に繋がるタラップがある。急ぐがいい」

 

罠とは思えないが、あまりに過剰なサービスに少しだけ猜疑心が頭をもたげた。

 

「何の真似か、簡潔に教えてくれないかね?」

 

「君に同情した、などと言う甘い理由は期待しないでくれ。北部連合を取りこんだレコン・キスタなら、武力だけで王家を倒すことが可能だ。それをわざわざ内側に王位継承者と言う火種を抱える愚挙に賛同しかねるのさ。王家を倒した後、内輪もめする可能性は排除すべきと言うのが僕の考えでね」

 

「理由にならないね。だったらさっさと私を殺せばいいじゃないか」

 

「最初はそのつもりだったが、君を殺してあの化け物が黙っているとは思えないのだよ。今夜だけで手練の傭兵100人が血祭りにあげられている。下手をすれば、君の使い魔のためにレコン・キスタは壊滅の憂き目を見るだろう。君とて、変態の玩具や心を壊された人形になるのは本意ではないだろうし、王位継承権を振りかざして貴族に返り咲くつもりはないのだろう? 相互不干渉は可能なはずだ。故に、ここはこの騒ぎのせいで僕は不覚にも君を取り逃がしてしまった、という選択肢が最上だと判断したまでだ」

 

私が知らない間に、ディルムッドはずいぶん活躍したようだ。あとでしっかり褒めよう。

他にも裏があるのかは知らないが、杖を返してくれたことから見ても、この男に害意はないのだろう。

おかげでディルムッド頼みのロープなしバンジージャンプをしなくて済む。

 

「私の家族は?」

 

「既にヴァリエール公爵家の庇護下にあるから心配はいらない。さあ、早く行け。僕はもう君に関わりたくないんだ」

 

「・・・ひとつ借りにしておくよ」

 

それだけ言って、私は振り返ることもなく廊下を走ってタラップに取りついた。

一気に駆け上って最上甲板に出る。

夜風が荒れている中、私は舷側に向かって走った。

 

『ディルムッド、降下中の援護頼むよ』

 

『承知』

 

それだけのやり取りで、私は心から安心した。

ようやく頼もしい使い魔の庇護下に還ることができる。

 

すべてはうまくいく。

 

そう思ったところに落とし穴があった。

舷側に駆け寄って手摺に手をかけ、フライのルーンを口ずさんだ時だった。

 

『主!』

 

ディルムッドの悲鳴にも似た声が脳内に響いた。

その声と同時に彼の投擲の気配を感じるが、着弾までのタイムラグが私の命取りだった。

次の瞬間、私は体に走った衝撃と鈍い熱さを感じることとなった。

 

熱い。

 

熱い。

 

熱い。

 

尋常ではない感覚だった。

背中から、何かが体に何本も突き刺さってきた。見下ろすと、私の小さな体を貫通して何本かの氷の矢の切っ先が体から生えているのが見えた。

ウィンディ・アイシクル。

食らうとこういう風になるとは知らなかったよ。

消化器を傷つけたらしく、せりあがって来た血の塊が口からあふれ出た。

鼻の奥が鉄臭い。

凄まじい耳鳴りが頭蓋骨の中に鳴り響いた。

 

杖を取り落とし、ずるずると手摺の上に崩れる私の視界に、至る所から血を流した侯爵がキャビンの出口のところで杖を手に立っている姿が映った。

さっきの騒ぎでもかすり傷とは命冥加な奴だ。

だが、奴の幸運もそこまで。

風切り音が響き、既に放たれていた我が使い魔の2投目が真下から侯爵を襲った。

黄金色の閃光と共に、甲板の木材もろとも侯爵が吹っ飛ぶさまが見えたが、その衝撃で私もまた虚空に投げ出された。

 

 

緩やかな飛翔感に包まれながら、私は朦朧としてきた意識で今までの事を思い返す。

これが走馬灯というものかもしれない。

伸びきった時間流の中で、どこかでみた風景が流れて行った。

良いことばかりではなかったけど、悪いことばかりでもなかった。

 

私が知るハルケギニアの歴史に対し、私は自分の価値観を優先して介入してきた。

死にゆく運命だったカトレアに、本来ありえない道を示した。

テファやマチルダに手を差し伸べることによって、彼女らが面倒を見るであろう孤児たちについては黙殺した。

テファの救済は、場合によっては未来における平賀才人の死を確定する行為でもある。

本来は死んでいたであろう、多くの人の運命をこの手で変えてきた。

それがどのような未来につながるかに目を瞑って。

運命を知る術は私にはないが、その些細な変化をもたらすことを繰り返した私は、やはりこの世界のイレギュラーだったのだろう。

神の目こぼしを受けながら日々矛盾を生み出している存在であるからには、唐突に揺り戻しとも言うべき終末がやってくることもあり得る話だ。

歴史に修正力というものがあるのなら、矮小なこの身では抗うことはできないだろう。

もとより生まれ変わりという、おまけのような20年。

まあ、いいか。

最後は退屈しない人生だったし。

 

気がかりなのはマチルダとティファニアの今後だが、世間知らずの貴族様と違い、今の二人には相応の生活力がある。

私が知る物語のように日陰者に落ちる心配はないだろう。

私がいなくなった後でディルムッドが現界できるかは判らないが、もし残ってくれるのなら、きっと二人の力になってくれるだろう。

 

視界の端で、上空の船がすごい竜巻に巻き込まれてばらばらになっていく様子が見える。

ディルムッドの仕業だろうか。

 

 

ああ、何だか眠い。

 

 

背中に柔らかい感触。

流石は我が忠臣、優しく受け止めてくれる。

霞む目の前でディルムッドが叫んでいる。

何を言っているかよく聞こえないや。

 

 

本当に眠い。

 

 

意識が飛び飛びになって来た。

カトレアみたいな色の髪をした、厳しそうなおばさまが鋭い目で私に何か言っている。

ああ、もしかしてこの人、『烈風』さんかな。

助けに来てくれたのかな。

あの二人がヴァリエールの庇護下に逃げ込めたのは本当だったのか。

 

ディルムッドに抱えられたまま、『烈風』さんのマンティコアの背中に乗ったようだ。

何だか目の前が暗い。

 

今夜は妙に冷えるなあ。

 

今もディルムッドの声が聞こえる。

 

 

すまないね、すごく眠いんだよ。

 

 

 

 

いいや、もう、寝てしまおう。

 

 

 

 

今夜だけは、あのひどい夢は見たくないなあ。

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

・・。

 

 

 

・。

 

 

 

 

 

 


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