自分が転生したことは早々に自覚した。
これでもネットのSSなどを読んでいたので免疫はできていたが、それでも我がこととなると結構驚いたものだった。
生まれたところはアルビオン。
名前はヴィクトリア。
親父殿はかの有名なプリンス・オブ・モード。私はその嫡女に当たる。
つまり正妻の子だ。
ヴィクトリア・テューダー・オブ・モードというのがフルネーム。
正妻と言っても政略結婚だった父母は仲が悪く、父とはほとんど会話らしい会話もしたことがない。
それでも何度か私の顔を見に来たことはあるが、虫を見るような目で私を見ていたのが印象深い。
その分母は母で燕狩りに血道をあげ、充実した日々を送っていたのだからお互い様だろう。
良く言えば余計な面倒がない分だけは気楽な、正直に言えばあまりに空虚な幼年期を過ごし、思ったより早く4歳で魔法を使えるようになった。
多くのSSで述べられているように、現代の物理を知っていると魔法への応用が有効であるらしい。
風の国ではあるが、私の属性は水だった。
初めて使う魔法はなかなか面白く、10歳になるくらいの時にはラインに手が届いた。
しかしながら、私が発育不良に悩んでいる15歳の時に事件は起こった。
おとんが愛人のエルフを匿ったアルビオンを揺るがした政治的スキャンダルという奴だ。
私自身何とかしようと思ったが子供の身で何ができるという話であり、時局に翻弄されるままに家の取りつぶしが濃厚になった。
後日、おとんはあえなく処刑。涙はかけらも出なかった。
正直、悲しいとも何とも思わなかった。
私はといえば、雲行きが怪しくなった時点で一方的に離婚を突きつけたおかんと一緒におかんの生家であるアルビオンの北の辺境にある侯爵家に身を寄せた。
その侯爵がまた問題だった。
モット伯というスケベ野郎のことは皆さんも御存じと思うが、この家の侯爵、そのモット以上の変態で、真性のペドフィリアだったのだ。
私は外見がもろに彼の好みに合ったらしく、ある夜寝室に召しだされた。
いきなり大の男に組み敷かれては幼女の筋力では如何ともしがたい。
そんな私を救ったのが彼が飾りと思っていた私の小さな杖だった。
既にブレイドの魔法が使えた私は組み敷かれながらもルーンを唱え、感情のままに容赦なく侯爵に斬りかかった。
その時の悲鳴の甘美だったこと。
男性自身を斬り飛ばされてのたうち回る侯爵を置き去りに、私はおかんのところに走った。
そのままおかんを連れて出奔するつもりだったのだが、寝室に逃げ込んできた私に向かっておかんは 傲然と非難の言葉をぶつけた。
その時、私は初めておかんがおかんの兄にあたる侯爵に私を売ったのだと理解した。
そうなるともはやこの屋敷は四面楚歌。
慌てて杖を構えるおかんに、私は感情のままにウォーターハンマーをぶつけた。
殺す気だったと思う。
私の成長が止まってしまったのは、その時の精神的なショックのせいかもしれない。
同時に、この時を持って私はトライアングルになった。
壁に叩きつけられてぐったりしているおかんの生死も確認せずに枕元にあったおかんの秘蔵の宝石箱を鷲掴みにし、次いで自室に戻って鞄に詰められるものをすべて詰めて窓から夜の闇に飛び込んだ。
自由への遁走は紆余曲折はあったが、こちらを子供と舐めた大人の裏をかくことはさして難しくなかった。
宿屋には手配が回ったようだが、誰もやんごとなき身分の小娘が襤褸を着て浮浪児になっているとは思わなかったらしい。
そんな逃亡生活の中、酒場で細かい用事をすることで日銭を稼いでいたら、酔漢からサウスゴータにテファとその母がかくまわれており、それを狩り立てる部隊が派遣される話を聞いた。
その言葉を聞き、心の中に小波が立った。
この重要なイベントを忘れていたのは、まさに痛恨の極みだ。
父の愛妾シャジャルと娘のティファニアを襲った悲劇は、あの作品の中でも数少ない悲しい出来事の最たるものだったと思う。そして、テファの悲劇は連鎖的にマチルダ・オブ・サウスゴータをも巻き込んでいくはずだ。
今からでもいい、助けられるものなら助けたいと言うのが私の偽らざる気持ちだった。
ティファニアのような少女には幸せになって欲しいと原作を読みながら思っていたくらいだ。
しかし、兵隊相手にトライアングルとはいえ小娘の私が正面から殴りこんで何ができるか。
私は思い立った。
ここは使い魔だ。
何が出てくるかは判らないが、運が良ければティファニア親子を助けられる力を手にできるかもしれない。
願わくばドラゴンないしは幻獣、犬猫の類だった場合はティファニアたちの命運はここまでということだ。
意を決して私は召喚を行った。
結果から言えば私は望外の使い魔を呼びだせた。
その力を借りて一気にサウスゴータ領主の屋敷に乗り込んだが、一歩遅かったことを悟る。
その部屋で行われていたことは今思い出しても吐き気が込み上げてくる。
屍姦の真っ最中だった男たちは入ってきた私に驚き、次に笑みを浮かべた。
「これはこれは、大公の御息女ではありませんか。このようなところに何の御用ですか?」
「貴様ら、これが栄光あるアルビオン騎士の所業か。恥を知れ」
「何を言うのかと思ったら。いっそ殿下も混ざりませんか。背教者の娘にして親殺しの咎人とくれば処刑は免れんでしょう。とは申せ、生娘のままというのも不憫、私たちでおもてなし致しましょう」
「あ~、そうか、わかった。要するにあれだ」
怒りが質量を増し、増しすぎて自重で自らを押しつぶして黒い塊となって心の中に転がった。
なるほど、これが憎悪か。
自分の瞳から光が消えて行くのが判った。
「殺していいんだな、お前ら」
下郎どもを皆殺しにし、隠れていたテファを救い出したところに血相を変えたマチルダが駆け込んできた。
一瞬杖を向け合うが、すぐにお互いの正体を理解して杖を収めた。
仔細を話し、アルビオンを脱出するために手を取り合った。
テファの母は私が水魔法で清め、マチルダが着衣を整えて化粧を施してベッドに寝かせ、屋敷に火を放って荼毘に付した。
マチルダが手綱を取る馬車で、私たちはダータルネスを目指した。
道中にかかった追手は私の使い魔が退けた。
人を、何人も殺した。
殺されて当然の畜生も多かったが、中には忠義溢れる若者もいた。
どれも私の罪だ。
いいだろう、その血まみれの手で生きて行ってやる。
私たちは貨客船に荷物にまぎれて乗り込み、アルビオンを脱出した。
それなりの金を払うと船長はにやけてうなずいてくれた。
金の力は偉大だと思った。
たどり着いたトリステインで、私は小さな診療所を始めた。
道中考えていたことだ。
水魔法の治癒はそれだけで充分効果があるし、前世の知識には医学のそれがあったので治療師として それなりの治療を施すことは可能だろうと判断したためだった。
どこかの貴族を頼ることはできない。市井に紛れざるを得ないとなるとそこで生きて行く基盤が必要だ。
マチルダは土の系統、テファは魔法が使えない。
そこでテファには診療所の助手をお願いし、マチルダには得意の土魔法で工房を開いてもらうことにした。
スタッフとしては私の使い魔を付けた。
ブルドンネ街に店舗を借りて、私の知識にあるものを商品化してもらう。
ささやかなチート。
それが鉛筆だった。
製法は昔のテレビで見て知っていた。ありがとう、モグタン。
製品として耐えるものができるまで1ヶ月かかった。
これを商工会の販売ルートに乗せてもらう。
直販をするほどの企業体力がないのでここは既存の販売網に乗ったほうが得策だったからだ。
屋号は昔のゲームから取って『マチルダのアトリエ』とした。当人は赤面して嫌がったが、私とテファが賛成したので多数決が成立した。
実際、マチルダも内心はまんざらでもないようだったが。
私のほうも何とか体裁を整え、平民の病気や怪我を見る診療所として役人に届け出を出した。
町内会や商工会には概ね歓迎された。
メイジが診療所を開くこと自体が異例なことだからだ。
この時代、民間医療は無きに等しく、治すとなると法外な値段で水メイジに依頼しなければならない。
一般市民の平民には手が出ない治療も少なくなくたいていは効くか怪しい薬を薬師から買うくらい。
このニッチにもぐり込む。
私たち4人くらい食べて行く程度ならさして金はかからない。
手持ちの資産は非常時のために取っておくとして、大店の商人からはたんまりいただくが、今日の糧にも困る貧民には無償で治療を施す体制で商売をした。
私の場合は前世の知識があるので少なくない部分で魔法一辺倒ではない治療が可能だ。
水の秘薬を高額で売りつける訳ではないお手ごろ価格の治療法が安心を呼んだのか、程なく違和感なく街の一部に溶け込むことができた。
私としてはここが『ゼロの使い魔』の世界であるという認識はあるものの、幸い貴族としての立場は既にない。
原作キャラに交じってスリルと冒険の日々を送る可能性はないと思っていいだろう。
英雄のような武勇伝は必要ない。賢者の英知も私には無用だ。
こんな言葉がある。
『 光と闇、秩序と混沌、そして剣と魔法の入り交じる世界があった。伝説的な英雄と世紀末的な怪物が激しくぶつかり合う世界今まさに、世界の攻防は彼ら、選ばれた者たちの手に委ねられようとしていた。
だが、そんな英雄物語は彼らに任せておけばよいのだ。
世界の大半の人間には、英雄も怪物も関係ない。自分たちにできることをやり、今日を平和に生きることができれば、皆それで満足なのだから』
名言だと思う。
市井の一市民としては、ただ日々の糧を得ながら生きていければそれで十分なのだから。
まあ、よほどのことがなければ原作組の珍道中に巻き込まれることもないとは思うが。
私がトリスタニアに来たばかりの頃は、そんなことを考えていた。