トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その22

トリスタニアの朝は、日の出とともに動き出す。

往来を行き交う行商や運搬の音を聞きながら、私は目を覚ました。

 

のそのそと芋虫のように起きだして、玄関の外にある牛乳受けから牛乳を取り出す。

 

牛乳が飲めることは、幸せなことだと思う。

飲み物としてはやや重めになるためか、飲むと腹具合が悪くなる人がいるが、幸い私の胃腸はそういう設計にはなっていないようで、毎朝しっかりといただくことができる。

牛乳は完全食品と言われることがあるがそれは誤りで、栄養価は確かに高いものの、実は鉄分やビタミンCが少ないのだそうだ。そもそも、牛乳というのは牛の子供を育てる目的に特化した液体なのだから、人にとって完全であることの方が無理があると言えよう。

また、決していいことばかりではなく、牛乳が乳がんや前立腺がんの原因にもなるという学説もある。牛乳=健康と盲信するのは危険ではあるが、そうは言っても多飲すれば反動があるのはどんなものでも同じなわけで、私のように身体の発育がアレな者にとってはすがりつくべき数少ない寄る辺なことは確かなのだ。

何しろ、我が家の私以外の女二人は揃って上背があるし、胸も立派だ。

殊に妹に至っては、立派という陳腐な言葉では追いつかないくらいの凶弾を装備している。それこそ牛と張り合えそうなくらいだ。

初めて会った時は、年齢の割に立派ながらもまだ可愛げがあったが、それが今ではどうだ。

線が細い体とのギャップも際立ち、まさに神の双峰と呼びたくなるほどの神々しさを放っているではないか。

もしかしたら私のところに来るべき分を、何らかの方法で夜な夜な吸い上げているのではないかと邪推したくなるほどの逸品だ。

当人にとってはコンプレックスになっているそうだが、何だか『お金がありすぎて管理に困っちゃう』とでも言われているようで全く同情する気にはなれない。

むしろそんなに邪魔なら片っぽちぎって私に寄越せと

 

「玄・関・先・で・牛・乳・飲・む・な・と・何・回・言・っ・た・ら・判・る・ん・だ・い」

 

思考の海に沈んでいたら、知らぬ間に背後に回ったマチルダが私のこめかみにウメボシぐりぐりを見舞ってきた、って痛い、それすごく痛いってば。

 

 

 

 

「ははは、それは災難だったな」

 

「笑い事じゃないよ。う~、ちくしょー、まだズキズキするよ、まったく・・・」

 

涙目で聴診器を着けながら、私は毒づいた。

目の前で椅子に座って笑っているのはアニエスだ。朝の悲劇を話したら大笑されてしまった。恐らく、マチルダからも日頃からいろいろ聞かされているのだろう。

今日は非番なのだそうで、定期診断に来てくれた。こういう生真面目な人は、それが必要だと認めてくれさえすればルーチンで来てくれるから診る方も安心できる。

 

「院長も、少しくらい体術を覚えてもいいのではないか?」

 

「ちょっとくらい体術知ってたってパワーが違うからねえ。相手は日頃から金槌振るってる工房の女主だよ?」

 

自由を愛する私としては私の自由意思を奪うような迫害には断固として立ち向かいたいところだが、いかんせん体格が大人と子供ほども違うこともあって腕力では全く勝てないので、ここしばらくはマチルダの圧政に対しては非暴力不服従というマハトマのような日々が続いている。

 

「ご希望とあらば、指南くらいはするぞ?」

 

それは嫌だ。こいつがアルビオンで才人にどういう特訓をしていたかは今でも覚えている。

『こちとら無粋な軍人だ、技も術もすっ飛ばす』とか言って実践オンリーのスパルタ教育してたよね、確か。

しかも最後には『教えたことはどれも役に立たない』とか言っていたはず。

誰が好き好んでそんな虎の穴に入門するものか。

 

「考えておくよ。それじゃ上だけ脱いでおくれ」

 

適当に受け流して聴診器を構えると、言われた通りにアニエスが上着を脱ぐ。

軍人らしく、女の癖に躊躇のない見事な脱ぎっぷりだが、取り去られた着衣の下から現れた体に私は思わず息を飲んだ。

 

うわー・・・。

 

こっちの都合で数か月空いてしまった検診だが、見慣れたはずの彼女の裸身は、前回見た時に比べてもさらにシャープに磨きあげられていた。

必要な部位に必要なだけ、針金をより合わせたような締まった筋肉がつき、その上にうっすらと脂肪が乗っている。インナーマッスルから丁寧に練り上げる鍛錬を積み重ねたためか、瞬発力と持久力を兼ね備えた、理想的な戦うためのボディになっている。運動をするうえでは邪魔でしかない乳房も程良い程度のサイズだ。

男性のように隆々としているわけではなく、かといって女性のように華奢でもない。

完璧だ。

しなやかな、猫科の獣のような肉体。

女豹と言う言葉がこれほど似合う体も珍しいだろう。

 

「これはまた・・・見事に鍛え上げたものだね」

 

聴診器を当てながら漏らした私の呟きに、アニエスが不敵な笑みを浮かべる。

 

「おかげさまでな。言われたメニューに従って鍛錬しているが・・・ふふ、やはり専門家の意見は聞くものだな。ここ最近で、体捌きのスピードが3割は速くなった気がするよ」

 

「そんなにかい?」

 

「ああ。同僚にミシェルという腕の立つ奴がいるんだが、最近ではそいつの剣が止まって見えるくらいだ。ふふふ」

 

「そ、それは良かった・・・」

 

何が楽しいのか、猛獣のような恐い笑みを浮かべるアニエスに、さすがに私も少し引いた。

 

「そんなわけで、そろそろ今のメニューでは物足りなくなって来てな。できれば今日はその辺の見直しも併せて相談したい」

 

「う、うん、わかったよ」

 

実は、受け答えしながらも私が密かに懊悩していたのは、アニエスのSっぽい笑いのためだけではない。

彼女に対し、理想的な形にビルドアップしていく手伝いをしたつもりはあったが、それは同時にかなり危険な要素をも醸成することになるのだと、この時初めて理解したからだ。

今、目の前で彼女が発しているものは、いわゆる中性美。

知らぬ間にアニエスの肉体は、アスリート系と言うか宝塚系と言うか、男性とは違った清潔な逞しさと、女性ならではの繊細さが同居した妖しいそれになっていた。

手入れをしていない割に肌理が細かく張りのある肌と、躍動感を感じるボディラインを持ったそれは、まるで清流に遊ぶ魚のように瑞々しくも艶めかしい。しかもその魅力は、男性よりもむしろ女性に対してより効果を発揮するもののように思う。

平たく言えば、それを見た少女たちの乙女回路に深刻なダメージを与える『お姉さま系』の魅力だ。

医師の目で見ていたはずの私ですら、思わず吸い込まれそうな妖しさを感じるくらいだった。

これはいけない。

こんな妖しげなフェロモンをまき散らすような危険人物を野に放つのは、雌雄一対を原則とする自然の摂理に対する挑戦に他ならない。

思い出してみれば、やがて組織されるであろう銃士隊は女性ばかりの組織だったはず。

さらに困ったことに、やがては王女の片腕として取り立てられるであろうアニエスである。アンリエッタの傍に置いておいて本当に大丈夫であろうか。幸いにもお姫様は懸想する相手がいたはずだが、何かのきっかけでアニエスの素肌を見た時に、アンリエッタが新たな世界の扉を開かない保証はどこにもない。

確かにトリステインの紋章は百合の花ではあるが、それを具現化してしまうようなことになったらそれこそ国家の破滅ではないか。

私は、とんでもないフランケンシュタインズモンスターを作り出してしまっているのかも知れない。

 

「うわ~・・・・・・かっこいいですね、アニエスさん」

 

嫌な汗を滲ませている私の脇で、手伝いに来たティファニアがため息交じりに呟いた。

その頬が微かに赤くなっているのを見て、私は慌ててアニエスに服を着るよう指示した。

 

アニエスの更なるビルドアップを奨励すると同時に、それに対する阻止の必要を感じると言う二律背反の思いを抱きながら、ややウェイトを上げた形の鍛錬メニューを書いてアニエスに渡し、午前中の診察時間は終了した。

 

 

 

 

 

午後になり、今日は往診が入らなかったので買い物籠を持って街に出た。

平日ではあるが多くの人が繰り出しており、市も立ってなかなかに活況だった。

トリステインは年々国力が下がっているとのことだが、確かに各国をリードするような産業もないだけに、国際競争力が上向かないのは自然な流れだと思う。

伝統に胡坐をかいて、ガリアやゲルマニアから農作物や工業製品を輸入する一方では落ち目になるのは仕方がないだろう。

そんな状況なのに王位は空位のままだし、貴族諸君は既得権益の確保とさらなる拡大に躍起となると、国家としてのトリステインが亡国の一歩手前と言うのも頷ける。マザリーニさんが悪口を言われながらも必死になって国を立て直そうとしているようだが、ここまで敵が多くては、まるで一人で滝の流れを逆流させようとしているようなものだろう。せめて私の従姉妹がシャンとしてくれればいいのだが、夢見るお姫様はまだモラトリアムな季節なのだろうか。その気になったら『大切なおともだち』相手に城が消し飛ぶような魔法をぶっ放すくらいの気概があるのだから、できればそれをプラスの方向に向けて欲しいと言うのが、御膝元の王都住人としての私の切なる願いではある。

 

 

人の波の間を泳ぎながら、私が向かった先は古びた書物屋だ。

本や巻物などを扱うトリスタニア屈指の老舗で、その取り扱う商品の幅には目を見張るものがある。

店構えは絵に描いたような二階建ての店で、何となく左に傾いで見える。蔵書の重さに建屋が耐えられないのだろう。今度ディーに営業に来させて、倒壊防止の錬金施工でも提案させてみよう・・・って、何でもありだな、土魔法って。

 

「ごめんよ」

 

薄暗い店内入ると、奥で店番をしていた痩せた老人が、手にしていた巻物から顔を上げた。本当に生きているのか怪しいくらい青い顔をしているが、数年前からこの調子なので、これがこの老人のデフォルトなのだろう。

 

「ああ、君か」

 

しわがれた声だったが、高い知性を感じさせる声でもあった。既に引退しているが、この御仁、数年前まで夜の町内会の役員を務めていた剛の者だ。数字に強く、情報収集とその活用について傑出した人物で、引退したと言ってもその頭脳と記憶力は老いてなお他の追随を許さない。日本に生まれれば、エリートのトップたる財務事務次官でも余裕で務めそうな人物だ。私ごときでは、彼の叡智の深みを計る事などもちろん無理だ。元アメリカ合衆国国務長官のコンドリーザ・ライスにも引けを取らないんじゃないかと思う。

この老人に会うたびに、こういう平民を徴用しないあたりがトリステインの没落の原因だと確信する。彼を財務卿に据えれば、国内財政は一気に右肩上がりに転換するだろうに。もったいないことこの上ない。

 

「その後は何か入ったかな?」

 

「ああ、君の眼鏡にかなうかわからないが・・・」

 

老人は立ち上がり、奥から数点の巻物を持ってくる。

どれも年季が入った感じのものだった。

書物のテーマは、どれも毒物。

 

「どれも禁書すれすれの書物ばかりだからね。持ち運びには気を付けるんだよ」

 

「ありがとう。気を付ける」

 

私は金を払って店を後にした。

3分以上読書を邪魔されると、彼は怒り出すからだ。

 

 

 

宿題と言うのは幾つになっても憂鬱なものだ。

学校の宿題でさえ十二分に憂鬱なのだが、私が抱える宿題はもっと性質が悪い。

以前に診療院を訪れた、小さなお客様が残していった相談事。

その答えについて、苦しまぎれに調べる努力を口にした瞬間に約束が成立してしまった。

問題は、その相談については、答えも、それに至る経路も知っているのにそれを示せないことだ。

故に、それ以外の経路で答えを探す努力を私は続けて来たのだが、これまでの結果は不首尾に終わっている。

 

カフェの端っこの席で紅茶を舐めつつ、人目を気にしながらこそこそと手に入れたばかりの巻物を見てみる。

幾つかの単語を拾いながら斜め読みしているが、やはりどれも空振りのようだ。

毒物と言う言葉は出てくるが、どちらかと言うと相手を毒殺するための毒についての書物らしい。

何を調べているかと言えば、もちろんエルフの毒についてだ。

タバサとの約束として、私なりに調べられる範囲で調べようと思ってやっている調査。

調べ始めてみて初めて知ったことだが、宗教上の敵ということもあってか、エルフに関する情報は実に少ない。

ましてや心神喪失薬ともなると、影も形も出てこない。あるいは、エルフ以外でそれを知った者は、いずれもそれを実体験する羽目になっているのかも知れない。

心神喪失薬というのは、それを使うかどうかをエルフの評議会が決めていたような気がするし、タバサに飲ませるために調合していたビダーシャル自身も地位も実力も高かったように記憶しているので、ネフテスの中でも機密レベルが高い可能性がある。そんな代物がおいそれと書き物になって出回るほうが不自然かも知れない。

チートな知識を持っている私でも判っていることは、それが水の精霊の力を使った魔法薬だということくらいだ。

ある程度の情報さえ手に入ればラグドリアン湖の水の精霊に相談することもできなくもないと考えているのだが、調合に先住魔法が必要なのだとしたら打つ手がなくなる。

それでも私が調べているのは、ビダーシャル自身が『あれほどの持続力を持った薬は、お前たちでは調合できぬ』と言っていたためで、裏を返せば持続力を度外視すれば調合できる可能性を完全に否定していなかったように読めたからだ。

毒が作れるのなら、解毒薬も作れぬ道理はないはず。

可能性としては1%もないだろうが、約束は約束なので、できるだけのことはしようと思うのだ。

ゆくゆくは無事に解放される不運の少女とその母ではあるが、もし力になれるなら運命の歯車を早回しすることくらいはしてあげたいと思うものの、現実の壁はいつだって高くて厚いものだと痛感する。

 

 

そんな思索に耽っていたら、太陽が傾きだした。

ティファニアに晩の買い物を頼まれていたのを思い出し、冷めた紅茶を飲み干して急いで市場に向かう。

メモを片手に生鮮食品を買って回ることしばし。

ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、カブに鶏肉・・・お、今夜はポトフだね。

結構な重量になったが、鍛錬のためにあえて魔法を使わず、買い物籠をよいしょと抱えて家路についた。

 

「おや、ヴィクトリア?」

 

ブルドンネ街を抜けたあたりで声をかけられて振り返ると、マチルダとディーがいた。

 

「お、もう帰りかい? 御両人」

 

「納品先から直帰だよ。あんたも帰り?」

 

「見ての通り、買い物をしてきたところだよ」

 

食材が詰まった籠を見せる。

 

「荷物は私が持ちましょう」

 

「すまないね」

 

ありがたい申し出に、ディルムッドに買い物籠を素直に渡した。やはり男手があると助かる。

 

「何というか、ヴィクトリアが籠持ってる姿見ていると、何だかお使いに来たえらい子みたいに見えるね」

 

マチルダがまた要らんことを言う。

 

「じゃあ、差し詰めマチルダは子供を連れたお母さんってとこかね」

 

「なにおう」

 

「まあまあ、お二人とも。早く帰りましょう。テファさんが待っているでしょうし」

 

 

 

そろそろ一番星が出そうな夕方、私たちはそんなことを言いながら家路を急いだ。

 

 

 

 

そんな、平和な一日。


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