トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その25

「だいぶ高いね」

 

体温計を確認し、私は唸った。

この水銀とガラスの工芸品は、言うに及ばずアトリエ・マチルダの製品だが、作った当人は目の前で顔を赤くして唸っている。

 

「んあ~、気が滅入ることは言わなくていいよ~」

 

季節外れの風邪をひきこんで、床に伏して唸っているマチルダ。

日頃の上下関係では私の上位に君臨するこの姉も、今日ばかりは医者である私の支配下だ。

 

「だいたいマチルダは働き過ぎさね。余波を受けたティファニアがいい迷惑だよ。この機会に、日頃の無茶を反省おしよ」

 

マチルダの隣で寝ているのはティファニアである。マチルダを震源地とする風邪をもらった被害者だ。

こちらもかなり熱が高い。

本来ならばそれぞれの自室を持つ二人だったが、面倒を見る都合によりリビングに二人並んで寝てもらっている。

 

「ごめんね、姉さん。面倒かけちゃって」

 

ティファニアが布団の中から申し訳なさそうな声を出す。これがまた無茶苦茶可愛い・・・って、まだシスコンじゃないよね、私。

 

「いいんだよ、誰だって好きで風邪を引くわけじゃないんだし、いつも一生懸命働いているんだ、疲れが出たんだろうよ」

 

「ちょっと、私とずいぶん対応が違うじゃないか」

 

マチルダがだるそうな調子で非難の声を上げる。

 

「はっはっは。いい子のテファと暴走三昧のお前さんとじゃ扱いが違って当然だよ。まったく、歳も考えずに毎日遅くまで持ち帰りで作業してるから風邪ひいたりするのさ」

 

「く・・・あんた、覚えてなよ」

 

「お~、恐い。とにかく、二人とも今日は仕事の事も家事の事も忘れてゆっくり伸びていること。これは診療院の院長としての命令だよ」

 

ぴしゃりと言いながら氷嚢をマチルダの額に乗せると、気持ち良さげなため息をつきながらマチルダは目を閉じた。

 

「まあ、今日は午後の納品だけで急ぎの仕事はないからいいけどさ・・・ねえ、ヴィクトリア、魔法でパッと治してくれない?」

 

「ダメだよ」

 

「どうしても?」

 

「いつも言っているだろう? 安易に治すのは・・・」

 

「判ってるって。言ってみただけさ」

 

 

水魔法の利便性には逆の側面がある。

魔法治療が受けられない平民はいいのだが、貴族にその傾向が強いものとして、安易な水魔法の使用による免疫力の低下がある。貴族たる者何ちゃらかんちゃらと理屈はいろいろ付くのだろうが、病気になるたびに魔法や魔法薬で治すことが主流の人たちは、総じて自己免疫の能力が高くない。

本来、病気になれば自力で治す機能が人体にはあるのだが、それが外敵を駆逐する前に魔法で治してしまうので免疫力が付きづらいのだ。そのため、同じ病気に何度も罹る悪循環に陥るケースが散見される。統計を取ったわけではないが、理屈からすればそのことが貴族の生命力・生殖機能に影響し、結果として少子化に繋がっているかも知れないと思うのは以前にも述べたとおりだ。

貴族は血が近い結婚が少なくないし、水魔法による過保護な歴史をおよそ6000年も積み重ねれば、退化とまでは言わないものの、その種の形質がかなりの世代に渡って積み重なっているというのも否定できる話ではないように思う。正直、ハルケギニア貴族は、最後にはSF映画に出てきたどこぞの宇宙人のように風邪で滅亡するのではないかと思ったこともあった。

そんな訳なので、流感ならばともかく、普通の風邪であれば自然治癒に任せるのが私の方針だ。

自然の薬が自分の中にあるのだからお金もかからないし、熱についても、上がり過ぎたら座薬や頓服くらいは処方するが、そもそも体温が上がるということは免疫力を高めようとする体の防御反応だから下げない方がいいものだ。脱水にならないように水分をこまめに補充し、栄養を摂って体を温めて寝ているのが最高の治療法だと思う。

 

 

 

「いかがですか、お二人の具合は?」

 

キッチンに戻るとディルムッドが朝食の洗い物をしてくれている。

女の病床に来るような無粋な真似をしない辺りは、やはりこの使い魔は立派な騎士なんだと思う。

 

「ただの風邪だよ。いい機会だ。ゆっくり休んでもらうさね」

 

「それがいいですね。店長は興が乗るといささか抑えが利かない方ですし」

 

「それを止めるのも従業員の仕事じゃないかい?」

 

「言って聞いていただけるような方だったらよかったのですが・・・」

 

珍しく眉を下げて困った顔をする工房従業員。日頃の苦労が垣間見える。

 

「それもそうだね」

 

幸いにも今日は休診日なので、ティファニアの代打に立ってあれこれと家事を片付ける。

彼女のテリトリーを犯すようですまないが、食事の支度は私が、ディルムッドには午前のうちに買い物を頼む。

包丁を持つのも久しぶりだ。晩御飯どうしようかなあ。

 

 

「ちょいとお二人さん」

 

リビングに顔をだし、寝ている二人に訊いてみる。

 

「お昼は軽いものを作るけど、晩御飯は何が食べたい?」

 

「夜も軽いものでお願い~」

 

「姉さんに任せます~」

 

何ともだるそうな元気がない返事だ。当然と言えば当然か。

 

「じゃあ温まって飲み込みやすいもので適当に作るからね」

 

ショウガをベースにした鍋焼きうどんみたいなものでも作ろうかねえ。

 

「あ、姉さん」

 

ティファニアが声を上げた。

 

「何だね?」

 

「晩御飯じゃないけど、私、あれが食べたい」

 

「あ、私も~」

 

二人そろってオーダーをしてくる。あれか・・・あれね。

 

「判ったよ。お三時にでも作ってあげるよ」

 

「「やった~」」

 

何とも不景気な感じの『やった』だね。

 

 

 

お昼にオートミール的な食事を作り、納品に出かけていくディルムッドを見送り、キッチンの後片付けを済ませているころだった。

 

「ヴィクトリアちゃん!!」

 

玄関の方から血相を変えた感じの太い声が聞こえてきた。

 

「何事だね」

 

私の知り合いで、こんな不気味な声を出す人物は一人しかいない。

パタパタと出てみると、ジェシカを横抱きに抱え上げたスカロン氏がはらはらと涙を流しながら立っていた。

腕の中のジェシカは心底迷惑そうな顔をしている。

 

「お願いよ、ジェシカを助けてあげて!」

 

「は?」

 

 

 

「あらま、これまたこっぴどくやられたもんだね」

 

診察室に通して診てみれば、ジェシカもまた風邪だった。流行り出したのかな。昨日までの患者さんにはそんなに風邪ひきはいなかったんだが。

 

「ごめんなさいね、先生。ちょっと無理して働いてたからこじらせちゃったかな」

 

「そうだね。熱もだいぶあるし、これじゃつらいよね」

 

恐らくマチルダ達と同じ風邪だろう。熱が出てだるさが特徴のタイプだ。

 

「昨日から真っ赤な顔しているのよ、この子。ヴィクトリアちゃんのところならいいお薬あるでしょ!?」

 

付き添っていたスカロンがやたらと狼狽している。気持ちは判らないでもないが。

 

「風邪に効く薬は出していないんだよ」

 

「お薬ないの!!?」

 

診察室が震えるような大声で鳴き声を上げるスカロンに、ジェシカがうんざりという表情を浮かべた。

 

「パパ、お願い、静かにして」

 

「だって、そんなこと言っても」

 

「先生がないって言っているんだから仕方がないでしょ!」

 

ついに激発するジェシカ。恐らく朝からずっと枕もとで騒がれていたに違いない。

 

「おとなしくしていれば治るから、しばらくそっとしておいてよ!! ちゃんと診てもらって帰るからパパはもう先に帰って!!」

 

その言葉に、雷に打たれたようにショックを受けるスカロン氏。

やや間を置き、肩を落としてとぼとぼと診察室を出て行った。

 

「ちょっと言いすぎなような気もするが?」

 

「ありがたいんだけど、今だけは静かにしておいて欲しいのよ」

 

「それも判るけどね。とりあえず、そこのベッドでしばらく休んでおいき。風邪が治る薬はないが、元気が出る薬は処方してあげるよ」

 

診療院謹製のブドウ糖の点滴を用意しながら私は笑った。

 

 

 

待合室に出ると、そこに雨に濡れた子犬のようにしゅんとなったスカロンが俯いていた。

その姿はあまりにも哀れで、とてもじゃないが世間の情報をかき集めて統計化していく凄腕の情報のプロには見えない。

 

「こらこら、ミ・マドモワゼルともあろう者が何を不景気な顔をしているんだい」

 

「だって・・・」

 

「言い訳するんじゃないの。ほら、似合わない顔してないでお立ち。名誉挽回の機会をあげるよ」

 

「え?」

 

 

 

スカロンを連れてキッチンに向かう。

午前中のうちにディーが買ってきてくれた食材の中からオレンジをごろごろと取り出し、スカロンに押し付けた。

 

「そこの水場で爪まで綺麗に手を洗ったら、これをできるだけきれいに剥いておくれ」

 

言われたとおりに手を洗うスカロンにオレンジを任せて、発火の魔法でコンロに火を点ける。二口使ってそれぞれに鍋をかけ、お湯を沸かす。

次に取り出すのは砂糖。

ぐらぐらと煮えたあたりで砂糖を片方の鍋に適量入れる。濃度の調整がポイントだ。

溶け切ったあたりで鍋を火から下して冷ます。

これがベースのシロップだ。

その間に、スカロンがきれいに筋まで取り終わったオレンジの房を大きさを合わせてまとめ、それぞれをタイミングを合わせてもう一つの鍋に、こちらは煮立つ寸前の火加減で投入する。

これの時間管理はコツが必要だ。長くやりすぎるとオレンジがばらけてしまうからだ。ちょうど皮がふやけてへたったあたりでお湯から上げなければならない。

そんな感じで煮えたオレンジをお湯から上げる。

スカロンにも団扇を渡して二人でパタパタと熱を飛ばす。

 

「はい、じゃあ私がやるみたいにこれの皮を剥いて」

 

茹でられたオレンジの皮は、スルスルと容易く剥ける。

さすがは飲食店経営者、スカロンの手並みはなかなかのものだ。

 

「ダメな親よね、私って」

 

黙々と手を動かしながらスカロンが呟く。

何となく、話がしたいというのではなく、話を聞いてほしいだけのような気がして私は黙って聞くことにした。

 

「あの子の事になると、どうも抑えが利かないのよ。今回だって、風邪だってことは判っているのよ。ほっとけば治るだろうってこともね。でも、辛そうなあの子の様子を見ていると居たたまれなくなっちゃうの」

 

まあ、普通は親というのはそういうものだろう。

 

「あの子ももう16でしょ。いい加減、子離れしなくちゃとは思うんだけど、どうしても目が離せないのよ。ダメよね、こんなんじゃ」

 

オレンジを剥き終わり、皿に山になったオレンジの果肉を、作っておいたシロップにドバドバと入れて掻き混ぜる。仕上げはレモンの絞り汁を少々。しばらく置いて味を馴染ませる。本当は一晩は置きたいところだが、今回は急なオーダーなので勘弁してもらおう。

 

その間にジェシカの様子を見に行くと、点滴は終わっており、当のジェシカはベッドですやすやと眠っていた。

 

オレンジの方はそこそこ時間を置いたところで魔法をかけ、程よい具合に冷やす。

楊枝で一個突き刺して、俯いているスカロンに差し出した。

受け取って口に入れたスカロンの目が丸くなった。

 

「美味しい・・・」

 

「風邪には一番の薬なのがこれさね」

 

器に盛りながら、スカロンに話しかけた。

 

「あんた、ジェシカのお母さんが亡くなった時からその言葉づかい始めたんだって?」

 

「え?」

 

これは以前ジェシカに聞いた話だ。

 

「『お母さんがいなくなっても寂しくないように』って言ってくれたって、あの子、嬉しそうに話してたよ。いいお父さんじゃないか」

 

6つの器にオレンジを盛って、それぞれに充分にシロップを注ぐ。

何だかうまくまとまらないけど、言葉を探しながら、スカロンに正直なところを言ってみた。

 

「私は、鬱陶しいくらいに心配してくれる親がダメな親なら、ダメじゃない親なんかいないほうがいいと思うけどね。自分を心配してくれる親なんて、人の子に生まれて、それ以上にありがたいものなんてそうそうありはしないと思うよ」

 

スカロンの前に二つの器を置いて、私もまた二つの器を手に取る。

 

「私は欲しかったよ、あんたみたいなお父さんがさ」

 

ほとんど記憶にない父と、ほとんど話したこともない父。

私の中には、父親というものの存在がほとんどないのだと思うと、我ながらちょっと寂しい。

 

「ほら、ジェシカもそろそろ目を覚ましているころだよ。持っていっておやりな」

 

呆気にとられた顔をしているスカロンを残して、リビングに向かう。

 

後ろから、太い、啜り泣きみたいな音がした。

甘いオレンジのシロップ漬けに塩味が入らないことを祈りつつ、私は私の家族の元にご要望の『あれ』を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、『魅惑の妖精』亭のデザートのメニューに、オレンジのシロップ漬けが加わったのはまた別のお話。

 

 


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