トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その27

 家族と言うのは、最も近い他人と言った人がいる。

 もともとが寄り合い所帯の私の家族の間にも、時には波風が立つことはある。

 口論だってたまにはするし、お互いに譲れないところだってあるし、つまらないことで衝突することはある。

 例えば牛乳の話であり、年齢の話であり、バストの大きさの話などなど。

 もちろん本格的に険悪になることはなく、三人のうちの二人の雲行きがいよいよ怪しくなると、残る一人がフォローに回る。

 それでも埒が開かない時は我が家で唯一の殿方が仲裁に入ってくれる。

 そうやってうまくやってきた私たちだったが、それでも本当に大事なことは、口にできない時がある。

 

 

 

 

 往診の帰り、私とテファはカフェで待ち合わせしてそれぞれの買い物に走った。

 テファは晩御飯の買い物、私は書物屋に例によって毒物の書物漁り。私の方は、書物の他に最新の瓦版を買い込んだ。

 トリステインという国では平民の識字率は高くないのだが、王都トリスタニアは商業の街なので読み書き算盤を身につけている者が多く、粗末な紙片を使った瓦版も結構需要がある。

 世の中の情勢を知らなければ商機を掴めないということで、毎日買い求めるのは半ば商人の嗜みとも言われているのだそうだ。

 産婆や坊主と同じように宣伝をしなくても食べるに困らない生老病死に関わる商売をしている私としては、商人たちの逞しさには素直に敬意を払っている。

 しかし、そんな私が見ているのは、そういう商業関係の情報ではない。

 最近私が紙面に目を落としている時、その視線の先には必ずアルビオン情勢の記事がある。

 

 

 アルビオン情勢は、一進一退が続いている。

 紙面の情報が、実際の状況とどれくらいの時差があるかは確たることは判らない。

 ネット社会を知る者としては、この世界の情報伝達の遅さには歯がゆさを覚えるところではあるが、情報が入ってくるだけまだマシではある。アルビオンで城住まいをしていたころは情報そのものから切り離されていたことに比べれば、自分で能動的に情報を得ることができる現状は何倍も恵まれている。

 問題なのは、聞こえて来るのがいい情報ばかりではないことだ。

 ロンディニウムを失い押し込まれつつある王党派に、もはやレコン・キスタを倒すだけの力がないことくらいは私にも判るが、そんな現状でも王党派は未だ意気軒昂。せっせと敵の後方を攪乱する地道なゲリラ活動などで叛徒に失血を強いている。

 数年前、私がパリーに会って伝えた話が役に立っているのか知らないが、『ゼロの使い魔』のお話の通りの展開ならば、とっくにニューカッスルに追い込まれているこの時期でも戦線を維持している辺り、少しだけ歴史の流れは変わっているように思う。

 そうは言っても状況がジリ貧なことには変わりはなく、状況は良くない方向にその天秤を傾けつつあった。

 私の理想は、アルビオン王家が存続することで青髭の火遊びを一歩目で挫き、伯父上に生き延びてもらうことだった。

 せめてクロムウェルの暗殺に成功していれば歴史はまた違った流れになるものと思っていたのだが、結果はこのありさまだ。昨年の秋に私が踏んだドジも、遠因なのかも知れない。

 今のままでは状況は時間の問題であり、やがては王党派は私が知る歴史通りにニューカッスルあたりに追い込まれ、一方的な蹂躙を持って王党派の命運は尽きるだろう。

 そうなればその戦いで、伯父上が、死ぬ。

 何とかならないものだろうか。

 

 ニューカッスルと言えば、思い出すのはウェールズ殿下だ。

 正史ではフーケ騒動から連なる情報の流れの中でウェールズ殿下が髭に謀殺されていたが、当のフーケが工房を切り盛りしながら清々しい汗を流しているこの時間軸の中では、彼はどうなるだろう。

 思い返せば、ウェールズ殿下とは、私はほとんど話したことなかった。

 最後に話をしたのは、園遊会の時だったか。

 

 会場で、暇を持て余して広い会場をウロウロしていると、

 

「やあ」

 

 と声をかけられた。振り返ると、そこに見目麗しい白皙の美少年が立っていた。

 

「久しぶりだね、ヴィクトリア」

 

 ウェールズ・テューダー。

 幼き日のプリンス・オブ・ウェールズ。

 やがて名誉も勲もなく暗殺される貴公子。

 そして、私の従兄。

 

「お久しぶりです、殿下」

 

 慌てて無口で無愛想な家庭教師に散々叩き込まれた礼をすると、ウェールズは笑って手を振った。

 

「今日は無礼講だし、僕らは従兄妹だよ。そんな他人行儀な真似はいらないだろう」

 

「ですが…」

 

 私が反論しようとした時だった。

 

「ウェールズ様、こちらにいらしたのですね」

 

 脇から着飾った婦女子が割り込んでくる。大公家に比してもそう遜色のない家格の高い名家の御令嬢だ。

 ウェールズに二の句も継がせず言葉をまくし立て、私に一言「ごめんあそばせ」と形ばかりの挨拶を残してあっという間に会場の中央に連れて行ってしまう。

 御令嬢は最後に一度だけ振り返り、汚いものを見るような目を私に向けた。

 いつも頂戴している、冷ややかな視線だ。

 いつもこんな感じで、彼との会話には邪魔が入った。

 どのご婦人も、園遊会のホストとして私ごときにも声をかけねばならない立場の殿下に助け舟を出して、あれこれとポイントを稼ごうとしている下心が見え見えだった。

 社交界で評判が良くないということは、そこに身を置くとなかなかしんどいものなのだ。

 そんな断片的な記憶の中にしかいないウェールズ殿下。

 彼とは、そんな浅い関係しかなかった幼少期の私だ。

 泣く人が少なくて済むのであれば、彼にも生き延びてもらったほうがいいとは思うが、体を張って救いの手を差し伸べるほどの情熱は私にはない。

 殿下救済のために積極的に手を打つとしたら、とりあえずやるべきことはワルドの抹殺なのだが、あの事件の後、私はワルドについては何も手を打たなかった。正確に言えば、打てなかった。

 こっ酷い目に遭わされただけに相応の報いを与えてやりたいが、いかんせん証拠がないので告発しようにもどうにもならないからだ。

 当日のアリバイだって用心深い奴の事だ、遍在などで手は打ってあっただろうし、仮に証拠があったとしても、貴族至上主義のこの国で子爵と平民では裁きの行方がどうなるかは想像に難くない。

 事実が確認されても、上の方で『なかったことにしよう』とでも思われたら、むしろこっちの命が危ない。

 事の次第についてヴァリエール公爵に報告しようかとも考えたが、私がワルドを知っていることについて嘘をつき通す自信がないので、風のスクウェアメイジの存在だけを告げて仔細を語るのはやめておいた。何より、相手は爵位持ちで国の信望も厚い魔法銃士隊の隊長だ。国軍のエリート軍人を告発するとなると、さすがに公爵とて相応の裏付けが要るだろう。私には、それだけの物を用意できなかった。

 正攻法で追い詰めていくくらいなら、むしろ闇夜のお礼参りの方がリアリティがあるようにも思えたが、困ったことに私もディルムッドもそこそこトリスタニアでは有名人だ。面がすぐに割れるだけに迂闊なことはできない。

 焦らずともそのうち機会もあるかも知れないし、私の手で八つ裂きにするより、どこかでルイズを狙って馬脚を現した時に才人少年の糧になってもらう方が復讐の味わいが深いような気がした。これも才人の器量次第の話だが、彼が武運拙く髭に敗れたら、その時改めて挨拶するとしよう。

 

 

 正直、そんなマザコン髭のことなどどうでもよくて、今の私の悩みは私自身の身の振り方にあった。

 

 アルビオンの内戦に干渉するべきかどうか。

 私の手持ちのカードで、レコン・キスタの野望に立ち向かうことは是か非か。集めた情報を基に毎日幾度も考えを重ねてみてはいるものの、答えを出せずにいる。

 

 まず、戦力的には充分に王党派の力になれると思う。

 ディルムッド・オディナというこの世界ではイレギュラーレベルの戦力が、私にはあるからだ。

 まさに一人で千人を相手に戦える使い魔だ。

 しかし、やるとなった場合、彼の主として彼に相応の理由を示してやらなければならない。

 ただ道具のように『暴れておいで』と命じるだけなら、私もケイネス・エルメロイ・アーチボルトと同じだ。

 あの物語の中で、シリアルキラーの雨生龍之介を抑えて最も忌むべき男であったケイネスの最大の過ちは、ディルムッドという英霊の名誉を踏みにじったことにある。

 間男呼ばわりし、役立たずと蔑み、最後には自害すら強要したあの男の所業は思い出すだけでも気分が悪くなる。

 奴がこの世界にいれば、私自らゲイ・ボウでチクチクと刺してやりたいところだ。

 そんなケイネスほどひどくないにしても、私がレコン・キスタに彼をけしかけるには、寄って立つべき義がないのだ。

 国を捨てた私にとって、アルビオンの内戦は他人の喧嘩だ。

 助太刀する義理があるとしたら、それは伯父上とパリーにだけだ。

 本気でそれをやるのなら、横槍の形ではなく、堂々と伯父上のところに立場を顧みずに馳せ参じるべきなのだろう。

 その意気やよしと過去の罪科を許されるか、はたまた『それとこれとは話は別』としてお縄を頂戴するかは賭けだ。理由はどうあれ、私は王軍の兵を殺しているのだ。

 介入するとしたら、王党派の支援は必要だ。

 いかにディルムッドとは言え、さすがに統制が取れた万単位の大軍相手に正面から挑んで完勝できると思うほど、私は楽天家ではない。

 敵もプロの軍人、力押し一辺倒で押し切れるような馬鹿ばかりではないはずだ。動きが速く、魔法が通用しないとなれば、それなりに何らかの手を講じてくることだろう。

 その対策が出来上がる前にクロムウェルの素っ首を叩き落とせればいいのだが、そんな博打のような戦いに彼を出向かせることはしたくない。

 私が持つ反則じみたワイルドカードを最大限に生かすのであれば、王党派の旗の下、十分な支援を受けて槍を振るえることが必要だ。そうなれば英霊ディルムッドは、それこそ無双の働きを見せてくれることだろう。

 

 しかし、それをやると連鎖的に困ったことが発生する。

 言うまでもなく、私とマチルダ、そしてティファニアとの関係だ。

 マチルダにとっては、王家は仇だ。

 ティファニアの心の中には憎しみはないと思うが、それでも彼女にとってもまた、アルビオン王家は父の仇に違いはない。

 そんな王家に手を貸すことに、私はどうしても二の足を踏んでしまうのだ。

 もしかしたら私がアルビオンに与した時が彼女らとの別れになるかも知れないと考えただけで、どうしても気持ちが揺れる。

 伯父上は好きだ。

 死んで欲しくはない。

 しかし、マチルダとテファもかけがえのない大切な家族だ。

 どちらかを取れば、どちらかを失うかもしれない状況に、私の思考はリングワンデリングのような無限ループに陥っている。

 泣いてすがってマチルダに理解を求めることも考えたが、その一言を口にしたがために、かけがえのないものを失うことになるのかと思うと、どうしても勇気を出せない。

 葛藤と自己嫌悪を積み重ねることしかできない迷宮に入り込んでしまった私にできることは、伯父上やパリーの無事を祈ることくらいだった。

 

「姉さん?」

 

 かけられた声に顔を上げると、食べ物でいっぱいの買い物籠を手にしたテファが泣きそうな顔をしていた。

 

「おかえり。どうしたね?」

 

 いつもの調子で応じる私の言葉が聞こえないように、テファは私の対面に腰を下ろした。

 

「姉さん、正直に話してくれないかな」

 

「何を?」

 

「最近、姉さん変だよ。何かすごく悩んでいるんでしょ?」

 

「ん?」

 

 私は自分の失態に内心で舌打ちした。

 考えこんでいる様子を、テファに見られていたようだ。

 

「そんなに悩んでいるように見えるかい?」

 

「うん。最近、時間があるといつも考え込んでるよ。無表情で、遠くを見ているみたいで。私じゃ力になれないかな?」

 

 テファに助力を頼めるような問題なら、最初から悩みはしない。

 言えば、この子は絶対に苦しむだろうからだ。

 それでも、私を見るテファの目はまっすぐで、くだらない冗談で煙に巻くには抵抗があった。

 どうしたものかと思っていたら、ティファニアから斬りこんできた。

 

「……もしかして、アルビオンのこと?」

 

 忘れていた。

 ティファニアは、私が知るティファニアではなかったんだ。

 活字で触れた空想の世界の女の子と違い、私の妹は才人任せだった原作の世間知らずな女の子ではない。情報を自分で整理して、自分の意見を持つ立派な女性だということをたまに失念してしまう。

 我ながら、ダメな姉だ。

 

「……ごめんよ。もう少し、待っておくれ。話せる時が来たら、きっと話すよ」

 

 寂しそうな顔をするテファに謝り、私は席を立った。

 

 

 

 

 打つべき手が見つからず、ただ、時間だけが過ぎていく日々。

 そんな、ブリミル歴6242年のウルの月の、ある日のことだった。

 

 

 その日、トリスタニアをひとつのニュースが駆け抜けた。

 少なくない市民たちが動揺した事だろう。

 そんな市民の中で、その時最も喜んでいたのは誰かと言えば、それは間違いなく私だと自負している。

 

『トリステイン、アルビオン王国およびゲルマニア帝国と三国同盟締結』

 

 トリステインがゲルマニアと、王女アンリエッタと皇帝アルブレヒト3世との婚姻を前提とした同盟を締結の上、アルビオン王国の支援を表明した。

 裏で何が起こっているのか知らないが、私が恐れていた正史のようなアルビオン崩壊がなくなったことは快挙だ。

 状況はめまぐるしく動いており、軍事同盟締結を機にアルビオン王党派の精兵およそ10000人が、多くの戦列艦とともにアルビオンを脱出してトリステインに落ちのびたらしい。

 300名の王党派が5万を相手に玉砕する史実とは大きく異なる顛末だ。

 鳥の骨が、死に体の王国との同盟にどういうメリットを見出したのか知らないが、そんなことはどうでもいいことだ。

 伯父上が、トリステインに逃げ延びてくれる。

 居ても立ってもいられず、私は午前中の診察を終えるや、駆け足で街に飛び出した。

 戦争関係の情報が欲しい。瓦版の限られた紙面にない、生きた情報が。

 餅は餅屋。

 生き馬の目を抜くような王都トリスタニアでその種の情報を欲したならば、それに相応しい輩が巣食っている。

 

 

 

 

 

「……これか」

 

 武器屋は私が示した瓦版を見ながら訳知り顔で頷いた。

 

「今日は客としてきたんだよ。知っている事を教えておくれ」

 

「馬鹿、おめえから金なんか取れねえよ」

 

「商取引だよ、私だってあんたからは診察代はもらっているさね」

 

「そういうことは、せめてもうちょっと金取ってから言えよ」

 

 手にした瓦版を見ながら、武器屋は話し出した。

 

「俺らの耳にもつい先日まで全く入らなかった話さ。完全に秘密裏に進めていた同盟話らしい。昨日今日の話じゃねえ。ずいぶん前から水面下で話が進んでいたようだぜ」

 

「何でまたいきなり三国同盟なんだい?」

 

「恐らくは、ガリア対策だろうよ」

 

「ガリア?」

 

「信憑性は半々だが、レコン・キスタの黒幕だって噂だぜ。アルビオンの動乱だが、一見ただの反乱が頻発していたように見えて、整理してみればきちんと段階を踏んで王家を追い詰めているように見える。地方領主の五月雨式な反乱ならともかく、あそこまで組織だった騒動となりゃ、普通じゃねえとその筋の奴なら判るだろう。アルビオンは昔から諜報には定評のある国だ、裏で糸を引いている何かがいるってことは知ってたんじゃねえか? トリステインやゲルマニアにしてみても、座視できない敵がいることが判ってりゃ、アルビオンが滅べば明日は我が身だ。先手を打って同盟を考えるのも自然だろうよ」

 

 私は内心で歓喜した。

 もしかしたら、私が伝えた言葉を真面目に取り扱ってくれたのかも知れない。

 

「だったらアルビオンが今みたいになる前に、もっと早く同盟すればいいじゃないかとも思うけど」

 

「そこはそれぞれお国の事情もあるんだろうよ。金を払わなくても動くのは風車だけだぜ」

 

 亡国の危機と国益を天秤にかけるか。マザリーニあたりならやりそうなことだけど。

 しかし、武器屋の次の言葉が私の思考を止めた。

 

「王党派の引き際も大したもんだったらしいぜ。撤退戦では、反乱軍のロイヤルソヴリン…今はレキシントンか。その化け物と、王党派最後の切り札の姉妹艦アークロイヤルの砲撃戦だとさ。しかも王党派は国王自らが陣頭に立ったそうだ」

 

 一瞬、言葉が飲み込めなかった。

 アークロイヤル……そんなフネ、原作に出てきたか?

 レキシントンの化け物ぶりはタルブの戦いで描かれていたが、姉妹艦があるとは知らなかったよ。

 何より、伯父上が陣頭に立つということに驚愕した。

 指揮官先頭とか、ノーブル・オブリゲーションとか、そんな言葉が脳裏に浮かび、艦橋に立つ伯父上の姿が思い浮かんだ。確かにアルビオン王家の者は一度は軍に身を置く慣習があるが、伯父上が陣頭に立つとはどういうことだろうか。

 

「そ、それで?」

 

 私は、どもりながら問うた。

 武器屋の話は不穏な空気を含みながら続いた。

 

「何でも、皇太子は退却の総指揮を取り、殿はアークロイヤルに王自ら座乗して支えたらしいぜ。王党派の大部分が、その時間を使ってラ・ロシェールに逃げ伸びている」

 

「それで……王族は?」

 

 私は、出来るだけ平静を装いながら尋ねた。

 内心は、祈れるものすべてに祈らんばかりに伯父上の無事を願いながら。

 

「散々だな。ウェールズ皇太子は、撤退作戦中に行方不明になったらしい」

 

「行方不明?」

 

「ああ。皇太子の乗ったイーグルは出航が確認できなかったそうだ。未だに行方は判っていねえとよ」

 

 殿下が行方不明。ワルドに殺された礼拝堂の話を考えると、行方不明というのはあり得ない話ではない。

 あれは最後の殲滅戦の最中に起こった事件だったはずだ。ギーシュの使い魔がいなければルイズも才人もあの場で死んでいただろう。

 今回の撤退の展開は知らないが、歴史の修正力なんてものがあるのなら、殿下の命運がここで尽きるのもあり得ない話ではないかも知れない。

 

「それと、国王だが……」

 

 武器屋のその言葉に、私は現実に引き戻された。

 そうだ、伯父上だ。

 殿下が行方不明なら、伯父上はどうなったのだろうか。

 武器屋は『散々』だと言った。

 嫌な予感が胸に渦巻いている。

 そんな私に武器屋が言った言葉は、私を奈落の底に突き落とすには充分だった。

 

「ジェームズ1世は、アークロイヤルと運命を共にしたらしい。僚艦も順次下がらせながらレキシントンを中破に追い込み、最後は単艦で滅多打ちにされて沈んだ……って、おい、顔色が悪いぜ。どうしたよ?」

 

 

 

 

 

 トリスタニアの街を、背中を丸めながら、ただ、歩く。

 街はいつもと変わらず活況だ。

 市の物価は安定しているし、人々の顔には悲壮感はない。

 戦争が、まるでどこか遠くの出来事のように思っているのだろう。

 人が一人死んでも、世の中は何も変わらない。

 伯父上が、死んだ。

 討ち死にだ。

 王族としての矜持と心中した訳だ。男子の本懐だろう。

 男はいつもそうだ。残される女子供の都合など考えもしない。

 聞いたとき、武器屋の情報を疑いもした。

 すべては伝聞の情報だ。精度について落ちるところもあるだろうと、淡い期待を抱きかけた。

 しかし、これまでの彼の実績がそれを否定していた。

 彼はプロなのだ。

 命を商売道具にする傭兵連中に信頼される彼の情報を、私には否定することはできなかった。

 

 希望の後に来る絶望が、これほど深いとは思わなかった。

 『青髭』と名乗った異貌のサーヴァントは『恐怖とは、静的な状態ではなく変化の動態』なのだと言っていたが、絶望もまたそういうものなのだろうか。

 伯父上は、『ゼロの使い魔』の作品中では脇役でしかなかった人だった。

 作中では、その描写すらないままにニューカッスルの攻防戦で討ち死にしていた。

 そこに悲しみはなく、見事に戦い、そして散ったと言う事実だけが残り、その事実もまた、話が進むうちに霞んで消えて行った。

 今回の討死も、同じように美化され、やがては人々の記憶の彼方に消えていくのだろう。

 まるで、歴史というドラマの脇役のように。

 マザリーニがアンリエッタに戦死者の名簿を突きつけて、死と言う現実について迫ったことがあった。

 ただの名前の羅列に過ぎない名簿。個々が顧みられることはなく、ただの数として、まさに一山幾らの兵力として換算されていた人たちそれぞれに、守るべきものがあり、信じる正義があったのだと。

 女王アンリエッタ成長の象徴的なエピソードだったが、今の私には、そのマザリーニの言葉が身に染みる。

 そんな、本筋においては脇役に過ぎなかったはずの人の死が、今の私は、こんなにも、辛い。

 

 

 

 

 

「やっと帰って来たわね」

 

 重い足取りで家に戻り、リビングに入ると聞き覚えのある声が聞こえた。

 そこには見慣れてしまったピンクがいて、テファが相手をしていた。

 

「どうしたの、姉さん、真っ青だよ」

 

 驚いたようなテファの声が、耳を素通りしていく。ルイズもどこかおかしい私の様子に気づいたようだ。

 

「大丈夫なの、あんた。何だか死にそうな顔しているけど」

 

「悪いけど……今日は勘弁しておくれ。気分が悪いんだよ」

 

 私は何とか声を絞り出した。

 悪態を含む居丈高なルイズ節を受け流せる気力は、今の私にはなかった。

 そんな私のことを、ルイズなりに理解してくれたようだった。

 

「……いいわ。でも、せめてこれくらいは受け取りなさい」

 

 ルイズが、差し出してきたのは、木製の小箱だった。

 

「これは?」

 

「届け物よ。あんたに渡すように頼まれたのよ」

 

「誰に?」

 

「さあ。渡せば判ると言っていたわ」

 

 受け取ろうとした時、私は初めてルイズの指に目が留まった。

 上品の作りの、青いルビーの指輪。

 私は硬直した。

 脳裏に、原作2巻のルイズの部屋の出来事がリフレインしてきた。

 夜中に訪ねてきたアンリエッタ。

 三文芝居。

 恋文と、渡された水のルビー。

 ルビーを持っているということは、ルイズはアルビオンに行っていたということか。

 フーケ騒動がないはずなのに、何故アンリエッタはルイズに目を付けたのだろうか。

 ゲルマニアからの帰り道、学院にアンリエッタが立ち寄った話は平民の私たちまでは聞こえてきていない。

 流れからすると、ワルドの裏切り事件もあったのだろうか。

 そんな作中にあった様々なことを全部飛ばして、私の脳は渡された箱をルイズに託した人のことを連鎖的に想起した。

 

「これ……まさかアルビオンからかい?」

 

「え、心当たりあるの?」

 

「知人がいるんだよ」

 

「そう……。ま、そんなところよ」

 

 ルイズの様子と、私にこういうものを渡しそうな人物の可能性に鑑みると、心当たりは一人しかない。

 間違いない。パリーだ。

 彼は無事だろうか。

 

 私は慌てて受け取った小箱をテーブルに置き、一つ息を吸って開けようとした。

 開かない。

 ロックの魔法がかかっていたので、杖を出してアンロックする。

 開く時、指が震えた。

 

 箱の中身を見た時、息を飲み、数秒ほど呼吸を忘れた。

 視界が回り、その場に崩れそうな体を懸命に支えた。

 それは私の心の、最も深奥を揺らす物だった。

 箱の中身は、伯父上の、心そのものだった。

 呆然とする私をよそに、ルイズも覗き込み、そして怪訝な顔をした。

 

「何よ、こんな物を運んで来たの、私?」

 

 こんな……物?

 そんなルイズの言葉を、私は看過できなかった。

 

「黙りなさい」

 

 爆発しそうな激情を抑えるのに苦労しながら、自分でもどこから出てきたのか判らないほど低い声で私はルイズに告げた。

 制御の利かない私の無機質な声に、ルイズは驚いたようだった。

 ルイズは、全く悪くない。事情を知らなければ、私だって同じようなことを口にしたのかも知れない。

 しかし、善意でこれを運んできてくれた何も知らないルイズには申し訳ないが、今の私は余裕というものがなかった。

 自分の感情の、すべてのメーターが滅茶苦茶な振れ方をしているのが判る。

 私は、私を抑えきれなかった。

 

「な、何よ」

 

「運んできてくれたことには、礼を申します。ですが、これを軽んじるようなことを言うことは、例えそれが貴族の方であっても許しません」

 

 気持ちの制御は何とかできても、表情の制御ができない。

 今の私の顔は、およそ感情が欠落した、作り物みたいな表情を浮かべていただろう。

 怒りや悲しみが浮かんでいた方がマシなくらいの、死人のような無機質な顔だった。

 

「ど、どうしたって言うのよ?」

 

 私は何とか自分を宥めて言葉を紡いだ。

 どうしても、声が震えた。

 

「……あなたには、判らぬことです。これは、あなたにとってはくだらぬ物でも、私には、この上なく意味のあるものなのです」

 

「どういうことかは判らないけど、気に障ったのなら謝るわ。悪気はなかったのよ」

 

 あのルイズが、平民である私を相手に謝罪の言葉を述べた。珍しいとは思うが、ルイズなりに感じてくれるところがあったらしい。

 しかし、私の方が我慢の限界だった。呆気にとられるルイズを置いて、私は箱を抱えて自室に逃げ込んだ。

 いつ何時、感情が爆発して罪なきルイズに八つ当たりしてしまうか判らなかったからだ。

 

「姉さん、どうしたの!? 何があったの!?」

 

 部屋のドアまで、テファが追いかけてきた。

 

「ごめんなさい、ティファニア……今は、一人にして下さい…お願いです」

 

 ドアを開け、静かに、しかし会話を遮るように後ろ手に閉めた。

 

 戸棚の酒を開け、大ぶりなボトルに直接口をつけて一気に飲む。

 一息ついたところで、足の力が抜けた。

 部屋の中央で膝を落とし、箱を抱えて歯を食いしばった。

 悔しさと、情けなさが、怒涛のように渦巻いている。

 自分の中の暴風雨を必死にやり過ごしながら、私はきつく目を閉じた。

 涙が滲みそうになるのを、懸命にこらえた。

 私には、泣く資格などない。

 今、私の心を塗り潰しているものは、とてつもない後悔だ。

 危機を知りながら、未来を知りながら、伯父上の下に馳せ参じるという選択肢を選ばなかったことが、巌のように心の中に根を下ろしている。

 私は、私の家族を選んだ。その、あまりに大きな代償に眩暈がした。

 伯父上のためにできることがありながら、それをなさなかった薄情な自分が、どうにも許せなかった。

 涙を流す代わりに、これまでにないほどの酒を飲んだ。

 一人きりの部屋の中で、噛みしめた奥歯が鈍い音を立てるくらいに神と自分を呪いながら飲む酒が美味しいはずはないが、酒に頼らなければ耐えられないほど気持ちが加速していた。

 こんなひどい自棄酒は初めてだった。

 家の皆には、絶対に見せられない醜態だ。

 悲しいことがあった時、いくら飲んでも酔えないと聞くこともあるが、確かに酔いは感じなかった。

 それでも、肝機能を超える量のアルコールは忠実に私の体に作用し、2本目のボトルが空くころには私は呆気なく意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

『伯父上、この花はまだ咲かぬのですか?』

 

『うむ。これはキングサリと言ってな。開花は来月になるだろう。黄色い小さな花が咲く』

 

『そうなのですか』

 

『お前も、訊いてばかりではなく、自分で調べるくせをつけねばいかんぞ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『申し訳ございません、殿下。陛下なのですが…』

 

『……今回はお忙しいのだな?』

 

『はい。また私が名代を務めさせていただきます』

 

『えー、爺かぁ……』

 

『殿下……』

 

『あはは、嘘だよ。嬉しいよ、爺』

 

『まったく……お人が悪い。そうそう、こちらは陛下からでございます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めると、箱を抱えたまま、うずくまる猫のように眠っている自分に気付いた。

 外は月明かり。

 空になったボトルが、顔の脇にあった。

 無理な姿勢で寝たためか、背中が痛い。

 唸りながら起きると、背中の方でパサリと音がした。

 いつの間にか、誰かがブランケットをかけてくれたらしい。

 ブランケットを手に、ライナスのように引きずりながらキッチンに向かう。

 水を飲み、食卓に目を向けると、私の分の食事に布巾がかけられて置いてあった。

 皆、もう寝てしまったのだろう。要らぬ心配をかけてしまったものだ。

 そんなことを冷静に考えている自分が、我ながらおかしかった。

 眠りのメカニズムというものは、実はよく解っていないと聞いたことがある。

 人は何故眠るのか。

 太古の記憶で獲物が見つかりづらい夜はカロリー消費を抑えるために休むように体ができている等の諸説があるようだが、実際のところは未だ議論が続いているらしい。

 確かに睡眠というものは奇妙な習性だ。

 人を薬で眠らせることはできるが、それは自然な睡眠とは違うものなのだそうだ。自然な眠りは揺すれば目を覚ますが、薬での眠りでは目が覚めないというのが判りやすい例だとか。

 私としては、睡眠とは、脳のデフラグメンテーションのようなものだと思っている。

 頭がぐちゃぐちゃになった時、とりあえず眠ってみると、目覚めた時に整理がついていることがあるのがその証左だ。

 今の私も、そんな感じなのかも知れない。

 皆無とは言わないが、先ほどのような嵐のような心の乱れは、今は落ち着いている。

 バッカスとヒュプノスに感謝しながら、物音を立てないように静かに部屋に戻り、置きっぱなしの小箱を手に取った。

 

 

 

 二つの月が出ている。

 その月明かりの下、私は静かに診療所の屋根の上に上がった。

 屋根の端に座り、膝の上に乗せた箱を開ける。

 

 中に入っていたのは、ガラスの瓶だった。

 コルクで栓をされた、見覚えのある瓶の中には、色とりどりの砂糖菓子。

 城で伯父上に会うたびに、私にくれたものだ。

 私と伯父上をつなぐ、絆の象徴のようなお菓子。

 その一粒一粒に、伯父上の言葉が詰まっているようだった。

 

 箱から取り出してしばらく瓶を眺めた後、持ってきた蝋燭に火をつけて、コルクの栓を丁寧に封印する。

 蜜蝋の甘い匂いが漂う中、ぽたぽたと落ちる蝋の滴が、思い出を閉じ込めるように、少しずつ瓶とコルクの隙間を埋めていく。

 そんな様子を見ながら、伯父上との数少ない記憶を辿る。

 孤独の中で私を支えてくれた、灯火のような優しい記憶だ。

 何を気に入ってくれたのかは知らないが、伯父上は本当に私を気にかけてくれた。

 会えない時でも、園遊会後の帰りの馬車に一人乗って帰途に着く私を、伯父上は城の窓越しに見送ってくれた。

 それに気づいて馬車の屋根に飛び上がり、大きく手を振って見せたのだが、その事について後で躾担当の家庭教師にねちねちと怒られたっけ。

 

 蝋燭が燃え尽きるころ、封印が終わった。

 砂糖菓子と一緒に、思い出と、これまでもらってきた多くの想いを蝋で密封したガラスの瓶。

 小さな瓶が、まるで伯父上の骨壺のように思えた。

 最後に、固定化の魔法をかける。

 錬金はよく使うが、固定化は滅多に使わないからなかなかうまくいかない。

 本当に、水魔法以外は下手っぴな自分に嫌気がさしてきた時だった。

 

「あいかわらず下手だねえ」

 

 背後から突然かけられた声に、私はびっくりして振り返った。

 そこに、二つのカップを手にしたマチルダが浮いていた。

 

「お、驚かすんじゃないよ。高いところなのに、危ないじゃないか」

 

「夜中に屋根の上で遊んでる方が悪いのさ」

 

 マチルダはそのまま私の隣に座り、カップを差し出してきた。

 

「ほら、熱いよ」

 

 淹れたばかりの、ハーブティー。

 酒で荒れた舌に、その温かさが心地よかった。

 

「貸してごらん」

 

 マチルダが手を伸ばして、私の手の中の瓶を示す。

 私は一瞬だけ逡巡した。

 いきなり取り上げて地面に叩きつけるような人ではないと思ってはいるが、彼女にとってもまた深い意味を持つ瓶を、何も告げずに手渡すことに抵抗を感じた。

 これは、マチルダの仇が送ってきたものなのだ。

 しかし、その差し伸べられたままのマチルダの手に彼女の気持ちを感じ、私は素直に瓶を渡した。

 マチルダは瓶を手に取ると、慣れた感じで固定化をかけてくれた。

 丁寧な、惚れ惚れするような手並み。

 さすがは工房経営者、数十年は持ちそうな施術だった。

 

「……ごめんよ。みっともないところを見せてしまったね」

 

 返されたガラス瓶を抱きしめて、呟く。

 

「国王からかい? その瓶は」

 

 マチルダの問いに、私は頷いた。

 ティファニアからおおよそのところは聞いていたのだろう。

 事情はだいたい判ってくれているようだった。

 

「マチルダは……恨んでいるんだろ、伯父上を」

 

「そりゃ、恨んでいるさ。父を殺し、家名を奪った仇だよ」

 

 マチルダの言葉からは、抑揚が消えていた。

 彼女の気持ちは、痛いほど判る。

 もしマチルダやティファニアが殺されたら、私もそいつを許すことなどできないからだ。

 地の果てまで追いかけるだろうし、絶対に楽には殺さないだろう。

 

「そうだよね……」

 

 言葉を発するのが、怖かった。

 私の言葉のどこでマチルダが激発するか判らないことが、どうしようもなく怖い。

 しかし、少し沈黙した後で、一息でカップの中身を干したマチルダが発した言葉は、私の予想とは違うものだった。

 

「あんたは覚えちゃいないだろうけど、アルビオンの園遊会には私も参加していたんだよ。何回か、遠目で見たよ。庭で、あんたと国王が楽しそうに話しているのをさ」

 

 そうだったのか。

 会ったことなかったから知らなかったよ。おとんもおかんも、私を自分の娘だと言って紹介して回るようなことなどほとんどしなかったし。

 

「何だかお爺ちゃんと孫娘みたいだったね。国王の方は何だが苦虫潰したみたいな顔してたけど、あれ、目尻が下がるのを堪えていた顔だったんだろうね、きっと」

 

 意外な言葉だったが、それを知っていてくれるなら話は楽だ。

 私は抱えていた秘密を、話すことにした。

 

「ティファニアには内緒の話を、ひとつ、しようか」

 

「ん?」

 

「私は、父とは数えるくらいしか話をしたことがなくてね。母と折り合いが悪かったせいなのか、年に数回会う程度の関係だったんだよ。彼の立場や苦悩も判らないでもないから恨んだことはないけど、愛していたかと言われれば、素直に頷けないんだよ。身内のはずなのに、他人のような父だったんだ。テファには申し訳ないけど、伯父上を親の仇と思うほどの感情は、父との間にはないんだよ。

私、社交界でも、結構辛い立場でさ。

そんな私に、優しくしてくれたのは親族では伯父上だけだったんだよ」

 

 意外そうな顔をするかと思ったマチルダだったが、少し寂しそうな顔で呟いた。

 

「正直、あんたの母君についてはいい噂は聞いていなかったし、あんたについても……妙な噂ばかりを耳にしていたよ。今だから言うけど、私も、あんたのことはサウスゴータで話してみるまでは、何だか表情の乏しい、お人形みたいなお姫様だと思っていたしね」

 

 まあ、前段は仕方がない。ああいう母の娘だ、同じような性癖を持っているに違いないと言われていたのは知っている。それはともかく、むしろ後段の方が私は私宛の悪口としてはひどい部類に入ると思う。

 

「悪かったね、本性はこんなにガサツな女で」

 

「馬鹿だね。お高くとまられるよりはよっぽど親しみやすくていいよ」

 

「ふん。どうせ、お人形娘さね」

 

「ごめん。茶化すつもりはないんだよ。あんた、あんまり昔のこと話さないし」

 

 当り前だ。身内に疎んじられて、親族に手籠めにされかけて、挙句の果てに母親を殺したなんて話をぺらぺら話す奴がいてたまるものか。

 先日の騒動の時も、私に流れる王家の血が原因と言うことしか皆には言っていない。

 あんな変態の話で、皆の脳を汚染したくなかったからだ。

 この秘密だけは、墓場まで持っていくつもりだ。

 そんなことは知らないマチルダは、言いにくそうに話を続ける。

 

「昔は昔だ、言いたくないことは無理には訊かないよ。でも、いつも馬鹿やって笑ってるあんたが打ちひしがれている姿ってのは見ていられなくてね。まあ、何が言いたいかと言えばね……」

 

 マチルダが頭を掻きながら、言葉を探すように視線を彷徨わせる。

 

「国王は国王、あんたはあんただ。あんたが国王の死を悲しんだって、私があんたのことを家族だと思っていることには変わりはないし、こんな夜中に屋根の上でお葬式みたいなことをやられている方が困ると言うか……その……何だ……」

 

マチルダは、ようやく言葉が見つかったように私の方を向いた。

 その目の中に、優しい光があった。

 マチルダは、美人だ。

 『女が美人と言う人は本当に美人』という名文句があるが、本当に美人だと思う。

 テファももちろん美人なのだが、マチルダのそれは質が違う。

 テファの持ち味は幻想的でどこか浮世離れした美しさだが、マチルダのそれはもっと身近で暖かい感じの美しさだ。

 テファが妖精なら、さしずめ聖母とでも言うべきだろうか。

 口が悪く、多少乱暴でも、この人の笑顔を見ると何故か元気とやる気がわいてくる。

 それは、この人が持つ優しさが原動力なのだろう。

 大きくて深い、母性。

 街の男性諸氏に絶大な人気があるのも、私には理解できる。

 その無償の優しさが、今は私に向けられていることが判る。

 

「あんた、自分で思っているより感情を隠すの下手だからね。あんたが私たちのことを思って国王のことを口に出さないでいてくれたのは知っていたよ。でも……そのせいであんたがこんなに苦しむのは、私たちだって耐えられないんだよ」

 

 御見通しだったか。私は唇を噛んだ。

 私の心情を知りながら、普通に接してくれていたマチルダの心中を考えると、申し訳なさが溢れてきて、どうしても彼女の目を見ていることができなかった。

 そんな私に、マチルダはまるで自分に言い聞かせるような声音で言った。

 

「本当はね、判っちゃいるんだよ。国王だって、好きであんたの父君を討ったわけじゃないし、私の父だって、討たなければアルビオン自体がやばかったってことくらいはね。王族にしては珍しく、身内を大事にしていたあの国王が兄弟を手にかけるんだ、国王だって平気な訳はないってこともね。だから、ね……私も、国王を恨むのを……やめる努力をしてみようと思う」

 

 意外すぎる言葉に、私は言葉を失った。

 

「今すぐには無理だと思うし、時間はかかるかも知れないけど、努力はしてみる。努力しても結局ダメかもしれないけど、やっぱり国王を許せないかもしれないけど……それでも私は、私を気遣ってあんたが辛い方が……嫌だよ」

 

 マチルダの言葉が、耳から入って、心の中に染み込んでいく。

 致命傷だった。

 幾ら何でも、その言葉は、今の私には優しすぎた。

 必死になって支えてきたものが、呆気なく崩れてしまった。

 幾重にも硬化の魔法をかけていたはずの涙腺の堤防が崩壊するのを感じながら、私は顔を覆って下を向いた。

 これでも元は公女だ。

 為政者に連なる者として、感情を殺す術は幼いころから叩きこまれてきた。

 我慢するのは、得意なつもりだった。

 心を鎧って、平静を装うことは、それなりに心得ていたつもりだった。

 そんな鎧も、マチルダには通用しなかった。

 四年前のあの日、親鳥のようにマチルダとティファニアを腕に抱いて守っていこうと思い上がった私がいた。

 でも、今は、私がマチルダの腕の中にいることを、私は改めて思い知った。

 肩を震わせて泣く私の口から出るのは、謝罪の言葉だ。

 父の不明のせいで、不幸に巻きこんでしまったことについて。

 御尊父を殺し、家名を辱めてしまったことについて。

 彼女の人生を狂わせてしまった者たちの血族として、そのすべてに成り代わって、心から詫びた。

 そして、それを判った上で、彼女の仇である伯父上の死を悲しむ私の身勝手に対する許しを乞うた。

 

 言葉にすればするほど、必死に押さえつけていた気持ちが、本来の姿に膨れ上がって行く。

 伯父上が、死んでしまった。

 華々しい討ち死にの話など、聞きたくなかった。

 惨めでもいい。冠を失ってもいい。この月の下のどこかで、生きていて欲しかった。

 未来を知りながらも何もできず、不甲斐なさを恥じてただ泣く事しかできない無様な己が、情けなくてたまらなかった。

 私に優しくしてくれた伯父上に、私は何一つ恩を返せなかった。

 伯父上とマチルダ達を秤にかけて、今の生活を取り続けた薄情な私。

 恩知らずで、優柔不断な自分が、どうしようもないほど嫌いだった。

 年に2回、僅か半時ほどの伯父上との語らいに、私がどれほど救われたかは言葉では言い表せない。

 今の家族に出会うまで、生き地獄の中で喘いでいた私に、つかの間であっても優しさをくれた人だった。

 あの人がいてくれたから、私は私でいられた。

 不意に、前世で母を亡くした時の事が脳裏に浮かび、私は改めて知った。

 大切な人を失うことは、こんなにも辛いものなのだと。

 

 肩に感じるマチルダの掌が、どうしようもなく暖かい。

 

 今の私に、この温もりを感じる資格があるかは自信はない。

 しかし、その手の強さと優しさが、そんなウジウジした気持ちをかき消すほど私の心に染み込んでくる。

 身勝手なことは判っているが、今夜だけは、この温もりに甘えさせてもらいたかった。

 一人では立ち上がれない情けない私に差し伸べてくれたマチルダの手を取ることを、伯父上とマチルダに許して欲しかった。

 そして、思う。

 朝になったら、心配してくれたであろうティファニアとディルムッドに謝ろう、と。

 もちろんルイズにも、きちんと謝ろう、と。

 いつか、アルビオンの伯父上のお墓に、不肖の姪であったことを謝りに行こう、と。

 そして、こんな私に優しくしてくれるマチルダのためにも、明日はきっと笑おう、と。

 それらの想いが滴になって、両の眼から落ち続けた。

 

 

 月明かりの下で、仇を思って泣く私の肩を抱く姉の優しさを感じながら、私はただ、泣いた。

 

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