トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

35 / 44
その35

 フネと言うものは、基本的に寒い乗り物だ。

 空を行く乗り物なのだから外気温の影響でキャビンの温度は低いし、隙間風も結構すごい。木造なので、火災の予防のため暖房器具もなかなか厳しい制限があってとにかく寒いのだ。

 そんな船室で、ディルムッドと身を寄せ合って地図を見ながらあれこれ話をしている時だった。

 ドアが開き、元気よくジェシカが飛び込んできた。

 

「先生、そろそろ見えるみたいよ、アルビオン」

 

 旅装束のジェシカはまたいつもと違った魅力があって可愛らしい。結構薄着なのに、全然寒そうじゃないのは若さの証しなのだろうか。とにかく、青春の輝きに溢れる妖精さんたちが屯する船内は華やかでいい。これでこいつのパパンさえいなければ完璧なのだが。いかんせん、タイトなレザースーツのスカロン氏は、子供が直視したらひきつけを起こしそうな破壊力を有するからいろいろ台無しだ。

 

「雲量はどうだね?」

 

「ちょっと風が強いみたいだし、あまり濃くはないよ」

 

 ディルムッドと一緒にタラップを登り、甲板に出ると冷たい風が肌に刺さった。私の隣で顔色一つ変えずに凛と背筋を伸ばしている我が忠臣。心頭滅却すれば何とやらと言うが、こういう精神力を見ると本当にこいつが生粋の戦士なのだと思う。

 そんな私たちの乗せて、雲の島を縫うようにフネは進む。

 空と雲。青と白の世界だ。耳を打つ風の音が懐かしい記憶を呼び覚ます。

 

「いや~、久しぶりだね、こういう眺めも」

 

 振り返ると、マチルダが甲板に上がってきたところだった。続いてテファが出てきて私の隣に並ぶ。

 4年前、皆でフネに乗った時はこれほど気持ちは楽ではなかった。密輸すら行う悪たれの世話になったということもあり、いつ何時連中が手のひらを返すかずっと警戒しっぱなしだった。

 とはいえ、今回も気楽という訳ではない。これから行くところは、連合軍と神聖アルビオンの戦いとは別に、私の、そして私たちの戦いの場でもある。

 

 そんな私たちの前で、ゆるゆると雲が流れた。

 その白いベールの向こうから、見えてきた巨大な彷徨える大地。

 

 アルビオンは、4年前と変わらず、虚空にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 師走。

 師すら走り回るという忙しない季節を指す言葉。前世の知識にある言葉ではあるが、今年の12月、すなわちウィンの月は歴史に残る忙しなさだった。

 その第1週の中日。マンの曜日。

 トリステインとゲルマニア、そして亡命アルビオンの連合軍の艦隊が出撃した。作戦参加艦艇数500以上。未曽有の大艦隊だ。それにしても、500隻とはすごい数だと思う。帆船時代の大規模な海戦であるトラファルガーの海戦でも両軍合わせて100隻もいなかったはずだ。上陸用舟艇を入れての数だろうが、それでもかなりの規模だろう。ドズル・ザビ中将閣下も納得の物量。一体どれだけの金がかかっているのやら。インフレとか大丈夫なのだろうか。原作では費用についてはガリアからの借入金頼り、しかもその返済はアルビオンの占領地から工面するとか言っていたが、長きにわたる内戦でダメージ著しいアルビオンから更なる搾取などした日には、一揆が常態化して復興政策どころではなくなるような気がしなくはない。 この世界ではアルビオン亡命軍のおかげで幾分新造艦の建造費が浮くかと思ったのだが、かなりの数の艦が留守預かりとして本土防衛の任に当たることになったためか出費が楽になったわけではなかったようだ。艦隊を一定数本国に残留させたのは、恐らくガリア対策の封じ手だろう。

 そんな大盤振る舞いの大戦争、借金の利率がどれくらいかは知らないが、ガリアの財務卿にとっては濡れ手に粟の大儲けだと思う。そう考えると、トリステインが敗れたらかなりの規模の貸し倒れが出てしまうだろうから、青髭の気まぐれを度外視すれば、ガリアは潜在的な同盟国と思えなくもない。あるいは神聖アルビオンにも同じようなことをしていて、どっちが勝っても損をしないようにしているのかも知らん。

 

 そんな中、ついに始まった大作戦。急ごしらえの艦隊ではあるが、歴戦の兵が揃ったアルビオン艦隊が先鋒を務めるのなら、錬度が低い艦隊でも神聖アルビオンと有利に渡り合えるのではないかと私は思う。ルイズたちの奮闘による誘因作戦が上手くいけばそれでよし、しくじっても力押しで制空権は取れると思う。

 ともあれ、ずらりと揃えた大艦隊の出撃はさぞ見ごたえがある光景だったことだろう。その威風堂々の行軍の中、二度と生きて故郷の家の扉をくぐれぬ人はどれくらいになるだろうか。その扉の中には、その者を待つ者がいるというのに。

 降りかかる火の粉は払わねばならない。敵に害意がある以上、それは避けえぬ戦いだ。だが、そのために死んでいく兵のことを思うとやはり胸が詰まる。この世界では、人の生き死にはあまりにも日常的すぎるのだ。

 

『人の死に慣れるな。それを当たり前のことだと思うな。思った瞬間、何かが壊れる』

 

 読み捨てるくらいがせいぜいのライトノベルであるはずの『ゼロの使い魔』の中で、私が最も噛み締めた台詞のひとつだ。医者をやっていれば、どうしたって助けられない患者はいる。しかし、それを引きずっては次の患者への対応が疎かになる。己の中でいかに折り合いをつけるかを救急医療の現場では求められたものだった。しかし、折り合いをつけることができても慣れてはいけない。慣れた瞬間、妥協が生まれるからだ。私にとっては数多いる患者の一人でも、患者にとっては私はその瞬間に命を預けるただ一人の医者だ。その後ろにあるのは、無事を祈る家族の切なる祈り。気の抜けた対応などできようはずもない

 

 そんなウィンの月、私が知る歴史とは微妙にイベント事がずれている部分が今の時間軸の未来に影を落とさぬことを祈りながら、私は来たるべき日のために準備を進めた。

 まずは慰問隊の随伴治療師としての根回しに動く。慰問隊については、恐らく、月の第2週から第3週くらいにその話が持ち上がることだろう。

 

「ずいぶん買い込むものだな」

 

 いつになく秘薬を買い求める私に、ピエモンは少しだけポーカーフェイスを歪めた。名ばかりとは言え、随伴治療師として付いていくからには仕事はしっかりまっとうしなければならないので当然の準備だ。

 何しろこの世界の平民は、キャラバンならばともかく基本的に旅慣れていない。水あたりや食あたりの秘薬を重点的に手配する。アルビオンに風土病がないのは幸いだ。

 

「ちょっと留守にするんだけど、そこで要り用になるかも知れないんだよ」

 

「荒事かね?」

 

「そうならないよう祈るばかりだけどね」

 

 買い込んだ秘薬を猫バッグに押し込んで、ピエモンの店を辞す。

 作戦が始まって以来、街の様子は慌ただしい。物価の上昇も顕著だ。商機を得たとばかりに張り切る奴もいれば、乳飲み子を抱えて明日のパンを悩む奴もいる。動乱のご時世にはいつでも見かける光景だ。

 

 そんな中、私の中で幾つかの出来事が棘のようにチクついていた。

 

 一つ目は『白炎』のメンヌヴィル。

 間もなくあのチャッカマンによる学院襲撃があったと思う。コルベール先生とアニエスの確執が表面化するあれだ。

 雨降って地固まるとも言えるイベントだが、正直、対応に悩んだ。

 このイベントが、いろいろな意味で重要なものということを私は知っているだけに、うっかり流れは変えたくない。和解とまではいかないもののアニエスとコルベール先生の休戦や、キュルケとコルベール先生の関係の変化、モンモランシーの意識改革など、いろいろな面でプラスはある。そんな中で、一番重要なファクターが一つある。

 蒸気帆船オストラント号。この事件を契機にツェルプストー家の支援を受けてコルベール先生が作った快速船だが、何故かこのフネが、とても重要な存在になるような気がしてならないのだ。その理由が何なのかは判らないが、間違いなくそれが必要になるという予感がある。事件を放置した場合、メンヌヴィルの襲撃により幾ばくかの死傷者が出ていたように思う。それを知りながらも、私にこの事件への介入に対し二の足を踏ませる何かが私の中にあるのだ。

 オストラント号が活躍する場面は物語中数回あるが、それは知識であって予感ではない。 

 私が覚えている物語の展開を反芻する。ガリアの髭とシェフィールドが心中したのは知っているし、アンアンが才人を寝取ろうとしたことも覚えている、というよりあれは同じ女としてあり得んと思うが。ルイズの出奔も、ジョゼットのことも、そして、テファが才人と一緒にエルフに攫われることも。

 

 それからどうなった?

 

 その先の記憶が、私の頭の中にない。あったとしても、それは記憶の狭間の奥底に埋もれてしまっている。その見通せない未来の中に、先日悪夢に見たテファが垂れ目に襲われた光景もあるのかも知れない。

 すべては記憶の白い霧の彼方だ。覚えていないのか、あるいは知らないのかすら判らない未来。

 でも、その白い闇の中で、オストラント号がとても重要な鍵を握るであろうイメージがあるのだ。 

 そのような曖昧な理由ではあるが、今度ばかりはその予感に従うのが適当と思われた。

 犠牲になる者がいるのなら、文句はあの世で承ろう。

 

 

 二つ目の問題は、私がアルビオンに渡ることを家の二人にどう話したものかということだ。

 私は咎人だ。王軍に弓を引いた反逆者がのこのこ母国に戻ろうというのだから、当然のことながらリスクはある。地下に潜っているとはいえ、アルビオン王国は未だに存在するのだ。アンリエッタの言うとおり、名誉と手柄を手土産にトリステインの後ろ盾を受けながら乗り込むというのならば縄を打たれることはないと思うが、その策を取らないからには連合軍勝利のあかつきには捕縛の二文字はついて回るだろう。しかも、戦争のどさくさの中で王家とコンタクトまで取ろうというのだから我ながら大冒険だと思う。二人と暮らすことを選んで伯父上の優しい救いの手を振り払ったのは私自身だ。そのツケは安いものではない。

 それでも行かねばならない。行かないと、才人が死ぬ。ウェールズ殿下もまた、みすみす失うことになるだろう。これは、危なくても渡らなければ未来にたどり着かない橋なのだ。

 その手段としての慰問隊への参加なのだが、その手続きは公式なものだ。公式なものであるからには、それついては当然周囲に内緒になどできない。ジェシカはあれで肝心なことに関しては口が堅いところもあるが、今回の渡航目的の建前は、とても秘密にしてくれと言える類のものではない。慰問隊に私が参加するとなれば嬉々として吹聴するだろう。家人2人の耳に入らないわけがない。

 そうなると、当然その理由を二人に話さねばならないが、才人救済のために戦争に介入するということは、二人にそれなりに衝撃を与えることだろう。

 さて、どうした話したものか。

 

 

 

「姉さん?」

 

 夕食時に、テファに話しかけられた。

 

「ん?」

 

「もしかして、美味しくない?」

 

「え?」

 

 気が付くと、食卓の全員が私の方を見ていた。

 

「食事、進んでないみたいだけど」

 

 食器を手に、しばらく不動の姿勢になっていた自分にこの時ようやく気がついた。自分の中のメモリ容量を、すべて考えごとに振ってしまっていたらしい。

 

「いや、美味しいよ。すまないね、ちょっと考え事をしていたんだよ」

 

「考え事?」

 

 うっかり口を滑らせた部分に、テファが突っ込みを入れて来る。

 

「うん。ちょっとこの先のことをね」

 

「……考えごとしながらだと、ご飯不味くなっちゃうよ」

 

「ごめんよ。ちゃんと味わって食べるから」

 

 慌てて食事に手を付けようとした時だった。

 

「そう言えばヴィクトリア」

 

 マチルダが酒杯をちびりと舐めながら言う。

 そして、その言葉は、私にとっては爆弾だった。

 

「あんた、アルビオンにはいつ行くんだい?」

 

 漫画で、食事や飲み物を派手に吹き出すシーンがあるが、この時、まさにその状況をリアルで体験しそうになった。

 食事を吹き出しかけ、気管に吸い込んでしまった私は盛大に咽た。

 テファが慌てて水を持って来てくれるが、今の私はそれどころではない。

 

「な、何だって?」

 

「ジェシカから聞いたよ。アルビオン行きの話に一枚噛ませて欲しいってあんたから言われたって」

 

 あのあかんたれ、もう数日は静かだろうと思ったのに、そこまで口が軽かったのか。

 マチルダの言葉に、テファが驚いた顔で訊いてくる。

 

「姉さん、本当なの?」

 

「まあね。何しろ、旅慣れてない連中だから、体壊したら困るじゃないか」

 

「そういう表向きの理由を訊いてるんじゃないよ」

 

 マチルダが聞き分けのない子を叱るような口調で私の説明にダメを出した。

 

「そんなことくらいで、あんたがそこまで必死に悩む訳ないだろう。あんたがすごく面倒なことを考えてることくらい判るよ」

 

 ごもっともな意見に、私は返す言葉がなかった。以前マチルダに隠し事が下手だと言われたことがあったが、彼女の観察力の前では私は秘密を持てないようだ。

 

「ほら、さっさとご飯食べちゃいな。食べ終わったら、ゆっくり聞かせてもらうよ。今度は何を『観』たのかをね」

 

 どうやら、逃げ場はないようだ。

 まあ、いずれ話そうと思っていたことだし、早いか遅いかの違いだ。 

 

 

 

 

「シティオブサウスゴータ?」

 

 一通りの事情を話し、広げた地図を見ながらマチルダの眉間にしわが寄る。彼女の、生まれ故郷の地図だった。

 私が語った事は、私が知る戦争の行方だ。

 シティオブサウスゴータを落とし、ロンディニウム攻略の足掛かりとする連合軍。それに対する神聖アルビオンの食料の徴発による遅延戦術。連合軍の焦り。そして、起死回生のための先住魔法の行使。

 マチルダもティファニアもディルムッドも、静かに話を聞いていた。

 

「そんな訳で、ここの水源が戦争の鍵になるんだよ」

 

「それで、その神聖アルビオンが使う先住魔法っていうのはどういうのなんだい?」

 

「判りやすいところじゃ、テファが持っていた指輪みたいなものでね。水の精霊の力が結晶になったものらしいんだよ。それを水源に注ぐと、数日後に水を飲んだ奴のここがおかしくなるのさ。その結果、連合軍は同士討ちをして瓦解する羽目になる」

 

 私はこめかみを指さしながら説明した。

 

「そこに神聖アルビオンの本隊が斬り込む、といったところでしょうか?」

 

「正解」

 

 ディルムッドの言葉に私は頷いた。

 

「逆に、それさえなければ、正攻法で連合軍は勝つだろうさ」

 

「それは判るけど、でも、何でそのためにあんたが出向くんだい? 確かに私らと神聖アルビオンとの間に確執はあるけど、軍に任せておくのも手だと思うけど」

 

「こんな与太話を真剣に聞いてくれる人がいてくれればそうするんだけどね。通常、毒を混ぜるとしたら井戸に投げ込みこそしても、水源なんかには撒かないだろうから笑われて終わりだろう。毒じゃなくて先住魔法なんだって言ったら、それを知っている理由を問われるだろうさ。何より、私としちゃ確実に事を運びたいんだよ」

 

「何か拘りがあるのかい?」

 

 私は大きく息を吐き、意を決して告げた。

 

「ディルムッド。軍において、退却中に追撃があった場合、どういう手を取るね?」

 

「は、迎撃のための隊を組織して要所に陣を築き、遅延戦術を取ります。決死の部隊となりますが、名誉ある任務です」

 

「そうだよね。だが、同士討ちの挙句に士気が落ち込み、装備も放り出して逃げだした連中にそれだけの用意ができると思うかい?」

 

「程度の差はあるでしょうが、その場の状況と指揮官の才覚によるかと」

 

「そこで問題だ。その状況において、一撃で艦隊を壊滅させるような火力が手駒にあったとしたら?」

 

「躊躇わずに使用することでしょう。使わぬ方が不自然かと」

 

「ちょっと待った」

 

 理解が至ったマチルダが顔色を変えて話に割って入った。

 

「まさか、お嬢ちゃんが一人でそれをやるってのかい?」

 

「半分正解」

 

 マチルダもテファも絶句した。ディルムッドも苦い顔をしている。

 

「実際には、ババを引くのはルイズじゃなくて才人なんだ」

 

「才人?」

 

 三人の声が重なった。

 才人の行動を説明するに従い、徐々に皆の顔色が変わり始める。

 ルイズの身代わりとなって7万と対峙するただ一人の剣士。普通ならばありえない。

 だが、彼と言う人物を知っている者ほど、そういうことをしかねないと思うのだろう。

 お調子者だが、義理に厚い男だ。

 原作の下敷きがあるとは言え、この世界の彼を知っている私としても、ルイズをほったらかして逃げる才人というものは想像できない。

 

「あの馬鹿者が……」

 

 恐らく、一番憤っているのはディルムッドだろう。私たちの中では一番濃い付き合いをしている男だ。

 

「なるほどね。確かに話しづらいことだね、これは」

 

 マチルダがイラついたように頭をかく。

 

「さすがに重い話だからね。どう話したものか悩んでいたんだよ」

 

「余計な気遣い、と言いたいところだけど、あんたのそういうところ、嫌いじゃないよ」

 

「すまないね」

 

「いいよ。それで、あんたはどうしようって言うんだい?」

 

 大まかにプランを説明する。

 シティオブサウスゴータを連合軍が掌握していることもあり、水源に向かう神聖アルビオンは寡勢であること。

 時期としては、降臨祭の隙を突くであろうこと。

 それらを考えた時、私たち主従でこれを討つことが最も効率的である事。

 

「積極的介入、ってことに変わりはないね」

 

「仕方がないさ。あの馬鹿を見殺しにはできないよ」

 

「でも、姉さんだって危ないよ」

 

 悲壮感を漂わせたテファが心底心配そうな声を出す。

 

「それは大丈夫だよ」

 

 私は隣の忠臣を無遠慮に指差して言う。

 

「この天地の狭間に、こいつをどうこう出来るような奴がいると思うかい? 何万の大軍相手に全滅戦をやるっていうならともかく、やろうとしていることは暗殺みたいなものなんだ。私がドジを踏まなければ問題はないよ」

 

 不意を突かれて、微かに赤面するディルムッドが微妙に可愛い。

 

「……そ、それはそうかも知れないけど」

 

 考え込むテファを他所に、マチルダが言った。

 

「そうだね……そのプランしかないかな。私も他には思いつかないよ。それじゃ、私たちはロサイスで待機、ってことでいいんだね?」

 

 マチルダから飛び出した意外な台詞に、私はまたも面食らった。

 

「ま、まさかあんた」

 

「付いて行くよ、アルビオンに」

 

 さも当然と言う感じのマチルダに、私は手にしたカップを置いて確認するように訊いた。

 

「言っておくけど、遊びに行くんじゃないんだよ?」

 

「危ないって言うのかい?」

 

「当然じゃないか。戦争してるんだよ?」

 

「その危ないところに飛び込んで行こうとしている奴が何を言ってんだろうね。それに、あんただって、私たちが付いて行くことにもメリットがあると思っているんだろう?」

 

 まじまじとマチルダの顔を見る。相変わらず、私の上を行く人だと思う。

 私たち主従がアルビオンにカチこむことはいいのだが、残る二人をどうするかは悩みの種だった。

 トリスタニアに置いて行く場合、二人は無防備と言ってもいい状態になる。マチルダは優秀なメイジだが、先日の髭の襲撃のような事があった場合、テファを抱えて問題に対処しきれるか不安がある。私とて、やはりロマリアは怖い。何をやっても自分を正当化できる都合のいいロジックを持てる宗教団体なだけに、何をしでかすか想像できないのだ。そうそう強硬策に出るとは思えないが、もし一気呵成に事を進められた場合、所詮は女二人、抵抗することもできないだろう。

 では、いっそのこと二人を連れて行ったらどうだろう。少なくとも私の目が届く範囲にいてくれれば対処のしようもある。無論危険はてんこ盛りだ。敗戦のどさくさに巻き込まれる懸念もあるし、万が一にも脱出のフネに乗れなかったらと思うと身の毛がよだつ思いだ。それでも、アルビオンとトリステインほど離れなければまだ何とかやりようはあるようにも思う。確かに、シティオブサウスゴータまで同道してもらうことはさすがに考えものだ。いかんせんマチルダは面が割れているし、シティオブサウスゴータは混乱が起こる起点でもあるだけに何が起こるか判らない。ならば、いざという時にも逃げ出しやすいロサイスあたりにいてくれた方が安心できる。慰問隊への二人の参加とロサイス滞在の理由はいくらでもつけられるだろう。

 漠然とそんなことを考えていたのだが、それをあっさりと読まれていたことに私は大いに驚いた。

 

「あんたにはかなわないね、本当に。一緒に行くのなら、ロサイスからは出ないでおくれよ。先住魔法の影響範囲が読めないから、サウスゴータ界隈には近寄らないで欲しい。何かあった時は私を見捨てて構わないからすぐに逃げるようにしておくれよ」

 

「あんたを見捨てる、っていうのは約束できないね」

 

「しておくれ。私のことは心配は要らない。言っておくけど、あんたら二人より、生き汚さについちゃ上をいく自信はあるよ」

 

「判ったよ。とにかく、ロサイスで事の成り行きに気を付けているよ。それはともかく」

 

 マチルダはため息を一つ吐いた。

 

「こういうことなら早く言いなよ。いい加減、蚊帳の外ってのは腹に据えかねるよ。テファも何か言っておやり」

 

 マチルダに促されて、テファが不機嫌そうな声を出す。

 

「そうだよ。姉さん、ちょっと薄情だよ」

 

 これはマチルダのウメボシぐりぐりより効いた。

 

「だってさあ……」

 

「だってじゃないよ。その何でも全部背負い込む悪い癖、いつかとことん躾けて治さなきゃいけないようだね。ほらテファ、もう一回」

 

「姉さん、ちょっと薄情だよ」

 

「く……」

 

 テファに冷たく言われる度に、大切な何かが減って行く気がする。HPとか精神力とかSANとか預金残高とか。

 

 

 

 

至る、現在。

 

 

 

 

 

 ロサイス。

 アルビオン最大級の軍港だ。歴史を紐解くと、空にあるアルビオンと陸にあるトリステインやガリアの間で戦争があった場合、しばしばその要石としての役割を負って来た宿業の地でもある。軍港だけあって街は防壁や櫓など、要塞とも言えるほど多くの堅固な阻止施設に取り囲まれており、素人の私としても何だか全体が罠のような港町といったイメージがある。

原作では連合軍が上陸と同時に野戦築城をしたような記憶があるが、現在は歴史通りシティオブサウスゴータまで戦線は進んでいる。そんな血みどろの戦いだというのに、降臨祭だからと言って休戦してしまうあたりはさすがは一神教の土地柄だと思う。中世ヨーロッパなんかクリスマスはどうだったのかね。

現在、ロサイスは物資の集積基地として運用されているようだ。赤レンガの建物を眺めていると何となく海軍省や赤レンガ倉庫を連想するが、船舶とレンガは何かと因果関係があるようだ。そんな街並みを輜重隊の荷馬車が頻繁に行き来している。馬車一台あたりエキューにして幾らくらいの物資を積んでいるのかと思うと、戦争と言うのが如何に壮大な消費活動なのか理解できるような気がする。勝ち戦に限っての話ならば、産業界は笑いが止まらない事だろう。この世から戦争がなくならないのも頷ける気がする。

 

 そのロサイスだが、到着して最初の感想は一言で済む。

 寒い。

 とにかく寒いのだ。

 アルビオンは高度にして3000メイル。何で森があるんだと思うくらいの標高だ。日本の感覚だと、富士山で言えばだいたい7合5勺。北アルプスの山の頂上くらいなのだからたまらない。ましてこの世界にはダウンジャケットのような防寒着などない。私のように体が小さいとなおさら寒さが堪えるのだ。

船を下りて、吹く風がもたらす肌を刺す寒さに、浮浪児をしていたころの辛い記憶が蘇ってくる。

 冬のアルビオンでの浮浪児生活は本当に辛かった。始めたばかりのころ、社会の底辺の流儀を会得できていなかった私は切実に飢えたものだった。寒さゆえにカロリーを余計に消耗したのも祟った。暖を取るにも焚き付けを買うお金はないし、焚き付けどころか食べ物を買うお金もなかったのだ。手持ちの小銭はロンディニウムまでの路銀で使い果たしたし、追われる身としては宝石も魔法も足が付くことを思うとおおっぴらに使うことはできなかった。あの侯爵は変態ではあるが、何かを狩り立てる事に関しては腹立たしいほど優秀なことを知っていたからだ。

 そんな生活の中で、私は空腹と飢えは違うものだということを知った。空腹は耐えることができるが、飢えというものは人が生物である限り耐えられない呪いだ。真に飢えた者は、もはや人ではない。真の飢えとは生死の境に立たされることであり、理性や道徳などどうでもよくなってしまうものなのだ。糧にありつけず凍えて死んでいく他の浮浪児の姿を見て、可哀そうと思うより先に『野火』や『アンデスの聖餐』といった物語が脳裏をよぎるくらい、飢えと言うものは本当に凄まじいものだった。残飯を漁ろうにも、まともな生活をしている平民だって大したものを食べている訳ではないだけに、じゃがいもの皮や根菜類の葉っぱにありつければ運がいいくらいだった。

 私は女の子だ。生まれつき売れるものは持っているが、それをせずに済んだのは前世の知識のおかげだった。

 昔読んだ漫画で『花を売ればパンにありつける』と言う話があったが、冬と言うこともあって郊外の野原に見栄えがする花はほとんど咲いていなかった。

 次の手として丁重な姿勢で酒場を尋ね、ごみの片づけ等の細々した用事をやる代わりに残り物をもらえないかと交渉した。何軒も断られ、娼館では危うく首輪を嵌められそうになりながらも、何とか気のいい酒場のおじさんに巡り会え、ひどい有様だったゴミ捨て場の清掃を条件にパンをもらえることになった。人目がないのを確認したうえで杖を振るったのは内緒だ。見違えるように綺麗になった店の勝手口を見たおじさんが、目を丸くして驚いていたっけ。パンだけでなくスープを心付け代わりに付けてもらえたのだから、私の仕事はそれなりに評価してもらえたのだろう。

 ここでそのままさようならでは次につながらないので、旅物バイク漫画にあった食い扶持確保の手法を参考にして、おじさんに私の仕事に対するお墨付きを一筆もらい、次の訪問先で提示する紹介状兼信用証書として仕事をつないで何とか糊口をしのいだ。

 我ながら、よく死ななかったと今でも思う。

 

 

 到着と同時に、ロサイスの商人向けの旅籠に宿を取り、予定通り慰問隊の連絡要員として二人を逗留させる旨を軍の担当官に連絡しておく。今のロサイスは軍政下にあるし、周囲は軍の天幕が多いこともあり、よほどの事がない限りは妙なことにはならないだろう。

 

「ヴィクトリア、判ってるとは思うけど……」

 

 サウスゴータへの出発の時間になってマチルダは表情を曇らせながら言った。テファも不安を隠そうともしない。

 念のため、私たちは念入りに変装をしている。フェイス・チェンジが使えればいいのだが、幾ら勉強しても風魔法が下手な私はフェイス・チェンジが使えない。仕方がないので今回ばかりは髪をポニーに結い、伊達眼鏡をかけての移動だ。マチルダについては変装したら何だかすっかりミス・ロングビルなのには驚いた。この時間軸ではお目にかかれないと思ったミス・ロングビルだが、こんな形でお会いできるとは。

 ともあれ、落ちあう場所についてはこの旅籠とし、ここで二人とはしばしの別れだ。

 

「大丈夫だよ。心配は要らない。世界で一番頼りになる男が一緒なんだから。そっちこそ気を付けておくれよ。それと……」

 

 私は声のトーンを落として告げる。

 

「才人を頼むよ。もしもの時は、できれば見つけ次第、馬鹿をやらないようにふん縛っておいて欲しいんだよ」

 

 ただでさえ、初めて目にする戦争と言う事件の中で、才人が苦しんでいたことを私は知っている。それなのに、更なる苦難、それも命懸けの試練を背負わせるのは、正直忍び難い。

 私の気持ちを知ってか知らずか、マチルダは笑って請け負ってくれた。

 

「ああ、判ったよ。私だってあの馬鹿にゃ死んで欲しくないからね」

 

「すまないね」

 

「やめなよ、他人行儀な。ディー、あんたもこいつのこと頼んだよ」

 

「一命に代えましても」

 

 恭しく一礼する我が忠臣の仕草を見たことで、少しでも二人の心が軽くなることを祈りながら、私たちは出発した。

 出発の準備を整えた慰問隊の連中と一緒に、荷馬車でシティオブサウスゴータに向かう。

 ロサイスを抜けると、すぐに見え始めた雪が至る所に見える荒野をごとごとと進む。

 馬車の乗り心地はお世辞にもよくないが、勝ち戦なことを知っている皆の顔は笑顔に満ちている。特にシエスタの笑顔ははち切れんばかりだ。才人も果報者だね。

 

 

 

 

 ロサイスからロンディニウムまでは馬で2日。その中間点にシティオブサウスゴータはある。

 馬車に揺られる事1日ちょっと。

 

 

 シティオブサウスゴータは古い街だ。

 人口4万。聞けば始祖が初めてアルビオンに降り立った地だとか何だと言われているが、真相は明らかではないらしい。おとんが治めていた領地の中でも最大の街で、交通の要衝だけあって主な産業は商業だ。小高い丘の上にあって、首都ロンディニウムとロサイスを結ぶ宿場としても知られている。

 馬車から街の様子を見ると、攻防戦の爪痕はそれなりに残っているようだが、戦闘の内容は本格的な攻城戦といった感じではなかったようだ。恐らく、原作通りに亜人相手にドンパチやったくらいの規模の戦闘で陥落したのだろう。

 五芒星の形に区切られた通りの真ん中、中央広場に慰問隊は天幕を張ることを許されている。

 天幕そのものは官給のもので、設営にも兵が力を貸してくれることになった。己の楽しみのためならばと、兵も作業に熱が入っているのだろう。

 私の方はと言えば、作業の邪魔にならない端っこの辺りに『救護所』の立て看板を立てて体調不良の者がいないかに目を光らせるのがせいぜいだが、何だか皆、変な興奮に包まれているのか体調が悪い者は全くいないので絶賛開店休業中だ。確かに医者と薬屋は暇な方が世の中のためなのだが、ここまで本当に仕事がないといささか目まぐるしく働いている皆に申し訳ない気持ちにはなる。

 

 そんな中、才人を見つけたのは案の定シエスタだった。

ベンチでしょぼくれていた才人に、いきなり怖いくらいに目をぎらつかせたシエスタが猛烈なチャージを敢行する。ここまであけすけに感情を表現できるというのは一種の才能かも知れない。代わりにその種の神の祭壇に捧げられた供物は、恐らく道徳と羞恥心と世間体だ。『恋する少女は牛より強い』とは何の言葉だったかね。こう言うのを見て照れを感じるあたり、私もちょっと歳を取ったのかも知れない。

そんな『魅惑の妖精』亭の面々を見て驚く才人。こんな場所にありながらも、自然体な感じがするあたりに安心した。

 

 そんなこんなでカフェで近況報告。

 聞けば、歴史は概ね順調に動いているようだ。降臨祭後に始まるであろうロンディニウム攻略戦。軍の中にもあと一歩で国に帰れると言う楽観的な空気が蔓延しているようだ。

 スカロンの『アルビオンは料理はまずい、酒は麦酒ばかり、女はキツイ』発言はさすがにムッと来たが、ここで怒ればそれを裏付けることになるのでじっと我慢した。

 その代わり、心の中の黒いノートのスカロンの欄に星を一つ付け加えておく。覚えておれよ。

 

 その後、ルイズとも再会した。

 再会したのはいいのだが、『才人の機嫌を直す大作戦』中でキャット装束のルイズには正直引いた。

 言うまでもなくデルフリンガーの仕業だが、6000年の間に何を見てきたのか知らないけど、どこであんな痴女装束のことを覚えたのやら。それを鵜呑みにするルイズの世間知らずぶりにも呆れるばかりだ。

 正直、何だか物事を真面目に考えている自分がアホらしくなるようなお気楽な雰囲気を満喫する。そんな緊張感のかけらもない空気の中、才人はどこかいつもの元気がないようだ。

 そう言えば、この二人、喧嘩してるんだっけ、この時。戦場まで来て何をしているのやら、とも思うが、才人が情緒の安定を欠いていることについては、ある程度やむを得ないと思う。

 ごく一般的な日本人である彼が、生で現在進行中の戦争に放り込まれているのだ。原作でも、幾度となく故郷日本とこの国の精神性の相違について打ちのめされていたように思う。この時代の貴族連中のように、生まれた時から戦争が付録でついてきているような人生を送っていたわけじゃないだけに、精神的なストレスはかなりの物だろう。確か、竜騎士と仲良くなって、それがMIAになってかなり落ち込んでいたエピソードがあったはずだ。   

 名誉のために死ぬ。私たちの祖父か曾祖父の世代であればまだ理解できる考え方ではあるのだろうが、何かあれば自分以外の誰かがやってくれるというスタンスが一般的な現代日本の少年には厳しすぎる現実だろう。命のやり取りなど、メディアが伝える紙面やディスプレイの彼方の出来事だったはずの少年だ。

 敵が化け物ならば刃は振るえるかもしれない。しかし、挑みかかってくるのがごく普通のただの人間であったならどうだろうか。まして、まさにルイズのお供と呼ぶにふさわしい才人にとっては、この戦争に対する動機づけは恐ろしく希薄だ。志願したギーシュやマリコルヌが死ぬほどの目に遭ってもやむなしと言う気がするのに対し、武功に逸るルイズに使い魔の烙印故に引きずられてしまうのは彼にとっては不幸なことだろう。彼自身が頑として拒否しないことも問題ではあるが、やはりルイズ一人を行かせるという選択肢は、ルーンの呪縛と惚れた弱みを併せ持つ彼にはないのだろう。

 そんな彼のような純朴な子が、こんな世界で好きな子のために命を懸けようというのだ。その心中は察するに余りある。

 

 

 

 そんな感じに日は流れ、明日からの降臨祭を控えたウィンの月の最終日。この世界の大晦日の早朝に、私はディルムッドを伴って宿にしている天幕を出た。

 あまりに仕事がないので、周囲には薬品の調達に行って来ると言ってあるが、用事は言わずもがな。

 この足で水源に向かうつもりだった。

 距離は30リーグ。ちょっと距離がある。徒歩では片道でも2日がかりになってしまうので、ディルムッドに頼んで運んでもらう予定だった。

 水場で革袋に水を補充していた時、背後から声をかけられる。

 

「あ、ヴィクトリア、おはよう」

 

 振り返ると、起き抜けの才人が目をこすっていた。

 

「ああ、おはようさん。早いね」

 

「何だか習慣でね。そっちこそどうしたんだ、こんな早くに?」

 

「ちょっと用事があってね。近場まで出かけるんだよ」

 

 ふーんと気のない返事をしながら、水場でばしゃばしゃと顔を洗う才人。

 その横顔を見ていると、何だかもうじきこいつが命懸けの吶喊をするとはとても思えない。

 馬鹿で、お調子者で、要領が悪くて、そのくせ一途で、でもちょっと浮気者。

 何で、こいつみたいないい奴が命を懸けなくちゃいけないのやら。

 それとも、いい奴だから命を懸けてしまうのだろうか。

 手を伸ばす彼の手にタオルを渡し、私は一つ訊いてみた。

 

「少年」

 

「ん?」

 

「お前さん、ルイズのことは好きかい?」

 

 いきなりな質問だったためか、才人は一瞬で真っ赤になった。

 

「何言いだすんだよ!」

 

「深い意味はないんだけどさ」

 

 言葉を慎重に選んで彼に告げる。

 

「好きならさ、守っておやりよ。あの子、あれで寂しがり屋だからさ」

 

「寂しがり屋、って感じじゃないけど」

 

 喧嘩が長引いているのか、素直じゃない物言いだった。このまま死に別れたら、一生涯悔やむぞ、少年。

 

「うわべだけで見ちゃダメだよ。とにかく、ルイズのこと、よろしく頼むよ。お前さんのここに住んでるのはあの子なんだろう?」

 

 私がちょっとだけ厚みを増した胸板をつつくと、才人は複雑な顔をした。

 

「気が強くたって、ルイズだって女の子なんだよ。使い魔とかそういうの抜きにして、守ってあげなきゃ。ある人の受け売りだけど、命を捨てても構わない、と思える女が現れるのは、精々一生一度だそうだからね」

 

「……判ってるよ」

 

 素直になれないお年頃、憮然とした顔で才人は明後日の方を向いた。

 

「だからと言って、お前さんの命を安易に投げ出せって言っているんじゃないからね。守られるために男に死なれるほど、女にとって辛いことはないんだよ。女の死に場所は、惚れた男の腕の中と相場は決まっているんだ。だから、死ぬんじゃないよ。絶対に二人で生き残るんだ。いいね?」

 

 私の言葉に引っかかるものを感じたのか、怪訝な顔で訊き返してきた。

 

「何だか今日のお前、変だぞ? 何かあったのか?」

 

 さてね、と答えて私は水場を後にした。

 何かあったわけじゃない。あるとしたらこれからだ。

 お姉ちゃんとして、できの悪い弟のために一仕事しなきゃならないんだよ、とは言えない。

 何だかよく判らないと言った感じの顔をした才人を置いて、私たちはシティオブサウスゴータを後にした。

 ここから先は、私の喧嘩だ。

 

 

 

 

 

 

 郊外の山の中。

 風のように私たちは駆ける。より具体的には、ディルムッドに抱えられての移動だ。有料で商売すれば王都の女性陣の大半が貯金をはたいてでも申し込むであろう、ディルムッドのお姫様抱っこ。しかし、そんな特等席でも私の心中は穏やかではない。

 一方的に襲いかかれる盗賊狩りと違い、ここから先は敵に主導権を取られることも考えなければならない戦場だ。どちらかというと殺し屋属性の私には不向きな状況に挑むことになる。

 水源の位置はある程度マチルダに聞いているし、水の気配を辿ればどこに行けばいいかは判る。全てが私が知るような流れで動いていてくれればすんなりシェフィールドと楽しいデートになるのだが、不確定要素の事を常に考えなければならないだけにのんびりとはしていられない。

 原作のとおり、天気は曇りのち雪。原作と違うのは、ところによって血の雨が降ることだろう。

 目指す水源地からやや離れたところで下ろしてもらい、徒歩で水源地に向かう。周囲の警戒はディルムッドの感覚が頼りだ。時間的にはシェフィールドたちに先んじた形で到着できると思うが、警戒はするに越したことはない。

 

 そんな道中、ふと、背後で忠臣の足音が止まった。

 振り返ると、露骨なまでに警戒の表情を浮かべたディルムッドがいる。

 

「妙です」

 

「どうしたね? 何か気になる音でもするのかい?」

 

「いえ、逆に何も聞こえぬのです」

 

「ん?」

 

「動物や鳥の声がしません。いかに冬眠期であっても、不自然です」

 

 ディルムッド・オディナはケルトの英雄だ。アイルランドあたりの出だと思うが、前世のイギリスとアルビオンは自然環境が近いのかも知れない。それだけに、自然と触れ合う機会が多かったフィアナ騎士団出身のこの男の感覚は信じるに足る。

 ましてサーヴァントの聴覚だ。それを欺くにはサイレントの魔法を使うしかない。

 嫌な予感が首をもたげた。

 その嫌な予感が、次の彼の言葉で確定した。

 鋭い視線を周囲に走らせながら、ディルムッドが静かに言った。

 

「います。取り囲むように……」

 

 私の背中にも、緊張の電気が走る。

 音を発するということは、メイジならざる脅威が存在するということか。

 敵が放った警戒のための予防線に引っかかったのか。それとも私の動向を知った上での待ち伏せか。待ち伏せだとしたら何で私の動向がばれたのだろう。

 どちらにしてもろくな用事ではないだろう。

 

「数は?」

 

「少なくとも数十……気配からして生物とは思えませんが……」

 

 瞬間的に、ディルムッドの目つきが獣のように鋭くなった。

 

「主!」

 

 ディルムッドの叫びに、とっさに宙を見上げる。

 

 そこに、導火線に火が付いた火薬樽が、幾つも私たちに向かって飛んでくるのが見えた。

 

 

 

 

 冬の山中に、凄まじい爆発が起こった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。