トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その36

 ぴよぴよぴよぴよ。

 

 頭の周りを、数羽のアヒル隊長が輪になって舞っていた。

 

 「大丈夫ですか、主?」

 

 心配そうなディルムッドの声が、耳鳴りの向こう側から聞こえる。

 古い漫画で、SWATの筋肉お姉ちゃんが相棒のサイボーグに抱えられて砲撃から跳んで逃げたらGでブラックアウトするシーンがあったが、今の私はまさにあれだ。爆発直前に私を抱えて大跳躍してくれたのはいいのだが、瞬間的に私にかかったGは2ケタに達したことだろう。とは言え、状況が状況、運ばれ方が悪くてムチウチになったり脱臼しても文句は言えないところだ。この程度で済んだのなら上出来だろう。

 

 取り急ぎ、頭の位置を下げて脳に血を送り込む。頑張れ、ヘモグロビン。

 意識がある程度戻ったところで杖を使って治癒をかけた。

 

「あ~、びっくりした」

 

「申し訳ありません。不覚を取りました」

 

「あんたがどうしようもなかったんだ。敵を褒めるしかないさね」

 

 頭を一つ振って立ち上がり、私は首を鳴らした。

 周囲は開けた岩場。雪の隙間から滾々と湧き出す清水が見える。お誂え向きに、跳んだ先は水源の泉だったようだ。

 

「さて、洒落た挨拶の礼をしてやろう。いるんだろう、シェフィールド」

 

 私の声に答えるかのように、目の前の空間がゆらりとぼやけた。光学迷彩、というよりは見えないマントか、あれは。

 久々に見るシェフィールドは妖艶に微笑んだ。

 

「御無沙汰しております、ヴィクトリア殿下」

 

「丁重なお出迎え、痛み入るよシェフィールド。出迎えがあんた一人と言うのはちょっと寂しいね」

 

「申し訳ありません。連れがいたのですが、御身の来訪を知るや、顔色を変えて逃げ出してしまいましてね」

 

 髭め、逃げたか。一緒に片づけてやろうとも思ったが、思ったより利口なようだ。どこかに隠れているとも限らないだけに油断がならないが。

 

「よく私が来ると判ったね」

 

 私の言葉に不敵な笑みを浮かべるシェフィールド。

 

「当然です。何しろ、手順も踏まずにいきなり下から女を襲うような使い魔をお連れですので、御身からは常に目を離さぬよう心がけておりました」

 

 遠見の鏡か、アルヴィーか。手段は知らないが熱心なことだ。

 それにしても、私の使い魔を痴漢呼ばわりとはいい度胸だ。

 

「何を覗いていたか知らないけど、そういうことなら私の用事に見当はついているんだろう?」

 

「何となく、の範囲ではありますが。正直、御身が積極的に戦争に関与するというのは意外とは思います」

 

「だったら話は早いね。判っているなら、その首置いて明るいうちにお帰りな」

 

「まあ、怖い。ですが、せっかく御足労いただいた殿下をおもてなしもせずにのこのこ帰っては、私が主に叱られますわ」

 

「ほう、それなりに趣向を凝らしてくれたとでも?」

 

「ええ。私なりに努力致しましたわ。是非ご賞味下さいまし」

 

 シェフィールドが笑うと、その額が輝きを放つ。一度見たことがある、ミョズニトニルンのルーン。それに応じるように、シェフィールドの背後にある木々の影から、黒い巨体がわらわらと現れる。

 戦士の姿をしたガーゴイル。恐らくはスキルニルと言う奴だろう。

 

「これはスキルニルと申しまして、血を吸った人物に化けることができる古代のマジックアイテムです。古代の王たちは、これを使って戦争ごっこをしていたそうですわ。居並ぶこの者たちは、過去の優れたメイジ殺しの血を吸った使い手揃い。きっと気に入っていただけるものと自負しております」 

 

 自信満々なシェフィールドの声を聞きながら、私は何とも言えない居心地の悪さを感じた。

 シェフィールドには悪いが、スキルニルは所詮は『戦争ごっこ』の道具に過ぎない玩具だ。その程度のものを得意げに出されてもリアクションに困る。

 

 そんなことを思う私の隣で、ディルムッドがゆっくりと両手を構える。魔力が編み込まれ、虚空から現出する二振りの槍。

 それは、彼の無敵を担保する伝説の双槍だ。

 そのまま、私を庇うように前に出る。

 

「主、少々荒くいきますが、よろしいでしょうか?」

 

 律儀に問う忠臣だが、私の指示は既に伝えてある。

 

「言ったはずですよ、我が騎士。この身は、その手にある槍の誉れと共にあると。お前が威をもって制すと言うのなら、すなわち、それが私の意思と知りなさい」

 

 私の言葉を聞いたディルムッドの背中の筋肉がみしりと音を立て、濃密な闘気が満ちた。

 その背に私が向けるのは、ありったけの信頼だ。

 ケルトの伝承に謳われし比類なき騎士。世界は違えど、その双槍の輝きは褪せることない。

 それは、座にまで至りし無双の英雄。

 そして、二つの月を頂くこの異界の大地に降り立った、無敵にして気高き、至高の使い魔。

 だから、私は多くを語る必要はないのだ。

 託すべきは、ただ一片の言の葉。

 

 

 

「私に勝利を」

 

「御意」

 

 

 

 ディルムッドの左右の槍が、鳥のはばたきのように優美に広がる。我流ながら、磨き抜かれた独特な二槍流の構え。

 鋭い双眸は敵を見据えたまま、厳かに名乗りを上げた。

 

「アルビオン王国モード大公家公女、ヴィクトリア殿下が臣、ディルムッド・オディナ。お相手仕る」

 

 その言葉を受けたシェフィールドの指示を合図に、スキルニルの一体が前に出た。

 さしの勝負とは興じすぎだよ、シェフィールド。

 その手には剣。重厚なブロードソード。

 その迫力、足の運び、素人の私でもそのスキルニルが並はずれた技量を有していることが判る。

 5メートルほど間を置き、両者が対峙する。

 ディルムッドは恐ろしいほどに自然体。それに対し、スキルニルの剣は牽制のように揺れている。

 スキルニルの歩みに合わせ、不動のディルムッドとの距離が徐々に詰まる。両者の間にある空気が、その闘気で熱を帯びているようですらあった。

 闘気のぶつかり合いが極限に達し、卵がつぶれそうなほどの圧力が満ちた瞬間、敵から動いた。

 稲妻のような素早い踏込みだった。

 速い。猫科の獣のような速度。人間相手ならば充分に先の先が取れる打ちこみだと思う。

 人間が相手ならば、だ。

 応じたのは我が忠臣。絹のような滑らかな動きで、紫電もかくやと言うような一撃を繰り出した……らしい。結果から推測したに過ぎない。何しろ、速すぎて私には見えないのだ。

 銃で人体のような柔らかい物を撃った場合、撃たれた者の体には、その弾頭の速度ゆえに銃弾の直径以上の穴が開く空洞現象が発生する。幸か不幸か私は前世も含めて銃創患者を受け持った事はないのだが、レクチャーで見たゼラチンに開く空洞現象はなかなかぞっとしないものだった。特に着弾時に開く瞬間空洞はまるで風船を膨らませるような感じで、口径の大きい弾丸だったら体が千切れると言うのも理解できたものだった。

 襲ってきたスキルニルを彼の槍が穿った時、固いはずのスキルニルの胴体に、恐らく記憶にあった瞬間空洞のごとき大穴が広がったのだろうと思う。

 火薬の爆発のような轟音と共に、スキルニルが爆破されたように四散した。

 

 サーヴァント。

 それは単騎にして当軍。私の使い魔は『戦争ごっこ』ではなく、戦争そのものをするための存在なのだ。聖杯戦争という超常の世界を戦場とする、魔術師たちの狂気の闘争の戦闘代行者だ。

 ディルムッドの槍捌きはこれまで何度も見たことがあるが、その刺突の速さはまさに目にも止まらぬ早業だと思っていた。だがこの時、英霊の座から召喚されし最高位の使い魔のその実力を、私はまだ過小評価していたことを知った。

 これは、人間相手に開放していいような力ではない。街の盗賊退治に駆り出すなど、池のボートを沈めるために戦艦大和をけしかけるようなものだったのだ。心の底から、こいつを敵に回す奴に同情しよう。

 

 何事もなかったかのように最初の構えに戻っているディルムッドに対し、苦々しげな顔をしたシェフィールドの額が輝く。

 さすがに出し惜しみをやめたのか、控えていたスキルニルが隊伍を組んで一斉に襲いかかって来た。

 応じるは、二つの槍の煌めき。

 今、対峙している敵の一群とて、相応の戦闘力を有するスキルニルだと言う事は私にも判る。それを動かすものが、練達の戦士の技量であることも。

 だが、それほどの猛者が相手であってもなお、控えめに見ても桁が3つほど違う。互いを構成する概念が根本的に違うのだ。

 壁のようになって襲い来る敵に対し、猛威としか言いようがない魔技を振るう我が忠臣。

 その槍の冴えは高速と言う枠をやすやすと踏み越え、神速、あるいは魔速の領域に到達する。私の眼には全く映らない速度で双槍が振るわれ、塵芥のように敵を屠るとともに、余波を受けた周囲にその神業の爪痕を残す。

 踏込みを受けた地が爆ぜ、穂先に切り裂かれた大気は擦過熱で焦げ臭い匂いを発し、樹齢100年はありそうな大木は小枝のように折れ飛ぶ。

 あの世界でアイリスフィールが驚愕と共に体験した神話の世界の再演を、世界を変えて私もまた目の当たりにしていた。

 

 ディルムッド・オディナ。ケルト神話に謳われた忠勇なる騎士。

 その人生は、彼の槍の勲に比してあまりにも悲しいものだ。主君フィンの妻になるべき女に聖誓を課され、主君を裏切ることから彼の悲劇は始まる。彼の武威を語るものが、その逃避行の最中に織りなされたものと言うのは皮肉としか言いようがない。しかし、その後、帰参を許されながらも、待っていたものはその主君による見殺しという仕打ち。しかもあろうことか、彼を巻き込んだ当のグラニアなるあばずれは、その後にフィンと結婚している。ディルムッドは一体何だったと言うのだろうか。

 しかし、彼はその事を嘆きもせず、ひたむきに生きた者たちの物語として恨みごと一つ言わなかったという。

 不器用な奴だと思う。だが、清々しいほど天晴な漢とも思う。外見の美醜はどうでもいい。彼は、その生きざまこそが美しいのだ。

 そんな彼が抱いた、ただ一つの悲願。

 一人の英傑が、心の底から願った忠義の道。

 その悲願を抱いて英霊の座にあり、ランサーの座として召喚に応じた冬木の地における第4次聖杯戦争。そこで彼を襲った悲劇もまた、あまりにも救いがなかった。私ですら、あまり思い出したくない怨嗟に満ちた結末だった。

 

 その彼が、何故私の呼びかけに応じてくれたのかは、未だにその理由は判らない。

 しかし、過程はどうあれ、その漢が今、私の目の前で槍を振るっているのは紛れもない現実だ。

 その働きは、まさに無双。

 その無双の英傑が、私のような半端者にも嫌な顔一つせずに使い魔として仕えてくれている。

 それは、果報者などという安っぽい言葉では追いつかない、まさに身に余る幸せだ。

 故に、私はあらん限りの信頼を彼に注ぐのだ。

 決して都合のいい傀儡ではなく、一人の騎士として、臣下として彼を遇する。

 彼が切に願ったただ一つの、忠義と言う祈り。

 それに応えることが彼に対する恩返しになるのなら、私はそれを惜しまない。

 身の程知らずにも彼の主として胡坐をかいている私にとって、それが彼にしてあげられる精一杯だ。

 

 

「さすがに……強いですね」

 

 顔に縦線を引いて青くなっているシェフィールドが、苛立たしげに吐き捨てる。

 それを受け、これまでに倍する黒い影が森の中からわき出して来る。

 しかし、その対応はこれまでのものといささか趣を異にしていた。

 今度のスキルニルたちは猪突してくる戦士ではなく、組織だった鉄砲隊だった。手には大型のマスケット。それを一斉に構えて銃口を向けた。主に私に。

 

『主』

 

『心配いらないよ』

 

 それを認識すると同時にルーンを詠唱し、泉の水を味方に付ける。ここは水場で、私は水のメイジだ。地の利は私にある。

 周囲に泉から吸い上げた水を撒き散らし、そこから剣山のように氷柱を生やして射撃に応じる。いかんせん、さすがに私のウォーターカッターより鉄砲の方が射程は長いだけに、ここは防戦の一択だ。

 轟音と共に放たれた弾丸が、その氷柱にあたって微妙に射線をずらして明後日の方向に消えていく。機関銃相手だとさすがにもたないが、単発のマスケット程度ならこれで充分だ。私をウィークポイントと考えるのはセオリー通りとは思うが、鉄砲程度ならば質量系の魔法である水属性ならば防ぐことはできる。 元素の兄弟のことは覚えているので体の当たる場所に硬化をかけるという技も知ってはいるが、さすがに試すだけの度胸はない。ちなみに、この剣山ガードのアイディアの元は、業腹ながらディルムッドの主だったケイネス・アーチボルトの月霊髄液だ。敵に衛宮切嗣がいたら、やっぱりショートするのかな、私。

 実際、他の属性に対し、確かに水のメイジは闘争には向かない。攻撃面では火に劣るし、打撃力でも土より下だろう。機動力だって風には及ばない。だが、勝てずとも負けない戦いということであれば、水と言う属性はこれでなかなか使い勝手がいい属性なのだ。

 宮本武蔵の五輪の書に着想を得たという、ブルース・リーの言葉にはこうある。

 

 

 Empty your mind, be formless,

 shapeless - like water.

 Now you put water into a cup, it becomes the cup,

 you put water into a bottle, it becomes the bottle,

 you put it in a teapot, it becomes the teapot.

 Now water can flow or it can crash.

 Be water, my friend.

 

 

 水は、茶瓶に入れば茶瓶の形に、茶壷に入れば茶壷の形にその姿を変じる。ゆるやかに流れることも、激しく打つこともできる。

 機に臨んで変に応ず。すなわち、変幻自在。敵の攻撃に対する対抗のカードということであれば、これでなかなか優れた属性なのだ。

 そうやって凌いでいる間に、ディルムッドが敵を駆逐してくれればいい。所詮、本格的な闘争の場においては私はお荷物なのだ。

 それを判ってくれているディルムッドが振るう槍の音が、氷柱の森の向こうから聞こえてくる。一撃一殺。爆発のような轟音の数だけ敵が消えていく。

 

 程なくディルムッドの掃除が終わったらしく、鉄砲の猛射が終息する。残心を取りながら剣山を解いた時、私は目を丸くして驚いた。

 何じゃこりゃ。

 目の前にいたのは、身の丈20メートルはありそうな巨大なガーゴイルだった。

 

「何だい、このでかぶつは!?」

 

 目を丸くする私にシェフィールドは愉快そうに応えた。

 

「さすがに、スキルニルだけではご納得いただけないこともあろうかと思い、特別にご用意させていただきました」

 

 シェフィールドの指示を受け、そのガーゴイルが私目がけて突進してくる。

 すごい迫力だ。象の群れが走って来るよりおっかない。

 そんな様子を突っ立ったまま眺めていると、若草色の疾風がその足元を払った。

 地響きを立てて倒れるガーゴイルと私の間に立ち塞がる我が槍兵。

 

「雑魚は片づけ終わったかい?」

 

「は。一体残らず」

 

 あれだけ暴れて汗一つかいていない。『賞賛を受け取れ』とでも言いたいところだ。

 そんな彼の前で、派手に倒されながら恐ろしく身軽な動きで立ち上がるガーゴイルに、私は思い当たる物があった。

 

「……ただのガーゴイルじゃないね?」

 

「さすがは殿下。御明察です」

 

 余裕に満ちたシェフィールドの声が響く。

 

「まだ試験段階ですが、新機軸の技術の応用を研究中の、新しいタイプのガーゴイルです。動きの素早さは、今ご覧になったとおり」

 

 そのシェフィールドの後ろから、同じようなガーゴイルが3体現れる。初っ端で火薬樽を馳走してくれたのはこいつらか。

 確かに滑らかな動きをするガーゴイルだ。出力も充分にあると思う。一瞬、ヨルムンガントかと思ったが、驚愕するほど素早い動きと言う訳ではない。恐らくは先住魔法を取り込む前段階、ヨルムンガントのテストベッドになるものなのだろう。

 

 4体のガーゴイルは私たち主従を取り囲むようににじり寄って来る。

 それを見ているシェフィールドの顔には、嗜虐の笑みが浮かんでいるようだ。

 だが、その巨体を見ても顔色を変えない私たちを見て、急に怪訝な表情になる。

 シェフィールドも、さすがにそろそろ気づいたようだ。

 己の誤算に。

  

 ディルムッドの姿が掻き消すように消え、次の瞬間に一体目のガーゴイルの胴に風穴が空いた。

 続く2体目は首から上が消し飛ぶ。過程は見えず、結果だけが目の前に残るような早業だ。

 今ここで、私たちの目の前で、何が、いかなる奇跡の業が起こっているのか。常人の域を出ないシェフィールドにも判るまい。

 三体目のガーゴイルの拳を槍一本で迎え撃ち、その巨体を拳ごと突き砕くヒトガタの存在が、一体何なのか。恐らく、彼女に限らずこの世界の者は誰一人として理解できないだろう。ただ、鎧を纏った騎士が鋼の切っ先を振るうだけで、ここまで大きなガーゴイルが次々に屠られていくなどと言うことは、受け入れがたい常識への叛逆だろう。

 確かに、大きいことはいいことだ。しかし、大きければいいというものでもない。

 サーヴァントという超常の存在は、体の大きさではなく、その抱える神秘の大きさによってこそその真価を計るべき存在なのだ。一撃で城を吹っ飛ばすとか12回殺さないと死なない、くらいならばまだ理解はできるかも知れない。だが、世界を一つ作ってしまったり、並行世界に干渉したり、数多の英傑を己が軍勢として召喚したり、場合によっては世界すらぶった切って見せるような輩までが存在するのが英霊の座なのだ。

 そんな世界の住人を、この程度の木偶人形でどうこうできると思う方が間違っているのだ。

 シェフィールドの誤算はまだある。

 神の頭脳ミョズニトニルンの能力は魔装具の使役。そして、その特性こそは、我が使い魔とは最も相性が悪いものなのだ。如何に精強なガーゴイルでも、その魔力循環を絶たれれば沈黙するのは道理。破壊するまでもなく、破魔の紅薔薇の一撃を受けた時点でいかなる魔装具であってもガラクタになり下がる。加えて、例えそれが無限回復を誇るゾンビやゴーレムであっても、ディルムッドの槍の前には意味がないのだ。必滅の黄薔薇。無限回復であろうがなんだろうが、その一撃を受けた者は回復することを許されない。

 いかに工夫を凝らそうとも、それが神の頭脳の扱う道具である限り、ディルムッド・オディナの無敵は揺るがない。

 地響きを立ててすべてのガーゴイルが倒れ伏すまで20秒。

 そのまま再稼働の気配もないガーゴイルを見ながら、シェフィールドは感嘆の声を上げた。

 

「……これは、驚きました」

 

 驚愕したまま、素直な響きの拍手をしている。

 

「もう打ち止めかい?」

 

「さすがにこれ以上は用意しておりませんわ。よもやこれほどとは思いませんでした」

 

「だったらさっさとお祈りを済ませなよ。その首と指輪をもらったら、残りの部分はクロムウェルのところに送っておいてやるよ」

 

「指輪?」

 

 私の言葉を拾い、シェフィールドが首を傾げた。私としたことが、ちょっと口が滑ったようだ。

 

「アンドバリの指輪とかいう、御大層な指輪を持っていると聞いたよ」

 

「ああ、これですか」

 

 シェフィールドは指輪を手に取ると、小馬鹿にしたような手つきで私に向かって放った。

 

「こんな物でよろしければ、進呈いたしますわ」

 

 放物線を描き、きらりと光る小さなものが私の手の中に落ちてきた。

 たしかに、それは指輪だった。

 それを見た時の衝撃は、生まれてからベスト5に入ると思う。

 

「こんなもので、殿下の使い魔の実力を拝見できたとは、実に安い見物料ですわ」

 

 そんな私を見ながら、哄笑をあげるシェフィールド。

 

「御身の使い魔の実力はよく判りました。次はさらに趣向を凝らすとしましょう」

 

 癇に障る捨て台詞に私が感情のままに杖を振るうと、水流カッターで真っ二つに切り裂かれたシェフィールドが小さな人形に戻って、周囲に散らばるアルヴィーの列に加わった。

 

 「……やられた」

 

 私の手の中に残ったのは、台座だけになった指輪だった。

 

 

 

 何とも言えない敗北感の味が、口の中に広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつシェフィールドが指輪を行使したのかは判らない。しかし、奴が注いだ先住の毒は、速やかにシティオブサウスゴータの連合軍に効果を発揮し始めていた。

 私がシティオブサウスゴータを出た当日の午後、一部の兵の乱心が始まったようだ。降臨祭10日目に起こるはずだった連合軍が相打つ展開は、日付を変え、大みそかに私が知る歴史のとおりに発生した。歴史に残る降誕祭は、初日の出のものではない赤色で彩られることとなった。私の思惑が、見事に失敗に終わった証左だ。悪びれるつもりはないが、何かが微妙に食い違ってしまった歯車に対する悔しさが胸の内に吹き荒れている。

 

 私たちはシティオブサウスゴータには戻らず、そのままロサイスに向かった。『魅惑の妖精』亭の面々は才人が知らせて逃がしてくれているだろうし、何より、今は家人二人が気がかりだった。私の手のひらの大きさには限度がある。すべての人は救えないのだ。

 

 街道に出るまで山道を抜けねばならなかったこともあり、いささか時間を浪費した。途中から街道に出て、敗走する兵を追い越し、日暮れにロサイスに到着した。もはや秩序を失いつつある兵の波をディルムッドにラッセルしてもらいながら約束の旅籠を目指す。

 乱暴にドアを開けると、人でごった返す酒場の片隅に、祈るような姿勢で座っているテファが見えた。

 

「テファ!」

 

 あらん限りの声で呼びかけると、弾かれたようにテファが顔を上げる。

 怖かったことだろう。不安だったことだろう。そう思うと、胸つぶれそうな気持ちになる。

 私たちを見て安堵の表情を浮かべるテファに抱きついた時、緊張が解けて膝が崩れ落ちそうになった。

 テファは確保した。マチルダはどこか、と首をめぐらせるが姿は見えない。

 

「マチルダは?」

 

「サイト達を探して来るから、私はここから動くなって……」

 

 才人。

 そうだった。奴の暴走を止めなくちゃいけない。私の頼みを律儀に聞いてくれたマチルダには、頭が下がる思いだ。

 天幕の方はマチルダが抑えているだろうから、ディルムッドにテファを任せ、私は街にある寺院に向かって走った。

 

 

 

 

 

 寺院の扉を開けると、そこは無人だった。私は無遠慮に踏み入り、御堂の中を祭壇に向かって走る。

 祭壇に並ぶ物を見て、私は息を飲んだ。

 物言わぬ始祖の像の下、そこに転がっていた祭器と思しきグラスが二つ。

 

 脳裏に、ここでままごとのような結婚式をあげる二人の挿絵が浮かんだ。

 あまりに悲しい、お別れのための結婚式だ。

 

 

 

 ―あんたはあんた。帰るべき世界がある、ただの男の子。私の道具なんかじゃない―

 

 ―嘘じゃない。俺はお前に会えてよかった。そう思う―

 

 

  

「あの……馬鹿……」

 

 奥歯が音を立てる。

 ちょっとだけ不器用な男の子と、ちょっとだけ素直になれない女の子。

 そんな微笑ましい二人が、何でこんな悲しい思いをしなくちゃいけない。

 それほどの業が、あの子たちにある訳がないのに。

 目の前の、始祖の像を見上げ、私は腹いせにグラスを取って投げつけた。

 静謐な御堂の中に、ガラスが砕ける音が思ったより大きく響いた。

 

 

 死なせない。

 

 

 そうやすやすと死なせてなんかやらん。

 とりあえず、あいつを助けて一発殴らないと気が済まない。

 私は踵を返して寺院を出る。経過が判ればここには用はない。

 

 腹を立てながら大股に寺院を出た時だった。

 

「やあ、君か」

 

 そこに一人の神官が立っていた。

 小憎たらしいほどの美少年。

 できれば二度と会いたくなかったジュリオは、相変わらずにやけていた。

 

「珍しいところで会うもんだね」

 

 場違いなほどふやけた声が、無性に癇に障った。

 私は一つ深呼吸して、努めて平静な声を出した。

 

「お前に訊きたいことが二つある。ひとつ、ルイズはどうした? もうひとつ、才人はどうした?」

 

「ルイズ……ミス・ヴァリエールのことかい? 眠っていたから、そのままフネに乗せてきたよ。あとは彼女の学友が面倒を見てくれると思うよ」

 

 とりあえずルイズは問題なく無事らしい。彼女自身が勇んで殿を務めに突っ走ってしまうほど歴史が狂っていなかったことは助かる。

 

「それと、使い魔の彼なら、もうだいぶ前に出発したよ」

 

「どこに?」

 

「さあ。逃げるって言ってたけどね」

 

 楽しそうに笑うジュリオ。人の不幸がそんなに楽しいのか、こいつは。

 

「あいつが、何を思い、何のために、何をしに行ったのか、お前は知っているね?」

 

 ルイズと才人の結婚式を、こいつは見ていたはずだ。

 

「まあ、察しはつくよ。不器用だね、彼も」

 

「それなのに……黙って行かせたのかい、お前……」

 

「彼が自分で決めたことだからね」

 

 どこまでも他人事のスタンスを崩さないこいつの言葉に、私の中の棘がどんどん増えていく。

 一緒に行けとまでは言わない。だが、一世一代の勇気を出した男に対し、見送った者として取るべき態度というものがあると思う。

 

「お前、言っていて恥ずかしくないのか?」

 

「それが彼の選んだ道さ。すべては神と始祖の思し召しだよ」

 

 この野郎……。

 今すぐこいつをその神だか始祖だかのもとに送ってやりたい衝動を、私は何とかねじ伏せた。

 クールになれ、私。

 

「そう言えば、あんたの竜、アズーロって言ったっけ?」

 

「そうだけど?」

 

「あれがそれかい?」

 

 私が陽が落ちようとしている空を見上げて指差すと、ジュリオはその指の先を追った。

 これは古典的な手だが、人の本能に訴えるやり方なだけに実に有効なミスディレクションだ。

 

 直後、声もなくジュリオは内股になって崩れ落ちた。

 蹴る時は真下からではなく、やや前からスナップを効かせて叩くように蹴るのがコツだ。

 

「才人が死んだら、お前も殺してやる。死にたくなくば、そこの寺院でブリミルとやらに我が舎弟の無事を祈っていろ」

 

 エロ坊主め、私の弟を見殺しにしようとした罪を知れ。青い顔で鉛色の汗を流しているジュリオを置いて私は走り出した。

 まずは馬……には乗れないから馬車だ。次に秘薬。手持ちの秘薬だけでは瀕死の重傷ではケアしきれない。あるいは、ディルムッドを先発させて才人を捕まえるか。だが、才人が暴れた舞台は街道上ではなく草原だったはず。どこかで街道を外れられては追い切れない。

 そんなことを考えていた時だった。

 

「ヴィクトリア!」

 

 がらがらと音を立てて一台の馬車が私の前に立ちふさがる。四頭立ての、速度が出るタイプだ。手綱はディルムッドが握っている。幌の着いた荷台にはマチルダとテファが乗っていた。

 

「マチルダ!?」

 

「すまない、坊やを捕まえられなかった。あんたの見立て通り、あの馬鹿とち狂ったみたいだ。兵に聞いたら、黒髪の剣士が単身で街道を北東に向かったって!」

 

 うちの家族にも心配かけよって。本当に後で折檻してくれる。

 

「今私も聞いた。助けに行くから、二人はフネに乗っておくれ」

 

「馬鹿言ってんじゃないよ」

 

 マチルダが異を唱えながらディルムッドを指差す。

 

「こいつ一人が突っ込んで、そのあとどうするのさ」

 

「そこは何とかするよ」

 

「無理だね。あんただけじゃ」

 

 それは確かにそう思う。敵は軍隊。面で押して来る。ディルムッドだけではかき回すことはできても戦線は作れない。才人を救出するには回収担当も戦場に飛び込まなくちゃいけないだけに、私一人では彼の回収は無理なのだ。

 ディルムッド一人に『取ってこい』をやらせる、というのも頷けない。マスターとサーヴァントは対で動くのが定石と言う理屈を持ち出すつもりはないし、確かに、包囲の中から傷ついた才人を担いで脱出することはディルムッドならやってやれないことはないかも知れない。しかし、その間、才人を庇いながら彼は万の軍勢からの攻撃を凌がねばならない。傷ついた才人を抱えていては、ディルムッド本来の機動力は発揮できない。実際に抱えて飛ばれた身としては、あんな常識はずれな動きをされたら、そのせいで才人が死んでしまう可能性の方が高いと思う。機動力を失った状態では、いかにディルムッドとて防御力が飽和する可能性がない訳ではないし、彼とて、その抗魔力を上回る魔法を食らえば傷つくのだ。

 

 そんなことを考え唇を噛む私に、マチルダは不敵な笑みを浮かべた。

 

「まあ、ここは私に任せなよ」

 

 それはまるで、百戦錬磨の軍師の言葉のような分厚い信頼感を感じる物言いだった。まるで時の彼方で活躍した周瑜か孔明の言葉を聞いたような錯覚を覚え、私は思わず聞き返した。

 

「策があるのかい?」

 

「んっふっふ、道々話すよ」

 

 猛獣のような笑み浮かべるマチルダ。その表情が、今の私にとっては一縷の望みだった。

 代案がある訳でもないので急いで馬車に乗り込む。

 馬車の中には、いくつか木箱が並んでいた。

 

「これは?」

 

「役に立つかと思って、軍の物資置き場から失敬してきといたよ。どうせ連中にとっちゃ捨てちまうものだし、文句も言われないだろうからね」

 

 箱を開けると、中には各種の水の秘薬が相当数収められている。

 ……完璧だよ、マチルダ。

 そんなマチルダのプランを聞きながら、私は薬品の確認を進める。 

 私が思い描いていた必要な薬品は、ほぼ完全に揃っていた。

 

 これで私が打てる手はすべて打ち終わった。

 あとは、私たちが間に合うかどうかだが、そこは、才人の運次第だ。 

 神にもブリミルにも祈らない私は、ただひたすら運命にその歯車の回転を止めるよう祈った。

 

 間に合え。

 

 間に合え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その襲撃者は、朝靄の中から突然現れた。

 常識はずれの足の速さだった。

 その速度を見誤ったと気づいた時、一気に懐に飛び込まれていた。

 凄まじい衝力を持つ突撃を受け、騎兵が次々と落馬していく。 

 あまりの速さに、対応は完全に後手に回り、被害が凄まじい勢いで拡大していった。

 

 風のようであったと言われている。

 火のようでもあったとも言われている。

 土のようであり、水のようであったとも。

 

 襖と突き出された槍をかわし、驟雨と降り注ぐ矢を弾き、怒涛の魔法を剣で払った。

 その進撃の後には打倒された兵が体を横たえ、亜人は斬られて骸を晒していた。

 無論、襲撃者とて全くの無傷ではなかった。

 その体に受けた刃や魔法は、徐々に襲撃者にダメージを蓄積していった。

 

「左?」

  

「ああ、ダメだ……動かねえ」

 

 一騎当千、獅子奮迅の奮闘を見せながらも衆寡敵せず、才人はその勢いを受け止められ始めていた。

 奇襲の効果が薄れた今、広く間合いを取ったメイジの包囲から、滝のように魔法が降ってくる。

 火の玉が飛来し、氷の矢が唸りを上げ、風の刃が斬りかかり、土の礫がその身を打った。

 如何に手練れの剣士とは言え、その刃の範囲から外に逃げられれば、あとは射程に勝る敵の魔法の的になるだけだ。間合いを詰めようとすると、捨て駒のように亜人が立ちふさがってその突撃の衝力を削いでいく。

 まるで巨獣狩りのように周囲を包囲され、草原の真ん中に取り残されるように才人は滅多打ちにされていた。

 ついにその足をウィディアイシクルの矢が貫き、才人は膝を折った。そこを突いて、その体に次々にマジックミサイルが命中する。

 その衝撃で血を吐き、ついに英雄は地に伏した。

 

「立てるか、相棒?」

 

「……体が……言うことを聞かねえ」

 

 血がにじむほど歯を食いしばっても、体に力が入らなかった。その才人の周囲でメイジが唱えるルーンが響き、魔法の光が広がっていく。十二分に高まった魔力の奔流が一斉に才人に向かって解き放たれ、空を塗りつぶすような勢いで黒髪の少年に襲い掛かった。

 迫る魔法を感じながら静かに目を閉じた才人は、瞼の裏に、心の奥底に住まう一人の女の子の幻影を見た。

 ぽつりと、小石のような声がその口から零れた。

 

「ルイズ……」

 

 

 

 轟音が、響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間にして数秒。

 死を覚悟していた才人であったが、いつまでも来ない衝撃にその目を開いた。

 周囲に漂うのは、硝煙のように煙るエーテルの残滓。

 煙るその向こうに、才人はよく知る若草色の鎧を纏った後姿を見る。

 その手に輝くのは、見覚えのある一振りの真紅の槍。

 

「あ、ああ……」

 

 それは、知っている背中だった。

 手を伸ばそうと思い、しかしいくら頑張っても届かない背中。

 

 強いから、憧れた。

 厳しくとも暖かかったから、必死になって追いかけた。

 いつかは、その高みに近づければと希った背中だ。

 

 その背中が、今、己と敵の間に、壁となって立ち塞がってくれている。

 襲い来る死の咢から、己を守ってくれている。

 それを理解した時、才人の目から涙が零れた。

 

「師匠……」

 

 振り返り、微笑む師の横顔が、安堵を覚えて気絶する才人が最後に見た光景であった。

 しかし意識が闇に落ちる直前、その耳は、確かに師の言葉を聞いた。

 

 

 

 

 

「よく頑張ったな、才人」 


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