トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その4

 釣りと言う遊びがある。ネットスラングのそれではなく、海や川や湖でやるあれだ。

 釣りには仕掛けだなんだでバリエーションはいろいろあるが、実際にはやっていることは結構シンプルで、しなやかで強い素材でできた竿の先端に細い糸を付け、その糸の端っこに鉤状の針を付けてそこに何がしか魚が好みそうな餌を付け、水中に垂らして魚が寄ってくるのを待ち、餌に魚が食いついたのを見計らって釣上げるということでは基本的にどれも同じだ。一種の手動式のトラップという見方もできるだろう。

 前世の記憶では非常にポピュラーな娯楽であり、釣り番組なんてものもあるくらい愛好家が多かったように思う。中には、そのために生態系も考えずに生きのいい獰猛な外来魚を湖沼にばんばん放流する不届き者もいたようだ。

 反面、その釣りについては、魚諸君にしてみれば迷惑極まる娯楽であることは間違いあるまい。

 お腹を空かせているところに目の前の餌に噛みついたら、いきなりブスリと来るのだ。これをペテンと言わずして何と言おう。そう言えば、釣り番組ではしばしば『魚と釣り人の真剣勝負』とか言っていたと思うが、魚にしてみれば釣られた時はそれこそ命にかかわることなのだから、釣り人の方も釣れなかったら腹を切るくらいのことをしないと真剣勝負ではないと私は思う。

 トリスタニアには川が多く、そのため釣りは結構愛好家が多い。マチルダの工房にもたまに竿を作ってくれと頼みに来る人もいるようだが、木材を使う竿の加工は少々難しいと言っていたっけ。

 ともあれ、鷹狩りという娯楽にはまって破産しかけた貴族の話を聞いたこともあるし、アルビオンではキツネ狩りなんていうものが貴族の嗜みとされていた。古今東西どころか世界が違ってもなお、この手の捕獲系の娯楽というのは、面白いと思う人には何物も代えがたい魅力あるものなのだろう。

 私が今やっていることも、言ってしまえばその釣りに近いのかもしれない。

 

 

 

 その夜のこと。双月がトリスタニアの夜を照らす時間。私はサン・レミ大聖堂の鐘楼の上で夜の街を見下ろしていた。

 前世の記憶にある光に溢れた夜景と違い、月明かりのやわらかい光に照らし出された夜の街は自己主張が慎ましやかであり、その分どこか優しい空気が満ちていた。

 主要な通りには魔法のランプが灯されているが、その光すらも、どこか月の光に遠慮しているような温かみを感じる。

 

「う~、さすがにちょっと冷えるねえ」

 

 大鐘を背後に、開口部の縁に座って私はただ静かに時を待つ。

 私には釣りをやる趣味はない。釣り人は短気なほうが上達すると言うが、本質的にじっとしていることが苦手な部類の私には、どうにも性に合わない気がするし。

 でも、この夜釣りだけはやらねばならない私の仕事だ。

 

 結構冷えてきたので、脇においてあるカバンから金属製のボトルを取り出した。

 蓋を回して開けて、中ぶたも外すと、夕方に淹れたハーブティーがまだ温かく、中から湯気と芳醇なハーブの香りが漂って来る。

 これこそは、マチルダの工房の新製品である魔法瓶の試作品だ。

 元の世界のそれに比べると簡単な作りだが、それでも原理に関する私の簡単な説明を形にしてしまうあたりはマチルダもすごい。

 ひょっとしたらコルベール先生と張り合えるような技術者になれるかも知れない。

 それにしても、どうやって真空を引いたのかなあ、これ。魔法でもそんなこと難しいと思うんだが。

 

 そんなことを考えながら、カップも兼ねた外蓋に茶を注ぎ、私の隣で不動の姿勢で立つ男に差し出した。黒いズボンにベスト、若草色のタイを締めた長身の美丈夫だ。クセのある髪を撫で付け、その涼し気な目元は女性の視線を引きつけて離さないけしからん奴でもある。

 

「一杯どうだね?」

 

 カップを見るや、慌てた様子で応じる。

 

「滅相もない。まずは主から先にどうぞ」

 

 こういういらない遠慮をするところがこいつの悪い癖だ。

 

「では告げる。我が従僕よ、主命である。我が茶を受けるのだ」

 

「……いたしかたありません」

 

 やたら恐縮してカップを受け取る。

 家の家族連中はディーと呼んでるこの男との対話には、どうしても堅苦しいやりとりがついてまわる。こんな些細なことでもいつも遠慮と強制のやり取りが入るあたり、私と主従の関係になって数年経つのにこの男は変わらない。

 中蓋に自分の分を注ぎ、一口飲む。

 う~む、美味い。

 

 その途端、背後の鐘から鈍い音が響いた。

 咄嗟にカップを置いて両耳を塞ぐ。

 塞いだ瞬間に、深夜零時の鐘が鳴った。

 ぐわ~、うるさい!

 内臓に響くよ、内臓に。

 至近距離でこんなでかい鐘の音の直撃を受けているのだからうるさいのは仕方がない。こんなところにいる方が悪いのだ。

 だが、そんな状況でも、ディーの表情はいささかも緩まない。たまに茶を口に運びながらも、視線は闇の中を探るように街の夜景に注がれたままだ。

 

 

 事態が動いたのは、鐘が鳴り止んで3分もした時だった。

 

「我が主よ」

 

 ディーの精悍な顔に、ただならぬ気配が篭った。その様子に、私も手にしていたカップを置いた。

 フィッシュオンのようだ。

 人外の視力と聴力を持つこの男を聖堂の鐘楼に据えれば、およそこの街のことで把握できないことはない。

 

「来たかい?」

 

「はい。屋敷町の方向です」

 

 彼が指さす先を見つめ、私は杖を手に取った。

 

「征こうか」

 

「御意」

 

 それだけのやりとりをして、私は躊躇なく街の夜景に向かって跳んだ。それに続くように、ディーも地を蹴る。

 自由落下は万物の宿命だ。耳の脇を轟音を立てて過ぎてゆく風を感じながら、私はルーンを紡ぐ。

 地に触れる手前で、その宿命に抗うように私の落下方向は真下から真横にそのベクトルを変ずる。

 フライ。

 風魔法の一種であるそれは、メイジとそれ以外を隔てる判りやすいもののひとつだ。

 屋根を掠めるように一気にディーが指し示した屋敷町を目指して飛ぶ。

 月夜の空の散歩は、まるでアニメのピーターパンのようではあるが、私の行き先は残念ながらネバーランドではなく、血の雨が降るであろう変わったお天気の世界だ。

 煙突をかわしながら飛ぶ私の先を、ディーが漫画の忍者のようなすごい速さの疾走で先行していく。

 

 そんな彼に導かれるようにして到着したのは、王都の中でも平民が暮らすエリアだ。

 羽振りがいい商人が大きな家を構える一角で、一般的な平民と貴族の間にいるような裕福な連中が住んでいる。

 その邸宅は、そんな町の中でもひときわ大きくそびえていた。

 

「こっちは私が見るから、反対側よろしく」

 

「お気を付けて」

 

 邸宅を挟むように布陣して、賊を逃がさないように網を張る。

 待ち時間は1分もなかった。

 2階の窓から、黒い人影が、白いものを肩に担いで軽々と地に降り立った。そのまま人間離れした速さで私の方に走ってくるのが見える。

 攻めるは不意打ち、守るは待ち伏せ。武人ではない私の辞書に正々堂々の文字はない。

 防火用に水を張った樽があったので陰に身を潜め、私はルーンを唱えた。

 ウォーターウィップ。通称水の鞭と言われる魔法だ。非殺傷系とは言われているけど、皮の鞭より痛いと思うし、下手したらもちろん死ぬだろう。

 だが、黒い人影は私に気づいた風もなく走り抜けようとした。 

 多くの人がそうであるように、私もまた無視されるのが嫌いだ。

 風切り音を立てながら、黒い人影に鞭が飛ぶ。

 その段になってようやく私の存在に気づいたようだが、その時には鞭は黒い人影の足を刈り取っていた。

 見事に転ぶ黒装束。白いお荷物と一緒に往来を転がった。転がる白いお荷物を見ると、それは妙齢の女の子だった。これで一連の誘拐騒動の下手人は確定したと言っていいだろう。

 続くルーンを唱える私に向かって、素早い動きで立ち上がった黒装束が憤怒に満ちた目を向けてきた。

 見た目は20歳くらいの恐ろしく端正な顔立ちに、燃えるような赤い瞳。

 身に付けているものは瀟洒な作りの礼装。

 そして、白い肌と見事なまでなコントラストをなす赤い唇の端に微かに見える犬歯。

 絵に描いたようなミディエンズ。

 紛れもなく吸血鬼の青年だった。

 

「邪魔をするな」

 

 赤い瞳を爛爛と輝かせて圧力をかけてくるが、こっちも遊びでやっている訳じゃない。

 相手が吸血鬼ということは読み筋だっただけに、こっちもそれなりに用意をしてある。

 紡ぐルーンはジャベリン。

 だが、敵もさすがはミディエンズ。

 私がぶつけた氷の槍が、吸血鬼のお兄ちゃんにぶつかる寸前に見えない壁に跳ね返されるように私に向かって飛んできた。

 反射の先住魔法か。

 咄嗟に魔力の循環を切って槍を四散させる。

 その隙を付いて、吸血鬼が一気に私に向かって間合いを詰めてきた。とんでもない速さだ。

 どんな魔法なのか、その手の爪がまるで5本の剣のように伸びて月の光を反射していた。切れ味はさぞすごいだろう。

 だが、その爪が私に届く数メートル手前で、お兄ちゃんは横あいから跳んできた闖入者の飛び蹴りを食らって漫画のように吹っ飛んだ。痛いぞ~、あれ。

 

「ご無事ですか?」

 

 私を庇うように立ち塞がる美丈夫。やっぱり頼りになるなあ、こいつ。

 空手の彼の両の手に魔力を帯びたエーテルが渦巻き、二振りのポールウェポンを形作る。

 赤い長槍、そして黄色い短槍。

 まるでそこにあることが自然なような雰囲気で、それらの得物はディーの両手に収まっていた。

 その涼しくも鋭い視線の先で、吸血鬼のお兄ちゃんが怒りに燃える視線を私たちに向けていた。

 

「おのれ、貴様ら何者だ」

 

「それはこっちの台詞だ、外道」

 

 これまでどれほどの犠牲者を出たかを思うと、偉そうな口調が尚更癇に障る。

 だが、癇に障っているのは向こうも同様のようだ。

 呪いのように迫力のこもった言葉を吐き捨てた。

 

「邪魔だてするなら……殺す」

 

「できるものなら、やってみるがいい」

 

 交わした言葉は、それだけだった。

 もはや言葉は要らぬとばかりに黒い疾風が飛んでくるが、それをディーが正面から受け止める。

 その速さたるや流石は人外と言ったところだが、規格はずれという意味ではこの男はさらに上を行く。

 相手の爪をその槍で受け、つばぜり合いに入る両名。吸血鬼というのはとんでもなく力持ちなのだそうだが、その圧力を受けてもディーの表情は涼し気なままだ。

 相手の両手の爪を二本の槍で受け止めたまま、空いている足で強烈なミドルキックを放つ。

 爆発のような音を立てて、吸血鬼が真横にすっ飛んだ。下手な砲弾より破壊力がありそうだ。

 

「お、おのれ」

 

 壁に叩きつけられてもなお、吸血鬼のお兄ちゃんはやる気に溢れていた。脇腹の辺りから白い煙が上がっているのは、恐らく急速な治癒が進んでいるからだろう。回復系の魔法だろうが、私の知らない魔法体系のものと思われる。

 

「殺してやる。殺してやるぞ、お前ら」

 

 何だかやたら小物っぽい言葉が哀れだが、ここで容赦はできない。

 灰は灰に、塵は塵に。

 トマトジュースで我慢しているならとやかく言うことはないが、人に害をなしてしまったからには、私たちが取れる選択肢はひとつしかないのだ。

 

「問答は無用。その者に誅を下せ」

 

 私の命を受け、ディーの両手の槍が怪鳥のような広がる。彼独特の、我流にして不敗の構え。

 鋭い視線で吸血鬼を見据えたまま、彼は言った。

 

「トリスタニア診療院 院長、ドクトレス・ヴィクトリアが臣、ディルムッド・オディナ。お相手仕る」

 

 

 

 

 ディルムッド・オディナ。

 私が初めて彼に触れたのは、戯れに読んだ小説だった。Fate/Zeroという、魔術師たちの闇の戦いを描いた傑作だ。そんな劇中で、英霊の座から招かれし気高き槍兵が彼だった。無能な主に召喚された悲運の英霊。しかし、そのようなよしなし事は、目の前で彼が発していた高貴なオーラの前では些細なことだ。本物の迫力は、やはり活字からは想像できないものなのだ。

 正直、一か八かで使い魔召喚をやった時にこいつが出てきた時は、我ながら慌てたものだった。

 英霊と言うのは聖杯の力を借りて初めて呼び出せる高位存在だったはずだ。それが何でまたこの世界の召喚術式に応じて出て来てくれたのやら。そもそも、使い魔召喚と言うのはこの世界の生き物を呼ぶのが普通だったはずだ。どこで何が混線したのか、我ながら冷静になるのには苦労が要った。

 

「この身を呼び出したのは、貴殿でよろしいか?」

 

 実に良い声で槍兵が口を開いた。まるで緑川光のような艶のある声だ。

 そんな彼と相対した時、さすがに私も緊張していた。自害後のディルムッドは怨霊と化していたので、下手したら魔法を使う奴を片端から殺して回るんじゃないかと思ったからだ。

 それだけに、とっさに随分慇懃な態度に出ざるを得なかった。

 

「斯様な矮小な身の召喚に対し、貴方のような高位存在に応じていただき、感謝の念に堪えません。貴方が己の分には過ぎた使い魔ということは重々承知。されど、願わくば、少しの間だけ私に力を貸していただけないでしょうか」

 

「困っている、ということか?」

 

「さる親子に危機が迫っております。彼女らを救いたいと思っております」

 

「……それは貴殿に縁ある者か?」

 

「本来であれば私が助ける筋合いはないかも知れません。しかし、座して静観はできません」

 

「ならば、何故貴殿は起たれるのか?」

 

 理由は簡単だ。無辜な親子が、エルフの血と言う下らぬ理由で悲劇に見舞われることに正当な理由が見い出せないからだ。

 私は言った。

 

「義のために」

 

 記憶の中のディルムッド・オディナという人物は気高い英霊だった。ならば、嘘偽りなく召喚の動機を口にすることが一番だと思われた。

 その言葉に、彼が何を感じたのかは判らない。だが、その言葉を受け、英霊は私の前に片膝をついて槍を掲げた。

 

「思いの丈、承りました。今日この時より、我が槍は御身のためにあり。ここに我が忠義を捧げ、その道を切り開く刃となることを誓いましょう」

 

「……良いのですか」

 

 さすがに私は念を押した。記憶によれば、彼にとって主従は絶対。私のようなしょうもない小娘であっても礼を尽くしてくれるであろう事は予想はついた。だが、それを差し引いても彼の忠義は私には身に余るほどのものだ。それはあたかも一介の雑兵が、突如国と城をもらったくらいの衝撃だった。しかし、この時から我が臣となった男は視線をあげて凛とした声で言ってくれた。

 

「この身でお役に立てるのなら」

 

 コントラクト・サーヴァントについては、思い出すとさすがに私でも顔が熱くなる。

 実は、サーヴァントの中で私はこのディルムッドが一番好きだった。愚直なまでの忠義に呪いのように取りつかれてはいるものの、恐らく二心なきことについては第5次のバーサーカー並みではないだろうか。

 ただ、主のための槍であることを誇りに、その忠義の道を全うすることのみを望む精兵。まさに漢だ。

 

 そんな彼に御姫様抱っこの恰好で運ばれ、一気にサウスゴータの屋敷に乗り込んで、私は惨状を目にした。

 目の前に広がるのは、間違いなく女の地獄だった。

 殺意に身を委ねようとした時、ディルムッドが私を制して前に出た。

 

「ここは、私が」

 

 硬い表情を浮かべる彼。騎士道を重んじる彼にとって、目の前の状況は許しがいものなのだろう。ここに、私と彼の意思は完全に合致していた。

 必要なのは、誅伐の二文字。

 杖を手に下卑た笑いを浮かべる騎士たち10人とディルムッドが対峙した。ただの平民と思った騎士たちを哀れと思った。魔法を使う者にとって天敵となる武具がこの世にはある。

 有名なところでは魔剣デルフリンガーであるが、今この瞬間この場に立つディルムッドこそは、恐らく真の意味で魔法使いの天敵であろう。

 いたぶる様に飛来したファイアボールやエアハンマーが、その紅い槍に一掃されて消滅する。

 

 破魔の紅薔薇。

 

 これを手に、人外の運動能力を持つディルムッドの前に10人程度の騎士など路傍の石と変わりはない。

 信じがたい光景を見た騎士たちの表情が恐怖に歪んだ。

 静かな声で、私は告げた。

 

「容赦は無用。楽には殺すな。これは天誅である」

 

「御意」

 

 勝負は10秒もかからなかった。

 両手を飛ばされ、腹を裂かれた騎士たちが、己が作った血の海の中で悲鳴を上げている。

 

「た、助けてくれ」

 

 外道たちが上げるその哀れな声は、今の私にとっては耳に心地よい調べでしかない。

 抵抗の意思を全く示さぬ女を嬉々として害した報いを、こいつらは骨の髄まで味わうべきなのだ。助命を乞う声が、やがてひと思いに楽にして欲しいという懇願に変わるのを聞きながら私は告げた。

 

「無抵抗な女を蹂躙した報い、その身が地獄に落ちるその時まで心ゆくまで味わうがいい。因果応報の言葉の意味を、噛みしめながら死んでいけ」

 

 サウスゴータを脱出してからも、王軍の手はしつこく私たちを追ってきた。

 それらを尽く撃退できたのは彼のおかげだ。

 戦意を無くした者までは殺しはしなかったが、そのために私の名前は中央に伝わった。

 モード大公家のヴィクトリア謀反。

 アルビオンの国軍に喧嘩を売ったことは私としても大事件ではあったが、どうせもう帰るつもりのない国だ、今更痛くも痒くもない。

 

 そんな出来事以来、私の使い魔として尽くしてくれている無二の忠臣である。

 日ごろはマチルダの工房で力仕事と販売を担当しており、いわくつきの黒子は絆創膏で隠している。無論黒子を隠してもなお魔貌のご利益はすさまじく、営業活動において大いに役立っているのが正直なところだ。

 名前は発音しづらいので最初のうちはダーマッドとかディルとか呼んでいたが、最近はさらに短縮してディーと呼ぶことが多い。

 

 

 

 

 

 初手は、ディルムッドが取った。

 弾けるような踏み込みで間合いを詰め、赤い槍の一撃を見舞う。

 それに対し、吸血鬼は反射の魔法を展開したのだろう。だが、一瞬の燐光を輝かせて、赤い槍は吸血鬼が広げたはずの魔法の盾を紙よりも容易く貫いてその胸板を捕らえた。

 顔が驚愕に歪んでいるが、こればかりは相手が悪い。

 魔力循環を遮断する破魔の紅薔薇の前では、先住魔法も系統魔法も関係はない。どんな防壁を展開したとて丸裸も同然というやつだ。

 傷を受けた部位から回復の白煙を上げながら跳んで下がる敵を、さらに早い動きでディルムッドが追う。振われる爪と槍が夜の闇に幾度か鮮やかな火花を描き出すが、基本的なポテンシャルが違う。数合の打ち合いの後、勝負は槍兵に軍配が挙がった。

 圧倒的な速度差で詰め将棋のように追い詰められ、最後には吸血鬼が乾坤一擲の一撃を振るおうと大きく腕を振り上げたところでディルムッドの左の短槍が紫電の速さで吸血鬼の心臓を貫いていた。

 吸血鬼の最も恐るべき点は、その生命力にある。ちょっとやそっとでは死んでくれない可愛げがない連中だが、彼の槍の前ではそんな心配は要らない。

 一度穿てばその傷が絶対に癒えぬ呪いの槍。必滅の黄薔薇の一撃はたとえ相手が妖魔であっても効果は変わらない。

 目を大きく見開き、しばし痙攣したのちに吸血鬼は絶命した。

 

 

 

 

「終わりました」

 

「ご苦労様」

 

 汗もかかない忠臣に労いの言葉をかけながら道に投げ出された女の子を診ると、認められた傷跡は擦り傷だけ。喉を見ても噛まれた痕跡はない。催眠状態にして塒に持ち帰って、そこでゆっくり味わうつもりだったのだろう。ついてたね、お嬢さん。

 

 件の邸宅に娘さんを届けると、家人が軒並み魔法で眠らされていたことが判った。これじゃ気がつかないのも無理はない。

 一人ずつ覚醒の措置を講じ、事態の説明をして落ち着いてもらう。明るくなったら番屋に届けるよう指示して、とりあえずは御役御免。

 

 翌日、寝不足に見舞われて猫のような大欠伸をしながら仕事をこなすのは結構大変だった。

 

 

 

 


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