トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その5

 一人の老人が夕暮れのトリスタニアの中央広場を歩いていた。

 良い身なりをした老人であった。

 本来であれば供の者を連れていそうな身なりであり、王都トリスタニアとはいえ、やや浮いた格好とも言えた。

 仕立てが良いマントに、オーダーメイドと思しき帽子を被り、手には上品な拵えの杖を持っていた。

 

 老人は貴族であった。

 

 この辺りは不慣れらしく、手元のメモを確認しつつ視線をさまよわせながら噴水の脇を通って歩みを進め、やがて目当ての建物を見つけた。

 そこは、タニアリージュ・ロワイヤル座なる劇場であった。

 老人は建物をしばし眺め、やがて溜息を一つついて切符売り場に向かった。

 

 劇場の中は薄暗かったが、座席や人の姿は判別できなくもない程度の照明が灯されていた。

 夜の部の上演はやや寂しい客入りであるものの、舞台の上では話題の舞台が絶賛上演中であった。

 ステージ上を出し物に視線を向けることなく指定された座席を見ると、前寄りに偏った観客をよそに客席の中ほどに小さな背恰好の少女が見えた。

 老人はその隣の座席に腰を下ろした。

 

「遅かったじゃないか」

 

 前を向いたまま、少女が小声で語りかけて来た。

 手には菓子の袋を抱え、時たまポリポリと口に運んでいる。

 

「……いささか場所が好ましくありませんな。芝居小屋での会合など、およそ真っ当な話し合いには見えませんぞ」

 

 老人は露骨に不機嫌な口調で言うが、少女は笑って取り合わない。

 

「ひそひそ話をするには打ってつけな場所なんだよ。そうでもなければこんな下手な芝居は観に来ないさね」

 

『トリスタニアの休日』という演目であるが、俳優たちの演技はとても売り物になる水準になかった。

 

「身も蓋もないことを言われますな、殿下」

 

「もう殿下は廃業したよ、爺」

 

 思い出した昔を懐かしむように、少女は笑った。

 老人の名はパリーと言う。

 アルビオン王室の重鎮であるが、ちょうどトリステインに王の名代として折衝に来ていたはずの人物であった。

 そして、件の少女ヴィクトリアの知己でもあった。

 

 

「まったく嘆かわしい。世が世なら王宮にその人ありと言われたであろう姫君がこのような街の芝居小屋で芝居を見ながら駄菓子を食べているとは……」

 

 何だか放っておくとその場でおいおい泣き出しそうだったのでヴィクトリアは話題を変えることにした。

 

「それで、改まって話と言うのはなんだね? わざわざトリスタニアに隠れ住んでる私をあぶり出してまでの用事となると、ちょっと洒落にならない感じかい?」

 

 ヴィクトリアの言葉に、パリーの視線が別人のように鋭く変わった。

 それは宮殿の広間にて、王の言葉を代弁するかのような凛とした気配であった。

 

「この度は、陛下からのお言葉をお伝えに参りました」

 

 意外な名前を聞き、菓子を食べかけていたヴィクトリアの手が止まった。

 

「伯父上の?」

 

「はい。殿下の現状について、陛下は大層胸を痛めておいでです」

 

 幼少期、家族の愛情に欠けた生活を送っていたヴィクトリアにとって、係累の大人で唯一愛情を注いでくれたのが伯父に当たるジェームズ1世、すなわち、アルビオン国王その人であった。

 甘やかすとかそうではなく、まっすぐにヴィクトリアの目を見て話をしてくれる人と言うだけであったが、己を政治の道具ではなく一人の人間として接してくれたただ一人の肉親であった伯父がヴィクトリアは好きだった。

 会えるのは年に数度であったが、その度に伯父上伯父上となついて回ったものであった。

 

 遠い目で過去を見つめていたヴィクトリアに、パリーは一通の手紙に渡した。

 封印には、アルビオン王家の紋章が押されている。

 

「……伯父上」

 

 丁寧に封を解き、紙面に綴られた見覚えのある文字を追う。

 そこに綴られた文字に、懐かしい声を重ねる。

 一度読み、二度読んだ。

 三度目にはそこに込められた相手の気持ちを拾うように、時間をかけて丁寧に読んだ。

 手紙に書かれている内容を噛みしめ、感情の高ぶりを抑えながらヴィクトリアは俯いた。

 

 そこには、父を討ったことに対する伯父としての謝罪と、国王としての説明があった。

 

 侯爵家にてヴィクトリアがされた仕打ちと、その反撃についても理解の言葉があった。

 

 貴族から平民に落ちての苦労や生活、そして健康に対する心配があった。

 

 そして、ヴィクトリアが望むのならば、国王の権限をもってヴィクトリアが犯したすべての罪に対して特赦の用意があるので王宮に戻るように、との申し出で手紙は締めくくられていた。

 

 モード公の粛清について、アルビオン国内においては泣いて実弟を誅したことを評価されてはいるジェームズ1世ではあったが、その老王は、今なお所在不明扱いの姪のことについては話題に出すことを避け、半ば禁忌として取り扱っていた。

 実際、かなり早期にヴィクトリアの所在について老王は把握しており、把握すると同時に一つ号令を出していた。

 

『今もって国内において行方が判らぬと言うのであれば、おおかた衆庶に身を落としたのであろう。また、仮に国外に逃亡したのであれば身を寄せた先方の貴族から話が来るであろうが、それも未だない。そうであれば、事後の沙汰ではあるが追放の罪科としては充分。国外にまで手勢を出しての追討は不要である』

 

 国外に逃亡するにあたり、少なからぬ追っ手を退けた姪に対し、正式に国外追放を告げた。

 国外追放は厳しいものではあるが、そうすることでこの老王は、ヴィクトリアに処断の手が伸びぬよう手配していた。

 加えて、親の因果が子に報いるこの時代ではあるが、一方的とはいえモード公の妻は離縁しており、また、その母を殺めたことについては当事者である侯爵からは事故死との報告が上がっていることもあり、そのことを踏まえ、構いなしとした。

 まずは死罪を告げられかねないヴィクトリアの罪状をいったん確定し、その後に特赦の形で何とかしてヴィクトリアを不遇の現状から救いあげようと考えていた。無論、討たれた騎士たちの身内等、それを不満に思う勢力もあるが、老王はそれを捩じ伏せてでも姪を救うために動くつもりであった。

 

 他国の、しかも暗黒街の性格が濃いチクトンネ街とは言え、やがては追手がかかるものと思っていたヴィクトリアではあるが、実際にはアルビオンではそのような微妙な扱いとなっていたことまでは知らなかった。

 

 

「殿下……」

 

 心ここにあらずなヴィクトリアに対し、パリーは静かに声をかけた。

 

「いかがでございましょうか。陛下のためにも、ここは帰郷いただけないでしょうか」

 

 ヴィクトリアはやや間をおいて答えた。

 そこには町医者のヴィクトリアではなく、大公家の公女としてのヴィクトリアがいた。

 

「すまない。このような咎人に過分なお取りはからい、名ばかりとは言え、大公息女として感謝の念にたえぬ」

 

「陛下もお歳です。これが御自身ができる最後の務めとまで言い切っておられました。何卒ご理解いただきたい」

 

「申し出はありがたい。だが、この御厚情はお受けすることはできない」

 

「何ゆえでございましょう」

 

 その問いに対し、ヴィクトリアは神に対する誓いのような思いで答えを口にした。

 

「私にも、失いたくないものができてしまってな」

 

 ヴィクトリアの言いたいことを、パリーはすぐに察した。

 

「……太守の息女と……モード公の御落胤でございますか?」

 

 さすがにハーフエルフという言葉を口にしづらかったのか、パリーは言葉を選んだ。

 

「本来なら気にかける義理も何もないが、もう既にあの者たちとはそれだけのものが通い合ってしまっている。アルビオンがあの者の存在を受け入れてくれるくらい軟化したわけではあるまい? 二人に対して国外追放で仕置きの折り合いが付いているのであれば私も考えようがあるものではあるが」

 

 その言葉には流石にバリーも黙り込んだ。ブリミル教が隆盛の今日、ハルケギニアにハーフエルフの安住の地はない。

 エルフとその縁の存在は、どこまでいっても日陰者であり、宗教上の敵であった。

 仮にここでヴィクトリアが二人と離れた場合、可能性の話としてアルビオン政府が二人に牙を剝くとも限らない。

 ヴィクトリアと共にあるからこそ、マチルダとティファニアは安全でいられるとも言えた。

 

「心が揺れる前に答えをお返ししよう。私はあの者たちと共にあるを何よりの喜びとするのだ。追手を差し向けない御厚情だけでも涙が出るほどありがたいことである。私たちにとって、このまま静かに人々の中に埋もれて消えて行くことが何よりの望みだ。王家の血筋と言うことで王家に迷惑をかけるつもりは毛頭ない。どうか、私のことはお気になさらぬよう陛下にはお伝えしてくれ。不出来な姪ですみませぬ、幾久しく御健勝であらせられること、遠い地より祈念しておりますと、な」

 

 視線を交わし、パリーはヴィクトリアの力強い瞳に決意の強さを読み取った。

 彼もまた、ヴィクトリアを大切に思う者の一人ではあったが、ヴィクトリア自身の心を捨て置いて事を強いるつもりはなかった。

 

「……判りました。私と致しましても、今一度殿下のお守ができぬのは寂しいことではございますが」

 

 柔らかいパリーの物言いに、ヴィクトリアは笑った。

 

「昔のことはお忘れな」

 

「さて、どういたしましょうか。こればかりは年寄りの特権ですからな」

 

 そこまで言って、バリーの視線が今一度鋭くなった。

 

「陛下の方は私の方から話をお通しいたします。これとは別に、御注意いただきたい動きがありますのでお耳に入れておきましょう」

 

 ただならぬ気配にヴィクトリアは眉を顰めた。

 

「良くない話か」

 

 パリーは頷いた。

 

「殿下にとって、もう一人の伯父君です」

 

 できれば聞きたくない人物の話題に、ヴィクトリアの表情が硬くなった。

 

「ハイランド侯が?」

 

「はい、今では誰もが『無根侯』と呼ぶハイランド侯リチャード閣下の動きがきな臭い。身に覚えはおありでしょう」

 

「うんざりするほどね」

 

 お互いに、最後は殺す殺さないの関係まで行き着く因縁がある相手であった。

 

「物騒な輩を雇っているとも聞き及んでおります。くれぐれも御油断なきよう」

 

「貴重な情報、心より礼を言う。では、私からもひとつ知らせておこう」

 

「何でございましょう?」

 

「オリヴァー・クロムウェルという人物から目を離すな。裏で交差した二本の杖が蠢いているらしい」

 

 さすがにパリーも絶句した。

 

「……真でございますか?」

 

 パリーに向けるヴィクトリアの視線も、また鋭い。

 

「用心だけはしておくように。こればかりは私では力になれない」

 

「早速調べてみます」

 

 パリーは立ち上がった。

 

「では、私はこれにて」

 

 挨拶するパリーに、ヴィクトリアは心からの言葉を告げた。

 

「いろいろ世話になったね、爺。くれぐれも息災で」

 

 そんなヴィクトリアの心を知ったうえで、老人は笑って見せた。

 

「永の別れではありますまい。では、またいずれお会いいたしましょう」

 

 

 パリーの背中を見送り、ヴィクトリアが視線を舞台に戻すと、主人公が静かにヒロインの元を去るところであった。

 現実の壁に抗うことなく別れを選んだ二人を見つめながら、ヴィクトリアは静かに菓子を口に運んだ。

 

 

 

 甘いはずの菓子は、何故か少し、塩味がした。


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