トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その6

「あちち」

 

 夏の午後の往診はきつい。

 天空で元気に核融合しているお天道様は今日も絶好調で、遠慮とか容赦がまったくないエネルギーをこれでもかと叩きつけてくる。

 体が小さい私は簡単に芯まで火が通ってしまう。

 やはり早めに金を貯めて入院病棟を作ろうと決意を新たにする。

 トレードマークの白衣を着こんでいるのも悪いのであろうが、これはちょっとこだわりたい部分なので脱ぐ訳にはいかない。

 その代り、頭の上には大きな麦藁帽子を装備。

 我ながら何ともアンバランスな気がしないでもない。

 

 そんな午後、診療院に戻ると入口のところに小さい女の子が立っているのが見えた。

 身長は私よりちょっと高いくらい。

 髪の色は青。

 魔法学院の制服にマント。

 手にした大きな杖が目を引いた。

 

女の子は私に気付いて眼鏡の奥から視線を私に向けてきた。

 

「急患かね?」

 

私が問うと、少女は首を振り、値踏みするように私を見て蚊の鳴くような細い声で言った。

 

「あなたが『慈愛』のヴィクトリア?」

 

 

 

 

 

………………………。

 

 

 

 何だか人生初めてだよ、自分が石になったのが判ったの。

 ナンデスカ、ソレ?

 全身に鳥肌が立ってジンマシンが出そうだった。

  そんな恥ずかしい二つ名名乗った覚えないぞ。

 誰だ、そんなこと言いだした奴ぁ。

 こみ上げる苦いものを何とか飲み込んで応じる。

 

「……そんな大仰な二つ名は知らんが、ここの院長のヴィクトリアなら私だよ」

 

 私の自己紹介を理解するまで時間がかかったのか、少女はややあってから口を開いた。

 

「相談があって来た」

 

 思いつめたような口調。この少女が言いたいことはそれだけで判る。

 

 ある意味、転生者の視点は神のそれだ。

 その力は使い方によって悪魔のそれにもなるものだとこの時思った。

 私の中に苦悩が芽生えた。

 それを押し殺して声をかけた。

 

「……時間外だが、せっかく学院から来てくれたんだ。話くらいは聞いてあげよう」

 

「感謝する」

 

 

 

 診察室に通し、魔法で室内の温度を下げる。

 アイスティーを出して腰を下ろした。

 

「とりあえず、扱いは医療相談ということにしとくよ」

 

 診察室でまっさらなカルテを取り出して言う。

 

「まずは名前を聞こうか」

 

「タバサ」

 

 簡潔な答えに私は筆を止めた。

 

「本名かい?」

 

 判ってはいるけど一応確認する。

 どの程度の信頼を私に寄せてくれるかがこれで判る。

 私の問いに、タバサはしばし悩んで今一度口を開いた。

 

「……シャルロット・オルレアン」

 

 正直、びっくりした。まさか正直に名乗るとは思わなかった。タバサが相応の物を開いて見せたとなればこっちもこっちも本気で対応しなきゃいけない。正直、ちょっとやばい感じすらする話だ。

 

「シャルロットだね」

 

 カルテにはタバサと書き込みながら私は続ける。

 

「それで、質問は何だね?」

 

「毒について訊きたい」

 

「毒物?」

 

「あなたは治療師とは違った手法の治療を行うと聞いた。判る範囲で良いから教えて欲しい」

 

 話を聞いて合点がいった。なるほど、毛色が変わった医者の噂を訪ねて来たということらしい。

 

「どういう毒を飲んだね?」

 

「私じゃない」

 

「ほう?」

 

「私の母が飲まされた」

 

 そのまっすぐな視線。

 どこまでも一途だ。

 この娘、無表情で無感情なように見えるが、ある意味一番情熱を持った子じゃないかと思う。

 

「……詳しく聞かせとくれ」

 

 タバサはぽつりぽつりと症状を話し始める。

 自分を覚えていないこと。

 人形を自分だと思って抱きしめていること。

 近寄るとパニックを起こして自分を拒否すること。

 

 ナウシカ原作版のクシャナ殿下も同じ気持ちだったことだろう。

 あっちは治しようがなかったけど、でもこの子の母ならば……。

 

「なるほどね」

 

 私はペンを置いた。

 話を聞きながら、私もまた、自分の母のことを思った。

 私には二人の母がいる。

 前世で私を産んでくれた母。

 そして、この世界で私を生んだ女。

 前世の記憶がなければ正直母の愛情なんてものは鼻で笑っているところだったが、瞼の母の記憶はそれは、私がそんな風に人の道を外すことを許さなかった。

 もちろん、例えそれがなくても、この子の前でだけはそんなことはしてはいけない。

 藁にもすがる思いで尋ねてきた子にその仕打ちでは、あまりにも悲しい話だ。

 

「知っていたら教えて欲しい。どんな手がかりでもいい」

 

 私は悩んだ。

 与えられる情報は幾らでもある。

 

 それがエルフの毒であること。

 解毒薬が存在すること。

 それを作れるエルフがいること。

 それらはすべてガリア王ジョゼフの掌の上にある事。

 そして、ヴェルサルテイルの礼拝堂のこと。

 

 だが。

 言ってしまえばこの子は絶対躊躇わないだろう。

 そのために容易く自分の命すら投げ出すに違いない。

 彼女のイーヴァルディの勇者はまだいない。

 勇者がいない御姫様が戦いを始めても、悪の竜は歯牙にもかけるまい。

 時期尚早というものだ。

 しかし、それはこの子をまだまだ続く地獄に見捨てることに他ならない。

 恐怖を味わい、苦労を強いられ、艱難辛苦の道を当分歩むことになる。

 

 せめぎ合いが心を苛む。

 

 

 

 しばらく考え、私は言葉を選んだ。

 

「そこまで長期間精神を冒す毒となると、普通の毒じゃないね」

 

「え?」

 

「……一般的に手に入る毒じゃない。かなり特殊な手段で調合された薬だろうね」

 

「対策を教えて欲しい。お金ならいくらでも払う」

 

「金の問題じゃない。推測でしか言えない事なんだ。いたずらにお前さんの心を乱すだけさね」

 

「それでもいい。何も判らないよりは、いい」

 

 能面と言う芸術品がある。

 見方によって喜怒哀楽すべての表情をその面貌から見てとれると言うが、今のタバサの無表情はまさに能面だった。

 泣き出しそうな子供の顔に見えるのは私の気のせいではあるまい。

 

「少し猶予をおくれ。どれくらいかかるか判らないが、私なりに調べる時間をもらいたいんだよ」

 

 私の言葉に、秒針が1周するほどの時間が流れた後、少女は言った。

 

「……判った」

 

 私はため息をついた。

 

 ある意味、日本人的なずるさだ。

 先送りを許容する、卑怯な文化。

 ほんの僅かに希望を与え、そして時が過ぎるのを待つ。

 これ以外、彼女の心に対して私ができることはない。

 

「また来る」

 

 タバサは立ち上がり、静かに帰って行った。

 

 

 

 

 

 夜、窓辺に座ってワインを開けた。

 グラスに注いだだけで、夜空を見上げて私は過ごした。

 

「姉さん?」

 

 風呂上がりの髪を乾かしながら、テファが訊いてくる。

 

「ん~?」

 

「何だか元気ないね」

 

「…………うん」

 

 空に光る二つの月を見ながら、私はさっきからろくに手をつけていないワイングラスに手を伸ばした。

 今日のワインはやけに舌に苦かった。

 

 

 

 その夜、私は微かにしか覚えていない、前世の母の夢を見た。


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