トリスタニア診療院繁盛記   作:FTR

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その9

降臨祭が近い今の季節は、日が落ちるのが早い。

サン=レミ聖堂が午後5時の鐘を鳴らす中央広場を、家路を急ぐ人々に埋もれるように一人の少女が夕暮れ時の長い影を引きずって歩いている。

名工が作った人形のような、美しい面貌の少女であった。

小柄な、まだ10歳ほどの子供に見えるが、実年齢はその倍ほどもあると聞けば誰もが驚きを隠せないであろう。

腿ほどまで伸びた髪は、ボリュームがあり、伸ばしていると言うよりは無造作に伸ばし放題のようではあるが、生来の髪質なのかその輝きは健康的なものであった。

色は濃い目の茶色であり、どことなくこの国の王女アンリエッタのそれを思わせるが、この少女が実際にその王女と従姉妹であると言うことはこの街にいる者はほとんど誰も知らない。

身を包む外套は大人しいデザインでありながらも流行りのもので、トリスタニアの街を歩けば数分に一人は見かけるようなありきたりなものであったが、この少女が着ると何故かその服の格が一段上がる様な不思議な気品を少女は纏っていた。

 

気品はともかく肉づきはいささか寂しい痩せっぽちな体にどこか老婆のような気だるさを引きずりながら、中央広場からブルドンネ街に足を向けた。

宮殿が見えるあたりで小さな路地を曲がり、すぐのところにある小料理屋の扉を少女はくぐった。

 

「いらっしゃいませ・・・あら、先生!」

 

接客に勤しむこの店の娘が元気よく声を上げた。

向日葵のような笑顔で、夕顔のような少女を迎える。

娘はこの少女を知っていた。もっとも、この少女がトリスタニアに流れてきてから数年、この街の平民で少女のことを知らない者の方が今では珍しいのかも知れない。

 

「遅くなっちまったかね」

 

「はい、お連れ様はもうお待ちですよ」

 

娘は案内に立って店の奥に少女を導き入れる。

 

「最近は親父さんの腰の調子はどうだね?」

 

「はい、おかげさまですっかり。小麦粉の袋も前みたいに軽々です」

 

「また無理しないようによく言っといとくれよ。予防に勝る治療はないんだ」

 

「あら、でもそれじゃ先生のお仕事なくなっちゃうじゃないですか」

 

「医者なんて商売は出番がなければそれに越したこたぁ無いんだよ。食うに困ったら皿洗いでもやるからここで雇っちゃくれないかね」

 

「先生なら着飾って看板娘にしちゃいますよ」

 

しばし考え込み、少女は困った顔で言った。

 

「お願いだから服は普通の服にしとくれよ」

 

 

 

 

料理屋の奥にある、個室の小部屋の前に立って娘が伺いを立てる。

 

「御連れ様がお見えです」

 

「お通ししてください」

 

中から聞こえたのは落ち着いた男の声であった。

声を受けてドアを開き、少女が小部屋に入ると、そこに眼鏡をかけた冴えない中年の男が席についていた。

 

名をジャン・コルベールと言った。

トリステイン魔法学院で教職を務めており、火の魔法の名人でもあった。

 

「やあ、待たせてすまないね、先生」

 

「はは、ここでは私が先生かね」

 

「白衣を着ていない私は、ただの市井の小娘さね」

 

「これはまた、ずいぶん博識な小娘がいたものだね」

 

 

 

この店の看板料理はフォンデューである。

煮立たせたブイヨンのスープに肉や野菜などの食材をくぐらせて食べるいわゆるスープフォンデューであるが、感覚的にはしゃぶ鍋のそれに近く、いろいろな旬の食材を食べられることもあって、酒の進む庶民の料理としてトリスタニアでは愛されている。

 

「お、そうそう」

 

羊の肉を頬張っていた少女は思い出したようにフォークを置き、鞄から小瓶と数十枚の羊皮紙を取り出してテーブルに置いた。

 

「酔っ払っちまう前に渡しておくよ。いつもの薬と翻訳だ。忘れちまったらまた先生に一日潰してもらわなくちゃいけないからね」

 

「いや、これはすまない。では、私も今の内に渡してしまおう」

 

そう言うと、コルベールもまた鞄から数冊の本を取り出す。

 

「これは写本だから進呈するよ」

 

「それはありがたいね」

 

両者の付き合いは、コルベールがトリスタニアにある少女が経営している診療院を訪ねたことから始まる。

まだ40歳ほどでありながら、コルベールの頭髪は後頭部まで綺麗に禿げあがってしまっている。

日頃はあまり気にした風ではないが、内心ではそれなりに気にしているというのが男心というもの。

何より、コルベールは未だに独身であった。髪はあった方が何かと有利である。

本来であれば貴族であるコルベールが平民相手の診療院を訪れることはあり得ないことではあるが、彼もまた世間体を気にする普通の人間であるため貴族が使う治療師は憚られたうえでの苦肉の策であり、また来るものは拒まぬ診療院の門戸は例え貴族であっても邪険に閉じることはなかったために成立した邂逅であった。

問診を終え、恥ずかしげに視線をさまよわせるコルベールに、院長であるところの少女は論理的な説明を講じた。

 

脱毛の原因としては、

 

・髭等の発毛や筋肉の発達を促す睾丸から出る男性を男性たらしめる微量要素が毛の根に影響すること。

・脱毛については微量要因はその量が問題なのではなく、毛の根の感受性次第であること。

・毛穴から出る皮脂が劣化し、目詰まりとなって毛の根が窒息すること。

・男性の場合、成長期の終わりと共に頭皮の成長が止まるが、頭蓋骨は40歳くらいまで成長を続けるため

 頭皮が緊張し、皮膚が無毛皮に変質してしまうこと。

・ストレスによる頭皮の緊張も同様。

・可能性としてはこれらの複合要因であること。

 

等。

 

これらを解説し、次いで対処法を示した。

すなわち、

 

・よく売っている毛生え効果を謳った秘薬は全く効果が望めないこと。

・頭皮は清潔に保つこと。入浴はできるだけ頻繁に。

・早寝早起きに努め、暴飲暴食を慎むこと。徹夜はしないこと。

・入浴の数時間前に精製された植物性オイルを頭皮に刷り込み、マッサージすること。

 

等。

 

その上で微量要素の働きを調整する秘薬を調合し、定期的に服用することを持って治療とすると告げた。

ここまで言われてコルベールは呆けたように少女の顔を眺めた。

元より好奇心の塊のようなコルベールは事の仔細を少女と話しこみ、午前の診察時間ぎりぎりまで説明を掘り下げた。

少女の方も嫌な顔一つせずに応じ、話し足りないところはまた次回ということでひとまずお開きとなった。

 

その後もコルベールが診療院に通う度に会話が弾み、やがては自然科学全般の話となり、次いで双方の求めるものの交換が始まるようになった。

コルベールの方は手持ちの読めない書物を少女が読めることを知ってその翻訳を、少女は平民では王立図書館で読める書物が限られるので国内有数の蔵書を誇るトリステイン魔法学院の図書館からの魔法関係の図書の借り出しを望んだ。

 

その交換は月に2回の頻度で行われており、双方ともにいける口であることもあって大抵の場合はトリスタニアのどこかの料理屋で会合を持つのが常となっていた。

 

 

「それにしても」

 

コルベールは渡された翻訳を読みながら呟いた。そこにあるのは航空力学の基本理論の解説であるが、それを結構あっさり理解するあたりがコルベールが非凡なところであった。

 

「どうして君は東方の文字を知っているのかね?」

 

「いい女には秘密がつきものなんだよ」

 

見た目がアレなこの少女が言うには違和感がある言葉ではあったが、少女の瞳の光がもつ不思議な魅力を知っているコルベールには、その言葉の裏側にこの少女の持つそれなりの含蓄を読み取る事ができた。

少女にしてみても、前世の記憶のおかげで『召喚されし書物』 である工学系の参考書が読めるのだとは言いづらかった。

 

「それより、その後の具合はどうだね?」

 

少女の視線が自分の頭に向かっているのを感じて、コルベールはぴたぴたと頭皮を叩いた。

 

「おかげでだいぶいいようだ。産毛の勢いが強まって来ているように思うね」

 

「ターミナルヘアに戻すには数年のスパンで考えとくれよ。すぐに生えるということは体の負担も凄いということだから、下手したら変なでき物ができて死んじまうからね」

 

「怖いね」

 

「あんたはまだ間に合うが、完全に根っこが死んでる場合だと足の裏に毛を生やせと言うようなもんなんだよ。そこらの薬売りに騙されてぼったくられるのは勝手だが、体壊して運び込まれるところは私の診療院だから困るんだよ」

 

「なるほど」

 

「後はストレスが心配だけど、どうだい、最近夜は眠れているのかい?」

 

「ああ、あまり寝つきは良くないね。貴族の御子息たちを相手の仕事だ、気苦労はそれなりだよ」

 

「睡眠不足は・・・判っているね?」

 

「はは、気をつけるよ」

 

そんな時、窓の外にちらりと動く白い影があった。

 

「これはびっくりだね、雪だよ」

 

「どうりで今日は冷えるはずだ」

 

 

 

少女は窓の外に視線を向け、しばし黙って舞い始めた雪の乱舞を眺めていた。

その視線が、妙に遠くを見ているような気がして、コルベールは声をかけた。

 

「雪を見て、何か思い出すのかね?」

 

少し間を置き、少女は口を開いた。

 

「昔の話さね」

 

「君の昔話か。そう言えば、君はどこの出だったかね」

 

「北の方さ」

 

「アルビオンあたりかな?」

 

「さて、忘れちまったよ」

 

「・・・すまない、無粋だったようだ」

 

「いいんだよ。そう言えば、ちょうどこんな冷えた夜だったねえ」

 

「何がかな?」

 

「初めて人を殺してしまった日さね」

 

ポツリと、石を口から零すような言葉に、コルベールは固まった。

そんなコルベールの強張った表情を気にもとめずに少女はグラスの中のワインを見ながら続ける。

 

「人を殺しちまった時の記憶ってのは厄介なもんだね。拭っても拭っても油汚れみたいにこびりついて、夜毎夢に出てきて人の眠りを妨げやがる。そうなると酒の量も増えるし、体にもよくないね」

 

コルベールは無表情になった少女の様子に思考を巡らせた。

この少女も、外見こそ幼くとも、日々人の死に触れる仕事を生業としている。

中には、己の力が及ばぬばかりに命を落とした者がいるのかも知れぬ。

しかし、それだけで日々悪夢に魘されるであろうか。

 

「後悔、というわけかね?」

 

探るように問いかけるコルベールを余所に、少女は背もたれにもたれて大きく宙を仰いだ。

 

「そりゃ、できれば殺したくなんかなかったさ。例え相手が殺されて当然の畜生だと思っていてもね。その時のことは納得できていても、見た光景が本当に何時まで経っても消えてくれやしない。

まあ、消そうと思うこと自体が傲慢なのかもしれないけどね」

 

「・・・」

 

コルベールは、目の前の少女が望まぬ凶状の過去を内に抱えていることを確信するに至った。

医療に関するものとは異なる、自分のそれに近い黒い過去を。

それが、身内に慰み者にされそうになった上での親殺しであったことまでは神ならぬコルベールは知らない。

 

少女は思い出したように問うた。

 

「先生。・・・罪ってのは消えるものだと思うかい?」

 

重い問いであった。

その言葉にコルベールはしばし考え、神に対する宣誓のような口調で告げる。

 

「・・・どうやっても罪は消えるまい。例え死んでもね。自裁は償いのようで、ただの逃げだ。ならばこそ、少しでも償えるよう、心に刻んで日々を生きるべきなのではないか。少なくとも、私には他に方法は思いつかないね」

 

「そうだね。罪は・・・あったことは消せないさ。ならば、罪人は赦されてはいけないものかね?」

 

意外な言葉に、コルベールは微かに息を飲んだ。

 

「赦すと言うのは難しいことだ。最後に自分を赦すのは、自分しかないのだろう。神か、始祖か、あるいは死んでしまった相手が赦してくれても、恐らく自分で自分を赦せまい」

 

「では、罪人はどうすればいい?」

 

「難しい問題だね。私が知っている言葉ではうまくは言えないが・・・そう、消えぬ罪を友とし・・・贖罪の時を積み重ね、やがてその罪を己の血肉とした時に、何とか自分を赦してやれるのではないかと私は思う」

 

そこまで口にした時、少女が真正面から自分を見ていることにコルベールは気が付いた。

 

何より雄弁な少女の黒い瞳が、コルベールに自身の言葉をそのまま語りかけているようにコルベールは感じた。

心の奥を、見透かすような闇を湛えた瞳である。

 

「き、君は・・・」

 

何を知っているんだ、と問おうとして口を閉じた。

 

少女の過去の話は嘘などではないのだろう。

コルベールは、少女が医師として磨いた観察眼が、コルベールの所作のどこかに自分と同じ咎人の匂いを嗅ぎつけたのだろうと推測した。

無論、少女がアングル地方であった悲劇のことを前世の知識で知っている等とは夢想だにしなかった。

あの年の、ダングルテールでの記憶は、今なお、彼の心を苛む。

自分が少女に告げた言葉が、そのまま自分に返ってきていることを悟り、コルベールは己が邪気のない罠にはまったことを知った。

コルベールの苦しみを、ほんの少しは自分も判るのだと言う彼女なりの意思表示であるに違いないと思った。

 

 

『苦しみ抜いた罪人には、どうか赦しを』

 

 

言外に少女が言っているような気がして、コルベールは今一度自分の頭を撫で、自嘲するように笑った。

自分で言いながらも、判っていることであった。

これは、言葉で片付く問題ではないのだ。

もし、この身が本当に解放される日が来るのだとしたら、あの時助けたただ一人の少女が自分に対し、裁きの刃を振り下ろす時に他ならない。

 

 

それきり、小部屋から会話がしばし消えた。

ゆったりと沈黙の時間が流れ、フォンデューの微かな泡の音が聞こえた。

やや時を置き、

 

「あ~、ダメだね」

 

と少女は今一度宙を仰いで頭をかいた。

 

「どうにも悪い酔い方をしているようだ。ちと趣を変えようか」

 

そう言って少女は先ほどの娘を呼び、ホットワインを頼む。

やや考えて、コルベールもそれをオーダーした。

 

 

 

「それじゃ、改めて」

 

スパイスの効いた熱いワインのカップを少女が掲げる。

 

「何に?」

 

受けるコルベールが少女に問い、少女は小首を傾げて言った。

 

「そうさね・・・いつか来る雪解けのために、ってとこでどうだい?」

 

 

 

カップが合わさる、小さな音が響いた。

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