キヴォトスに、灰が降る時   作:イサコウ

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Kivotos
/Kivotos/Log.1


 

 その日、キヴォトスの人々は、「(そら)」へと目を向けた。

 

 『サンクトゥムタワー』の機能不全。

 電気、水道、交通、インターネット…。生活を支える基盤インフラにダメージが生じた時、人々は初めてその事実を知った。

 各地で混乱が生じる中で、一際激しい反応を示したのは、タワーの膝下に広がる『D.U.』であった。

 タワーとは彼らにとって、()()()()()であり、()()()()()である。

 それが揺らぐ事など「(つゆ)ほども」考えてこなかった彼らにとって、タワーの失陥はあってはならない事実であったのだ。

 

 「連邦生徒会は、一体何をしている!」

 「生徒会長からの説明はないのかぁ!!」

 

 タワーの失墜は自然、D.U.の持つ本質的な脆さを露呈させていく。

 各地との連絡が緩慢となったこの街は、他学園が自治区の復旧に手一杯となる中で、陸の孤島と化していった。

 自然と隔離された空間が出来上がる中で、碌な生産地を擁さないこの街は、衣食の欠乏した状態へと退行していく。

 人々は次第に、自分たちが追い詰められていることに気づいていた…。

 

 「こんな日が来るだなんて…。条約締結も間近だというのに、一体どうして…」

 

 彼女は遥かタワーの高みから、下界で蠢くデモ隊の様子を眺めていた。

 視界にかかる藍色の前髪を煩わしそうに掻き上げ、ふと窓に薄く映った自分の姿を見て、彼女、『扇喜アオイ』は眉を顰めた。

 

 「生徒会長がいれば、…いや、その生徒会長が行方不明になったから、こうなったのね」

 

 絡まり雑然となった思考を整理するかのように、眉間をほぐす扇喜。

 連邦生徒会がこの地の主人となって久しく月日が経ったが、その権威が安定して続いたのには、もちろん理由がある。

 それは、タワーとその管理人による二頭政治体制。管理人とは、すなわち生徒会長当人のことに他ならない。

 鶏が先か、卵が先か。『救世主』と呼ばれた初代会長が、その役割をタワーから任じられた時、生徒会は代々彼女たちを頂きに置いて、D.U.に君臨してきた。

 しかしその権威は、他ならない「会長(かいちょう)」自身の手によって揺らぎつつある。

 

 「前々から、よくわからない人だとは思っていたけれど…」

 

 そう独りごちた時だった。

 ヘルメット姿で、黒いセーラー服を着ているのは、各地で頭痛の種になっているお馴染みの『ヘルメット団』

 扇喜がまさかと思う間もなく、集団から駆け出した一人の団員は、助走をつけ、大きく腕を振り上げた。

 投石器の要領で空に向かって放り出された鞄は、そのまま軌道に沿ってデモ隊の最前列に落ちていく。

 

 …

 ……。

 

 瞬間、轟音(ごうおん)が吹き荒れた。

  

 「爆弾…!戦争でもするつもりなの!?」

 

 広がる惨状に口を抑えながら、絞り出すように彼女は言った。

 

ーー

 

 薄暗い赤が支配する部屋の中、髪をロングに垂らした女性が憤懣やる方ない様子で、デスクの前に腰掛ける(ツノ)の生えた少女に詰め寄っていた。

 

 「()()()()()()、状況はどうなっているのですか!」

 「怒鳴らないでよ、リン会長代行。ご覧の通り、『D.U.』だけでも真っ赤っかだよ」

 

 そう言って、大したことがないと言わんばかりに、『由良木モモカ』は第一級警戒色に染まるモニターを指し示す。

 「いつも(とお)りです」と言わんばかりに、飄々とした態度を崩さない彼女を見て、今回ばかりはこの場で()()を言い渡したくなったが、『七神リン』は寸前でグッと堪えた。

 もとより仮の代行にしか過ぎない身だ。その一存で人員刷新を行えるのは、『連邦生徒会長』ただ一人だけなのである。

 だが、その「代理(だいり)」である以上、非常時の対応には彼女に代わって責任を果たさなくてはならない。内心で渦巻く葛藤が表に出ていたのだろう、普段の彼女を見慣れたモモカは、興味深そうに眉を上げた。

 それが無性に神経を逆撫でる。

 

 「…なぜそうも悠長にしていられるのですか!」

 「だって、仕方ないじゃないですか〜。幸いタワーから暴徒は叩き出せましたけど、防衛に当たっていたヴァルキューレの子たちは軒並みダウンしてるんですよ〜。各地に回せる戦力が少ない以上、当にチェックメイトです、チェックメイト」

 「そんな無責任な…!」

 「「()()()」だって言うのならば、生徒会長本人に言って下さい。あの人が()()()しなければ、こんなことにはならなかったんですから。

 あっ、これが最後か…」

 

 そう言って名残惜しそうに、お気に入りの明太ポテトチップスの袋を開けると、一枚一枚丁寧に口に運んでいく。

 小気味の良い咀嚼音が虚しく部屋に響く中で、リンは傍に付き従う『岩櫃アユム』を見た。

 下がり眉が癖の彼女であったが、今はさらにそれを深めると、ただ黙って左右に首を振った。

 

 「…どうすれば」

 

 神のことなど信じた試しは無かったが、それでも今だけはこの状況をひっくり返せる「デウス・エクス・マキナ」が訪れる事を祈っている。

 そんな身勝手な願いが叶えられる事はないと確信しながら、ただ目を瞑ったその時だった。

 

 「ん…着信音?」

 「代行、ポケットから聞こえてきます」

 

 アユムの言葉に促され、自分のスマホを取り出す。

 バッテリーの残量が底を尽きかけた暗い画面の中、場違いにも、一件のメッセージが目に飛び込んできた。

 

 ーー

 

 制御権限移譲プログラムを起動。

 

 『シッテムの箱』権限者:ウォルターの承認の下、現連邦生徒会長代行:七神リンへ、サンクトゥムタワー制御権限の移譲を行います。

 

 同意しますか?【 Yes / No 】

 

 ーー

 

 「何これ、スパムメール?空気読めないなぁ〜」

 「でも、今はネットワーク回線も正常に作動していないはず、どうやって…」

 

 他二人が各々の言葉を口にする中、しかし当事者のリンは押し黙ったままであった。

 あれほど怒りのバナーが赤かったのだから、多分限界(げんかい)に達したのだろう。

 それがモモカの邪推であったが、アユムも似たような懸念を抱き、心配そうに彼女を見つめる。

 

 「『シッテムの箱』…」

 

 七神の口から漏れ出た聞き慣れない単語に、思わず顔を見合わせる二人。

 だが、彼女たちには分からずとも、リンにとっては違う。

 それは、自分と「彼女(かのじょ)」しか知らない、すなわちキヴォトスにおける「最高機密(オーパーツ)」なのだから。

 

 「…もしかして、これは貴方の置き土産なのでしょうか?」

 

 ふと、脳裏を過ぎる記憶。

 風に吹かれながら、陽の光を受けて輝く、空に似たライトブルーの髪。

 …その時に垣間見えた淡い桃色が、薄暗い夕焼けのようで、柄にもなく綺麗だと思えてしまった。

 

 「周りくどいこと……。まさか、()()のつもりですか?」

 

 いよいよ首を傾げる二人を気にする事なく、彼女は独白を続ける。

 

 「それでも許しません。この最悪な時に、こんなにも重すぎる役割を背負わせて…。

 帰ってきたら正座で二時間、いや三時間。それでも足りませんね…。ならば、久しぶりに一日をフルに使って、説教してあげます。

 …だから」

 

 彼女の人差し指は、迷う事なく画面をタップした。

 

 「今は、これで「保留(ほりゅう)」にしてあげましょう」

 

 

 ー/ー

 

 

 『『コード:78E』を発令します』

 

 

 ー/ー

 

 

 「くそっ!

 

 そう毒付くのは、警帽をかぶるヴァルキューレの生徒である。

 傍で小さくうめく後輩を守りながら、彼女たちは、比較的原型(もとのかたち)を留めた車の陰で身を潜めていた。

 

 「…暴徒どもめ、あの口径の銃はD.U.では御法度だぞ」

 「先輩、私のことは置いて…」

 「ドラマの見過ぎか…。後でたっぷり説教してやるから、今は口を塞いでいろ!」

 

 手負いの馬鹿者は、不幸にも今回が初めての実戦であった。

 お調子者な性格で、いつか痛い目を見ろとは密かに思っていたものの、これは「教訓(きょうくん)」というには度合いを超えている。

 チラリと患部に目を遣れば、紫色の鬱血で、嫌な腫れ方をしていた。

 言いつけ通り、口を固く結んでいるが、その端から血の筋が垂れ落ちていく。

 

 「『振動弾(バンシー)』…。誰の手引きだ…!」

 

 銃弾では容易に傷つかない生徒向けに開発されたそれは、「積極的(せっきょくてき)な」自衛手段として、とある銃器メイカーの肝煎りとして世に送り出された。

 しかし、その()()仕様の高さに難色を示した連邦生徒会が、販売の停止を求め、市場に出回っていた製品を精力的に回収したのが、つい数年前のことである。

 それでも一部漏れてしまった物が、『ブラックマーケット』に流れているのではないかという懸念は当時から存在していた。

 図らずも、今回の暴動でそれが証明されてしまったことに歯噛みしてしまう。

 

 「そろそろ頃合いか…、行くぞ」

 「うっ…」

 「堪えろよ?」

 

 そう言って、その左腕を自分の肩に回す。肩越しに伝わってくる重さを感じ取りながら、彼女は一歩一歩と歩き始めた。

 だが、手負いの獲物ほど目立つものはない。

 

 「居たぞ、「(まと)」だ!」

 「おお、動くなよぉ。ワン公にぶっ放せるのは、久々だからなぁ〜!ひゃっはははは!!」

 

 「(まと)」とは、これは模範的な銃撃魔の発言である。

 いかにもなへルメットを被った二人が、恐らくは、()()()()を装填した自動小銃(コピーガン)を構えていた。全ては火を見るよりも明らかで、だからこそ、脳内神経が一瞬活性化する。

 幸いなことに、後輩を地面に押し倒すよりも一拍遅く、引き金は引かれた。

 

「「アッヒャヒャヒャヒャヒャ!!」」

 「ぜ、ぜんぱ…」

 「だま、って…!」

 

 下品な嬌声をあげながら、景気よく自動小銃を撃ち続ける暴徒たち。

 ()()というには、あまりにも重い衝撃を間断なく背中に感じながら、彼女は必死に後輩の上に覆い被さった。

 

 『『コード:78E』を発令します』

 

 銃撃音に混じって、遠くから聞き覚えのない声が聞こえたのは、果たして幻聴だったのだろうか。ただ確かなことは、あれほど耳障りだった矯声が、程なくして狼狽えた声に様変わりしたことである。

 

 「な、なんだぁ?!

 「ちょまっ、おわぁああ!!

 

 …銃撃はいつの間にか止んでいた。

 一体何が起きたのだろうと体に走る激痛に堪えながら、彼女は背後に感じた気配(けはい)に振り返る。

 

 …

 ……

 ………

 …………。

 

 「ああ、助かった…」

 

 「()()」を見た時、彼女は無条件に理解した。

 

 ーー

 

 『コード:78E』

 

 その言葉に、誰もが一瞬動きを止める。

 耳慣れないそれは、しかし記憶に引っ掛かる言葉であり、暴虐を働く者たちは本能のどこかを刺激される。

 だからこそ、彼女たちは目の前に立つ「()()()()()」に驚愕するしかなかった。

 

 「えっ、なに!この蜘蛛(くも)…、機械(ロボ)?」

 「知るか!大体、そのキモくてナヨナヨした体で、私らをどうこ…」

 「あの…、めっちゃデカい機関銃があるんすけど」

 

 哀れ、コピー品が霞むほどの一斉掃射で、悲鳴を掻き消される仲間の姿に震え上がるヘルメット団員たち。

 だが、それで手を止めるのならば、彼女たちは、こんな場末の犯罪集団(ヘルメット団)からとうに「オサラバ」していただろう。

 

 「うへへっ。私ら、しがないコソ泥でして…」

 「あっ、見逃してくれない感じ?」

 「当然っしょ」

 

 いやに生物的な複眼に凝視され、震え上がる火事場泥棒たち。返答替わりのフルスイングで、彼女たちは腕一杯の盗品(戦利品)と共に宙を舞った。

 もはや、逃げ場などないとばかりに、残された団員たちは(やぶ)(かぶ)れの反撃を行うが、所詮は最後っ屁に過ぎない。

 

 「ヤバいって!「(バンシー)」が効かないんだけど!!」

 「おっ、おいお前ら!『ガタガタヘルメット団』の意地を見せろっ!」

 「リーダーが勝手にやってれば良いじゃん!てかっ、名前変えた方がいいってぇえええ!?」

 「うわあぁあ!!…って、()()()()()()()()?!」

 

 マニュピレーターから放たれたネット弾(虫網)が弾着し、一塊にされるヘルメット団。

 もがけばもがく程絡まっていくのにも関わらず、もはや人心もガタガタの彼女たちは、そんな簡単な事にも気づけなくなっていた。

 

 「くそっ!やっぱり来るんじゃなかった!」

 「リーダーが行くって言ったんでしょ!!D.U.に手を出すのはヤバいって言ったんじゃん、私ら!」

 「お前らぁ!そんなこと一言も言ってなかっただろぉ!」

 「ムガムガぁっ?!(首がぁっ?!)」

 「あっ、動くな!今何とかしてやるから!」

 「ムガぁア!!(()めてるぅう!!)」

 「ああ、もうめちゃくちゃだよぅ…」

 

 彼女たちのちっぽけな悲哀は、たった今、D.U.の各地で繰り広げられている()()()の一幕に過ぎない。

 劣勢に立たされていた『ヴァルキューレ警察学校』の学生たちは、思いもよらない盤外逆転劇に、ただ放心するしかなかった。

 …とはいえ、彼女たちとて例外(れいがい)ではいられない。

 

 「ちょっ、ちょちょちょっ!こっち来んなって!?」

 「こ、ここは『ヴァルキューレ』の敷地ですよ?!そっ、それ以上は!」

 「ひぃっ、署長ー!」

 

 何事か、と騒がしい正面玄関の方に向かった『尾刃カンナ』は、一瞬自分の目を疑った。

 広場を埋め尽くすのは「()()()」だった。 

 人生で初めて(ほお)をつねってみたが、しっかりとした痛みを感じて、これが()()であることを再確認する。

 何もかもが初めてづくしの連続で、さしもの狂犬(ガルム)と呼ばれる彼女も一瞬放心してしまったが、こちらに近づいてくる一匹(?)の「()()」の姿を捉え、反射的にホルスターから拳銃を引き抜いた。

 

 「()()()()中に誰がいるのかは知らんが、警告ぐらいは分かるだろう?今から()()数える!その場で止まっ…

 「なんか、脚速くないっすか?()()()

 

 それなりに凹凸があるアスファルトの地面を、滑らかな足捌きでやってくる「()()」。

 まだカウントダウンも始まる前、滑るように、自分たちの前にやってきた異形のロボットを前にして、カンナたちの緊張は臨界点(りんかいてん)に達していた。

 だが、それはすぐに冷却する。誰だって目の前で後ろを向かれ、その下腹部が開く姿を見せられれば、困惑の方が勝るだろう。

 それでも培ったプロ意識のまま、ただ一人油断なく銃を構えるカンナだったが、その緊張感は瞬間、胡散してしまった。

 

 「「「「ゔぇええええ!!」」」」

 「うげっ!って、コイツら…!」

 

 それは、いつかの漁業ドキュメンタリーで見た、穴の空いた網から大量の魚が降ろされる光景を思い出させた。

 カエルの潰れるような声が上がり、下腹部から落とされたのは、捕縛ネットで捉えられた暴徒(ヘルメット団)たちだ。どうやら、ヴァルキューレの物よりも質がいいのか、ネットは破れる気配すら見せない。

 

 「だずけろぉおお!」

 「「リーダー売るんで、私らだけでもぉ!!」」

 「デメェらぁあ!?」

 「うるさっ…、ってもう次が来てるぅ!

 「どっ、どうしますか、署長?」

 

 「…とりあえず、その辺へ適当にほっぽり出しておけ」と指示を出したカンナ。

 「良いのか?」という表情を浮かべる部下たちを見て、一瞬、諸々の懸念(けねん)が頭の中に過った。

 だが思い返せば、不快な三徹気分を一日で味合わせてきた連中である。

 手加減(八つ当たり)しない理由は、公私共に見当たらなかった。

 

 「大漁、大漁っというわけですね〜♪…って姉御、タワーの方に何か?」

 「副局長…」

 「はい?」

 「コーヒーを一杯。()()()()自販機のを、紙コップでくれ…」

 「りょうか〜い!」

 

 そう言って、珍しく仕事を早く終わらせた副局長(ちゃっかり自分の分(ココア)も手にしていた)からコップを受け取り、カンナは味蕾(みらい)一杯に広がる苦味を堪能する。

 汚い声をあげ続ける汚物たちと、それを運ぶのに四苦八苦する部下たちの悲鳴を背に、彼女は深い、深いため息を吐き出した。

 

 

 ー/ー

 

 

 地上で起きている逆転劇は、そのままモニター上でも確認された。

 味気のない、青い平面図を覆い尽くしていた赤い点が、みるみると消えていく。

 

 「すごい…。あんなに赤かったD.U.が、あっという間に」

 「これぞ、「青き清浄なる世界」って感じ?」

 「…それ、どこのアニメからの引用です?」

 「バレちった?…って、リン代行、どこに行くんですか〜?」

 

 どこか憑き物が取れたかのような表情を浮かべ、『七神リン』は軽く身支度を済ませると、顔を見合わせる二人をよそに部屋を飛び出していった。

 廊下を走ることなど、普段の彼女からは想像もつかないだろうが、彼女はこの時駆けた。

 階段を駆け下り、足首の回転軸を効かせ、若鹿のように軽やかなステップを描く。

 とはいえ、廊下なのだから、当然誰かが歩いてくるわけであり…。

 

 「きゃっ!…リン代行?!どうして、貴方がここに?」

 「アオイ、ごめんなさい!あとで、正式に謝罪しますから!」

 「ちょ、ちょっと待ってください!せめて、適当(てきとう)な靴を見つけてから走って!

 「!」

 

 アオイは、謝罪も半々に走り出そうとするリンを引き止める。

 至極真っ当な意見を聞き、リンの優れた頭脳は、「ハイヒールは走ることに向かない」という当然の真実を再発見した。

 だからこそ、彼女は思い切る。躊躇なく自分のヒールを脱ぎ捨てる彼女に、アオイはあまりのはしたなさに顔を覆った。

 

 「()()とは言っていません、先輩…」

 「アオイ、()()()()

 「()()()()()()…。ああ、もう!

 

 先輩の行く先に、何が待っているのだろうか?

 窓際に自分の分のヒールも並べ、去っていく背中を追いかけようとしたアオイだったが、ふと()()が過った。

 「非常用エレベーターを使えば良い」という彼女の叫びを聞き、ここまで二十階も駆け下りたリンは、ようやく足を止めた。

 

 「一体どうしたんですか、先輩?そんなに、はしゃいで…」

 

 そう言って、エレベーターを待っている間に買ってきたのだろう。出来る後輩からミネラルウォーターのボトルを受け取り、一息つくリン。

 喉を通り越していく爽快感と共に、先ほどまでの火照りが少し引いていったことで、思考に冷静さが戻ってきた。

 少しの間、静寂がエレベーターを包む。

 

 「…貴方も見たでしょ、あの白いロボットたち」

 「ええ、遠目にしか見えなかったので、形まではなんとも。…あれが何か?」

 「少し、昔話をしましょう。…ヴァルキューレが出来る前、この地は長い間、ロボットたちによって治安が維持されていたの」

 「もしかして…」

 「そっ、正式な名称は『ミュルミドーン』。古い神話で、アリから転じたという忠実な兵士から名付けられたロボットたちは、D.U.をよく守っていたと言うわ。

 …だけど何代か前の生徒会長が、「()()()()()()()()()()()」と主張して、彼らの「無期限(むきげん)」の活動停止を『N.E.S.T.』に掛け合ったの」

 「……12代目の頃ですか。確か、ヴァルキューレの創立者ですよね?」

 「ええ、そうよ。彼女とN.E.S.Tは長く協議したようだけれど、やがて合意が結ばれた。N.E.S.Tは治安部門を凍結し、代わりに生徒会から選抜された者たちが、「警官(ポリス)」としてその役割を負うようになったの」

 「それは…。N.E.S.T.の側に、不利が大きいようにも思えますが」

 「勿論、N.E.S.T.も、これを()()()受け入れたわけじゃない。ある条件を設けたの。

 

生徒会長の代替わりの際、この凍結は随時更新されるべし

 

 と」

 「あくまでも「黙認(もくにん)」した、と。…でも、待ってください。「随時更新(ずいじこうしん)」って」

 

 そこまで言って、アオイは何かを察したのだろう。

 到着したことを知らせるベルが鳴り、リンは静かに頷いた。

 

 「では、先輩。()()()()()()()()()?」

 

  撤去作業を行なっているのだろう。建物の損傷箇所を、器用にマニュピレーターで修繕する『ミュルミドーン』たち。

 好奇心の強い会員たちがちょっかいをかける姿を横目に、二人はタワーの正門階段を降りていった。途中、行き先を問いかけたアオイは、返ってきた答えに眉間を揉む。

 

 「『S.H.A.L.E.』よ」

 「…因みに、「()()」は?」

 「……この「()」でなくて?」

 

 …今日は「()()()」と言う選択肢がよく当たる。

 自らの脚を指差す姿を見て、成り行きに委ねようとしていた自分を責めたくなった。

 

 「……確かに徒歩で行ける距離ではありますが、状況を考慮してください!」

 「徒歩で行けるのでしょう?むしろ、考慮に入れた上です。

 先頃の暴動で道路の被害は大きいでしょうし、車だって使える物が残っているかどうか…」

 「先輩?

 

 ふと静かになる先輩の姿に、嫌な予感に駆られる。

 目があったのだろう。リンの視線に気づき、作業の手を止めた『ミュルミドーン』が一機。

 まさかと思うもなく、振り返った彼女は、いたずら少女のような笑みを浮かべた。

 

 「()()()()()の乗り心地はどうかしらね?…アオイ」

 

 …風に吹かれるドライブは、思いの外、快適な乗り心地であったとだけは言っておこう。

 




/Kivotos/Log.1 end.
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