『
ヴァルキューレのデータベース『ノルン』に記載されていた経歴は、以前又聞きしたG5を思わせるほどの物だった。
数年前に『トリニティ総合学園』の学籍を剥奪され、そのまま放校処分を下されている。
そのブラックリストをアロナが入手してきたことから予想はしていたが、悪い意味で波乱万丈の半生を送ってきたようだ。
『ノルン』のレポートは数頁に渡り、前半の模範的な内容から様変わりするように、後半は一歩「深み」へと踏み入れる昏い物になっていった。
ー向脳薬『ハイスペック』の専売カルテル『パー・ドゥ・トゥー』
かつて、トリニティの
本人の申告通り、決して高い位置にいた訳ではないが、だからと言って努力は欠かさなかったようだ。特に「
被害者の証言、そして「写真」に始まる二次資料からは、河駒風の
「正直な所、コイツを形容する言葉はただ一つ…」
始業初めの署長室。
朝日の中、『ヴァルキューレ警察学校』の署長にして、『公安局』の局長を務める『尾刃カンナ』は、その爽やかさと無縁のように思えた。
静かに、しかし確かな嫌悪感を滲ませながら、彼女は吐き捨てる。
「
「……」
「……ご存知かも知れませんが、かつてキヴォトスで進行していた汚染は酷い物でした。酷すぎて、一周回って「
数多の学園都市が乱立する『この世界』特有の事情が、問題をより一層深刻なものにした…」
書類の山から逃げるように通された先は、来客向けに誂えた簡素な応接間であった。
ミレニアムに比べれば予算不足は否めない調度であったが、それでも最低限の機能は備えているらしい。
彼女が手元のタブレットを操作すれば、ホログラムの青光が浮かび上がる。
「これは、我が校の『オルトリンデ』…。つまり、現場に立ち入る事を許された新人向けの映像資料です。…一応、確認はしておきますが、かなりの暴力描写が含まれます。大丈夫ですか?」
「嗚呼、問題はない。それなりに耐性はある」
「
やけに含んだ言葉だったが、彼女は「
「…失礼、では続けましょう」
そう言って、画面をタップする
タイトルは、『麻薬戦争の真実 ー我々はいかにして戦い、いかにして勝利したかー』。
題名から漂う堅苦しさの通り、非常に堅実な構成で作られたそれは、一級の映像資料と称して良い出来であった。
「…ご覧になって頂き、幾分お分かりになったかと思います。
しかし実際、『ハイスペック』を巡る一連の攻防は、かつての『管理独立戦争』に匹敵する程の「戦争」でした。
その時、まだ一介の巡査部長に過ぎなかった私は、鉄火場とはいかなる物かを間近で味わう事になったのです」
午後の光の中、瞼を閉じ、尾刀は静かに映像の補足を始めた。
「私はこの戦争で多くの
しかし、「
…戦後『ヴァルキューレ』を去った者は、昇進した者たちのそれを遥かに上回り、その後の
それだけ、キヴォトスにおける常識が悉く覆された「
敵はあまりにも多く、そして力も想像以上だった…。
手始めに『
「……」
「他にもこの戦争を由来とした技術が、キヴォトスの裏社会で長く蠢動していった。
狭い街路に適応した『テクニカルタンク』。投石、棍棒といった原始的な武器の再発見。SNSを通じた国際的な犯罪網…。
私の恩人は、よくこう口にしていたものです。
ー「戦後」という言葉はない、あるのは次の戦争への下準備だ
と。
そして、それはどこまでも「現実」だった…」
そこで一拍置く尾刀。
癖なのだろうか?吐き出されたため息は重く、しかし彼女は続ける。
「…とはいえ、今回のN.E.S.T.の復旧がそうであったように、あの時もまた、思いもよらない一手が打たれました。
先日訪問されたミレニアム・サイエンススクール。その生徒会長である『調月リオ』。
まだ就任して間もなかった彼女は、しかし『ビッグシスター』として、戦争の先陣に立ちました。
…まあ、荒事に向いていない質なのは、実際に会って感じ取れたでしょう。とはいえ、彼女の徹底的な行動が、異なる学園間を結びつけ、争乱を終結へと導いたのです」
どこか懐かしさを伴ったそれは、話の転調を伝える物であった。
「一応は把握しているつもりだが、やはり当事者の口から聞きたいものだ」
「そうですね……、例えるのならば、「
全くの畑違いですので正確には違うのでしょうが、私たちは起きた事件に対して、都度それに反撃する対処療法を取っていました。
ですが、彼女が取ったのはその正反対。外科的な手段によって、問題そのものを切除しようとしたのです。
お恥ずかしながら、「
「
その単語が、頭の中に思い浮かんだ。
「調月リオのもたらした革新は、この世界に新たな技術をもたらしました。その一つが『ノルン』です。
現在はヴァルキューレが主に運用・管理していますが、元々は『戦争』に関わった「
捜査の円滑進行のために開放された、「犯罪の百科事典」。
学園の区別なく「
「それで色々と業務が増えたのも、また別の話というやつなのですが…」そう言って、彼女は笑って見せる。
……おそらく皮肉込めたつもりなのだろうが、ウィットというには、幾分「
「何か?」
「いや、
「……」
どこか、胡乱げな目つきでこちらを見る尾刀。
「はあ…、まあ良いでしょう。話を進めます。
…件の『河駒風ラヴ』ですが、すでに「その人生」が『ノルン』に入力されている、
実際、今回追加されたD.U.の罪状でも、「公共物の損壊」から始まり、「私物の意図的な破損」、「強盗及び恐喝」、「複数市民への過度な暴行」等々…。
正直なところ、もうウンザリするほどの余罪を重ねています。
そして、ミュルミドーンたちの監視を掻い潜る「
これで、まだ『再教育過程』に放り込まれていないのが、恐ろしいぐらいです」
頷く以外に他ない。
河駒風の犯した罪は、それだけ大きいものだった。すでに手遅れと呼んで差し支えないほどに…。
「先生」
「…なんだ?」
「私はふと思ったのです。何故これほどの極悪人が、
「……なるほど、俺の
「そこまでの物ではありません。…ただ、疑問に感じたのです」
彼女が送るのは、疑念の眼差し。
それこそ飽きるほど目にしてきたが、しかし今は懐かしささえ感じながら、俺は正直に答えた。
…ここは別に、コンクリートの取調室ではないのだから。
「最初に言っておくが、俺は宗教家でもないし、
「……」
「ただ歳のせいか、その反応も鈍くなって久しい。
一応、常に防弾チョッキを着込むぐらいの自衛策は取っているが、言ってしまえば「それだけ」だ。
そんな老人を脅すぐらいならば
「………」
…この場合の「沈黙」は、往々にして続きを促すサインだ。
随分と地に足のついた反応に、経験豊富なG2を思い出した。
ー
その先がベイラムの軍警だったのは、最初なんの冗談かと思ったものである。
色々と、
「…俺が河駒風と出会ったのは、つい二日前の事だ。
「…なるほど」
「「出頭」が遅れてしまったことに関しては、弁解させてもらうのならば、あいつの欠乏状態の治療をまず最優先にしたからだ。
とはいえ、キヴォトス人の頑健ぶりには驚かされるばかりだったがな…」
「それについては、奴自身の持って生まれた物だと言えるでしょう。『ダチョウ』の渾名は的を射ている。
それに加えて、動き方も特異的です。
実際、「撃つ」よりも「
「…」
「先生、改めてお聞きします」
「……嗚呼」
ー
…念を押すかのように圧を込め、強く問いかけられる。
俺の口から出力された「言葉」に、胸元を数回、軽く叩くような衝撃が伝わってきた。
ー/ー
「で?」
ヴァルキューレの玄関口で、二人の警官に挟まれていた河駒風であったが、予想よりも大人しい。投げやり染みた疑問が発しながら、先日の様子とはうって変わった塩らしさに、意外の念に駆られる。
どうやらヴァルキューレにとっても珍しいようで、時折彼女に注がれる視線には、嫌悪感と共に僅かな好奇心も含まれていた。
「
「「…はい!」」
「……はっ?」
目の前で行われる事に理解が追いついていないのだろう。
呆気に取られた彼女を置き去り、手際良く解錠を終えた警官たちは、そのまま「待ち」の姿勢を取った。
その合図を受け、尾刃の口が開かれる。聞こえてきたのは、どこまでも威厳を感じさせる重々しい声。
「
その一言が、場に響いた。
「…はっ、冗談にしてはキツいわね、ヴァルキューレの署長さん?沸かすのはコーヒーだけにぃっ?!」
続く言葉が発せられる前に、一人の警官が向こう脛を蹴り飛ばした。
心なしか、私情も交えた一撃にもんどり打つ河駒風。
辛うじて膝をつけないのは、どこまでも意地なのだろう。冷やかな目が返ってくるのを承知で、彼女は下手人を睨みつけた。
「イッタいわねぇ…!」
「…調子が戻ったようで何よりだ、河駒風。貴様の顔を見ていると、本当に沸くものが沸いてきそうなのだから、始末に終えん」
「それはどうも…。『マイセン』*1のカップを用意してあげましょうか?」
「いらん。汚水で手を洗うような奴からは尚更だ。…まだ、
「いいえ、むしろ貴官と同意見でありま〜す。署長閣下殿〜」
ふざけた仕草は敬礼のつもりなのだろうか?不思議と様になっているのが、尚更癇に障ったようである。
僅かに身じろぎした警官を鋭く目で制すと、これ以上の面倒事は懲り懲りだと言わんばかりに、彼女は黙って「その先」を指差した。
「
「……マジで何言っているの?」
「私の忍耐を試すな、「
…この人と一緒にな」
そこまで来て、ようやく俺がいる事に気がついたのか、彼女の目が驚きで見開かれていった。
「アンタ、どう言う…」
彼女の言葉を遮るように、有無を言わさずその腕を掴む。
…自分でも驚くほどに機敏に動いていた。
尾刃たちに短く別れを告げ、ヴァルキューレの敷居をくぐり抜ける。
杖をついている分、どこまでも遅い足取りであったが、河駒風は無言のまま着いてきた。
ー/ー
「S.H.A.L.E.の先生、か…」
「えっ」
「署長…?」
…耳ざとい物である。
だが、その疑問にはあえて答えない。
二人は首を傾げながらも、彼女が手を一振りすれば、敬礼と共に次の職務へと向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、しかし尾刃カンナはその場に佇ずみ、出口の向こうに広がる青空を見つめる。
「くれぐれも、リードを外さないように。…お願いしますよ」
『先生』
その呟きは遠く、吹き込んで来た迷い風が運び去って行った。
ー/ー
「……アンタ、どう言うつもりなの?」
「どう、と言われてもな…」
「はあ?…まさか、よく考えずに私を連れ出したって訳?」
しばらく歩き続けていると、河駒風がようやく声を上げた。
そして、その言葉と共に、
…
……
………。
…………腕が
「ほう…」
「何?」
「お前ならば、とうに俺を振り払い、どこかへ行くと思っていたんだが…」
「…そんなに馬鹿だったら、私もアンタも、とうの昔にくたばってたわよ」
「なるほどな…」
俺は掴んでいた腕をようやく離す。
掌を見れば、僅かに汗ばんだそれ。随分と長く掴んでいたものだ…。
そう思っていると、中々に直球の罵倒が飛んで来た。
「キッモ…、「汗フェチ」って奴?他人でイく変態はゴマンと見てきたけど、自分のでって奴は初めてね。…新種?」
「少なくとも、そう言う「
「ちっ…。通じてるんだか、通じてないんだか…」
「世代間の隔絶ってやつかしら…」そう毒づく彼女は、すっかり調子を取り戻したらしい。
相変わらず元気な事である。
「…何よその目」
「いや、少なくとも元気が戻ってきたと実感してな。スラングの切れはまだ鈍っているようだが…」
「はっ!私にも「波」ってやつがあるの。時には高く、時に低く。…言っとくけど、『
…前言は撤回する必要がありそうだ。
「お前の、その
「そうね…。これから長くお付き合いしそうだし、諦めて受け入れて頂戴」
「ていうか…、アンタって
「お前の言う『ノブリス』たちのような生活を送ってきたか、というと否だ。どちらかというミレニアムの方が近いな」
「嗚呼、あの「引きこもり」どもの事か…。確かに理屈っぽいところはそうかもしれないけど、むしろ、うちの『インペラトール』*2どもに似ているわ。
軍人のくせして、「ウイスキー」*3をしばいてそうな所とか。
…オーララッ、嫌だ嫌だ!想像するだけで鳥肌が立ってきたわ」
「軍人といっても未成年だと思うが…」
「言葉の綾ってやつよ、
そういって、何処か白々しさを醸し出す河駒風。
何かを隠しているようだが、詮索するだけ無駄だと思い、これ以上の追求はしないでおく。
…そこで、はたと気づいた。
「お前は、どうやら俺についてくる気のようだが…」
「はっ?そのつもりだったんじゃないの?」
『…「面の皮が厚い」と言う意味がよくわかりました』
『問題なさそうなので、もう一度吹き飛ばしておきましょうか?』
そう物騒な提案をしてくるアロナを制する。幸い相談する程度には、河駒風への警戒心を緩めてはいるらしい。
あいも変わらず、頼もしいことである。
「…今更、
「嗚呼、S.H.A.L.E.の規則に則ってな。言葉は違えん」
「
そういって、何処となく苦虫を潰したような表情を浮かべる河駒風。
…スラングにしろ、妙に様になっていた敬礼にしろ、その「
記憶の片隅で、「
あの男ならば、張りのあるドラ声と共に、どんな人間も歓迎したのだろうか?
思い出せば、G4・5も元は博徒だったし、G3に至っては一つの経済圏を壊滅の瀬戸際に追いやったカルテルの首魁である。
「なるほど…、今更か」と思えば、ふと彼女と目が合った。
「ねぇ…、何か言いなさいよ」
「…昔、世話になっていた奴が、お前と似たような経歴の人間を無理やり軍隊へと引き込んだ」
「えっ、なに突然。……ボケた?」
『本気で吹っ飛ばしますよ!この負け犬!!』
…『アロナ』が早速、影響を受けたようだ。
少しばかり、その学習能力に制限をかけるべきか提案してみようと思いつつ、目の前で手を振る河駒風を制止する。
目が合えば、こちらを見つめてきた。どうやら、心配はしているようである…。
「話を続けるぞ…。そいつは軍に入るのを頑として拒んだが、このまま放置していれば、確実に廃人になる事が決まっている人生を生きていた…」
「は、
「言葉通りの意味だ。…男、『ミシガン』はそれを知って、どうしたと思う?」
「……いきなり?」
不機嫌そうに、しかし考え込む彼女。
しばらくして、捻り出した答えは中々「らしい」ものであった。
「
「正解だ」
「えっ、マジで…?言っちゃあれだけど、私らみたいな奴に「喧嘩」ふっかけるとか…。生きる気あんのそのオッサン?」
「いや、
「えっ、…
「ああ、勝負は3本。ミシガンが高名な軍人である事に難癖をつけた男が、「
ー
…それで生き残ってきたのだから、今回も行けると思ったのだろう。
ソイツは若く、そして経験に溺れていた。そして、どんなものにも「例外」があると言うことを、思い知らされた。
1本目は股間部を蹴り上げられ、2本目は鳩尾を、そして…」
「そして?」
「3本目にして、ソイツの顔は永久に変形する事になった。
「うっわ…」
絞り出された言葉は、何処までも実感の篭もったものである。
やはり、似ていると思ってしまった。世界も、人も違うはずなのに…。
「お前とソイツは似ている。…性別は違うがな」
「似てないわよ!…そんな命知らずじゃないし」
「「属性」の問題だ。
ソイツは賭け事を好み、無謀な選択を取りがちだった。お前はその点、鼻は効くと言えるが、取る選択が結果的に綱渡りになってしまう。
確かに違い、しかしよく似ている」
「……」
「ミシガンに引き取られた男は、やがて軍の中で5位の地位へと上り詰めた。その躍進には、身がすくみあがるほどの扱きが合ったという。
…それがアイツのやり方だった」
「……アンタは、どうなの?」
何処までも、それは深い目だった。
こちらを探りながら、疑い、怒りを抱き、そして…、その奥底には幼い不安を覗かせる。
…思えば、俺もこんな目をしていたかもしれない。
「安心しろ。俺もヤツに扱かれたが、結局は逃げたクチだ。その点では、お前と似たもの同士だと言える。
…
「……」
「お前を引き取る形になったのは、言わば俺がS.H.A.L.E.の『先生』であるからだ。
ー生徒からの求めある限り、これに無条件で応えるべし
…S.H.A.L.E.の規約の最初に書かれた一文だ。
そして、俺はお前をそうであると判断した。どこの誰でもない、『河駒風ラヴ』をな」
「…………」
「俺も、S.H.A.L.E.も、本来ならば「路傍の石ころ」だ。
誰もが気付かず、通り過ぎていくだけの存在。
「……」
「…だが、だからこそなんだろうな。ここが、「そうあれ」と言われた者たちの居場所であってほしいとも思っている」
「えっ……」
……そうだな。
思えば、お前たちを見つけたのも、こんな時だったかもしれない。
俺のハウンズ。
…結局、教えてやれたのは何処までも他者を傷つける業の道だった。
そこしか居場所がなかった、と言うのは言い訳に過ぎない。
…
……。
……お前たちは、お前は、怒るのだろうか?
新しい世界で、新しい居場所を作る俺を…。
「…S.H.A.L.E.は今後、拡大を始めていく。
近々ミレニアムで、とあるヘリコプターの譲渡式が行われる事になるが、その時3名の部員が新たに入ってくる。
お前と同じく、「敗れた者」たちだ」
「私と同じ…」
「先ほど「属性」の話をしたが、同じことだ。
今度は似てはいるが、飲んできた水が違いすぎる。
彼女たちと上手くやれとも言わん。慣れ合えとも命令はしない。この箱庭が、いつか窮屈に感じる時が来たのならば、その時は去る事も止めはしない。
だが…」
「
「お前がどう歩けば良いのか…、あるいは疲れてしまったのならば…。
その時は安心して立ち止まり、そして休むといい。
…俺はそのために、この組織を強くしていく」
「
…今はまだ、種の段階でしか無い。芽吹くのも、まだまだ先の話だろう。
その目覚めは遠く、険しい。
「S.H.A.L.E.は今、『人』を必要としている。
種をまけば、それだけで芽吹くわけでは無いように…。その成長を助け、見守る人間が必要だ」
「あんまり、合ってないと思うんだけど…」
「…そして、もう一つ重要な仕事がある。襲いかかる災難から、その「芽」を、「箱庭」を守る存在だ。
端的に言えば、「
「…そんなに、強くも無いわよ」
「強い者は、必要ではない。なまじ強さは容易く環境を乱す。
そもそも弱い者は、助ける存在だ。そして、俺が求めているのは「その中間」」
「………」
「データベース上のお前は、はっきり言えば「極悪人」で、実際そうだ。誰かを傷つけることに躊躇いを見せない。無軌道で、無鉄砲な人間だ」
「…言ってくれるわね」
「しかし、そうではない一面を、俺は「あの日」見た。
あの時の叫びは紛れもなく、この世界の、その大地に足をつけた人間の言葉だった。
ー
俺は、その弱さを、その強さを信じるに足ると思った」
…そう言って、改めて彼女の顔を見る。
思えば、こうしてしっかりと見るのは初めてだった。
…赤い瞳、赤い髪、そして赤い「ヘイロー」。
燃えるようで、しかし血のように濃い。コーラルとは違う、もう一つの「生命」の色。
「……馬鹿な爺さん。アンタみたいな「テレサ」は長生きしないって、もっぱらのステレオよ」
「そうなれば、その時だ。「
「…それに巻き込まれる側はたまったもんじゃないわねぇ…。虫のいい話すぎない?私が言うのもあれだけど」
…
……
………
…………
……………。
(やはり…)
心の中で呟いた時であった。
「…良いわよ」
「………何?」
「「
「…………」
「へっ!アンタの驚く顔って、そんな感じかぁ…。悪くないんじゃないかしら、「S.H.A.L.E.の
…信じると言っておきながら、肝心の自分がその言葉を信じられないでいる。
そんな滑稽な姿を挑発するかのように、あるいは…。
河駒風は、何処か皮肉げな笑みを浮かべながら、こちらを見据えてくる。
「…言っとくけど、アンタの言っている事は半分も分からない。普通高尚な話は、シロアリ*4どもの専売特許よ。
私じゃなくて、神様と寝てる連中に向かって説法してやれって話」
「手厳しいな…」
「でも、アンタには助けられた。
…分かっている、私は罪を犯した人間で、
今頃、野良生活を続けていれば、シロアリどもに取っつかまって、
そして、今も」
「……」
「だから、なってやるわよ。「
「私が、
彼女はそう言って、笑ってみせた。
一歩間違えれば…。そんな瀬戸際にいながら、その何処までも溢れる眩しさに、思わず目を瞑りたくなった。
「「
「勲章じみた、偉そうな名前はいらないわ。…まっ、とんと縁はなかったんだけど」
「…「犬」は一匹で十分だ」
「あら、もう飼ってたの?だったら、二匹目を養うぐらいの
「……どう「
「三つよ、
「………基本的なものだが、それで良いのか?」
「この数年のプーみたいな生活で分かったことは一つだけ…。
ー私が、何処までも単純な人間だった
ってこと。
食べることが好き、寝ることが大好き…。そんで、腹の中からクソを放り出すのがだ〜い好き!」
…これは手強い。
「…しばらくは、コンビニやスーパーの惣菜・弁当が中心になるぞ」
「レンジはあるの?」
「ある」
「ならいいわ、温かく出来るのならば大歓迎。お湯は…?」
「あるが、お前のいう「
「別にいいわよ、火の付け方は分かるし」
『
「……一階に『エンジェル24』*5がある」
「えっ?!あのコンビニ、まだあったの!?てっきり「ライヒ」*6にぶっ潰されたのかと思ってたのに」
「あそこのホワイトソフト、美味かったのよねぇ〜」そう言って懐かしむように、顔を綻ばせる。
それは、彼女の知っている過去。
そして、俺の知らない歴史…。
「…後二つに関しては、気にするな。
幸い、S.H.A.L.E.のビルは広い。お前と他3人が入っても、十分に余る数の個室がある。
無論、必要な設備は全て整っている。「寝床」も、「便所」もな」
「ふぅ〜ん。…共有の物はないの?」
「……逆を聞く奴は初めてだな」
「だって、基本は「
「…少なくとも、野良犬に戻すつもりはない。オフィスに併設された物を使え」
「了っか〜い。…で、
「やれるのか?」
正直な所、レッドガンでも「
新兵時代は手練手管を駆使され、よく掴まされた物である。
ミシガンはむしろ率先してやっていたが、さすがにその遠足について行く奴は数える程だった。
ーどうでも良い所を綺麗にすれば、いずれは汚物が逆襲を図るぞ!
…「
「ノブリスどもと一緒にしないで。…てかっ、知ってる?あいつらが踏ん張った物を、ビーズが高値で取引しているって話」
『聞くに堪えず、どこまでも無価値な話ですね。いい加減ジャムったミキサーから、吐瀉物を吐き出さないで欲しい物です」
半ば本気で、「黙らせますね、先生?」と笑顔に圧を込める『アロナ』。
そろそろ、彼女の我慢は限界に達しているらしい。
…悪いが、もう少し彼女には忍耐強くなってもらおう。それが誰かを受け入れると言う事なのだろうから。
「では、任せて良いのか?」
「少なくとも杖をついた爺さんよりもね。まっかせなさい!これでも、便器の裏側も
「…手袋を支給しよう。簡単には破れない物だ」
「あら、ありがとう。これで舐めてる奴の血で汚れずに済むわ」
「……
「了解しました、躾好きな「
……一瞬フリーズする。
まさか聞くとは思わず、そんな「言葉」がある事さえ久しく忘れていた。
一拍置き、ふと気づく。
…そう言えば、
あまりの滑稽さに、いつの間にか気の抜けるような声が漏れてきた。
『先生…?』
「えっ、何?…私、なんか変な事言った?」
…俺も『アロナ』の事は言えない。
空を見上げれば、どこまで広がる青空に、なぜかアイツの顔が浮かび上がった。
ー笑えたじゃないか、ウォルター?
ニヤつきながら、そう語りかけてくる。
「…嗚呼。そうだな…『カーラ』」
『…やっぱり』
「…ふふっ」
「……ねえ、無視しないでよ」
「ふっ…。……いや、済まなかったな、少し昔を思い出していた」
「昔って…」
「お前にもあったのだろう?俺にもあったと言うだけだ。…そして、そこから随分と変わってしまった事に、少し…」
「……」
「少し、
これほどまでに清々しい気分は、そうないだろう。
死んだ先は地獄かと思っていたが、どうやら神様と言う奴は存外適当らしい。
今は、その差配に感謝さえ抱いている。
ー
、と。
「…改めてまして、というやつだ。
俺は『ウォルター』。昔は「ハンドラー」の二つ名と共に、『
そして巡り巡って、今は連邦捜査部『S.H.A.L.E.』の顧問を務めている。
…もう分かったと思うが、俺を指す名は色々だ。
『先生』とも、『ハンドラー』とも好きに呼んで良い…。お前に任せる」
「……じゃあ、私も自己紹介って奴をやってあげる。
『
むかつく連中の下で、
まあ…、他に行く所もないし、ご飯と寝床をくれるんだったら、アンタの言う事を聞いてあげるわ。…よろしく、『
『ウォルター』
…彼女は、俺をそう呼ぶ事に決めたようだ。
その選択に安堵し、そして…。
『先生!その先のバス停に、外郭行きの便が来ます』
「…河駒風、バスが来」
「『
「……どうした、『ラヴ』?」
そう名前を口にすれば、彼女は満面の笑みを浮かべる。
「何でもないわ!…てっ、置いて行くわよ!」
そう言ってこちらに背を向け、走りだすラヴ。
足取りはどこまでも軽く、跳ねるように前へと駆けていく。
その後ろ姿に、何故か「お前」の姿が重なってしまった。
『…あの人、お金を持っていましたっけ?』
「トリニティの「
「ウォルター!バス代、奢ってぇ〜!!」
慌てて駆け戻ってくるラヴ。
「……帰るのが遅れるな、これは」
『全くです!』
杖をつき、一歩踏み出す。転倒しないよう、注意を発した時のことだった。
何処からか、そよ風が吹いてきた。
「やはり、「お前」には似ていないな…。『621』」
案の定、転んでしまう彼女。その姿を見て、そんな呟きが出て来る。
そうだと言わんばかりに、風が頬を撫でていった。
ー/ー
『新着メッセージ、一件』
ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「先生、こんばんわ。『尾刃カンナ』です」
「…先日の一件から、既に1週間が経ちましたが、ヤツは存外に大人しく過ごしているようですね。
とは言え、失礼を承知で言いますが、ああ言う輩の染みついた「
「…緊急番号に問題はありませんか?「110」、これがD.U.での番号となります」
……
………。
「…正直な所、この時期のキヴォトスを、あまり出歩かないで欲しいと言うのが本音です。
表面上は穏やかでも、波の下には常に渦が巻いている」
「この世界は、現在大きな変動期に入りつつあります」
「その渦中の一つが、貴方が出向く事になる『ミレニアム・サイエンススクール』です」
「…ミレニアムは、色々と厄介な学園だ。
歴史的に新興の学園であるが故、『校外列強』*7の干渉に長く晒されてきました。それを跳ね除ける為に、彼女達は強力な
「しかし圧力が強まれば、もう一方では反発する力も大きくなっていく。
その行き先を求め、生徒達が手を出したのが、「
「『ハイスペック』に限らず、ミレニアムの「
「我々は『コロニー』と呼んでおりますが、かの学園の裏社会は、キヴォトス全域に「菌糸」を張り巡らせた巨大地下ネットワークの様相を呈しています。
体制は根絶のため、幾度となく土を掘り起こし、駆除剤を散布して来ましたが、枯れたのは所詮一部に過ぎません。
むしろ学習能力に長けた「菌類」たちは、より深く、より柔軟に、そしてより強固に根を張っていった」
「その現状に、『調月リオ』は終止符を打とうとしている。
あの『鉄血宰相』の後継に相応しい、苛烈な弾圧と粛清によってです」
「…例えるのならば、それは土地をショベルカーで丸ごと掘り出し、全く異なる土壌へと作り変える様な物。
どこまでも徹底的に、そして無慈悲に、彼女はミレニアムの「
「今、かの学園で進行しているのは、『第二次麻薬戦争』と呼んで差し支えないものです。
その短期的な戦果として、今回の譲渡式の「意味」は大きい。
ー
…これ以上の劇薬はありませんが、ビッグシスターは千載の好機と捉えているようです」
「彼女の標的は、「宿主」たち。つまり、
「最優の生贄によって、最大の恐怖を植え付ける。
ーこれほどの部活が『セミナー』に屈したのならば、
、とね。
どんな薬も患者がいなくなれば、無用となるものです。
…恐らく「目論見」は、成功するでしょう」
…
……
………。
「先生、例え貴方自身がそう自覚されなくとも、S.H.A.L.E.は既に「一つの渦」を形作り始めています。
その胎動に、「
「今回の譲渡式についても、あくまでそちらの「
ヴァルキューレは、あくまでも「
……申し訳ありません」
「………ただ昨日、偶然「
話をしていくうちに、貴方にいたく興味を抱いたようで、是非顔を合わせたいそうです」
「観光でこちらに来ていたようですが、たまたま譲渡式の前日に帰るようで…。
先生、貴方にはそのお誘いが来ています。
「少しばかり「プライベート」を気にされる方ですので、ここでは名前をお伝え出来ませんが、代わりに言伝を預かっております」
……
………。
「(咳払い)……。
「
…白日の下、オデュッセイアの港町。輝くのは、白亜のビーナス。
フォルトゥナの車輪はアッピアの道を辿り、やがてルビコンの岸に佇むのでしょう。
迷えるアリアドネの手を取るのは、英雄でもなく、
それは一人の人間だけ。
……メロスよメロス、私を見て、私の手を取って。
貴方の瞳に映るのは、ヒュパティアでもなければ、カサンドラでもない。
悲劇ならば嘆き、喜劇ならば笑う。私はそんなリュディアの娘。
糸を紡ぎ、貴方を待つ。
開かれた戸口で、貴方を待っている…
」
………との事です」
「少しばかり抽象的で掴みにくい方の様に思われますが、実際お会いすれば、
むしろ、「
「…すっかり、おしゃべりが長くなってしまいましたね。
明日は早くなると思いますので、そろそろお休みになられるといいでしょう」
「良い夢を、『先生』」
/D.U./Love end.