キヴォトスに、灰が降る時   作:イサコウ

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Diaspora
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ーー

 

 

 【メッセージログ#20A378】

 

 

 ………………………………………

 

 「チーちゃん、本当に良いのですか?」

 

 「開口からそれって、時間がわかってるの?明星部長」

 

 「……失礼、でも、どうしても貴方に聞きたいのです」

 

 「なーに、部長?今更臆病風に吹かれたとか言わないでよね?」

 

 「…貴方のことです。もうすでにいくつかの企業から声が掛かっていることは知っています」

 

 「ああ、その話ね…。まっ、今までの地道な努力の結果ってやつなのかな?」

 

 「そうでしょうね、そうなのでしょうね。だからこそ飲み込めないのです」

 

 「どうして?」

 

 「そのキャリアを捨ててまで、ミレニアムに残るということです!」

 

 「まだ納得していなかったの?言ったでしょ。私がそうしたいから、そうするだけって」

 

 「……どうしてもなのですか?」

 

 「他人の振り見て、我が身を直せ。…知ってる?私、結構部長を真似して来たところがあるんだ。みんなから真面目だって言われているけど、ここ最近の私って結構自由気ままに、あちこちをブラついていたんだよ?」

 

 「……」

 

 「……まっ、それも、もう良いかなって思えたのが一つ。正直、デスクにじっと腰掛けて、モニターと睨めっこをするのもごめんだしね。要は、どっちもやりたくないってこと。

 むしろ、今の役割には「天職」さえ感じている。部長だってそうなんじゃないの?」

 

 「……どういう意味でしょうか?」

 

 「別に逃げたいから、逃げるわけじゃないんでしょって事。見つけたんじゃないの?「ベストパートナー」ってやつ」

 

 「どうして…」

 

 「部長って、結構隠し事ができないタイプだよね〜。車椅子でD.U.まで出張するとか、普段インドアな貴方じゃあり得ない事だよ。

 多分『ダモクレオス』にも映ってるんじゃない?ウキウキし過ぎ」

 

 「……」

 

 「何年つるんできたと思っているの?それぐらい分かるよ。それに色々と吹き込まれてきた身からすれば、今回は確かに大チャンスだと言える。

 これを逃せば、次は「ない」。

 リオはそこら辺、絶対に手を抜かないからね」

 

 「あの女は、確実に貴方もマークしているはずですよ」

 

 「それでも部長ほど派手じゃないし、それにもう足を洗った身。堂々としていれば、大抵の厄介ごとは切り抜けられるよ。

 私も、『基礎学力向上部』もね。

 だから安心して「亡命」しなよ、S.H.A.L.E.の所に」

 

 「…でも」

 

 「あ〜、もう湿っぽいな〜!…じゃあ、退屈しないようにタスクを上げる!」

 

 「なんですか?」

 

 「うちの「引きこもり」どものこと。

 良い加減苦労知ってもらう絶好の機会だしねぇ。「ママ」への感謝を覚えるまでは帰ってくるな!ってね」

 

 「……ふふ、これはこれは。とんだドラ娘たちを預かることになりそうです」

 

 「言っとくけど、くれぐれも甘やかさないでね?『お婆ちゃん』」

 

 「ふふ、たまにはおやつを挙げてもよくて?」

 

 「せめて、スープにして頂戴。最近の食生活を見ていると、不健康ったらありゃしない。…一応、匙加減については口出ししないわ。他人様の鍋の味にはケチをつけるなってね」

 

 「任せてください!この清楚系天才美少女は、料理だって完璧にこなしてみせましょう」

 

 「じゃっ!任せた、明星ヒマリ部長殿」

 

 「…ありがとう、チーちゃん」

 

 

 ……………………………………… 

 

 

 【メッセージログ#20A378 終了】

 

 

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 ー/ー

 

 

 

 

 会場は熱気に包まれていた。

 

 大半は物見遊山の観客ばかりであったが、普段ならば交流のない学校からの生徒達も入り混じり、それぞれが思い思いの歓声を上げる。

 感情というには原始的で、言葉にすらならないエネルギーが一塊となり、やがて「一点」へと向けられていく。

 

 「見てください、この会場の凄まじい歓声を!ミレニアムの誇る技術の結晶が、今まさに空へと飛び出とうとしています!!」

 

 その興奮に当てられ、『クロノス・スクール』のリポーターは、負けじと声を張りあげた。

 心なしか目を輝かせ指差す先には、四つの回転翼が、ローターの重々しい回転と共に唸り声をあげ始めていく。

 

 

 『ML_EC/2000:シュトルヒ』

 

 

 「史上、前例のない巨大輸送ヘリコプターとなります!

 今回の『第二次ツンフト紛争』の調停に多大な功績を果たした、連邦捜査部『S.H.A.L.E.』に譲渡されることが決まりましたが、いや凄まじい存在感です!!」

 

 事前に用意されたカンペを読み上げながら、その高性能ぶりを声高らかにクロノス広域放送回線へと流していく。

 それは聴く者が聴く者ならば、すぐに然るべき場所に駆け込むほどの衝撃をキヴォトスにもたらした。

 

 「機体表面を覆う甲板は、甲虫のキチン質を参考に発展させた特殊素材『カーファイゼン』*1であり、今回ミレニアムの特許プラットフォーム『ダイダロス』へ新たに登録された新素材となります!

 

 元となった昆虫の殻の特性を受け継ぎつつ、それを更に大型化。

 そして強化されたことで、並の銃弾を容易に通さない堅牢な装甲を備えながら、同時に、従来の金属素材とは比べ物にならないほどの軽さを両立しています。

 これは、まさに「夢の新素材」と言っても過言ではありません!!」

 

 おそらくその性能の詳細は半分も理解してはいないであろうが、それでも熱のこもった解説は、彼女の昂った興奮を伝える。

 その熱に当てられ、多くの人間が画面に釘つけとなる中で、いよいよその時が訪れた。

 

 「キャっ!!

 

 その言葉が聞こえたかと思うと、カメラの画面があらぬ方向へと向く。

 一瞬の出来事に皆が唖然とする中で、それでも収音マイクから流れてくる「風」の音から、人々はすぐに察した。

 画面が輪郭さえままならない群衆を捉える中で、ただその歓声が放送回線を埋め尽くした。

 

 「早く早く!…あっ、あそこへ回して!

 

 …うふん!ええ、大変失礼いたしました!どうやら飛び立った際に、一瞬の強風が周囲に波及したようで、我々を含めた大勢の観客が巻き込まれる形になったようですが、問題ありません!

 

 それよりも、皆さん!あちらをご覧になってください!!」

 

 

 ーーそれは、一羽の「コウノトリ」だった。

 

 

 「S.H.A.L.E.のホワイトカラーへと塗装され直した『シュトルヒ』が、今燦然たる陽光を受け、大空へと力強く飛び上がって行きました。

 まるで、その行先を示すかのように、遥かなる青空が、その腕で抱擁しているかのようです!!

 そして、新たな門出を祝う祝福を、今、大観衆がエールを送っています!

 

 ご覧ください!!

 この歓声、この興奮、この世紀の一大スペクタクルを!!!

 

 熱気は膨張し、圧となって空を押し上げるテューポーンと化す。

 その手のひらの上で、小さなコウノトリは、しかしどこまでも力強く羽ばたいていく。

 

 「ほう…、見事なものだ。このマコト様を転ばせた英雄に相応しく、憎らしい力強さだ…」

 

 もんどりうった舞台から、半身を起こし、嘲笑まじりの賛辞を送るゲヘナの生徒会長。

 

 「…」

 「どうしたのナギちゃん?」

 「……」

 

 幼馴染の疑問に答えず、静かに画面を見つめる『ティーパーティ』の一角。

 

 【……】

 【………】

 

 沈黙を保ちながら、何処かのサロンでポーカーを嗜む二人の機械人。

 

 「うへ〜、すごいねぇ?アヤネちゃん」

 「はい!」

 「これが、S.H.A.L.E.…」

 「ふふ、シロコちゃん?誰も取りませんから、タブレットを独り占めしないでくださいねぇ〜♪」

 「ん…」

 

 未知の飛行物体に、どこまでも釘つけになる狼耳の少女。彼女の姿に苦笑いを浮かべながらも、微笑ましく見つめる4人の学生たち。

 

 「おお!!」

 

 大歓声が上がる。

 誰もが「その日」、空の彼方へと目をやった。

 

 

 道ゆく一人のトリニティの生徒。空き地でテントを張る四人のゲヘナの追放人たち。

 

 

 書類の手をとめ、窓の外を見やる二人のゲヘナの風紀委員会員。

 

 

 影に潜むヘルメット団。溜まり場で空を見上げるスケバンたち。

 

 

 ヴァルキューレの警官が、ワイルドハントのアルテが、オデュッセイアの船乗りたちが、

 

 

 誰もが立ち止まり、どこまでも広がる大空を見上げる。

 その先に白い閃光が迸るのを、皆確かにその網膜へと焼き付けた。そして心のどこかで、自然と理解する。

 

 

 「どうか気をつけて、部長…」

 

 遠く離れた小高い丘から、一団の学生たちに囲まれ、彼女は去り行く「コウノトリ」を見送る。

 今生の別れではない。

 それを理解しながらも、目尻に涙が溜まっていくのを感じ、気恥ずかしさと共に急いで拭った。

 心配そうな皆の顔を、一人一人と眺めながら、メガネを再び掛け直した彼女は満面の笑みを浮かべて、頷いてみせる。

 

 「さっ、みんな!教室に戻ろっか?」

 

 名残惜しさを収めきれず、しかし素直に従う学生たち。

 丘を降りていく彼女たちの姿を見守りながら、彼女は一瞬だけ、もう一度振り返った。

 

 

 

 

 (行ってらっしゃい…)

 

 

 

 

 大海の如く広がる青空。

 流れゆく雲が、ただ静かに告げる。

 

 その日、「世界」は新たな門出を迎えた、と。

 

 

 

 

ーー

 

 

 

 

 「どうぞ、先生」

 

 そう言って、机にカップが置かれた。

 湯気とともに漂ってくるのは、果実に似た瑞々しい香り。

 口を付ければ、久しくなかった感嘆のため息が、思わずついて出て来た。

 

 「…上等、というべきなのだろうか?少なくとも、インスタントでは到底出せない芳香だな」

 「まあ!お褒めに預かり光栄でありますわ」

 

 「ゲヘナから入ってきた新しい品種ですの」そう言って微笑みを浮かべるのは、一人のメイドだった。

 無論、家事手伝いとして雇ったわけではない。むしろ、こちらは「売り込み」に来られた側である。

 彼女、『室笠アカネ』はどこか蠱惑的な雰囲気を醸し出しながら、次のオーダーを待つかのように手を組み、そしてその場に佇んだ。

 

 「…座るといい」

 「よろしいのですか?私は『メイド』ですが…」

 「…まだ雇ったわけでもないし、ここは店でもない。それに美味いコーヒーを入れてくれた人間を立たせるほど無粋でもない」

 「…ふふ♪」

 

 「難しい『ご主人様』ですわ」

 そう言って、彼女は身にまとう優美な空気を崩す事なく、静かに目の前のソファへと腰を下ろす。

 

 一時(いっとき)の沈黙が場に流れた。

 

 「…それで、今回は挨拶に来たということだが、新しく開店する『C&C』とはどう言った喫茶店なんだ」

 「正確にはチェーン店でございますわ。

 キヴォトス全域という訳には行きませんが、少なくとも主要なエリアを一通り網羅していると言って過言ではありません。

 最近では、政情が落ち着いたゲヘナへの出店計画も企画されておりますし、それなりに脂の乗り始めたコーヒーショップと思って頂ければ、と」

 「なるほど。

 加えて、メイド姿のスタッフが給仕を行うというのも耳目を集めるだろう。ビジネスモデルとしても悪くはない」

 「まあ、とんでもない!

 我々は、本格派のメイドを自負しています。いつでも、どなたであっても、『ご主人様』に相応しい癒しと品格を提供すること。

 それが我々の矜持であり、そして『C&C』の理念でもありますから」

 

 そう言って、胸に手を当てる彼女は、どこか誇らしげな雰囲気だ。おそらく、そこに偽りはないのだろう。

 

 「…正直なところ、新興のミレニアムで、ここまでのノウハウを蓄えるのは生半可な道ではなかったはずだ。

 理解を得るのには、随分な「根気」と「時間」が必要だったのではないか?」

 「ふふ。それはもう、ここではとても言い表せないほどには…。

 とはいえ、我が校の探求者の方々は、意外にも奉仕を受けることに抵抗がありません。技術さえ身につけてしまえば、あとはミレニアムに相応しい衣をあつらえるだけで済んだそうです」

 「なるほど。留学先はトリニティか?」

 「ええ♪ あそこは、まさに伝統のお手本とでもいうべき学園ですからね。かくいう私も6年ほど、ノブリス*2の方々の下で修行を積んでまいりました。

 ミレニアムとは全く異なる別世界ではありましたが、その間に叩き込まれたノウハウは、今でもこの体の血肉になっています」

 

 「とはいえ、コーヒーの目利きはゲヘナで磨いたものですが…」

 そう言って、苦笑を浮かべるアカネ。

 

 話を人通り聞いてみただけでも、かなりの勉強家だと感じる。

 だからこそ、彼女の浮かべる笑みに含まれた「違和感」が、“それ”を告げていた。

 

 「…飲む水が違うのならば、考え方とて異なるだろう。トリニティにいた四年間は、想像を超える苦労があったはずだ」

 「あら、過分な評価ですわ。

 私などは、まだまだ修行の途上にあるアプレンティスでありますのに」

 「過分ではないだろう。もちろん過大でもない。ミレニアムの人間の性格は、俺なりの理解が固まってきた頃合いだ」

 「と、言いますと?」

 「……合理的にして、システマティック。伝統よりも革新を重んじる進歩主義者、というのが一つの結論だ」

 「まさに正鵠を射つ鋭い考察です。しかし、私などはどちらかといえば、古い価値観を好む方ではありますが…」

 「確かにそのようだな。とはいえ、やはりミレニアムらしい無頓着さも持ち合わせている」

 「おや、これは厳しいお指摘です。如何なる部分が、お気に召されませんでしたか?」

 

 

 『C&C』

 

 

 「風の噂で聞いた、ミレニアムの特殊作戦部と同じ頭文字のように思えるのだが、これは勘違いか?」

 

 …聞きようによっては唐突で、難癖もいいところの言葉だったが、彼女はわずかに首を傾げるだけにとどめた。

 

 そもそも取り繕う必要もなかったかもしれない。

 

 しばらく無言を保っていたアカネであったが、気の抜けるような音が聞こえたかと思うと、彼女は堪え切れず笑い声を上げ始めた。

 

 「ふふふっ」

 

 無論、ボリュームには細心の注意を払いながら、口元を手で押さえる。

 彼女はどこまで品格を崩すことはなかった。

 

 「まあ、先生は冗談がお上手なのですね」

 「…笑えるジョークを言えたのならば光栄だ」

 「いえ、とんでもございません。むしろ、ウィットに富んで、教養を踏まえたもの。何処(いずこ)かで、詩を学ばれた事はあるのでしょうか?」

 「そこまで恵まれた環境ではなかったがな」

 「あら、これはとんだ無礼を。申し訳ありません」

 

 そう言って、深々と頭を下げるアカネ。

 謝罪を制し、顔を上げさせる。

 そこでしばしの間を置くと、彼女は泰然としたまま、静かに言葉を続けた。

 

 「…とは言えご指摘は、いくらか的を射ています。

 私どもは『セミナー』の『テクノクラート』*3の方々と交流が深く、「私的なお願い」を託されることもしばしば。

 今回のD.U.本店の開設につきましても、幾人の方から、S.H.A.L.E.のウォルター先生に「よろしく」との言伝を預かっております」

 「なるほど、今後会うときは、土産物のアドバイスをお前に頼むとしようか」

 「ええ、その時は是非!

 私どもは、ご主人様からの相談をいつでも受け付けておりますので。どうぞ遠慮なく、喫茶『Cleaning&Clearing』をご利用くださいまし」

 

 そして立ち上がった彼女は優美な礼を一つすると、こちらに背を向ける。それでも声をかければ、すぐに「あの笑顔」と共に振り返った。

 

 「()()

 「はい、なんでございましょうか?先生」

 「肩書きのない素のお前ならば、いつでも歓迎する。今度は、ラフな格好で来るといい。…無論、その服であっても構わんがな」

 

 俺の言葉に一瞬虚を突かれたような表情が浮かぶ。

 だが、それもすぐに消えると、残ったのはここに来て初めて見る微笑みだった。

 

 「……先生、「(ひと)たらし」なんて言われたことはありませんか?」

 

 

 

 

 「()()()()ねぇ…。やだやだ、いい歳した男が鼻の下を伸ばしたりなんかして」

 

 どこか刺々しい言葉と共に、護衛役のラヴが口を開く。

 ここまで沈黙を保っていたが、どうやら相当溜め込んでいたようだった。

 

 「コンプライアンスという言葉がある、ラヴ」

 「そこら辺は勿論、分かっているわ。アンタって感じなさ過ぎて、少し心配になるレベルだし。

 さっきの伊達メガネだって、あれ多分トラップ要員よ」

 

 そう言って、彼女が手に取るのは、アカネが置いていったコーヒー豆の詰まった瓶だ。

 

 「この赤い豆って、確か最近になって流通している()()()ね。簡単にそんな気分になれるから、パピーどもによく売れるのよ」

 

 「ロボはともかく、私たちにも何故か効かないんだけど」

 そう言って、右へ左へ、彼女は手に持っていた瓶を弄んだ。

 

 「へえ、お姉さんって売人だったんだ?」

 

 その声に、一瞬動きが止まるラヴ。

 瓶を適当な場所に置いて振り返れば、イタズラ娘の様な笑みを浮かべる少女が目に入った事だろう。

 

 「あら?ミレニアムらしく、ずっと引きこもっているのかと思っていたけど…。

 意外と活発なのね、小鴨ちゃん」

 「えへへ。

 いやあ、「(コンテナ)」に続いて個室に缶詰だとさぁ、ずっと狭い場所だから、つまんなくて死にそうなんだよね〜。

 でもグラフィティで発散しようにも、そもそもスプレー缶がないと話にならないし」

 「…言っとくけど。もし壁にぶち撒けようなら、アンタの血で続きを描く事になるわ」

 

 そう言って、軽く脅しにかかるラヴだったが、面白い事を聞いたとばかりにカラカラと笑う少女に調子を乱された様だ。

 舌打ちを一つすると、コチラに一瞥をよこしてきた。

 …どうやら選手の交代を求めているようである。

 

 『小塗マキ』

 

 そう呼ぶと、存外に素直な返答が返って来た。

 

 「な〜に、先生?」

 「体調の方はどうだ。正直、「運び屋」は何度か経験はあるが、これほどの人数は初めてでな。

 あまり、広い箱を用意してやれなかったが…」

 「モーマンタイ!

 私を除けば、他3人は基本インドアだしね〜。だから、動かないのも苦じゃないんだ。

 くっら〜い部屋で、モニターに齧り付くのが習性の深海動物。それがウチら『ヴェリタス』って訳」

 

 「ていうか、先生。もしかして、結構な()()って感じ?」

 好奇心というには危うい物を滲ませながら、コチラを窺うマキ。

 芸術家という物は、かくの如き物なのだろうか?

 そう他愛のない事を思っていると、静謐でありながら、朗々と歌い上げるような声がオフィスに響いた。

 

 「まあ!それが本当ならば、私たちはとんだ「メフィストフェレス」と契約を交わしてしまった事になります」

 「あっ、部長!起きてたの?」

 

 音もなく車椅子を走らせながら部屋に入って来たのは、『ヴェリタス』の部長、『明星ヒマリ』その人である。

 

 「ええ、もう久しぶりの快眠で、晴れ晴れとした目覚めでした。それはともかくとして、マキ?」

 「わっ、お説教の予感…」

 「良いですか?『ヴェリタス』は誇りある独立系ハクティビストです。

 「深い水底でウジウジと待つだけしか能がない」などと、決して口に出しても、思ってもなりませんよ」

 

 「我々の一挙手一投足に、責任が伴うのです」

 そう言って、いかなる時でも節度あれと諭す姿は、まるで師弟のようである。

 とは言え、マキはあまり聞き分けの良い娘ではないようであったが…。

 

 「む〜、そう言われても…。

 最近活動は殆ど停滞気味だし、いざやる事だって全部『メデューサ』に潰されて、つまんないんだよねぇ。

 部長だって、あの監視プログラムの出鱈目さは分かるでしょ?」

 「…確かにそうですね。

 捕捉した“違法”ソフトウェアを、即時サーバーから追放(バン)する機能は無法といっても良いでしょう。

 ハッカーの食い扶持がなくなる訳です」

 「…何を言っているのか、一つもわかんないだけど」

 

 「これだからビーズ*4は…」

 そう言って小さく吐き捨てるラヴ。その姿を、どこか温かな目つきで明星は見た。

 

 「もし、プログラミングに興味がおありであれば、まずは「さわり」程度から始めてみませんか?

 「はあ?おちょく…

 「ラヴ、よせ

 …っち。分かったわよ、ウォルター」

 「おや…」

 

 どこか興味が惹かれたのだろうか?

 俺たちのやりとりを見て、微笑みを浮かべる明星。

 

 「先ほどのアカネさんの評は、もしかすると的外れな物ではないのかも知れませんね、先生?」

 「何言ってるの、アンタ」

 「うふふ…」

 

 意味深に笑う明星は、生徒というには落ち着きがある。

 いつかの資料で見た「哲学者」の挿絵を思わせる雰囲気に、不思議と感心の念が湧き上がって来た。

 …とは言え、短気の気があるラヴとは、あまり相性は良くないかも知れない。

 その彼女は不機嫌さを隠そうともせず、吐き捨てるように言葉を続けた。

 

 「…で?連れてきた、もう二羽の小鴨たちはどうしたのかしら?「お母さん(ママン)」?」

 「嗚呼、あの子達ならば。ビルを見て回りたいという事で、先程下に行きましたけれど…」

 「はあっ?!止めなさいよ!観光スポットじゃないのよ、ここ!

 

 放たれた語気の強さに驚く明星。

 確かにこれから住む場所を知るだけで、ここまでの怒気をぶつけられることは予想外だろう。

 とはいえ、ラヴの言葉にも一理あった。

 

 「そうだな、事前に一言声をかけてくれ。

 このビルは、俺でも把握しきれていない箇所が多くてな。特に地下の「ある区画」には、太古の遺物が安置されている。

 …原理が異質すぎるので、誰も触れないよう、立ち入りを禁じている」

 「まあ、それは大変申し訳ない事を。

 でも困りましたわ…。このような身体ですから、探そうにも上り下りに一苦労で…

 「その心配はいらないよ」

 あら?」

 

 彼女の憂慮を払うかのように、穏やかな声がオフィスに入ってきた。

 

 「やあ、ヒマリ。2週間と6日、そして5時間ぶりの再会だね」

 「ウタハ!元気そうで何よりです!…えっと、後ろの多脚ロボ(ベービ)は一体?」

 「ふふん、紹介しよう!私が生み出した自律行動型跨座付き機関「銃」、『雷ちゃんver.6』だ。

 いやあ、これが“初めまして”となるからね。丁度いいタイミングで、「協力者」二人が廊下に転がっていた物だから、この子もついでに見てもらおうと思ったのさ」

 「ん?…協力者?」

 

 マキの疑問が聞こえるや否や。

 ウタハの後ろに控えていたロボが、中腕を器用に動かし、背部に載せていた「者達」を床にそっと下ろした。

 

 「おお、ようやく揺られ心地の悪いベッドから降りられました」

 「でも、体が思うように動かないんだけど…」

 「あっ!コタマにハレ!

 

 彼女は横たわる二人の下へ近付くが、どうにも好奇心の方が優ったようである。恐る恐ると、海岸に打ち上げられた未知の物体を触るかのように、その頬をつつくマキ。

 身体が麻痺しているとは言え、彼女達が上げる声は不思議と余裕を感じさせる物だった。

 

 「「グエー」」

 「こら!おやめなさい、マキ」

 「でも新鮮じゃん!こう…、ちょっと脳の奥が刺激されるような感じでさ。分からない、部長?」

 「嗚呼、なんという事でしょう。こんな時に、「()()」を目覚めさせてしまうなんて…」

 「たまりませんなぁ、ハレ殿」

 「私はまな板の上の魚…。魚って喋るっけ、コタマ先輩?」

 

 目の前で繰り広げられる寸劇に、付き合っていられないとばかりに首を振ると、ラブは愉快そうに彼女達を見つめるウタハへ問いかけた。

 

 「……一応、チビ共は見つかったみたいだけど。どういう状況なの、コレ?」

 「ふふっ…。それに関してだが、単純な話だよ。

 二人は「ハッカー」でね。久々に骨のあるプログラムを見て、どうにも冒険心ってやつをくすぐられたようなんだ。

 それで、S.H.A.L.E.のビル管理システムにクラッキングを仕掛けたのは良かったんだが…」

 「良くないわよ!

 「まあまあ。見ての通り、見事なカウンターを喰らったんだ。

 お痛の代償として一応の温情がかけられたけれど、身体がまともに動けるようになる迄には、まだ少し時間がかかりそうだね」

 「まあ、何とかなりませんか?」

 

 「何とかしなくていいわよ!」という声に苦笑しながら、彼女は背後に控える『雷ちゃん』の肌を撫でた。

 

 「安心したまえ。その為に、この子には「()()()」を持って来てもらっている。そうだな…。うちのゲゼレが詳しいから、コールをかけるとしよう。

 「呼んだ?先輩」

 おっと!噂をすれば、だ」

 「お久しぶりです!皆さん!」

 「あっ、コトリ!」

 「マキちゃん!」

 

 知り合いなのだろう。マキはコトリの下へ駆け寄ると、互いに再会を祝いながら抱擁を交わした。二人の邪魔にならないように、猫塚は同僚から一歩距離を取ったが、ふとこちらと目があう。

 

 「……こんにちは、ウォルターさん」

 「嗚呼、元気そうで何よりだ。猫塚」

 「!…ふん」

 「ありゃりゃりゃ」

 

 そっぽを向く猫塚の姿に苦笑を浮かべるウタハ。

 俺に一瞥を送ると、彼女は「雷ちゃん」と後方のロボに声をかける。

 そこは貨物庫となっているのだろう。軽く押すように触れば、「プシュー」と密閉された空気の抜ける音ともに、ロボの背部が花開いた。

 そこにあるには、無である。

 

 そう「無」だ。

 

 だが、彼女はどこか目を輝かせながら、猫塚へと会話のバトンを渡した。

 

 「さて!ヒビキ、仕事だ。

 プレゼンも兼ねて、この場にいる貴重な協力者(モデル)二人に、君が開発した「」を着せてやって欲しい」

 「……まあ、いいけど。ウォルターさんには後ろを向いてほしい」

 「だ、そうだが…。先生の判断はどうだろうか?」

 「構わないが、むしろ一旦部屋から出た方がいいか?」

 「足の悪い家主を追い出すなんて。いいご身分ね、犬耳女」

 「そこまでは言ってない…」

 「ラヴ」

 「はいはい。「(シモ)」の苦手なアンタに代わって、私がしっかりと見といてあげるから。安心して、あの大空を見ていなさい」

 

 手を振りながら、こちらを促すラヴ。

 ガサツなのか、それとも面倒見が良いのか。人とはかくも多くの面を持つ物だとつくづく理解させられる。

 

 「…はい、おじいちゃんはアッチを向いたわ。1、2、3、太陽(ソレイユ)。とっとと着付けを始めなさい」

 「偉そうに…

 「ああっ?

 

 ……とは言え、新しい面も買い与える必要がありそうだ。

 

 

 

 

 ー/ー

 

 

 

 

 「おお…!

 「へえ、力が(みなぎ)るってこんな感じかぁ」

 

 「今だったら、空を飛べるかもぉ♪」

 どこかのコミックヒーローの真似なのだろうか?その言葉とともに、天へと拳を突き上げるのは小鈎(おまがり)ハレ』だ。

 浮世離れした当初の雰囲気とは裏腹に、今はただ無邪気にロールプレイを楽しむ少女のようであった。

 

 「あれだけしつこく続いていた体の麻痺が、嘘みたいに無くなりました。一体、どういう魔法の品なんですか?

 この、

 

 ダス・ブラウトクライド・アシェンプテル(灰被りの花嫁衣装)は」

 

 「そうだね…。多分なんとなく感じているだろうけど、「その子」は私が産んだ強化外骨格だよ。

「体」を構成しているのは、ある植物から抽出した粘液を精製加工したもの…。

 つまり、「バイオプラスチック」だね」

 「なるほど、プラスチック…。だから、こんなに軽いんですね」

 

 そう言って、まじまじと自分の手を見やるのは、もう一人の『ヴェリタス』部員だ。

 それが自分の手なのだと再確認するように、『音瀬コタマ』は親指から始まる5本の指を開き、閉じることを繰り返した。

 彼女が細部まで見つめているのは、果たして本当に「服」があるのかを確認しているからなのだろう。

 『灰被りの花嫁衣装』の名と打って変わって、それはどこまでも澄んだガラスを思わせる透明感であった。

 

 「アシェンプテル、別名はシンデレラ…。とても素敵なお名前ですね♪

 その名に違わぬ繊細さを兼ね備えながら、同時にあらゆる困難を跳ね除ける芯の強さも併せ持っている…。

 しかし、「バイオプラスチック」の先例は既にあるとしても、擬似フグ毒(テトロドトキシン)の如き麻痺状態にあった二人を、常人以上に回復させるなんて…。

 そんな技術、『カドゥケウス』のドクトルたちが見逃すはずがありません。一体、どういう原理なのでしょうか?」

 「と言っても、そもそもの「元ネタ」は、『カドゥケウス』の論文から来たものなんだけれどね…。

 「私の解説の出番でしょうか!」

 ……じゃあ、任せよっかな。うちのレアリングちゃん?」

 

 「あまり(ヒート)を入れすぎないようにね」

 そう言って、猫塚は微笑みと共にバトンを手渡した。

 メガネを指で軽く上げ、それを受け取るのは『レアリング』と呼ばれた豊見コトリだ。

 

 「では、ここからは私が引き継がせていただきます!」

 「おお!行ったれぇ、コトリ!

 

 いつの間にか、彼女を中心に各々が思い思いの場所に腰かけていた。あのラヴでさえ頬杖をつき、ソファの肘掛けを即席の講聴席にしたようである。

 そんな場の雰囲気に乗じて、軽快な掛け声をかけたのはマキであった。

 

 「えへへ、ありがとうマキちゃん!」

 「これは見せ物だが、「プロレス」じゃないぞぉ?コトリくん」

 

 あくまでも冷静であるように、しかしユーモアを込めながら、ウタハは後輩へとエールを送った。

 

 「あっ、…おほん!えぇ〜、では初めて行きたいと思います。

 このアシェンプテルちゃんの動力系統に使われているのは、特殊な電磁糸『ニューラプティス』です。

 これは、『ヘイロー』研究で多大な業績を残した『根岸ヒガン』氏の論文から着想を得て、当代のゲゼレ『猫塚ヒビキ』が完成させた物となります」

 「ほう…、ヘイローか」

 「はい!

 ここにいる方々の中で、先生のみ『ヘイロー』のない人間ですので、一度詳しく説明させて頂きますね!」

 「嗚呼、頼む」

 「まず、この『ヘイロー』なのですが、我々の頭上に浮かぶ円状の図形を模った物です。

 こちらの世界では、『投影体』という専門用語で呼ばれますが、その由来は『ヘイロー』と私たちの意識との密接な関わりから来ています。

 ご存じのように我々が意識を失っている間、例えば入眠状態になると、頭上の『ヘイロー』も合わせて消失する現象が発生します」

 

 初耳だ。

 そう思い、ふとラヴの方を見やれば、何か苦い物を噛んだかのような表情を浮かべていた。

 …声をかけるか一瞬ためらいを覚えたが、聞こえてきた嫋やかな声に意識を戻す。

 

 「

 天使の眠り(ヒュプノス)現象』の事ですね。

 本来ならば、我々の力の源にして、要でもある『ヘイロー』の一時消失という不可解な現象に与えられた名前。

 

 ーー身を守るために不可欠な『ヘイロー』が、なぜ消えるのか?

 

 クラインの壷、ゴルディアスの結び目に匹敵する「未解明」として、長くキヴォトスの探究者たちを悩ませてきた謎です」

 「はい!その通りです、ヒマリ先輩!

 根岸氏も、当初は『天使の眠り現象』を解明するために研究を進めていたそうなのですが、ある時からその方向性を変え、意識と『ヘイロー』の繋がりに関心を寄せていきました。

 元々、「意識」の高低差が『ヘイロー』に影響を与えることは、既に分かってはいたんです。

 しかし、先人たちがその理由を解明できない中、自分もまた同じ轍を踏みつつあると氏は悟り始めました…」

 「嫌な話だね〜。初っ端からのガス欠は、あとがキツイ」

 

 ウタハはしみじみとした口調で、そう間の手を入れた。

 どこまでも実感からやってくる彼女のコメントに、俺とラヴを除いた全員が共感を示す。

 …代わりに、俺はどこか懐かしさを感じ、ラヴはただ鼻を鳴らすだけに留めた。

 

 「全くです!

 とはいえ、根岸氏はこれを壁とは思わず、別の研究へと展開するきっかけと見做したようです」

 「…ヘイローの「工学的」な利用方法にか?」

 「なんと!その通りです、先生!」

 「あら、先を越されてしまいましたね。とはいえ、まさか核心をつく発言をされるとは…。

 もしかして『先生』になられる前は、技術家だったのではありませんか?」

 

 そう言って、ヒマリはにこやかな笑みを浮かべる。

 だが、せっかくの評価は正当な物ではないだろう。どちらかといえば、これはカーラからの受け売りだと言えた。

 

 「…それなりに機械をいじった事はあるが、所詮は義務的な物に過ぎない。先ほどの発言も、ほとんど憶測から来たものを当てずっぽうで出力したものだ」

 「まあ!ご謙遜を」

 「ヒマリく〜ん?君の好みにケチをつける気はないが、この場のムードは「講義(マジ)」モードだぜぇ?」

 

 「口説くのは後にしてくれよ?」

 どこかニヤけた笑みを浮かべて揶揄うウタハに、「ちょっと、ウタハ!」と少しばかり怒ってみせるヒマリ。

 その気安い関係を微笑ましく思いながら見ていると、ラヴと目があった。

 …なぜか威嚇された。

 

 「ええ、おほん!仕切り直させて頂きます!」

 「その意気だよ、コトリ」

 「でも、ちょっと眠くはなってきたかもぉ…」

 「と言っても、この『体』は寝らせてくれないようですよ?ハレ」

 「えぇ〜!私は、久しぶりの「講聴(マジメ)」モードなんですけどっ」

 「ああ、もう!収拾がつかないので、みなさん一度静粛に!

 

 「「「コトリがキレたぁ〜!!」」」

 そんな姦しい声が、オフィスに響く。

 しばらくして、3人娘を静かにさせると、保護者たちは微笑みと共に続きを促した。

 

 「ええ…、では本題に進ませて頂きます」

 

 コトリは気付けとばかりに、もう一度咳払いすると言葉を続けた。

 

 「…先程、先生が指摘されたように、工学利用の方向へ研究の舵を切った根岸氏でありますが、彼女はその過程である理論を提唱しました。

 『ドラートツィアーリン理論』です」

 「ドラートツァーリか…。悪くないね、この北っぽい響き」

 「「ツィアーリン」ですよ、マキちゃん!

 えっと…。「操り人形師」という名前の通り、この理論は簡潔です。

 即ち『ヘイロー』が放つ、“ある種のエネルギー”を上手く誘導すれば、「第二の身体」を作ることが可能だと言うのが彼女の主張でした」

 「嗚呼、なるほど…。ニューロン()ラプティス(仕立て屋)、話が見えて来ましたね」

 

 そう言って、何処か得心が言ったように頷くのは明星であった。

 

 「

 つまり、我々の意識と同位体である『ヘイロー』と繋がり、「意思」という情報エネルギーによって動く一種のスレイブユニットを作りだす。

 

 それが、彼女の主張なのでしょう?」

 「お見事です!流石はヒマリ先輩、『全知』の学位はやはり本当だったんですね!」

 

 目を輝かせたコトリの賛辞に、心なしか彼女は誇らしげに胸を張る。

 

 「当然です!この清楚にして可憐、しかして大樹(ユグドラシル)の如き強靭な知恵を備えた天才美少女『明星ヒマリ』に、解けぬ難問などありません!

 まっ、病弱なのはちょっとしたハンデです、ハンデ♪」

 

 そう言って、ピースサインをして見せる明星。

 「キラッ♪」という効果音までつけるのは、正直過剰にも思えたが、そこでウタハと目が合う。

 人指し指を口元に立てると、片目でウィンクを一つした。

 …どうやら、ここでは「気にしない」というのが、マナーとして正しいようである。

 

 「おや?3人とも、どうかしましたか?」

 「いや、おばあちゃんはいつも元気だなぁ〜って」

 「全面的に同意します」

 「右に同じく」

 

 あの3人娘ですら生暖かい目で見ているのだから、そういう事なのだろう。

 

 「まあ…、おばあちゃんなんて。

 私、まだ「娘」もいなければ、「孫」もいないのですよ?」

 「あっ、ごめんなさい」

 「いいえ♪ むしろ、そのような経験豊富な女性と思われているのならば本望です。ほら、皆?「おばあちゃん」が飴をあげましょう♪」

 「コトリく〜ん?ヒマリのボケは始まると後が長いから、プレゼンを巻き上げていってくれ」

 

 そう言って付き合いの長さからくる経験談と共に、ウタハは部員を急かした。

 

 「あっ、はい!先程お話しした理論は、ヒマリ先輩が簡明に要約して頂いた通りの物です。

 ですが、もっと分かりやすく、「マリオネット」と言えば皆さんも想像がつくでしょうか?」

 「…成る程ね。つまり、私とコタマ先輩は“回復”している訳じゃない。今は、『ヘイロー』によって動かされている「操り人形(スレイヴユニット)」だって事か」

 

 いつの間にか三機の浮遊ドローンを展開したハレは、手にしたタブレットからの情報をホログラム・モジュールに転送する。

 空中の3点から光が投影され、その結節点に青白い虚像が浮かび上がった。

 

 「さっき、コトリが言っていた論文はこれだね?

 

 『ドラートツィアーリン理論 ーヘイローの微弱電離体を利用した強化外骨格の構想についてー』

 

 著者は…、「根岸ヒガン」さんでビンゴだよ」

 「はい!まさにこれです!」

 「一通りざっと読んでみたけれど、「マリオネット」というのはズバリその通りだね。

 意識の投影体である『ヘイロー』は、それ自体が一種の情報エネルギーによって生まれた帯状の電離体、つまり『プラズマ』だ。

 

 だから、電気(でんき)を帯びている。

 

 電気があるのならば、それをリソースにして機械を動かす事が出来る。そう彼女は主張し、実際に幾つか証明実験をして、その結果も報告しているよ」

 「で、どうだったんですか?」

 「どうだったの!どうだったの!」

 

 マキの急かす声に、ハレは静かにホログラムを指差した。

 

 「精査に通っている事は、実証が成功したという事。ただ、規模は小さかったみたい。少し念じたら、積み木が動いたぐらいで。

 無意識のまま体全体を動かせるようになるまでには、研究の蓄積を重ねる必要があると締めているね」

 「えぇ!そういうオチぃ?!すごいけど、ちょっと地味ぃ…」

 「結論では、微弱電離体のエネルギーを外骨格に効率よく伝える「代替シナプス」が必要になるとのことだけど…」

 「……、そうなりますと」

 

 拡大された該当のページが投影される。

 期待外れとは言わないまでも、どこかつまらなそうに表情を浮かべるマキであったが、そんな彼女を横目に一人首を傾げるのはコタマだ。

 その視線の先には、やはりあの「手」がある。

 

 「彼女は、生まれてきた「この子」を見る事が無かったという事ですか…」

 

 それは、予想外な発言だった。

 

 あれほど活発だったマキでさえ、一瞬答えに詰まらせてしまう。

 変化に乏しい表情に、罰の悪さを(かす)かに滲ませながら、コタマは場の雰囲気を変えようと言葉を続けた。

 

 「え〜と、この子の開発には相当な期間が必要だったはずです。

 研究を継いだ方にも、そして貴方にも、ヒビキ。きっと喜んでいると思いますよ、彼女は」

 「…コタマ。

 今、彼女はミレニアムを離れたというだけ。…「()()」って言う奴だよ」

 

 微笑みながら、猫塚は諭すようにコトマの勘違いを柔らかく訂正する。

 

 「彼女は離校した後、どうもカイザーのグループ会社に入ったみたい。量産型オートマタの改良で、いまも元気に成果を出し続けてるようでね?

 …研究からは、遠ざかって久しいみたいだけど。でも、この子を見せてあげたかったな…」

 

 そして、彼女は徐に此方を見て来た。

 椅子にもたれかかり、物憂げな雰囲気を醸し出しながら…。

 しかし、見据える目には、一つ強固な意思があった。

 

 「…ねえ、ウォルターさん?」

 「……」

 「『セミナー』のテクノクラート共から、何を言われたの?

 …犬の首には輪をつけろ、とか?」

 

 怒り、不信。

 その二つが混ざり合って生まれたのは、静かな挑発だった。

 

 「…『セミナー』はバニッシュとなったお前達の「その後」に懸念を示していた。

 何れかの『列強』の一員となるか。

 あるいは取るに足らない武装勢力の一員になろうとも、将来お前達がもたらす物を等しく「懸案(リスク)」と看做した」

 「「「………」」」

 「そこに現れたS.H.A.L.E.という組織は、正しくジョーカーのように思えたのだろう。

 ……調月リオ。あの娘は、それを引く事を決断した。俺はその選択を尊重し、そして「責任」を肩代わりする事を申し出た」

 「…なんで?」

 「先生という物は、そういう者なのだろう?」

 

 

 

 

 一瞬、全ての音が部屋から消えた。

 

 

 

 

 「あの娘も、心の底から己の選択を「正しい」などと思ってはいないはずだ」

 「何故、そうと言い切れるのですか?

 

 一足早く回復したのは、意外な事に明星であった。

 それは疑問というには断定的で、「答えは明白である」と言外に主張している。

 …思えば、彼女もまた追放者(バニッシュ)の一人だったな。

 

 「合理性を追求する、理性の怪物。人の通理を介さぬ、冷酷な独裁者。…それがあの娘への評価だな、明星?」

 「簡潔にして、的確な評価です。

 ならば…

 「だが、また「」だ」

 えっ…」

 

 ヒマリは、虚をつかれたかのような表情を浮かべる。

 彼女の反応に、どこか頭の奥底で疼く物があった。

 

 「…本当の理性の傑物ならば、俺の存在など歯牙にもかけん。妄言として、俺の提案を切り捨てているだろう。合理主義の怪物ならば、早々に決断していたはずだろう。そして、冷酷な独裁者ならば、俺の存在は許容しない」

 

 「『タロス』が、既に排除していただろうな」

 そう言えば、その場にいた者は全員息を呑んだ。

 

 「そんなリスクを、あれが取るはずが…」

 「だから、まだ「人」だ。あの娘は意志堅く、常人を超えた視座から世界を見つめている。それでも、傍に他者を置くことは拒まなかった。…『早瀬ユウカ』は、随分とマトモだ」

 「……」

 「何度も選択を重ねて来たのだろう。…戦いを選んだ者とはそういう者達だ。  

 だが、ルビコンの川に踏み入れたとしても、その手の中には、まだ振られぬ賽が握られている。あの子は、まだ()()()()()()()()

 「……そんな事、」

 

 彼女はそう言って、しかし続く言葉を紡げずにいる

 才知の化身とも言える彼女も、今はただ一人の少女に戻ったかのように見えた。

 

 「……無論、これはS.H.A.L.E.の存在を世に知らしめる為のパフォーマンスでもある。体裁的には、こちらが主な目的だ」

 「えっと、それはどういう…?」

 

 おずおずと疑問を投げかけて来たのは、コトリだった。

 

 「端的に言えば、俺が所属するS.H.A.L.E.は、この世界では新参だと言う事だ。それもかなり「イレギュラー」のな」

 

 「イレギュラー」

 誰かが呟いた一言が、その場に静かに響いた。

 

 「S.H.A.L.E.の創立には、現在行方知れずとなっている連邦生徒会長の強い意向があったという。

 『先生』というキヴォトスでは存在しない人間の大人を責任者に据え、あらゆる学園の政治に介入できるよう、法律と拠点設備をあらかじめ用意する念入りぶりだ。

 これは、はっきり言って異常なことでもある」

 「それはどういうことでしょうか?

 本来ならば大きな問題になりかねない、他校への内政干渉の有効打として、テクノクラートの長に相応しい“知恵”の産物のように思えますが…」

 「端的に言えば、特権を与えられ過ぎている。不相応にな」

 「……なるほど」

 

 やはり、明星は聡い。

 研究者とはいえ、彼女は政治の分野でも大いなる才能を有している。

 

 「確かにS.H.A.L.E.という組織の持つ権力は絶大です。

 他校への内政干渉に伴う一切の圧力から解放された「独立性」も、見方を変えれば無法と言ってもいいでしょう。

 しかし、それ以上に「権利」を行使するための実行役として、現地の生徒を無制限に徴発できる権限は、はっきり言えば異常です。

 場合によっては、「戦争(せんそう)」も手段として容認しているという事…」

 「…つまり、どういう事?」

 「一部門が暴走する可能性を、その政治組織のトップが認めたという事なのです、マキ。

 正直この例えは、寒気を通り越してヘドロが血管の中を走りますが、端的に言えばですね…

 

 ーーリオが、我々に『タロス』のボタンを明渡す

 

 そのような物なのですよ」

 

 マキが顔を酷く歪めた。

 他の面々も同様の表情を浮かべるのを見て、どうやら彼女の例えは相当な拒否反応を引き出したようである。

 

 「…それはゾッとしない話だね。

 キヴォトスという巨大なエコシステムを統御する「脳」に対して、「キラー細胞」をあらかじめ用意するなんて正気の沙汰ではない。そんな物、そもそも設計からして破綻している」

 「……随分なエゴイストだね。その連邦生徒会長って人は」

 「いわゆる“通常”の政治家からは、大いに外れた人間であったのは確かでしょうね。『条約』の締結にしろ、相当なお節介焼きだったようですが、それにしては余りにも潔癖すぎる。

 リオを見ればよくわかりますが、他者への過干渉にためらいを見せない人種は、反対に自らへのあらゆる接触を「干渉(アタック)」としてみなす物。

 主観と客観のギアが噛み合わず、それを無理やり「合理性」としてやっつけているのですから、なんと醜いことか…」

 「…まあ、君と奴との確執は置いておくとしてもだ。

 自分たちの頭上に、常に剣を垂らされては連邦生徒会の官僚たちも溜まったものではないだろうね?」

 

 「“そういう事”だろう、先生?」

 彼女の問いかけは、既に答えを言っているようなものだ。

 

 「“そういう事”だ、ウタハ。だからこそ、深刻な問題が発生する」

 「…なるほどねぇ、「パトロン」の不在ってやつか」

 「おや、あなたがそんな発言をするなんて…。

 そろそろエナジードリンクの中毒症状が抜けてきたという事しょうか、ハレ?」

 

 揶揄というには真剣さを帯びた部長の言葉に、「ひらひら」と手を軽く振りながら、ハレは続く言葉を紡いだ。

 

 「それは、まだ継続中〜」

 「…チイちゃんの嘆きようが目に浮かびます」

 「と、いうのは傍に置いておいて…。

 ミレニアムのヒットメイカーとして、この問題は他人ごとのように思えなくてね。

 要は、S.H.A.L.E.って「フリーランス」でやっていくには、相当難しい仕事だって事でしょう?」

 「…すなわち?」

 「すなわち、誰にでも噛み付くワンちゃんは、みんな欲しがらないという事。特に、権力と利権が大好きなテクノクラートどもにとっては尚更ね」

 「なるほど、「文民統治(シビリアン・コントロール)」が効かないという事ですね!」

 

 彼女は、コトリの元気の良い回答に頷いて見せた。

 

 「S.H.A.L.E.みたいな(アンチ)体制機関は、逆説的だけど体制側の庇護がなければ成り立たない。

 でも、今は肝心の連邦生徒会長が失踪して、その権力を担保(プール)してくれる後ろ盾がなくなってしまった。でも、彼女が決めた「プログラム」はきちんと生きている。

 連邦生徒会の官僚たちにとって、組織の一部門でありながら、それと完全に独立した「セーフガード」の存在は、到底受け入れられないだろうね」

 「つまり、()()()だという事ですか?」

 「そういう事なんじゃないの、コタマ先輩。実際、今回の譲渡式でも相当に睨まれてたみたいだけど…」

 

 そう言って、ハレはチラリとこちらに一瞥した。

 

 「…一応訂正しておけば、生徒会にも「幅」がある。全員が俺たちに対して、蟠りを抱いているわけではない」

 「ふ〜ん」

 「そして、彼女たちの立場に立てば、その憂慮も正当なものだ。むしろ、よくこの組織を設立する採択が降りた物だとも思う」

 「…つまりココって、マジでヤバい場所だってこと?」

 「そう思われないことが、今の俺たちには重要だということだ。

 

 ーー“攻性”ではなく、あくまでも“更生”の場である

 

 それを内外に知らしめるためにも、お前たちの存在が不可欠だった」

 

 詭弁じみた俺の言葉に、マキはなんとも言えない表情を浮かべながら、こちらを見返してきた。

 

 「なんだか、体よく利用されている感じぃ。やっぱ、先生って悪い大人じゃん」

 「失望したか?」

 「いんやぁ〜?むしろ、真逆って感じ!」

 

 そう言って、腰を下ろしていた机から飛び降りた彼女は、満面の笑みを浮かべていた。

 

 「へへ!正直、今回のディアスポーラにはめっちゃワクワクしてるんだぁ。あのまま、ミレニアムで腐っているなんて、正直うんざりしていたところだったし。

 グラフィティを描こうにも、アイディアも湧かなければ、そもそも“キャンパス”だって軒並み撤去されている。

 どこに行こうとも、ネットでは『メデューサ』が、空には『ダモクレオス』*5が目を光らせているパノプティコンなんて、息が詰まってしょうがなかった。

 でもさ?

 『あの子』を見たら、そんな悩みが嘘みたいに全部吹き飛んでいったの!」

 「…」

 「どこまでも遠かった青空が、一気に目の前に広がったみたいでね?

 今だったら空の向こう、地平線の彼方まで飛んでいけそうだと思った。それがどれだけ快感だったか…」

 

 そして、彼女は大きく両腕を広げてみせた。

 どこまでも大袈裟で、だからこそ手に取るようにわかる。 

 

 彼女は、今でも「青空」を見ているのだろう。

 

 「まっ、いつまでも飛んではいられないって分かってる。結局、私たちは鳥じゃないし。だから聞きたいんだよね〜」

 「…聞こう」

 「『S.H.A.L.E』ってどういう場所?

 

 その目に爛々とした輝きを瞬かせながら、改めて問いかけてきた。

 様々な感情が混じり合った好奇心は、周囲を一瞬で感化する。

 彼女に連なるように、「俺たち」を除いた全員がこちらに目をやった。

 

 「そうだな…」

 

 見えぬのに、確かにある「圧」。

 交渉の場で幾度も感じてきた感覚の中、俺の口が開きかけた時だった。

 

 「()()だってさ」

 「えっ」

 「…「公園」。つまり、いつでも入れて、誰でも受け入れてくれる場所。

 ウォルターは、なんだか行儀のいい言葉で「箱庭」なんて言ってるけど、どっちにしろ同じ場所よ」

 

 「ありがたいことに、柵のないベンチも用意してくれるって」

 そう言って、ラヴはぶっきらぼうに言葉を切った。

 

 「へぇ〜」

 「何よ、頭いいんでしょ?」

 「まあ、うん。一応ミレニアムだしぃ、それなりに論文は読めるよ〜?」

 「ふん。それが今じゃ、根なし草の革命家気取りってのは笑えるけど…。

 まあいいわ。要は、あんたたちは「鳩」だってこと。勿論、あの公園で爺さん婆さんが餌を恵んでやっている方のね」

 

 「ルゥルゥ〜」トリニティの方言に合わせた、鳩の鳴き声をあげる。

 多少挑発を込めているのは、もはや習慣なのだろう。

 慣れた様子で受け流す彼女たちに、梯子を外されたのか、ラヴは鼻を鳴らして一拍を置いた。

 

 「…でも、そんなあんた達に、うちのボスは結構期待していてね?

 どんな時でも、“オリーブの枝”を持ち帰ってきて欲しいんだってさ」

 「オリーブ?」

 「そっ。そんで、それを植えて一面のオリーブ畑を作ろうってわけ。そこで出来た実を絞って、オイルを作って、そしてそれをタダで配るって話よ。

 無論、労働者はあんた達。無給で、私に監督されるコロヌスってわけ」

 

 そう言って、なかなかに意地の悪い笑みを浮かべる。

 いたぶる獲物を前に、舌なめずりする狂犬。

 どこかそんな姿を彷彿させるラブを見て、一瞬場に緊張が走ったが、やがて響くため息が全てをかき消した。

 

 「…もとより「選択する自由」など、我々にないことは理解しています。

 亡命者の責務は…。ええ、きちんと果たしますとも!」

 「そうだね…。

 まっ、我々は学籍を剥奪された「顔なし(オドラデク)」だ。受け入れてくれる避難先があるのならば、喜んでその維持に手を貸すとも」

 

 そう言って、ウタハはこちらを見た。

 

 「…それに、「約束」があるしね。エンジニア部としては、S.H.A.L.E.に全面的に協力することは決定事項だ。

 …それでいいね、ヒビキ?」

 

 部長の確認に猫塚は、しばらくの間沈黙を保った。

 とはいえ、彼女にはウタハに逆らうという選択肢はそもそもなかったのだろう。

 やがて、静かに頷いてみせた。

 

 「…マイスターの言葉に逆らうつもりはないよ。私も、一人のゲゼレとしてS.H.A.L.E.に協力する」

 「そっか…、それはよかった」

 「ただ一つだけ言っておく。私は、「自分」の子供(ベービ)達を戦いに出すつもりはない。…それは覚えておいてね、ウォルターさん」

 

 静かに立ち上がり、どこまでも隔意を滲ませながら、一つ伸びをした彼女は優雅に身を翻す。

 躊躇うような、あるいは躊躇するかのように皆が口をつむぐ。

 去っていくその後ろ姿を、俺たちはただ黙って見送るだけにとどめた。

 

 

 

 

ーー

 

 

 「…結局、我々の問題は解決されていないのでは?」

 「その外骨格、硬そうだから、あっちで寝ててね?ハレ、コタマ」

 「眠り姫には成りたくないんだけれど…」

 「あら、早速自由になりたいのね?大人しくしていなさい、今からその不相応なドレスを砕いてあげるわ」

 

 「「結構です!」」

 

 

 

 

ー/ー

 

 

 

 

 たったった!

 

 

 

 

 慌てたような、しかし軽快なシューツの音が響く。

 硬いアスファルトを蹴り上げながら、一陣の風のように走っていく猫耳の少女の背に、どこか遠くから「待ってー」と声がかけられた。

 

 「セリカちゃん、早すぎです!その調子だと、持ってきたお手紙も落としてしまいますよ!

 「でも、今この瞬間でも、あいつらの攻撃が来るかもしれないでしょ!みんなのためにもモタモタはしていられないよ!」

 「だからと言って!肝心のS.H.A.L.E.の場所が分からなければ、意味がありません、…よ!

 

 そう言って、意外にも広大なD.U.に辟易したかのように、相方を宥めるメガネの少女。目立って汗を流していないセリカに比べて、明らかに肩で息をしながら、なんとかペースを一定に戻そうとしていた。

 顔を赤く上気させて、心なしか辛そうな表情を浮かべる少女に、今まで感じていた焦りが一気に冷えていく。

 セリカは罰の悪さを感じながら、あたりを見渡していると、ふとこちらを窺う一人のメイドと目が合う。

 

 「あっ、あの!

 

 セリカが言い募ろうとした瞬間、彼女はやわらかに制した。

 

 「…何も言われずとも、必要なことは察しております。まずは、休息を取った方がよろしいかと。

 いかがですか?当店では先頃、ゲヘナから入荷しました新茶を提供しておりまして、お相方の動悸にもよく効くでしょう」

 「で、でも」

 「嗚呼、お金のことならばご心配なく♪何分、私どもも「この街」では新参の身でしてね?今後、多くの方々に来ていただけるように、只今、「開店サービス」の真っ最中なのです」

 

 そのにこやかな笑みに何も言えず、セリカは静かに圧倒される。

 

 「セリカちゃん…」

 「えっと、はい」

 「休…」

 「アヤネちゃん!?

 

 言い終える前に限界が来たのか、芯が切れたかのように、その場に崩れ落ちていく少女。

 何度も名前をかけながら、意識を確かめる。沈んでいた焦りがぶり返す中で、セリカを落ち着かせるように粘り強く声をかけながら、「室笠アカネ」のネックストラップをかけたメイドは、様子を見に来た同僚達にテキパキと指示を出していく。

 運び込まれていく相方の側から、片時も離れることのないセリカ。アカネはその姿を見送りながら、ふと顔を上げた。

 その視線の先には、残照の中に佇む白亜のビル。

  

 久しく感じることのなかった感覚。その当惑の中に小さな興奮を覚えながら、彼女は小さく呟いた。

 

 

 「……いよいよ、始まりますね?」

 

 

 

 

 ーー先生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー

 

 

 【メッセージログ#20B387】

 

 ……………………………………

 

 

 【アビドスへの進駐は、存外に快調なようだね】

 

 【はい。既に9割の占領が終わっています。最も、ほとんど廃棄されて久しい土地でもありますが…】

 

 【なるほど。とは言え、差したる抵抗もなく、我が方の損害が抑えられているのならば重畳だ】

 

 【…『列強』の連中は、なんと?】

 

 【相変わらずだよ。古式ゆかしい伝統主義者たちだ】

 

 【日和見ですか…。尚更気が抜けませんね。しかし、占領が長期化するとなれば、我々の体では些か“負荷”が重い】

 

 【…最近、君が飼い出した「犬」たちはどうかね?】

 

 【PMCに幾つかの群れを預けていますが、特に支障はないとのことです。むしろ過酷な環境にありながら、一つも「夜鳴き声」をあげる事はないと】

 【利口な犬は、賢しい人間よりも貴重だ。世話には細心の注意を重ねるように伝えておきなさい】

 

 【はっ!承知しました】

 

 (沈黙)

 

 【……正直なところ、『アリウス』などという、聞いたこともない手札を切られた時。『ジェネラル』、私はもう、君とポーカーが出来なくなることを惜しんだものだ】

 

 【…今は、どうでしょうか?】

 

 【まずまずだと言っておこう。…実際の所、どうなのだね?『あれら』は】

 

 【少なくとも、応用の幅が広がったのは確かです。元より、集団行動の意義を骨身に染み込ませた者たち。ブラックマーケットの野良犬どもが、気つけば一端の猟犬となって、獲物を狩り出せる程にはなりました】

 

 【それならば良かった。…今から、どうかね?オデュッセイアから、いいシェリー酒が入って来たんだが…】

 

 【無論、断る理由など有り得ません。『プレジデント』閣下】

 

 

 ……………………………………

 

 

 【メッセージログ#20B387 終了】

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

*1
甲鉄。「甲虫」と「鉄」を意味するゲヘナ共通語を掛け合わせた造語。

*2
『トリニティ総合学園』の階級の一つ。「貴族」にして「支配階級」。上位陣は『テーパーティー』と呼ばれるサロンを形成し、学園の運営を左右する程の強大な権力を持つ。

*3
技術官僚。元は研究の都であったミレニアムを、「国家」として運営するために選抜された「政」のエリートたち。特別学位『アビトゥア』の教育を経て、高い法倫理と科学技術への深い造詣を兼ね備えた職能集団である。

*4
スラング。『トリニティ』の階級の一つ『ミドル』を指す。「頭脳労働者」、もしくは「小間使い」。ノブリスに仕え、奉仕するエリート達のこと。運と実力次第では、下級ノブリスを上回る権力を握る事もある。

*5
ミレニアムの監視衛星網。学籍登録を終えた直後から、全てのミレニアムの学徒は上空の高みから、その一挙手一投足を監視されることになる




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