「……ここが、「エナの夢」……いえ、先程までも、ここにいたはずなんですが……」
「何か違う……」、インシァンはそう呟き、辺りを見回す。気が付いた時には共に「エナの夢」へと堕ちたホタル達とは逸れ、彼女は一人、「ピノコニー」と言われてその名を知る人々の殆どが想像する金色の街並みの中、ホテル・レバリー前の広場に立っていた。そこは「黄金の刻」に酷似したような印象を覚えると同時に、しかし何かが致命的に異なっているような印象を彼女は覚える。そしてその感覚は、自分の肉体についても例外ではない。「憶質で構成されている」以上の違和感がインシァンの指先から脳の一点までを優しく撫でた。
「……取り敢えず、ホタルちゃんを探しましょうか」
そしてインシァンはゆったりと、雨の日、傘を差しながら散歩でもするかのように、その五感の門を緩やかに開きながら歩き出した。そこは、彼女が知る「黄金の刻」よりも、遥かに強い活気に満ちていた。騒がしい人の声、ダクトから洩れる食事の香り、舌に触れる明るい空気の味、軽くぶつかった背広の肌触り、大仰なネオンの光……そのどれもが限りなく本物に近く、それ故に思考はその欺瞞を暴こうと静かに回る。そして道端で誰かに肩を叩かれて、インシァンは足を止めて振り返った。
「……はい、何でしょうか?」
「眠りましょう」
「……」
「眠りましょう」
「「眠りましょう」」
「「「眠りましょう」」」
「「「「眠りましょう」」」」
「「「「「眠りましょう」」」」」
そう唱え、未だ目覚めたままのインシァンを、ゆっくりと、ゆっくりと囲み、彼女のことも眠りにつかせようとする「エナの夢」の人々。彼女はため息とともに、一本の扇子を取り出した。そしてそれを開いた瞬間、インシァンは直感した。自分が「繁殖」、あるいは「知恵」の行人としての力を失っていること、すなわち「普通の人間」であることに。これが違和感の正体か、と彼女は納得し、そして構える。
「もしかしたら、前提から間違っているかもしれません。私は──」
「眠りま」
「──別に、弱くないんです」
インシァンの肩を叩いた彼女の首筋に、手本のような回し蹴りが叩き込まれた。崩れ落ちるその身体を尻目に「ああ、品がありませんね」と自嘲気味に笑いながら、インシァンは出番を失った扇子をコートにしまう。その動きは普段の仕草と何一つ変わらず、まるで延長線上にあるかのように壮麗だった。
そして彼女は何を躊躇うでもなく、ただカフカから手ほどきを受けたようにその身一つで彼等彼女等を退ける。「荒事は好みではありませんが、好みでないだけなので」、彼女はそう、いつもと変わらない微笑みを湛えたまま。彼女はその運命を失おうと、生物として強い。何故なら、彼女の母はそうあることを望み、彼女をそう創ったから。故に、彼女は目の前の障害を取り除く。
そしてまるでプログラムに深刻なエラーをきたしたかのように、微動だにせず倒れ込んだ「エナの夢」の人々に一瞬だけ目をやり、その景色を記憶に収めると、インシァンはホタルを探すため、再び「エナの夢」の中を歩き出した。
◇◇◇
ホタルが目を覚ましたのは、かつて星とツーショットを撮った、ドリームボーダーの空き地だった。長く一緒にいたから、もう感覚で分かる。インシァンは近くにいない、と。
「ここが、「エナの夢」……」
そこは限りなく、星と共に過ごした「あの瞬間」に近い景色が広がっている。それでも、ホタルはそれを幻想だと断じた。あの瞬間は、「もう二度とない」思い出の中のだけの景色だと分かっていたから。
そして、次に彼女はあることに気が付いた。「サム」へと変身するためのデバイスがどこにも見当たらないのだ。彼女は少し考えている内に、身体に奔っている違和感に気が付く。ああ、そういうことか、と彼女は納得した。今、「エナの夢」における自分は、「サム」なんて特別な力を持たない、ありふれたような「普通の人間」なのだと。
「……うん、それでいい。「サム」がなくたって、「ホタル」は変わらない、あたしには選択の権利がある」
そして彼女は、迷うことなく、星との時間を切り取ったようなその空間から離れることを選ぶ。そこには、「傷つく誰かの心を守ることができたなら」は、流れていなかった。
「……待っててね、インシァン。一緒に、星を助けよう」
◇◇◇
「さてと、ここは「エナの夢」だろうけど……「朝露」か?全く、この処刑台に戻ってこれるなんてね」
「僕のツキもここまでみたいだ」、そう言いかけて、彼は言葉を止めた。身を包む、何か致命的な違和感。彼はそれを確かめようと、ポケットから3つの十面ダイスを取り出し、近くのテーブルに転がした。
「……やっぱり、「エナの夢」ってのはそういうことか……」
テーブルの上で止まったサイコロ。普段の彼の幸運を以てすれば大体3つとも揃い、下振れたとしても2つは確実に揃う。しかし、今はどれもがバラバラの目を示していた。一応、と彼は追加で2回ほど同じように賽を振る。しかし、一度も、一つも揃わない。そして彼は確信した。「今の自分に地母神の加護はない」、と。
「なるほど、これで僕は君の言う「普通の人間」になったわけだ。それでも断言しようじゃないか、「このゲーム、僕が勝つ」ってね」
彼は知っている。自分は幸運のみに生かされているのではない、と。かつて彼女が語った通り、運と計略が両立して初めて、そこに「勝ち」は現れる。けれど、かつての彼はそれを認めなかった。認めてしまえば、「家族を失ったのは自分の力が足りなかったからだ」と、より強く理解してしまうから。
だが、今の彼は違う。自らに賭けた仲間があり、自らが果たすべき約束があり、自らが見届けた過去があり、自らが賭けた未来がある。故に、彼は立ち上がる。そこには、明日を望む意志があった。
「「朝露」なら……もしかしたら、ロビンも招かれてるかもしれない。……行こう」
◇◇◇
そこは朝露の館、サンデーがロビンのために用意した部屋だった。その部屋の片隅には、丁寧に積み上げられたぬいぐるみの山。彼女が初めて開いた小さな自分たちだけのコンサートの、初めての観客達だった。
「……兄様、やっぱり、兄様は間違ってる。私達が望んだのは、終わらない今日の安息なんかじゃなくて、希望に溢れた明日の光だった……」
それ以外にも、数多の甘い思い出が詰まった懐かしい部屋。彼女はそっと、その扉を開け、外に出る。
「……早く、皆を探さないと」
そして小さく、「調和」の加護を失った声で「さよなら」と告げ、彼女は部屋に鍵をかけた。
◇◇◇
「あ〜!や〜っと見つけたんだから、メモキーパーちゃん!」
「ひとまず元気そうで何よりね、花火」
「うんうん!ま、お互い「普通」になっちゃったけど〜」
「ええ。けれど、多くを見て、多くを演じてきたあなたなら分かるでしょう?「普通の人間」がどれだけの大業を為し得るか」
「ふふっ、もちろん!手羽男ちゃんが思ってるほど、人間って弱くないしつまんなくもないからね!」
「そう、今は人を信じるしかない。「エナの夢」に堕ちて「記憶」の力を失う寸前、私達、そして彼女達の行先を観測したの。インシァンさんとホタルさんは「黄金の刻」、アベンチュリンさんとロビンさんは「朝露の刻」、そして私達は「熱砂の刻」に飛ばされる、と」
「なら「黄金の刻」集合かな〜!そこが一番面白そうだもん!」
「私もそれに同意するわ。「記憶」の力が無い今、これは直感でしか無いのだけれど……そこに、「エナの夢」の綻びがあると思うの」
「じゃあ早く行こ!世界を救う旅にしゅっぱ〜つ!」