『目を、開いてください』
渾沌を直感させる、無機質な暗闇の中に、柔らかな声が響いた。
それはまるで、被造物を迎える創造主のようだった。
『怖がる必要はありませんよ』
そう言われて、彼女はゆっくりと瞼を上げる。
そこには彼女が感じたのとそう大差無い、無機質で機械的で、暗い道が伸びていた。
「ここは……?」
彼女は呟くが、その答えはどこからも帰ってこない。
創造主は、再び口を開いた。
『あなたが何を見て、聞いて、感じたとしても、たった1つだけ……これだけは、忘れないで下さい』
『あなたは、1人きりではない、と』
そして、彼女は靄のかかったような頭を押さえて尋ねる。
「……あなたは、誰?」
「……私は、誰……?」
彼女は、自らが道の途中にいることに気がつく。
ならばどこから来たのか、そう思って振り返ると、そこには続く道と全く変わらない、無機質な暗闇があるだけだった。
「……私は、あの、暗闇から……?……私は、どこへと向かえば……?」
声は応えない。
彼女に残された選択肢は、進む他になかった。
「……あれ、は……?」
狐族の少女が、どこかへ走っていくのが見えた。
実体があるのかは分からなかったが、その姿には確かに見覚えがある。
彼女は、それを追いかけた。
◇◇◇
「……ここ、は……?」
暗い、暗い道をひたすらに進んでいる中で、気がつけばその景色は変わっていた。
それはまるで、夜の湖に浮かぶ渡り廊下のようだった。
ふと左右を見ると、暗い水面だけが延々と広がっている。
「……まるで、三途の川のよう……」
彼女が呟くと、声が応える。
『足を止める必要はありません』
『あなたの選択の権利は、その先で待っていますから』
その言葉に従って、彼女は淡々と渡り廊下を進んでいく。
それにつれて床板は腐り、欄干が崩れていく。
声は「それは、あなたに根付いてしまった傷です」と彼女に教えた。
「私の、傷……?」
『紛れもなく、それは絶滅大君が刻んだ「壊滅」の名残。これから先も永く付き合うことになるだろう痛みに他なりません』
「……そんなものが、何故、私に……?」
『それを知るには、あなたがその道を進まなければなりません。私からは、あなたの下へといけないのです』
そう告げられて、彼女は再び脚を踏み出す。
渡り廊下は崩れども、彼女が落ちることはなかった。
◇◇◇
道は途方もなく続いている。
終わりは果てしなく遠くにある。
今にも崩れそうな道を、彼女は必死に進む。
そして道の最中、彼女は水上に浮かぶ釣り小屋のような場所へと足を踏み入れた。
『……ああ、やっとお会いできましたね』
そこで待っていたのは、声の主だった。
梅の花のように柔らかで、春の風のように靭やかな空気が、小屋を満たしている。
何をしているのか、と問いかけると、声の主は『あなたを見守っていたんですよ』と微笑んだ。
そう言われて、彼女は声の主の隣に置かれたカプセルのようなものを覗く。
そこにあったのは、彼女自身──「停雲」の肉体だった。
「……まさか、ここは本当に三途の川なのですか?あなたはそれを知っていて、何故こちらへと招いたのですか……?」
『あなたには……いえ、誰しもが、選択する権利を持つと、私が思っているからです。そのためには、真実を知らなければいけません。……他ならぬ、自分の手で、知らなければいけないのです』
「しかし……それでも、私には分からないのです。これが自分だということ、自らに迫りくる死を理解できたとしても、それを選択の材料にすることは、私には出来ないのです……」
『それでも構いません。選択の材料は意識的である以上に、無意識的であることにも大きな意味を持ちます。そしてそれは、「生」に対しても同じこと。それを問いかけた時点で、生への渇望は無くなってはいないのですから』
問答の末に、彼女は、停雲はため息を吐く。
「……皮肉なものです。誰しもが抱えている「生」が、何よりも面倒な悩みだなんて」
そして、停雲は眠る自分へと歩み寄った。
『「生命」、「壊滅」、全く異なるように思えるそれでさえ、一つの道、一つの盤上に共に存在する形に過ぎません』
『きっと、あなたの道の先に……』
『──待ちわびた答えは、示されるはずです』
◇◇◇
「おや、ようやくのお目覚めですね」
ガラス張りの装置の中、おぼろげに目を開く彼女へと、ルアンは笑いかける。
「あなたの商会は絶滅大君の襲撃を受け、あなた以外は皆死を迎えました。これが、あなたの抱える不幸です」
「そして、あなたは「壊滅」を堪え、死を免れました。これが、あなたの抱える1つ目の幸運です。私でさえ、「壊滅」に真っ向から対抗できる生命は数えるほどしか知りません。本当に、良く頑張りましたね」
「……では、まだ幸運があると……?」
「はい。……私が、あなたに出会えたということです」
そう言って、彼女はいつもの調子で微笑んだ。