「はやく……!!はやくしないと……!!」
モーディスの儀式と、丁度入れ違いになった。
オクヘイマの人混みをトリアンは必死に駆け抜ける。
もう門は開けない、もう力は残ってない。
そうだ、どうしてボクは思いつけなかった?
ディタちゃんは優しい子だ、あんな言い方したら……絶対、ボクを助けようとするに決まってる……
そんな後悔が過る中、必死に走る彼女の背を一つの声が呼び止めた。
「大丈夫ですか、トリアン様?」
「……ヒアンシー、ちゃん……?」
「……!!酷い出血……いえ、これはトリアン様のものでは……?」
「お願いだ、ヒアンシーちゃん……あの草原に、ディタちゃんが……」
「ディタたん……?ディタたんに何があったんですか……!?」
「このままじゃ……このままじゃ、ディタちゃんが死んじゃう……!!」
◇◇◇
「アーロディッタ……?」
「あ、アグライア様……」
金糸を追って昏光の庭へたどり着いたアグライアを出迎えたのは、わずかに焦燥するヒアンシーと、静かなアーロディッタの姿だった。
身体中を包帯で覆われ、金色の美しい目を閉じた彼女の姿は、奇しくもアグライアが彼女を拾った、数百年前の日のことを思い出させた。
「トリアン様が言うには、「黒衣の剣士に心臓を貫かれた」と……。いつ目を覚ますかは分かりませんが……でも、まだ生きているのは流石ディタたんです」
「そうですか……アーロディッタは、生きているのですね」
「はい。……黄金裔に下された神託、ディタたんのものは──」
「「汝は世界を映す鏡を割り、全ての火を以て星の終末に臨むだろう」……それが、アーロディッタに贈られた神託です」
アグライアは包帯越しに彼女の胸に手を当てる。
ゆっくりと弱く、細かく、痛々しく。
けれども、それはまだ脈を打っている。
黄金の血は、まだ彼女の身に流れている。
ふと、アグライアの頬を涙が伝った。
彼女を人に繋ぎ止める、たった二つの鎖。
それはまだ、決して外れようとはしなかった。
「……ヒアンシー、後を頼みます」
「分かりました。……アグライア様は、この後どうするんですか?」
「決まっているでしょう。一対一で今のアーロディッタを退けられる相手は聖都においてもそう多くはありません。ましてや痕跡から見るに黒い剣士は暗黒の潮に近い存在、必ずこの先敵対することとなります」
「……!それはつまり……」
「ええ。火を追う旅の下、私達の手で黒衣の剣士を退けます」
「神悟の樹庭、襲撃」、その凶報が訪れたのは、それから間もなくのことだった。
◇◇◇
アーロディッタは、再び目を覚ました。
けれどそれは、一切実感を伴わないものだった。
胸の傷は塞がっている。
むしろ、あの瞬間には塞がれていたような気すらする。
けれど、生きている感覚も、動いている感覚もない。
彼女は自分が幽霊、あるいは情報そのもののようだと錯覚する。
ただ暗い周囲を見渡すと、無骨なパイプ、配線、ディスプレイの山。
オンパロスが華やかな舞台だとすれば、まるで舞台裏、あるいは外側のようだった。
帰らなければ。
帰らなければ。
舞台への帰り道を探して、彼女は神話の外側を歩き出した。