「「完成品」……?」
星はその言葉を反芻し、思考する。チーズフォンデュケーキやアズキアッシュ達の発言、ルアン・メェイの独白、そして「インシァン・ルアン・メェイ」、並べられた数々の情報と状況証拠を繋ぎ合わせ、真摯に新たな事実を求める彼女の姿は奇しくもルアンのものとよく似ていた。そして彼女が思考に耽っていた間に復旧した小型ロボットが音声を鳴らす。
「認証成功。ジー、ジー、以下のサービスから選択して下さい。1、訪問者記録の照会。2、「シャーレ」入口の開放」
「……なら、訪問者記録の照会」
「ジー、ジー、ルアン・メェイ氏、インシァン・ルアン・メェイ氏、べリタス・レイシオ氏」
「……やっぱり」
星は考える。さっき小型ロボットに尋ねた時もその名は確かに存在していた。「べリタス・レイシオ」、このタイミングで封鎖部分に足を踏み入れている以上、おそらく無関係な人間ではない。彼女はその名を脳の片隅に留め置くと、小型ロボットに「シャーレ」を開放するように伝えた。上から、電子音のようなものが遠く聞こえた。
「……よし、行こう」
そして彼女は小型ロボットに別れを告げ、星はルアンの隠し部屋を後にした。
◇◇◇
「刮目するがいい、この天才的な一手を!」
そう言って、石膏の胸像のようなマスクを被った男は空気座りをしながら、浮遊するチェス盤の白いルークを動かす。そして「どのようにして破る?」と彼は挑戦的に尋ねたが、対面に座った彼自身は黒いナイトを取った。
「そう聞くのはアホだけだ。ここに打ちさえすれば……」
そして彼がそのナイトを盤面のウィークポイントに打とうとしたその瞬間、その目の前には隠し部屋から戻って来た星の姿。彼はチェス盤を消し、代わりに愛用の本を手に取ると「悩んでいるようだな」と彼女に声を掛けた。
「……トラブルか?」
「っ……」
「それなら……自分でなんとかしろ」
その答えに立ち止まる星に彼は話を続ける。
「何をぼんやりしている?君にそこで立ち止まる時間はあるのか?僕には、そうは見えないがな。そのエレベーターから下に向かうと良い。そうすれば、君の求めるものはまた一つ見つかるだろう」
「……あんたは、誰なの?」
「ほう。わざわざそれを聞く意味があるのか?自分で考えてみるといい。それを推測するのにはまだ情報が足りないのか、そして今直面している問題にその答えが有益かどうかを。もし有益でないのであれば、今すぐに止めることを勧めよう。僕達にとって、時間ほど貴重な資源はないからな」
そう言われて、星は先程の訪問者記録から彼がそうなのだと推測する。それに気付いたらしい彼は「そうだ、それでいい」と頷いた。そして彼は再び口を開いた。
「では、簡潔に纏めよう。僕は君のことも、君がルアン・メェイの手伝いをしていることも、その途中で彼女の実験について知ってしまい、その真実を探っていることも知っている。そして宇宙ステーションの訪問客であった僕は君に先んじてここに迷い込み、君と同じように彼女の実験について知ってしまった。僕の目的は君とおおよそ一致している。そしてルアン・メェイから直接の依頼を受けた君がいる以上、僕は無用な干渉をするつもりはない。しかし、君が失敗した場合は僕が介入し、それ以上のトラブルを防ぐことにする。君が知るべきことは以上だ。非常に効率的だな」
「そっか、ありがとう。結構いい人なんだね」
「僕は僕自身を含めて、礼儀知らずや無作法、口汚い者が嫌いだからな」
そして彼はエレベーターの方へ振り返ると、星の背を押した。
「さあ、行くと良い。ルアン・メェイの「大きなトラブル」は下の巨大なシャーレに隔離されている。……「天才の大いなる失敗」を見届けると良い」
「……分かった。じゃあね、レイシオ」
「ああ。健闘を祈る」
別れを告げ、星はエレベーターに乗り込んだ。
◇◇◇
長い、長いエレベーターと、斜行昇降機を経てシャーレに辿り着いた星。そこには、ただ一つの、大きく割れた、巨大な球状の培養器のみが天井からぶら下がっている。「これが、大きなトラブル……?」と辺りを見回す彼女の耳に入るのは、バチバチと鳴る設備のショート音のみ。彼女は恐る恐る足を進め、その中心に到達した。そして星がふと視線を落とすと、そこには割れた培養器の破片と、溢れた鈍いオレンジ色の、粘度の高い液体。彼女はしゃがんでそれを指につけ、指の間で伸ばし、その正体を考えていたが、一瞬だけそれを影が覆い、ふと悪い予感を感じて腰を上げる。
「まさか……!」
そして星がその目を見開いた瞬間、その背後に「大きなトラブル」「天才の大いなる失敗」は姿を現した。彼女はとっさにバットを振り抜き、それに抵抗する。強靭な殻、蠢く羽、鋭い鋏角、巨大な顎。それは星が模擬宇宙「宇宙の蝗害」で目にした「
「っ……?!」
それは甲殻を煌めかせ、数多の同族を殖やし、何十、何百重もの羽音を響かせながら目の前の敵たる星に襲いかかる。彼女がバットを振るって何匹かを排除しようと、それを上回る速度で増殖し、襲いかかる蟲の群れ。そして星のバットが弾き飛ばされた、その瞬間の出来事だった。
「あれは……?」
それは蟲の群れに割り込むように舞い降りた、墨染の和紙に桜吹雪を彩った、一面の扇子。時を遅らせるかのように優雅に、ゆっくりと落ちるそれを、星が反射的に手に取ったその時、誰かに首を撫でられたかのような感覚と、目の前の蟲を退けるには十分な、それらと同質のエネルギーが彼女の身体に満たされる。そして星がその扇子を一薙ぎすると、黒い風が幾多の蟲を襲い、それを打ち払う。かくして、彼女は「繁殖」の運命に足を踏み入れた。しかし、それに抵抗するかのようにスキャラカバズはその顎に膨大な量子エネルギーを蓄積し、星に向けて投下する。その名の通りに「星を砕く」かのような一撃に対し、彼女はその扇子に意識を集中させ、スキャラカバズに向けてブーメランのように放り投げた。
「お願い……っ!」
黒い風を纏ったその扇子は、その量子エネルギーごとスキャラカバズを両断し、ふわりと彼女の手元に戻る。そして「使令」であったはずのそのつんざくような断末魔と共に、星は、「天才の大いなる失敗」を見届けた。そして、それを見届けた男が、もう一人いた。
「「52秒後、本来59秒の命を持つはずだったそれは、彼女と、彼女から力を受け取った少女の手によって滅ぼされてしまった。まるで、最初から何もかもが存在しなかったかのように」……。脅威は排除され、これで幕引きか。では、僕も去るとしよう」
その景色を上層の窓から見届けた彼がそこを離れると同時に、星も一面の扇子と、弾き飛ばされたバットと共に、ルアンの元へ戻った。
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