それは、とある少女が両親を亡くし、少し大人になり、そして彼らの名を取って「ルアン・メェイ」と名乗り始めた、そのような時だった。
彼女は今一度自身のルーツに立ち返るために「ノーマンズランド」と呼ばれる星を訪れた。かつてまだ幼かった頃、母に連れられて訪れた氷に包まれたその星で、氷漬けになっていた巨大な生物が蘇るのを見届けた彼女は、初めて「生命」の本質を垣間見、そして深く魅入られた。彼女の「運命」はその瞬間に決定付けられたのである。
再び足を踏み入れたその地は、彼女の成長など全く意に介さずに変わらない白銀を保っていた。かつて彼女の目の前で蘇ったそれは再び氷の山の中に閉じ込められていて、再び蘇る気配がないことに彼女は少し落胆した。視界に溢れる懐かしい景色に彼女は郷愁の念や好奇心を抱きながら、かつては多くの家族や仲間とともに歩いていた地を、一人で進んだ。
そして、「ノーマンズランド」の到達不能極に辿り着いた彼女を待っていたのは、水晶の様に透き通った氷の壁に閉じ込められた、一本の牙と一片の殻だった。彼女がその氷壁に触れると、それはまるでその瞬間を待ち望んでいたかのように、無数の亀裂を奔らせ、そして砕け散った。そして、彼女はその中の牙と殻を拾い上げた。それに触れた瞬間、彼女はそれがまだ「生きている」ことに気がついた。「生きている」としか形容できない感覚が、彼女の手のひら、指先から神経を伝い、脳まで伝わったのだ。かつて巨獣の蘇生によって自身の研究の道の始まりとなった地で見つけた「生きた残骸」を、彼女は標本として回収した。
◇◇◇
その戦利品は、一人きりの研究室に戻った彼女にサプライズをもたらした。結論から言えば、それは「宇宙の蝗害」の残滓だったのだ。遺された牙は「貪慾」の星神、「ウロボロス」から抜け落ちたものであり、遺された殻は「繁殖」の星神、「タイズルス」から剥がれ落ちたもの。それが「ノーマンズランド」という星の特性によって、奇跡的にコールドスリープ状態になり、生きたまま保存されたものが、彼女の手に入れた標本の正体だった。
彼女は、それらを培養し、組み合わせ、一つの完全な「生命」を創ることを目論んだ。そして、彼女はその実験にもう一つのエッセンスを加えることを思いついた。「人は星神になれるのか」、かねてより抱いていた疑問を、それらを用いて解決できると考えたのだ。そこには二柱の星神の、生きた残滓があり、そして一人の人間がいた。彼女を阻む障害は、ただの一つも無かった。
彼女のアプローチは、神をも恐れぬ大胆不敵なものだった。彼女は血液から取り出した自身の遺伝子に「
その実験は、彼女の研究の日々に新鮮さを与えることになった。培養器の中に浮かぶ実験体は最終的にヒトの受精卵のような形を取り、成長を続けた。彼女は、実験体の成長には培養液の温度が35度前後であることが望ましいことに気がついた。それは、少し低い彼女の体温と同程度だった。
彼女の遺伝子が主導権を握っているのか、実験体は、ヒトの胎児の成長過程を辿った。実験開始から一ヶ月が経つと、その身体には弱々しい心臓や神経、四肢が形成され、二ヶ月も経つと彼女は実験体が雌であることに気がついた。そして時が経つにつれて、彼女が研究に対して当てるリソースの殆どが、その実験と、実験体に割かれるようになった。実験開始から半年が経つと、その実験体は四肢を少しずつ動かし始め、培養器を蹴ったりするようになった。彼女は、自然とその実験体に声を掛けるようになった。内容は、取るに足らないもの。気に入っている演劇、流行っている曲、最近美味しかった菓子……。内容を実験体が理解しているのかは分からなかったが、彼女が話しかける度にそれは少しの反応を見せた。彼女は、それに得も言われぬ喜びを感じた。
◇◇◇
実験開始から十ヶ月と少しが経った、春の日のことだった。その実験体は、極めて安定した状態を迎えていた。いつものようにそのパラメータを管理していると、ふと、彼女は普段とは違う、桜の菓子を口にしたくなった。無性に、と言って差し支えないものだった。研究室には普段口にする梅のものしか無かった彼女は、少し実験体から目を離し、街へ買い物へ向かった。
そして、彼女が帰ってきて、菓子の準備をしていると、とうとうその瞬間は訪れた。実験体は、培養器を必要としない領域まで成長を遂げたのだ。彼女は少し躊躇った後、培養器の電源を落とした。培養液が抜かれ、実験体が金属の底に横たわる前に、彼女はそれを取り上げた。開けた培養器から、少しの培養液が溢れた。そして、彼女が実験体をそばに置いてあったタオルでくるむと、それは肺呼吸を始め、大きくなく、されど小さくもない声で泣き出した。
彼女には、躊躇いがあった。自らを原因として、両親を亡くした故のものだった。彼女は「それ」になる決心が付かなかった。そんな葛藤がありながらも実験体を抱きかかえながら、ふと、彼女が傍らに目をやるとそこには一面の扇子と、用意しかけの桜の菓子があった。窓の外を見ると、桜が強く吹雪いていた。彼女は、口を開いた。
「桜……扇……桜の扇……「
そう呟くと、実験体は泣き止み、無邪気に笑った。彼女も、少し嬉しそうに笑った。「分かりました」、彼女はそう言って、語りかけた。
「……「ルアン」、「メェイ」、それぞれ、私の両親の名前で、「ルアン・メェイ」が私の名前。どっちも、私の名前です。ですから、あなたは……「インシァン・ルアン・メェイ」。……私の、たった一人の娘です」
こうして、大人になりたての少女と、とある実験体は、一人の母と、一人の娘になった。
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