ルアン・メェイ。天才クラブ#81。生命科学の分野に名を轟かす彼女は俗世を離れて一人で研究を行っており、その名と才能以外の「ルアン・メェイ」について知る者はほとんどいない。彼女自身も研究と幾つかの趣味以外には、自分自身にさえ大した興味を持っていない。ルアン・メェイとは、そのような人間である。
そんな彼女は、とある街並みを歩いていた。未だに慣れないスマートフォンで、メッセージ履歴を遡りながら、送られていた座標を目指して。手元には、風呂敷で包まれた菓子や茶類、それと、幾つかの研究資料に実験道具。彼女の為のお土産だった。
「えっと……次の曲がり角を左に行って……?」
時々足を止めて、マップアプリで現在地を確認するルアン。すれ違いざまにその顔を見て「綺麗な人」と思う通行人はいれど、彼女が何者かと気づく者は誰一人としていない。「隠者」を自称する彼女には丁度いいものだった。そしてようやく道に目処を立てると、彼女はいつものように焼菓子の香りを纏いながら歩き出した。
◇◇◇
「……ここ、ですね」
送られてきた座標と今の現在地が合っていることを確認すると、ルアンはメッセージに記された手順通りに、外れそうな扉を2回、3回、1回と順にノックする。そして一瞬の、読み込み時間のような間を挟んで扉は開いた。電子機械らしいその扉の奥はちょっとした応接間、ロビーのようになっていた。そしてその扉が開いたことに気がついたのか、ゲームを中断した銀狼がちょっとした早足で階段を降り、ロビーに向かった。
「何?今日誰か来るなんて聞いてな……って、ルアン・メェイ?」
「銀狼さん、ですよね。ご無沙汰しています。突然訪ねてしまってすいません。一応、あの子には伝えておいたのですが……」
「ちょ、ちょっと待ってて。カフカ呼んでくるから」
そう言って彼女は階段を登り、「カフカー!ルアン・メェイ来てるー!」と部屋でバイオリンの演奏に耽るカフカを呼ぶ。しかしバイオリンの音色に加えて部屋に施された防音加工に負けた銀狼は仕方なく彼女にスタ連する。それでようやく気づいたカフカは素早く化粧を済ませて降りてきた。
「お待たせしたかしら、ルアン・メェイ」
「いえ。お久しぶりです、カフカさん。ところで、あの子は……」
「インシァンなら、今は刃ちゃんとホタルと一緒に買い物に行っているわ。あと30分くらいで帰ってくると思うけど」
時計を指差して言うカフカに、ルアンは「では、待たせて頂いてもいいですか?」と尋ねる。
「もちろん。上がっていってちょうだい。インシァンには連絡しておくわ」
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
そう言ってルアンは靴を揃え、彼女達の拠点に足を踏み入れた。
◇◇◇
「ただいま帰りました、お母様!」
そう言ってインシァンは勢いよくダイニングの扉を開けた。その後に続いて「急ぎ過ぎだよ、インシァン……」とホタルが、そして大量の荷物を抱えた刃が入ってくる。
「皆お疲れ様。それにしてもインシァン、せっかくお母様が来るのなら、私達に教えてくれても良かったんじゃない?」
「えっと……その、舞い上がってしまったと言うか、嬉しくなってしまって……」
そう言って僅かに顔を赤らめるインシァン。ルアンは「元気そうで何よりです」と持って来た茶菓子と共にカフカの淹れた紅茶を飲みながら微笑む。
「そういえば、梅がよく漬かったんです。皆さん、よろしければ」
そう言ってルアンは風呂敷の中から梅とシロップの入った瓶を取り出し、テーブルの上に置く。その蓋を開けると、ふわりと漂う甘い匂い。カフカは「今度ケーキでも作ってもらおうかしら」と一つ摘みながら言った。インシァンは「実は私も……」とキッチンの棚から瓶詰めの桜のシロップ漬けを取り出した。ルアンはそれを嬉しそうに受け取ると、風呂敷に包み直した。
「この頃はどうですか?インシァンが迷惑をお掛けしたり……」
「いいえ。そんなことは無いわ。私だって何度か助けてもらってるし、最大限頼りにしているもの」
「そう、ですか。それは何よりです」
そして始まる他愛もない話。インシァンの幼い頃の失敗談だったり、研究室を欲しがったなんて誕生日の思い出だったり、彼女が月初めが近づくと、ルアンの論文が載った天才クラブの学会誌を買うためにそわそわしてたり、なんて話題は主にインシァンばかり。刃が夕飯の仕込みをする中、ホタルや銀狼はその話に良く食いついている。カフカも星核ハンターに入ってからの彼女のエピソードなんかをお返しに披露していた。そしてインシァンは梅のシロップ漬けを堪能しながらも、その顔を赤くして話を聞いていた。
「……あ、こんな時間か」
システム時間5時を告げる鐘が鳴り、銀狼が呟くと、話は一次中断された。
「お母様、今日は晩ごはん食べていきますか?」
「そのお誘いはありがたいのですが……」
「心配しないで。材料はたっぷりあるもの。今日はしゃぶしゃぶよ」
「でしたら……」
「……後30分ほど待て」
野菜を刻みながら言う刃に、「今日は早めだね」なんてホタルは言う。そしてインシァンは「だったら……」とルアンに提案した。
「お母様、晩ごはんが出来るまで、私の研究を見てもらえませんか?」
「分かりました、良いですよ。場所は……」
「地下室よ。行ってらっしゃい」
◇◇◇
無数の培養器に、画面に並んだデータ。ルアンは「よく出来ています」とインシァンの頭を撫でる。
「この調子なら、「クラブ」の同僚になる日も、そう遠くは無いかもしれませんね」
「ありがとうございます、お母様」
そしてルアンは彼女を撫でながら、手癖のように脈を測り、体温を測る。インシァンは為されるがままになりながら「ねえ、お母様」と口を開いた。
「お母様、お母様は、私のことを愛していますか?」
ルアンは少し考えた後、彼女にしか見せない笑顔でインシァンを抱き締める。
「はい。母は、あなたのことを愛しています。あなただけは、絶対に」
その言葉にインシァンは心底嬉しそうに笑い、自分がルアン・メェイの娘であること、そして「最高傑作」であることを、心底誇らしく思った。
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