「……しかし、あれほど恐ろしい事件が起きたとしても相変わらず、この美しい夢は秩序を保ったままなんだな」
街並みの中で足を止め、ふとヴェルトは呟く。黄泉は「ああ」と静かに頷き、それに同意した。
「例えガーデンであろうと、夢の中にこれだけの構造物を維持し続けるというのは、決して容易ではないはずだ。……いや、ファミリーそのものが、一つの完璧な構造物と言って良いのかもしれない。おそらく、ピノコニーこそが彼等の和音なんだろうな。皆が旋律を奏でるのなら、その旋律は皆に等しく恩恵を与えるんだ」
「なるほど、確かにそれは適切な例えだ。ファミリーはそのようにこの夢境を発展させてきたのだろう」
「だが、人の身体には必ず一つの終わりが用意されている。そして、弾き手のいなくなった旋律は、いつか止まる」
「……それもまた真理だろうな」
そう相槌を打ち、ヴェルトは腕を組みながら考える。そして少しの沈黙を挟んだ後に、黄泉は口を開いた。
「この美しい夢は既に、決して緩やかでない速さで、崩落への道を辿っている。しかし、それはこの夢の外から齎されたものではない。むしろ、それは夢である以上は必然の崩壊だ。そして、ファミリーがその事実から目を逸らし、否定しようとする程に、その崩壊は加速度的に進んでいく……」
「そうだな。人は、夢だけに生きていられる生命ではない」
「ああ。何の代償を払うこともなく、何の苦痛も追うこともない、無条件で一方的に与えられるだけの安楽と快楽は人の精神を確実に蝕み、腐らせていく。徐々に「壊死」していくんだ。例え極楽浄土であろうと、人には、決して逃れられない、確実な死が待ち受けているのだから。そして、その「壊死」は外れた音に変わり、その外れた音は旋律を成す音を乱しながら響き、乱れ切った旋律は旋律であるというそのものを保てなくなり……やがて、全ての音が跡形もなく崩れていく」
「最後は、人々の自由を謳う歌声が、自由を求める叫び声と変わり果てる……というわけか。……良かったら、もう少し話を聞かせて欲しい」
ヴェルトの言葉に「覚えている限りで良ければ、だが」と彼女は答え、そしてその手を僅かに下ろすと、その刀に手を掛ける。彼はその様子に僅かに訝しんだ。
「……?」
「……ああ、ただの癖だ。気にしないでくれ。私は、とある過去のせいで、少し忘れっぽくてなってしまってな。この刀に手を触れ、鞘から抜くと、朧気な記憶が少しだけ鮮明になるんだ」
「事情があるなら、とやかく言うのはよそう。君の好きにして構わない」
数秒の間、鞘と鍔の間の刃が晒される。そして、再びカチャリとその刃が納められると、黄泉は「これで大丈夫だ。ピノコニーの記憶なら、満足に答えられる」と頷いた。
「それで、どこから話せばいいだろうか」
「そうだな……もう一度、星との出会いから聞かせてくれるか?」
「ああ、構わない」
そう言って、黄泉はかつて星に話したことを始めとして、自らの過程を語る。星から聞いたものと、そこからの推測にも一致したが故に、ヴェルトが彼女に欺瞞の意図がないことを再確認する中、彼女は「そうだ」と何かを思い出したようだった。
「あなたに、聞きたいことがあったんだ」
「俺に?……分かった。答えられることなら答えよう」
「きっと、あなたも知っているはずだ。……星核ハンター「桜花」について」
「ああ、知っている。だが、何故、その名前を出したんだ?」
「「サム」と交戦した際、私達は幾つか言葉を交わした。その中で言っていたんだ。「「桜花」は、最もピノコニーの真実に迫っている」、と」
「……確かに、銀狼のハッキングによって夢境ホテルに侵入出来たのを見る限り、星核ハンターが大きな情報を握っていると考えることは自然だな」
「ああ。だけど、私は彼女と接触したことがないから、考えようにも情報が足らないんだ。だから、「桜花」についてのあなたの所見、見解を知りたい」
「分かった。……彼女は、俺が見た中で最も完璧な生命体だ。いや、そう感じさせる何かがあった、と言うべきか。さっきモクテルを飲んだ時に思い出したが、俺は彼女と2回会っているんだ。ホテル・レバリーのバーラウンジと、この「黄金の刻」の中……丁度、君と合流する直前にな。そして、そのどちらもまるで現状を知り尽くしているかのような口ぶりだった」
「直前……もしかして、あの気配が……」
黄泉は目を瞑り、考える。そして数秒の空隙を挟んだ後に「ああ、そういうことか」と彼女は目を開いた。
「どうやら、お役に立てたようだな」
「感謝する、ヴェルトさん。……彼女も、「サム」もそうなのであれば……星核ハンターは、あなた達、星穹列車の味方かもしれない」
「……なるほど。確かに、彼女からは一度も敵意を感じなかった。しかし……彼等にそうしなければならない理由があるのか?」
「「サム」は、「星核ハンターの仕事は「星穹列車を時計屋の遺産争奪戦に参加させる」ことだ」と言っていた。この状況まで持ち込んだ時点で、その役目は充分に果たせたのだろう」
「他には何か言っていたか?」
「……ああ、そうだ。「サム」は「順調な失敗」を重ねてるとも言っていた」
「順調な失敗」という言葉にヴェルトは先程の「桜花」の言葉を思い出す。そして「「桜花」は何かを言っていたか?」と尋ねた黄泉に、ヴェルトは「ああ。役に立つかは分からないが」と頷いた。
「彼女曰く……「今日は七日目」だと」
その言葉に、黄泉は俄にその目を見開いた。
この二人本当に難しい