「……ここは……」
そんな声を漏らし、彼は目を覚ました、その辺りを見回す。巨大なブラックホールに、際限無く広がる静かな黒い海、深々と降りしきる糸雨。「成功した、のか……?」と、彼はまるで誰よりもそれを信じていなかったかのように、呟いた。
「──この悲しい世界へようこそ、
「──あなたは私の……ううん、全てのエヴィキン人にとって、一番大切な宝物なの──」
「──そこで2日間生き残れ。それが、お前の価値の証明だ──」
「──富も、地位も、権力も……カンパニーは、あなたが望む望まないに関わらず全てを与える──」
「──だから、私達は……次の「
そんな、ありきたりな走馬灯が、彼が進むとともに過ぎ去っていく。一歩、一歩と踏み込む度に、これがこの世の果てであると、その確信が強まっていく。
「残念だが、ここはあなたの目的地ではない」
その確信は、彼女の静かな言葉によって打ち崩された。彼女は、その背に立っていた。
「……そうか、君が……「虚無」、なんだな」
「外からあなた達が見たのなら、私は、確かに正体を隠した「使令」だったのかもしれない。だが……「
「それだけ……か。いや、僕には少し難しい話だ。だから……1つだけ、教えてくれないかい、「虚無」?僕は僕のゴールに……「死」に、辿り着けたのか?」
「これは、たった一瞬の夢。無数に拡がる「IX」の、ほんの一部。其が見守る中で、私達は刹那に留まり、またそれぞれの道を歩き出す……」
「……どうやら、僕は「結末」に辿り着いたみたいだね」
彼がそう呟くと、彼女はその赤い瞳を閉じて答えた。
「あなたがそれを望んでいるとしても……私には、何も約束できることがない。ただ……あなたは、これ以上偽る必要はないはずだ」
「……どういう意味だい?」
「あの遊園地でのあなたのショーは、とても興味深いものだった。あまりに多くの虚勢に満ちていながらも、単純で、それでいて実践的な技術を以て、ほとんどの人を騙し切ってみせた。あなたが自らの全てを投げ打ち、自らの命まで賭けの代金とした理由が、反証された事実を再証明し、全てのテーブルを引っくり返すため……「ピノコニーの夢境に「死」は存在しない」という事実を再確認するためだったとは、誰も思わないだろう」
「はっ……僕がそんなことをしなくちゃいけない理由が、一体どこにあるって言うんだ?」
「それだけが、この夢に隠された「それ以上の真実」を手にするための、唯一の方法だからだ。夢の中で「偽りの死」を迎えなければ、決して辿り着けない場所。華やかな宴の中で、誰もが追い求める約束の地──時計屋の遺産、「流刑地」ピノコニーを」
「……」
彼は肯定するでも、否定するでもなく、静かに目を瞑り、ただ沈黙する。そしてその瞼を再び開けて「……誰にも、伝えてなかったんだけどな」とはにかんで言った。
「どうして、君は分かったんだ?」
「私も、決して思い至ってはいなかった。……「彼女」の正体に、気が付くまでは」
「……やっぱり、君も知っていたんだね。確かに、「殺人事件」はファミリーを追求するには良い口実だった。でも、それは口実でしか無い。それだけじゃ不十分だった。実際のところ、ピノコニーで1人や2人が死んだところで「夢」が揺らぐはずがないんだ。この夢は穏やかな大海原なんかじゃない。実際は、絶海に浮かぶ小さな孤島だ。ファミリーは「調和」か、あるいは別の何かで高い壁と深い堀を築いて、人々が荒波に呑み込まれないように守ってる……、……同時に、その壁を利用して彼等は知られるべきではない秘密を、その深海に葬った。その真実は硬く鎖されて、満ち足りた人々にもたらされることは決して無い。ただし──」
「誰かが、その壁を越えない限り、か」
「ああ。そして、それは確かに為し遂げられた」
彼女の言葉に頷き、そして彼は、まるで種明かしをするかのように語り始めた。
「親切な愚者が良いヒントをくれたんだ。「口が利けない人を仲間にしろ」ってね。その意味は「声を出せない人」ということじゃなくて、「言葉を話せない人」って意味だと僕は信じた。なら、後は簡単だ。何せ、このピノコニーには深海から生還したが故に、ステージに立って話せなくなった歌姫がいたんだから。もし全てが最善を辿ってるなら……今頃、彼女達は上手く合流してるはずだ」
「「ヒント」……「証拠」じゃないのか?」
「ああ。残念だけど、僕の計画に「証拠」はないんだ。確かに、真相を解き明かすというなら明確な証拠が要る。でも、何かを疑うだけならそんなものは必要ない。そして僕がファミリーを切り崩すには、疑うだけで充分だった。あの記憶域ミームが無くたって、同じように僕を殺せる何かがいたならそれで事足りたんだ」
「私には、そうじゃないように思える。あなたは充分な確信を得られているようには見えない。わざわざ放送を乗っ取ってまでより多くの人々を巻き込もうとしたのは……あなたが「誰かが壁を越える」可能性に賭けたからじゃないのか?私の刃が「調和」を切り裂き、そしてあなたが今ここに立っているという結果、私達の歩む道がここで交わったという運命……あなたは、確かに幸運だ。だが、それ以上に聡明だな」
「それは、褒め言葉と受け取っておくよ」
「あなたは私と星穹列車が対立するよう仕向け、「使令」という言葉を繰り返し強調することで、私の退路を断った。私が刀を抜かざるを得ないように動かし続けたんだ。その全てが、あなたを勝たせている。策略は時の運によって裏付けられ、時の運は策略によって万全に至る。それらは揃ってこそ、初めて勝負に勝てるんだ。あなたはただ1人で、必ず勝利する筋書きを描き上げた。その勝者はあなたではなく、カンパニー。最後に、あなたが賭けに負けたとしても……使者の死は、ファミリーの深刻な傷口となるからな」
「君は、僕が大きなギャンブルを仕掛けたと思っているんだろ?でも、これだけは言わせてくれ。カンパニーが、必ず勝つ訳じゃない。常に、重要な場面においては……僕には、一切の退路が無い。僕に出来るのは、精一杯に「出来るように見せる」だけ。星核を爆発させることなんて……僕には、出来やしない。粉々になった僕の「
「それは、今するべき話ではない。あなたは勝った……死水へ潜る権利は、あなたの手が掴み取ったんだ。その深淵に向かうために……あなたは、彼女達を仲間にしたんだろう?」
彼女の質問に「そこまで、気付かれてるか」と再び、敵わないな、とでも言うかのように表情を崩す。
「あなたには、そのショーを見届ける「協力者」と共に、その先で戦うための「本当の協力者」が必要だった。あなたが計画を隠しながらもその先を見透かし、それでいてこの夢にて明確な切り札となり得る、そんな協力者が。この膨張し続ける夢に対抗するためには、あなた1人では不可能だった。何故なら──」
「……「この夢は七日目だから」、だろ?少なくとも、僕達は同じ夢を6回やり直してる。辛うじて、僕の砂金石は「やり直し続けてる」という記憶だけは、ここまで持ち越してくれた。正直、これにどれだけの人が気付いているかは分からない。でも、君と……彼女達は、気付いていると僕は賭けた。何せ6回やり直してるってことは6回失敗したってことだ。僕としても……なりふりかまっていられなかった」
「……この先は大きな賭けだ。あなたは、再び全てを失うかもしれない。それでも、あなたは迷わないのか?」
彼はその言葉に少し躊躇いながらも、ゆっくりと答えた。
「もちろん……迷ったことなんて、いくらでもあるさ。でも、僕は自分の幸運を信じるしかない。だって、僕にはそれしかないんだから」
「……この夢から覚めたのなら、あなたは行くべき場所に行くと良い。彼女達はそこで待っているだろう。あなたの賭けは、まだ終わっていないんだ」
そう言い残して、彼女は去ろうとする。その背中を、彼は「その道を歩む君に、最後に、1つだけ聞かせてくれ」と呼び止めた。
「……どうして……僕達は、死ぬために生まれてくるんだろう?」
「私はそうは思わない。あなたと、同じようにな」
「でも「虚無」はいつだって僕達を……全てを、こうして包みこんでるじゃないか」
「だからこそ、そんなものに意味はないんだ」
彼は、巨大な、まるで誰かを待っているかのような、でも誰も待っていないような、漠然としたブラックホールに目を遣った。
「でも……それは、まだそこに確かにあるだろう?もし、僕らの振る「
「……きっと、私の答えはあなたの迷いを消し去るものではない。それはずっと、あなたと共に歩んできたもので、もうあなたとは切っても切り離せないほどに深く繋がっている……、……でもあなたはこうも言っていた。「睡眠は死の予行演習である」「僕達は、まだ誰も「死」を迎える準備が出来ていないからさ」と。なら、あなたはもう分かっているはずだ。私達が何故、「準備」したいと思うのかを。結末は、結末に過ぎない。しかし、それが決して変わらないとしても……そこに至るまでに、人に出来ること、人の望むことは必ずある。そしてそれこそが……「結末」の意味を決めるんだ」
「……」
「まだ迷うというなら、そのポケットに手を入れてみろ。あなたの友人は、その答えをすでに示している。……幸運を祈る」
そう言って、彼女は今度こそ去っていく。彼は1人、ポケットに入っていた「処方箋」を開いた。
「『夢の中で不可能なのは「死」ぬことではなく、「熟睡」することだ』」
「『生きろ。幸運を祈る』」
記された言葉を、彼は静かに噛み締めた。その時は、迫っていた。
「……じゃあ、僕も行くとしようか」
「お兄さん、もう行っちゃうの?もう、この夢を出ていっちゃうの?」
現れた「過去」に、彼は「ああ」と優しく頷く。
「ここには、彼等がいないから。父さんも、母さんも、姉さんも……」
「じゃあ、その人達はどこにいるの?」
「みんながいつか行くところさ。遠く……遠く、離れたどこかにね」
「じゃあ、お兄さんもそこへ行くの?」
「うん、いつかは行くよ。……でも、今じゃない。いつか、また空から雨が降る。いつか、また空にオーロラが輝く。きっと、地母神がその目を開く時が来る。そんな、運命の時が来て、僕が胸を張って会えると思えたら……その時は、きっと彼等に会いに行くよ。だから、僕は家族に胸を張るための「準備」をしないといけないんだ」
「「準備」……って、どういう準備をするの?」
「それは、僕にも分からない。でも……僕は、彼等の誇りにならないといけないから」
「ふぅん、そっか……うん、お兄さんならきっとなれるよ。頑張ってね」
「ああ、もちろんだとも。僕は……
「……でも、まだ緊張してるみたいだね?」
「ああ、僕もそう思う。もしかしたら、君なら僕を助けられるかもしれない」
そして彼は「過去」の下に歩み寄り、しゃがんで、目線を合わせる。そして彼は、幼いその頭を優しく撫でた。
「もう行くんだね」
「ああ。……」
「「「地母神が三度瞳を閉じますように……」」」
「「「その血が永遠に巡りますように……」」」
「「「旅がいつまでも平穏でありますように……」」
「「「……計略が決して露見しませんように」」」
そして彼は立ち上がり、手を振りながら歩いていく。
「僕達は次のオーロラと共に再会出来る」
「さようなら、カカワーシャ」
そして向こうへ進んでいく
アベンチュリン編、これにて完結です。
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