その老人は冷たく、そして静かに、安楽椅子の上で、一つの泡を抱えて眠っていた。その決して覚めない眠りの上、記憶域の水面には、その空で最も荘厳で、それでいて最も美しい「
「3人目のナナシビト……「時計屋」だったんだ……」
「ああ。そして彼はお前達のような、いつか自分の下を訪れるナナシビトのために遺産を遺した。それこそ、この夢の泡だ。きっと、この中にはナナシビトにだけ意味がある何かが保管されてる」
「何しろ、俺には全く反応しなかったからな」と自嘲気味に笑うギャラガー。姫子は星に、「あんたが見ていいわよ」と目配せする。彼女もそれに頷き、そして目の前の「時計屋」の持った夢の泡に、ゆっくりと手を伸ばした。それはまるで、とても密度の高い空気に触れているような、形容し難い感覚だった。その手のひらを包むように憶質は集まり、編まれた手袋のように指の一本一本を支える。そして、憶質の冷たい感覚が指の先を伝ったその瞬間、星はハッと目を覚ました。
「っ……」
「どうしたの?なんかヤバいもんでもあった?」
「まさか……」
「……何も無かった」
「待って、もう一回確かめる」と今度は息を止め、星はその頭を思いっきり夢の泡に突っ込むが、それでもそこには何も見えないし、何も感じられない。空っぽ、それは間違いなく空の泡に思えた。星が顔を上げ、ゆっくりと息を吸う中、なのかや姫子もその泡に手を入れるが、そこには何もない事を理解させられるだけ。「どういうこと?」と彼女達が首を傾げる中、「そういうことかよ」とギャラガーは静かに呟いた。
「「時計屋」はいつも、ナナシビトに対して理由の分からん自信を抱いてた。その計画には常に「開拓」が組み込まれていたが、俺にはその自信の根拠がずっと分からなかったんだ。実際、彼が生きている最中にはたった一回さえ列車と連絡が付くことは無かったからな。だが……ようやく、このじいさんが考えてたことが少し分かった。彼はこの空っぽの夢の泡に、自分の抱いた理由の分からん幻想と、理解不能なロマンチシズムを込めたんだ。本当、最後まで懲りない人だ」
「……いいえ、ギャラガー。ミハイルは一番大切なものを私達に遺してくれてると思うの」
「なんだ、あんたまでこのじいさん側か?」
「ええ。ミハイルが未来のナナシビトを信じたように、私達も過去のナナシビトを信じてる。だって「開拓」のレールは過去から今、そして未来に、途切れることなく続いているんだもの。ミハイル達、3人のナナシビトはこのピノコニーという星の未来のため、自分達の一生を捧げると決めた。そんな彼等が未来に遺すものが、「後悔」なんてもののはずが無いわ。彼はきっと、どうしても私達に託したい物があった。だからこそ、これほどまでに巧妙に隠したんでしょうね」
「はっ、「神秘」の行人である俺には「開拓」は理解し難いな。いや、だからこそ「開拓」はお前達に、そしてこのじいさんにとっても特別な意味を持つんだろう。いいぜ、この先はあんたらの腕に任せるさ」
その言葉に頷き、少し考える姫子。星やなのかは「ま、私達の先輩だしそんなおちゃめなとこもあるよね」と納得しているご様子。そして姫子は小さく頷き、ギャラガーに言う。
「ギャラガー、「ネムリ」とこの夢の泡を貸してもらえないかしら?「黄金の刻」の夢境ショップに行けば、確かめられるかもしれないわ。ミハイルがピノコニーに、ナナシビトに、「開拓」に何を残そうとしたのか」
「好きにしろ」、ギャラガーはそう笑った。