アニスは元の街に戻ると、預かった指示書を開き内容を確認した。
「えぇ…?なんかもうほとんど終わりじゃないですか。これ。俺がやることなんてほとんどないんじゃ…」
しかしそこには交渉役が到着するまでの期間で最低限すべきことが記されている。そしてそこから風魔は各自で他にすべきことがないかを検討する必要がある。
我々は兵士ではない。命令違反はあり得ないが、言われたことをやるだけではいけないと叩き込まれている。
この世界の戦況というものは、たった一つの加護やミーティア、一人の強者の登場だけで容易に変わるのだ。柔軟性こそが生存能力である。
情報をより多く持ち、適切な判断をできるものが都度判断を下すのがベスト。書記官様より適切な判断能力なんて誰も持っていないが、それでも状況を直接見た者の情報量の増加というのは侮れない。
だからある程度の裁量を持たせてくれている。
そうだ。だから、いくつか思いついたことをやっておこうじゃないか。
仕込みのために、アニスは動き人を動かしていく。
報告を行ってからちょうど一週間後、交渉役のエリノア・ボーモントが到着した。
それはマスカレード家が別の護衛と出立する日でもあった。彼らを見送ってからエリノアと合流する。
「以上が、今日まで集めた情報です。追加の指示を願います」
これまでに調査した内容を整理し、予測も含めて報告を済ませる。
「お疲れ様でした。指示をしつつ新たな取り組みまで、やはり皆様は優秀ですね。考えることが少なくて助かります。そしてこの工夫も良いですね。無駄になるかもしれませんが、最悪を想定した場合には機能するかもしれません。協力者の安全については、もう少し工夫できそうですが」
「いえ、この話をしたらこっちよりやる気になっちゃって。子供さえ預かってもらえるならと全力です。彼らもまた戦士でした」
「よく、わかりませんね。そういった方々の考えというのは。どうして危険を冒すのか、いえお気になさらずにこれは個人的な悩みのようなものですので」
このエリノアという才女は確か、書記官様に敗れてこちらに降った手合いのはずだ。明確にはされていないが態度を見れば明らかである。
この陣営には、彼をよく思っていない者も多い。だが、それが当たり前だろう。全員仲良くなど望めるはずがない。
「色々終わったら酒でも飲みながらみんなで話しましょう。指示書には飯としか書いてないですけど、これくらいの変更はいけます。俺もエルザさんも休暇の予定返上ですからね。酒でも飲まなきゃやってられないっすよ」
ニコリと笑って冗談を飛ばす。ケイがいない現場では結構和やかな対話もされていたりする。
ケイに向けるのとは異なる、心からの笑顔をエリノアは浮かべ、それでも仕事を進めていく。
「ありがとうございます。仕事の終わりが楽しみだわ。余計に早く終わらせないといけませんね。とはいえ、ほとんど勝ったようなものですが」
そう言ってエリノアはこの街で一番の有力者の元へ向かう。
その手には武器の一切を持っていない。しかし手元には貴族を殺しうる刃となる書類が握られていた。
まるで鋭い短剣の如き鋭さと恐ろしさを相対する貴族は感じているのだろう。数字という凶器を向けられた貴族は、溢れ出る汗を拭うので精一杯である。
「以上の記録から、この地方における山賊及び盗賊被害が一切出ていないのは、領主関連とあなたの贔屓にしている大商会のみですね。これは明確な証拠とは言えませんが調査をするには十分な材料です。まして当家には話を聞くだけでもこういった疑惑を解決できるお方がいらっしゃいます。ご存じですね?」
「それは、それはもう。十分に。ええ。知っております」
汗を拭い続ける。しかし、まだ一巻の終わりではないとも知っている。かの『風読みの聖女』は一度慈悲をかけるという。その内容次第ではここから穏便に降ることもできるのだ。
もしそれができないとなれば…
そう考えていることも知っている。ケイという人間を好きにはなれないが、その手腕だけは認めているしどこか尊敬すらしている。認め難いが。
「こちらからの要求は、山賊及び盗賊と繋がりのある業者を切り捨てること。それのみです。あるかもわからぬ不正をわざわざ確かめるために公爵様をお呼び立てするなんてあまりに不敬ですからね」
「本当に、それだけで?」
「ええ、こちらが行う大商会への介入をあなた方はただ見守っていただければそれで十分です。もし今後何か協力を要請することがあれば、その時にはぜひ快い協力をお願いいたしますね。ああ、あと空白になる御用達紹介はこちらが案内させていただきますよ。健全に競争させるべきですからね。治安維持に関しては青蓮獅子団にお問い合わせください。料金はいただきますが戦力の派遣は致しますので」
一方的な要望を叩きつけて飲ませる。それは貴族の面子を叩き潰す愚行である。
しかし、あまりにも戦力が隔絶しておりしかもまだ生き残る術を与えてもらっているならば、その蜘蛛の糸を掴むものは多い。
この国の貴族の誇りというものはこの平和な400年の間に腐っているのだ。脅威から離れることで果たすべき責務を忘れている。カルステン家などは本当に珍しい例外だ。
カルステン家の影響下の商会の受け入れに青蓮獅子の常駐。これらの人員を受け入れさせればもう仕事は終わったようなものである。
「ご提案の通りに、致します…。どうか、ご慈悲を賜りたく…」
さて、ここまでは順当に想像通りの楽勝ではあった。けれど次の商会については油断はならない。
ならないのだが、どうにもあの男の指示書を超えるようなことが起こるとも思えない。あの性格の悪く頭の良い自称書記が描いた想定はあまりに多岐に渡る。
その想定の中でも、かなり楽な部類の状況が目の前に広がっていた。
「折角の交渉ではありますがね。当商会としてはその嫌疑の全てが、根も葉も無いものだと言わざるを得ませんな」
膨れ上がった腹をさすりながら大商会の主は不遜に笑う。
「そうですか。それでは後日公爵様直々の査察を受け入れるということでよろしいですか」
「いいえ?ちょうど我が商会も忙しくてですね。以前より交流のあるアナスタシア様のホーシン商会ともこれを機に付き合いを深くしていきたいと思っておりますので、そのような時間はないでしょう。さぁ。お引き取りください」
どうやらこいつは。アナスタシア陣営に降ることで保身をしようとしているらしい。
しかしこいつとホーシン商会は極々薄い繋がりしかない。彼女がこんな落ち目の商会を守るとも思えない。
「そうですか。それでは退席させていただきますね。しかし、良い商会ですね。領主様からの覚えもめでたく跡継ぎの方も順調にお育ちになられている。将来も安泰でしょう?」
「はっ。今度は安い脅しか?それとも親子仲を引き裂こうとでも?無駄な足掻きはやめて帰るがいい。きっと公爵様もご多忙だろうに、こんな僻地までのこのこ来るものかよ」
屈強な用心棒を左右に侍らせて笑うのは確信があるから。公爵は動かない。剣鬼を派遣することもないと。
それは事実だった。クルシュ様やヴィルヘルム様は非常に忙しく、このような些事に割く時間はない。
ならばどうなるか。そこまで想像できるならその先も分かりそうなものなのに。最後の忠告にも耳を貸すつもりはないらしい。
残念な男だ。まぁどうでもいいのだが。
「それでは、さようなら」
エリノアは愚かな男の行く末をすぐに忘れ、今日の夜に楽しむ酒場探しに移るのだった。
「では、一旦の成功を祝って!」
「「「乾杯!」」」
その夜街の酒場では、陣営のものたちが酒宴をはじめていたところだった。
高級とは言わずとも、中流の老舗といった風情の店で奥の個室を貸切にしていた。
相手の大商会が直営する店である。敵地のど真ん中で飯を食えというのが指示ではあったが酒が入ったっていい。
大体、青蓮獅子団や風魔は酒を飲まなすぎるのだ。誰もが酒を飲みながら仕事をしているというのに、硬すぎる。
そんな愚痴をこぼしつつ、今ここで最も不満を溜めているであろう人物に水を向ける。
「それで、どうですか?食いつきの方は」
「ええ、それなりに見られているわね。みなさん奥手のようだけれどしっかり私を見つめているわ。素敵、なのだけれど…」
ダンッと酒盃を机に叩きつけると、エルザは不満を爆発させた。
「戦うなという指示、あれをどうにか解釈を変えて戦えるようにしてくださらない?貴女、頭が良いでしょう?色々試してみたけれど、やっぱりこの手の才能はないみたい。あの書記官様を出し抜けない?」
エルザはそういって体から闘気をみなぎらせる。それに当てられ、少しエリノアは頬を引き攣らせるがすぐに元に戻った。
大したものだ。アニスほどの戦士でも毛並みが逆立って戻らないというのに。少しも戦えない貴族女性にしては彼女もまた異常である。
「いえ、この状況は動かせません。貴女のその我慢ならないという態度もあの男の計算に含まれているでしょう。イラついた貴女の剣呑な雰囲気を見ればある程度の実力があれば戦士か暗殺者であると理解できる。それを餌とするのも必要なことです」
「ここで私が不満を打ち明けることも読まれているということ?ゾッとするわね…」
一気に酒を飲み干すと、次の酒が届けられる。
全員分のそれに一度エルザが口をつけて毒味を行い、その上で再度乾杯した。
「じゃあ、別の話題にしましょう。あいつに要求できる報酬の戦闘。それにどんな工夫をすれば一泡吹かせられるのか、その相談をさせていただきたいわ。ついでにローズも一緒に吹き飛ばせると最高なのだけれど」
「乗りました。いいですね。けれどあの二人はそれぞれ曲者です。まずは分断しつつケイ様には女をあてがって…」
アニスは思う。女って怖え。
けれどもう一つ思う。彼女たちは変わった。
まだ一年と経っていないし、毎回会っているわけでもないが会うたびに変わっている。
エルザの感情表現は以前はもっと隠されていたし、エリノアは全てを敵として警戒していた。
この陣営の女たちは怖すぎる。逆らわないようにしなくては。
次の新人はどんな人物になるだろうか。可愛げがあるといいなぁ。ないんだろうなぁ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大商人の屋敷は現在厳重な警備が敷かれている。腕利きを複数人配備して、警戒網には魔造具も用いられている。
向こうの戦士がいくら強かろうが、即座に突破できるわけもない。
「父上。いかがでしたか、カルステン家の使者は?」
「はん。どうやら公爵様がご多忙というのは間違いないらしい。あんな小娘に物騒な女をつけるだけでこちらを脅し切れると思っているとはな。やはりまだ記憶喪失の影響は濃いようだぞ」
「ということは、彼らとことを構えるということですね?領主様はこちらを見捨てるのでは?」
「あの小心者のことだ。アナスタシア様がこちらにつけば即座に返り咲きよ。時間の問題だ」
「そうです…か。わかりました。父上、本当にお疲れ様でした」
そういって、息子は窓から街を眺めている。
その窓を開けて夜風を部屋に引き込んだ。
「おい、風邪でも引いたらどうする。不用心な真似はやめてさっさと飯にしよう」
息子はそこから動かない。なぜか震えている。
「おいおい、どうしたんだよ。そんなに怖いってのか?吟遊詩人の歌に影響されすぎだ。あんなの作り話だぞ。どこまでも子供か、そんなんだからお前にはまだ任せられんのだ」
「ごめんなさい。お父さん…」
心からの謝罪と同時に、窓からするりと何かが部屋に侵入してくる。
「っ!!なぁ!?お前ぇ!!」
その恨みの言葉を息子に紡ぐ前に、蛇のように滑らかに床を滑ったその影が、一刀の元に太った男を切り伏せた。
「どう、して…?」
その目は驚愕と疑問に彩られ、その脳裏には生まれてから今までの息子の成長が駆け巡っていたのだろう。
「終わりよ。この後の手筈も指示通りにできているかしら?」
「ええ、この後中庭に降りてくるのは金に目が眩んだ無能ばかり、重要な戦力は決して前には出しません。じゃあ、そろそろ叫んでいいですか?」
「貴方と大切な人の無事は約束しましょう。この失態を踏まえてもこれまで以上の栄達をあなたたちに与えると、そう伝言をもらっている。彼が嘘をついているところを私は見たことが無い。信用してみなさい」
「信用なんて誰がするか。選択肢なんかありません。それなら、まだマシな選択をするだけですよ。いい加減に、あなたと話したくもない。叫ばせてもらいます」
息子は、いや大商会の主は叫んだ。それが彼にとって最初の仕事であったから。
「護衛はどこだ!!!賊が侵入しているぞ!」
そういって短剣をロブルに投げてよこす。ロブルはそれで腕を浅く切りつけて。そして息子を盛大に蹴り飛ばす。
ドアから廊下に転がり出た息子は、涙ながらに叫んだ。
「お、親父が!!親父が殺されたぁ!おい!誰かあいつを殺せぇえ!!」
その叫びは演技ではなかった。心から相手の死を願う声。そして、それが果たされないことも彼は知っていた。
10人以上の怪しい風体の男たちが中庭に降り立った蛇人を囲んで睨む。
最初は及び腰だったものたちも、その腕の傷を見てからは笑みを浮かべて余裕が出てきた。
「坊ちゃんに一撃もらってるとはな。暗殺の不意打ち特化だろ?お前は。どうやって入り込んだか知りゃしねーが。こうやってバレちまえば終わりさ」
個人的には名乗って全員を切り伏せたいところだが、任務中の私語は固く禁じられている。
刀を抜いて、その意を示す。溶岩刀に火を灯すまでもない。彼ら程度ならいくらでも殺せる。
「ずいぶん立派でいかつい剣だなぁ!?それ振れんのk…」
蛇人の跳ねるような跳躍、一切の予備動作もないそれに反応できず、頭目の首が飛ぶ。そしてそのまま、左右の手練の腕を切り飛ばしていた。
呆然とした沈黙。そして次の瞬間に起こるのは恐慌。
嘘でしょ?逃げるの早すぎ!取りこぼしがないようにしないと。
あまりにも早い敵方の逃走に、ロブルは少し焦った。
夜闇の中で蛇人から逃げることなどできない。追いついては切り捨てて、茂みに隠れればその温度を感じ取って強襲する。
無事に全員を切り捨てて、壁をスルスルと登って街へと消えていった。
目撃者はすでに全員死んだか懐柔している。
大商会の代替わりは、あまりにも呆気なくそして速やかに行われたのだった。
100話記念の話をウキウキで書いてたら話数をミスったことに気づいたので、明日も投稿です!