眠りと死は兄弟だと誰かが言った。
兄弟ではなく、いとこであると題したものもいるようだが、元を辿ればギリシア神話における概念の擬人化。及び家族構成に行きつく。
『闇』を父とし、『夜』を母とする。
『死』と『眠り』は兄弟だ。
『夢』は眠りの子である。
その言葉は、ケイにおいては当てはまらない。
彼にとっては、眠りがそのまま死なのだから。兄弟どころではなく、等号で結ばれる関係だ。
本人としては否定するだろうが、それは死の定義が人と大きく異なるゆえだろう。
日が沈みカルステン家の屋敷にも夜の静寂が訪れる。
ケイが夜を徹して仕事をする事もあるが、それは緊急の場合だけ。
彼の仕事はあまりに早く的確であり通常の貴族としての仕事だけであれば昼まで働けば十分に終わるだろう。
そこからじっくり王選や様々な脅威に対しての準備。目的のための調査や金策などを行えばあっという間に夜になる。
ケイの寝室と寝具は特殊だ。
ベッドにはいつも先に少女が寝転がっており、そこに合流して1日を終える。それだけ聞けば最低の、いや平均よりやや人でなしの貴族の横暴に聞こえるが、実際にはそこに淫靡な雰囲気は欠片もない。
初めて聞くものは勘違いをしてケイを軽蔑するものだ。しかしその目で現場を見れば、違う意味で人でなしだと思い直す。
まず一つ目は、少女は膝下が全長1mを超える蜘蛛の頭頂に接続されており一体になっている異形ということ。
二つ目は、床に入った途端に彼の意識は断絶し一切の自由が無くなるということ。
そして極め付けには彼は魔獣である少女と共に夜を明かす際には毎度殺されているということ。
陣営に入ったばかりのツバキは最初にこの話を聞いた時、なるほど少女趣味なのかと納得した。そして弱味を見つけたと喜んだものだが、実態を知れば異常性が際立つだけ。利用できる弱さはない。やはりあの人は頭がおかしいとドン引きだった。
多くがその寝室には近寄らない。しかし、積極的にその部屋に入る者もいる。
姉であるエリノアは、妹の世話という体で通っているが単純に妹に会って話したいだけだろう。つまりは遊びに来ている。
そしてクルシュはケイと話をするためにここにいる。もちろんエリザベスのこともエリーゼと呼んで可愛がっているが。
毎夜、エリーゼが寝る前にケイの語る寝かしつけの物語をみんなで聞くのが日課になっていた。
ケイの記憶力は凄まじい。昔妹に読んで聞かせたという絵本の内容を全て覚えているのだった。
「そうして赤ずきんは、おばあさんと幸せに暮らしましたとさ。はい。終わりです」
おお〜という抑えた声の感嘆と音を立てない拍手が起こる。
蜘蛛娘ことエリザベス・ボーモントはスヤスヤと眠りについている。
実はとっくに眠っていた。
エリーゼは狼が死ぬ前に切り上げられたというのに、良い大人であろうこの二人が続きを話せとうるさいのだ。
この二人がいなければ、しばらく同じ話を使えるのだが。
「ですが、狼が咀嚼もせずに丸呑みしたなんてあり得ません。それは大蛇のほうが良いのではないですか?」
「いや、そんなに現実的な描写になったら子供が泣くでしょう。このくらいの程度が良いのですよ」
いつも始まる二人の講評。それなりに楽しそうである。ケイとしてはどうでもいいため、とっととやることを終わらせて寝るとする。
エリーゼがやっていた算数などの回答をチェックし採点する。
今の彼女は見た目10歳に満たない少女であるが、その精神性は6歳程度だろう。
しかも一切の勉強をしなかった6歳である。現代日本の小一と比べるべくもない。
女王はあまり教育熱心でなかったようで、躾は施されていたが余計な知恵はつけていないようだった。
ここで過ごすうちに大量の人と出会い話すことになったエリーゼは急成長を遂げている。
毎日新しい言葉を覚え、日々長くなる文節は知性の萌芽を感じさせる。
空腹の夜は最も魔獣としての側面が強まるため知能が下がるが、お腹いっぱいの朝は人間の少女と変わらない振る舞いができるのだった。
朝に勉強し、夜は少し話すだけ。それが彼女とケイの交流だった。
どうしても、過去の妹の面影がチラつく。記憶力がいいのも考えものだ。
そんなことを思いつつ、ケイも寝袋に入って意識を飛ばす。
日が登れば彼女が起きて食べて起こしてくれる。
そういえば前に一度、殺した上で食べ過ぎて、エリーゼの唇が削れた事があった。
亜人の復活に巻き込まれたのだ。あれだけ気をつけろと言っていたのに、食べるのに夢中で忘れたらしい。
起きて早々、少女のギャン泣きを浴びせられて意識が遠くなる。
宥めても、その激痛は消えたりしない。フェリスが来るのを待つしかない。
止血をしつつ、その時を待つ。
ドタバタと陣営のものたちが駆けてくる。
剣を抜いたヴィルヘルム。
心配そうなクルシュ。
そして「ついにやったか!?」と鼻息荒く駆けつけたフェリスだったが、その様子をみて全てを悟る。
「いや、ケイきゅんのキスが下手すぎてああなった可能性もまだ…」
ヴィルヘルムから頭を叩かれ、クルシュに叱られる。
「ふざけた事を言ってる場合ですか!早く治療を!」
魔獣だし放っておいてもすぐに治るはずだが、見た目は少女である。フェリスは急いで治療を行った。
痛みに泣き叫ぶ様子は、これまで抑えられていた人らしさの表出だろう。
治ったあとは、ケイに引っ付いてグスグスと鼻水を押し付けていた。
「怒ってない。僕がやったわけでもない。そういう体だって言っただろ?気をつけろよ」
その声色は、魔獣や愛竜に向けるものと同じくらいの優しさだった。
「…ごめん、なさい。もう、食べすぎない」
トントンと背中を叩いて、早く終われと願う表情のケイ。
子供は苦手と思っていたが、幼児であれば結構慣れているらしい。
これをいじると、後が怖いと知っているフェリスはグッと堪える。何が怖いとは当然クルシュだ。ケイではない。
朝の空き時間は勉強と対話に使っている。
このところエリーゼはあらゆるものに疑問を持つようで、対話は疑問形で埋め尽くされている。
なんで?どうして?なんでなの?攻撃は毎朝の日課だ。
「どうして雲は黒いのと白いのがいるの?」
「くもって、空の雲のことか。ああ、それなら…どうしてだと思う?」
「わかんない!」
「わからなくても考えて、なんでもいいから答えないと。僕も答えない」
「誰かが、塗ってる?絵の具で」
くすくすと笑いながら答える様子から、本気でそう思っていないことはわかった。
けれど、科学とは仮説を立てれば次にやることは決まっている。
「じゃあそれを確かめる方法は?」
「え、わかんない」
しばらく問答を続けて出てきたアイデア。それを実行してもらうべく別の部屋まで移動する。
「というわけで、今度灰色の層雲が出たらエリーゼを連れて雲まで飛んでみてください。落雷の危険がないところだけでお願いしますよ」
だいたい600m程度の高度にできる低空の雲。そこまで実際に行けば人がいないことや、雲が大きいことがわかるだろう。
了承するも、何かに納得がいっていないようだった。
「ケイ、あなたは結構魔獣に甘いと思っていましたがエリーゼは子供だからですか?それとも魔獣だから?どちらなんですか?」
ちなみに、飛ぶまではイヤイヤと涙目で抵抗していたが、いざ飛んで帰ってくればもういっかい!とうるさかった。
「ここからみたら黒っぽい灰色で、でもいってみたらけっこう白かったよ。飛べば飛ぶだけ白くなるの!」
そこから、雲自体の色は変わらずに太陽が遮られた時に暗くなるのだとわかるまで、数日をかけて自分でやらせた。
この世界の人間にとっては、この実験的な思考は珍しかったようで最後には大人も参加しての実験大会の様相を呈していたが、どうでも良いのでケイは大人をスルーしていく。
手元の綿を幾重にも重ねると暗くなって、黒に見える。その事実を見つけた時の目の輝きは悪くなかった。
自分も昔これくらい丁寧に何かを学べたら、勉強が好きになれただろうか。
ほとんどを暗記で済ませた自分の学習の記憶は、楽しいものではない。
そんな交流を深めていくと、自然とエリーゼは懐く。
お腹をいっぱいにしてくれて、そして物事を教えてくれるケイの存在はすでに女王を軽く超えていた。
あの痛みによる教訓も、魔獣の一面をもつ彼女にとってはむしろ良薬となっていた。
一番最初に戦ったことを思い出せるからだ。
そう。彼女の角は折りたてのまま保存されており、フェリスによって再接合されたのだ。
そして魔獣としての本能を取り戻した彼女がすることは、当然目の前の人間を殺すことである。
幾度も殺した。腹を満たしてやった。
けれど、死ななかった。
いくらでも復活し、そして手を振るえば風の刃で刻まれた。それだけで蜘蛛の魔獣としては怯え切っていた。
最後には訳のわからない何かに体を抑えられ、再び角を折られたのだった。
これは必要なことなのだとメィリィは断言した。
「悪い動物ちゃんの影響がどれだけ人の部分にあるのかはわからないけどぉ。丁寧に魔獣ちゃんの部分を折っておいた方が良いわぁ。角を折っただけじゃ足りないのよぉ。この子達は従順に見えていつだって人を狙ってるんだから」
そう。魔獣は日々の躾が重要である。絶対に勝てない存在であると体に叩き込む。それが最初に求められることだった。
ケイを前にしていると、蜘蛛の部分の抵抗が弱まる。主導を取ろうとしてこなくなるのだ。
あたしが自分でいるために。この人がいる。
はっきりとは自覚していないが、感覚でそう理解していた。
可能な限りひっついているが、命令には従うのでケイも強くは制止していなかった。
魔獣の側面を抑えられるという効能を知ってからは、同じベッドで寝ることを許可するほどである。
それが面白くないのは、エリノアである。
そして常に面白くないのはフェリスである。
彼女たちは考えた。
ケイの精神的なダメージは常人とは別の耐性を持っている。
つまり、弱点は照れさせたりすることだ。
限界まで練り上げた珠玉の一撃をお見舞いしてやる。
ケイがいつも通り寝室に入るとそこには、普段と異なるエリーゼがいた。
服が違う。なぜかメイド服を着せられている。子供用のものなんてないはずだ?誰だ?このために作ったバカは?
そして頭の上に猫耳を模した髪留めがついている。ああ、あのバカだなこれは。
「…? お兄…ちゃん?」
はぁ〜。っと大きくため息をつく。
冗談じゃない。よりにもよって、黒髪に近い少女。しかもエリーゼと呼ばれる少女である。
妹の名前は慧理子。慧理と呼んでいた。
やめてくれ。マジで。
カルステン家に爆誕した『猫耳妹メイド蜘蛛娘』という最強のキメラはしっかりとケイに傷跡を残したのだった。
しかし、残ったのは心労だけではない。
いつだって忘れていない永井圭の目的。それを再度認識できた。
妹のことをやたらと想うことはない。しかし、決めたことはやり通す。
絶対に治す。そう決めたのだから、そうするのだ。