亜人:ゼロから始める異世界生活   作:ZAT23

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雌伏の一月は終わり、怒涛の二月が始まる。

本話は水門都市より前のお話です。
【FILE:55】太陽の昇る街の後くらいなイメージ。


【FILE:108】緋黒の代理戦争

 

 

 

 

「よいぞ。ならば、戦争とする」

 

 

 

手にした扇を高々と掲げ、鮮血のように赤い美女がそう堂々と宣言する。

彼女の周囲、その宣言を聞いたものたちは驚き、戸惑い、一部は熱狂していると反応は様々だが、一つだけ共通していることがある。

 

それは、反応したものたちがいずれも幼いということだった。

美女のよく通る美声を聞くのは、全員が十代の少年少女だ。

 

冗談にしても悪質だと後ろ指を指されそうな所業だが、生憎と堂々と提案した当人に冗談を言った様子は徴塵もなく、後ろ指など指そうものなら、手首ごと落とされかねない暴君なのである。

 

ともあれ

 

「戦争を始める。双方、十分に備えるがいい」

 

と、重ねて宣言する美女プリシラ・バーリエルはひどく愉しげで、その暴言を撤回させる気にならないのは、残った腕の手首惜しさだけではないと、そんな様子を後ろから見守っていた鉄兜の従者は思うのだった。

 

 

 

 

 

時は、プリシラの開戦宣言から数時間を遡る。

 

「プリシラ様!大変であります!もう僕の手には負えないであります!」

 

聞きようによっては切羽詰まった内容だが、発した声の主の見当がすぐについた侍女たちは一様に唇を綻ばせ、自分の仕事にあくせくと戻っていく。

だから、その高い声に応答し重たい腰を上げたのは一人だけだ。

 

「やれやれ、今日も変わらずシュルトちゃんは元気で結構っと」体を預けていたソファから起き上がり、億劫そうにそう言ったのは黒い鉄兜の男だ。

 

「頑張ってみたでありますが、みんな聞く耳を持ってくれないのであります! このままだと、僕のせいでプリシラ様の、プリシラ様の手腕が………」

 

「ふむ、妾の手腕が?」

 

「う、疑われることになるであります!耐えられないであります……」

 

覗き込んだ部屋の中、しょんぼりと項垂れた小さな背中が見えた。

悔しげにミニマムな拳を握りしめ、可愛らしく震えているのは桃色の癖毛を頂く少年であり、半ズボンがよく似合う屋敷の名物執事シュルトだ。

 

のしのしと歩み寄り、アルは項垂れているシュルトの頭に後ろから手を置く。そうされて嫌がるのではなく、ちょっと嬉しそうにするからこの幼子はあざとい。

周りの人間の好意を喰らい、ぶくぶくと肥え太る未来を切に願ってしまう。

 

「で、今日のシュルトちゃんの嘆きは何の話よ。また姫さんの無理難題?」

 

「確か、今朝は侍女と一緒に街へやったはずであったな」

 

アルは「街ねぇ」とぼんやり視線を窓の方へと向ける。

 

この場合、プリシラの言が示す『街』とは屋敷の直近にあるクルフナのことだ。

バーリエル邸に程近い場所にあるクルフナの街は、当然だがバーリエル領で最もプリシラの影響力が強い地であり、栄えている街とも言える。

正確には、プリシラが『栄えさせた』の方が適切だろう。

 

「ライプの爺さんが領主だった頃はかなりひどかったって話だし」

 

プリシラの亡き夫であり、先代領主であったライプ・バーリエル男爵の横暴は側から見ていても行き過ぎており、領民は身も心も擦り切れていた。

 

そこへ颯爽と現れ、善政を敷いて彼らを救ったのがライプの『愛妻』たるプリシラだ。

今にして思えば、あのライプの行き過ぎた傍若無人さも、後々のプリシラの人気を後押しするためにあったのだと言われたら信じてしまいそうになる。

 

「シュルト、貴様、クルフナで何をした?」

 

「僕は……僕は、無力だったであります…!」

 

それは今朝、シュルトが侍女の買い出しに同行したときの出来事だったのだが、要約したところ、

 

「つまり、姫さんのことで言い合ってる兄妹のケンカの仲裁に失敗した?」

 

「で、あります……」

 

アルの要約に小さく頷いて、シュルトが潤んだ瞳で悔しがっている。

それを見下ろしながら、アルはどうしたものかと兜の継ぎ目を指でカチカチ鳴らした。

 

シュルトの話によると、こういうことだ。

侍女とクルフナの街に向かったシュルトは、その途中で往来で言い合う少年少女と出くわした。ただの口ゲンカならシュルトも放っておいたはずだが、どうにもこのケンカの原因がプリシラのことだったらしい。

 

しかし、シュルトが介入しても止めないとは見上げた度胸の持ち主だ。

たぶん、世が世なら首を刎ねられて死んでいる類の勇者だと思う。

 

「もちろん、いくら姫さんでもそんな暴挙はな…今は客人も来てるしよ」

 

「クルフナにゆくぞ」

 

嘘だろ…!?

 

そこから子供の惨殺を必死に止めようとして、それが勘違いだと焼かれたが普通にありうるんじゃないかと思ってる。

だって今も俺焼かれたし…

 

そういうとこだぞ。ほんと。

 

そう思っていたら追加で焼かれた。

 

 

 

 

「故に、妾がこうして直接出向いた次第である」

 

腕を組んだプリシラの堂々たる宜言、それを前に硬直している相手を見て、アルは心の底から同情する。同情はしても、それ以上のことは何もできない。止める力がなかったし、そもそも止めるつもりもなかったので。

 

「姫さんに意見するなんて命知らず、よっぽどじゃねぇとできねぇし」

 

第一、プリシラが従者とはいえアルの意見に耳を貸すことの方が稀だ。

 

事実、プリシラとシュルトが先に屋敷を出立したと聞いて、慌ててあとから追いかけてきたのだ。

 

その時点で、すでにプリシラは目的の相手の前に立っていたのだが。

 

「あ、う……」

 

紅の視線に見据えられ、おどおどと目を彷わせるのは十三、四歳くらいの少年だ。

暗い色合いの赤毛にそばかすと、目立った特徴のない一般的な男子と言える。それが突然、領主に訪ねてこられれば萎縮だってするだろう。

それも、訪ねてきた理由が理由なのだからなおさらだ。

 

「太陽姫様...!わあ、本物の太陽姫様だぁ!」

 

そうして青い顔をする少年の傍ら、口元に手を当ててぴょんぴょんと跳ね、興奮を隠し切れずにいるのが、赤いお下げ髪の十歳前後の少女だった。

屋敷でのシュルトの話によれば、おそらくこの二人が問題の兄と妹。プリシラのことを巡り、言い合っていた件の兄妹だ。

 

「で、姫さんの方はどうなのよ。もう泣かすとこ?」

 

アルの素顔に興味津々なシュルトを流しつつ、アルがプリシラに水を向ける。

 

その言葉に、美しく苛烈な美女は「たわけ」と叱責を口にし、

 

「妾がそのような真似をするか。今、用向きを告げたところよ」

 

「用向きって、どんな風に?」

 

「妾を悪罵したと聞いたが、どのような雑言を並べたのかとな」

 

「そりゃご愁傷様・・・・・・」

 

陰口を本人に知られるだけでも気まずいのに、それを直接問い質されたとなれば気まずいなんて次元の話ではないだろう。ましてや、その相手が自分の暮らす土地の領主なのだから、生きた心地がしないに違いない。

 

「太陽姫様!お兄ちゃんがひどいんです!太陽姫様のこと悪く言って……叱ってください!ダメじゃないって!」

 

事態の大変さがわからない少女がプリシラに直訴する。

プリシラがそれを引き受けた場合、少年がただ叱られるだけで済まない可能性が高いのだが、それを少女にわかれと言っても無理な話だ。

 

「ふむ、妾の口から叱るか。なかなか趣深い提案じゃな。シュルトはどう思う?」

 

水を向けられたシュルトが、人には任せられぬ。ここは僕がと奮闘するがその兄の歯切れは悪い。

 

 

それを見守るプリシラは扇子を広げアルに語りかける。

 

「妾にはおよそ理由の見当がついた。アル、貴様、兄弟姉妹の類は?」

 

「オレ?一人っ子の長男坊だよ」

 

「ならば、貴様に言ってもわかるまいよ」

 

そうすっぱりと言い捨てられ、アルは思わずしょっぱい顔をした。もっとも、その表情は鉄に隠され、他の誰にも見られることはなかったが。

 

「しかめ面などやめよ。貴様の陰気さは空気に香る」

 

「こっわ」

 

見えないはずの表情を看破され、怯えるアルを余所にプリシラが前に出る。

シュルトと妹の二人に詰め寄られ、哀れなぐらい追い込まれている少年が、またしても圧倒的な美貌と権力の存在を意識して萎縮した。

 

「貴様と妹、兄妹揃って赤い髪をしておるな」

 

「妹の方は明るい赤毛、兄の方は暗い赤毛ではあるが、枠組みは同じであろう」

 

すっと伸びたプリシラの手が、硬直する少年の赤髪を指で梳く。その仕草に少年は目を見張り、少女の方が「そうなんですっ」と声を跳ねさせた。

 

「赤い髪の子ってあんまりいないから、太陽姫様とおんなじで嬉しいねって。なのに、お兄ちゃん、それにも怒って……」

 

「珍しい赤毛というだけで周囲の関心を買う。些細なことであげつらわれたことも一度や二度ではあるまい。どうじゃ?」

 

「悪口、ってことですか? はい。でも、そのときは……」

 

プリシラの問いかけに記憶を辿り、少女の視線が兄の方を向いた。その視線の意図するところは明白で、プリシラが例にしたような赤毛を理由とした陰口には、これまでは少女の兄が反論していたのだろう。

 

ただしそれも、プリシラ・バーリエルという赤毛の『太陽姫』が現れるまで。

 

「ああ、そういうことか」

 

プリシラに遅れに遅れ、アルもようやく兄妹喧嘩の原因に思い至った。

 

つまるところ、兄のプリシラへの反感の理由は『嫉妬』だ。

 

「元々、赤毛だのなんだのでからかわれたとき、妹を守ってたのは自分だった。それが姫さんの登場で、あっさりと立場が変わって……」

 

兄としての自任や矜持、そうしたものがすっかり奪われた気持ちになって、プリシラを称賛する妹の言葉に反発した。そしてタイミング悪く、そこにシュルトが通りがかり、引けなくなったせいで事が大きくなったと、そういうことだろう。

 

「まとまってみると、わりと真相はすっきりしたもんだ。誰が悪いってわけでもねぇし、強いて言うなら間が悪い……いや、星が悪かったってとこだな」

 

ちょっとした思春期の兄妹喧嘩、なんて表現でアルはまとめにかかろうとした。

 

実際、これ以上話を引っ張って、あの妹思いの少年に恥を掻かせるのも可哀想だ。尋常ならざるプリシラの美貌と異様な雰囲気に、徐々に人も集まり始めている。

 

元々の兄妹喧嘩の空気に当てられていた年少者が多いが、騒ぎが不必要に拡大してもっと人が集まってくると始末に負えなくなる。

 

アルの手元で問題を仕舞えるタイミング、ここらが潮時だ。

 

 

 

──そのときだった。

 

 

「よいぞ。ならば、戦争とする」

 

 

 

不意に、それまでの会話の流れを全て焼き尽くす如言が放たれ、場が支配された。

 

突然の開戦宣言を受け、当たり前だが張本人──プリシラ以外の全員が呆然とする。もちろん、アルやシュルトだって例外ではない。

 

もっとも、いきなり戦争の当事者にされた兄妹の驚きはもっと上だろう。

 

顔を青くしていた兄は目も白黒させ、妹の方は純粋に理解を超えた発言をされて「え? え?」と声にならない声をこぼしている。

関係ないが、そうして慌てふためく姿は兄妹そっくりだった。

 

そして、それらの反応の一切に頓着しないまま、プリシラはその手に持った扇を音を立てて広げると、自分の声の届く全ての者に命じる。

炎のように何もかもを呑み込み、全てを赤く染めるプリシラの在り方。

 

それを発揮すべき相手と場面か、アルは甚だ疑問に思いつつも口を挟まない。

 

「戦争を始める。双方、十分に備えるがいい」

 

そう宣言するプリシラの微笑が、横槍を入れるのが阻まれるほど美しかったからだ。

 

 

 

 

 

 

「一応聞いとくけど、なんで戦争ごっこ?」

 

「たわけ。ごっこなどと、貴様の一存で身勝手に陳腐化するではない。異なる意見を戦わせ、そこに武威が介在するならどうあろうと戦闘と言えよう」

 

「武威の介在ったって……」

 

「シュルトの言葉には、兄が先に手を出したとあった」

 

ざわざわと、『戦争』の準備が続けられる庭園を見下ろしながら、プリシラが後ろに控えるアルの疑問を切り捨てる。

 

些細な兄妹喧嘩を発端とした騒動は、思わぬ形でバーリエル邸へ持ち込まれた。

 

──それも文字通り、本当に『持ち込む』形になったのだ。

 

騒動の中心になった兄妹と、その友人知人である少年少女のことごとくが集められ、竜車に乗せられてバーリエル邸へと連れてこられた。そして、見慣れない領主の屋敷の景観と空気に圧倒される子どもらには、着々と「戦争」の手ほどきがされている。

 

 

無論、本物の剣や盾を持たせた戦争ではなく…

 

「木剣や泥玉なんかでホッとしたぜ。姫さんならガチで真剣持たせねぇとも限らねぇ」

 

「扱い切れぬ道具など持たせても本領は発揮できん。あれらが戦士であるならともかく、兵士としての教育もされておらぬ身ではな」

 

「ちょっと訓練してたら武器持たせてた的な発言、炎上しそうで怖い」

 

「何故に唐突に燃える。意味がわからぬ」

 

アルの軽口に形のいい眉を寄せ、プリシラが炎上の意味を問い質す。

その質問は肩をすくめてやり過ごし、アルは言われるがままに戦争の準備に励む子どもたちを見下ろした。

 

一応『戦争』というだけあって、陣営は二つに分かれている。

すなわち、中核となった兄と妹のそれぞれを大将とした東軍と西軍だ。人数はきっちり十五人ずつだが、兄側の方が平均年齢が高い。男女比も兄側に男が偏っているので、下馬評では兄側勝利が堅いという。

 

もちろん、妹側に男が一人もいないわけではないが…

 

「頑張るであります! みんなで力を合わせて、プリシラ様のすごさを証明してみせるであります!!」

 

と、ああして意気込むシュルトがそのうちの一人なので、勝利は難しかろう。

 

元々、シュルトは同年代の子と比べて成長が遅く、プリシラの意図的な誘導のせいでまともな素振りもこなせていない。

戦士としては甚だ不適格。

微笑ましくもあるが、痛々しいとも言える意気込みなのだ。

 

ただ、一方でそんな状況をプリシラがわかっていないとも考えにくくて。

 

 

「何故に戦争か、と案じ問うたな」

 

てっきり、会話は終わらされたものと思っていたところだった。

押し黙ったアルの方を見ず、椅子に腰掛けたプリシラが顎枕をつきながらこぼす。その言葉にアルが片目をつむると、彼女は眼下の子どもらを見据えて、

 

「互いに譲れぬ意思があれば、親兄弟であろうと矛を交えねばならぬこともある。覚悟を問われる場とは、流れる血の濃淡に左右されるものではない」

 

「……わからなくもねぇけど、その覚悟って今問わなきゃダメか? 盛り上がってる妹ちゃんはともかく、兄貴の方はここまで大事になると思ってなかっただろうし」

 

「言ったはずじゃ。先に武を示したのは、兄の方であると」

 

先と同じ理屈で意見を撥ねられ、アルが仕方なしに己の首を掻いた。

兄妹のケンカの原因と、そうせざるを得なかった兄の気持ちはわかる。が、確かに手を出したことはいただけない。これは、その報いだというのか。

 

「でも、『戦争』やったって兄貴の方が勝ったら思惑外れんじゃね?」

 

「兄が勝てばそうであろうよ。だが、士気の高さは妹の側にある。加えて…」

 

「加えて?」

 

「妹の方には、妾の方から入れ知恵をした」

 

付け加えられた情報が、アルの中でも下馬評を覆すような爆弾だった。

 

正直、プリシラが合戦の戦術に通じているかどうかアルは知らない。知らないが、プリシラにできないことなどあるのかと、そんな過大な期待を抱いているのも事実。

 

「流石にズルっぽくね?姫さんが口出したらそりゃ決まりだろ」

 

ましてや子供同士の争いだ。プリシラの手腕があれば望んだ通りにことは運ぶだろう。

 

「たわけが。本来であればそうやもしれぬし、それで構わぬが。此度の戦争は対等であるぞ。『ふぇあ』じゃな」

 

「ええ?どこがぁ?」

 

疑問には答えない。どこまでに自分本位に我が侭に。

それでいてこの大胆不敵な緋色の姫は、不思議とあらゆる出来事に愛されている。

 

それこそ…

 

「世界は妾にとって、都合の良いようにできておる」

 

そう標榜する彼女の哲学を、まるで世界が一致団結して後押ししているように。

 

 

 

 

 

「……姫さんってもしかして、兄弟いる?」

 

ふと、プリシラのために吹いている風を浴びて、アルはそんな疑問を抱いた。

それはアル自身、自分でも思いがけずにポロっと出てしまった言葉だ。言ってから、自分の発言がプリシラの逆鱗に触れる可能性を思い、心が慌てたほどに。

 

しかし、そんなアルの心中を余所に、プリシラは「唐突じゃな」と目を細め、「何故にそう思った?」

 

「いや、マジで降って湧いた印象?最初に兄妹ゲンカの理由に気付いてたっぽかったのもそうだし、あとは、あー」

 

「そこで躓くでない。妾の気を惹きたいのか?」

 

「…兄貴のやらかしに、厳しめだったから?」

 

思いつきを口にしたものだから、自分の中でもうまく言語化ができない。が、あえて言語化するなら、それが引っかかりの理由だったように思える。

 

思い返してみれば、最初にクルフナへ向かうと言い出したのも、自身の陰口を叩かれたことやシュルトの力不足が理由ではなく、兄妹ゲンカの詳細を聞いたときだったように思い出される。考えれば考えるほど、辻褄が合うではないか。

 

何より、アルの推測を聞いたプリシラが、珍しく静かに口を際んでいた。

まさかプリシラにも、自分の図星を突かれて押し黙るような可愛げがあったのかと驚かされ、アルはその顔を拝んでやろうとちらと前屈みに覗き込む。途端、伸びてくる扇の先端がアルの顎下にそっと宛がわれ、

 

「あぢゃぢゃぢゃぢゃ!!」

 

またしても、プリシラの灼熱の制裁がアルの好奇心を焼き払った。

 

「なぐっ!がっ、あ!あっつ!ちょ、姫さん!!」

 

「不埒な思惑で妾の顔を覗き見るでない。美の美貌に欲情するのは男の常でも、それ以上を求むるなら相応の代価があろう」

 

「それで喉仏炭化させられてちゃお話にならねぇ・・・・・・ああ、クソ!」

 

辛辣な対応に優越感も焦がされ、アルは喉を撫でながらすごすごと引き下がる。

その引き下がるアルに、プリシラは小さく吐息して、

 

「兄弟なら大勢いた。兄も弟も、姉も妹もな」

 

「……へえ、想像つかねぇな」

 

先の質問への回答があり、アルはプリシラの家族構成を思って首をひねった。

そのアルの答えにプリシラが「ふむ」と反応を入れ、

 

「想像がつかぬとは?」

 

「自分で兄弟いるか聞いといてなんだけど、姫さんは家族写真に大人しく収まるってタイプじゃねぇし、姉感も妹感もかなり弱めだからよ。どっちでもあるって言われて、頭の中でバグとかラグとかエラーとか起こる」

 

「ここぞとばかりに、大瀑布の向こうの言葉の『ばーげん』か」

 

含み笑いして、プリシラが聞きかじりの言葉をうまく活用してくる。だが、アルもプリシラの言葉が孕んだ幾許かの郷愁、それに気付かないほど鈍感でもなかった。

 

郷愁、そう郷愁だ。プリシラも何かを懐かしむのだと、そう素直に驚かされる。

 

兄弟が大勢いたと、それら全てを過去形で語っていたことも。

 

「プリシラ様!準備、万端に整ったであります!」

 

アルとプリシラの話が一段落したのと同時、眼下の庭園からシュルトの声が上がる。

見れば、『戦争』用の勇ましい武装をした子どもたちが庭の左右に展開し、それぞれの武勇を証明しようと意気込んでいる様子がよく見えた。

 

元々士気の高い妹側の陣営はもちろん、最初は乗り気でなかった兄側の陣営も、いざ開戦を目前としてモチベーションを高めに持っている。

 

「こりゃ、荒れるぜ」

 

「それでこそ、焚き付けた甲斐もあったというものじゃ」

 

意外とワクワクしてきたアルの言葉に、プリシラも椅子から立ち上がって答える。そう発言したプリシラの横顔、一瞬だけ肌を通った感情がアルの心を捉えたが、それが何を意味するのか読み解く前に、プリシラは扇を正面に突き出して

 

「双方、死力を尽くすことじゃ。互いが意志を譲れぬ同士、正しきを証明する為には勝ち取る以外にない。では、始めるがいい!」

 

「いくでありまーす!!」

 

緋色の姫の高々とした号令を受け、子どもたちの甲高い雄叫びが空に木霊していく。

バーリエル邸を舞台とした『戦争』が始まり、兄弟姉妹がぶつかり合う。

 

それを見ながら、アルは先の引っかかりの答えらしきものをようやく掴んだ。

 

プリシラの横顔が見せた、ほんの微かなあれは期待だ。

何か、自分の見たいものが見られるか、そう望む期待がそこにあったのだった。

 

 

 

 

 

 

「今日の乱痴気騒ぎだが、あれはいったいなんだったんだ?」

 

酒気を孕んだ顔を赤くして、無精髭の浮いた顎を撫でながら男はそう首を傾げた。

炎のように明るい赤毛の長身の男だ。軽鎧を脱いでシャツ一枚になった体は程よく鍛えられていて、常日頃のやけっぱちな態度とは印象を違える面がある。

 

アルは酒を飲まないので、自分の酔い方なんて把握していないが、酔った他人の醜態には十分以上に、酒を飲みたいという欲求への抑止力があった。

 

質問への回答だが、真意はわかりはしない。しかしあれは『戦争』に対するプリシラの何か気掛かり。その何かの確認作業と分析している。

 

「姫さんには見たいもんがあった。で、あの兄妹のケンカを利用して、それを確かめてたってのがオレの推測」

 

「見たいものってのは…・・・・・」

 

「生憎、姫さんが説明してくれなかったんで、オレも何とも。そもそも、オレの推測が頭っから間違ってる可能性だってあるしな」

 

「使えねえ。もう一本の腕落とされてでも聞いてこいよ」

 

「ホントロ悪いな、酔っ払うと!! 腕が二本ある奴にはわからねぇだろうけど、この腕は二本揃ってる奴よりずっと大事だから!」

 

場合によっては殺し合いに発展しかねない暴言だが、ハインケルからの謝罪はない。

それは他人をどうでもいいと思っているからではなく、むしろその逆だろう。自分をどうでもいいと思っているから、自暴自棄というものは成立する。

 

「……見たいものって話だったが」

 

 

「うん?」

 

ほんやりと夜空を眺め、それぞれ名前のついている星座に思いを馳せているアルを、酒気を弱んだ静かな声が地上へ引き下ろす。

見れば、どこかとろんとした青い瞳で、ハインケルは酒瓶の中のわずかに残った酒を見つめながら、

 

「アル殿にも、あるのか?何か、見たいものが……」

 

「オレに興味持つなんて驚いた。あんたは家族にしか興味ねぇのかと思ってたよ」

 

それを言った途端、頬を歪めたハインケルがアルに向かって酒瓶を投げた。

くるくると回転するそれを「おっと」と首を傾けて避けると、瓶は手すりを飛び越して庭園の方に落ちていき、一秒後には地面に当たって割れる音が響く。

 

そして、ハインケルはそれを見届けもせずに、神経を逆撫でしたアルから逃れるように背を向け、バルコニーから立ち去ろうとし。

 

「あるよ、オレにも」

 

その立ち去る背中に、アルが一言だけそう投げかける。

一瞬、ぴたりとハインケルが足を止め、振り返らないままアルの言葉に耳を傾けた。その素直な期待に苦笑し、さりとてそれ以上語れるものもなく、

 

「オレにも見たいものはある。姫さんの風呂場とか」

 

「ちっ!」

 

「おお!過去一でかい舌打ち!」

 

そう茶化して誤魔化したアルに、これまでで一番盛大な舌打ちが返された。

 

 

 

 

 

「あのお兄さんと妹さんが仲直りできて、本当によかったであります!」

 

 

『戦争』を終え、湯浴みを済ませたプリシラの姿は寝台の上にある。自分の寝衣に着替えたシュルトが部屋にいるのは、彼を抱いて同衾するのが日課だからだ。

小さく愛らしいこの少年は、プリシラにとっては替えの利かない抱き枕だった。

 

 

『戦争』と称した兄妹ゲンカ、それはプリシラの睨んだ通りには決着しなかった。

 

予想とはすなわち、プリシラが入れ知恵をした妹陣営の勝利である。

しかし、妹は勝つことはできなかった。

 

妹陣営で参戦したシュルトが最初に叩かれ、妹側の士気はかなり危うくなり、反対に兄側の陣営の士気と勢いは増しに増した。そのまま一気に優勢になる兄側の陣営に、妹側の陣営は抵抗空しく追い込まれたが、

 

「やっぱり、お兄さんはお兄さんであります」

 

ニコニコと笑ったシュルトの言葉通り、兄も勝利できなかった。その理由は彼が兄であったことだった。

いや、兄であるだけなら負けていただろう。そうもならなかったのは別の要因が垣間見える。

 

『戦争』の最後、妹側の陣営はことごとく倒れたが、大将である妹の下に辿り着いたとき、兄は勝利を目前に妹をくだすことを躊躇った。

 

プリシラの入れ知恵が発動したのはその瞬間で、それで『戦争』は決着。するはずだった。

 

「勝利条件は大将の陥落・・・・・なれば、たとえ最後の一人になろうと、相手の大将首を落とした側の勝ち。勝算は、最後の利那にしかない」

 

その点、あの妹はプリシラの言葉をよく聞き入れ、勇気を奮ったと言える。

プリシラの入れ知恵の内容は単純明快『兄は最後にお前を殺すのを躊躇う。そのときに兄を刺せ』という、それだけのものだった。

そして実際、プリシラの読み通り、決着はその形に落ち着くかに見えた。

 

ただしー、

 

「最後、自分を刺そうとする妹さんを止めて、そこからお兄さんが味方だったみんなと戦い始めたのがすごかったであります。誰も勝てなかったけど、プリシラ様の言った通り、仲直りできたでありますから!」

 

無邪気なシュルトの喜びほど、最後の状況はほのぼのしたものではなかった。

勝利を目前に妹を庇い裏切った兄。裏切られた者たちは、当たり前だが怒りに燃えた。兄のせいでここまで連れてこられたのに、最後にそれかと怒る気持ちはもっともだ。

彼らの怒りはまず兄に向かうが彼を倒したら負けになる、結果的に妹へ向けられたが、それを真っ向から庇ったのが兄だった。

 

元々、兄妹仲が良いから起こったのが今回の事態だ。

 

妹が悪者にされる状況を兄は望まないし、皆から攻められて怯えた妹も、自分を守ってくれる兄への尊敬と愛情を再確認した。それが結論だ。

 

その結論を見届けても、プリシラはいくらか晴れない黒雲を胸に抱えていた。

 

過程の全てを的中させたわけではないが、決着はおおよそ想像通りの流れを辿った。それでも、プリシラの中では結論も二択ではあったのだ。

すなわち、自分の入れ知恵が実を結ぶか、それとも否か。

 

しかし推測は外れた。兄の躊躇いを妹が刺すはずが、失敗し。しかしそれでも兄は勝利を得なかった。

 

つまりこの戦争は『引き分け』または『停戦』だ。

 

そこからの泥試合、いやもはや鬼ごっこと言ってもいい逃走劇はとても『戦争』とは言えないものだった。

いや、現実の戦争ではあり得ることだ。あれは『闘争』とは言えないと言い直す。

 

一つ。結果的にわかったことがある。

それは兄が、疑いようもなく妹を愛しているという事実だ。

 

疑似的なものではあったが、あれは『戦争』だった。人の死は偽物で、受けた傷も浅い深いはあれど『戦争』だ。

兄は妹を傷つけなかった。自分を傷つけようとした妹を理解して許し、そして受け止めて一緒に逃げたのだ。

 

自身の予想を超える者は多くない。普段であれば天晴れと称賛するし、そのように声をかけはした。

 

なのに、自分の内にある晴れない雲が雨を降らすのは何故なのか、目障りな黒幕の存在とは別の何かがつかえている。

 

「……やっぱり、見間違いじゃなかったであります」

 

「む?」

 

ふと、思惟に耽るプリシラの隣でシュルトが声の調子を落とした。

いつでも朗らかなシュルトだけに、その反応が珍しく、プリシラの意識もそちらへ向く。すると、シュルトが自分の類を両手でこね

ながら、

 

「プリシラ様、なんだか寂しそうだったであります」

 

「寂しそう?妾が?」

 

「僕には、そう見えたであります。…あのお兄さんと妹さんのこと、ちょっと寂しそうに見守ってたなって、思ったであります。途中までは…」

 

シュルトが言い淀む。寂しそうという指摘の時点で相当な踏み込みであるが、その先には一体何があるというのか。

 

「途中とな。どういう意味であるか」

 

「なんだか最後は、()()()()()に、見えたのであります。いつも僕が、美しいプリシラ様や強いアル様を見ているみたいに」

 

しゅんと視線を落として、シュルトがプリシラを案じるように呟く。

 

「ふは」

 

「ぷ、プリシラ様!?」

 

そっと口元に手を当てたが、それでも抑え切れずに弾む息がこぼれた。それはプリシラも意図しなかった笑みであり、シュルトがもたらしたものだ。

プリシラの胸中、晴れずにいた黒雲の正体を言い当てた、シュルトの功績。

 

「妾が寂しがっていた。羨んでいたなどと、よくも、よくも……」

 

「わ、わ、わ……や、やっぱりおかしかったでありますか!? 僕の勘違いで…」

 

「いいや、言葉の選び違いはあれど、褒めて遣わす」

 

慌てふためくシュルトの額に扇を当てて、プリシラはその動揺を封じると、微笑みと共に一言告げて幼い従者をねぎらった。

その一言にシュルトは目を丸くし、それから安心したように胸を撫で下ろしている。

 

愚かで無知で、それ故に無垢であるシュルトは、曇りのない緋色の瞳でプリシラの、灼熱で燃え続ける緋色の姫の心中を見通したのかもしれない。

 

「シュルト、貴様が抱いた妾への感慨、誰にも口にするでないぞ」

 

「プリシラ様が、寂しそうにしていたことでありますか?それとも羨むの方でありますか?」

 

「寂しく羨むなどと、妾は決して認めはせぬが…邪推を抱かれるのも面倒じゃからな。両方の一切を口を噤むよう命じる。瞳に赫炎を封じた妾の従卒よ」

 

ぱちくりと、赤い瞳を瞬かせるシュルトは一拍置いて、「はいであります」と頷いた。

 

その答えを聞いて、プリシラは自分の豊かな胸の上に手を置き、そこにわだかまっていたはずの暗雲、それが徐々に雲散していくのを感じていた。

何とも小憎たらしいことに、シュルトの見立ては半分正しく、半分間違っている。

 

兄を想う妹と、妹を想う兄との『戦争』、その決着がもたらしたものはプリシラの思惑通りでなく、一方で期待を超えるものでもあった。いや、裏切られたと言ってもいいか。

兄妹の情や想い、愛なんてものは様々な要因の前に光を失い、温もりと輝きは翳っていくものと、そう断じることもできないのなら。

 

「足りなかったのは妾か、それとも兄上か?」

 

同衾し、腕の中で寝息を立てる幼子の頬をつつきながら、胸の中から散っていく雲の一片にそんな問いかけを放つ。

当然ながら、答えはない。聞く機会も、すでに失われて久しい。

 

しかしー抱いた疑念の答えは、あるいは遠からずもたらされるような予感があった。

 

忘れ、遠ざけられたままでいられればそれでもよかった。

だがしかし、今一度、その予感がこの胸中の灼熱から蘇ることがあるなら、きっと答えは自分の下にもたらされることになるだろう。

 

そして

 

「貴様のような無粋が混じれば。一体どうなる。物書きよ」

 

新たに湧いた疑問。それは後悔ではなく期待だった。

予想が外れても構わない。変えられぬ過去も仕方ない。

 

何が起きようとも。彼女はこの世界をありのままに愛することができる。

 

何故なら

 

「この世界は、妾にとって都合の良いようにできておる」

 

 

 

 

 

 

クルフナのとある高級宿で、件の兄妹が手を繋いで深々と礼をした。

 

「あ、あの。ありがとうございました!!ちゃんと、引き分けて。それで仲直りできたんです。あなたのおかげです」

 

たどたどしくも必死に感謝を伝えるのは兄だ。妹もよくわからずそれに続く。

 

「構いませんよ。ところで報酬をお願いします。約束のものを、教えてください」

 

兄はそこで少し戸惑った。本当にこれだけで良いのか。騙されているんじゃないかと今でも思っているから。

 

「え、っと。その。太陽姫さまは、口を開けて驚かれてました」

 

「……何秒くらい?」

 

「ええ…?多分、30秒とか?わかんないです。長かった気がしますけど…」

 

黒髪の男はニヤリと大きく笑って。満足したようだった。

 

「へえ。ありがとう。もう十分ですよ。これで仲間たちに何か買ってあげてください。そちらとも仲直りしないといけませんからね。クルシュ・カルステン様からのお駄賃ですよ」

 

 

兄妹は喜び店を飛び出していく。

 

 

 

あの不敵な女は、ギャフンと言ってくれただろうか。

 

そう思いながら飲む酒は美味かった。

 




リゼロ短編集7より。
本編を読むと差異がわかって面白いかもです。
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