『人狼は月に潜る』
これはこの世界での慣用句だ。
意味は、嘘つきの裏切り者は巧妙にその本性を隠すというもの。『能ある鷹は爪を隠す』のネガティブ強めで脅威を訴える亜種とでも言えようか。
これはかつて、ヴォラキア帝国にて皇帝に信じられていた狼人族と土竜人が裏切った逸話からの言葉である。
それを引用されて非難された現在のカルステン公爵陣営は多忙を極めている。
発覚直後にクルシュが飛んで各所に伝えた内容。その回答を得ていたところだった。
その反応は、一部を除いて最良とは言い難い。
こちらが話をもっていく頃にはちょうど同時に、相手も話を広めていた。
先手を取っているはずが、同時になっているのはケイとクルシュの異常な移動速度が原因である。
その結果、ある程度の疑心が広がっている。事前にこちらの好印象を広めていなければ、これだけでも向こうに傾いていたかもしれない。やはり侵攻をするというのは外聞も悪く、こちらに味方するものは多い。
もちろんカルステン家の急成長を危ぶんでいたものたちや恨みを持つものたちは、静観の構えを取っている。
ここで加勢しないというのは貴族らしいというか、圧倒的な力を見せつけられていた故だろうか。
実のところ、民衆の反応がその理由だった。
クルシュ・カルステンは今や王国で一番人気の人物だった。
戦ってばかりでなく、その戦果を以て吟遊詩人や芸術家たちに仕事を生み出したことが多くの国民と貴族からの信頼に繋がったのだろう。その分敵も生まれているが、差し引きで大きくプラスであった。
貴族たちは静観し、賢人会は慎重に動く。
当たり前の対応の中でも最も迅速に行動をしたのが、西方辺境貴族の盟主たるロズワール・L・メイザースである。
西方貴族たちをまとめた後に即座に飛んで向かうとの返答をよこしたあの道化。…のフリをした実力者は、有言実行をするだろう。
王都からの騎士団もこちらへ来るらしいが、これが間に合うとは思えない。
国が動けば第二の亜人戦争になりかねない。どうやら敵方のストーリーとしてはこちらに亜人虐待の嫌疑をかけているようだった。これも賢人会を抑える良い一手である。あのトラウマの内戦を起こすなど、彼らはそんな危険は決して冒さない。
西方領軍が向かってくれば、それは賢人会から調査の命令を受けての進軍となる。彼らが到着すればカスター公爵も行動を停止せざるを得ない。
彼らの大義はそこまでだ。それ以上に踏み込むとなれば、剣聖が飛んでくるだろう。
だからこそ、侵略側は全てを迅速に終わらせようと躍起になっているのだ。
とはいえどれだけ急いでもまだ一ヶ月以上かかるだろう。もっとゆったりと構えていても良いはずなのにカスター公爵はどこまでも有能らしい。
だから西方軍はケイの本命ではない。実際に動くのは辺境伯一人で十分。それで権威としても戦力としても一軍に等しいのだ。
賢人会から付託をされた、西方辺境領の領主会合その盟主たるロズワールがこの場を収めるというのが最速である。
対立候補であるはずのロズワールがここまで動くということは彼らには想定できない。
国の仲裁が到着するまでに、どうにか領都まで攻め落としたい彼らと。それまで守り切りたいカルステン陣営の睨み合いという構図が出来上がった。
大きな集落。小さな街と言えるかもしれないここが、現在の最前線である。
ここは、かつてケイが訪れ数日を過ごしたパレト村だ。
村人たちはほぼ全員を後方へ避難させていた。この一年の間に一度でも避難訓練をしておいてよかった。
非難轟轟の催しであったが、今後は感謝されるだろう。
かつての穏やかな景色はすっかり様変わりしていた。周囲には深い塹壕が掘られ、石畳の道は土埃と泥にまみれて一部を掘り返されている。
「ケイ様。塹壕と柵の設置は完了しました」
並んでいた木造の家々は、多くが板で窓を塞がれ、屋根の干し草の束は撤去されてしまっていた。かつて花が咲いていた花壇は踏み荒らされ、置かれた資材によってその色を見せることはない。
「敵方に動きが。どうやら側面から展開をしているようです。対応は防衛戦略4の3でよろしいでしょうか?」
子どもたちの笑い声は消え、広場に響くのは、命令を叫ぶ兵士の声と、武具の金属が擦れる音ばかりだった。
村唯一の商店だった場所は、今や兵糧庫となっていた。焼きたてのパンや干し肉が並んでいた棚は粗末な木箱に置き換えられ、物資を運ぶ兵士たちが忙しなく出入りしている
「退路にも塹壕を敷設しています。補給物資の予定はこちらです」
鍛冶屋の前では、炉の火が以前にも増して赤々と燃えていた。だが、そこに並ぶのは蹄鉄ではなく、剣や槍、鎧の山だった。唯一村人で残った鍛冶職人たちも鉄を打つ手を休めることはない。
彼と目が合った気がしたが、互いに多忙だ。言葉もなく過ぎ去っていく。
寝泊まりしたマーサ婆の家は今は風魔の駐屯所になっている。
「負傷者が14名。死者1名です」
今や村は、戦場へと変わっていた。
それでもまだ、戦場になっている広大な農地には、毛糸を巻きつけた歪なカカシが立っている。
風を受けて毛糸を揺らすカカシ。そのご利益を本物にするか偽物にするか、神頼みなどしない。
いち早くこの無益な戦いを終わらせよう。
ケイは連日の戦闘で無自覚に昂っていた自分の精神状態を自覚し、目的をしっかりと定めるのだった。
少し、佐藤を使いすぎだ。反省する。
あれに気を許してはいけない。抑え続けなければ何をするかわからない。
塹壕が張り巡らせてあり、それぞれ罠をできるだけ用意して敵を待つ。普通であればこのような初見の陣地に突っ込むようなことはしないだろう。
一方的に魔法を浴びせられ、相手には当たらないなど不利すぎる。
だからこそ当初は膠着に陥った。
彼らも慎重に陣地を分析し、付け入る隙を窺っている。
当然だ。自国内での国民の保護を理由に来ているのだ彼らは。死にたいものなど一人もいない。
彼らの戦闘意欲だけを削ぎ続けた成果である。
つまりは士気が低いのだ。
そもそもここまでの道中に激しい妨害を受けているが、あまり死者は出ていない。
そう、数が減っていないのだ。棺も確認できないため死んでいないと思われる。
砲撃では流石に多くが死ぬだろうと思っていたため、これも予想外ではある。
多くが負傷レベルで止まっており、全快しているものが多い。
とはいえ、敵と剣を交わしての負傷ではない。そんなまともな戦闘は一度として起こしていない。
やっているのはトラップと散発的な投石。そして補給部隊の徹底的な排除。そして遠距離砲撃のみだ。
彼らは未知の攻撃に恐怖している。
どこにあるかわからない罠が恐ろしい。
森の茂みが揺れるのに反応してしまう。
本来なら彼らの士気は、兵站は瓦解しているはず。
なのにまだ、塹壕を攻略する気概を見せつけている。これの仕組みはまだわからない。
犯人だけはわかっているが。
「このまま時間を稼げるはずがないと私は思います。次はどうなりますか?」
楽観を捨てたクルシュが確信の表情で問いかける。
「きっとここらで、何か刺激を入れてくるでしょうね。カペラ、いや大罪司教は忍耐の対義語みたいなものです。膠着は戦況としても性格的にも許さない」
実際『怠惰』のペテルギウスは忍耐力も兼ね備えた非常に優秀な大罪司教だったと言える。彼を最初に葬れて本当によかった。他の司教どもの知能と性格は、言うに及ばない。カスである。
とはいえ脅威であることに変わりはないが。
今回のように何か工夫をすれば、大罪司教の悪癖も抑えることが可能らしい。
その方法を想像してみるが、あまり思いつかなかった。
『大罪司教より強い人が指示してる?単純に逆らえないとかなら?』
おお、これは最悪のパターンと言えるだろう。
だがそんな存在がいるなら表に出てきて一撃で終わりでは?いや、剣聖の目に入りたくないのか。
いよいよ敵陣に突撃はしたくないなと、当初の方針を強固に固めた。
もちろん、電撃的に敵の首魁を討ちにいくという案も出たし、検討はした。
しかし現実的ではない。現状こちらの戦力には色欲を即座に打倒できる手札はない。
いくつか有効そうな戦法はあるが、戦力が不足している。
人のふりをした戦争を演じるのが互いの最善手のようだった。
盤面を変えて再び対峙する。
どうやら相手は助言者も呼んでいるらしい。改善してくるなんていよいよ大罪司教失格では?
不安定にさせたことがこんな弊害を生むというのも予想外ではある。
そう考えていた数時間後に、相手が一手を打ってきた。
それは一切気づかなかった。なぜならば、事件が起きたのは敵陣であり、被害者もまた相手だったから。
敵の陣地で悲鳴が上がる。怒号が、砂煙が上がっている。
数時間後には落ち着いたようで、静けさが戻るがどうにもきな臭い。
IBMによる偵察と、風魔の情報を総合すると『魔獣のような何か』に彼らは襲われたらしい。
これは魔獣を飼育しているカルステン家しかできない犯行であり、許されないと言った旨の声明が出され彼らの闘争心に火がついたようだった。
つまり、士気を高めるために偽の被害を生んだのだ。
初めて感触のある敵に遭遇し、ずっと抑圧されていた闘争本能に火がついたようだった。
どんな攻めをしてくるだろうかと防御について相談をしていると、敵の号令が響き渡る。
鬨の声と共に数百名の地鳴りがする。
いや、その地鳴りはどこかおかしい。
「なんだよ…あれ…」
誰かが代弁をしてくれる。それほどに全員の気持ちは同じだった。
外に出て、その光景に目を疑うのはケイを除く全員だ。
3~5mの巨人たちが塹壕と防壁に向かって進撃してくる。
次の瞬間、巨人の咆哮が轟く。
音ではない、空気そのものを揺るがす衝撃波。鼓膜が破れそうな怒声の余波に、兵士たちは身をすくませる。
奴らは止まらない。鉄杭を打ち込んだ防壁すら、巨人の一撃で粉砕された。杭が折れ、木片が四散し、土嚢が崩れる。兵士たちは弓を引くが、矢は巨体に突き刺さるだけで、進撃を止めるには至らない。
絶望の光景がそこにあった。
踏まれた花の名前も知らずに
地に堕ちた鳥は風を待ちわびる