地鳴りはまるで地震のように内臓ごと人を揺らす。
今まさに、巨人たちがその塹壕を飛び越えて柵を破壊し、防衛する領軍と騎士の元へと殺到している。
それはまさに、この世の終わりのような光景だった。
障害物にもならぬカカシが薙ぎ倒されて、巨人の軍勢は押し寄せる。
領軍のものたちに専業の騎士は少ない。普段は領地で農業をしているものが大半だ。
彼らは自らの土地を守るために立ち上がった。けれど、聞いていない。
こんなことなら、剣なんて取るんじゃなかった。こんな棒切れ、5mの巨人に対して何ができるというのか。
ああ、もうだめだ。一層目がすでに超えられてしまっている…
「来るんじゃなかった。こんなとこ…」
誰かのつぶやきに皆が思わず頷きかける。
しかし、絶望の戦場に一陣の風が吹いた。
ゴウっという突風に誰もが目を伏せて、再び前を見ると先頭を走っていた巨人の三体が倒れている。顔を覆って、足を庇ってその場にへたり込んでいる。
「白い鳥…?」
呆然と空を見上げるものたちは、それが鳥でないとすぐに気づいた。
天翼で翔けるのはこの領地の長。彼らが自身で掲げ、身につける紋章が示す英雄が飛んでいる。
誰もが声の限りに雄叫びをあげる。そうだ。
俺たちにはクルシュ様が!天翼の戦乙女様がついているのだと。
それでも、ざっと30名はいる巨人たちの全ては止められない。
地上からの魔法攻撃を避けながら、一部は足を止めていくがそれでも巨人は進んでいく。
そしてそこに舞い降りるのは、巨人よりはるかに巨大な黒竜だった。
最も大きい巨人の、ゆうに4倍はあろうかという巨躯を動かせば、まるで巨人が人のように蹴散らされる。
尻尾がまるで鞭のように、いやあんなに太くて破壊力を伴う鞭などあるものか、暴風にしなる巨木のような尻尾の一撃が巨人を吹き飛ばした。
3mを超える巨人が、まるで子供のように飛ばされる。
黒竜が飛びながら黒炎を吐けば、その軌道の地面が巨人ごと炎上する。
真正面を除いて黒炎が立ち上がり、侵攻経路を強制的に指定。味方の燃える姿を見せつけられ、巨人たちは恐れをなしたように逃げ出した。
こんなの、負けるはずない。
黒竜様と戦乙女様に勝てるものなどいるものか。
あいつらはこの力に恐れをなして、無様に逃げ帰るだろう。
皆がそう確信していた。翌日の再侵攻までは。
そう。
敵の陣地に鎮座する巨大な白い龍と、傍らで兵を鼓舞する竜の巫女。『南の聖女』と呼ばれるものの報告を聞くまでは。
それらを観測し、司令部に伝えたのは何を隠そうワイト兄妹である。
彼らは客分であって、このような前線に駆り出すべきではないのだが試作品の一つである熱気球による観測や偵察を行うと言ったら、断固として付いてきた。
彼らの報告によって砲撃部隊の精度は上がり、奥の奥まで敵の陣容を見ることができている。
報告を聞いたケイは、静かに笑った。
「ああ、あれはきっとハリボテみたいなものですね。水門都市での竜と同じでしょう。特別感を出してますが、本物ならあそこから息吹を吐けば塹壕も防御柵も、村ごと吹き飛ばせるはずです」
「ええ、私もそう思います。けれど士気は盛り返されましたね。あの龍に攻撃しますか?しばらくは黒炎も使えないと思いますが、普通の炎ならいけるでしょう」
「いえ、やめておきましょう。神輿を潰して暴走されても困るし、ノーダメージをアピールされてもうまくない。相手が何か新しいことをするまで現状維持で、作戦通りにいきます」
「わかりました。けれど、作戦の詳細までは領軍の理解は得られていません。命令は聞くでしょうが、そう何度もやっていると…彼らの心は離れますよ?」
「そこは…クルシュの演説に任せます。よろしく頼みますよ。それに、そこまで勝手はしないと思いますけどね」
「あなたの策は、信頼している私であっても困惑するんです。市井のものたちの気持ちに寄り添わないといつか痛い目を見るのでは?」
「痛い目というならこの状況がそうでしょう。僕が寄り添うなんて必要ない。彼らの行動は予測できてる。あなたがきっとまとめ上げます。そうでなきゃこんなに雑にやりません」
適材適所ですよ。そう言ってケイは後方に下がるようだった。
彼が表舞台で指揮を取るのは今日で終わり。これからはより重要な作戦のために身を隠すとのことだ。
あの手この手の妨害工作によって敵の補給部隊は発狂しているだろうと風魔の者が言っていた。妨害工作を行うケイは、どこか活き活きとしているようにも見える。
その暗い喜びの風をこれ以上強めさせてはいけない。クルシュはこの戦いを早く終わらせると心に決めた。
それは『風読みの聖女』による天空からの制圧と、謎の『南の聖女』による無限とも思える治療の戦いとも言えた。
カルステン側は少数精鋭であり、フェリスもいる。消耗はするが、十分に賄える範囲だ。
一方カスター家の方は猛者といえども死傷者が出ているはずである。けれど、異常な速度で戦線に復帰してくる。
兵士の数と巨人という質と量を兼ねる存在による波状攻撃。
すでに400名以上に膨れ上がっているらしい敵の陣容は分厚いままだ。
魔法攻撃はほとんど飛んでこない。
魔法使いは可能な限り、水源確保に使っているらしい。水を引き、土を掘り、氷を生み出しと戦闘に費やせるマナ資源はないに等しいというのはケイの報告である。
そこからはつまり、英雄不在の地獄のような日々が始まった。
そんなに難しいことはない。お互いにすでに手の内を晒したものだけで惨状は十分に実現する。
制空権を掌握された状態で、塹壕を敷かれた場所を攻めるということはつまり『地獄』である。
頼みの巨人は黒竜に阻まれるが、さらに黒竜を邪魔するために同じくらいの体格の白い龍が参戦。白い龍は強くはなかったが耐久性が凄まじく、どんな傷を負っても翌日には無傷で復帰するという理外の回復力を持っていた。
これで地上の戦力が拮抗する。つまり空を抑えている分カルステン家がいまだ優勢だ。
とはいえ相手も普通ではない。怪我をした者が即座に復帰してくるその様子はどこかおかしい。
恐怖を感じていないのだろうか。塹壕に向かって突撃を繰り返す者たちはなぜか止める気配がない。
フェリスの治療を受けて即座に復帰するのはこちらも一緒だが、領軍のものたちには恐怖がある。
青蓮獅子と風魔にはない。彼らの奮闘によって、数ではるかに劣る状況でも戦線を維持していた。
とはいえ多勢に無勢である。
第一層が相手に埋められ、第二層の柵までが破壊された。
夜間も襲撃は続き、翌朝には第四層まで浸透される。あと一層で街に手が届いてしまう。
つまりは、ここが正念場だ。
クルシュは予め決めていた号令をかける。そして彼らの心を奮い立たせる演説も。
兵たちは涙ながらに従った。
つまりは彼らは、街を放棄する。
前線を下げて、もう一度この地獄を作るのだ。
その街道には、すでに後方の工兵による塹壕と簡易の要塞が築かれており、撤退をしながら防衛戦を行うことができるようになっている。
一退一退の攻防が始まる。守る側が有利ではあるが、それでも相手の勢いは強烈だ。
一方でこちらは増えていない。むしろ戦えなくなるものが増えていく状態だ。
あまりに凄惨な戦場とは裏腹に、互いの治癒能力が高すぎるゆえに死者は抑えられていた。
退場したものたちは主に、心が壊れてしまったものたちだ。
それでも戦いは続いていく。
当然ながら敵方も少数が森を使って背後を取ろうとするも、必ず補捉されクルシュや風魔に襲われる。
結局は巨人と竜、そして一部の超人たちを使って正面から攻めるのが最も効率的だった。
そしてそこにはこちらの戦力を当てていく。
パレト村の放棄からすでに数日が経っている。
領都までの集落と街道。それを何度も繰り返し、互いに疲弊していく。
新たな怪物が生まれることも、冴えた策で相手を追い込むこともなく、ただただ撤退しつつ相手を削っていった。
主に領軍のものたちに被害が出る。少数だが死者も出た。
そして領都の目前の最後の街で、それは起こった。
「それは、私の命令が聞けないということですか?」
「いえ、我らはクルシュ様に剣を捧げた身です。クルシュ様のお言葉であれば死地にでも赴きましょう。けれど、今この戦場を作っているのはクルシュ様ではありますまい。かの御仁は一体どこに?」
ついにこの時が来てしまった。今まではどうにか鼓舞してやってこれたが、やはり限界か。
なぜならここを抜ければ領都である。つまり絶体絶命であるのだ。
これまで通りなら突破されてしまう。何かあると教えてくれと、そう懇願している兵たち。
その見通しは正しい。隠された何かの策がないならこのまま負け戦になってしまうのだ。
彼らを説得するには、鼓舞だけではもはや足りない。
「隊長の皆さん。聞いてください。我々には策があります。しかしそれを伝えてしまえば相手はそれを感じとり、確かめようとするでしょう。『暴食』がいる可能性もある。だからこそ、皆さんにはその不安を抱えたまま戦い、私の指示に従っていただきます。その剣に誓った忠誠を、私に示し続けなさい」
理不尽とも言えるその命令。とはいえ彼らも故郷がかかっている。誰もが本気なのだ。はいそうですかとはならない。
「そう、したいのです。けれど、彼は一体どこに?まさか逃げたのですか?」
一瞬。怒りに大気が震えたような気がした。
しかし、目の前の公爵からは場違いな笑い声が聞こえてくる。
「彼が、この程度の苦境で諦めるはずがないでしょう。それならこれまで、いくらでも逃げる機会はありました。この苦境は最悪なんかじゃない。彼の所在も秘密です。私が把握していれば十分」
笑いながら、どこまでも親密に公爵としての立場を感じさせずここまでを静かに語り。
そして堰を切ったように苛烈に言葉が投げられた。
「一つ、問おう」
かつての公爵を思い起こすような問い。
白鯨との戦いを思い出し、青蓮獅子と参加した領軍兵に鳥肌が立っていく。
「騎士たちよ!卿らの主は誰か?」
「私はどう見える?誰かに操られ、自らの意思と反してここで戦っているように見えるか!?」
「私は私の信じるもののために戦っている。誰かのためではない。私の怒りを敵にぶつける。決して迷いはしない」
黒竜が首を垂れて、そこにクルシュは足をかける。
ぐいと上に持ち上がり、その状態で剣を抜く。
「大いに疑え!しかし、自分の目で見て、耳で聞いて判断せよ!それができれば心を決めろ。そして信じると決めたものに、迷わずその身を捧げろ!」
「さぁ。負け戦に挑みますよ。でも、誰一人として死なせません」
誰もが疑い。そして判断して剣を捧げた。
この集団はもう迷わない。クルシュがそこにいる限り、戦い続ける一個の生命体となった。
士気は高い。しかし現実は変わらない。
防衛に尽力し、少なくとも犠牲を払いながら街を奪われる。
撤退は鮮やかだった。しかし、彼らの守るべきものはその背後に残すところ一つとなったのだった。
領都を残し、侵攻が大詰めとなる。
決戦の時は近い。