少し空けて、22時に二話目がきます。
…本当に食べてしまったのか?
何度目になるかわからぬ確信が、ケイの中で強固に主張する。
やはり守りは不利である。
攻めは守りに対して3倍の戦力が必要なんて話もあるが、それは単純な城攻めや陣地攻めの話だ。
工夫次第でどうとでもなるのが戦力である。
しかし、防衛の本質というものはそう柔軟にはいかない。水門都市でもそうだったが、何かを守るとなればあらゆる行動が後手に回る。
選択肢は狭まり結果として何かを失うのが常である。
だからケイは、この辺りで攻めることにした。
領土を落とされ色欲がいる敵の首脳部を襲ったところで危険が増えるだけだ。そして義憤に駆られた彼らを殺したところで、喜ぶのは魔女教の奴らくらい。攻めるのは彼らにとっての玉。キングでなければ王手にならない。
自らの命すら投げ打つ覚悟を決めた兵士と戦士たちは無敵である。
ならば思い出させるとしよう。どうしても捨てられないものを。何より大切なものを。
自分たちが踏み荒らした足跡が、そのまま自らの故郷に向いた時にどうなるのか。
その恐怖を覚醒させ無敵の戦士をただの人に戻すのだ。
目覚めのための嚆矢は、先の公爵の宣戦に倣うとした。
これは南部の領地へ降ってきた文章。文字通り『空から降ってきた』宣戦布告である。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
私はクルシュ・カルステン公爵。
ルグニカ王国のため、そして何より非情な現実に抗うために行動をするものである。
現実とは何か。それは不条理である。
魔女教が跋扈し、魔獣は群れで人を襲い、悪人は放置され、悪徳領主は民を圧する。
そんな不条理と私は戦っている。今も、これからも。
アレクシス・カスター公爵より受けた宣戦と侵犯に対して、我々も同等の行いを以て返すこととなる。
詰まるところ、これは侵攻を受けた我々による報復の侵攻である。
攻撃するならば自らもその傷を負う覚悟をせねばならない。これは不条理ではなくこの世界の真実だ。
何かをするならその反動は受け止める必要がある。当然、私もそうだ。
アレクシス・カスター公爵は現在、魔女教大罪司教の巧妙な罠に騙されている。
悲劇を演出し、それを自ら解いてみせ敵はあそこだと嘯くその醜悪な魔の手を取ってしまったことを責めはしない。
きっと誰でも騙され得るのだ。それほどに不条理な力を大罪司教は容易に振りかざす。
私はそれを決して許さない。
その暴虐を止めるための力は、血の滲む努力の末に私は手にしている。奴らを止めて見せよう。
言葉ではなく行動でしか真実は語れない。人を救い、敵を討つ。その姿を以て皆に判断を委ねよう。
その上で、一つ断言をしよう。
我が参謀にして陣営の頭脳である者に多くの疑念を掛けられているが、彼が大罪司教であることはあり得ない。
なぜなら、彼が歪んだ欲求と理不尽な権能を手にしているのならこの国はすでに灰燼に帰していなければおかしい。
白鯨は王都を蹂躙し、怠惰は西方を制圧し、王国は魔獣で溢れ、水門都市は水底に沈んでいなければおかしいのだ。
彼は多くを成している。これからも成すだろう。彼はある種、危険でもある。けれど彼が邪悪であるなら今の状況はあり得ない。
それは直接間接を問わず、彼と関わった者であるなら知っているはずだ。
未だ我らを知らぬ者たちよ。安心して欲しい。これから貴方たちに会いにいく。
ルグニカ王国王選候補 クルシュ・カルステン公爵
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これは、将棋で言う『逆王手』というやつだ。
領地など好きに踏み荒らせばいい。そこに本質的な損害はないのだから。
結局は人が必要なのだ。色欲はそこだけが狙いであるのだ。
領都が我々の玉ではない。土地が重要なコマではない。
これは他国による侵略ではないのだ。場所なら後でいくらでも取り返せる。
そこに住む貴族や騎士、何より住民たちこそが王将である。
それを奴らは見誤った。なぜ自分たちが戦いを仕掛けたら相手がそのままに乗ってくると思うのか、頭の中がお花畑と言われても仕方ない。
そもそもカルステン公爵領というホームに侵攻されているという状況で、なぜ数的有利を取り続けられていたのかもっと疑問に思うべきだったのだ。奇襲が成功したのだろうと思っていたかもしれないが、実際は領軍をガラ空きの南部へと向けるべく準備を進めていた。
そしてこの一手に期待していることがある。
それを起こせるかどうかが、ケイがずっと行っていた戦略であり賭けなのだ。
こんなことを願うことになるなんて、狂っている。
けれど、現状ではこれが最善であると信じる。
今は作戦の成就をただ祈る。
祈る以外のことを全て終えた今この時だけが、祈りの時間だ。
全てを終えたのちにケイは不純物を廃した、純粋な祈りを捧げた。
自ら動き最善を尽くす英雄たるクルシュ。割と本気でご利益を感じ始めたプリシラ。あとは洞窟で殺意を溜め込んでいるだろう大精霊だっていい、なんなら神龍がいきなり現れて敵だけを吹き飛ばすことすらも期待する。あとはこの地域の民間伝承に伝わる精霊と、そうだこんな逸話もあった…
無数の何かにとりあえず祈るケイであった。
あまりに長い戦いを経て領都を占拠した一団は、目的を失って呆然としていた。
首脳陣はすぐに捜索へ出るべきという意見と、ここで陣を張るべきという意見で真っ二つに分かれている。
これまでそれをまとめていた。目指すべき一つの目的というものが、ここにはない。
誰かが叫んだ。きっと奴らは仕掛けてくると。
誰かが答えた。自身の領地に隠れ潜みながら、こちらを攻撃する?いや、塹壕まであるのだ。こちらに負けはない。
誰かが言った。領都まで明け渡しているのなら賢人会の到着を待てば我々を勝者と見るだろうと。
誰かが答えた。そうだろうか?悪夢のような妨害の数々は魔女教の信憑性を高めるばかりであるが、まだ決定的な証拠も証人も確保できていない。
では一体、どうすれば?
それに答えるものだけはいない。指揮を取るべきものたちは今まさに天幕で今後の動きを決めているはずだったから。
そこからの発表によっては、この集団は割れることになる。緊張感が高まり、互いに剣呑な目を向け始める。
戦場における精神の荒廃は来るところまで来ている。一触即発と言ってもいい。
そんな危うい感情が膨れ上がるその前に、一報が届く。
カルステン領軍が、南方領地へ攻め入っているとの報告が。その宣戦布告文書とともに知らされる。
陣営は大混乱に陥った。
まるで今日の空模様のような曇天の混乱。一部はすでに撤退を始めてしまっている。
こういう時に自我の強い猛者たちは言うことを聞かないのだ。
敵の陣営が散り散りになりつつある状況を聞き、隠れ潜むものたちは歓喜する。
ケイにとってはどうでもいい情報だったので、それはいい。
それよりも他に些細な変化は無いのかと、事前に言い聞かせていた注意すべき事項を再度確認せよと厳命。
半日後、走り込んでくるものがいた。
猫人族のアニスが、その俊足を酷使してケイに情報を持ってくる。
ハァーハァーと息を荒らげながらも、報告をする。
「大きな鳥のようなものが飛び立った。そんな証言がありました。行く先は不明、でもすぐに知らせないと、そう思って…」
周囲の騎士たち、そして風魔のものたちでさえ、その重要性を理解できなかった。
一体何が起きたというのか?これが重要なことなのか?
その報告を聞いてケイは、この長かった忍耐だらけの戦いでようやく報われた思いがした。
ケイはどさりとソファーに沈み込み、息を吐く。
はぁぁぁぁ〜〜。
と本当に、長い、長いため息だった。
天を仰ぎつつ、顔を抑える手は静かな喜びに震えている。
「やっと、やっとだ。
誰も理解できぬ、深い喜びと控えめな歓喜に染まったケイが呟く。
もちろん裏付けはとる。追加の調査も。
けれど直感としてはすでに確信していた。
本当に『色欲』はよく頑張ったと思う。まさかこんなに保つとは想像を軽く超えていた。
どれだけミスを、見落としをしようが、その権能の力は凄まじい。
負ける気もしなかったが、現状では色欲を殺せる手札もまたなかった。
だが、最終的には動いた。その一時の不在はこの企ての『敗着手』である。
続く報告と、IBMによる調査で『聖女』と『賢者』の不在はいよいよ事実となった。
何が起きたのか、結果から言おう。
永井圭が本気で思考した結果、カペラの考えと感情の予測ができた。それが勝因である。
これはある種の成長と言える。人でなしとはいえ他人の論理ではなく、心理を読めたのだ。
カペラの考えを追う。
最初はきっと楽しかっただろう。
コガラ村をクルシュの姿で襲って、きっとその連中を巨人に変えたのだ。
彼らは戻りたければ色欲を倒すしかないと説得でもされたのか、脅されたのか。
あの士気の高さと男性率から見ても、嘘で説得されていそうだった。
きっとあの聖女とやらを用意して使ったのだろう。
巨人族を迫害していたというカバーストーリーは王国の介入を遅らせることができていた。
彼らは命懸けでも協力する。だって、家族や自分が元に戻りたいから。
そして、侵攻軍へのケイの妨害が始まる。
想像よりも早い武力介入に最初は少し歯噛みしてくれたかもしれない。
ルグニカの公爵同士で潰し合い、さぞ滑稽だと満足していだろう。治療は面倒だろうが、感謝されるならやれたのか?いや、すぐに求愛するだろうし、『賢者』が工夫をしたのだろう。
『聖女』は幼い龍を抱えているというが、おそらく『色欲』が化けている。
幼龍は平時にはずっと寝ているという。『色欲』は普段は休眠し、治癒の際には聖女を幼龍に変えて眠らせその権能で人々を癒す。終われば休眠し、大罪司教の性を抑えるという方式ならこの長期戦も達成しうると考える。
謎賢者の話も兵士からは聞けたが、それが誰かはわからない。しかし、機能は明白だ。『色欲』の制御係。寝かしつけの世話役だ。色欲はその自我を多くの時間に眠らせて、治癒の時だけ目覚めて周囲から愛を捧げられる。
それでもストレスは重なったはずだ。爆発しなかったのだから、もっと工夫をしたのだろう。
問題はここからだ。
塹壕戦が始まってケイとタブスが一向に姿を見せなくなってから、アレはどう思ったのか。
さぞつまらなかったろう。
住民をいじることもできず、ケイに復讐もできず。無視をされる。
一体何をしていたのか。
負傷兵たちの治療?巨人と竜の補給?反抗者の抹消?それに伴う食糧の供給?愛と信仰を浴びて悦に浸っていた?
いいや、決まっている。
自身の欲求に従い続ける破綻者のことをよく知っている。それはもう、自分のことのように知っている。
カペラが聖女に向けられた愛なんぞで満足できるわけもない。
それでも、目的を徐々に達成しているうちは良かったろう。次々にクリアしていくのなら誤魔化せたのだろう。
上手くいっているのにやめるなんていうのは、破綻者の中でも異端だと信じたい。信じてよかった。
そんな風に自分を抑え眠らせて誤魔化し、無理してまで最後まで勝った後に何を得た?そこにあるのは罵詈雑言と例の絵本だけ。
カペラが欲しいのは全員からの愛なのに。
虚しい勝利を得てどう思うのか。真面目にやるのがバカらしくなったに違いない。
ケイはずっとカペラにストレスを与え続けていた。自ら作ったこの盤面に縛られていたのは実際のところあいつ自身だ。
色欲の権能があるならもっとやりようはあっただろうに、執着する相手の土俵で頭脳戦でもしてみたくなったのだろうか。
相手を逆の立場に立って貶める。そんなアイデアを思いついた時小躍りして喜んだのだきっと。
魅力的な思いつきに縛られて、最善を見失う。制御を受けて普通の助言が実行できるような状況になれば、普通の失敗も起こすのは道理だ。
本当に助かる。無駄な戦法。くだらないこだわりに心から感謝する。
そんな極限の抑圧状態のとき、別で侵攻している本命の一団がいると分かれば?
そちらに飛びつくに決まっている。本音を言えばいつラインハルトが派遣されるかもわからぬこの場所から今すぐに離れたかっただろう。
あいつは僕に執着しているのだ。この陣地に僕がいないと兵士たちが感じていることはわかったはず。
兵からの僕への疑念は、そのままあいつへのメッセージである。
逆侵攻した彼らは最短で奥地へ進み、グリーフィル領まで到達する予定になっている。
長居はしない。そのままスルーだ。誰が侵攻など無意味なことなどするものか。
さて、振るべき旗を失って相手は崩れ掛けているがきっとまだ致命打にはならない。
だから今ここで最大の威力を発揮する爆弾を投下しよう。
鬼のいぬ間に戦争を終わらせる。
これは人命を奪う戦争ではない。人心を潰す戦争なのだ。
混乱の坩堝と化した領都に、空から何かが降ってくる。
それは紙だ。綺麗に何かが印字してありそれだけで恐ろしいほどの技術だとわかる。
というか高級品である本の1ページをまるで捨てるかのように扱うのは意味がわからなかった。
敵からの言葉に耳を傾けることはすべきではないが、これはすでに一兵卒に至るまで手にしているだろう。
カスター公爵は開戦から初めて遣わされた使者によって届けられた紙の内容を渋々読む。
そこには、致命の猛毒である『問い』が書かれていた。ご丁寧に示唆までつけて。
・聖女が人しか癒せないのはなぜだ?それは治癒魔法ではあり得ない。
※色欲の権能は人しか変異させられない。
・公爵家の後継が年若いアレクシス卿しかおらず、幹部が経験の浅いわずか数名しかいないのはなぜだ?大貴族として異常な少数である。
※暴食の権能は人を存在ごと記憶から抹消できる。
・君たちは侵攻当初から人数がほとんど変わっていないのはなぜだ?脱落者もいたはずだ。増援も加わっているだろうに、なぜ変わっていないのか?普通に考えればいるはずの反対者や重傷者がいないのはなぜだ?
※暴食の権能は脱落者や反対者を消すことができる。
・この凄惨な戦場においてお前が今無事なのはなぜだ?そちらは我らを殺そうとし、我らは積極的に殺そうとはしていない。
※砲撃は最初見せた通り本陣まで届いていた。空からの攻撃は自由だった。殺そうと思えばもっと殺せた。
ここまでは、いい。いやよくないが、それでも致命ではない。
兵たちの間に致命的とも言える動揺が走っているが、それは首脳陣に敵方から届けられた文章よりも格段にマシだった。
使者からわざわざ届けられた手紙には、上記の問いが同じように書かれている。
しかし、一文だけ。一問だけが追加されていた。
首脳陣だけが読むように念押しされた、まさに劇薬。
この最後の問いこそがもっとも重要で、何より認められないものだった。
・いったい君たちは何を食べているのだ?
※色欲の権能は人しか変異させられない。
理解に至った誰かが吐いた。
これまでならばここで即座に場を掌握していただろう。
しかしその聖女はおらず、補佐の賢者もどこにもいない。
天幕では幼き龍がスヤスヤと眠るだけ。
止めるもののいないそれは連鎖して、それぞれの脳内に結論を結ぶ。
アレクも盛大に吐き出した。
胃液の一片も残さずに、吐き続けた。
高位貴族たちの天幕は阿鼻叫喚の地獄と化した。
【逆王手について】
王手を防いだ一手が逆に相手の王手となること。攻められていても相手に防御を強制させる攻めの一手。